TENSEI塵語

2005年05月31日(火) ゴーヤ

きょう買って帰ったゴーヤは実によかった。
スーパーで売っているのは細めのが多いけれど、
きょうのはぷっくりと太っていて、色もほどよく濃い。
切ってみたら肉厚だし、中のわたも非常に取りやすかった。
味も実に快い苦みで、ついつい立て続けに口に運びたくなる味だった。
今月の1日に今年の初ゴーヤということで買ってきたのもこんな形だったが、
あの時のは時期が早すぎたが、妙に水っぽくて青臭かった。
それから7、8本食べたけれど、苦いだけのや歯ごたえの悪いのや。。。
きょうほどのは去年も一昨年も出会ってないように思う。

一昨年、妻が小学校で収穫したものを数本持ち帰ったときには途方に暮れた。
そんなものを食べるなどと夢にも思っていなかったのだ。
しかし捨てるわけにもいかないので、いろいろ試しながら食べていた。
こんな苦いもん、と文句言いたくなりながら、それでも、
何となく好ましく食べれてしまうのが不思議な食べ物である。

結局、家族に一番受け入れられた調理法が、
ニンニクと一緒に炒めて、ツナを足して炒めて、醤油で味付けたものである。
毎回こればっかりでは飽きるだろうと、別の料理にしたり、
永谷園のゴーヤ卵の素を使ったりしたこともあったが、
この、ニンニク・ツナ・醤油の組み合わせが一番よく売れるのである。
ゴーヤチャンプルよりもよっぽど好評である。
沖縄の人が見たら、なんちゅうことさらすねん!!と怒るかもしれないが。
(おっと、関西弁にしちゃいけないじゃないか、っていっても、
 沖縄の言葉は知らないし。。。)

これから本格的にゴーヤの時季になっていく。



2005年05月30日(月) 休肝日

昨夜、映画版「笑の大学」を見た。
この感想は別日に回すとして、、、そのせいか、今朝寝坊した。
バタバタと仕度して出勤すると、授業3時間、会議2時間、補習100分
というハードスケジュールである。
それで疲れたせいかは知らないが、10時前にちょっと横になったら、



2005年05月29日(日) 「デセプション・ポイント」

きょうは模擬テストの監督にあたってしまって、出勤した。
これは休日を拘束されるという点では些か厄介ではあるが、
そう悪くない仕事である。
問題配布・答案回収と、教室を無法地帯にしないことが仕事で、
定期考査のようにカンニング防止に神経をつかう必要がない。
その点については、生徒の自主規制を援助する程度の役割でよい。
だから、日ごろたまっている仕事を教卓で片づけるいいチャンスである。
この4月から、休日出勤して仕事することの多かった私にとっては、
それが自由意志でなく、出勤を依頼されたついでに個人的仕事を片づける
機会を得た、というだけの違いである。

試験時間は長い。
英語100分、国語100分、歴史60分という時間割である。
2限目の国語の半ばには当面の雑用は片づいてしまった。
それであとは読書にした。

先々週からダン・ブラウンの「デセプション・ポイント」を読み始めたが、
3、4日おきくらいに1時間弱の時間を何とか確保できるていどで、
なかなか思い切って読書に時間を割けるような毎日ではない。
深夜にちょっと時間が空いても、そのころは目のぐあいがよくないので、
活字を追うのはなかなか骨が折れるものだから(老眼が進んでいる)、
DVDを楽しむ時間になる。
だから、こういう時間はたいへんありがたいのである。
教室の中にはいなきゃいけない、しかし生徒をにらみつけている必要もない、
至急にやるべき仕事もない、読書でもしているしかない、という時間は。。。

「デセプション・ポイント」はダン・ブラウンの前2作と違って、
キリスト教色のない世界の物語である。
今のところ、大統領選の攻防と、NASA の地球外生命体発見の2つを核に、
ワシントンと北極で物語が進行している。
現大統領が、次期大統領選の劣勢を、NASA の大発見で優勢に転じようと
しているが、その大発見も何やら疑わしい気配になってきた。
ヒロインの国家偵察局局員レイチェルと、おそらく物語上の
今回のヒロインのパートナーとなる海洋学者トーランドは、
そのNASA の大発見の証言者として北極に招かれたが、
その「大発見」の作為に気づいた時にはもう命を狙われる運命に転じた。
今、トーランドの機転により、特殊部隊の目前から逃れて、
宇宙物理学者コーキーを含んだ3人が、北極の氷上をあてもなく滑走しているところである。。。
ワシントンでは、NASA の「大発見」の記者会見を前に、
次期大統領候補の上院議員セクストンの秘書ガブリエールを、
大統領顧問のテンチが周到なる資料をもとに落とそうとしている。。。

これまで、題名の意味についてはほとんど気に留めていなかったのだが、
デセプションってなんだっけ、、、と綴りを思い浮かべてみると、
何やら「欺」という漢字がまとわりついている。
もう四半世紀も英文なんてろくに読んでない私の単語力はこの程度である。
受験の時に覚えた英単語の遺物がムードとして漂っている程度のものだ。
カシオの辞書で確かめてみると、「だますこと、だまされること、詐欺、
ぺてん、、、」などとある。
「欺瞞点」?? ではよくわからない。
訳者あとがきを読んでみたら、訳者は「欺瞞の極点」としているようだ。

「政界における権力の極点と呼ぶべきワシントンと文字通り地球の北の極点、
 そのふたつを主舞台として欺瞞と欲望に満ちた人間模様が繰り広げられる」

それにしても、国家の秘密機構といい、宇宙物理学といい、古生物学といい、
海洋学といい、今回も特殊な知識を駆使した物語だが、
小説を読む楽しみをまったく損なわないわかりやすい説明は相変わらずである。



2005年05月27日(金) 日中問題

火曜の夜は早々に眠ってしまった。
普段は9時ごろ眠ってしまうと2、3時間ですっきり目が覚めるのに、
その夜はいったん目が覚めた記憶があるが、夜明け前まで続けて眠れた。
起きてから採点などの仕事もできた。

水曜の夜は、仕事を片づけてから「トトロ」を見て、寝た。
昨日の夜は、仕事を片づけてから「名探偵コナン」の映画を見て、寝た。
塵語を書く余力がないからではなく、寝るべき時間になったから、寝た。

火曜日だったと思うが、靖国参拝に関する小泉クンの発言のために、
日中会談が突然キャンセルされたという報道があった。
そのために副首相が来日していたのに、帰ってしまったというのである。
客が訪ねてきて客間で待っていてもらっている間に、
自室での主人の話し声が客の耳に入ってしまって、
それに怒った客がさっさと帰ってしまった、そんな感じである。
恥ずかしい話というか、無礼(小泉クンが、である)な話というか。。。
あんた、何のために訪問してもらったの?
おまいらのはなしなんかきかねぇぞ〜、べぇ〜〜って言うために呼んだの?

ま、要するに、確実なことは、小泉クンが首相である限り、
隣国との関係はこじれるばかりで、平和的外交は望めないということだ。
憲法は、対話によって友好関係を広げ、世界平和に貢献しようと説くが、
小泉クンはそんな憲法の下に首相の地位に就いている立場を知らない。
しかし、彼がどう後悔したとしても、今さら、
すいません、靖国参拝はもうやめさせていただきます、とは言えないだろう。
それだけ、「毅然」「断固」「信念」の仮面を顔にぴったり貼り付けて、
今まで自己の靖国参拝を正当化し続けてきたのだから。。。

小泉クンは、私が多少なりとも政治に目を向け始めてからの、
最悪の首相である。
竹下の爺さんを「猿だ!!」と罵ったこともあるが、比較にならない。
就任のその日から予感していたが、
その語の小泉クンの言動は逐一それを照明し続けてくれた。
うれしくもあり、実に悲しいことでもある。

こんな思いで日中問題について書こうと思っていたら、
塵語をさぼっている間に、橋本さんがしっかりと書いてくれている。

http://home.owari.ne.jp/~fukuzawa/p(5).htm

これじゃ私などお呼びじゃないので、この戯れ言で終わっておこう。



2005年05月23日(月) 「ラ・マンチャの男」の公演

今月の名鉄ホール公演演目の「ラ・マンチャの男」を観に行った。
幸四郎と松たか子の親子共演になった舞台である。
また、つい先日、幸四郎が1000回上演を成し遂げた舞台でもある。
チケットが発売され始めてからちょっと日が経ったときに思い立って
チケットぴあに行って、きょうの分なら7列目が買えそうだったので決めた。

幸四郎の「ラ・マンチャの男」を観るのはきょうで2回目である。
1回目は、もう20年くらい前に、東京の日生劇場で観た。
ワーグナーの「タンホイザー」を観にNHKホールに行き、
その夜、友人と飲んだ時にラ・マンチャの男をやっていることを教えられ、
翌日昼の公演の当日券を買って観て、夜帰宅したのだった。
その時は、何と最前列ながら、一番端っこの席だった。
ただでさえちょっと高めのステージの上に、
地下牢の雰囲気を出した特設ステージを乗せているものだから、
かなり高いところで演じていて、最前列からは見えない部分もあった。
声も案外遠い感じで、聞き取りにくいこともあった。
それでも、映画で見ていたのとは違う、舞台ならではの趣があって、
大いに楽しんで観ていたものだった。

今回は名鉄ホールだというので、舞台が小さいんじゃないかとか、
オーケストラは配置できそうにないからカラオケでやるのかとか、
そういう面での不安があった。
ところがホールに入ると、地下牢の舞台がでんと前に置いてある。
それがかなり低い位置で、そのまま我々も容易に上がれそうな密着度である。
また、舞台袖の両側に、オーケストラ用の部屋が作ってあり、
普通のホールだと壁になっているところが、四角く大きい窓のように
あいていて、網のようなもので塞いである。
だから、客席から演奏者の何人かは見えるし、客席へ生音も入ってくる。
いやー、よく考えてあるなぁ、と感心してしまった。
(もっとも、ホール全体にはマイクを通したスピーカーの音が響く)

さて、注目の松たか子、、、というのも、時折ラジオから流れるのを聞いて
知っているあの歌声とは対照的な、アルドンサ役だからだが、、、
実に意外なほど説得力のある歌いっぷりであった。
セリフとなると時々今ひとつと思わされるところがあったが、
それでも、決めのセリフはなかなか心に響いていた。
間近に見ちゃったから、橋本さんヤキモチやくだろうなー(笑)
幸四郎の上手さは言うまでもないが、
牢名主&宿の主人役の上條恒彦も神父役の俳優も実によかった。

とにかく私はラ・マンチャ中毒なので、涙腺が緩んでしょうがなかった。
特に歌に入るとダメなのである。
やはり舞台演劇はいいなぁ、とつくづく思う。
1万4千円もしたのだが、明日にでもまた行きたくなってしまう。
ま、今からではどの日もいい席は残ってないだろうから断念するが、、、
また公演を見つけたらぜひ行きたいものである。



2005年05月22日(日) 千秋楽

朝青龍は昨日千代大海を破って優勝を決めてしまい、
きょうは栃東も簡単に破って全勝優勝を決めてしまった。
見た感じ、どうしてあんなに強いのかわからないのだが、
とにかく関脇以上の4人にもほとんど相手の相撲をさせないうちに、
さっさと土俵外に連れ出してしまう。
当たった瞬間にもう相手には何の手出しもさせない形を作り、
その後もつけいる隙を見せないで一気に相手を操ってしまう感じだ。
力があることは、少々もつれた勝負を見れば明らかなのだが、
やはり、研究心と、反射神経と、とっさの判断力のずば抜けた速さだろう。
とにかく、相撲が速く、めまぐるしい感じだ。
今までに見てきた横綱には見られなかったタイプの強さだ。

期待の白鵬は、9勝6敗、2連勝の後4連敗、それから6連勝して、
勝ち越しを決めた後、朝青龍と栃東に負け、きょう千代大海には勝った。
4連敗が痛かったが、あのころは風邪をひいていたようである。
その語2連勝したころの新聞に、体がだるくてしょうがないという
コメントが載せられていた。
しかし、私が残念に思うのは、勝った勝負を見ていても、
あの先々々場所だったかの感服した動きがめったに見られなかったことだ。
急速な体重の増加と、本来の才能のバランスが取れてないのだろうか?
しかし、まだ20歳だ。入門してまだ5年くらいだそうだ。
名横綱の大鵬でさえ21歳と何ヶ月かの横綱昇進である。
焦ることはない。
じっくり研究と稽古を積んで、千代の富士と貴乃花を足して割ったような、
芸術的な力士に成長してほしいものだ。

この2人のモンゴル力士のおかげで、相撲観戦が実に楽しい。
他の取り組みも楽しく見ることができるのは、この2人のおかげである。
ちなみに私には、相撲=国技=主役は日本人、という考えはない。
いい相撲を見せてほしい、という願いは、他のスポーツと同じである。
日本人力士に魅力ある人がいなくなってしまった。
白鵬以外では、琴欧州がなかなか魅力的である。
しかし、昨日ときょうは、琴の若の寄り切りにも感動してしまった。
こうなるしかない、とでも言うような、文句なしの力強い寄り切り。
琴の若も何年か前は、横綱にはなれなくても、
名大関として名を残すんじゃないかと期待したんだけどなー。。。



2005年05月20日(金) パッヘルベル「シャコンヌ」

また思いっきりさぼってしまったが、この2、3日は楽譜書きをしていた。
娘がもう3年生で、大学の弦楽合奏団の幹部になり、
先日選曲云々の話をしていたので、その内の1曲に、
パッヘルベルの「シャコンヌ」を勧めようと思って、
音源と楽譜を用意して検討材料にしてやろうと思ったのである。

音源はカセットテープで持っていたけれど、数年前から行方不明の上、
仮に見つかっても、再生する機械がない(あってももう壊れている)。
だから、銀座ヤマハで見つけたオルガン譜(原曲)をもとに、
数年前スコアメーカーでギター音にして打ち込んでおいた楽譜を、
弦楽の音に変えて、弦楽でおもしろい形に書き換えてファイルを作り直した。

楽譜はそれとは別に、フィナーレというソフトで新たに書くのである。
スコアメーカーというソフトで作っておいた楽譜はピアノ譜なので、
そのままでは弦楽合奏の楽譜としては使えないからである。
スコアメーカーは、楽譜を作るにはちょっと物足りないけれど、
強弱やテンポの設定が簡単にできるので、midi音源用、
フィナーレは楽譜がきれいに印刷できるので、楽譜書き専用である。

こういう仕事をしていると、時間を忘れるほど没頭してしまうのである。
実際役に立つかどうかは問題にならない。
とにかく、五線に向かってあれこれ悩みながら音符を埋めるのが楽しい。
PCはそれをすぐに演奏してくれるのでありがたい。
手書きでやっていた時は、団員の集まる日時まで待たなければならなかった。
しかも、全部手書きでパート譜まで書いた後で、である。

パッヘルベルの「シャコンヌ」は、大学時代にギター合奏で演奏した。
私はやはり指揮者だったが、コンマスをやっていたT君と選曲していた時に、
T君がこの曲の弦楽合奏版を聞かせてくれて、
すぐに私も気に入って、候補曲の筆頭になった。
問題は楽譜だったが、その数年前にそのサークルで演奏していたとわかった。
部室の倉庫からその時の楽譜を発掘して、それをもとに書き換えて演奏した。
何度演奏しても飽きない曲だったし、今回PCで取り組んで、
何度も聞き直しても、やはりぜんぜん飽きない曲である。

「シャコンヌ」というのは不思議な音楽である。
基本は、ラーーソーーファーーミーーという低音の音階の繰り返しである。
その上に変奏曲のようにさまざまなメロディーが展開されるのである。
そんな単純な形式の音楽なのに、実にドラマティックである。
バッハの無伴奏ヴァイオリンパルティータのシャコンヌはその最高峰である。
ヴァイスのリュートのために書かれたシャコンヌも私の愛奏曲だった。
ラソファミという単純な音階が、さまざまな表情を秘めているのだ。
音の世界というのは本当に不思議である。



2005年05月16日(月) 宵寝

また久々にやってしまった。
9時ごろちょっと横になった。
最近は、こうしてちょっと横になっても、15分ていどで起きあがり、
青竹踏みをやり、ラテラルサイトレーナーで少し運動をして、
かえって健康生活の促進になっていたのだが、今夜はすぐ意識を失った。
目が覚めたら0時半である。
この瞬間に途方にくれるのだ。
明け方の3時か4時まで眠ってしまえば、そのまま1日を始められる。
けれども、こんな時間では、ずっと起きているつもりでも、
4時か5時にきっと眠くなって、1日がますます不安になるものである。
だから、酒を飲みつつ眠る準備をしながら仕事をするはめになる。
後でまた3時間ほど眠って1日が始まることになるだろう。
その1日は、きっと重い体で過ごさねばならないだろう。

何か、毎日が虚しくてしょうがないのだ。



2005年05月13日(金) どーしたー!?白鵬!!

白鵬がなかなか勝てない。
初日から2連勝したものの、4連敗で2勝4敗である。
3日目に岩木山にいきなり弾かれ、何もできないまま押し出されてから、
勝てなくなってしまった。
それとも、4日目の雅山戦での引き落としが利いているのか、、?

先場所は初日から4連敗という厳しい状況で、
何とか8勝7敗で勝ち越し、関脇の座は守った。
けれども、先場所から見ていても、
勝っても、あの先々場所の快進撃のようないい動きはめったに見られない。

きょう若の里戦は、残念ながら俵際で逆転されて負けたけれども、
すぐさま回しをつかんで一気に攻め込むいい立会だった。
懲りることなく、こういう相撲を追求していってほしいものである。

場所前の計量で158キロになったそうである。
いい体になった、そうかといって太りすぎの体つきでもなく、
バランスのよい体格になったと、解説者たちはいい評価をしている。
しかし気になるのは、その重くなった体と、彼の本来の素質とのバランスが
うまく行っていないのではないかということだ。
先にどんどん重くなりすぎた、、、そう思いたい。
きっと稽古を積んで、バランスのよい力士となり、
芸術的な相撲を見せてくれる力士に成長してくれると信じたい。

ちなみに、魁皇がきょうから腰痛で休場した。
初日から5連勝、どっしりとした相撲を取っていたようだ。
しかし昨日の取り組みで腰を痛め、寝返りもうてない状態らしい。
初日から好調で安定していただけに、さぞかしくやしいだろう。

勝負の世界での体の管理の難しさを改めて知らされる話である。



2005年05月12日(木) 遊園地

長島の遊園地はたぶん3回目だ。
最初が前々任校の遠足、2回目が前任校の遠足、きょうの遠足が3回目。
前任校には15年もいたのに、3年生は2回しか担当していない、
そのうち1回は鈴鹿サーキットだったから、長島は1回しか行ってない。
しかしまぁ、要するに遠足の引率でしか行ったことがないわけだf^_^;
空いてる遊園地しか知らないから、日曜日などに行く気が益々しなくなる。

で、ある程度ごちゃごちゃと打ち合わせが済んだら、
まずはホワイトサイクロンである。
前回かなり長くて怖かった思い出はあるが、なぜかまた乗りたい。
あの時も、あーーこわかった、こりゃたまらん、脚ガクガク〜、
こわかったねーー、もう一回行こーー(笑)、、という感じだったが、
共に行動していた中の一人がグロッキー状態になったのでそのままになった。

たいていのジェットコースターがそうだけど、まずはゆっくり高く登る。
ホワイトサイクロンはこれがかなり高いので、海といい林といい、
そうしてカラフルな他の遊具といい、実にいい眺めである。
しかし、高いということは、次の下りの落差が大きいということだ。
下り始めたその速さと激しい振動は、記憶の中に収まりきらなかったらしい。
即座に乗ってしまったことを後悔するほどである。
かといってもう逃げ出しようがない。
そんな急降下が4回目、5回目となると、またかよーー! と言いたくなる。
体がシートから浮いてしまうほどの急降下もある。
しかも、頭が所々の梁にぶつかるんじゃないかという不安もある。
いやだーー、もうやめてくりーー、と願いながら過ごすこの時間の楽しさ!

コークスクリューにも乗った。
1回目来たときは、これがジェットコースターのメインだったはずだ。
ちょっとこわかったけど短すぎ、という記憶がある。
これは、落差も低いし、あっという間に終わるけれど、
途中2回回転するところがドキドキものだった。
降りたら、頭に血がたくさん上っているようだった。

スチールドラゴンが、いつぞやの事故の後、
まだ整備中で動いてなかったのが実に残念だ。
午後からまたホワイトサイクロンと、ボブカートにも乗ろうと言ってたのが、
昼から雨になってしまって諦めざるをえなくなった。
憎らしい雨である。
予報では夕方からと言ってたのに、早すぎるじゃないかーー!!(`ε´)
また何とか3年生担当をものにして、行かなければ。。。


昨日から長良川鵜飼が始まった。
鵜飼開きに行きたかったが、夕飯が遅くなったので諦めた。
歩いて5分だから、ムリして今夜行かなくてもいつでも行けると、
いつもこんな具合で、かえってなかなか行けなかったりする。
こんな近所の客が行っても行かなくても、観光協会は何の興味もない。

鵜飼客が減っていると言って、観光協会はいろいろと躍起になって企画する。
今年は万博のおかげで、いくらか客足に期待できるかもしれない。
しかし、いつも思うのだが、遠方の客にとっては、鵜飼は1回でよいのだ。
今年、万博ついでに長良川まで足をのばす旅行客がいくらかあるにせよ、
それで鵜飼に病みつきになって、鵜飼目的ではるばる何度も足を運ぶ人が、
全国探していったい何人いることだろうか。
鵜飼客を増やしたかったら、近くに別の旅行目的を作るしかないのである。
何度も行きたくなるような旅行目的を、である。

そのひとつの例が遊園地である。
長島スパーランド以上の、ディズニーランド並みの遊園地を作ることである。
それとのセットで、鵜飼客を招くしかないのだ。

もっとも、そういう騒々しいものをこの近辺に作れと言っているのではなく、
そういうことをしないで、客が増えんと嘆いているのは愚かだということだ。
鵜飼は確かにすばらしい伝統技術で、味わい深いものだけれど、
ほんの30分ほどの幽玄のために全国から○十万規模の客を集め続けるのは
無理な話である。



2005年05月10日(火) 経済学入門

現代文の教材に「この村が日本で一番」という教材がある。
やせ地が広がり畑作が無理な上に、牛を養える草の生産力もない現実を
嘆くこともなく、かえって「山羊を飼うのに適した土地だ」と誇っている
フランス・ラルザックの村人の話から始まっている。
「山羊しか飼えない」と嘆いているのではないという驚きから始まるのだ。
筆者は同じ思いを、群馬県の山村のある老婆の言葉にも抱く。
「この村から一度も出たことのない私が言うんだから間違いない。
 この村が日本で一番よいところだ」
確かに不思議な言い方である。
「この村から一度も出たことはないけど」ではないのだ。
「出たことはないから」はっきり言えるんだ、という自信である。

全体は、だいたい次のような要旨である。

人間は、生まれた地域の自然や歴史、文化とともに存在しているのであり、それらとのかかわりの中で自分を作り出している。そこでは、自分たちの暮らす地域は、絶対的である。
現在、我々は、グローバル化していく市場経済の中で、他の人々と交換可能な労働の世界で働き、交換可能な地域で暮らしている。市場経済が拡大すればするほど、人間は自分の確実な存在を見つけ出せなくなる。私たちは自己の関係する世界を見失ってはならない。

教科書の文章としては珍しく明快な論を進めていく。
しかし、私の弱点のひとつが、経済分野である。
この4ページの評論を読む限り、かなり納得できるのだが、
市場経済なるもののあり方が今ひとつわからない。
どーすんべー、、、と悩んでいて、ふっと思いついたのが、
橋本サイトの、何でも研究室の「経済学入門」である。

以前ざっと走り読みしたときには、どうということもなく済んだのだが、
こういう問題意識を持って読んでみると、いろいろと興味深い。
しばらくこれを熟読して、理解を深めてみようという気になった。

勉強にもタイミングというものが大事である。
学校という場所は、一斉授業をするしかないので、それを無視する。
こういう意味でも、学校というところはかなり暴力的だな、と思う。



2005年05月05日(木) 青竹踏みの復活

この2回の3連休の中で、青竹踏みを数年ぶりにやり始めた。
私を鼻炎や風邪から解放してくれた青竹踏みである。
(HomePage の「生活」コーナーの「鼻炎が治った話」参照)

思い立ってやり始めた日は、足の裏が痛くてたまらなかった。
昨日・きょうあたりはもうそれほどでもなく、心地よい刺激になっている。

また、ラテラル・サイ・トレーナーやストレッチ・プロも使っている。
ゲルマニウムブレスも、家にいる間は手放せない。



2005年05月04日(水) 憲法週間

昨日が憲法記念日、憲法を考える機会の日である。
だから、この前後は特別に憲法を考える数日間として心すべきである。
それは国民の義務でもあるだろう。
けれども、実際私はそれほど考えてはいない。
若いころはそんな風に暮らしたけれど、今では忘れていることもある。
どれだけ考えたって、今の憲法がすばらしいに決まっている。
世界中の国々の憲法がこの精神に改められて、
一切の武力的紛争を否定・禁止・一掃してほしいものだ。

それにしても、橋本さんがBBSに引用していた東京新聞社説の中の、
自民党議員たちの憲法論議は何だ?!!

「もっと現実に即した憲法にしよう」
「権利主張ばかりがはびこっている。
 国民の義務や責務をはっきり書くべきだ」
「公のために基本的人権を制限できることを明記しよう」

こんな無知で浅はかな連中が、立法に携わっているという恐ろしい現実。
こんなやつらをいったい誰が選ぶんだ? と不思議だけれど、
考えてみれば、選挙運動の中でこんなところまで見抜けまい。
こうなってくると、選挙だけでは足りないのではないかと、、、つまり、
ちゃんと試験に合格した上で立候補できるように法改正が必要である。

しかし、誰が試験官をやり、採点するんだ?
それを選ぶのは誰だ?
憲法軽視の男が首相になって威張っているような社会では、
それもまた実に危険なことではないか!

時間がないので連日大ざっぱに書いているが、きょうもこんなところで。。。



2005年05月03日(火) きょうも仕事に、、

午前中学校に出た。
主な仕事は、今週の土曜解放の講座を頼まれたのでその準備と、
生徒の提出物のチェックである。
平日は夕飯の用意等のために遅くとも6時ごろには帰宅するので、
そのしわ寄せが休日に来るわけだ。

妻は休日出勤はしないけれど、特に今週は連日8時ごろ帰って来た。
7時半ごろ、これから帰ります、と電話が入る。
電話を切らぬうちに、周囲に謝っている声も聞こえてくる。
今年度が始まってから、7時より前に帰ったことがない。

もちろん、2人とも、家で仕事することが多い。

久々に、教員の勤務時間に文句言った奴を連れて来ーい! という心境だ。
ぶん殴ってやるつもりである。
実状を何も知らずに、形式だけでものを言う奴は大嫌いである。



2005年05月02日(月) 「War Game」

ぜひ見て欲しいとDVDを貸してくれる人がいたので、見てみた。
1983年に作られた映画だそうだが、何とも恐ろしい映画である。
PCオタクの高校生が、ゲームのプログラムをハッキングでせしめようとし、
それがきっかけで、国防省が大騒ぎになる。
少年は単なるゲームと思っていたが、国防省のシステムに入り込んだのだ。

少年はゲームをあっさりやめたけれど、
システムはそれをきっかけに勝手にゲームを続行した。
司令部のモニターに映し出されるシミュレーションが真実に映り、
報復攻撃の準備が着々と進められ、全面核戦争が間近に迫る。
それをやっとの事で阻止したと思ったら、
PCは自らコードを改変して、報復攻撃の遂行をめざす。。。



2005年05月01日(日) いろいろ、、、

昨夜は「冬ソナ」第19話と最終話を見た。
なーんとなく見たくなって、久々に終わりだけ見ても、すっと入り込める。
やっぱりユジンのセリフと表情は格別だ。ついつい涙を誘われる。

塵語読み返してみたら、去年の5月1日は、第5話をTVで見て、
その後第6話をインターネットで見ている。
そして、翌日にはもうDVDの第1集を店で手に入れて、
第2集を楽天のい〜でじ!!シネマに注文している。

でも、それが1年前だったとは、、、ちょっと前に知ったときは意外だった。
もっとずっと前かと思っていた。
あれからいろいろなドラマを見たせいだろう。
しかも、見てたの冬の寒い時期だと思ってた(笑)
「冬ソナ」の醸し出す雰囲気は独特で、よっぽどインパクト強かったらしい。

先週ぜんぜん塵語を書かなかったのは、忙しかったせいもあるけれど、
市吹の練習日誌にいろいろ書いていたせいである。
だから自分としてはさぼってた感覚はないのだけれど、
塵語のメニューを見ると、ごそっと空いててちょっと寂しい。

先週は、月・火は宵寝した。
夕食後しばらくして、披露に耐えられず、ちょっと横になったら、
即座に眠りについて、3時間ほど眠ったりしていた。
水曜日は宵寝を我慢したけれど、翌朝寝坊した。
運よく遅刻はしないですんだけれど、朝からバタバタの1日だった。
金曜日は連休1日目だったけれど、昼過ぎまで学校で仕事した。

4月はとにかく忙しかった。
5月は少しは落ち着いた日々が過ごせるのだろうか、、?
とにかく今は、明日1日出勤したらまた3連休というのが、うれしい。



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