TENSEI塵語

2005年02月26日(土) 「夏の香り」見終わる

ヘウォンは少女時代からチョンジェと長く恋人同士で、
婚約しても当然な仲だったが、ミヌにどうしようもなく惹かれてしまった。
ミヌは3年前恋人のウネを交通事故で亡くしてその傷心を抱え続けているが、
ヘウォンに出会ってどうしようもなく惹かれてしまった。
実は、ヘウォンは少女時代は心臓病で闘病生活を送っていて、
心臓移植によって元気な体になったのだが、そのドナーはウネだった。
ヘウォンの心臓は、ミヌに会うたびにドキドキと高鳴り、
ミヌは、ヘウォンの言葉の中にいくつもウネの言った言葉を聞く。。。

この基本構造を知ったときに、私は結びつくべき運命なのだろうと思った。
チョンジェは、ヘウォンを何とか自分の方に引き戻そうとする。
そのチョンジェが1番先に、ヘウォンの心臓がウネのものだったと知る。
それを2人に知られまいとするのは、2人の出会いを決定的にするためだ、
と思いながら見ていた。
もう、2人がちゃんと知っちゃえば、日本の連ドラみたいに、
11回くらいで、ハッピーエンドで終わるはずなのになぁ、、と思っていた。

そんな感じで、第12話あたりまで、ヘウォンのすがすがしい笑顔と、
美しい風景で、薫り高いような情緒を楽しみつつ見ていた。

ところが、第13話、ミヌがヘウォンのドナーがウネだったことを知って、
それに悩み苦しみ始めてから、しばらくドラマの中に入れなくなった。
それをチョンジェから知らされたミヌの母親も衝撃を受け、
ミヌとヘウォンの結婚は絶対に許さないと頑なになる。
ミヌを好きなチョンアは、そのことを探り当てると、
ミヌとヘウォンを別れさせるための武器にしてしまう。
やがて、ミヌの先輩もヘウォンの先輩も知って、やはりショックを受ける。

登場人物たちのその感覚がどうにもよくわからず、しばし混乱してしまった。
ミヌは、ここにウネがいると知って、ヘウォンに近づいたわけではないし、
ヘウォンは、ウネのかつての恋人だと知ってミヌに恋したわけではない。
何も知らずに偶然に出会って、惹かれあっただけである。
そこにウネもいたのだとすれば、そんな幸福な話はないではないか。
まさに、〈後になって思えば、ウネの導きによって〉という図式である。
そんな「導き」なんてものは本来ないはずだが、
そういう心情的な意味は、あとからついてくるものである。。。
そんな感覚で見ていたので、第13話でミヌが知ったときは、
実は一瞬ほっとしたのだが、ミヌのその後の行動は予想に反した。
どの登場人物の反応も、ことごとく予想に反していた。。。

そういう登場人物たちの心情を理解するのに、
3〜4話、じっくり考えつつ見続けねばならなかった。
ミヌは実はヘウォンの中のウネを愛していただけかもしれないし、
ヘウォンがミヌを愛しているのでなく、
ヘウォンの中のウネがミヌを求めているだけなのかもしれない、という
それが彼らの苦悩の内容であることはすぐにわかったのだが、
私自身が先に書いたような考えで見ていたものだから、
当の2人以外の人物も当然のようにそう考える事態が不思議に思われたのだ。

これは、私の感覚が浅はかなのだろうか?
ドラマの登場人物たちのように悲劇的にとらえる方が普通なのだろうか?

日本のドラマを見ていても、疑問に思われる展開というものは時々あるが、
韓ドラを見ていると、疑問の程度が甚だしいことがある。
今回もそうだが、「秋の童話」でも不思議な感覚に出会った。
ジュンソとウンソが、兄妹でなくてよかったね、結婚できるよ、と思ったら、
兄妹のように育った以上は禁断の恋なのだと言う。
兄妹のように育ったといっても、少女時代までだし、籍からは抜けている。
それを、養女として迎えるのはいいが、嫁として迎えるのはもってのほかだという。
あの時も、ドラマの世界からしばし締め出しを食ったのである。

まぁ、そういう思いもかけぬ感じ方や考え方に接することができるのも、
20時間近くもかけてドラマを見る意義のひとつかな? と思う。


ドラマ全体は、ラストが安っぽかったし、
最初は精悍でスマートな感じのしたミヌが、
途中からじめじめした、言うべきことも言えぬ男に変わってしまったし、
チョンアはあまりにもぬけぬけとうるさすぎるし、
せっかくの美しい風景&音楽やヘウォンの美しい笑顔で作られる情緒を
損なってしまっているのが実に残念だった。
最終回でもっとも泣かせてくれたのはチョンジェだったかもしれない。



2005年02月23日(水) 韓ドラの約婚式

「夏の香り」第6話のラストは、ヘウォンとチョンジェの約婚式である。
けれどもこれは行われなかった。
ヘウォンが会場に入り歩いている間に倒れてしまったからである。

初めての韓ドラである冬ソナを見たときに、約婚式というものに驚いた。
日本の結婚披露宴のように、婚約披露宴をやるようだ。
結婚式の後にも、ちゃんと結婚披露宴をやるようだ。
結婚するためには、そんな周りにひけらかすようなことをしなくても、
ただ婚姻届さえ出しに行けばいいと学生時代から考えている私には
(もっともその主張は親にはねつけられて披露宴も体験させられたが)
2度も披露宴を行わねばならないことをたいへんご苦労さんに思う。
(もっとも、約婚式まで行うのは、金持ちに限られているという話もある)
それほど、婚約という誓いに重きを置いているということだろうか?

しかし、今まで見たドラマに関する限り、
約婚式を行って結ばれた(らしい)のはパリ恋だけである。
「冬ソナ」のユジンはサンヒョクとの式に出なかったので大事件になった。
「秋の童話」では、ジュンソは帰国するなりユミと式を挙げた。
「愛の群像」では、ジェホがヒョンスと式を挙げたが、反吐が出そうな様子。
「階段」では、ソンジュが正式の婚約者でなく、
チョンソに指輪を贈ろうとしたが果たせないという驚きの展開だった。
そうして、結局どれも、約婚式の相手とは結婚できなかった。
唯一「パリ恋」だけは、ギジェがユナとの婚約式で明瞭に拒絶し、
後にテヨンとの式を正式に催して、たぶん最後には結ばれた、、、はずだ。
しかし、「パリ恋」は別にして、これだけ婚約が軽視されるのを見ると、
韓国では婚約破棄が多いので、このように披露して縛る必要があるのかな?
と勘ぐりたくなってしまう。

ところで、ヘウォンが倒れたのは過度のストレスによるショック性のものだ
と、医師が説明する。
ミヌは、自分がヘウォンを苦しめていたのだと自責する。
ヘウォンにとっては、ミヌへの思いのために、
チョンジェとの約婚式を避けたいという思いが強かったためだ。
作者の意図は、おそらく、ヘウォンの心臓=ウネの心が、
ミヌを求めてストライキを起こしたということだろう。

しかし、こんなことを結婚式を終えた披露宴で起こるのは悲劇性が強すぎる。
考えてみれば、約婚式というのは、緊迫した恋愛劇を演出するのに
実に好都合な慣習である。
約婚式には、おそらく結婚披露宴並みの決定的な事態という重みがあるのだろうが、実際結婚して夫婦になってしまったわけではない。
でも、結婚式と違うのは、決定的事態ではあっても執行猶予つきだということだ。

婚約式という慣習のない国では、
結婚式場から連れ出したり、逃げ出したりする物語が作られてきたが、
それほど多くのヴァリエーションが可能なわけではない。
結婚式の前に披露宴を開かせてどんでん返しを描いた漫画家もいる。
(あだち充の「みゆき」のことだ)
それと比べれば、婚約式があれば、決定的事態からのどんでん返しが、
かなりの余裕をもって展開できる。
実際、パリ恋のギジュの祖父であるハン会長は、
ギジュとテヨンの婚約式を承諾もし、出席もするけれど、
破婚させるための作戦を胸にしまっている。

こういう好都合な面もあるので、婚約式が一般的でないにしても、
韓ドラでは結婚式や結婚披露宴よりも婚約式の方が目立ってしまうのだろう。
韓国からのドラマはまだまだこれからも多く入ってくるだろう。
日本では結婚披露宴は簡素化される傾向にあるようだが、
ひょっとしたら、ブライダル産業は婚約式に目をつけるかもしれない。



2005年02月22日(火) 「夏の香り」始まる

「パリ恋」を見直したい気持ちもあるが、ドラマがたまっているので、
見直すのはもうちょっと先にして、「夏の香り」を見始めた。
第2話まで見たのだが、この人物関係は何だ?

ヒロインのヘウォンは心臓移植によって病気を克服した。
現在は、チョンジェという恋人がいて、婚約寸前である。
ミヌがイタリアから3年ぶりに帰り、先輩デプンの事務所に現れる。
ミヌは、交通事故で死んだかつての恋人ウネのことが未だに忘れられない。
そこへ、イタリアでミヌを慕っていたチョンアが追っかけ帰国をする。
チョンアは、ヘウォンの親友であり、チョンジェの妹でもある。
チョンアは今はミヌが自分を見てくれなくてもいつかはと希望を抱いている。
ミヌとヘウォンは、山で出会う。
ミヌは、ヘウォンがウネと似たようなことを言うので次第に心惹かれ、
ヘウォンは、最初すれ違った瞬間から心臓がどきどきするのに戸惑う。
2人ともまだ気づいていないが、ヘウォンの心臓のドナーはウネらしい。
あたかも、ヘウォンの中のウネの魂がミヌを読んでいるかのような展開だ。
一方、チョンジェは自分のプロジェクトに評判の高いミヌを採用する。。。

ヘウォン、ミヌ、チョンジェ、チョンアというこの4人の関係は、
何という閉塞的な逃げ場のない関係であろうか。
イヤんなるほどぐちゃぐちゃするに決まっている。
先が思いやられる。。。。



2005年02月21日(月) 「パリ恋」の代償

今夜は試験問題作りで終わってしまった。
もう金曜日までにほとんど問題は考え済みだったのに、
それを体裁整えて作るのに、たった50点分なのに3時間以上かかるのだ。
昨夜寝不足だったので途中で眠くなったけれど、作らないわけにいかない。
明後日実施のテストなので明日印刷しなきゃならないからである。
本当は昨日の夜作る予定だったのだが、昨日もどっぷりドラマを見ていた。
ま、今夜つらい思いをしたのは、木金土日と4日間、
自分の自由に使える時間は「パリ恋」に入れ込んだ罰みたいなものである。

しばしば、まだ「パリ恋」の余韻の中にいる自分に気がつく。
こういう長時間ドラマを見続けている最中から、
他ごとをしているときも、何となくその余韻の中にいたり、
その雰囲気が自分の周りに漂っているようなことがある。
つまり、ドラマの印象が、日常生活まで漂ってきてしまうことがあるわけだ。
「冬ソナ」もそうだったし、「ロンバケ」「やまとなでしこ」もそうだった。
おもしろいドラマでも、そうまでは虜にしないことが多い。

「パリ恋」は、幸福で楽しい気分にさせてくれるドラマだったようだ。
そうでない要素ももちろんあるけれど、全体としてそうだ。



2005年02月20日(日) 「パリの恋人」見終わる

きょうは市吹の1日練習でへとへとになってしまったが、
疲れを忘れて、大いに夜更かしして、残りの数話を見終わった。
感動のラストを期待していたのに、ひねりすぎてあって、
解釈にちょっと時間を要したので、感動をそがれてしまったが、
全体としては実に魅力あるドラマだった。
見ながら、こりゃ冬ソナよりけっさくだぞ、と何度も思ったほどなのだが、
最終回で、自信を持ってそう言うのに躊躇することになった。
しかし、何回か分を見ては中断し、昼間出かけてはまた続きを見るのだが、
その見ていない時間も、何となく生活の中にドラマの余韻が漂っていた。
何やら、楽しいような余韻がついて回るのである。

何といっても、ギジュとテヨンのセリフがいい。
そのやりとりは、実に気が利いていて、しばしば笑わせる。
また、今までに見た韓ドラはたいてい、言うべきことを言わずに、
誤解しつつグジュグジュしたすれ違いを繰り返してきたものだが、
この2人の場合は、視聴者が期待するよりも先に言うべきことを言って、
ドラマをさっぱりと進行させて行く。
終盤に、さすがにテヨンも言い出せない事態に陥ってグジュグジュするが、
全20話の内のめずらしいケースである。
それまでは、ずっと2人の約束も守られる。
約束破りの頻繁な韓ドラとしては、稀有なドラマと言えよう(笑)

ギジュと結婚したがっているユナという令嬢が、
実に意地悪く策略をめぐらすが、ギジュはまったく相手にしないし、
策略はたいていあっさりと裏目に出るのもおもしろい。

テヨンも基本的に美人とは言い難いし、ギジュもぜんぜんかっこよくない、恋愛ドラマの主役には似合わないようなおっさんである。
けれども、どちらも、笑顔とか振る舞いとか、好感度抜群である。
そう感じさせるのは、もちろん彼らの演技の良さもあるのだろうけれど、
脚本が実によく練られているからではないかと思う。



2005年02月19日(土) 「パリの恋人」

昨日届いた韓ドラの「パリの恋人」を、「美日」を中断して見始めて、
昨日ときょうで第10話まで見た。
これは実におもしろい!!



2005年02月17日(木) 「きみに読む物語」

きょうは推薦入試で、昼前には入試が終わってしまった。
だから、昼食時から2時ごろまでに、残りの半分を読んでしまった。

ロードショー中の映画の原作本だが、何となく買って読み始めた。
楽天ブックスで、鑑賞券の懸賞付きだったせいでもある。
読み始めて20ページほどは、翻訳文が少々薄ぼんやりしているせいもあり、
おもしろそうな期待がもてなかった。
ところが、小旅行に出かけようとしているアリーの描写に入ってから、
だんだんと、中断するのが残念なほど引き込まれ始めた。
このアリーの小旅行によって、
ノアとアリーの15年ほど前の忘れられない恋が再燃する。
その両者の心の動きが細かく描かれ、なかなか緊迫感が漂っている。

その物語は、アリーが婚約者に会いに行ったところで終わってしまう。
そして、現在は、ノアは80歳になっている。
居住型看護施設で、自らも重病を患いながら、
妻のアリーに毎朝彼らの(上述の)出会いの物語を読み聞かせている。
アリーはアルツハイマー病が進行して、もう記憶を失っているのである。
読み聞かせられる物語は、架空の、ノアの作品か何かだと思っているし、
ノアに向かって「ところであなたは誰?」と尋ねる状態である。
けれども、病状の進行の割には意識がしっかりしていると言って、
医師や看護士の驚きの的である。
しかも、1日を共に過ごした末に、ノアの名を呼んで愛を語ることもある。
ところが、そんな奇蹟もすぐに彼女を襲う幻覚が妨害してしまう。

韓ドラでおなじみになった、ぐちゃぐちゃした波瀾はない。
結ばれたと思ったら重病で死んでしまうなどという残酷さもない。
唯一あったのは、アリーが婚約を解消しなければならなかったことだけだ。
そして、アリーとノアは40年以上結婚生活を続け、4人の子どもを育て、
アリーはノアに励まされて画家としても大成する。
幸福な生涯だったと言ってよい。
彼らの現在の悲劇は、老後に襲ってくるいくつかの可能性の1、2に過ぎない。
アリーの病気は諦めざるを得ないような種類のものだし、
もうすでに十分幸福な結婚生活を送ってきたと言ってよいだろう。
しかし、80歳のノアは、自らも持病と闘いながら、あきらめない。

彼ら自身の物語を読み聞かせるというのは、
まだ記憶を失いきってなかったころの、アリーの依頼でもあったようだ。

「あなたへの愛は尽きません。深く愛しているから、病気が進行しても、
 あなたのもとに帰る道を見つけると約束します。
 そしてそこに、この物語が登場するのです。
 わたしの記憶がなくなって、途方に暮れたり、寂しがっていたりしたら、
 このお話を読んでください。あなたが子どもたちに話したように。
 そうすれば、きっと自分の話だとわかります。
 たぶん、わたしたちはまたいっしょになれます。
 あなたを思い出せない日があるからといって、わたしを怒らないで。
 そういう日が必ず来るのですから」



2005年02月16日(水) 過剰反応

17歳の不登校〜無職少年が、母校の小学校を訪れて、
案内の先生はじめ3名を包丁で刺し、1人が死亡、2人が負傷という事件が
一昨日起こって、学校の安全問題が再燃している。
昨年の、学校とは無関係な男が小学校に侵入して児童を乱殺した後は、
多くの学校で、門を閉めるとか来訪者は名札をつけるとか対策が取られた。
あれがまだ記憶に新しいうちに今回の事件が起こったので衝撃は大きい。
けれども、今回の事件を見る限り、それ以上の対策を講じても無駄のようだ。
今回の事件は、卒業生が当時の担任を訪ねて来たという形を取っている。
入るな、と言える状況ではない。
二重三重の関所を作ったとしても、中に入れたであろう。
それとも、来訪者はすべて、空港のチェックのようなことをするのだろうか?
とにかく、普通の卒業生と同等に応対していたら、刺されたのである。
こんな卒業生の来訪は、何万分の一のケースであろう。
ただ、外部から入り込んだ人物による学校内での殺傷事件が続いたので、
神経過敏にならざるをえないのだ。

新聞やニュースで報じられる犯人の少年の供述は、
小・中学時代にいじめられていた時に、担任が助けてくれなかった恨みだと
いう動機になっている。
少年の親も、当時の担任も、その供述に思い当たるところがないようだ。
しかし、彼らの思い当たらないところで、
少年の精神にとっては、それが現実だったのかもしれない。
とりあえずは、供述を信じるしかないのだ。
しかし、私が事件を知ったときから考えていたのは、ひとつの可能性として、
最初から教師殺害を目的として母校を訪ねたのだろうか? ということだ。
とにかく無性に人を殺したくなった、、、誰でもいい、、、それで、
本当は、殺しやすいか弱き児童を思い描いていたのではないかということだ。
ところがあの時、無防備な教員の姿が目の前にあった。
教室に乱入するよりも、もっと簡単な餌食が目の前にあった。
それで即座に行動に出た。。。
供述した動機は、尋問されつつ作り上げられたものかもしれない。
自らの失敗を合理的に説明するために、我々もしばしばやる意識操作である。

私が心配するのは、こうして大騒ぎすることによって、
連鎖反応を呼ぶ恐れがある点である。
報道の扱い方を誤ると、流行やブームの口火になりかねない。

本当に学校を安全な場所にしたいと願うなら、
特に小・中学校は教員数をもっと増やした上で、
各学校に数名の警察官を常駐させるしかないであろう。
それほど太っ腹な政策をとることができるのかな?
どれだけ大騒ぎしても、安上がりで中途半端な対策しか許されないのだ。



2005年02月13日(日) 「美しき日々」第9話

ミンチョル「人を好きになるって、海水を飲むのに似ている。
      飲んですぐは平気だが、そのうちやたらと喉が渇くんだ。
      飲めば飲むほどカラカラになる」
ヨンス  「私への忠告ですか?」
ミンチョル「・・僕のことだ。喉が渇きやすいんだ」
ヨンス  「私なら、海水でよけいに喉が渇いたら、海へ飛び込むわ」

うーーん、たぶんこれは新しい表現だ、、、と思った。
字幕とはいえ、こういう表現に出会えることが、
読書に劣らぬ、ドラマや映画を見る楽しみのひとつである。
ドラマや映画では、それに加えて、俳優の表情という恩典もある。
しかしその恩典は、俳優によってはかえって逆効果になる場合もある。
その点、読書の場合は言葉さえよければ裏切られることがない。
視覚的な点をほとんど限定しないから、
読む者の感性しだいで、限りなく美しく場面を構成することができる。
もっとも、「美日」のヨンスはチェ・ジウさまだから、十分だ。

こんな場面もある。
義兄弟のミンチョルとソンジェは、共にヨンスに恋している。
ソンジェは、義兄のミンチョルを、心のない人間だと思っている。
母の死からほどなくして再婚した父に対する怒りから、
長年心を閉ざして来たからである。
だからソンジェは、自分の恋のためでもあるけれど、
ミンチョルに傷つけられるのを恐れてヨンスに忠告する。
自分へのあてつけで、義兄はヨンスを引っ張り回しているだけだ、
義兄はあなたに愛してると言ったか、言わないだろう、そういう人だ、と。
その時、たしかにヨンスの表情は曇る。
今までに見てきた多くのドラマのパターンでは、
幸福なひとときの後、ここでまた疑惑へと展開するはずである。
ところがヨンスはここで笑みを浮かべてこう答える。

「室長がかわいそう。あなたまでそんな風に言うなんて。
 淋しそうに見えた理由がわかったわ。
 私は自分が見た姿を信じるわ。誰が何と言おうと、自分が感じたままを」

そっかー、これがあの終盤の展開につながるんだ。
この回のあたりは、まだ週1回のTV放映で見ていたから、忘れていた。



2005年02月10日(木) 休日を待ちつつ老いるか?

明日は、部活の協力校に生徒を連れて行って練習を見なきゃならないし、
明後日は模試の監督を昼過ぎまでやって、夕方から市吹に出かけるし、
日曜日も、坊ずをスクーリングに乗せていくので朝寝はできない。
3連休とはいえ、そうたいして休めるわけではない。
平日の勤務日の方がかえってのんびりしていると感じられるような休日も
少なくない。

けれども、最近ふと思ったのだが、どんな休日であれ、
毎週毎週、月曜日を迎えた時から、休日までの日数を数えている。
一昨年転勤してから、その傾向が強くなっている。
趣味が高じているためだろうか?
いや、それ以上に、仕事の手応えがなくなっているせいだろう。
あらゆる点でラクになったことは確かで、それは歓迎すべきことだ。
しかし、職場に自分というものがいなくなった感じである。
どんな考えを持っていても、発揮する場面を見出せない。
唯一、総合学習のプランを練るグループに入れられて、
かなりアイディアを採り入れてもらって、そのために仕事を増やしたけれど、
それはあのアホらしい時間の負担を軽減するためでしかなかった。
土台がばかばかしいところから始まっている延命策戦に過ぎないのだから、
満足感などあるわけがない。

最低限のノルマをこなしつつ、
ひたすら帰宅時間を待ちわび、ひたすら休日を待ちわびる日々。。。
それがいいことなのか悪いことなのか、今は判断することができない。
ただ、帰宅すれば、時間が足りないほどの楽しみがある。
だからますます手応えのない仕事に魅力が感じられなくなる。



2005年02月08日(火) またやってしまった

韓流に流され漂流しているとそしられても、弁解の余地はなさそうだ。

先月の22日に8つのDVDドラマ全巻を買ったことを書いた。
そのうち、韓ドラは以下の4つだった。

1 冬ソナ完全版     8750円
2 天国の階段      7000円
3 秋の童話       7000円
4 美しき日々      6750円

それから、また2つ手に入れた。
いずれも、最低価格で手に入りそうな状況だったからである。

5 夏の香り       7000円
6 初恋        17000円

この「初恋」というのは、ヨンくんとチェ・ジウさま初共演ということで
よく宣伝されているが、それよりも、
全66話、最高視聴率68%というところに興味を抱かざるを得なかった。
いったいどうやって、NHKの大河ドラマも到底及ばない長さの、
1時間ドラマの66回展開というものが可能なのか、、、?
そしてまた、68%という異常な視聴率の真相は、、?

きょうそれが届いたのだが、見るのはもうちょっと先になるだろう。

最近は、チェ・ジウさまの「真実」と、
菜々子さまが出ていた「救命病棟」のシーズン1の落札を狙っているが、
許容範囲の金額以上の入札が続くので、手を出せなくなっている。

そんな中で今夜、「パリの恋人」というドラマが
6000円以上のオークションで出品されていた。
最初は無視して素通りしたが、2度目に訪れたときにやはり気になって、
グーグル検索で調べてみた。
去年の後半に放映されたドラマのようである。
去年のドラマの視聴者アンケートで1位になったドラマだという。
DVDは韓国版が12000〜13000円で売られている。
個人的な感想が寄せられたサイトでは、
今までの韓ドラのパターンとまったく違うさわやかなドラマだという。

自動車事故、難病、幼い日からの因縁、、、またかよ、というほどの
ワンパターンを案外楽しんではいるのだが、
そのパターンではなくて、視聴率50%の人気ドラマというので、
ついつい興味を持ってしまって、6000円きっかりで入札してしまった。
ここは客がまだ少ない。
それで落札の可能性がかなり高い、、、と読んでたら、
本当に他の入札者なく、そのまま落札してしまった。
まさしく衝動買いである。


しかし、あるサイトに行ってみると、
私などはまだまだ韓流に流されてない、
波打ち際でちゃぷちゃぷやってる程度だと思わざるを得ない。

こんなアンケートサイトがある。
http://www.fureai.or.jp/~juve10/research-main.htm

「あなたが選ぶ2002年のベストドラマは?」を見ると、

1位「冬の恋歌」   323票
2位「勝手にしやがれ」253票
3位「ライバル」   202票
4位「明朗少女成功記」194票
5位「ロマンス」   158票
6位「野人時代」    44票
7位「Loving You」  33票
8位「ガラスの靴」   31票
9位「人魚姫」     14票  (2003年初までに集計)

「あなたが選ぶベストドラマ2003」を見ると

1位「サンドゥ学校へ行こう」1730票
2位「大長今」       1446票
3位「夏の香り」      1329票
4位「茶母」         357票
5位「ボディガード」     338票
6位「オールイン」      314票
7位「ラブレター」      176票
8位「屋根部屋のネコ」    108票
9位「千年の恋」      48票 (2004年初までに集計)

この18作品のうち、私がすでに見たのは「冬ソナ」だけである。
彼らの仲間にはとても入れそうにない。


ちなみに、「報われない愛に身を焦がす美しい男No1は?」には笑った。

1位 「秋の童話」のテソク    704票
2位 「冬のソナタ」のサンヒョク 406票

まさに、まさにその通りである。



2005年02月06日(日) 「秋の童話」のラスト

仮出所中の男がショッピングセンターで1歳半の子どもを刺し殺した
などという現実世界の異常な事件に、昨日怒りと不思議に包まれたのだが、
それ以上に、ドラマという虚構の世界の死に関心が向くとは何たることだ?
そうだ、本当は現実に起きた問題について真剣に考えるべきなのだ。
けれども私は、昨夜遅く帰ってから新聞を読んでしばし妻と議論をしたが、
その後、「秋の童話」を2話見てから寝、きょう3話見て全部見終えた。
作り物の世界に過ぎないとはいえ、
我々はドラマの人物たちと長く深いつきあいをする。
新聞に載る事件の被害者は現実の社会の中に存在していたのだけれど、
生前面識があるどころか、片鱗さえ垣間見たことのある人は1人もいない。
頭は現実社会の問題に取り組め、とワイワイ騒ぐのだけれど、
心は何日もつきあううちに他人事ではなくなってしまった
虚構の世界の登場人物に異常なほどの関心を向けてしまうのである。

ウンソは白血病で死んでしまった。
死なせないでほしかったけど、やっぱり死んでしまった。
その場面はよかった。
ジュンソにおんぶしてもらって、その背中で最期を迎えた。
ジュンソはそれを察しながらも、ウンソに明日のことを語り続けた。
ウンソの死を受け入れることができない思いが伝わってくる。

ウンソの葬儀の際、ジュンソは葬儀の始まる前に抜けて、
少年時代ウンソと過ごした思い出の地に行く。
自分なりの別れを告げたい、と、テソクにウンソの見送りを託す。
テソクが海で船に乗って、ウンソの骨の粉を海にまいているころ、
ジュンソは思い出の地で回想に耽っている。
これでどう結末をつけるつもりかな? 感動のラストは、、、?

路上にたたずむジュンソに、クラクションを鳴らしつつトラックが近づく。
盛んに鳴らし続けるのに、ジュンソはトラックを見つめて動かない。
ラストは、はね飛ばされるジュンソとその回想で終わった。
要するに、ジュンソの自殺で幕、、、というわけである。

台無しである。
ウンソなしでは生きられない、それなら、そのように展開すべきだろう。
ウンソの死後もひとりで生き続ける約束をさせるべきではないのだ。
しかし、ジュンソはウンソに約束したのである。
ジュンソは、ウンソが死んだら自分も死のうと薬を用意していた。
それをウンソに知られ、ウンソの懇願によって、生き続ける約束をしたのだ。
それは、残酷かもしれないが、究極の約束ではないのか?
この結末は、蛇足である。
つらいけれども、テソクと共に骨粉をまいて、ラストシーンにしてほしかった。



2005年02月05日(土) 「秋の童話」

第15話を見た。
いかーーーん、またこれも泣けるー。。。
兄妹じゃないのに兄妹扱いの大きな疑問も、
また難病かいな、というワンパターン的展開への批判も、
もう吹き飛んでしまった。



2005年02月04日(金) まるかぶり?

一昨日大雪となり、昨日は道路が凍り、きょうは1日中冷え込んでいたが、
きょうは立春である。

一昨日、関西では節分に巻き寿司を丸かじりする週間があるらしいことを
妻から聞かされた。
不思議な習慣という印象が強かった。
昨日、patamama おばさんからのメールに、まるかぶり寿司を食べたか、
という話題があった。
コンビニが売っているのだという。
(おばちゃんは去年からコンビニの配送センターみたいな所で仕事している)
何も知らない私は、まるかぶり、という語感から、
寿司飯をネタでおにぎりのように包んだ寿司なのかなと思って、
そのうち買って食べてみると答えたのだが、きょうだけの品なのだという。
それで、それが妻に聞かされた巻き寿司のことなのだと察しがついた。
「まるかじり」でなく「まるかぶり」と言うのは、
「まるっとかぶりつく」の意味なのだろうか?
関西の風習が、コンビニやスーパーの商戦によって全国の風習になるようだ。

今朝、ラジオ番組で、兵庫出身の鈴木杏樹が話していた。
福を巻き込む、という意味で食べる。
関西のまるかぶり寿司は、丸かじりしやすいように細めに巻いてある。
年によって違うが、一定の方角を向いて食べなければならない。
食べながら喋ると福が逃げてしまうので、黙々と食べなければならない。

なぁ〜るほど〜〜、と感心はするものの、
いったい誰が思いついて広めたのだろうと、新たな疑問に囚われてしまう。



2005年02月03日(木) 「秋の童話」の疑問

第10話まで見た。

ジュンソとウンソは仲のよい兄妹として育った。
けれども、ウンソは実は生まれた日に産院で入れ替わっていた。
(幼いジュンソのほんのちょっとしたミスから、名札が入れ替わった)
ウンソは裕福な大学教授の娘として育ったが、実は貧しい食堂の娘だった。
貧しい食堂で育てられたシネは、そういうことを知らないままでも、
同じクラスの中でウンソを憎んでいた。
実の娘がシネだと知った母親は、育てたウンソがかわいくてしょうがない。
けれども、父親はシネを引き取ることを優先する。
シネもまた、実の親を知るや、さっさと家に押しかけ住みついてしまう。
権利の主張である。
居づらくなったウンソは、実の母の元に去る。
ウンソを守るために計画されたジュンソの家のアメリカ移住に、
結局はシネが行くことになり、ジュンソとウンソは長く別れることになる。

何年後かはよくわからないが、ジュンソは婚約者ユミと帰国する。
ジュンソはウンソを探すが、なかなか見つからない。
ウンソは、ジュンソの留学時代の親友テソクのホテルで働いており、
やがて、テソクがウンソに惚れ込んでしまう。
そんな中、ついにジュンソとウンソは出会い、
紆余曲折の末、互いに結婚したいという思いを交わす。
当然である。
2人は兄妹ではなくて、まったくの他人のはずだから、
いつも一緒に痛いと思えば、結婚するのが自然である。
ジュンソの母は、ウンソが恋しいあまりに病弱になっている。
養女という形を取らなくても、ジュンソと結婚させれば家族に戻る。
これでめでたしのハッピーエンドが近い展開となる。。。

ところが、ドラマはそう進行しない。
ジュンソが家族の前で「ウンソと結婚する」と行った途端父母の怒りを買う。
兄妹なのにとんでもない、世間体も悪い、と、とんでもないという勢いだ。
ウンソの実の母も同じ反応を見せる。
親だけではない。
テソクもユミも同じ理由でジュンソをなじる。
そして、ジュンソとウンソは、自分たちは兄妹ではないと主張するのでなく、
逃げて、駆け落ちめいた数日間を過ごす。

実に不可解な展開ではないか。
ウンソは家を出、そのウンソを置いて、ジュンソの家族は渡米した。
一切の連絡を絶ち、ウンソがどこでどう暮らしているかも知らずにいた。
ウンソの実の母から「養女にしてください」と請われたとき、
ウンソの育ての母は思いがけない申し出に涙して喜んだ。
それなのに何故、兄妹だから結婚なんてもってのほか、と誰もが怒るのだろう???

こういう大きな疑問に取り憑かれてしまうと、ドラマの世界に入り込めない。
ここまで、なかなかすっきりした展開だったのに、なぜこういうことになったのだろうか?



2005年02月02日(水) 大雪

何年かぶりの大雪になった。
朝、駐車場で車の雪を落とすのに20分以上かかった。
30センチ以上の積雪である。
前人未踏の雪原に踏み入れると、長靴が雪の中に埋もれるほどである。
数年間経験しなかったことだ。

名岐バイパスは、凍ったように固まった雪と削れた部分の落差が大きくて、
激しい凸凹道で走るのに難儀をした。
絶えずガタガタするし、しばしば横滑りもする。
それでも、あまりにも遅い車を車線を変えて追い抜きながら走った。
こんな朝にノーマルタイヤで走れる人がいるとは思えない。
この上なく慎重な運転を心がける人たちなのだろうが、あまりに遅い。

きょう1日は、晴れて曇って降り、晴れて曇って降り、、を繰り返した。
積もりっぷりも降りっぷりも、満足の行くできだった。



2005年02月01日(火)

ここ数日は忙しかった、というより、気がかりなことに囚われていた。
一昨日、アンサンブルコンテスト県大会の役員の仕事があった。
審査員紹介やら、署連絡やら、審査発表をする役だったので、
それも気がかりだし準備も必要だったが、地区大会でもやってることなので、
それほど大きなプレッシャーにはならない。
それよりも、西尾市という、三河南部の未知の町へ、
時間に間に合うように行かなければならないことが、大きな気がかりだった。
その前日も、昼間は部活の合同練習あり、夜はいつも通り市吹の練習ありで、
じっくり備えることができなかった。
電車で行こうと、前夜にいくつかのパターンを調べておいたのに、
当日の朝寝坊して、間に合う電車に乗れなくなったので、車にした。
車で2時間近くかかるだろうと予想していたのに、
20分ほど途中で迷子になってウロウロしたにもかかわらず、
1時間40分で着いて、何とか集合時間に間に合って驚いた。
知多半島の半田あたりまで1時間で行けるなんて、10年前には考えられなかった。

昨日は、大役を果たした翌日で、アンコンの話を書こうと思ったけれど、
書きかけて、時間がかかりそうなので、途中であきらめてしまった。
昨夜からの気がかりは、雪である。
もし朝雪が積もっていたら、車の雪下ろしをして早めに出なきゃならない。
それで早く寝なきゃいけない。
今朝は残念ながらまったく雪とは無縁の朝だった。
しかし、今夜はかなり激しい降りようである。
雪の舞う光景を見られるのは嬉しいけれど、早寝を強いられるのはつらい。
3日後に春が来るというのに、きょうようやく冬がやって来たのである。

「秋の童話」を6巻まで見た。
もうちょっと続きを見たいけれど、もう寝ないわけにはいかない。


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