TENSEI塵語

2004年11月30日(火) Win ノート

遂に節を屈して、小型軽量のウインドウズ・ノートを買った。
Vaio のTypeT というやつである。
手軽に運んで使える、しかも、職場でも使いやすいようにという意図だ。
それにまた、自室でインターネットしていても、
Mac では不可能なことに幾度も直面して困ることも多いからだ。

困ったことに、マニュアルどおりに設定しても、
インターネット接続ができない。用語も実にわかりにくい。
Mac ではこういうことはほとんどないのに、
いつも厄介に思うのは、Win 機のやたらと入り組んだ設定構造だ。
わざわざわかりにくくしているとしか思えないところがある。



2004年11月29日(月) ファンの暴走(2)

一昨日の日記にそのまま続きを書き足すつもりでいたが、
今夜10時からのヨンくんの特番で、あの惨事の舞台裏も描いていたので、
改めてきょうの日付で続きを書くことにした。
(そうでなきゃ、どうせ、採点がイヤじゃ、採点がイヤじゃと書くしか
 能がなさそうだし、、、今はちょうどそういう時期なのだ)

きょうの番組によれば、1000人も集まっているファンを眺めつつ、
スタッフたちと、警察やホテル側との間で盛んに協議が交わされた。
警察・ホテル側は、事故が起こってはいけないの一点張りで、
どうしてもホテルの裏からファンに姿を見せずに出ることを主張する。
ファンの方は、しかし、駐車場の車道部分には出ないようにして、
柵の背後に広がって固まって待っている。
私は、若い子たちが何千人も集まる場合とは違うような気がした。
結局、集まったファンに何の挨拶もなく去ることはできないという理由で、
ヨンくん側は表から駐車場を通って出ることにした。
日本側のマネージメントを務める人が、ファンの前で拡声器でそれを説明し、
決してその場を動かないよう、懸命のお願いをした。
これで、大惨事が起こるものかなぁ、と私は疑問に思った。

その後、警官のひとりが、その人物に向かって、問題発言だと非難した。
「何かあったら誰が責任取るんだ、あなた責任取るんですか」と、
かなりの剣幕である。
それからまた、深刻な緊急会議が開かれ、警察の指示に従え、ということに
なったが、ホテルを出る直前に、ヨンくん側はそれを覆した。
早朝から集まったファンを無視して出ることはできないという思いが強く、
正面から出ることにした。
ところが、その時には、ホテル側からファンの集団に向かって、
こちらからヨン様がでることはない、という宣告がなされてしまっていた。
それで、あきらめてそれまでの場所を離れてしまった人たちがいた。

ヨンくんの車が出発しても、しばらくは穏やかな状態だった。
まだ場所を動かずに立っているファンたちも車の向こうで、動かずにいる。
ところが、横の方から、走って近寄ってくるファンが次々現れた。
定位置からいったん離れてしまった者にとっては、囲いなどなくなっている。
あっという間に車を包囲してしまった。
そうなると、私も、私も、お側へ、、となるのは当然である。
特定の規律違反者だけがトクをするのは耐えられない心理が働くからだ。
私だってお側でお顔を拝見したい、と躍起になるのは当たり前である。

これは、警察の事なかれ主義が招いた惨事だろう。
きちんと説明して、約束であることを強調しておけば、
厚かましさ・図太さの代名詞であるオバタリアン級のおばさんがあの中に
紛れ込んでいたとしても、あんな惨事にはならなかったと私は思う。
ヨンくんを一目見たくて、そうして、ちらっと見えただけでも、
帰ってからの自慢のタネにしたくて集まってきた人たちである。
ヨンくんを見るためなら、ほとんどの人が条件を飲んだはずである。
誤りは、あの集団をいったん解散させたところにある。

それはともかくとして、私は、あんな所にファンが集まることを批判する。
空港で出迎え、来日を歓迎してあげるところまでは許せる。
しかし、その後の私的な時間はそっとしておいてあげるのがファンの務めだ。
肉眼でお会いしたい気持ちもわかる。
私だって菜々子さまを一目見たい。
けれども、そのために自宅周辺で張ったり、仕事場に押しかけたりしない。
ファンがタレントの私生活までとやかく干渉する権利はないのだ。
あの人たちは、メディアを通じて様々な表現行為をするのが仕事で、
我々の基本は、メディアを通じて彼らの魅力を享受することだけである。
どこかで生身の彼らと偶然出会えれば、それは幸運だけど、
出会いをムリに求めて、私生活の時間を脅かしてはいけないのだ。

そのために、あの直後の、写真集発売で晴れがましいはずの記者会見が、
事故に対する謝罪の場に一変してしまった。
あそこに集まって暴走してしまったおばさんたちの責任は大きい。
のみならず、日本全国のヨンくんファンが、ひょっとしたら、
今まで以上にあのバカたちの一味のように見られるかも知れない。
夫から「お前もいい加減にしろよ」などと説教された妻もいるかもしれない。


余計なことだが、ヤマギワソフトという店から来たメルマガに促されて、
この店のヨンくんの写真集のサイトに行ってみたのが8時過ぎだ。
写真集2冊とDVD1枚で14700円(◎◎;
かなり高価で、1品ずつに分けても、かなり割高な買い物である。
写真集1冊あたりとしても、DVD1枚あたりとしても、高すぎる。
その時間には「あと183冊です」などと在庫が示されていた。
そのままスリープ状態にして他ごとをしていて、
このヨンくんの特番が終わってからPCに戻り、
さっきと同じ写真集のページがそのまま出てきたので、
試しにページ更新してみたら、「売り切れました」と出ていた。
すでに50万部売れているという情報もある(◎◎;
何というパワーなのであろうか、このおばさんたちは、、!





2004年11月27日(土) ファンの暴走

ヨンくんの車にファンが殺到し、10人が負傷。。。

ホテルニューオータニの周囲にはファンが1000人ほども集まっていた。
近所の人というわけでもないようだ。
新聞に登場している人だけでも、北海道、愛知、新潟、、、3泊4日という
人もいるようだ、、、わざわざ。。。

若い子たちばかりが集まるアイドル騒ぎとは趣が違う。
30代、40代の女性が大半だったはずである。
もう少し分別があってしかるべきだと思うが、これは一体何なのだろうか?

(眠いのでまたの機会に、、、)



2004年11月26日(金) 「愛の群像」の不備

ジェホがなぜシニョンに執着するのかが、しっかり伝わってこない。
母に似ているとは説明するが、伏線が少なすぎる。
けれどもこれは、私がヒョンスに惚れ込んでいるせいかもしれない。

ジェヨンがソックに執着する気持ちも、しっかり伝わってこない。
ソックのいい面があまり描かれないので、台本上の恋愛にしか見えてこない。
どうしようもない面もあるが誰もが認めざるを得ない美徳もあるという点を、
もうちょっと丁寧に表現してほしいものだ。

そんな不満も抱きつつ、ジェホ、ヒョンス、シニョン、ギルシンの、
4人の恋愛模様にもう目が離せなくなってしまっている。

冬ソナは、後から振り返ると疑問な点もいくつかあるのだが、
とりあえず見ている間は自然な展開として見ていたように思う。
そもそも、死んだはずのかつての恋人と同じ顔を見たらどう思うだろう?
という点での共感から見始めたドラマでもあるし。。。



2004年11月25日(木) 白鵬

大相撲の2週間は、帰りのラジオで相撲を聞くことが多い。
今場所の目玉は、魁皇が横綱昇進を賭けていることだったが、
私はほぼ毎日仕事帰りにラジオを聞いていて、白鵬の躍進が気になった。
先場所1度だけ見たが、やくざっぽい面構えが気に入らなかった。
取り口の方も、それほど印象に残るものではなかった。
その白鵬が、「日に日に力を伸ばすような成長ぶり」だと言う。
新人力士にはそういうことがしばしばある。
琴光喜も出島も雅山も、そんなじきがあったけれど、その後勢いを失った。

一昨日は休日だったせいもあって、夕方終盤のいくつがの取り組みを見た。
白鵬が、横綱昇進をめざす魁皇を破った。
その取り組みを見て、印象をがらりと改めた。
粘りもあるしなやかな動き。
相手の攻撃を真正面から受け止めながら、攻めに転じて行くしぶとさ。
その動きは決してバタバタすることなく、いい型を守っている。
千代の富士や貴乃花親子の相撲を連想させた。

貴乃花引退後、朝青龍の相撲は強いけれど、横綱的風格に欠ける。
これこそ相撲のお手本だぞ、というほどの風格がない。
一時期、若の里こそ横綱になってほしいと願った時期もあったけれど、
今ひとつ強さに信頼が抱けないまま何年かが経ってしまった。
これといった力士がいないなぁ、と思っている中に、白鵬が現れた。

昨日白鵬は、全勝の横綱朝青龍に勝って、若の里と共に3人、1敗を守った。
この勝負も上手い相撲だった。
しかし、きょうは不調の大関千代大海に負けて、若の里と共に2敗に下った。
ラジオでその模様を聞いていて信じられなかった。
昨日・一昨日のような取り組みをして、何できょうの相手に負かされるのだ?

夜中のNHKのダイジェストを見た。
千代大海の渾身の突っ張りをまともに受け続けても、下がりきらない。
最後に俵際で組んだ、、、そして、押されながらもうっちゃろうとしたが、
一瞬間に合わなかったような負け方で、決して一方的ではない。
しなやかな体の動きは、相変わらず発揮されている。

この19歳の新鋭力士は、相撲の新しい楽しみをもたらしてくれた。



2004年11月24日(水) 韓ドラ

最近、時間が空いたら見ているのが「愛の群像」である。
人の話をろくろく聞かず、怒ったり罵倒したりする人物がやたらと多い。
これが韓国の貧しい庶民の自然なありようなのだろうか、、?
何でこんな時にこんなことが言えるのか、こんな態度に出られるのか、と、
見るに耐えない、聞くに耐えないような場面も少なくない。
シニョンの両親の不和に関する場面でも、夫のビョングクの言い分が、
男の私から見ても身勝手すぎるように思われる。
これらが現実に即しているのか、作られ過ぎた不自然なのかはわからない。

けれども、主役のジェホと、ヒョンス、シニョン、ギルシンの4人の物語に
関する限りは、たいへんおもしろい。
とりわけ、ヒョンス役のユン・ソナが驚くべき魅力的な俳優だ。
日本のバラエティ番組などで何度か見たが、
てっきり、韓国ではまったく相手にされなくて、
日本でつまらん仕事をさせられているだけのタレントなのかなと思っていた。
私はこのドラマでの、憂いの眼差しにすっかりやられてしまった。
こうなると、ヒョンス以上にシニョンを求めるジェホが不可解になって、
違和感を伴わずには見ていられなくなるが、どう展開するかが楽しみである。

土曜日の深夜には「美しき日々」を見ている。
なかなかおもしろ〜〜いと言うほどにはなってくれないが、
昨日、次回予告編というのをたまたま見て、ついに来たか!と楽しくなった。
「Zero の正体は?」というのだったが、ん、、、? と気に留め、
さてはこういうことか! と思い当たって、俄然楽しみになった。

日本のTVドラマは、概して性急な展開、性急なおもしろさを狙う。
韓国のTVドラマは、そこを急がない、概して悠長な展開である。
冬ソナ関係の本で、韓国のドラマは、60〜70分をCMを挟まず
一気に放映し、1週あたり2日連続で放映すると書いてあった。
そうだとしたら、15分刻みで視聴者を逃すまいと躍起にならざるを得ない
日本のドラマの作り方との違いが明らかになる。
「冬ソナ」も最初かなり悠長なドラマだと思ったが、その後見たいくつかの
韓国ドラマと比べれば、かなりテンポの速いドラマと言える。

アホな評論家は〈純愛〉という観念で韓ドラブームを分析し、
いろいろな論評を展開しているが、どれも何か遊離した論に思われる。
大体において、日本の最近のドラマでも、
〈純愛〉でないドラマをどれだけ見つけることができるのか?
韓ドラの恋愛は、すべて冬ソナ風の〈純愛〉なのか?
評論家の言い方は、韓ドラは、日本の最近のドラマには見られない〈純愛〉
を描いている、という点から出発することが多いが、皮相な見方である。
実際に見てもいないし、ドラマの世界に浸ってもいないから、
ただ観念的・類型的にそう決めつけてしまえるにちがいない。

韓ドラブームについて言えることは、「冬ソナ」をきっかけにして、
日本人の多くが韓国のドラマにもいいドラマがあることを知ったということだ。
その「冬ソナ」のきっかけというのが、
ミニョン役のヨンくんの衝撃でもあっただろうし(9/8記 参照)、
死んだはずの恋人との思いがけぬ再会の衝撃でもあっただろうし、
チェ・ジウさまの名演技でもあっただろう。
それらは、世のおばさんたちのヨン様フィーバーや韓ドラフィーバーを
生み出してしまったけれど、他国に向けての新現象であるだけで、
その実質は、杉さまやマツケンめあてに演芸場に走るのと変わりはない。
韓ドラブームの底にある〈純愛〉志向の深層心理なるものは、
無責任で格好付けな評論家のでっち上げに過ぎない。



2004年11月23日(火) 「人生のメリーゴーランド」

先週の金曜日、9時ごろにベッドに横になって眠ってしまった。
家族はTVで金曜ロードショーかなんかの「もののけ姫」を見てたようだ。
DVDがあっても、なぜかTV放映でも見たがるのが不思議だ。
目を覚ましたら「もののけ姫」のラストのあたりの音が聞こえていた。
引き戸を隔てたすぐ隣にTVがあるので、よく聞こえるのだ。
(にもかかわらず、2時間もぐっすり眠ったわけだ)

やがて、初めて耳にする、哀愁を帯びたメロディーが聞こえてきた。
ん? なんだ、この曲は?
金曜ロードショーの新しいテーマ曲なんだろうか、、?
聞いていると、次第に盛り上がる、旋回するようなワルツである。
どんな画面をバックに流れているのだろうと、すごく気になって、
堪らず起き上がって、居間に移動してTVの画面を見たら、
画面は「ハウルの動く城」のダイジェストだった。
アニメの画像もつい引き込まれるほど魅力的だが、音楽がすごいじゃないか!

楽天で予約しておいたサントラ盤をその時から心待ちにしていたが、
きょう届いた。
金曜日に聞いた通りのヴァージョンが入っていないような気がするが、
それにしてもこのワルツはいいメロディーだ。
サントラ盤全体も、別の曲もあるけれど、
このメロディーがいろいろな形で何度も現れて、変奏曲みたいである。

ふと思いついて、ミュージックエイト社のサイトに行ってみた。
新しいヒット曲を吹奏楽譜にして販売する会社である。
もちろんよく利用しているが、テーマソングは割と早く編曲・販売するが、
音楽だけの曲はなかなか採用しないのが常である。
ところが、驚いたことに、ヒット曲シリーズにはエンディングの歌が、
それよりも長く念入りなヴァージョンのコンサート・シリーズの方に、
この「人生のメリーゴーランド」がもう発売中となっていた。
迷わず注文した。
今週の土曜日にはもう市吹の練習で試奏できる可能性が高い。
うれしいことだ。
ちゃんとステージで使える編曲だったら、
今度の定演の初っぱなかアンコールのどちらかで使ってやろう。



2004年11月22日(月) 日中首脳会談

「イラク戦争を支持します」と言い放って、戦争に協力し続けている人が、
靖国参拝を批判されると「不戦の誓いをするためだ」と言ってのける。
私は、たった1人を相手にしてもこんな矛盾したことを言うのは恥ずかしい。
彼は、全世界を前にしても、堂々としていることができる。
こういう神経は私には理解しがたい。
彼の頭の中では、イラク戦争は復興協力であって戦争ではない、なのだろうか?
そうだとしたら、民の苦しみを捨象してしまえる神経の持ち主でもあるわけだ。
ま、彼の政策は最初からそういう意味では首尾一貫しているけれど。。。

こんな神経の持ち主でなければ、政治家としては大成しないようだ。
政治家の本来の仕事はそうじゃないと思うのだが、それが現実だ。
そうさせているのは、そういう神経の持ち主を「頼りになるやつ」とばかりに、
持ち上げてしまっている愚かな大衆だ。
民主主義の理念はすばらしいものなのだけれど、大衆が愚かだったら危険極まりないものだ。



2004年11月21日(日) 「ハーレム」コンサート

ひとり昼食を終えてから、東京国際女子マラソンをちらちら見ながら、
期末考査を作るための準備作業をした。
去年も似たようなパターンで高橋尚子が抜かれてしまうのを見ていたようだ。
マラソンが終わってから、ちゃんと試験作りを始めてもよかったのだが、
明後日にも休日があるのを思うと、気が緩んでやる気がしない。
今作ってしまえば、この1週間がすごく楽な展開になるのだろうけど、
そう思っても、心身が言うことを聞かない。

結局、昨日プロジェクターの不具合が克服できたので、
サラ・ブライトマンの「ハーレム」コンサートのDVDを見ることにした。
すでに、iMac で3回ほど見ているのだが、大画面で見たいというより、
5.1ch のサラウンドで歌声を聴きたいという欲求のためである。
残念ながら、階下に老人が暮らしているので、そう大音量にはできない。
けれども、この甘い歌声は、サラウンドで聴くといっそう心にしみるなぁ、
と、聴きながらまた新たな感慨に満たされたのである。

2時間足らずのこのひとときのために、いい休日だったと深い幸福感。

6月のレインボーホールでのライヴでは、今、ここで、同じ場所にいて、
そうして、今ここでこう歌っているという思いで感激していた。
音響的にも、迫力がありすぎるほどで、それがライヴの醍醐味かと思った。
録画されたものには、今ここで生まれつつあるという喜びはないし、
住宅事情もあって、大音響に包まれる臨場感もないのだけれど、
舞台の上でどんなことが起こっているかがたいへんわかりやすい。
それを、大画面で見、広がりのある音源で聴くことができる。
本当にありがたい時代になったものである。

この時代を、手放しで祝福できないのが残念だ。。。



2004年11月20日(土) 誤診!?

といっても、身体のことではない。

プロジェクターがまったく使えないでいた。
入力切り替えを何度実行しても、「ビデオ信号が検出されない」という
メッセージが出て、何ともしょうがない。
ホームシアター側で音が出ているので、そちらの不具合とは思われない。
ケーブルの接続不良の場合しか取説には記されていないので、
3本ほどケーブルを取り替えてみたけれど、症状は変わらない。
8月には見ることができたのに、9月に見ようと思ったらこういう状態で、
先週の日曜日に再挑戦したら、やはりこういう状態だったのだ。

火曜日にメーカーに電話して相談したら、故障としか考えられないそうで、
修理に来てもらうことにして、来てもらったのがきょうだ。
ところが、来てもらった電気屋さんの持っている機械で検査してみたら、
ちゃんと信号を受け取れるようになっているという。
私も、プロジェクターの不具合だと最初から決めつけていて、
他のDVDプレーヤーにつないでみることをしていなかったのだが、
そこでそれを試してみたら、ちゃんとDVDが映るのである。
修理のために来てもらった電気屋さんにはたいへん悪いことをしてしまった。
けれども、何の文句も言わず、こういう機器や楽器の話を気軽にして、
保証書もないのに保証期間だと認めて帰って行った。
中・高時代吹奏楽をやっていたらしくて、廊下に楽器が置いてあったり
本棚に楽器奏法のビデオがあったりするのを見て、懐かしかったらしい。
「このプロジェクター、20万円くらいするでしょ?」
「スクリーン付きで11万円で買いました」
「えっ?! そんな、、うちの店でもそんなんでは買えませんよ(ホント?)
 どこの店?」
い〜でじだということを告げて、ホームシアターも29800円だったというと、
「いい買い物してますねぇ」
とほめてくれたけれど、電気屋相手にする会話ではなかったかも。。。f^_^;

さて、ホームシアター側のDVDプレーヤーがダメ、ということに決まった。
理屈から言うと、ビデオ出力関係の故障ということになる。
今度はまた、ヤマハに修理頼まなきゃいかんのか、と憂鬱だが、
6個のスピーカーは、他の我が家のプレーヤーでは使えない。
しょうがないから、ヤマハに電話してみた。
こちらは、余裕満々で、順序よく話を聞いて、よくあることらしく、
「前面の液晶表示の一番左に、プログレシヴの文字は出ていませんか?」
プレーヤーの電源を入れてみると、確かにprogressive と出ている。
このモードになっていると、ビデオ入力やSビデオ入力では映像が出ない
のだそうで、電源ボタンから3つ目のボタンを押して解除しろと言う。
言われるとおりにして、試しにディスクを入れてプロジェクターの電源を
入れてみたら、あーれあれ、難なくスクリーンに映画が映るではないか!
「うっかり間違えてこのボタンを押しちゃったということですね」(私)
「すみません。説明書にも、このことはちょっと説明不足でして、、、」

何と、あれだけ不思議でわけわからず、たいへんな故障だと思っていたのが、
ボタンひとつ押し間違えていただけのことだったとは。。。
そのために、4、5時間は無駄な時間を費やしたわけだ。


晴れて、大画面で「トロイ」を見た。
いい映像だったけれど、話はどうもいただけない。
とろい王子がいらんことばっかりし、とろい神官が判断を誤って、
トロイは滅亡し、勇者アキレスも無駄死にしてしまう。
いい場面は多いのに、物語の印象が悪くて後味の悪い作品に思われた。



2004年11月19日(金) 吹奏楽部の新活動

ほとんど部活動のことは書かないが、吹奏楽部顧問である。
ただ、去年赴任したときに、部員が3年生に1人だけという廃部寸前の所へ、
役員をやってる事情もあってとりあえず副顧問として入れてもらって、
部員も10人に満たないけれどとりあえず廃部は免れて、
正顧問は優秀なホルン吹きで県下のマーチングの権威でもあるから、
部の活動はほとんど正顧問に任せて、
私は外の仕事ばかりして、部活を見ないでさっさと帰らせてもらっている。
先日の30周年記念行事で、部員10人で校歌と君が代の伴奏をしたが、
その際もほとんど正顧問にやってもらって、
私は楽器運搬の手配だとかちょっとした手伝いをしただけですんだ。

その行事がすんで、1、2年生7人になった。
フルート1人、アルトサックス1人、バスクラリネット1人、
ホルン2人、ユーフォニウム1人、パーカッション1人という構成である。
合奏するにもアンサンブルを組むにも、途方に暮れるような編成になる。
活動不可と言ってもいい。
とりあえずこれから4月まで、どう活動したらいいのか、、、
生徒がやる気がなくて閉店するならそれでいいと思っても、
残念ながら、どんな形でも何かをやりたがっている生徒が集まっている。

それで悩んでいた先月末、吹奏楽祭の折り、混声バンドのメンバーで、
市内の高校(入学生の成績がTop の学校なのでT高校としておこう)の
生徒が、初演奏会のチラシを吹奏楽祭プログラムにはさみたいと言ってきた。
この学校は、ここ3、4年、コンクールでもなかなかいい演奏をしている。
中学時代にいい訓練をしてきた生徒が多く集まるようになったようだ。
「T高校もそろそろ演奏会をやりな、って勧めようと思ってたけど、
 やることになったかね」
と言うと、
「校長先生がこういうこと好きらしくて、やれって言われたそうです」
何だ、自分たちでやりたいと思って決まったわけじゃないのか、、、
しかし珍しい話だ、この地域では進学トップを守るために躍起になってる
学校なのに、校長がこんなことを推進するとは。。。
「先生の学校の子たちも一緒にやりませんか?
 そしたら、先生に練習見てもらえるし。。。」
それを聞いて、さっとこれからの7人の部員の展望が開けたのだ。
3月21日のこの演奏会に、本校の部員も参加させてもらう、、それ以外に
活動の術はなさそうだし、漫然とやるよりも充実感があるだろう。

吹奏楽祭の日に、そのT高校の顧問にそのことを話したら、
彼も大いに乗り気になってくれたし、
その翌日、部員たちに話してみたら、7人中5人は大喜びだった。
1人は技術不足でためらい、1人は休日練習にためらった。
けれども、どんな苦境でもやめないで何とか楽器を続けたいと思っている
子たちは、何とか実現して欲しいと懇願するような雰囲気である。
それで、両校それぞれに管理職や担当部署に相談して、
きょうT高校の顧問から、すべてクリアしたのでよろしく、と連絡が入った。
きょうから試験期間に入ったので、実際の活動は2週間後からになるが、
本来この部員不足では望めないほどの体験をさせてやれそうで、うれしい。
重苦しい肩の荷が降りたような感じである。

ただ、問題点は、その演奏会の前日、3月20日が私の市吹の定演で、
前日練習につきあえなくて、しかも慌ただしいということだ。




2004年11月18日(木) 授業評価・学校評価

6月24日に、授業評価アンケートなるものに徹底批判したのだが、
きょうの職員会議で、2学期もそれをやってくれという提案があった。
教科主任会議で、質問項目について審議し、いろいろな意見が出たけれど、
〈変化〉を見るために、不備ではあっても項目は同じにしたい、と言う。
(じゃぁ、何で会議を開いて項目審議するんだぃ??)

さらに言うには、前回、6割くらいしか実施してもらえなかったので、
今回はほぼ全員お願いしたい、名票を置いておくので、チェックして欲しい
とまで言う。
けれども、今回は黙っていた。
名票が置かれたら、「くだらないからやらない」と書いておいてあげよう。
もちろん、1学期も協力していない。
質問項目があまりにもアホらしいと批判した時に、
担当者自身も質問項目の欠点を確かに認めながら
もう時間がないからと見切り発車しておいて、
今回も同じ項目でアンケートを取らねばならぬ腹の内は明らかだ。
彼らには、授業改善などといった目標はない。
ただ、数値結果を出したいだけだ。
こういうのが何%いてこういうのが何%いて、、、そういう整理さえすれば
大仕事をなしえたような満足感に浸れるのだ。

きょう改めて知らされたことだが、これは、本校が3年間指定を受けて
〈研究〉してきたという、学校評価制度研究の一環なのだという。
それにしては、何と杜撰な間に合わせ的なアンケートなのだろう。
分会長の発言の中にあった言葉が、いっそうぞっとさせる。
他校ではすでに、このアンケートを〈模範〉にしているところがあるそうだ。
あぁ、何という恥ずかしい話ではないか。。。

そういえば、今年の4月に昨年度の学校評価結果が、
ちゃんと印刷屋で製本された冊子になって配布された。
県下の各校にも配布されたようである。
それを見て、私は赤面しそうだった。
中にあるのは、結果の羅列だけで、考察も何もない!
考察も総括もない、単なるアンケート結果など、何の意味があるだろう?
こんなのを大いばりで県下に配布する神経が知れない。
こんなだから、あの授業評価アンケートも、
全員が実施する価値があるなどと思いこむことができるわけだ。
ただ、何らかの数値結果さえ出ればうれしい、というそれだけのことなのだ。

こんなのが、全県的、、いや、全国的に広まろうとしているわけだ。
学校全体の数値結果を基に、数値目標を掲げた教育目標を掲げる。
そうして反省して得た数値結果を基に、さらなる目標を掲げる。
それは、確かに学校全体の教育目標としては具体的である。
けれどもそれは、「全体的目標としては具体的」なだけであって、
個人のさまざまな事情は捨象される。
教育の本来の対象は、あくまでも個々の生徒であって、学校全体ではない。



2004年11月17日(水) 「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」

読み始めたのが9月の末ごろで、きょうまでかかって読み終えた。
その間に何冊かの本が割り込んでしばしば中断したし、
本を読まずに映画を見て過ごす夜もしばしばあったし、
そうでなければ仕事しなきゃならんとかで、
長時間費やして読み耽る時間はなかなか見出せなかった。
何日も中断しながら久々に読み継いだりしても、
すぐに作品の中に入ることができたので、積ん読状態にはならなかった。
それは、とりわけ、印象が鮮烈に残っていたからである。
こんなわけのわからない話なのに、なぜか印象的なのである。
そして、割り込んできた本を読み終えたり、忙しさから解放されたりして、
次の本を求め始めると、この本を読みたいという欲求に促されるのだった。

さて、読みながら考えたことなど、いろいろ書こうとして、
いざ何か書こうと思うと、この本について何もまだ書けない自分に戸惑う。
最後まで読んだ今は、ますます何も書けなくなっている。
とにかくおもしろかったから読んだ、、、それだけである。
屈託ない女性陣のどれもが魅力的だった。
物語も、なぜかぐいぐい引き込まれるものだった。
しかし、作品の意味については、もう少し問い直してみなければならない。

せめて、ストーリーだけはまとめておこうかな、と思ったが、たいへんだ。
あるサイトに「あらすじ」を見つけたので、今後の参考に貼り付けておこう。


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この作品は「ハードボイルド・ワンダーランド」の「私」と「世界の終り」の「 僕」の物語が交互に進行していくパラレルワールドになっている。

「ハードボイルド・ワンダーランド」の世界は、計算士が情報を守る組織(システム)と、記号士が情報を盗む工場(ファクトリー)が競合し、情報保護システムを複雑化していた。三年前、組織は単純にして解読不能なデータ・スクランブルの方式を開発するにあたって、大脳生理学の分野で最も有能な博士を選んだ。彼はシャフリング・システムを考案し、人体実験を重ねた後に選び抜かれた「私」を含む二十六人の計算士に、自身の思考とは別のオリジナル思考システムを組み込む。しかし、彼は自分の興味のために、さらに計算士各々の意識の核を映像化し、編集しなおして、第三の思考回路として取り付けていた。その後、「私」以外の二五人は原因不明の死を遂げていた。「私」は稀なモデルとして組織(システム)や工場(ファクトリー)の話題の中心にいながら何も知らされていなかった。そして彼に次々と事件が降りかかる。

「私」は、博士の実験のために第三回路を解放される。「私」の第三回路は、時間もなく生も死もなく自我もなく、一角獣が自我をコントロールしている世界だった。それは「世界の終り」と名付けられていて、何もかもがないのと同時に、失ったものや失いつつあるものがある世界でもあった。博士は「私」自身の思考回路が第三回路に焼き切られる前に元へと戻すはずだったのだが、彼の研究資料が結託した記号士とやみくろによって盗まれてしまい、それができなくなってしまった。このままでいくと、「私」の意識は恒久的に第三回路にはまりこんでしまうことになる。全てを知った「私」の意識が「世界の終り」に至るまで、そして思念の中の不死の世界に至るまであと29時間と35分しかなかった。 この世界の最後の時間を「私」は図書館のリファレンス係で胃拡張のガールフレン ドと過ごす。そして、ついに眠りがやってきた。

「世界の終り」の「僕」がこの世界にやってきたのはほんの何日か前で、季節は春だった。古い世界の記憶を持つ影を引きはがされ、夢読みの資格を与えられた「僕」はそれにより日の光を失い、心をも失おうとしていた。この世界は完璧な高い壁に囲まれていて、街の人々は影も心も持たず、そこは戦いや憎しみや欲望もないかわりに門の外を行き来できるのは一角獣だけであった。

「僕」は夢読みをしながら、引きはがされた「僕」の影に言われたとおりに街の地図を作っていく。森に入った「僕」は壁の脅威にさらされて体をこわし、作った地図を影に渡すころには、獣たちが沢山死ぬ厳しく危険な冬がそこまで来ていた。弱りゆく影にようやく面会を許された「僕」は、彼から街のしくみの実態を聞いた。「僕」は、人々の心が獣によって街の外に運び出され、押しつけられた自我の重みで死んだ獣の頭骨の力が「夢読み」の手によって大気に放出されていたこと、そして心がない完全な人間が街に住み、影を殺せずに心を抱いたものだけが森に追い遣られていたことを知る。影は不完全なものに不完全なものを押しつけて成り立つ完全さを否定し、一緒にこの世界から脱出することを促す。

「僕」はこの街に住む図書館の女の子を愛していた。彼女の母は心を持った人だったが、影も心もない彼女は「僕」の愛に本当の意味で報いることができない。彼女への愛は行き場をなくしていたが、頭骨に刻み込まれた彼女の心を発電所の管理人から譲り受けた手風琴が糸口となって読み取ることができた「僕」は、彼女に心を与えられる可能性を信じる。一度は脱出を決心した「僕」は、この世界を作ったのは自分自身だったと発見し、その責任を果たすべく、ここに残って彼女と森で暮らすことに決める。影は外の世界への脱出口である南のたまりに一人で呑みこまれ「僕」は影を失う。
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2004年11月16日(火) 「電車男」その3

きょうから読書はまた「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」
の続きに戻った。
「ハードボイルド・ワンダーランド」を読み始めてから、
もう3、4冊の本が割り込んで中断している。
普段の私はこういう読み方ができなくて、他の本を割り込ませると、
読みかけの本はたいていそのまま忘れてしまうか、
再開してもなかなか話の流れに入れなくて読むのをやめてしまい、
何ヶ月も経ってから改めて最初から読み直すことが多い。
「ハードボイルド・ワンダーランド」は何日か前の続きを読み始めても、
親しく読み続けることができるので、不思議だ。
しかも、読み終えたら再読して、じっくり考えたいと思っている。



昨夜見つけたのだが、「電車男」はここでも読めるようだ。
本と同じだけの内容がここにあるかどうかは確かめてないが。。。

http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Aquarius/7075/trainman.html

私が読み始めて最初におもしろいなぁと思ったのは、↓このあたりだった。


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832 名前:731こと電車男 投稿日:04/03/16 21:18

本当にみんあありがとう
でもやっぱ無理ぽ…
手震えてるもん

手紙にしようよ。。


836 名前:Mr.名無しさん 投稿日:04/03/16 21:19

辛そうだな。電話男


840 名前:Mr.名無しさん 投稿日:04/03/16 21:19

>>832
みんな最初は手がふるえるんだよー。
俺もふるえてた。でもなーでもなー。
今日が最初のときですよ。
つぎから手が震えなくなる。
ひとつ階段をのぼれるんだ。


861 名前:♀ 投稿日:04/03/16 21:26

自分も、電話のがいいとおもうよ。
手紙じゃ、続きがないよ。
お礼の手紙のあとどうするつもり?
向こうがその返事くれなかったら終わり。

親戚の人でも、何か送ってもらったら
「付きましたよ、ありがとう」って言うのが礼儀だから、
その流れだと自分に言い聞かせるんだ!


864 名前:Mr.名無しさん 投稿日:04/03/16 21:28

ここで電話をかけると、電車男の今後が変わると思うぞ?
付き合うとか付き合わないとかじゃなくて、
もっと大事なものを手に入れると思う。


874 名前:731こと電車男 投稿日:04/03/16 21:31

手が動かないんじゃー!ヽ(`Д´)ノウワァァン
俺にあの時以上の勇気を!


904 名前:731こと電車男 投稿日:04/03/16 21:37

今日は諦めます…_| ̄|○
みんなの意見じっくり読んで、明日に備えさせて下さい…


910 名前:Mr.名無しさん 投稿日:04/03/16 21:39

>>904
1つだけ言っておく。
「相手の女性は一人だが、おまいには2chが付いている。」

そういうことだ


927 名前:731こと電車男 投稿日:04/03/16 21:42

なんか、泣けてきた。。。
おまいらの優しさと自分の情け無さに。
お礼の一つも言えないのか俺は・・・


928 名前:Mr.名無しさん 投稿日:04/03/16 21:43

ぐぁぁぁあぁあぁぁぁぁがんばれがんばれがんばれがんばれ


929 名前:Mr.名無しさん 投稿日:04/03/16 21:43

礼は行動でしろ!


949 名前:731こと電車男 投稿日:04/03/16 21:48

とりあえず、スレのログを自分なりにまとめて
明日何を話すのか決めておきます…
おまいらありがとう。あと情け無い俺でごめん

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手が動かないんじゃー!ヽ(`Д´)ノ

の気持ち、よくわかるなー、、、中・高時代を思い出すなー。。。


フォローしたり、助言したりする〈住人〉たちのカキコがおもしろい。
顔も本名も知らぬひとりの男のために懸命になっている。
電車男のデートの日など、彼が帰るまでさまざまな想像や議論で盛り上がる。
帰ってくると大騒ぎでワクワクドキドキしながら報告を待つ。

そういう姿を眺めていると、性善説に傾きそうである(笑)



2004年11月15日(月) 「電車男」その2

電車男を読み終えた。
くだらんことばっか言っている掲示板なのだけれど、何か胸が熱くなる。
知らず知らず、読んでいる自分も、この掲示板の客たちと共に、
電車男の恋の成就をハラハラしながら見守るはめになる。
エルメス嬢も、実に魅力的なヒロインである。

主人公はもちろん電車男なのだが、電車男の恋の成り行きは単調である。
最初こそ、電話もかけられないでびくびくしているが、
ひとつ壁を乗り越えたら、あとは何の波瀾もなく進展して行く。
その話だけで本にしてみたら、数十ページの絵本仕様で足りそうである。
何がおもしろいかと言えば、その報告に反応し、その報告を心待ちにする
掲示板の他の書き込みである。

きょうは空き時間にも読んでいたのだが、
思わず笑ってしまうので、誰もいない会議室で読まねばならなかった。
これを読んだ直後に、授業で「こころ」など扱えそうにないので、
「こころ」のための心の切り替えをするために、早めに中断したりした。

それにしても、ホントにこれは2ちゃんねるそのものではないか。
この作者は画期的な発想だけでなく、卓越した構成力を持っているようだ。
読み進めれば進めるほど、その感を強くし、感服するばかりだった。
ところが、読み終えて、作者紹介を読んで、唖然、、、だまされた。。。
作者名と思ったのは、作者名でなくて、便宜的な呼び名に過ぎなかった。
2ちゃんねるからのコピーなのだそうだ。
昨日も書いたように、私はてっきりこれを新しい試みの小説として
読んでいたので、がっかりしてしまった。

けれども、そうと知ると、また新たな感慨が心の中で膨らんでくるのである。
これらの親身な応援やアドヴァイスや、祝福の反応などは、
フィクションではなくて、実際にあったことなのだ。
顔も名も知らぬ人々の交流が、奇跡へと導いて行ったと言える。
彼らの激励がなかったら、電車男は、最初の電話もかけられず、
そのまま、エルメス嬢に会うこともなく終わっていた可能性が強い。
そうして彼らは、2人の恋の成就を見届け、大いに祝福した後、
大イヴェントを成し遂げた集団さながらに、感動を分かち合って解散する。

インターネットの世界、、、とりわけその掲示板という機能は、
遠く離れて暮らす、生涯おそらく会うことはないであろう人々の対話を
可能にしたばかりでなく、例えば、電車で隣同士に座りながら
まったく赤の他人であるような2人が、その2時間後には、
親身になって語り合うようなことも可能にした。
まったく不思議な世界である。
そういう出会いが、本物かまがい物かというような議論は置いておこう。
ただ、それが、身近な友人との交流以上の力を持つこともありうる、
それだけは確かに言えそうである。



2004年11月14日(日) 「電車男」

混成バンドや吹奏楽祭は終わったけれど、
先週の土曜日はマーチング東海大会で1日働いたので、
昨日・きょうが久々の土・日休みになった。

昨日は午後、妻の車の買い換えの商談に行って、2時間かかった。
帰ってからほとんど休む間もなく、市吹の練習に行った。
きょうはまず、通信制の学校に在籍する坊ずのスクーリングに送って行って、
その帰りに大量の食料品買い込みをして、
帰ってから明日からの授業の準備を終えた。
昼食後、久々にホームシアターで「トロイ」を見ようとしたけれど、
プロジェクターの調子が悪くて実現しなかった、、これだけが残念である。
夜は、自室で、中学時代の思い出の映画「チャイコフスキー」の前半だけ
見た後、混成バンドで今年活動を共にした櫛田氏にメールを書いたり。。。

こういうさまざまな時間の合間に、昨日の昼に届いた「電車男」を読んで、
笑って楽しんでいた。
この小説には、いささか悔しさみたいなものも感じる。
ある時、書簡体小説っていうのはいくらでもあるけど、
メールのやりとりみたいな形式で小説書くのもおもしろいかも、、、いや、
それ以上に、掲示板のような感じに小説にするのもおもしろい、と
考えたことがあって、具体的にちょっと考えてみたことがある。
この本を先日本屋で覗いてみたら、徹底した2ch の体裁だったもんだから、
びっくりして、読んでみたのである。
いささかの悔しさは、先を越された悔しさだけであって、それ以上ではない。
とにかく、おもしろい。笑える。
あたたかい。

ネット上で諍いを起こす人もあるようだが、
BBSでの交流というものは、概しておせっかいなほどに親切なものである。
会ったこともない、顔も名前も知らぬ匿名の相手に、
なぜこうも親身になれるのか、考えてみれば不思議だが、
とにかく、そういう交流がネット上のあちこちで繰り広げられている。



2004年11月13日(土) 痛快なブッシュ再選批判

今朝の朝日新聞の別冊付録版に載っていた島田雅彦の文章である。

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 秋に1ヶ月アメリカの中西部にいたが、1人もブッシュ支持者に会わなかった。アメリカ以外のどの国に行っても、また日本にいても、ブッシュ再選を望む人には一度も会ったことがない。数の上ではアメリカの有権者の半分はブッシュを支持していないにもかかわらず、あと4年間あの猿面を君臨させておかなけれなならないのだから、民主主義のなれの果てとしての衆愚政治もここに極まった。いっそくじ引きかジャンケンで大統領を決めた方がまだ諦めがつくというものである。さらにむこう4年間、「アホで間抜けなアメリカ人」というレッテルを背負わされる賢いアメリカの友人たちが気の毒だ。もうこんな国に住んでいられないと言い出す友人もいる。

 しかし、彼らに居心地のいいところなどアメリカ以外の何処にもあるまい。属国の日本はどうか、と勧めておいた。
 ところで、日本がアメリカの51番目の州になったら、実質、大統領選の行方を決めることになる。人口比から選挙人数を割り出せば、少なくともカリフォルニア州の3倍以上にはなるのだから、日本州を押さえた候補が候補が確実に大統領になる。もっとも、イラク戦争を容認し、自民党を延命させてしまう日本の有権者はアメリカ人並みに謎めいているので、今回の選挙の場合も、何も考えずに小泉を選ぶように、ブッシュを選んでいたかもしれない。

 ブッシュはアメリカの没落を加速させた功労者ニクソンと同じ轍を踏むかもしれない。ブッシュが2期目の怠慢を決め、財政赤字を増やし、弱者を切り捨て、オイルショックを招き、ドルを暴落させれば、結果的に4年後のアメリカはベトナム戦争後の70年代に回帰する。賢い納税者が反戦運動をし、新たな人権思想と政治と経済の倫理を広く社会に浸透させ、ブッシュによって失われた8年を深く反省するほか、アメリカに再生の手立てはない。世界はブッシュの失政とアメリカ市民の倫理に期待するしかない。
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2004年11月12日(金) 衝撃のラスト

映画「太陽がいっぱい」を見た。
3回目か4回目だが、結末を知ってて見ても、あのラストはすばらしい。
ハラハラドキドキの完全犯罪を何とかやりとげて、
望んでいたものを手に入れたトムが、太陽の光を浴びながら、
「Le meilleur(最高だ)」と何度も心から呟いて噛みしめているときに、
彼のまったく知らないところで、思わぬところから殺人死体が見つかる。
トムが幸福を噛みしめている店へ警察がやってくる。
名を呼ばれたトムは、幸福の夢から覚まされて訝しげだが、
「電話よ」という店員の声に笑みを返して歩いて行く、、、それで終わり。

〈引き際が肝心〉ということをそのまま実現したようなラストである。
これよりももっとみごとなのが、「クレイマー&クレイマー」だ。
あまりの上手さに、映画館でしばらく立ち上がれなかったラストだ。
引き際の上手い作品は、かえって多くを語るものである。

これらは、みごとなラストであっても、物語の流れから自然なラストである。
不自然に意表をついた、それでいて忘れられないラストというものもある。
実に衝撃的である。
このラストいいな、といろんな映画を見て感心するたびに、
まず関連して思い出すのが、「蒲田行進曲」である。
しかし、これについても詳述するのは控えておこう。

もうおそらく見ることができそうにない作品で、
衝撃のラストが忘れられないのが、「近松心中物語」という舞台演劇である。
蜷川幸雄演出の、実に湿っぽい物語だった(湿っぽいのはあたりまえだ)。
女だけが死に、男の方(平幹二郎がやっていた)がそれを延々と嘆いている。
心中前の逃避行からそこまでがやたらと長くてイヤになってしまったものだ。
舞台全体が暗転状態で2人にスポットがあたり、それから1人だけにあたり、
それだけで舞台を進行させて行くその大胆さに呆れてしまった。
その間のセリフも、心中ものの陳腐なセリフが延々と続くし、、、
もういい加減終わりにしたらどうやねん?!! と文句言いたくなったが、
ラストに至って、そういう不満は全部吹っ飛んでしまった。
主人公がさんざん嘆いた末、ひとり歩き出したとたん、
暗転の舞台がパッと明るくなり、人々の行き交うにぎやかな遊興街。。。
主人公は人々の間をとぼとぼと歩いて行き、、、やがて、幕。
あの衝撃は、10何年か経った今でも忘れることができない。
暗転の舞台で、スポットライトに照らされて1人で芝居をしていた時より、
いっそう孤独感をつのらせて終わるという、みごとな演出であった。



2004年11月08日(月) 民主主義も怖い

ファルージャがたいへんな状況にあるようだ。
ブッシュ再選に後押しされた米軍が総攻撃を仕掛けるのだという。
報道によれば、30万人の市民の大半は市外に避難していて、
数千人の武装勢力が潜伏しているだけだとは言う。
大半、と聞けば安心してしまうが、実は2/3だけだという話もある。
だとしたら、まだ10万人ほどの一般市民が残っているということだ。
そのうちどれほどの人たちが、テロ行為とは無関係なのに、
〈テロとの闘い〉という大義名分の犠牲になるのだろうか?

大統領選はかつてないほどの接戦だったようだ。
半々の、わずかに多い方が当選し、わずかに少ない方が敗北した。
支持されたと言っても半分よりちょっと多い程度だし、
支持されなかったと言っても、半分よりちょっと少ない程度である。
20人の集団で、3、4人でもリーダーを支持しない人間がいたら、
たいへん気を遣うものである。
それが、8人も9人もリーダーの反対者だとしたら、リーダーは半泣きだ。
大統領や首相のようなリーダーは、そういう不支持者の顔や言動を
逐一見聞きせずに済むから、しゃあしゃあとやっていけるのかもしれない。

選挙の勝者は、いつでもそうだが、国民の支持を得た、
政策が全面的に支持されたと、ほくほく顔である。
現実には、投票率も計算に入れれば半数以下の国民の支持しか得てなくても、
そうして、その支持者さえ、政策のどこを見て支持したかはわからなくても、
全面的に国民の支持を得た、ということになってしまうわけである。
真に好ましいことかどうか疑わしい財政もイラク戦も全面的に国民の支持を
得たということになったわけだ。

大統領選は世界が注目していたし、
アメリカの運命だけでなく、世界の運命に関わる問題であった。
それについて、アメリカ国民がどれだけの責任感をもって投票したかはわからない。
ともあれ、その結果のひとつが、きょうのファルージャ攻撃である。
アメリカ国民の3割か4割が、もっと殺しに行け! と投票した。
そして、テロ行為とは関わりなくただ日常生活を営んでいた市民が、
何百人、何千人と命を奪われる。
彼らを殺せと促した人々に、罪や罰は問われない。
もちろん、彼らを殺すようにし向けた張本人にも、罪や罰は問われない。
多数決の原理によって、正義になってしまったからだ。。。



2004年11月05日(金) あれ??

昨夜、この日誌を書いて、登録して、目次を見て驚いた。
吹奏楽祭が終わったこと、一宮高校の3月の演奏会に便乗する可能性、
思わぬマリンバの寄付、、、について書いたはずだが、どこに消えたのか?
2日の夜に書いたはずなのに。。。
寝ぼけて書いて、登録しないまま葬ってしまったのだろうか、、?

しかし、明日はマーチング東海大会の下働きで朝早いので、もう寝ることにする。



2004年11月04日(木) ケータイの機種変更

前回機種変更したのは、一昨年の3月だった。
去年から機種変更を考えていたが、めんどうでそのままにしていた。
昨日、車にハンズフリーキットを取り付けて、ケータイつないでみたら、
ハンズフリーキットのスピーカーから音が出なかった。
試しに今年の初めだったかに買った坊ずのケータイをつないだら音が出た。
新しい機種に変えた方がよさそうだと、ついに踏ん切りがついた。

店に入ったら途方に暮れた。
用途が99%通話とメールで足りていた私にとっては、
最近の様々な機能を持ったケータイのどれを選んだらいいかわからない。
用途に合わせて選ぶのが普通なのだろうが、決め手がない。
通話とメールは、どれを買ってもできるのだから。。。

結局、小さくて、アンテナが内蔵されていて飛び出ていないのを選んだ。
要するに、服のポケットに入れやすいスタイルのものというわけである。
色も濃紺なのにした。
カメラのレンズがギョロッとにらんでいるのは好きでないからだ。
実におとなしいスマートなデザインで、今眺めても惚れ惚れする。

着うたにも対応しているらしい。
冬ソナの主題歌の間奏部分だけの着うたを見つけたのでダウンロードして
電話の着信用に登録した。
音色はよくないが、ほとんどCDで聞く演奏と同じである。
けれども、私の場合、9割方マナーモードにしているので、
通話着信してもめったに着うたを耳にすることはないだろう。

メールを打ってみたら、単語や文節を打ち終わらないうちに、
単語や文節の候補がさっさと出てくるので、
こまめにボタンを押さなくてもよくなった。
これは、電子辞書の機能を採用したにちがいない。
なかなか大きな進化だ。


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