TENSEI塵語

2004年10月28日(木) 志多ら太鼓

創立30周年の式典は、きわめて静粛に進行した。
開式の30分も前からほとんど静かな状態が続いていたし、
ちょっと席を移動させるのも、目立つからと恥ずかしがるほどだから、
もう放っておいても大丈夫、何も心配はいらないと思った。
うっとおしい起立・礼・着席の繰り返しも機敏だったし、
国歌・校歌もそこそこに声が響いていたし、
ま、全体として、非難すべきことはない、上出来の式典だったと思う。
永年勤続者の代表の「一言」が、進路指導に熱心だった人だったので、
やたらと長話になってしまったのが残念だった。
話し始めてから、自分のその場面での役割を見失ってしまったのだろう。

式典後のイヴェントは、設楽郡に本拠を置く志多ら太鼓だった。
近年は海外でも活動している、プロの和太鼓中心の邦楽集団である。
動きは躍動的だし、技術もアンサンブル力も確かだし、
視覚的にも聴覚的にも十分楽しめる舞台である。
終わってから、感動した〜、とわざわざ訴えている生徒を何人か見た。

最近のこういう集団の音楽は、笛や三味線などの旋律は和風なのだが、
太鼓のリズムは決して和風なだけではない。
ラテン、ジャズ、ロックなども融合した、実に凝ったリズムを駆使している。
アンサンブルもかなり入念な構成になっていて、
変化に富んでいるだけでなく、緊張感や高揚感もよく計算されている。
伝統的な和太鼓演奏も魅力があるが、長持ちはしない。
1時間以上の公演には耐えられないだろう。

聞きながら、何年か前に市吹で演奏した「メトセラ」という曲を思い出した。
その曲で最も苦労したのは、無調・無拍子的な部分以上に、
太鼓群のみのアンサンブルの部分だった。
本番直前まで、リズムの正確さや、タイミングや音量、表情などを調整した。
メロディーなしで音楽を楽しませるというのは、たいへんなことなのである。



2004年10月27日(水) 周年行事

明日は現任校の30周年記念式典で、運営する教員たちはピリピリしている。
客を呼んだからみっともないことはできん、とばかりに、
服装指導、校歌指導、そしてきょうの予行練習と、たいへんである。
私には、こんなことにつきあわされる生徒が気の毒に思われる。

近年では、公立高校も10年ごとに記念行事を行うのが常識のようだ。
軽薄な風潮に感じられてならない。
任意に結成した団体なら、維持あるいは発展した成果を、
10年ごとの節目に祝う気持ちもよくわかる。
公立高校なんてものは、教育委員会の管理の下に存在しているところに、
職員も生徒も入れ替わり立ち替わりノルマを果たしているだけのことである。
そう大した意義は見出せそうにない。

創立80年とか100年とかになれば、歴史の重みも加わって、
過去を振り返ってみる意義もあるだろう。
前任校で90周年の記念誌を担当したが、まだ着物を着た女学校時代から
始まっているので、歴史的変化を辿る興味が尽きなかった。
けれども、100周年の際に当然やるべきことを、
何も90周年でやる必要はないだろうと、最初から主張もしたし、
渋々やり始めて興味を持ってからも、釈然としない思いは続いた。
70周年の際に記念誌が作られていて、その後20年なんてものは、
それまでに比べて特筆すべきものがほとんど見出せないので困った。
だいたいにおいて、ここ2、30年の学校教育の歩みなど、
退化したか歪曲されたかの歴史であって、いい材料に恵まれないものである。

私には、こういう行事の年に在籍してしまい、つきあわされる生徒たちに
とっては、とんでもない災難なのではないかと思ってしまう。
私自身、儀式というものが嫌いなせいでもある。
運営の中心にいる教員たちは、厳粛な儀式の実現に躍起になっている。
生徒たちに、10年に1度の幸運という幻想を植えつけようとする。
幸運なのかもしれないし、災難なのかもしれない。
どちらに思うかは、生徒の性格によるだろう。
来賓として出席される外部の方々に、君たちのがんばる姿をみせてほしい、
などと、盛んに訴えたりしている。
大半の生徒が実は日ごろちっともがんばってなどいないのに。。。

白々しさばかりが支配する周年行事なのだが、
おとなしく主体性のない生徒たちは、明日はしっかり協力してくれるだろう。



2004年10月24日(日) 本番1週間前

昨日は中学生の合同バンド、きょうは高校生の合同バンドの練習日だった。
最後の練習日で、作曲者の櫛田さんが来て、その送り迎えもした。
昨夜は時間が許せば櫛田さんと飲むこともできただろうが、
彼をホテルに送り届けてから、いつも通り市吹の練習に走った。
合同バンドも来週本番だが、市吹も来週本番なので抜けるわけにはいかない。

高校合同バンドの曲は、櫛田さんの新曲の初演である。
また、彼の編曲作品の初演でもある。

1 交響詩曲「木曽川風情」(新作)
2 リベル・タンゴ(新編曲)
3 自由(新編曲)

「木曽川風情」は、吹奏楽祭40周年記念として委嘱した作品である。
このあたりの風土や文化をテーマに曲を書いてもらうことにして、
2月23日の日誌にもちらっと書いたように、1日案内したのだった。
相手は京都のど真ん中に住んでいる人で、昨日だって時代祭のただ中から
抜け出して来たような人なので、尾張の名所など案内するのも気がひけるが、
尾張を見ないで発想していただくわけにもいかない。

そうして、8月にできてきた曲が「木曽川風情」という題で、
2部構成の曲だった。
  第1部・・・序〜犬山城〜犬山祭
  第2部・・・木曽川の河川敷公園〜曼陀羅寺〜国府宮はだか祭

この演奏は、
10月30日(土) 午後2:30ごろ  於 江南市民文化会館
10月31日(日) 午後3:00ごろ  於 尾西市民会館

希望者寄せ集めの合同バンドで、指導に苦労した割にあまり上手くないが、
せっかくだから宣伝しておこう。

この2回目の尾西市民会館での演奏には私は立ち会えない。
この日は、岩倉市民音楽祭で市吹の演奏を振らなきゃいけないからだ。
最後の出番だそうだが時間が何時だったか、よくわからない。
いくら早くても、3時より前ということはないだろう。
こちらは、10月31日(日)、岩倉市体育文化センターである。
せっかくだから宣伝しておこう。
こちらの曲目はこうなっている。

1 「冬のソナタ」より  マイ・メモリー〜最初から今まで
2 ディズニー「リトル・マーメイド」メドレー

「最初から今まで」は、市販の楽譜が出たのだが、それを私が書き直して、
ピアノも入れて、原曲にかなり近い形にしたものである。
自分が書いた楽譜をステージに出すのはかなり度胸がいるものである。

吹奏楽祭(しかも自分が振らない)や市民音楽祭くらいでは
もう近年は緊張しなくなってしまっているのだが、
今年は、一方は初演だし、一方は自分が書いた楽譜だし、
例年と違って、こんな前から、少なからず緊張した雰囲気になっている。




2004年10月23日(土) 新潟の地震

1日中、中学生混成バンドの練習で、
夕方は作曲家の櫛田氏を犬山のホテルに送り、そのまま市吹に向かった。
市吹に行ったら副団長のSくんが、新潟で地震があったことを教えてくれた。
上越新幹線が脱線したという。
さっきニュースを見てみたら、阪神大震災ほどの惨状ではないけれど、
阪神大震災以後では最大の地震であるようだ。
崩れた家屋や、割れたり陥没したりした道路もあるようだ。
今のところ、死者4名、行方不明9名と言われているようだが、
まだすべて確認できているわけではない。

夕方の5時56分に震度6強の地震があってから夜の10時までの4時間に、
身体に感じるほどの揺れが125回、そのうち震度4以上が22回、
さらにそのうち震度5以上が11回あったそうだ。
だいたい1時間に30回だから、2分に1回揺れて、
その数回に1回は震度4以上、さらにそのうち2回に1回は震度5以上。。
想像するに、ノイローゼになりそうな揺れようではないだろうか。
9月3日に、和歌山で地震があって、このあたりでも揺れた。
あの時、震度2〜3程度の揺れが3回ほどあったように記憶しているが、
あれだけでも十分に怖い思いをしたではないか。



2004年10月21日(木) 公教育の歪み

定期考査が終わり、答案を返して、成績の集計結果が出るまで、
生徒の関心がここに集中しているわけではないことはもちろんだが、
この定期考査に関する関心は、赤点(不合格)を免れたか、
クラス、あるいは学年で何番だったか、というあたりに終始する。
肝心なのは、どれだけ理解できたが、という1点だけであるはずなのに、
そんなことは眼中にない。
これは多分に学校教育の姿勢の罪であると言えるだろう。
そんな評価基準しか持たせないように、し向けてしまっているのだ。

ま、本来、定期考査というものは、8割は正答すべきものであろう。
それだけ正答できなければ、「ほぼ理解できた」とは言えないはずである。
しかし、そこをちょっと譲歩して、すべての生徒がすべての教科について
8割以上というのは少々酷かな? と情状酌量しても、
習ったことの半分を超える内容は理解してもらわないと、
次のステップに進めないではないか、と考えるのが当然である。
だから、私が大学入学時に聞いた評価基準は至極妥当なものだったと思う。
80点以上・・・・A
70点以上・・・・B
60点以上・・・・C
60点未満・・・・不可

実際、私の体験では、この通りに評価されていたとは思われない面もあるが、
(つまり、しどろもどろのひどい答案を書いたのに、Aがついたという)
この基準だけは、なかなか妥当な線だと思うのである。

ところが、なぜか高校では「不可」にあたるのは、平均点の1/2である。
何を根拠に導き出したルールかさっぱりわからないが、こうである。
それでいて、平均点が50〜60点になるように試験問題を作れ、と言う。
上記の評価基準から考えると、半数以上が落第するように作れ、
ということになるから、これだけでも不思議な話だが、それは置いて、
2割をちょっと超える正答をもって、合格だ、おめでとう、というのが、
なんともやりきれないばかばかしい話だと思うのである。
定期テストのおける2割ばかしの正答なんてのは、はっきり言えば、
ほとんど何も理解できてないに等しい。
教科によっては、平均点が20点前後、合格点が10点前後ということも
あるようだ。もうめちゃくちゃである。
そんなのが、究極の評価基準になっており、多くの生徒の目標となっている。
だから、勉強しないで賭博師に徹する生徒を量産する。
教育するよりは、落第する生徒を少なくしたいということを重視する、
うわべ主義の教育が育ててきた、歪んだ風潮のひとつである。

合格点が仮に25点だとして、25点の生徒は、よかったね、となり、
24点の生徒はぼろくそに叱られたりする。
親まで呼び出されて厳重注意となったりする。
「ほとんど理解できていない」という点では同じなのに、天地の差がある。

しかし、きょう書こうとした1番の問題はこういうことではなかった。
こういう点数化される部分に関心が向けられすぎて、
また、うわべ主義の服装・頭髪指導に関心が向けられすぎて、
清掃活動などを中心とする、平等・協力教育がかなりおろそかになっている、
本当はこういうことが書きたかったのだった。
それは、教科の学習内容を理解すること以上に大切なことである。
清掃に関していえば、「以前の状態よりもきれいにする」という
作業の本質を理解しているかという問題を含んでいるのだが、
残念ながら、そういう理解に達しないまま小・中学校9年間を過ごしてきた
生徒が少なくないようである。
それは、教科の学習内容を理解すること以上に大切なこと、というより、
物事の本質を理解してそのように自ら行動するということは、
何事にも共通する大切なことなのだ。



2004年10月20日(水) 台風が通って行った

台風23号が紀伊半島から上陸し、岐阜市のやや北側を通って行ったようだ。
その夜9時台の前後の時間帯はいたって静かだったが、
午後3時ごろから8時ごろまでかなり激しい風雨だった。
きょうは、朝8時前から暴風雨警報が出たので、授業はなく、
午前中いくつかの雑用を終えたので、昼過ぎから休暇を取って帰った。
帰ってから風雨が始まったので、いい選択だった。

長良川沿いの区域の民家に、避難勧告よりも強制力のある非難指示が出た。
長良川のこのあたりには、川から数十メートル離れたところに堤防がある。
その堤防の切れ目には水門があって、危険になるとそれを閉じる。
その堤防の中にある家々に出たわけである。
数年前危険だった時にも、避難を呼びかけながら車が走っていたけれど、
あの時でも確か勧告の域でしかなかった。
あの時私は翌朝川を見に行ったけれど、ぎりぎりまで増水していた。
ぎりぎりというのは、川岸にある道路はとっくに川底の仲間入りをして、
そこから2メートルほど盛り上げたところに建っているホテルの玄関が
波打ち際になってしまっているという状態である。
そんな状態だから、川幅もいつもの3倍くらいに広がり、
濁流が勢いよく流れ、TVで大黄河を見ている印象と同じになった。
今夜はあの時以上の危険な状態なのだろうか?

長良川が危険な増水になるのは、このあたりで大雨になるからではない。
川上の郡上で大雨になると、このあたりも増水するのである。
TVのニュースでこの地方の大雨情報となると、郡上市ばかりである。
確かに危険な要素を満たしているわけだ。
明日の朝どうなっているかは、今のところさっぱりわからない。
雨はもうやんで、虫の声さえ聞こえているけれど、
川の水はこれからやって来るものだからだ。

それにしても、こんな時期にこんな大型台風というのも珍しい。
しかも、あとに24号が続いている。
今年は台風の上陸が記録的な回数だそうだ。
のろのろと何日もかけて日本列島の南を西進し続けた揚げ句に、
四国のあたりで急に進路を北に変えて上陸した、根性悪い台風もあった。
何か、、、あまり素直な自然現象とは思えない雰囲気もある。

先日「デー・アフター・トゥモロー」を見てから、
こういう台風のような大きな異変に遭うときだけでなく、
ちょっとした空模様の怪しさにも、何か不思議な胸騒ぎを覚えるのである。



2004年10月19日(火) 「ラスト・サムライ」

ついにラスト・サムライを見た。
昨年末(だったかな?)のロードショーには行こうと思っても行けなかった。
先月の文化祭の時上映したが、他の仕事があって見られなかった。
その直後レンタルで借りたけれど、忙しくて見ないまま返却した。
結局、DVDを購入して、見た。

流血の闘いは嫌いだし、武士道なるものに共感もない。
けれども、合戦シーンがすばらしく、実に見応えがあったし、
勝元の自害から、官軍兵士の勝元への拝礼、そして、
ネイサンが天皇に謁見して、勝元の死に様を聞きたがる天皇に対し、
「生き様をお話ししましょう」と答えるあたりまで、
涙なしに見ることはできなかった。
冷めた目で見ていたはずなのだが、ついつい心も引き込まれた。

あの官軍兵士たちの拝礼を、自然な流れとして見せてしまうのは、
何ともすばらしい映画的手腕ではないか。



2004年10月18日(月) 通販生活

仕事帰りにしばしば本屋に寄っていたころは、
ついついいらない本まで買い込んで帰ったりしていたものだった。
その時には読むような気がするのだが、いざ買って帰ると積ん読状態。
そのまま忘れ去られる本は莫大な数になったように思う。
最近はほとんど本屋に寄らなくなった。
買うのはたいてい楽天ブックスである。

値引きがあるわけではない。
ただ、楽天には1%のポイントサービスがある。
たかが1%だが、これが使いようによって大きくなる。
9月に楽天カードを作った。このカードで購入するとさらに1%である。
期間限定でポイント2倍・3倍サービスもある。プラス1〜2%である。
楽天市場全体に、ポンカンキャンペーンというのもある。
楽天の通常購入・楽天ブックス・共同購入・フリマ・ケータイ・トラベル・
ダウンロードの7部門の購入方法を2ヶ月間でどれだけ使うかで、
ポイントが倍増するサービスである。
3部門使えば2倍、4部門使えば3倍、、、7部門全部使えば6倍である。
私はトラベルだけは今のところ使い道がないのだが、
トラベル以外の6部門までは利用できるから、5倍にすることができる。
これだけを見れば、ほぼ消費税分だけは返してもらえることになる。
厳密に言えば、税抜き分にしかポイントはつかないから、
それよりはちょっと安めのサービスだろうけど、大ざっぱな話でそうなる。
先の+1%や+1〜2%を加えれば、7〜8%の還元もあることになる。
本を1割引で買うつてを失った今では、貴重な恩典である。
しかも、対応が早い。

楽天ブックスは値引きがないけれど、他店では安値で買えることが多い。
私がまず新品で愛用しているのは、い〜でじ! である。
い〜でじシネマは、新品でも予約品でも、DVDがたいてい2割引である。
検索して他店と比較してみると、たいてい最安値を出している。
ゲーム館はめったに注文しないけれど、同様である。
電化製品もい〜でじで見つけることが多いが、これも検索して確認する。
今夜は3万円弱の品が、同じ楽天内の電気屋で4千円安くて送料込みの
店を見つけたので、そちらに注文した。
昔は、あちこちの店に行ったり来たりしてくたくたになったものだった。
TVショッピングで紹介している品も、楽天の共同購入やフリマで探すと、
格段に安く手に入ったりする。
要するに、安く手に入れて、さらにいくらかの還付金があって、
しかも、以前ほどには浪費しなくなった、というわけである。

こんな人間が増えたら、一般の店舗は困るだろうな、と気遣いつつも、
居ながらにして、決めたその時に買い物ができる魅力のために、
一般の店舗には足を運ぶ機会がめっきり少なくなった。
最近では、仕事帰りの買い物のほとんどは、スーパーで食料品である。
急ぎのものはホームセンターや百均やヤマダ電気で、
5年保証の欲しいPCや周辺機器はコンプマートで、という
限られた利用になっているので、帰宅時もたいへんスムーズになった。
社会的に見て、あまり望ましい消費生活とは言えないかもしれないが。。。



2004年10月17日(日) 快い秋晴れ

きょうは午後から混成バンドの臨時練習だった。
10月3日に第5回の練習をしたのだが、試験期間に入っている学校が
4、5校あって、その学校の生徒は不参加だった。
我々の高校時代にはなかった試験1週間前からは部活動禁止という規則が、
私が教員になった20余年前にはもうあたりまえのように存在していて、
案外生徒たちは忠実にこれを守っているのである。
勉強するためにそういう規則ができているということを忘れている生徒が、
実は大半なのだけれど、試験前は、勉強するかどうかは別にして、
部活動などやっていてはいけないということだけが、
一種の精神風土のように根をはって生育しているわけだ。
ま、部活動を見てやらなきゃいけない顧問にとっては(私も嘗てそうだった)
この期間が来るとほっと一息つけるので、制度の空しさはともかくとして、
「やっと人間並みの生活ができる」などと冗談言いながら、
ありがたくこの期間を迎えたものである。

で、この混成バンドの本番は今月の30、31日である。
24日の日曜日には、今回の演奏曲の作・編曲家が来て練習する。
10月3日に大きな修正をした部分もあるし、新たに配った楽譜もある。
その日に来られなかった生徒はそれを知らずに24日を迎えることになる。
それではやはりまずいので、臨時にきょうの練習を設定したのである。
きょう試験中の学校も何校かある。
だから、きょうの練習は前回欠席者と試験終了者というわけである。
我々顧問団としては、確かにこれは予定外の仕事が増えたわけで損なのだが、
よりよい音楽を作りたい気持ちには代えられない思いで、不平は言わない。

前置きが長くなり過ぎてしまった。
その練習会の休憩時間に、会場校の正門を出て、
石の上に腰かけて煙草を吸っていた、その空気が何とも快かったのである。
最近、朝晩がやたらと寒く、その割りに、日中の陽ざしが強かった。
昨日も午後買い物に出たら、暑いと思わせるほど陽が照りつけていた。
けれども、きょうは実に穏やかに晴れ渡っていた。
快い空気の中、目の前には稲穂の海が広がっている。
暑い・寒い・暖かい・涼しい、、のような形容はまったく忘れて、
至福という文字が心に浮かんでは消えるような、そんな心地よさだった。
行楽なぞに出かけられるような身分ではないけれど、
その10分間はなかなかうれしい時間であった。

ちなみに、この好天気も、明日までのようである。
台風がまたこちらに向かっているようだ。
水曜日ごろに日本列島に接近するという予報のようだ。
もうひとつ発生しているようだが、そちらの予報はまだ出ていない。
この時期に台風がこちらに向かうというのは珍しいと思うのだが。。。



2004年10月16日(土) 「美しき日々」

先週の土曜の晩にTVでやっていることを知って見てみた。
それが第2話で、今夜は第3話である。
このパターンは「冬ソナ」を見たときとほとんど変わらない。
ただ、冬ソナの時はこの時点で取り憑かれてしまったのだが、
この「美しき日々」の方はなかなかおもしろくならない。
それなりにまあまあおもしろいのかもしれないが、
何かこう、見ずにいられないほどのところに行けないのである。
チェ・ジウが出ているから見ているようなものなのだけれど、
冬ソナの時に感じたほどの魅力はまだ発揮していない。

ただ、時折ドラマのバックに流れる歌、、、これがいい。
ずっと前からサントラ盤だけは買って持っているが、こんな歌あったっけ?
今夜、サントラ盤を取り出して、1曲ずつ確かめてみたら、最後にあった。
「願い」という歌だった。
そう言えば、聞いていてちょっと退屈なサントラ盤だけど、
最後に1曲だけ聞いてもいい価値のある曲があると思った覚えがある。
何度も繰り返し聞いてみた。
この1曲だけで、このサントラ盤1枚買ってよかったな、と思える。

今のところ、その曲の存在を知らせてくれた点で価値あるドラマである。
ドラマ自体がおもしろくなるのはいつごろだろうか?
ま、今しばらく、土曜の深夜をこのドラマのために取っておこう。



2004年10月15日(金) ままならぬ眠り

昨夜8時15分頃にこの部屋で時計を見たのは覚えているが、
それからしばらくしてトイレに下りたついでに寝室のベッドに横になって、
そのまま眠ってしまったらしいのが何時だったのかは知らない。
とにかく横になったら何を考える暇もなく、意識を失ってしまったようだ。
朝の目覚めとはまったく違う雰囲気を感じつつ、
不思議と混乱の中で目を覚ましたのは、11時20分頃だった。
たぶん、2時間半ほど眠ったことになるのだろう。
まーたやっちまったー、と後悔する瞬間である。

こういう酔い寝の宵寝をした場合、夜中の3時か4時ごろまで眠って
目が覚めてくれるとありがたい。
そうなれば、橋本さんが得意としているように、
すっきりした頭で朝の時間を有効に使えるだろうからだ。
寝坊を心配する必要もない。
けれども、そんな好都合な経験は、5本の指で数えきれるほどしかない。

残念ながら、私の場合、こういう宵寝はたいてい1時間半か2時間ていどで
実に快適に覚めてしまうのだ。
それこそ、あらゆる疲れが解消できたかに錯覚させるほど快い目覚めなのだ。
今夜の眠りはこれで十分だと、その時には信じられるほどの快さである。
けれども、実際はそうはいかない。
そのまま寝ずに1日過ごせばつらい1日になるのは当然であるが、
それ以前に、明け方ごろ睡魔に襲われる危険性が高いのである。
だから、何とかして、いつも寝る時間に再び寝る努力が必要になる。

その際、いつも5時間睡眠で、さっき2時間眠ってあるから、
あと3時間眠れば十分だ、という計算はたいていの場合誤りである。
これが私にはいつも不思議なのだ。
宵寝は1時間でも2時間でもすっきり起きられる。
むしろ、もっと長く眠りたいと望んでも、そうさせてはくれない。
宵寝だけではない。
翌日何らかのイヴェントがあって早起きしなきゃならないという理由で、
午前零時を待たずに寝たときでも、眠れぬ苦しみに耐えてようやく眠って、
夜中の2時や3時に目が覚めてしまうこともよくあることだ。
そういう場合には翌日の活動のために、何とかもう少し眠っておこうと
四苦八苦しつつ、30分おきに眠ったり目覚めたりを繰り返すはめになる。
ところが、夜中に寝た場合には、たとえ快眠の宵寝を経ていようと、
朝目覚まし時計が叫ぶまで深い眠りにあり、重い頭を起こさねばならない。
1時間や2時間ですっきり目が覚めるということはほとんどない。
この違いは実に不思議だ。



2004年10月14日(木) 「グッド・ラック」

6月に発売されたアレックス・ロビラ&フェルナンド・トリアス・デ・ベス
の「グッド・ラック」を読んでみた。
本屋で大騒ぎみたいに積まれていた本ではあるが、
そこにあるメッセージは、つまるところ、
「幸運をつかむには下ごしらえが必要だ」というだけのことのようだ。
昔から「努力」という言葉で言われていたことを、
「下ごしらえ」という言葉に置き換えただけだ。
ただ、この寓話の良さは、森に育つはずのクローバーを、
あるものとして見つけようとするのではなく、
自ら下ごしらえをして、育つようにさせて獲得するところにあるようだ。
「運」はあちこちにばらまかれるが、それを「幸運」としてつかむのは、
入念に下ごしらえをした者だけである、というわけだ。
その幸運を獲得した騎士にしても、あとひとつの下ごしらえを
思いつかずにいたら、それまでの下ごしらえも無駄になっていた。

しかし、世の中には棚ぼた的幸運というのも存在する。
その稀有な実例の報告が、人の心を曇らせるわけだ。

私の場合、凝り性なくせに、万事に渡って中途半端でいい加減なもんだから、
大きな幸運は訪れないけれど、まあまあ凝り性だっただけの、
それだけに相応しい分の幸運のいくつかは拾えているような気がする。
世間的に見れば、ささやかな幸運の寄せ集めみたいなものだろう。
無駄でしかなかったと思われるような苦労もあったけれど、
ま、人生というのは、何が福となり何が禍となるか、はかりしれないものだ。
同じ運命でも、見方を変えれば福にも禍にもなるものだ。



2004年10月13日(水) 「いま、会いにゆきます」

土曜日に北さんが日記にこの本を読んだことを書いていた。
   http://www.ctk.ne.jp/~kita2000/zakkicho.htm   
あらすじはざっと書いてくれてあったけれど、結末は書いてない。
見事すぎて書いてはいけない、
これから読む人たちのために結末を知らせてはいけないらしかった。
さっそく楽天ブックスに注文しておいた。

夕方帰ったらそれが届いていたので、さっそく読み始めた。
夕飯の用意と夕飯をはさんで、10時前までに一気に読んでしまった。
こういう文体嫌いだなー、と随所に感じながらも、
その文体ゆえの良さもまた随所に感じつつ、読み続けた。
今ひとつ登場人物の存在感が薄いような感じを受けつつも、
時にはちょっと涙ぐみつつ読み進めた。
たぶんその存在感の薄さは、あまりに人物が類型的すぎるからだろう。
類型的すぎるというか直線的すぎるというか。。。
けれども、とにかくおもしろく思いつつ読み進め、結末にも驚き、
読んでいる途中からヒロインを愛おしく思うようにもなった。

おもしろく読まざるを得なかった一番大きな理由は、
この死んだはずの妻が現れた、幽霊とは思われない、じゃあ何なんだ、
という大いなる疑問のためである。
その疑問が結末部分で明らかになるわけだが、
私の場合はそれをどう受け止めるべきか、いささか葛藤があった。
こう来たかー、ちょっと待ってくれよ、、、という思いもあったが、
結局は、このヒロインのひたむきな心に屈服した。

読み終えた直後よりも、しばらく反芻しているうちに、
悲哀と幸福の混じり合った感情が膨らんだ。

すでに映画化され、今月末からロードショーだそうである。
映画館に見に行くかどうかわからないけれど、
どう映像化されているのか、楽しみである。
妻役は竹内結子だということで、ぴったりのような気がする。


ちなみに、今夜はこの本に割り込まれたけれど、最近読み継いでいるのは
村上春樹の「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」である。
実に不可思議な設定という点では、上記の比ではない。
現実に即した要素もあるが、基本的に、そりゃ何じゃ? の世界である。
けれども、登場人物の存在感が、やたらと濃いのが不思議だ。
これもとてもおもしろいのだが、さっさと読み進めることができない。



2004年10月12日(火) 加古隆の「白梅抄」

最近聞いている音楽は専ら倉本裕基のピアノのCDで、
その何曲かに涙ぐんだりしていたのだけれども、今夜久々に加古隆を聞いた。
「白梅抄−亡き母の」のピアノ・ソロには泣けた。
悲哀と虚脱と回想的な気分がそこはかとなく漂ってくる。
私にはまだ「亡き母」はいないのだけど、もしもそんな立場で聞いたら、
聴きながら号泣してしまいそうな気がする。
しかも、実に格調高い。

このCDで次に流れてくるのは「パリは燃えているか」のピアノ&オケ版だ。
NHKの「映像の世紀」のテーマ曲だ。
あの番組を夢中で見ていたときのやるせない気分がよみがえる。



2004年10月11日(月) 可能性の発掘

妻がNHKの音楽コンクールの合唱の部を、小学校から高校の部まで、
岐阜県大会から全国大会まで、放映のたびに見ているので、
私も時々覗いたり、音だけは聞いたりしていた。
ある時など、ベッドで横になっていたら、ちょうどその場所は
TVの裏側なものだから、ずっと音だけは合唱コンクールを聞いてるわけで、
ある中学校の歌声に驚いてベッドから出て画面を確かめに行って、
やはり中学生だというので改めて驚いて、
後で聞くと、その中学校が上位大会に進んだということだった。
女声は驚くべきだったけれど、残念ながら男声はまとまってなかったので、
その後どうなったかは知らない。
そんな風に、時折聞いては批評していたのだった。

我々が高校生だったころは、合唱部もあちこちで盛んだったように思う。
大学のグリークラブも、学食で自然と歌い始めたりして、
それが何の違和感もなく、受け入れられていたように思う。
残念ながら私は、グリーの連中の陶酔的なムードがあまり好きではなかった
けれど、歌の輪が広がるということには違和感を覚えなかったのである。
私は歌うことにははなはだ自信がないけれど、中学時代まで、
そういう機会があるごとに熱心に合唱に参加していたし、
そうしてできる感動も味わっていた。

2、30年の間に、明らかに合唱は廃れた。
存続している合唱部も激減し、存続していても10人にも満たない部員で
細々と活動しているところがほとんどだろう。
この大会でも、高校の岐阜県大会を見ても、出ていたのは2校だけである。
女声合唱と混声合唱の一騎打ちである。
コンクールになっていないではないか。

そんな中で、改めて驚かされるのは、男子の歌う姿である。
多くの合唱部が、女子はわりと集まるのに、男子が集まらない。
女声合唱というのはいくつかあるけれど、男声合唱というのはない。
混声合唱の中に、割合としては少なめの男子がいる程度である。
学校によっては、部員は女子だけで、男子は運動部からかき集めて
出ている学校もある。
それだけ、男子からは合唱というものが敬遠されがちなのだろうが、
現に歌っている男子諸君は、決してそんな印象を与えない。
表情を見ても、しっかりとその合唱の世界に入り込んで歌っている。
日ごろ見ている男子生徒たちとはまったく異星の生き物のように、
昔見たグリーの連中と同じ世界で歌っている。

それは、そこまで引き出せる指導者がたまたまその学校にいたからだ。
その先生が他校にいたら、彼らは合唱の良さも知らず卒業し、
他校の何人かの生徒たちが、合唱の良さを満喫して卒業したことだろう。
それは、運・不運ですませるしかない問題なのだろうか?
確かに、よりよき指導者に当たるかどうかは運・不運ですませるしかない。
けれども、教育機関の人事は、しっかり配慮してほしいものである。
若者の可能性を掘り起こせるような人事をしてほしいものである。
そんな難題を要求したくなるほどに、
何校かの男子たちの歌う姿に驚愕したのだった。
あんな風に育てることも可能な反面、
あんな風に育つ可能性を持っている子が育たずに終わってしまうという悲劇。
それは、さまざまな分野に言えることなのだ。



2004年10月06日(水) 楽譜書き

先月の23日に書き始めた楽譜のパート譜をやっと作り始めた。
けれども、今夜は1時間半ほど眠ってしまったので、全部はできなかった。
パート譜自体は、総譜さえ作ってしまえば、
パート譜を作れと命じるだけで、2分くらいの間にできてしまう。
吹奏楽譜だと20数パートあるけれど、たちどころにできあがるわけだ。
けれども、それをそのまま印刷するととても人様に見せられるものではない。
きっちりひとまとまりのパート譜にするために、
1段あたりの小節数を変えたり、段数を変えたり、フォントを変えたり、
レイアウトし直さなければならない。
パート譜作りを命じる際に設定しておいたことは守られていないし、
仮に守ってくれたとしても、多少の再レイアウトは必要だろう。
この不便さは、何度ヴァージョンアップしてもぜんぜん改善されていない。

それでも、何もかも手書きでやっていた時代に比べると、
比較にならないほど便利である。
不満を言う前に、いつも、あの頃の苦労を思い出さなきゃいけない。

実は、この楽譜書きの〆切を先週の土曜日と決めていて、
その日にいったん団員に楽譜を配って試奏する予定だった。
だから、先週の金曜日にこの作業を順調に進めていたのだった。
ところが、8割方済んだあたりで、重大なミスに気づいた。
その夜の作業はすべてやり直しということになり、〆切を守るのを諦めた。
日曜日の夜に作業を再開したのだが、その時はパート譜作りではない。
また改めて総譜の点検や修正をし始めたのである。
〆切が1週間伸びたので、もう少し入念に見直すことにしたのである。

文章書くのも楽譜を書くのも、終わりというものがないのである。
〆切が来るから、完成ということにせざるを得なくなるけれども、
あくまでもそれは暫定的な完成に過ぎない。
そして、毎晩寝るぎりぎりまで楽譜と向き合うことになるので、
寝る前に書くのが週間となっている塵語は明日に延ばされて忘れ去られることになる。。。



2004年10月03日(日) 2日間吹奏楽漬け

昨日は朝から夕方まで中学生の合同バンドの練習を見、夜は市吹。
今朝は市民体育大会の開会式の音楽を振り、
そのまま高校生の合同バンドの練習に行って、夕方まで。

昨日の夜もきょうの午後も、休憩時間に座っていると睡魔に襲われた。
まーあかんわ、、という感じである。
睡魔と闘いながら、もう指揮する気力もないから、
時間まで何とかごまかして、適当に終わってしまおうと考えるのである。
ところが、目の前で演奏が鳴り始めると、ついつい疲れを忘れ、
あれこれ指示や提案を出しては、指揮台で踊るはめになる。
そういう自分が不思議だ。
それでいて、練習が終わる頃にはよぼよぼ爺さんになってしまっている。


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