TENSEI塵語

2004年09月30日(木) 強風注意

昨夜台風が福井から新潟を通って行った。
今年としては珍しく、本州縦断コースだったけれど、
夜中にこのあたりを通過したので、学校にはほとんど影響なかった。
しかも、風よりは雨の激しい台風だったし、小さかったようだ。
三重県では雨による被害が深刻だったようだ。
このあたりでは、昨夜2時間程度ヒューヒュービチャビチャした程度である。

きょうは台風一過らしい快晴で心地よい天気、、、のはずが、
日中は昨夜の台風よりも激しいのではないかと思われる強風が吹いていた。
立っていて油断すると、2、3歩よろめかされるほどの強風である。
それが日中ずっと北の方から吹き続けていた。
この風が何によるものか、素人の私には謎であった。

楽譜書きがやっと終わった。
明日、これをパート譜に分け、レイアウトして印刷するのがまた一仕事だ。
まだまだ手直しを試みたいところもいくつかあるけれど、きりがない。
この1週間ほど、暇さえあれば五線譜に向かっていて、
とにかく終わりというもののない作業なので、塵語に向かうゆとりがなかった。



2004年09月25日(土) 体がいくつあっても、、

何かと忙しい。
体ひとつでは足りない感じだ。
でも、もし体が4つあったら、、、?
さぞかしラクになるだろう、、と思ったら甘い幻想だ。
彼らは喧嘩を始めるだろう。できるだけラクな立場を得るために。。。
自分の分身が従順だと思いこむのもまた、甘い幻想なのだ。



2004年09月23日(木) メモ

昨夜、村上春樹の「アフターダーク」を読み終えた。
毎度のことながら、よくわからんところもあるけれどとてもおもしろかった。
ずうーーっと前に読んだ「ノルウェイの森」や「羊をめぐる冒険」なども
読み返したくなった。

きょうは昼からずっと楽譜書きに専念して、それ以外は黙殺した。
こんなに五線に音符を埋め込んだのは何カ月ぶりだろう?

昨夜しっかり眠ったせいか、楽譜書きで精神が高揚しているせいか、
なかなか眠たくならないので、困る。



2004年09月21日(火) アレチヌスビトハギ

TVを見ていたら、NHKニュースの最後に、京都のあるお寺に咲いている
という、酔芙蓉の花を紹介していた。
朝は白い花だったのが、時間が経つにつれピンク色に染まって行くそうだ。
花も不思議だし、名前のつけかたも、何とも粋ではないか。

で、もうひとつ、最近見たピンクの花を思い出したのである。
先週の木曜日に学年の活動で草取りをやったのだが、
ピンクの花をいくつもつけたやや丈の高い植物を指して、
「これ雑草? 抜いちゃっていいの?」とおばさん先生に聞いてみた。
「あ、それ、憎たらしい草だよ。種が服にくっついて取れないの」
そう言われてよくみると、小さい種の袋みたいなのが連なっている。
今はこうしてかわいい花をいくつもつけているけれど、
1学期に草取りをやると、軍手にもジャージにもびっしりくっつくやつだ。
自宅のそばに借りている駐車場にも繁茂していて、
草刈りをすると新品の軍手もすぐお払い箱にしなきゃいけなくなる。
確かに厄介な雑草である。

それを、きょうも見たのである。
最近は学校の周りを煙草を吸いながら歩く機会が増えた。
自然と、植物や虫たちを観察する機会も増えてきた。
きょうは、草を抜いてしまうのが仕事ではなかったので、じっくり見た。
なかなか味わい深い花である。
こんなかわいい花を、迷惑な雑草扱いしては申し訳ない気分である。
そして、思った。
名前がわからないということの、疎遠な不安定さを。。。

酔芙蓉に刺激されて、その花の名前を知りたくなった。
植物図鑑などなくてもグーグルの検索で調べられそうだが、さて、、、
どういうキーワードをいれればいいのだろうか、、、雑草? 草花?
草取りの時に、生徒が「ひっつき虫」などと呼んでいたので、
冗談交じりで「ひっつき虫」で検索したら、
「ひっつき虫」系の植物を集めたサイトにすぐに入れた。
「ひっつき虫」が公用語になっているとはますます驚きである。

問題の草花は、アレチヌスビトハギという、呪文のような名前だった。

「アレチヌスビトハギは北米原産の帰化植物。高さ1m程になる多年草。
 路傍や造成地などの荒れ地に生育し、次第に増えているように思う。
 葉は3小葉からなり、葉の上面には毛が少ないが、下面には毛が多い。
 茎や花軸にも毛が多く、全体的に毛が目立つ植物である。
 9月頃から長さ6〜9mmの美しい紫色の花を咲かせる。
 果実は扁平であり、3〜6に分かれ、間には節がある。
 表面はかぎ状に曲がった毛が密生しており、
 熟すと節から分断されて衣服などにひっつく。
 気づかずに荒れ地を歩くと、びっしりとくっついてしまう
 やっかいなひっつき虫である」



2004年09月20日(月) 睡眠下手

先週の木曜日(16日)は午後から除草作業があった。
朝から、雨で中止になるか、せめて曇ってほしいと願っていたけれど、
願いは空しく、朝は曇っていたのに、昼ごろから晴れた。
疲労困憊して、業後の職員会議でさんざん睡魔に悩まされた。

翌金曜日は、授業と会議で5時間詰まっていてバタバタしていた。

それで3連休でのんびりできればいいのだが、そんな予定ではなかった(T_T)
土曜日は朝から夕方まで中学生の合同バンドの練習で、
夜はいつもどおり市吹の練習である。1日中立ちん坊である。
昨日の日曜日は、高校生の合同バンドの練習である。
もちろん、棒を振って音楽をまとめてる間は、疲れなど忘れている。
疲労は、終わって、車に乗るころからどっと押し寄せてくる。

そこで、私が困っている、というか、自身を侮蔑したくなってくるのは、
そんな疲れた日はさっさと早寝すればいいのに、できないことである。
そんな日でも、なぜか、午前1時より前にはなかなか寝られない。
たいてい1時を過ぎ、下手すると、2時を過ぎてしまうこともある。
心底眠たくなるのを、酒を飲みながら待つうちに、
いくら何でももう寝ないと起きられないという心の中の叱咤によって、
ようやく眠りにつくという具合である。
そのくせ、いったん横になると、ほとんど考え事をすることもなく、
わずかの間にすーーーっと眠りに落ちてしまっているようだ。

これが、午前0時前に寝るとなると、こうは行かない。
なかなか眠り状態に入れない。
1、2時間がんばっても眠れず、あきらめて眠る努力を休憩にすると、
目が冴えて、ますます眠る体勢から遠のいて、夜更かしを助長する。
安易な早寝は危険を伴っているのだ。
今まで、何度これで失敗してきたことか。。。

また、8時とか9時ごろに、睡魔に堪えきれず、眠ることがある。
早寝は苦手なくせに、そんな早寝ができる日もあるのだ。
ところが、そういうときはなぜか、2時間程度ですっきり覚めてしまうのだ。
私にとって、もっとも快い睡眠である代わりに、
翌日以降のことを思うと、最悪のパターンでもあるケースだ。
こういう晩は、何とか2時までには再び眠れるように、
アルコールを通常より多量に服用しなければいけなくなる。
翌朝の疲労感はかなりのものになる。

この寝ても眠りに入れない時間への恐怖感は、おそらく子どもの時からだ。
小学生のころは、四畳半2間に家族5人が寝ていた。
寝つけないからといって、そう自由に動けるわけでない。
眠れない日はしばしばあったが、じっと布団の中でじっとしているしかない。
それはかなりの難行苦行なのである。
中学・高校にかけては、音楽やラジオ番組を聞きながら、
眠りが訪れるのを待つことを覚えた。
それは、横になるのが早いだけで、結局は夜更かしに違いないのだが、
眠れないまま布団の中に拘束されているよりは精神衛生上の利点があった。

とにかく私は、日常の務めとしての睡眠が下手くそである。
(そのくせ、昼寝や宵寝の場合には、あきれるほどさっさと眠れる)
起きるのも下手くそである。
休日の1日目はゆっくり眠れない。
平日の朝のように、時間に促されて大慌てで起き上がったりする。
休みだと気づいて安心するまでに少々時間を要する。
安心はするけど、もうその後は容易に寝つけなくて、起きてしまう。
連休の1日目は、のんびりできる日でも睡眠不足の1にちになってしまう。
2日目以降は、昼近くまで眠ってしまうケースが多いのだが。。。



2004年09月16日(木) 米支持違憲判決

コスタリカで、アメリカのイラク戦争を支持した政府に対し、
支持取り消しを命じる違憲判決が下されたそうだ。
最初に提訴したのは、法学部の学生だそうだ。

そうかー、、、そういう手があったのか。。。




2004年09月14日(火) ディスプレイ取り替え

去年の5月10日に買った中古のディスプレイが、
2ヶ月くらい前から、パチン、、パチン、、やり始めた。
あのころの状態と同じで、そのうち逝ってしまう兆候である。
今回は逝ってしまう前に取り替えようと、3週間前に買っておいたのだが、
作業が億劫で、ずっと買ってきたまま放っておいた。
とにかく、撤去すべきディスプレイが、でかくて重い。
作業のスペースを作るために、片づけしたりどけたりするものも少なくない。

今夜は珍しく、その億劫な作業をやってやろうという気になった。
やっとのことで古いディスプレイをPCラックから持ち上げて廊下に出し、
新しいディスプレイを箱から出した時の驚き! 軽い! 小さい!
今回買ったのは液晶ディスプレイである。
アップルのスタジオディスプレイの17インチを前々から狙っていたが、
値段が高い上に、不要なスペースも取りそうだし、
インテリア的な魅力はこの1年間に求めなくなってしまっていたので、
店頭で検討しているうちに気が変わって、三菱の製品に決めたのである。

接続してみて、画面がさらに明るくなったことに驚くだけでなく、
もっと早くに取り替えるべきだったと、後悔した。
画面がかなり広くなった。
今までと同じ17インチのものだが、縦がかなり長くなっている。
たとえば、インターネットのサイトの表示が下に伸びたメリットだけでない。
これは、殊に、楽譜書きの場合にありがたいのである。
1度に表示される五線の段数が増える。
先日ももうちょっと下まで表示されるといいのに、、と不便を感じていた。

ともあれ、目の前が軽快になった。
あの巨大なディスプレイの圧迫感から開放された感じである。
しかしまだ、それを処分するという厄介な問題が残っている。



2004年09月13日(月) 倉本裕基のピアノ曲

な〜んとなくennui な日々である。
決してイヤなことばかりで憂鬱なわけではない。
仕事も、めんどくさいとは思いながらも教室に行けば楽しくやってるし、
学校祭後の休みたい土曜日に、中学生の混成バンドの指導にも行った。
忙しさではなかなか充実していると言ってよい。
ただ、手応えのないことばかりにあくせくしているような空しさも漂う。
いったんくつろいでしまうと、体が思うように動かない感じだ。
PCでのDVD作成作業がなかなかうまく行かないのも困りものだ。
やることがいっぱいありすぎて、順序の整理がつかないのも困りものだ。
そうして、体が思うように動かなくなってしまっている。

漫然と、最近4枚ばかり手に入れた、倉本裕基のCDを聞いている。
先日、たまたま「だれでもピカソ」というらしい番組で演奏しているのを、
1曲だけ、途中から聞いて、すぐに2枚ほど注文し、
その2枚を聞いて、さらにまた2枚注文して、聞いているわけである。
イージーリスニングというか、ヒーリングミュージックというか、
この種のピアノ弾きでハマった3人目である(久石譲、加古隆と今回の人)。
とりとめもなく得体の知れない倦怠感に包まれているときには、
淡い感傷と抒情の世界に入り込みやすいようだ。



2004年09月08日(水) 評論家の嘘

瀬戸内寂聴が、〈ヨン様ブーム〉についてこんなことを言ったそうだ。

「今の中高年女性が優しい男性を求めているってことがわかる。
 聞きたい事を言ってくれる、、、源氏がまさにそうだった。
 つまりヨン様は現代の光源氏である」

しばしばいいことを言う人だと思っていたが、これはひどい。あきれた。

日ごろから、冬ソナ・韓ドラブームについての論評を聞いたり読んだりして、
そういうもんかいなぁ、、と奇妙でしょうがない。
純愛への憧れ? 優しさへの憧れ? 日本のドラマにない?
あたかも、純愛ものに飢えているかのような論評が目につくけれど、
日本の最近のドラマにだって、純愛はいくらでもあるではないか。
そういうテーマが冬ソナ&韓ドラに特有なものとは思われない。
純愛に憧れながら、夫そっちのけで「ヨン様〜、キャーキャー」ってのも、
次元が違うかもしれないけれど、おかしなものではないか。

〈ヨン様ブーム〉についての私の解釈は、ごく単純なものである。

1、ミニョンの初登場シーンが衝撃的だった(初雪を仰いでいるシーン)。
  服装も、表情も、、そして、、、(後述)
2、その後のミニョンまたはチュンサンが切なく感じられた。
3、しかも笑顔がさわやかだった。

あとは、、?
いったん惚れ込んじゃえば何もかもよくなるものなのである。
それで社会現象になってしまうと評論家はこねまくった解釈するけど、
実際はそんな複雑なところからは見ていないものである。

いいドラマでいい役をもらえるかどうかは、俳優にとって実に大きな問題だ。
「スキャンダル」は、多くの女性が並んで待って見たそうだが、
もしもヨンくんの日本でのデビューが「スキャンダル」だったら、
映画館は閑散とし、〈ヨン様ブーム〉などありえたかどうか、、?
冬ソナのヨン様主演だったからこそ、多くの女性が並んだのだ。
俳優の持ついくらかの魅力を、役柄が光らせるのだ。

上述の1、ミニョンの初登場シーンについても、
単にヨンくんの映像だけでなく、それを見て、その場に立ち尽くし、
端って探し回るユジンの姿が、ヨンくんの魅力を増幅しているはずである。
2、の切なさについても、ドラマ全体の、個々の登場人物の切ない思いが、
ミニョンまたはチュンサンの切なさを増幅している。
3、の笑顔にしたって、ヨンくんの笑顔をいきなり見るのと、
切ない雰囲気が漂う中で見るのとではぜんぜん違う。
こんな風にして、ヨンくんの姿は多くのおばさんたちの心に焼きついたのだ。
そして、、、いったん惚れ込んでしまうと、何もかもよく見えるものなのだ。



2004年09月07日(火) モザイク画が完成

8月の中旬に、担任として準備に4日間をかけたモザイク画が昨日完成した。
この驚きと感動は、生徒にとっては予想以上に大きいようだ。
全体の40分の1くらいのノルマの色紙貼りをしている時には
何をしているかよくわからないのに、
それらを全部貼り合わせると意味あるものに変貌するからだ。
すごいすごい、という感嘆の声の後で、多くの生徒が、
自分がやっていたのはどの部分かを探そうとする。

生徒は実はまだこの作品の本当のおもしろさを知らない。
離れて眺めると、あたかも写真のように見えるところが醍醐味なのである。
1センチ四方の細かい紙片なら教室の端から眺めれば十分だと予想したが、
実際教室の後ろに展示して教壇から眺めても、角角のモザイク模様である。
もう1教室隔てた廊下から渡り廊下に入って、その窓から見てみると、
それで何とか写真ぽく見えるのだが、全部は見えない。
やっぱり体育館に展示できるようにするべきだったかな、と後悔し、
体育館に展示するには規模が小さいことを更に後悔した。
ま、しかし、今回は苦肉の策から出た、私自身にとっては試作品なので、
作り方、準備の仕方、実際の効果、、、等がわかっただけでいいだろう。
今後、困ったときにはこの手があるし、それにはどんな労力がかかり、
どういう準備をすればいいか、気楽に対応できそうである。
今回よりも早く始めることもできるだろう。

ところで、昨日完成し、看板にあたるものも作らせた。
何かと順調に作業が進み、2、3人の怠け者が昨日になって、
手伝ってもらいながら自分のノルマを仕上げるというけしからん事態も、
時間の使い方からすればかえって好都合なほどであった。
昨日は何しろ朝から夕方まで準備時間になっていた。
しかも、きょう、午後全部が準備時間として設定されていた。
それで、昨日は何もかも終わらせようとすれば終わらせることができたのに、
展示場として机を配置したり、片付け・清掃したりという仕上げの作業は、
きょうのためにとっておいた。
さらに生徒が思いつくことは何でもやらせるつもりでいた。

ところが、きょうは、午前11時半に暴風雨警報が出てしまった。
生徒は、午前中の映画鑑賞が終わるとともに帰宅せざるをえなくなった。
活動したい生徒も、帰宅を強制されるわけだから、残すわけにはいかない。
ということは、どういうことになるのかというと、
昨日残しておいた作業は、担任がひとりでするはめになるのである。
大した作業ではないから、1時間で終わったけれど、
しかも、いちいち動きの悪い生徒たちにあれこれ指図する必要もないから、
かえってラクだったのかもしれないけれど、
授業のある時にはなかなか出ない警報が、何でこんな時に限って
テキパキと出るのか、釈然としない気にくわない展開だった。



2004年09月06日(月) 地震!!

夕食中の7時過ぎに、いきなり揺れ始めた。
これが長い。しつこいくらいに長い。
揺れている途中に、もうそろそろ終わりそうだと思っても終わらないので、
一瞬後にも大きな揺れが来るのではないかと不安だった。
けれども、大事には至らないまま揺れが終わった。
すぐテレビで確認したが、震源地は和歌山県あたりのようだ。

午前0時少し前にも、また揺れ始めた。
今度は3階の自室にいたので、さっきより激しく揺れているように思った。
それがまた今回も長い揺れだった。
ウイスキーのグラスを机に置いているとこぼれそうである。
PCラックの上のプラスチックの引き出しケースが倒れて落ちそうだ。
揺れている最中に、いかにも今致命的な揺れが来そうな雰囲気になる。
しかし結局は大事に至らぬまま揺れが終わった。
やはり和歌山のあたりらしいが、さっきとまったく同じ地点ではないようだ。

浅間山の噴火、相次ぐ台風、異常な暑さ、そして最近の異常な涼しさ、、、
日本列島が、天変地異の呪いを受けているような様相である。



2004年09月02日(木) 小説「ICO」第1章

この小説を読みたくなったのは、ゲームの余情のためである。
その余情は、ゲームの中に言葉が極度に少ないことからも膨らんでいる。
最小限の言葉しか使われていないのだ。
イコが城に連れられてくるオープニングでも、説明は何もない。
かろうじて、付属の冊子にこんなあらすじが書かれているだけだ。

「イコには角が生えていました。
 角が生えているのは村中でもイコだけでした。
 村のしきたりでは、角の生えた子どもが生まれると、その子は、
 海の上にそびえ立つ誰もいないお城に生贄として捧げられることに
 なっており、今年はイコがお城に連れて行かれる年でした。
 13歳の誕生日、3人の神官に連れられ、お城に向かう馬の上でも、
 イコは暴れたりしませんでした。
 自分がこれからどうなるのかはだいたいわかっていたけれど、
 それは自分にとって当然のことと思っていたからです」

小説は、この部分に全体の3分の1近くを費やしている。
村長の苦渋、その妻でイコの養母であるオネの悲哀、
イコの友だちトトの危険な冒険などが中心に描かれている。
しきたりをめぐる村人のようすなども、なかなか行き届いている。
ゲームにはなかった話だが、まさにあのゲームの世界の話に思われる。
それでいて、これは明らかに作者の創作であって、
通常出版されているドラマやゲームのノヴェライズの域ではない。

生贄となるべき角の生えた子どもは、数十年にひとり生まれてくる。
それは、霧の城からの要求なのだ。
角の生えた子どもは、村長夫婦が引き取って育てる。
責任を持って、生贄として送り出す年齢まで保護するためである。
実の両親は村から追い出される。

生贄として選ばれて生まれた子どもは、肉体的にも精神的にも優秀で、
養育にあたった村長の妻オネは、その子が可愛くてたまらなくなっている。
生贄として出発する日に着せる、御印の入った衣を織る義務があるのに、
涙に暮れてなかなかはかどらない。

イコと仲良しのトトは、事情をよく知らされていないために、
イコを逃亡させたいとか、一緒に城に行きたいとか、
何とかイコを救おうとさまざまに思案する。

イコ自身は、村長から長年に渡って言い聞かせられた来ただけでなく、
村長に連れられて行った「禁忌の山」から見た衝撃の光景によって、
自身が村を救うために生贄となる覚悟はしっかりできている。
ただ、村のしきたりのため、それをトトに話すことはできない。
その「禁忌の山」からの光景とはどんなものか?

トトは、イコの生贄の旅に先回りをして合流しようと企てる。
そして、村長以外は入ることを禁じられている「禁忌の山」に入る。
そして、そこから、何もかも石化されてしまった村を見る。
トトはその村に入り込んで、その石化をつぶさに見る。
人も家も、家の中にあるすべての物も、何もかも石となり、
しかも長年の風化でもろく、簡単に砂となって砕けてしまう。
これが、しきたりに背いた村に対する、霧の城からの制裁らしい。

突然、空中に女の顔が現れ、村に入り込んだトトを咎める。
トトが乗ってきた愛馬は、女の息に吹かれて石になってしまう。
トトも危うく息にかかりそうになりながら逃げ場を求める。
地下の部屋に逃げ込んでも、あるものは石ばっかりだ。
しかし、トトは奥の暗闇の中に、唯一石化されていない書物を見つけた。
その書物は光を放っていて、トトを守ってくれそうである。

トトは瀕死の体で村に帰り着く。
書物を村長に託すと、トトは石と化してしまう。
村長はその本に描かれた御印を、特別な力を持った印だと察する。
妻に織らせているイコの衣の御印を、その本の御印に織り直させる。
イコだけでなく、村をも救う力になることを期待しつつ。。。



2004年09月01日(水) 授業は10日から?

きょうは始業式で、昔と違い、2〜3時間の課題考査が組まれて、
実質5〜6時間授業並みの日程だが、授業はもちろんセットされない。
明日は、文系クラスは3時間の課題考査の後、3時間の授業だが、
たまたま私の担当分は6限目の「総合」だけで、学校祭準備である。
明後日は、体育祭の準備&予行練習で1日を費やす。

来週の月曜日は、例年の感覚で、半日授業、半日準備、と思っていたら、
よくよく日程を読んでみたら、終日準備となっている。
今年は始業式から学校祭までの日数が少ないので、特別配慮だろう。
7日火曜日が、芸術鑑賞会のあと、午後は準備。
8日水曜日が、展示&発表会。
9日木曜日が、体育祭。

だから、授業開始は10日から、体育祭雨天延期になれば9日から、である。
新学期が始まってもこんなに授業がないのは、初の体験である。
何となく心にゆとりがある。
中途半端でどっちつかずになりがちな授業を強いられないのがありがたい。


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