TENSEI塵語

2004年04月30日(金) 「冬ソナ」(2)

一昨日の晩、インターネットで有料の第2話を見た。
TVで見始めたのは、第2話の途中からだったので、
釈然としない部分がいくつかあったからである。
第2話までの流れはよくわかった。
ジュンサンは、自分の父がサンヒョクの父でなく、ユジンの父と知って、
ユジンに何も告げず、母とともにアメリカに渡ろうと決心しながらも、
空港に向かう途中で気が変わって、ユジンに会いに行こうとする、
その途中で事故にあったというわけだ。
その事故の場面で第2話が終わってしまったので、
どうしても第3話をもう一度見たくなった。
で、またすぐに第3話の支払い手続きをして、続けて見た。
第1・2話をつぶさに見た後で第3話を見るとますます切ない。
昨夜、もう1回第3話(要するに、この回は3回目である)を見た。
2回見て気づかなかったことが、3回目に気づいたりする。
実にきめ細かくドラマが作られているなぁ、と改めて感心する。
今夜は先週TV放映で見たばかりの第4話を見た。
第5話へと続けて見たかったが、明日のTV放映を待つことにした。
あんなに無関心だったのに、こんなにハマってしまうとは。。。

明日から5連休だ。



2004年04月29日(木) 山口会民謡まつりで賛助演奏

山口組ではない、民謡山口会である。
賛助演奏したのは、私が属している岩倉の吹奏楽団である。
わりと広域な民謡愛好組織らしくて、豊明か名古屋に拠点があるらしいが、
岩倉にも支部があり、その関係で依頼があって2年前に賛助演奏をした。
きょうは2度目である。

メインの出し物は、演歌メドレーを、山口会の会主の三味線と共演する、
というものである。
その後で、今度は三味線とともに歌の伴奏をする、というものである。
2回目の今回は、さらに吹奏楽だけの演奏も依頼された。
それで、もう何年も前から演奏しているポップス調民謡メドレーを演奏した。
歌の伴奏は、今年は「花笠音頭」を希望されたので、
一晩きりのやっつけ仕事ではあったけれど、楽譜を作って演奏した。

ジャンルの壁をとっぱらって活動するには、吹奏楽は身軽でよい。
100以上の演目がある大行事で、
進行が遅れて我々の出番を待つのもなかなかたいへんだったが、
ジャンルは違っても、ステージにかける思いに大した違いはない。



2004年04月28日(水) 「反日的分子」発言

今夜は飲み会から帰って来たところだが、酩酊に負けず書こう。

一昨日も話題にした「反日的分子」発言について、
朝日の社説が実によい意見を書いてくれている。

・・・・・・・・
昨年10月の朝日新聞の世論調査では、
自衛隊をイラクに派遣することに半数以上が反対した。
今年4月の調査でも、撤退すべきだという意見が3割を超えた。
こうした人たちもみんな「反日」ということになるのか。

賛否はどうであれ、国民がイラクの行方を心配し、
自衛隊派遣の是非を論じ合うのは、日本と世界を思ってのことである。
国会でイラク戦争や自衛隊派遣について論議するのも、
日本の正しい針路を探り、間違いない判断をするためだ。

政府の方針と違う考えの人たちを「反日」と決めつけ、
排除するようなことでは、民主主義とはいえない。
そんなことが国会議員にわからないのか。

(中略)

作家の陳舜臣さんは
「日本の大きなプラスだ」
「3人に感謝しなければならない」と朝日新聞に書いた。
そんな見方もあるのだ。

昨年、外務省の審議官宅にガスボンベが置かれるなどの事件が起きた。
一連の犯行声明には「国賊」や「売国奴」と書かれていた。
「反日」もそれらと同じようにテロに結びつきやすい言葉であることを
忘れてはいけない。

柏村氏は人質になったことを「反国家的」「利敵行為」とも述べた。
まるで戦時体制のような言い方だった。

「反日」発言については野党議員から「不穏当」との指摘があった。
官房長官もさすがに「不適切」と語った。

一議員の暴言にすぎないかもしれない。
だが、その発言を生み出すような空気が今の社会にありはしないか。
与野党を問わず、国会議員はよく考えてほしい。
そして大いに意見を言ってほしい。
・・・・・・・

もっとも私がうれしく思ったのは「賛否はどうあれ」で始まる段落である。
こんなすばらしい国土と文化を持ち、すばらしい憲法を持っているこの国を
愛するからこそ、こうすべきだ、こうであってほしいと、
意見を言ったり、何らかの行動に駆り立てられたりするのである。

一議員の暴言にすぎないかもしれないが、
おそらく彼の仲間内では日常会話なのだろう。
だから彼は、暴言とはゆめにも思わずに大いばりで演説をぶったのである。
英雄的陶酔に酔いしれていたかもしれない。
あらゆる角度からベストの選択をしているみたいな宣伝をしているけれど、
彼らの了見は案外狭いのである。
こうしたい、と思ったら、もうそれしか見えなくなってしまうのだ。

そもそも、彼らにとって、「自由民主」の「民」とは政財界の「民」で、
いわゆる「国民」と定義づけられている我々は、
彼らにとっては、家畜みたいなものでしかないのだ。
とりあえず憲法に定められたシステムの体裁を整えるための家畜である。
選挙の時だけは「国民のみなさん」という言葉で呼びはするが、
うまくてなづけておけば、まあ大半はすりすりしてくるだろう、ぐらいの、
やっぱり家畜程度の存在に過ぎないのである。
だから、何か腹にすえかねぬような事態が起こると、
俺たちのいうことに従わないやつはどうしてくれよう、ということにもなる。

きょうは、年金の新法案を何とか委員会で、与党だけで可決したそうだ。
今までの年金制度をよく知らないか、知っててズルしていた連中もいる、
そんな中で審議できるのか、と我々は思う。
同じ思いかどうかは別にして、野党がそのあたりを明確にしようとしていた。
それも無視し、今までの自分たちの仲間の年金運用の失敗も棚に上げて、
尻拭いはすべて「国民」という名の家畜どもにさせればいい、というわけだ。

「自由民主」という甘言にだまされ続けている人々が投票し続けるので、
こんな世の中になってしまった。

人質解放後の外相川口の会見を聞いたとき、
イラクの人たち・子どもたちのことなんか放っとけ、という印象で、
政府の感覚としては、もうイラクは「敵国」なんじゃないかな、と恐れたが、
「反日的分子」発言を聞くと、彼らの感覚ではもう今は「戦時中」なのではないかと思わされる。



2004年04月27日(火) 浅井久仁臣

橋本さんのサイトでこの人を紹介していて、興味深かったので、
メルマガを読みに行ってみた。
バックナンバーはすべて公開されているようだから、送信契約の必要はない。

きょうのメルマガでは、阪神大震災の時の若者のボランティアのことから
話が始まっていた。
100万人以上の若者がボランティアで被災地にかけつけたあの時、
浅井氏らは、自己完結と活動記録を呼びかけに被災地に入ったそうである。
「自己完結」とは「自らの身の安全から衣食住全てを自分で管理すること」。
こういう呼びかけが次第に浸透していって、
その後、全国的なNPO活動が震災前とは比べものにならないほどの
規模・機能・役割を持つようになったという。

それに続く文章を読んでいるうちに、次第に涙ぐんでしまった。
こういう風に生きてきた人でなければ、こんな風には書けまい。

・・・・・・・・・
それにしても、この100万人を超えるヴォランティアたちと、
今回人質になった高遠さんらと本質的にどこに違いがあるのか
私にはいっこうに理解できません。
「神戸」に駆けつけた若者が称賛され、
高遠さんたちは「自己責任」という言葉と共に袋叩きにされました。
確かにイラクに出かけた「イラク組」は、危機管理に問題がありました。
しかし、それでは彼らが危機管理面で「神戸組」に劣っていたかというと、
そんなことはありません。
2組の違いは、政治が絡んでいたか、いやこの際です、はっきり言いましょう。
「お上にたてついたかどうか」の一点です。
それ以外は、基本的には大きな違いはないのです。

いやイラクと神戸、戦争と震災を同列に置く事自体がおかしい、
と言われるかもしれませんが、思い出してください。
阪神大震災の時、焼け落ちる建物や崩壊する家に
ヴォランティアが飛び込んでいきました。
幸い死者は出ませんでしたが、負傷者は出ています。
また、幸いにして起きませんでしたが、
大きな余震が起きる危険性が叫ばれていました。
もし、大規模な余震があったらヴォランティアにもかなりの犠牲者が
出たことでしょう。
大災害でも戦場と同様危機管理が必要です。
安易な気持ちで被災地に飛び込んでいけば、
二次災害が起きることもあるのです。

 若者が熱意のあまり突っ走るのは、いわば当然のことです。それは、若
者の特権であるといってもいいでしょう。その若者のほとばしる情熱が歴
史を変え、新しい社会を作ってきたことは、誰一人として否定できないは
ずです。若者が情熱の発露として行動を起こし、それが結果的に失敗に終
わったとしても寛容に見てやるべきです。俯瞰した視点で助言を与えるこ
とは必要ですが、寄ってたかって袋叩きにするなんぞはもっての外です。
今回の事件のように、政治家や役人が、それこそ自己責任から逃れたくて
苦し紛れに言った「自己責任論」の尻馬に載って野次や罵声を上げていた
人たちは、一度冷静になってその辺りを考えてみるべきです。為政者とい
うのは、失政をして都合が悪くなると、マスコミなどをうまく使い、スケ
ープゴート作りをして失政から国民の目を逸らそうとします。今回の小泉
さんがまさしくその典型です。でも、今回の人質事件の後に行なわれた世
論調査では、小泉さんは人気を挽回しています。

かつては欧米人に対する下らない劣等感もあって尻込みしてた日本人ですが、
そんな卑屈な劣等感を微塵も感じさせることもなく、欧米人に伍して
修羅場で救援活動をやろうという若者が出てきたことを
なぜ素直に喜べないのですかね。
欧米人に英語で話しかけられるとお愛想笑いをする「若くない者」の時代は
終わりつつあるのです。
若くない者はそれではどうしたら良いか。
ズバリ、若者が暴れられる場を提供してやることです。
その際、大局的に見て助言や叱責が必要であれば、
頭ごなしに叱るのではなく一緒になって考えてやるのです。
また、間違っても、最終的な責任を彼らに求めてはだめです。
身体が動かない分、若くない者はカネと責任負担をすればいいのです。

私はかつて、ジャーナリストの大先輩である岡村昭彦さんから
「3人の兄(姉)貴を持て」と言われました。
私は幸運にも何十人もの先輩に育てられました。
勿論育てられっぱなしではそれで終わりです。
継承していかなければなりません。
彼の言葉を裏返せば「3人の弟(妹)」を持て」、
つまりは、後輩を育てろということだと思います。
今日本では、あちこちで我々「団塊の世代」と後輩達の間で
世代間格差が表面化しています。
それは、いつまでも我々の世代が、「現役」にこだわっているからでしょう。
肝要なのは、いかに後継者を育てるか、です。

若者が失敗を恐れて冒険をしなくなったら社会は輝きを失ってしまいます

私はこんな情勢だから声を高らかに訴えます。
「若者よ、失敗を恐れず、荒野を目指せ!」と。



2004年04月26日(月) ここまで言うか?

asahi com.に行ってみたら、こんな記事が。。。

・・・・・・・
自民党の柏村武昭・参院議員(広島選挙区)が、26日の参院決算委員会で、
イラク人質事件に関して人質になった人たちを「反日的分子」と批判した。
さらに、外国人犯罪についての質疑では、「中国なんてろくな裁判もない」
などと発言した。

人質事件にかかった費用などについて、
「人質の中には自衛隊のイラク派遣に公然と反対していた人もいるらしい。
 そんな反政府、反日的分子のために血税を用いることは
 強烈な違和感、不快感を持たざるを得ない」と発言。中国については、
「刑務所の内にも外にも人権なんてものは恐らくないんでしょう。
 それに比べれば日本の刑務所は楽園だ」と語った。

 野党委員からは
「自衛隊派遣に反対というだけで反日分子というのは不穏当だ」
などとの指摘があり、理事会で対応を協議することになった。

柏村氏は委員会後、
「中国については委員長に訂正を申し立てた。
 反日の部分は理事会の結果を待つ」と事務所を通じてコメントした。
・・・・・・・・

ここで一気に点数稼ぎ、と張り切ったんでしょうなぁ、、哀れなやっちゃ。
与党議員や閣僚にはこの種の暴言が目立つ。
大きな勢力に支えられているという安心感のためだろうか?
この勢力の後ろ盾を得れば国会議員にもなれる、と、
たいした考えもなしに滅私奉公に努めてきた結果なのだろうか?
ま、状況判断が甘すぎる。
野党議員も聞いている中で言っちゃいけませんよ。
こういう暴言や失言に接するたびに思うのは、
これだけ状況判断の甘い人たちが大胆な発言を得意そうに並べるのは、
彼らの仲間内では頻繁に交わされている当たり前の意見なのではないか、
ということだ。

さあて、、私も「反日的分子」らしいし、私も「血税」を使う対象外らしい。
貧乏くじ引きながらも割と一生懸命公務員教員やってるつもりなんだけど、、、

(眠い、、、きょうはここまで)




2004年04月25日(日) やっぱり変だよ

退避の「勧告」にもかかわらず、危険も承知で、人助けや真実のために
戦地に行かざるを得なかった人を冷酷に批判し続ける人たちが、
年金「強制」加入・納入を怠っていたズルな国会議員には何とお優しいこと。
参院幹事長青木「悪意があったわけではないと思う」
官房長官福田「今まで起こったことをとやかく言ってもしょうがない」
小泉クンに至っては、これ幸いという発言である。
「閣僚も気づかない、払わないことがあるんだから、
 どういう改善策があるか考えて行かなきゃならない」
ほほう、、年金制度をよく知らない人たちによって、
年金制度が審議されているというわけですね、、ほほう。。。
年金制度を大きく改めるつもりなら、ちゃんと勉強しなさいね。
「自分の責任」という観念がない人たちなんですね。
・・・なんて皮肉っぽく書くのはやめて、はっきり言おう。
年金制度を審議する立場にある以上、知らないはずがない。
勉強し尽くしてなきゃいけない。
知っててズルしていた悪意以外の何ものでもない。
それから、あの人質になった人たちだって「悪意があったわけではない」し
「起こったこと」で「とやかく言ってもしょうがない」のでは、、?



2004年04月24日(土) 「冬のソナタ」

かなり前から話題になっていたこの韓国ドラマを、見る機会はなかった。
見ようと思えば、レンタルで借りることもできるし、DVDを買えばいいが、
そうまでする気にもなれないでいた。
サントラ盤CDを取り寄せて、2、3の曲がとても気に入ったのだけれど、
それらが、かえってうんざりいらいらさせるほどのメロドラマを想像させて
ますますこのドラマを億劫に思わせていた。

先々週の夜中に、人質事件の報道を求めてチャンネルを切り換えていた時に、
このドラマの音楽を耳にして、そこでチャンネルの切り替えをやめた。
そうして、途中からだったけどこれをそのまま見続けたのが運の尽きだ。

昨夜、見ていなかった第1話を、インターネット配信で見た。
http://www.aii.co.jp/contents/sonata/vod.html のサイトで、
各話315円で1週間見放題になっている。
第1話だけは無料になっているので、昨日気軽に見てみた。
相手に心惹かれて行くようすがなかなかきめ細かく描かれている。
今夜の第4話でも同じことを強く感じた。

第1話でジュンサンは、母とサンヒョクの父とが並んで写っている写真を
持っているが、実はその写真の右の方は破られているようだ。
ジュンサンはその写真を手がかりに、
自分の父はサンヒョクの父だということを確かめようとしているらしい。
ところが、第1部の終わりがけ、ユジンの父の法事の場面で、
アルバムの中の1枚の写真がかなり長く映される。
それは、ジュンサンが持っている写真と同じもので、破られていない。
その破られてない部分には、ユジンの父が写っていて、
真ん中で笑っているジュンサンの母は、ユジンの父と腕を組んでいる。
どうやら、ジュンサンとユジンが異母兄弟のようなほのめかしである。

そんなことは主役の2人にわからぬまま、
ユジンは、幼なじみのサンヒョクの求愛を真剣に受け止めぬまま、
ひたすらジュンサンに惹かれて行く。
ところが、クリスマスの夜だったかに(第2話のことはもう忘れている)
ユジンが街路樹の下でジュンサンを待っていた時に、
ジュンサンは交通事故で死んでしまう。
第3話はその10年後である。
ユジンの心の整理はかなり時間を要したらしい。
やっとユジンとサンヒョクは婚約して、そのパーティーの夜である。
韓国の婚約パーティーは、日本の披露宴のような規模でやるらしい。
仕事が終わってその会場に向かうユジンの目に、
ジュンサンと同じ顔をした男が、ジュンサンと同じく落ちてくる雪を
楽しみながら歩いている姿が入った。
ユジンはその姿を追い求めて、パーティーをすっぽかしてしまう。
(思わず涙を誘う場面だ)
しかしそれは幻想だったのでなく、実際にその男は仕事の依頼者として、
また、ジュンサンの時の恋敵のチェリンの恋人として再び現れる。

しばらくは、この4人の間の恋愛葛藤が描かれることだろう。
うんざりするような展開を見させられることになりそうだ。
しかし、まずこのジュンサンと同じ顔をしたミンヒョンの正体が問題だ。
そして、今のところは、残酷な運命に遭ったユジンを見守っているところだ。



2004年04月23日(金) 「半落ち」

4月から図書部の一員という気楽な立場になって、司書室にも机があるので、
司書室で仕事することが多くなった。
静かでいい場所である。

春休みの終わりかけに横山秀夫の「半落ち」を見つけて読み始めたが、
新学期が始まったら慌ただしくて、まったく読むゆとりがなく、
借りて帰ることはしないで、ずっと司書室の自分の机の上に置いていた。
3、4日前からまた読み始めて、きょう読み終えた。

アルツハイマー病の妻に、殺して、死なせて、と請われて、
妻を殺したかっこうになってしまった警察官の話で、自首してきたものの、妻が死んでから自首するまでの2日間については完全黙秘(だから半落ち)。
実直なことで警察仲間に知られる梶の殺人事件というだけで衝撃なのに、
その梶が、妻の死後、新宿歌舞伎町に行ったらしい疑いがあり、
警察は、警察の名誉のために、虚偽の供述書を作り、隠蔽工作をする。
その隠蔽された2日間の謎をめぐって、刑事、検察、新聞記者、弁護士、
裁判官、刑務所員の6人の、事件との関わりが順に描かれて行く。
それぞれが重い過去をひきずって、今の悪戦苦闘に駆られている感じだ。

梶クンひとりだけは、静かに、澄んだ目で、運命に身を委ねて、
その空白の2日間については決して真実を語ろうとしない。
小説のラストでそれは明らかになる。
それもまた、彼自身が引きずってきた哀しい過去に理由を持つ、
あの2日間にどうしてもしておかなければならない行動だったのだ。
もちろん、誰もが読みながら想像するように、
歌舞伎町へ遊びに行ったわけでもなく、愛人や隠し子がいたわけでもない。
私はこの種のミステリーを、おもしろいと思って読んでも、涙することは
めったにないのだが、最後の最後に思わず泣いてしまった。
是非映画も見てみたいものだ。



2004年04月22日(木) 今夜も休刊

今夜はやたらと眠い。
諦めて寝るとしよう。



2004年04月21日(水) 「自己責任」という言葉

昨日、ご本家の天声人語(笑)を読んで、ハッと気づかされた。
「自己責任」という言葉を聞くたびに感じていた違和感というか、
何か妙に重圧的な響きである。
天声人語の筆者は、戦後すぐから政治・経済面で時折使われていたが、
「今回の使われ方には、なぜか、聞きづらさが感じられる」と言って、
その言葉の意味を究明しようとしている。

・・・・・・・
辞書の「責任」にはこうある。
「自分が引き受けて行わなければならない任務。義務」
「自分のしたことの結果について責めを負うこと」
「責任」という言葉そのものの中に
「自分の」という意味合いがあるように見える。

今回の「自己責任」には
「自分でしたことの結果に『自分だけで』責めを負う」
というような強調が感じられる。
責任に、もうひとつ「自己」を重ねたところが重苦しい。
・・・・・・・

あ、なーるほど、、重複表現だから違和感や重圧感を感じたんだ〜、、と
ハッと気づかされた(古語では「おどろかれぬ」というやつだ)のである。
普通、わざわざ「自己責任」なんて言わないもんなぁ、、、、、、あっっ!
そうかぁ、、、なーるほど〜、、、ともうひとつハッと気づかされた。
この言葉を使い、流行らせた人たちには、「責任」というものは、
逃れたり、転嫁したり、弱き立場の者に肩代わりさせるものであって、
自分で負うべきものなんかじゃないんだ!
そう考えてみると、思い当たる事例はいくらでもありそうだし。。。
だから、わざわざ「自己」責任なんて言わなきゃならないんだ。

我々の語感では「責任」といえば、自分のことでしかない。
「自由と責任」と言うときに、わざわざ「自由と自己責任」なんて言わない。
けれども、「自己責任」と言わないと「自分で引き受ける責め」にならない、
そういう人種もいるということだ。
異なる文化圏に生きる人たちの言葉を理解するのは骨が折れるものである。

そして、今回の「自己責任」攻撃も、責任転嫁の実践のような気がする。



2004年04月20日(火) 本日休刊

塵語を簡単に書いて寝ようと思ったら、談話室に反論を見つけたので、
そのレスをしておいた。
それできょうはもう寝る時間なので、きょうの塵語は休刊である。



2004年04月19日(月) 高橋源一郎「人生相談」

朝日夕刊の文化欄の高橋源一郎の文章に拍手! である。
うれしい。最近の私たちの思いを実に痛快に書いてくれている。
私も昨夜、橋本さんちに
「あれほど、自衛隊を派遣するときには人道支援とうるさかった人たちが、
 援助に行こうとするやつは非国民かのように批判するとは。。。
 よく支援活動に行ってくれたなぁ、
 自衛隊派遣したせいで危険な目に遭わせて悪かったなぁ、と、
 感謝し、詫びを入れるべきは、政府の方ですよ」
と書いたのだった。

昨日帰国した3人は、何も語らず、会見も欠席した。
深刻なストレス障害だということだったが、
解放後に、想像を絶するほどの圧迫があったのだろうか?
ひょっとして、口封じ???

真相は何もわからないが、彼らを応援しなければならない。

全文書き写しちゃおうっと。長いけど。。。

・・・・・・・・

 わたしたちは、ついこの間、ある国へ行ってきました。そこで、劣化ウラン弾というものがどんなにたいへんな被害を与えているかを調べたり、見捨てられているストリートチルドレンの世話をしたり、「誤爆」で民衆がどんどん殺されていくのを止めるためにもカメラで現場を撮影したりしようと思いました。周りの人たちも、それはいいことだと言ってくれました。そしたら、ある日、わたしたちは誘拐され、人質にされてしまったのです。こわかった。死ぬかと思った。でも、やっと解放され、目の前に突き出されたマイクに「これからも同じ活動をしたいと思います」と言ったら、いろんな人たちに「反省しろ」とか「謝罪しろ」とか「迷惑をかけるな」とか「ふざけるな」とか言われています。いったいどうなっているのでしょう。わたしたちは間違っているのでしょうか。(匿名希望)

【答える人  高橋源一郎】
 「匿名希望」さんへ。お気の毒に。あなたの国では、どんなにいいことするより、他人に(あるいはお上に)迷惑をかけないことの方が大事なのでしょう。家に閉じこもって、テレビを見ながら「戦争か、たいへんだなあ」と鼻毛でも抜いてる人がいちばん立派なのでしょう。
 実を言うと、わたしの国でも同じようなことが起こっています。そのことについて書きます。もしかしたら、あなたたちの役に立つことができるかもしれないから。
 その前に、ひとつ言っておきますが、わたしはきわめて穏健な生活保守主義者です。わたしは、わたしの国の政府が、信じられないぐらい無能で嘘つきの集団だと思っていますが、だからといって革命を起こそうとは思いません。面倒くさいし。たいへんだし。
 それどころか、わたしは法律で規定された「国民の義務」を遵守しています。つまり、わたしは「寝食を忘れて」働いて得た収入から毎年何百万もの国税を政府に文句もいわずに納めています。そして、わたしは、わたしの払ったそのお金で、政府の役人や政治家たちを雇っているのです。わたしはわたしの義務を完全に果たしました。それ以上の義務はありません。あとは、政府の役人や政治家たちに、彼らの義務を果たしてもらうだけです。つまり、彼らにはするべき仕事をしてもらわなきゃなんない。
 ところが、ですよ。信じられないことに、わたしの国の政府の役人や政治家たちは、仕事をしたくないって言ってるみたいなんですねえ。

 実はわたしの国でも、イラクでボランティア活動をしている人やジャーナリストが誘拐され、人質にされました。そして、やっと解放された。よかったよかった。
 そしたら、その後、政府のエラい人が「『寝食を忘れて』救出活動をした人」のことを考えろとか、文句を言い出したんですよ。わけがわかんないとは、このことですよね。
 だって「国民の保護」は、彼らがいちばん先にやらなきゃならない仕事なんですから。やって当たり前。もしかしたら、政府の人たちは「人質の救済」は「サービス残業」みたいなもので、ほんとはやりたくないのに無理矢理やらされたと思ってるんでしょうか。法律を知らないんじゃないですか。
 それから「迷惑をかけた」と怒ってる人もいました。ヘンですね。その人はいったいどんな迷惑をかけられたんでしょう。わからない。少なくともわたしはぜんぜん迷惑をかけられていません。
 でも、人質の人たちのしたことが「迷惑」なら、そういう「迷惑」はどんどんかけてもらいたい。わたしの「血税」はそのために是非使ってもらいたい。大歓迎です。
 それから、「金がかかったから払ってもらえ」と言ってる人もいましたが、この人もヘンですねえ。だったら、その前に為替差損で何兆円も国に損をさせた人や、誰も来ないホテルを年金基金の金で建てた人に請求書を回しなさいよーーって言ったら、自分たちのところにものすごい額の請求書が来るから、イヤか。

 人質の人たちは、いいことをしようと思って個人で海外へ行ったんです。そしたら、彼らの力を超えたものに拉致された。そういう時のために、わたしたちは政府とか役人とかを雇っているわけです。「海外危険保険」を税金を出して買ってるわけ。まあ、ガードマンみたいなもんですよ。そしたら、「保険は効きません」と言われちゃった。どうやら、わたしたちは詐欺にあったみたいなんですね。

 アメリカ軍はイラクでがんがん女子ども老人をぶち殺しています。日本政府はもちろん見て見ぬふりです。
 そんな国の軍隊がのこのこ出かけてイラクの人たちの反感を買い、日本へのテロ攻撃の危険を増やしてしまったのを、民間のボランティアが(政府の意向に反して)民衆に向けて活動することで、その危険を減らしてくれたのです。
 彼らは、日本人の名誉を高め(その結果、日本の安全に寄与し)ました。ブッシュに気に入られることばかり考えているコイズミのような人間だけでなく、いい人間もいることを、イラクの人たちに証明してくれたからです。つまり、バカな政府の犯した過ちを、人質の人たちが償ってくれたのです。
 10万人軍隊を送るより、彼らの果たした役割の方が大きかった。だったら、政府や一部マスコミは、まず彼らに感謝状を贈るべきではないでしょうか。それが非難の嵐とは。
 わたしはわたしの国の人質の人たちこういいたいです−−−こんな恩知らずの国のことなんかもう放っておきなさい。
  (おわかりのことと思いますが、質問も筆者作です)

・・・・・・・・・



2004年04月18日(日) もう撤退しようよ

今朝10時に起きたときには、昨夜寝たときのことを覚えていなかった。
寝たのは2時過ぎだったと思うのだが、限界を感じて寝たのでわからない。
PCの電源は落としてなかった。
塵語が書きかけだったが、登録せずに終了したかと思ったら、
続きは明日、とか断って中断してあったので、そこまでは意識があった様だ。
でも、話が逸れているようなので書き直しておいた。

1週間の間、深夜遅くまでニュースを求めて寝不足だった上に、
一昨日から昨日にかけて難しい楽譜書きをしなければならなかったので、
昨日の夕方あたりからすさまじい疲れを感じつつ、練習に出かけた。
楽譜書きが一昨日までできずにいたのも、報道番組に夢中になっていたからだ。

人質が5人とも解放され、もう自衛隊が撤退しても、
「テロに屈して」撤退するという状況ではなくなった。
むしろ、より平和的に支援活動ができるよう、撤退するべきである。
この1週間ではっきりしたことは、
真の支援者には好意的であり、占領に荷担するものを敵視するということだ。
結局のところ大したことのできない自衛隊の駐留は、
やがて、サマーワ市民からも敵視されるようになるだろう。
政府は、自衛隊に犠牲者が出るのを望んでいるのではないかと
勘ぐりたくなってしまう。
そうして、日本国内に復讐感情が広がり、好戦ムードを演出し、
憲法改悪へと持ち込めれば、願ったり叶ったりみたいな。。。
そう勘ぐりたくなるほどに、政府の発言はいつも反平和的だ。

〈人道復興支援〉を旗印に自衛隊を派遣したのだったら、
今こそ、本当に人道支援のために自衛隊を撤退させて、
軍服を着ないで活動する人たちを派遣し保護し応援すべきである。



2004年04月17日(土) 厚顔無恥

やっぱりどう考えてもおかしい。
いくら志はりっぱでも、支援に行くのは禁止するというのは。
危険なところに行くな、というのは、そりゃ当然のことだ。
しかし、わざわざその危険な状況にしたのは政府なのだ。
他の選択肢もあったのに、他の選択肢は最初から捨ててしまって、
たったひとつの価値以外は悪いことだらけの自衛隊派遣を断行してしまった。
たったひとつの価値、というのは、
ブッシュ政権からお友達として認めてもらえるだけの価値である。
それにしても、日本はいつの間にアメリカの隷属国になったのであろうか?
いくら協力関係を結ぶにしても、日本は独立国家ではないのか?
日本国憲法の下にある首相が、なぜイラク攻撃を「支持します」と言えるか?
全世界の国民は「ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利
を有する」と主張するのが日本の首相の責務ではないのか!

3人の人質が「活動を続けたい」発言後の外相の記者会見を聞いて、
そのあまりに冷酷な響きに怒り、あきれた人が多いに違いない。
確かにそれは、自衛隊を派遣してしまった現状では当然の警告なんだろうが、
要するに、イラクの不幸な子どもたちは放っとけ、という意味である。
それを放っとけないで心痛めている人に対し、放っとけと言っているのだ。
そんなことを堂々とTVの前で言えるとは、どういう神経をしてるのだろう?

早い話が、日本政府はもうかなり前から参戦モードに入っているのだろう。
だから、何かというと「テロに屈しない」が最優先になる。
我々の感覚と違って、いつの間にか参戦感覚で思考しているに違いない。
だから、イラクの不幸な子どもたちは放っとけ、と言えるわけだ。
そして、〈敵国〉の子どものために出向くことを愚かだと言えるわけだ。
日本の指導的立場にある連中が次々に出てきて、その発言を繰り返す。

もっとも平和的な支援活動を邪魔しておいて、
事をますます荒立てるようなことをしておいて、
それがいかにも正義であって、そのために犠牲と服従を強いようとする、、
本当に恐ろしい連中である。



2004年04月16日(金) 批判高まるが、、、

めちゃくちゃになってきた。
渡航禁止を法制化しなきゃいかんなどとまで言い出している。
名目は安全のためだが、それは同時に、
真実を伝えようとするものを、真実に近づけさせないということにもなる。
これを機に、大本営発表の時代に戻そうというのか。
政府の連中は盛んに、志が立派なのはわかるけれども、
退避勧告が出ている中で、自分の行為の責任はしっかりわきまえよ、と
実に迷惑そうである。

「イラク攻撃を支持します」と自衛隊派兵がこういう事態の原因なのに、
そういう反省はいっさい彼方に追いやってしまって、
しゃあしゃあとこんなことを言ってのける神経がおそろしい。


その政府の連中がひれ伏しているブッシュ政権の国務長官パウエルの、
3人の人質に関するコメントだけは、まったく違っている。

「日本人は彼らを、自衛隊と同じく、誇りに思うべきだ」

危険を承知で行動する勇気がなければ、何ごとも前に進まない、
彼らの行動も、自衛隊の派遣もその点では同じだ、という要旨だった。
私はこの1週間、日本政府も迷惑そうだけど、
米政府もさぞかし迷惑がっているだろうし、
小泉クンはじめ政府の連中、針の筵だろうな、と思っていたので、
パウエルのこのコメントはかなり意外だった。
この違いは何だろうか?
個を尊重する国民性と、個を軽視する国民性の違いだろうか?
日本では、お上のすることに従わないやつは、ただのバカだ、ということだ。


クバイシ師が、小泉首相へのコメントとして、こう言っていた。

「私たちは、あなたよりも、日本人の生命を大切に思っています」
「今のファルージャは、広島や長崎よりも悲惨なありさまです」

これは、自分が解放のために尽力したのは、日本政府のためでなく、
実際にイラクのために働いてくれる日本人と、
米軍支援に来ている自衛隊撤退のために運動してくれた日本人のためだ、
と、言いたいのではないだろうか。
3人が託されてきた声明文の中でも、解放の理由として挙げられていたのは、
そういう内容だったらしい。

昨日、さまざまな方面から解放の呼びかけがあったにせよ、
結局は、アメリカの駆け引きの賜物なのかな? と考えたりもしたのだが、
実際に出てくる言葉は違っているようである。


今夜は楽譜書きの仕事にかまけて、報道番組を少ししか見れなかった。



2004年04月15日(木) 3人の解放

今朝、日本人の人質がさらに2人増えたというニュースが流れて、
ますます暗く、出口のなくなって行く様相になっていくようだったが、
さっき、8時40分頃TVをつけたら、人質3人が解放されたという速報が
画面の上に出ていた。
そのままTVをつけてたら、ニュースが始まり、
9時過ぎたころに3人の映像が画面に流れた。
バグダッドにある聖職者協会の事務所なるところに保護されているようだ。バグダッド近郊のモスクが引き渡し場所となり、聖職者が引き取りに行った。
この後、日本大使館に移されたようである。

さあ、知りたいのはこれからだ。
今夜中に3人の談話が入るだろうか。(9:30pm記)


解放の報告を受け、引き渡し方法の交渉をし、迎えに行った聖職者は
クベイシ師というそうだ。インタビューが報道された。
「ファルージャの現状について報告してくれるよう3人に頼みました」
そう、早く3人の報告を聞きたいものである。(10:00記)


今夜はもう3人の会見も談話もなさそうだ。
ただ、かの武装グループはこの3人に声明を託したようだ。

今朝、新たに日本人2人の拉致、イタリア人1人の殺害のニュースがあり、
ますますの泥沼化の様相を感じ、ますます出口が遠のきつつあると思った。
この日本人2人の報道が実に謎の多いものだったので、
いっそう悩ましい雰囲気になっているときに、3人の解放情報である。
意外な展開である。

ファルージャの停戦に伴う状況の変化があるのかもしれない。
シーア派の強硬派のサドル氏は、無条件和平の声明を出したそうだ。
また、3人の解放のニュースに、イラクの一般市民たちも大喜びしたそうだ。
それについて、イラク国内でも、もういい加減にしろ、という
雰囲気が高まっていたのではないかと見る人もあるようだ。
なお、今回解放が遅れたのは、部外者からの介入があったからだと、
クベイシ師が話していた。



2004年04月14日(水) 行った彼女らは悪くない

行ったやつらが悪いのさ、と平然と発言できる人がいる。
人質になった3人の家族も、頻繁にいやがらせを受けているようだ。
恐ろしい世の中である。
武力の脅威にも馴らされてしまうと、冷酷な人間が増えるものらしい。
だからこそ日本国憲法は武力行為を永遠に否定する努力を説いているのだ。

そもそも、小泉クンの「イラク攻撃を支持します」と、
自衛隊を派遣したことが間違っとる!!
さらに、「人道復興支援のために」派遣した自衛隊のことを、
1〜2ヶ月経ったころでも「自衛隊は何もしていない」と
サマワ市民に言わせていたのも失敗だ。

結局のところ、自衛隊はもともとの人道支援を邪魔するために派遣され、
イラクの支援者に人質の苦しみを味わわせるために派遣されたのである。
本来の目的が、ブッシュの占領政策への支援だったのだから当然だ。
政府は、やってはいけないことをやって人質事件のもとを作ったのだから、
ちゃんと誠心誠意その無謀な失策の責任を取らなきゃいけない。
行ったやつが悪いなんてのは言語道断である。

党首討論での、人質事件に関する小泉クンの答弁の、あの空虚さ。。。



2004年04月13日(火) 支援を妨げる支援

要するに「人道復興支援」の名目で自衛隊を派遣したことで、
さまざまな人道支援を邪魔しているし、
イラクのレジスタンス運動を激化させているのだ、と考えていたら、
きょう、こんなメールが入っていた。
「戦争を語り継ぐ」サイトの発言のひとつである。

・・・・・
人道支援とよばれる給水活動について、こんな資料があります。
☆自衛隊の給水能力は、80トン/日
 民間NPOの給水能力は1000〜2000トン/日
☆そのためにかかる自衛隊の費用は500億円弱⇒反対者も含めての税金
 民間NPOの費用は1億円(年間)⇒賛同者のカンパ
☆自衛隊の給水活動従事者は派遣隊員の1/10
 民間NPOの給水活動従事者は採用された現地人⇒失業者対策もかねる
・・・・・

そしてこの筆者は、こういう感想を書いている。

・・・・・
「高遠さんはじめNPOが国の人道支援の足を引っ張っている」のか
「国家がNPOの活動を自衛隊派遣で妨害している」のか
自分の意見をもつには、幾らかの情報を手にしないことには始まりません。
ところがその情報が非常に巧妙に国家の都合で流されているとしたら。
恐ろしい状況に、既になってしまっています。
・・・・・

こういう資料で信頼できるところを探りたいと思ったが、ちょっと見つからない。。。

ちなみに、題名の意味は、「人道支援を妨げる占領支援」である。



2004年04月12日(月) まだまだ人質問題

さっき、午後10時20分ごろ、報道ステーションで、
イラクの人質12人が解放されたという速報が入った、が、
その中に日本人が含まれているかはまだわかっていない。

昨夜遅く、24時間以内に自衛隊が撤退しないと人質のひとりを処刑する、
さらに12時間ごとにひとりずつ処刑する、という、
昨日とは掌返したような声明が入っていた。
さらに、副外相がファルージャに来て謝罪するなどの条件が加わった。
けれどもこれは、生インタビューに出演したドレイミなる人物が、
打ち合わせにないことを突然言い出したことらしい。
アルジャジーラとしては、録画だったら真偽を確認するまでカットするが、
生放送だったためにそのまま流れてしまった。
その後、宗教指導者がテレビ出演して、その発言の信憑性はないとした。
約束を守るように呼びかけていたようだ。
それからまた情報のない状態が続いた。
とにかく、何が本当なのかわからないままで、
人質12人が解放されたという速報にも、懐疑的にならざるをえない。

危険だと言ってるのに、行くなんてバカなやつらだ、と批判する人がいるが、
私はまったく逆の意見である。
だいたい、自衛隊を送るからより危険になるので行くな、というのが無茶だ。
人道復興支援など体裁だけで、米占領政策の支持表示だけが目的なのに、
人道支援の人々の邪魔をするとは何ごとだ、と言いたいところである。
撤退させることはテロに屈することになる、などと、
威張ったことをいえるほどのことを、政府は自衛隊にさせてきたのだろうか?
折に触れて書いてきたことだが、行った以上はさっさと支援活動をしてくれ、
でないと、幻滅とともに占領軍の一味としか見てもらえなくなるぞ、
と心配していたら、今回の事件である。
やっぱり、嘘っぱちからはぼろが出やすいものである。

今回、アルジャジーラ放送局の存在を知って思うのだが、
これをもっとしっかり利用すれば、自衛隊を送らなくても
復興支援は別の形でもっと現実的にできたのではないだろうか?
しかし、政府には自衛隊の派遣以外の選択肢はなかった。
派兵して占領政策の仲間入りすることが第一であって、
人道支援などは、そのための方便に過ぎなかったからである。
「テロに屈してはならない」という言葉はいかにもかっこよくて、
それに魅せられている国民も多いようだが、私には虚勢にしか聞こえない。

占領活動を重視する人たちは彼女らをバカだと罵るだろう。
支援と平和的解決を願う者は、彼女らを勇気ある人として讃える。
何とかしたいと思っても、今の生活を捨てて自ら行く勇気がない者だったら
なおさらそう思う。
そして、そういう人を絶対犠牲者にしてはいけないと思って見つめている。

それにしても、米兵の死者も今までなかったほど増えている中で、
アメリカの世論に関する報道がぜんぜんないのも不思議である。



2004年04月11日(日) 人質解放?

起きたのが10時半で、そのころには人質解放の声明が報道されていた。
NHKニュースの、人質犯側からの声明の要旨はこんな風である。

「小泉首相の発言は傲慢である。
 我々は、日本の政府が国民の意見を代表しているのではないことを知った。
 また、拘束した3人が、イラクの支援者であることとその家族のことを、
 アルジャジーラの報道などから知った。
 イスラム教スンニ派の指導者の説得に応じて、
 日本人3人を24時間以内に解放することを決めた。
 親愛なる日本国民は、日本政府に圧力をかけて
 自衛隊をイラクから撤退させてほしい」

また、今見つけた朝日新聞サイトでの要旨はこうなっている。

「我々は、3人の拘束に関して、市民の生命を軽視する日本政府の姿勢を
 大きな苦痛を伴って聞いた。
 日本政府は、日本国民に対して最低限の敬意を払っていない。
 ましてや、イラク国民の命について敬意を払っていると言えるのだろうか。
 日本政府の指導者が高慢な発言をしたことなどから確かなことは、
 日本の政治家たちは、国民の意思を反映しているのではなく、
 ブッシュやブレアの犯罪的な振る舞いに従っているということだ。
 我々は、日本の国民の声に耳を貸すことにした。

 米国は広島や長崎に原子爆弾を落とし、多くの人を殺害したように、ファルージャでも多くのイラク国民を殺し、破壊の限りを尽くした。ファルージャでは、米国は禁止された兵器を用いている。

 我々は外国の友好的な市民を殺すつもりはないと全世界に知らせたい。
 なぜなら、我々はイスラム宗教者委員会が我々に殺害を思いとどまるよう
 求めたことを今晩の報道や特別な情報源から知ったからだ。

 我々は、(3人の)日本人たちが占領国に汚されていないことを確認した。
 (人質の)日本人たちがイラク国民を応援していることや、
 家族の悲しみを考慮し、日本国民の姿勢も評価して、次のことを決めた。

 (1)我々は、イラクのイスラム宗教者委員会の求めに応えて、
    3人の日本人を24時間以内に解放する。

 (2)我々は、親愛なる日本の民衆に対して、日本政府に圧力をかけ、
    米国の占領に協力して違法な駐留を続ける自衛隊をイラクから
    撤退させるよう求める。」


ここまで見る限りでは、もっとも可能性が薄いと思われていた
最高の平和的解決に向かったという喜ばしい進展である。
こういう紛争の中にあっても、〈理解〉ということがありうるのだと、
新たな希望を感じさせてくれる進展である。
しかも、上の声明文と我々の思いは同じではないか。。。

その後の報道をずっとTVをつけっぱなしにして待っているのだが、
もう5時になろうとするのに、まだ速報は入ってこない。
2時か3時ごろには解放されているはずなのだが。。。
また後で、何か進展があれば書くことにしよう。(4:55PM 記)


午前0時を回ってしまった。
TV画面の上部に速報が流れることを期待しつつかなりTVを見たが、
新しい情報はなかなか入って来なかった。

毎日新聞のサイトに、23:37のニュースがある。

「カタールの衛星テレビ、アルジャジーラは11日、
 イラク日本人人質事件の仲介人を自称するイラク人権擁護組織代表
 ミゼル・ドレイミ氏との会見を放映、
 日本人3人を拉致したグループを傘下に置く武装組織指導者が
 自衛隊撤退を重ねて要求、受け入れられなければ
 24時間以内に人質1人を処刑すると警告したと伝えた。
 武装グループは要求が受け入れられない場合、
 12時間おきに別の2人も処刑すると脅しているという。
 日本政府も報道内容を把握し、真意などを確認中。
 ドレイミ氏がどういった人物かや武装グループとの関係など
 詳細は分かっておらず、信ぴょう性は不明だ。」

その30分ほど前の朝日新聞のサイトには、
川口外相のビデオメッセージの中で、イラクの復興支援について触れ、
「自衛隊もこのために派遣されているのです」と語った部分について、
人質の家族たちから「犯人側の反感を煽る」と削除を求められたが、
外務省は削除を受け入れず、そのまま米・英で放映された、とある。
そして、
「このビデオメッセージについては、人質3人の活動などを現地に伝え、
 解放を求めてきたフランスのNGO「グローバル・ウオッチ/パリ」も
 同日、バグダッドの友好団体から『人質解放の扉を閉ざす危険性がある』
 との警告を受け取ったことを明らかにした。」

この警告については、「戦争を語り継ぐ」サイトから入っている。

「日本政府へ、そして反戦市民、団体すべてへ
 アルジャジャーラにたいする川口外相の声明、外務省報道官の声明は、
 拉致グループを激怒させるに充分です。
 わたしたち、グローバル・ウオッチはバグダッド経由の警告を
 受け取りました。(パリ時間正午12時15分)
 これ以上、日本政府が自衛隊派兵の正当性を主張し、
 米軍と組んでイラク民衆を攻撃しようとするなら、
 人質解放の扉は閉ざされる危険性があるだろう、との警告です。

 『私たちは、日本政府がいっさいの無意味なアジテーションをやめ、
  今回の人質解放に繋がる道を開いたのは、政府の努力ではなく
  市民たちのネットワークであることを素直に認めるべきである。
  拉致グループを含め、イラク民衆が望んでいるのは、
  あらゆる外国の軍隊のプレザンスの退去であり、占領の早期終結です。
  以上のことが尊重されないなら、
  拉致された日本人の生命に万が一のことが起こった場合の
  あらゆる責任は日本政府にあると判断されても仕方がないでしょう』
 
   グローバル・ウォッチ/パリ    コリン・コバヤシ」

TVではこんなことはまったく報道されていない。
もしこんな事態になっているとしたら、またもやたいへん厄介な状況である。
「撤退せず」に意固地になっている政府は何を協議していることか、、、
いや、、? そういえば、さっき解散・自宅待機に入ったとか言ってたぞ?



2004年04月10日(土) 自宅映画館?

今夜は市吹の練習もあって遅くなったし、
11時台に2度目の報道番組探しをしてたら「冬のソナタ」をやってたので、
物語のそれまでの経緯を知らないままつい熱心にドラマを見てしまった。
わずかに垣間見た10時台の報道では、アメリカが特殊部隊の用意をしてるとか。。。
しかしまだ表立った進展はしていないようだ。


昼間の午後、先日届いた液晶プロジェクターの試運転をしてみた。
おまけとして届いたスクリーンが2mもあって、届いたとき驚いたが、
実際に映してみたらそんなに大きいわけではなかった。
横幅1m80?ほどの画面になる。
狭いリビングなので、離れて見られるのはせいぜい2mくらいである。
映画館で見る場合とよく似たバランスで見ていることになるだろう。

10万円で買ったプロジェクターだから、画像に不安はあったが、
なんのなんの、なかなか明るく鮮明な画像である。
ちょっと粒子が粗い感じを受けることもあるが、
実際に気になるのは字幕などの文字ぐらいで、普通には気にならない。
何といっても、大画面の魅力の方が勝っている。
外がまだ明るく晴れていて、リビングの中をまっ暗にはできなかったが、
それでも見ていて不満に感じることはなかった。
色も、格別ある色調に偏っているというようにも感じられない。
夜、室内をまっ暗にできれば、かなり映画館的になるだろう。

ホームシアターというのは若いころから実現不能な贅沢すぎる夢だったが、
こんな安価で実現するとはつい先日まで思っていなかった。
今のところ音はステレオにつないでいるけれど、
そう高価なものでなくていいから、スピーカーシステムをつけてみよう。



2004年04月09日(金) 始めに「撤退せず」あり

昨夜の人質問題について、報道上の目立った進展はない。
政府は人質の救出に全力を挙げるとは言うが、自衛隊撤退は選択肢にない。
テロに屈することになってはいけないから撤退はありえないとも言ってたし、
自衛隊は人道復興支援に行ってるだけだから撤退の必要はないとも言ってた。

この言葉に私はすごい違和感を覚えるのだが、
記者会見でも、これについて突っ込んだ質疑はなかったようだ。
人道支援目的の駐留なら、人命を守るために一時撤退すればよいではないか。
実際、今の状況では復興支援どころの騒ぎではないではないか。
今までだって大したことをせずに来てしまっているではないか。
テロに屈するべきではないかもしれないが、
もともとテロと闘うために自衛隊を派遣したわけではないし、
結果的にはテロの増殖に手を貸してしまったじゃないか。
自衛隊の何百人よりも高遠女史ひとりの方がよっぽどイラク支援をしてきた
のに、自衛隊を派遣したせいでそれを邪魔しているではないか。
ろくなことのできない自衛隊派遣が、善意の支援もできないようにし、
さらには、そういう人を生命の危険にさらしてしまったわけだ。

最初からわかりきっていたことだけれども、人道復興支援、は嘘八百である。
自衛隊は撤退しない、に対してアメリカ政府は感謝したそうだ。
戦闘するわけにもいかず、支援活動もできない自衛隊の駐留に
いったいどれほどの意味があるのか、これは相当な謎である。
そこにいてアメリカ支持を表明しているだけの存在意味かもしれない。
そのためにこれからも多くの人命を犠牲にしていくのだろう。
もしも、今回の人質事件の実行グループが特定でき、
強硬な救出作戦が成功するなんていうことがあったとしても、
政府はいばってはいけない、また別の恐怖が訪れるだけである。

なお、官房長官福田は、父がかつて言った「人命は地球よりも重い」に対し、
今は時代が違うと、こともなげに答えていた。




2004年04月08日(木) イラクでの急展開

昼に朝刊を読んで驚いた。
一面トップに「米軍、モスクを空爆 籠城40人以上死亡」という見出しだ。
3、4日前から、サドル率いるマフディ軍団と米軍との軍事的衝突が
ちょいちょい報道されていて、衝撃的映像も流されていた。
スンニ派でなく、フセイン政権崩壊を喜んだシーア派の抵抗運動で、
ついにこの時が来たか、といやーな思いで見ていたが、
朝刊を読んで、いよいよ占領軍の住民弾圧の印象が濃くなってきた。

米軍人の死者ももう600人に及んでいるというが、
ブッシュ側としては、ここでひるんでしまうと大統領選に影響するという
判断があって、今後より強硬に巻き返しを図りたい様子だ。
大統領という地位にしがみつくために、更におおぜい殺したいらしい。。。

夜になってテレビから聞こえてきたのは、
日本人のボランティア活動してる人2人とフリーカメラマン1人が人質に
とられ、3日以内に自衛隊が撤退しろという要求が報道された事件である。
これもまた、ついにここまで来たか、、という感じである。
外務省は、まだ情報収集に努めている段階らしい。
自衛隊撤退については考えていないというコメントだ。
自衛隊は人道復興支援に行っているのだから、撤退する必要はないと言う。

へえ〜? んで、何をしたの? と記者に突っ込んで欲しかったな。
川の工事をしてるのを1度ニュースで見たことはあったけど、、、
やっとこさ、そんなことから始めたの?? とハラハラしながら見ていた。
ここのところ、また支援活動よりも警戒の方に神経とがらせているようだし。
どういう計画で何のために派遣したのか、我々でさえ疑わしく思う。
現地の住民ならば、もっと性急に現実的な御利益を期待しているだろうに。。

実はサマワでもデモが計画されたし、自衛隊駐屯地への投石もあったようだ。

泥沼のヴェトナム戦争を繰り返すことにならないうちに何とかしてほしいものだ。


朝刊の話題のもうひとつは、小泉クンの靖国参拝違憲判決である。
小泉クンはいろんな場面で違憲の罪を犯していると私は思っているので、
こんな判決くらいでは物足りないのであるが、それにしても、
「なぜ憲法違反なのかわからない」と16回も繰り返すとは、何だ?
勉強不足を露呈する発言じゃないか。
そんなに強い信念ならば、今までの批判を一蹴するほどの意見を言いなさい。
わかりません、わかりませんばかりでは、怠けもんの高校生と同じである。


以上、大急ぎで思いつくままメモしておいた。



2004年04月07日(水) きのうの続き

1年生の総合学習が進路関係ばかりで閉口したことは先日書いた。
今度の2年生も初実践である。
教務主任がとりあえず作っていた計画では、
1学期:本校について調べよう。
2学期:地域のことを調べよう。
3学期:(忘れた)
というテーマでグループ研究と発表ということになっている。
もちろん、その合間合間に進路関係のイヴェントも入れられてはいるが、
大きな流れとしてのプランは、グループによる調べ学習ということらしい。

そう聞いただけで逃げ出したくなった。
グループ学習というのは、同じ問題意識の者が集まってやる特別活動なら
うまく機能するだろうが、大人数を均等割りして画一的に行えば
たいてい破綻するものである。
小・中学校などでとりあえず格好がついたりするのは、
意欲ない生徒をとりあえず放っとくか付いてまわりにしておいて、
意識の高い生徒が何とかまとめ上げたりするからである。
いろんな生徒がいるからこそ体裁を整えることのできる活動であって、
愛知県の高校は輪切り入試制度だから、体裁繕うことさえ至難の学校が多い。
本校のような学校では、まず個人レベルで、
得た知識・情報をもとに意見をまとめる段階に苦しむのである。
そんな気もまったくないはずだから、グループ学習なんてやらせたら、
結局のところ雑談に終始してしまうのは目に見えている。
もしグループ活動をさせたければ、単純実労働的作業にするべきであろう。

それに、この学校や、けちくさい地域のことを調べて何になろうか、、?
そんなことは小・中学校でも多く経験してきているではないか。
もっと広い社会に目を向けさせたいではないか。
そう考えて、昨年末と3月のこの検討会議では、
中東問題について、それに精通した学者の講演から始めて、
テーマ別研究、そして、文化祭での発表という提案をしてみたのだが、
方法について今ひとつ具体的にしきれなくて、うやむやになった。
またそれは、文化祭前の総合学習の時間が意外と少なかったせいでもある。

けれども、何とかして、本校や地域についてのグループ研究というのは
阻止したかった、そして、それは私だけの思いでもなさそうだった。
かといって、基礎学力増強のための特別学習時間にするとか、
単純に読書させる時間にするとか、そういう案が通りそうな雰囲気ではない。

そこで、小論文指導を入れましょう、と提案したのだった。
1年生からの進路学習の一環としての大義名分にもなるが、
もちろん私自身はそんなことに重きを置いていない。
どうせなら、社会に目を開く機会にしましょうというのが第一である。
そしてまた、小論文指導というか、「書く」ことの指導はどこかで
やらなきゃいけないが、国語科だけに任されてもやりきれないからである。

そんなわけで、昨日までに作った具体案はこんなものである。
テーマをたとえば「環境問題」とした場合に、
最近はそういうテーマ別にネタをまとめてくれている本があるので、
枚数は多くなるけれども、資料として配付する(資料選択が肝心だ)。
各自、そこから得たことや考えたことをメモして、
最後に600字か800字以内で小論文をまとめる。
書き方のコツは、現代文の授業で説明したり、演習したりする。
添削は、担任と副担任で分担する(最ももめそうなの難題がここだ)。
1テーマに3回、つまり3週を費やす。
情報の授業と連動して、自分の問題意識で調べる機会がもてると一層よい。
年間に3、4回できるとよい。

これとても、かなり勇気のいるプランである。
けれども、一口に「○○問題」といっても、いろいろな要素があり、
いろいろな見方や意見があるんだなぁ、と思う生徒が増えてほしい。
社会に対する視野を広げてほしい。
グループ学習という、実質的には邪魔し合う環境よりは、
まず、それぞれの生徒が、多かれ少なかれ、問題と関わってほしい。
担任・副担任による添削というのにはかなりの抵抗が予想されるが、
こういう形でないとなかなか小論文指導は回っていかない。

そして、もうひとつ私が密かにもくろんでいるのは、
こうして、生徒の読んだり書いたりする力を、多くの先生に見てもらって、
もっと本を読める生徒にしなきゃいかんという声を高めることである。



2004年04月06日(火) 総合学習の新案

きょうは入学式で、どんな係がつけられているかと要項を細かく読んでも、
1年生と総務部と、一部の主任と生徒指導部以外は何もない。
去年はいきなり1年生担任で、わけも分からずあたふたしていたものだが、
きょうは何の役割もなさそうである。
けれども、午後になるといろいろな日程にあたふたさせられた。
そのひとつが、2年生用の総合学習の計画会議で、
暇なはずの午前中も、それに向けての自身のための研究をしていた。
このことについて、明日続きを書くとしよう。
今夜は遅くなってしまった。



2004年04月05日(月) 歓送迎会

きょうは歓送迎会で、飲んでくたくたである。
週初めにこんな会を開いて、1週間どうする気だぃ、ってな感じである。
それでも帰ってからウイスキー2杯飲んで、これから寝るところである。
今夜はこれだけでやめておこうと思う。



2004年04月04日(日) 日の丸・君が代

「戦争を語り継ごうML」のメール版が毎日何通か入ってくるが、
日の丸・君が代問題についての橋本さんの意見に関連して、
ある人がこんなサイトを紹介していた。

「朝日 3月31日」
http://www.asahi.com/paper/editorial20040331.html
「読売 3月31日」
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20040330ig90.htm
「産経(産経抄) 4月1日」
http://www.sankei.co.jp/news/040401/morning/column.htm
「朝日 4月2日」
http://www.asahi.com/paper/editorial20040402.html
「産経 4月3日」
http://www.sankei.co.jp/news/040403/morning/editoria.htm
「朝日 4月4日」
http://www.asahi.com/paper/editorial.html

(この日記有料版にしたので簡単にリンクできるのかと思ったが、
 ボタンはあるのだけれど、ぜんぜんやり方がわからない、、)

朝日vs読売・産経の論戦である。
読売・産経は、日の丸・君が代を強制して当たり前派、
朝日は我々の常識的な線で、なにも強要までしなくても派のようだ。
それにしても、四半世紀前読売新聞を読んでいたころはそう感じなかったが、
実はあのころからこんなに右寄りの新聞だったのだろうか、、?
一昨日も似たような驚きを書いたのだが。。。

私自身は、儀式で自然に使われている分には、さして気にとめない方である。
体育大会で吹奏楽の演奏してくれと言われれば、文句言わずに指揮している。
国旗掲揚とのタイミングを気にしいしい指揮している。
一般的な儀式の場に、国歌や国旗が登場しても何の不思議はないのである。
学校の儀式だって、基本的には同じことである。

けれども、そこに強権が絡んでくるような様相を帯び始めると危険を感じる。
愛国心教育という言葉とともに国歌・国旗が強要されるとなると、
一方では侮蔑しながらも、一方では恐怖せざるをえなくなるのである。

侮蔑というのはなぜかというと、愛国心と国歌・国旗とは別物なのに、
国歌・国旗を押しつけることによって愛国心を育てようなどという考えに、
実に浅はかなものを感じてしまうからである。
そんなことしなくても、よほど不幸な生活をしてない限り、
たいていの子どもも大人も、自分が生まれ育って来たこの国を愛しているだろう。
スポーツの世界大会なんかになると、
私などは、戦争じゃないんだから、何も日本選手ばかり応援しなくても、、
と思うのだが、がんばれ!ニッポン! で大騒ぎになるではないか。
更に、日本の文化遺産や風物や言葉について知れば知るほど、
日本という国の特異性を愛してやまなくなるはずである。
こういう意味での愛国心は、国土を徹底的に守りたい方に向かうから、
反戦的な方向に向かうはずである。
だから、そうムキになって国歌・国旗を強要する必要などないのである。

その必要のないことにムキになるのは、
ムキになっている連中が求めているのが、そういう自然な愛国心でなく、
忠誠心だからである。
国歌と国旗を結びその先に見えてくる象徴的権威への忠誠心だからである。
それを、愛国心という美しい言葉でごまかしているわけである。
こういう意味での愛国心は、歴史が教えてくれているように、
好戦的な匂いを漂わせている。
いや、そんな生ぬるい表現は必要ないだろう。
忠誠心の強要は、戦時体制への準備だと言った方がよさそうだ。



2004年04月03日(土) 9台目のPC

午後市吹に出かける直前まで、PCの作業をしていた。
先日注文した格安VAIO が一昨日届いたので、その設置作業である。
このVAIO は私も使うのだが、娘の部屋に置くことになった。
勝手に私の部屋に入らないでよ! 
と娘から叱られるような親子関係ではないので、そういうことになった。
だから、まず、娘が今まで使っていた富士通のPCを、坊ずの部屋に移動。
今月からNHKの通信制高校生になる関係で、
窓機で安定したインターネットをできるようにしなければならなくなった。
すでにお古のiMac を持っているので、彼には窓機もお古である。
それから娘の部屋に、新しいVAIO を設置し、
一昨日注文しておいたルーターの子機がちょうど届いたので、
それでインターネットの設定をし、さらに簡易ラックを組み立てて、
私が以前使っていたプリンターを設置して使えるようにした。

私専用のPCは3台、妻専用が3台、娘専用が1台、坊ず専用が2台。
それぞれ事情があってそういう状況になっているが、
何か不具合が生じたときのメンテナンスは私ひとりの仕事である。
たいへんなことである。
プリンターも5台である。
当然、何か不具合があったら、メンテナンスは私の仕事である。



2004年04月02日(金) 着々と憲法改悪に?

昼に入ったピザ屋で、読売新聞を見てびっくりである。
予想していたことではあるが、あまりの速さにびっくりである。
読売の世論調査で、憲法改正(?)賛成が65%にもなったという。
その理由の多くは、現憲法下では国際貢献が難しいから、、なのだそうだ。
本当に大衆というものは恐ろしいものだ。
政府の策謀とマスコミの論調に、かくもあっけなく靡いてしまうとは、、!
まさか社説まで軽々しい発言をしていないだろうな、、と、読んでみたら、
早く改正(?)しなきゃいかん、みたいなことが書かれている。
四半世紀前もこんな右寄りの新聞だったっけ、、?

そうじゃないじゃないか!
今回の苦渋の派遣だって、そもそもは、さまざまな憲法違反の結果である。
外交にしろ国際貢献にしろ、憲法の精神に則って知恵を絞ってくれば、
今回のようないびつな事態は避けれたかもしれないのだ。
そういう努力を積み重ねた上で、現憲法の下では平和はありえない、と
結論するなら、まだしょうがないことだと思える。
はっきり言って、そういう努力がなされたと、胸はっては言えまい。
特に小泉クンになってから、憲法違反が露骨である。
だから今回のように困った事態にもなるのである。
憲法違反の積み重ねで進展してきた事態を憲法順守で解決できるわけがない。
悪いのは厚顔無恥の連中なのに、憲法のせいにしてしまうとは、、!

憲法前文にはこう書かれているのだ。
「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から
 永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、
 名誉ある地位を占めたいと思ふ。
 われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、
 平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 われらは、いづれの国家も、
 自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、
 政治道徳の法則は、普遍的なものであり、
 この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、
 他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

 日本国民は、国家の名誉にかけ、
 全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」

そして、第9条にこう書かれているわけだ。

「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
 国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
 国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」

わざわざ引用するまでもないのだが、こういう憲法の下で、
なぜ首相が、国連でも合意に至らなかった戦争を支持し、
軍隊を派遣できないことで後ろ指さされるような思いをしなければならないか、、?
今となっては自衛隊の派遣はやむをえない、と国民の多くが考える、
それは理解できないことではないけれども、
そんな情勢になってきたのは、数十年に渡る憲法軽視の政策の罪ではないか。
憲法が悪いのではない、それを軽んじた、、、というか、
それを邪険にしてきた政策にこそ罪があるのだ。
しっかり裁判のようなものをした上で国民投票を行って欲しいものだ。



2004年04月01日(木) 「シャレード」

1日中指導要録の所見書きをやっていて、頭がくちゃくちゃになった。
数年間のブランクがあって久しぶりなのと、
いくらエイプリルフールだからといって、虚偽の文章は書けないので、
たったひとり書くのにも10分も考え込んで悩みまくったりして、
やっとこさ書き上げた所見は、めちゃめちゃな文章になっている。
そんなことの連続なので、ほとほとイヤになってしまうのである。
虚しい無駄な作文に時間を費やすのは人生の無駄遣いだが、
こんな仕事をどうしてもやらなきゃいけないと強要してるのはどこのアホだ?

夕食後、まったく気分転換にDVDで「シャレード」を見た。
中学時代に映画館で見たきり、1度も見ていないが、
すごくおもしろかった記憶だけは残っていて、
先日、1500円のDVDを見つけたときに何となく買ってしまったのだ。
エイプリルフールのきょう、やっとその封印を解いて見ることになったが、
夫も、信頼する男も嘘つきばかり、、、という映画だった(笑)
ところどころ、うっすらと見たことがあるぐらいにしか思い出せなかったが、
最後の劇場の舞台での場面はよく覚えていた。

この歳になると、これぐらいのどんでん返しにはそう驚かなくなっているが、
中学生のころだったら、この結末は新鮮な驚きだったろう。
それよりも、コメディータッチのセリフのやりとりが何ともおしゃれである。
実に心地よい言葉のやりとりである。
そして、今にして思う、ヘップバーンのかわいらしさ。
中学生だったころは、そんなに美人じゃないじゃないか、と思っていた。
この感想はよく覚えている。
今夜の「シャレード」鑑賞は、ヘップバーン再発見の出発点にもなったようだ。


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