TENSEI塵語

2004年01月30日(金) 当たり番号

昨日になってふと思い立って、年賀状の番号を照合してみた。
照合する前は、今回くらいは1等も当たっているような気がするものである。
なーんとなくそんな気がするのである。
当たっていても何の不思議もないような気がするものである。
これは懸賞に応募する場合も同様である。
宝くじの場合でも同様である。
2、30枚買えば、億万長者はすぐ目の前というような気がするものである。
とにかく、当たっていても何の不思議もないような気がするのである。

けれども、10枚、20枚と見ていくうちに、問題外!!という気分に
変容し、次第に目の前にあった1等は、宇宙の彼方へと飛び去ってしまう。
けれども、根気よくはがきを照合し続ける。
通し番号ではない、ばらばらの番号だから、ぽこっと当たりが入っていても
おかしくないからである。
けれども、目の前の数字は相変わらず見当違いのところを飛び回っている。
結局、最近メール年賀に切り替わって減ったとはいえ、
80枚ほどある私個人宛の年賀状のうち、切手シートの当たりが2枚である。
下2ケタだけ一致したのが40分の1である。
去年も今年も、確率としては最低レベルである。
10枚ほど白紙のまま残っていた年賀はがきも照合してみたら、
切手シートが1枚、レターセット(下3ケタ)が1枚あった。
こちらは5分の1である。

それにしても、1等への道の何と長いことか。。。
割とまじめに年賀状のやりとりを始めてから20年余、
ほそぼそと始めてから40年、下3ケタまでしか当たったことがない。
4ケタ以上当たるまでには、あと何百年? 何千年?

いや、そうではない。
1等は常に目の前にあると同時に銀河の遙か彼方にもある。
1等はどこかにある、それが自分の家の中に舞い込むこともあるのだ。
それがたまたま大はずれで、長年過ぎているだけのことである。
100枚のうち99枚が問題外でも、1枚だけが1等で何の不思議もない。
照合するたびに、当たりは銀河の彼方に消えてしまうのだけれど、
喉元過ぎて忘れてしまえば、目の前に帰ってきてくれるわけである。
だから多くの人が性懲りもなく、宝くじの夢を買い続ける。

まぁ、お年玉年賀状の不振は、
今年の運をまだ使い果たさないでよかったと思うことにしよう。
ちなみに私は宝くじを買ったことがない。
億万長者を夢見ないでもないし、目の前にありそうにも思うのだが、
紙切れの束に何千円、何万円とつぎ込む気がしないからである。



2004年01月28日(水) 小還暦

十干と十二支の組み合わせが一巡する60歳が還暦で、
この場合、甲子、乙丑、、、と十干の方が上にあるので、
10年ごとに小還暦と言うべきかもしれないが、
十二支の方が一般的にわかりやすく広まっているから、
私自身はこれを小還暦と呼んでいる。(もちろん一般にはそんなものはない)
まあ、ちょっとした区切りである。

この前の小還暦の時は、36歳だったわけだが、
部活の生徒たちが祝ってくれたのを覚えている。
その前後7、8年の間、毎年部活の生徒が何らかの形で祝ってくれたのだが、
その年は誰々の時だったかをよく覚えているのである。
その10日ほど前に、
「○○ちゃんの誕生祝いしたいから、先生、おめでとうって書いて」
と言われて、B紙を何枚も張り合わせた紙に、筆で大きく書かされた字が、
その日部活に行くと前にでかでかと貼ってあったのだ。
してやられた〜、というわけである。はめられたのだ。
「自分でお祝い書いてる〜」と大笑いされて、短く派手なお祝い会が始まった。

それを思い出して、あれが12年前だとすると、
あれからいろんなことがあったものだなぁ、、、としみじみ思う。
大学卒業してから何か知らないうちに20年以上経ってしまったと思い、
いったい何してたんだろうみたいな虚しい思いにとらわれることもあるが、
こうして視点を変えて思い起こしてみると、何と多様であることか。。。
何ごとも、ふと視点を変えて眺めてみるとおもしろく眺められるものだ。

次の還暦のころには、目もろくに見えなくなっているだろうし、
頭もほとんど毛がなくなってるだろうし、よぼよぼしてるだろうし、
その反面、仕事からの解放という信じられないような夢の実現が待っている。
うーん、それより、ちゃんと生きてるかどうかもあやしいものだぞ。



2004年01月27日(火) 学力低下問題

学力低下は週5日制になったからだという意見がやけに採り上げられて、
また週6日制に戻そうかという声も聞こえてくるのであるが、
問題の本質は週5日制になったというところにあるわけではないので、
元に戻したところで、学力低下が治癒できるわけではない。
確かに、週5日制になるころから学力低下は顕著になり始めたかもしれない、
でも、だからそれが一番の原因だと考えるのは短絡的である。

私は週5日制にすることにはあまり賛成ではなかった。
教員だけ週5日制にすればいい。
教員には日曜日以外に、個々に休日を1日分割り振ればいい。
学校自体は週6日、生徒も週6日登校して勉強すればよいと思っていた。
文部省が土曜日を休みにするためにいろいろとこじつけた理想は、
あまりにも非現実的で実現しないし、
土曜日も子どもを休みにされては困るような仕事に従事している家庭も
あるに違いないと思ったからである。
あえて今までの慣習を変更する必然性を認めなかっただけで、
そのために学力低下を引き起こすことを心配したわけではない。

そもそも学力なんてのは、自分で勉強する子や自分で理解しようとする子、
それからまた、繰り返し接したり関わりを持った子は、伸びる、という
そういうものではないかと思う。
そもそも学力とは何か、どうあるべきかという問題をあっちに置いておけば
それだけのことではないかと思う。
それなのに、まず第一に、世の中の親が甘くなって、経済的にも恵まれて、
子どもにも辛抱強さや根気よさや集中力がなくなってきた。
そんな生育の過程で、テレビやゲームはますます競っておもしろさを追求し、
社会人の利器だったはずのケータイは、それだけでは儲からぬというわけで
だんだんと若い層から幼い層までターゲットにし続けてきた。
今や、小学生まで浸食している時代になっている。
芸能界は次々に新人を売り込んだりもして、大騒ぎする。
勉強どころではない環境を、社会が躍起になって作っている。
そんな中で、小学校などでは、宿題をバンバン出すことをやめて、
自由課題みたいな、中途半端な宿題を課す風潮が何年も前から広がっている。
こういう生活環境では、いくら自主自律の精神を育てるという理想でも、
かえって逆効果と言うしかない。
そんな中でまた、塾に通わなきゃ進学競争に勝てないとかいう
おかしな風潮がはびこって、塾に通う子どもが増える。
逆効果とは言わないけれど、その信仰には落とし穴がある。
塾への信仰が強まれば強まるほど、自分で勉強する子どもは減るということだ。

私は、学力低下の真の原因は、社会の自由競争のなれの果てだと思っている。
一方でそういうことを奨励しておきながら、一方で学力低下を憂うのは、
実にちぐはぐな社会ではないかと思う。



2004年01月26日(月) 国際交流?

昨日から妻が小学校の国際交流の活動のレポートを書いている。
今年度新しい赴任先で係になって、不本意ながら係として仕事した挙げ句、
報告書まで書かされているというわけだ。
そして、いつものことながら、文書の細かい修正とレイアウトと印刷を
私がやらされるわけである。

高校にもAETが来るが、小・中でもAETを採用して、
小学校ではわずかな英会話と、AETが紹介する外国文化に触れるわけだ。
私ははっきり言って、小学校でこんなことに金かけるよりも、
もっと他に金をかけなきゃいけないところがあるだろう、と腹立たしい。
中・高では、生きた英語に触れさせる目的が大なのだろうけれど、
それにしては、AETの一度に相手する生徒数が多すぎる。

お上のすることは、だいたいにおいて短絡的で形式的である。
生徒の実際を直視しないで、机上の空論で悦に入るからである。
また、そのためにもっとも大切なことは何か、ということを考えもしない。それで体裁だけとりあえず整えて、偉業を果たしたつもりになって威張る。
現場は実は困惑しつつも、体裁を整えるために四苦八苦させられる。
いつもこの構造である。

小学校のうちはこんな国際交流をしなくても、別に遅れをとったりしない。
鎖国状態でもないのだから、いろんな形で外国文化に触れているではないか。
日本の文化や歴史にもっと触れさせたいものである。
中・高に進んでも、それを重視してほしいものである。
私の古典の授業は、いつも日本文化ということを第一に意識している。
歌舞伎も落語もろくに知らない、和歌も俳句もろくに知らない、
12月8日も8月6、9、15日もろくろく知らない、、、で
国際交流してもバカにされるだけではないか。
国際交流、国際交流と体裁だけは整えるくせに、
どうして世界史と日本史のどちらかを履修すればいいことになっているのか?
地理などは履修してもしなくてもいい科目にさえなっている。
実におかしな話ではないか。
はちゃめちゃと言ってもいいくらいだ。

お上の方々の思考が短絡的で、現実をちっとも見ていないのは、
学力低下に対する反応にも表れているが、それは次回にしよう。



2004年01月25日(日) 学力問題

2日さぼってしまった。
一昨日は、進路検討会という虚しい会議で遅くなった。
昨日は、1年生の模擬テストで日中がつぶれた。
そんな中で、空いた時間を「ラチェット」につぎ込んでいたら、
知らぬ間に時間が経ってしまっていた。
ゲームをやりながら、人間に与えられた学習能力というのはすごいもんだ、
と、自分をほめてもいいようなところで、もっと大いなるものに驚いている。

この間、新聞で文科省が行ったとかいう10万人の高3生の学力テストとか、
100マス計算の是非とか、そんな記事を読んだ。

100マス計算、大いにやりなはれ、と思う。
何でもいいから、計算力の訓練は、理屈は後回しにしてやらせればいい。
小数や分数の100マス計算用紙もどんどん作ってやらせよう。
数字や計算が恐くなくなることも大切だ。
訓練すべきことはしっかり訓練させればいい。
その訓練の意味は、先に知っても後で知ってもかまわないではないか。
数学でも理科でも、計算力がおぼつかないために、
考えても成果にならず、理解できてても×になるなんて悲しいではないか。
そういう訓練も、頭を耕すために無駄になるとは思われない。
けれども、そればっかしやらせているとしたら、その教員はバカだ。

さて、学力テストの話だが、いろんな分野で、
予想点より平均が下回ったとかほぼ同じだとか言って一喜一憂しているが、
底辺校に近い高校ばかり勤務してきた私から見ると、
案外よくできるんじゃん、と感心するような次第である。

その学力テストのアンケートの方であるが、
「学校の授業以外にどれだけ勉強するか」の問いに対し、
「まったくしない」「ほとんどしない」は41%だそうである。
嘘でしょ? ホントにそんなもん??
ま、する方に応えたものの中には、塾や予備校組もいるだろう。
「勉強が好きだ」とは思わないのが、73%。
ま、これはこんなものでしょう。

私自身も高校時代まで勉強が大嫌いだった。
家で自分で勉強しないから、授業はわからなくなる。
授業はわからないから、授業が苦痛になる。
わからないことだらけになるから、
家で自分で勉強しようと思ってもめんどくさいばかりになる。
中学時代は、国数英だけは塾で予習させてもらっていたおかげで
トップ争いレベルだったが、その他の科目はコロンコロンだった。
自分で勉強するこではなかったからである。
高校の時は塾に行かなかったから、国語以外はコロンコロンだったわけだ。

最近しばしば思うのだが、集中カリキュラムはどうかな、と思う。
同じ科目を一定期間毎日続けるのである。
同じ学年の中で、時期によって時間割ががらっと変わる。
学力底辺校では特にそういった工夫が必要である。
前日の授業の記憶が新たなうちに次の授業を積み重ねて行く。
家で復習しない生徒が蔓延している現状の中では、
たとえば月曜と金曜に授業があるような場合だと、
ちんぷんかんぷんを積み重ねて虚空に楼閣を浮かべて行くような営みになる。
時々を1年間続けるよりは、毎日を3ヶ月ほど続ける方が認識が深まる。
運用上の困難はありそうだが、一考したいものである。



2004年01月22日(木) 2度目の積雪

朝から冷え込んでいた。
朝職場に着いて車を降りるとき、寒風の強いのに驚いた。
首をすくめて跳ねるように走りながら校舎に飛び込んだ。
授業に行くとき、これまで冬に入っても雨の日以外は、
3階の屋根のない渡りから教室棟に向かい、駐車場の愛車を眺めるのを
楽しんでいたけれど、きょうはさすがにそれを避けた。
1階の渡りのたった5mほど壁のないところさえ、
ヒョエーーッと声をあげずには歩けなかった。
こういう日はトイレに行くにも覚悟がいる。
廊下を10mも歩くと体が冷えてしまうからである。
もちろんこれよりはるかに寒い地方もあるわけだが、
それほどの防寒の備えをしていない。

帰り道にほんの2、3分だが吹雪のような中に入った。
細かい粉雪らしくて、このまま降り続けるとまたたく間に積もりそうだが、
すぐにやんでしまった。
それからしばらく降らなかったが、8時ごろ窓を見たら降っていた。
窓を開けて外を眺めると、2センチほど積もっているようだ。
しかしそれもすぐにやんでしまったようだ。
予報では、夜中の3時から明け方6時ごろに降りやすいようだけれど、
今見る雰囲気的予想では、雪はここまでで、
明朝は凍った雪が路上にまばらに残っている状態なのではないかと思う。

学校では風邪やインフルエンザで休む生徒や教員が増えつつある。



2004年01月21日(水) 憲法違反

民主党の代表が衆院本会議で、自衛隊派遣は「憲法違反の疑いがある」と
質問したそうだ。
この答弁はとっくにもう決まっている。
戦争に行くのではない、戦闘のために行くのではない、
非戦闘区域に復興支援活動に行くだけだから、憲法違反ではない。
結局、水掛け論で終わるだろう。

それより、明らかな憲法違反は、イラク攻撃の始まった日、
首相が勝手に「イラク攻撃を支持します」と言ってのけた瞬間だろう。
おいおい、嘘だろー、と思ったものである。
テレビ画面の中の小泉クンが、犯罪者の顔に見えたものである。
個人的には支持したくても、平和憲法の下にある国の首相として、
口が裂けても言ってはならない一言なのではなかったか。
憲法第9条と前文とを合わせ読めば絶対に口にできないはずである。
彼は、憲法をまったく知らないか、法を知ってても無視した首相である。
法は無視しても破ってもかまわない、ということを率先垂範している。
牢獄にぶち込んで反省させなきゃいけない。

そうして、戦争支持国として自衛隊を派遣しないと格好つかなくなった。
運よく自衛隊が何の戦闘にも巻き込まれず、イラク復興に貢献できると、
憲法違反であることは立証しにくいけれど(そしてそうあってほしいものだ)
首相のあの暴言は、どんな結果になろうと憲法無視の違反発言である。
彼は、戦争をやってください、とはっきり口にし、
イラク国民を「恐怖と欠乏」に追いやることに荷担したのだから。

そうしてまた、元旦の靖国参拝で、国際的な紛争のもとを蒔いている。

一度、国会で、首相に憲法前文と第9条を暗唱してもらったらどうだぃ?
ぜーんぜん頭に入ってないんとちがいまっか?



2004年01月20日(火) 派兵賛成派増加?

朝日の世論調査で、自衛隊派兵賛成40%、反対48%となったそうだ。
先月の調査では、賛成34%、反対55%だったそうだ。
賛否の差が縮まってきたことで、与党側は、
「自衛隊の活動に理解が深まりつつある」とコメントしているようだ。

たいていは、「今の世の流れじゃ、しょうがない」なんじゃないの?
戦後60年、民主的な制度にはなったとはいえ、
いつもいつも、この手で世論を動かされてきたのである。
日米安保や有事法案や今回の自衛隊のような問題だけではない。
年金や増税の問題でも同じである。
もとを正せば、過去の曖昧にされた政治家たちの過ちにあるのだ。
そこはもう既成事実として放っておいて、
さまざまな無理難題を強引に持ち込んで、国民が、
「今の世の流れじゃ、しょうがない」と思うようになるのを待つわけだ。

私自身は、自衛隊派兵は憲法改悪への具体的ステップだと解釈しているので、
他の状況がどうあれ、派遣反対である。
むしろ、こういう状況にしてしまった責任を、
今まで政府内外で暗躍してきた連中は責任をとらなければならないはずだ。
さまざまな過ちには目をつぶり、国民に不幸な時代を押しつけ、それを
「時代の流れだから」と諦めさせる、それが日本の政治の常套手段なのだ。
(消費税導入問題のころに、当時と過去を見渡してそう思ったのである)
こういう意味では、戦前も戦後も何ら変わっていないのではないかと思う。
いい加減しろ、と思うのだが、いつも大衆が靡いていくものだからどうしようもない。



2004年01月19日(月) 全クリ〜!・・ん?

夕食後、「ラチェット&クランク」のラスボス戦(最後の大物との戦い)に
挑戦したら、2回目に勝ってしまった。
これだけで3、4日はぜったいにかかるぞと思っていたが、
前作に比べると実にあっけない終わりだった。
それでも、ひとつの困難な行程を制覇した喜びは、ゲームも同じである。
幾多の試練を乗り越えて、、、というやつで、
ゲームだからといって決して侮ってはいけないのである。
まだドキドキや興奮のさめない中での感動(?)のエンディング、、、

前作ではこの後、それまでに手に入れた武器等をそのまま持って、
ゲームの最初に戻って、2巡目に入った。
それで、強力な武器で弱い敵を倒しながら、それでも意義があったのは、
まだ行ってない隠された場所に行って、アイテムを稼いでいたからだ。
今回は、自分でいくつもの隠された場所を見つけて行っていたので、
2巡目をやる意欲はもうほとんどなくなっていたのである。
だから、全クリすれば今夜でこのゲームは終了する予定だった。
ところが、2巡目に入ってみたら敵キャラの強さは1巡目の後半くらいで、2巡目も、かなり厳しい戦いの旅になりそうな気配である。
より強力な武器が買いやすいように、
無傷で戦い続ければ、お金にあたるアイテムが何倍にも増えて得られる
という趣向も盛り込まれている。
んなわけで、まだまだやめるわけにはいかなくなってしまった。



2004年01月18日(日) 「砂の器」

連ドラで「砂の器」が始まった。
「白い巨塔」もそうだけど、過去に定番と評されるほどの映画やドラマが
あるのに、リメークしようというのは、何らか勝算があるからだろう。
前作をどのような形で凌ぐのか、実に興味深いところである。
「白い巨塔」は、田宮二郎のドラマの方は見ていないけれど、
映画の方と比べると、今のドラマはかなりうまく行っているようだ。

連ドラ版「砂の器」は、どういう音楽家の役にするかな、と
第一の興味だったが、映画と同じくピアノ弾きで、
映画と同じく叙情的な「宿命」を作曲し、巡礼の旅と重ね合わせるようだ。
やっぱりこれで行くしかないんかぃ、って感じだが、
どんな映像と音楽になるのか、これもまた実に楽しみなところである。
映画では暗示的に過ぎなかった、和賀が過去を暴かれるのを恐れて
三木を殺してしまった、その隠蔽に苦慮し、捜査の手を警戒する中で、
どうしようもない思いから「宿命」のメロディーが生まれてくる様子が、
きょうのドラマ第1回では克明に、緊張感をもって描かれていた。
早くもちょっとだけ見せてくれた、「宿命」がバックに流れる巡礼の旅に、
早くもほろりと来てしまったのだった。

ただ、映画でもそうだったけど、こういう音楽家に設定すると、
たぶん、演奏会場面で、あまりの不自然さにしらけてしまうのである。
情緒的には、こういうタイプの音楽を入れたいのだろうけど、
演奏会の映像は、よっぽと気をつけないとドラマを台無しにしてしまう。
実際、きょうのチャイコフスキーのコンチェルトの場面も冷や汗もんだった。
こういう場面も、演出家たちには妥協してほしくないものである。
それにもうひとつ、和賀役の中居クンは、眼の演技はがんばってたけど、
セリフの練習をもっとしっかりやってくれないと困る。気が抜けてしまう。
このあたりも、演出家たちには妥協してほしくないものである。
せっかくじっくり入念に画面が作られているので、妥協したらもったいない。

これで、日9の「砂の器」、月9の「プライド」、木10の「白い巨塔」と、
週のドラマが3本になってしまった。
私としてはこれが連ドラのリミットである。
三谷くん脚本の「新撰組」も第1回は見そびれて、2回目から見ようかなと
思っていたのだけれど、もうやめることにした。



2004年01月17日(土) ゲーム

「ラチェット&クランク」が佳境に入っている。
侮ってはいけない。
これは熾烈な知恵比べである。
ゲーム作者たちが仕掛けたものをどう読み取り、
反射的に、瞬時にどう応えていくか、という闘いである。
これまでに何度、いったい何をどうしろというんだー、と心で叫んだことか。
また、こんなことできるわけがない、と何度あきらめかけたことか。。。
けれども、観察と試行錯誤を繰り返しながら、次第に何をすべきかが
わかるようになり、難しい技術を要するところも何とかクリアできて行く。
ちゃんとゲームの挑戦者たちが学習しつつ克服できるように、
絶妙な兼ね合いで設計されているのが実にみごとである。



2004年01月15日(木) 入試

明後日からセンター試験で、明日はたいていの学校が事前指導をし、
その後会場の下見に行かせ(該当生徒は出席扱いだし、他の生徒は自習だ)、
当日は2日とも、6、7名の先生が応援に行き、出欠確認をし、、、
生徒の個人的な問題に、どうして高校の先生がこんなに大騒ぎするのか、
例年のことながら、私には、ばっかみたい、としか思われない。
さらにばっかみたいなのは、指定校推薦などでもう大学が決まってるのに、
そういう生徒たちにもセンター受験を義務づける風習である。
そのメリットが何らかあるから躍起になってそうしているだろうけれど、
入試というものにそういう意味づけをしたのはいったい何だったのだろう?

前任校では3年生の学年末考査は1月の下旬だったけれど、
今の学校では新学期すぐに終わらせてしまった。
そして特別時間割に入った。
来週からはもう半日授業にするそうである。
あと1ヶ月は登校するわけだけれど、落ち着かない状態だし、
受験から解放されている者には実に中途半端な期間である。
しかも、2月に入ると多くの生徒が受験に出かけて、
継続した授業もやりにくい、プリント学習でおもりをするような状態になる。

だいたい、1学期にAO入試、2学期に推薦入試、
3学期も半分過ぎないうちから一般入試と、実に迷惑なスケジュールだ。
こういう日程のために、学校行事の日程も影響を受けるし、
学校も生徒のこの個人的な問題に必要以上に首を突っ込むことになる。

いっそのこと、大学は9月か10月から始めてほしいものである。
3月に高校生が卒業する。
指定校推薦だけは3月にやってもらってよい。
4月から6月の間に一般推薦なりAO入試なりをやって、
7月に一般入試を行えばよい。
漱石の「三四郎」を読んで以来、そんな風に考えるようになった。
大学生の就職活動だって、6月末にでも卒業式をやって、
その後、就職活動に専念させればいいではないか。
今より人生設計が1年遅れることになるけれど、1年くらい何だ。

だいたい、高校教育は大学入試に左右され過ぎである。
情けないほど大学入試に侵されているのである。
病的状態である。
もっと長い目で見れば、そのいびつさをすぐに反省できるはずなのに、
世間の目が近眼なために、教師も近眼にならざるを得ないようだ。



2004年01月13日(火) 雪が降る?

今朝ラジオで気象協会が、自信ありげに積雪予報を語っていた。
今日の夕方から雪が降り始め、このあたりでも5センチか10センチ、
先月の初雪の時ほどではないだろうけど積もります、ということだった。
体感的にはなかなか雪にふさわしいほどの気温にはならなかったけれど、
夕方近くになって冷たい強風が吹き始め、
その風に同伴してきたように4時ごろから激しく降り始めた。
湿った重たい雪で、なかなかとけようとしない、先月積もった雪と似ていた。
5時も過ぎると、車や塀の上にはどんどん積もろうとしている。
このまま降り続くと明日の朝やっかいだなぁ、、と思ったら、
6時ごろにはやんで、その後再び降る気配がなくなってしまった。
もう深夜だが、廊下に出ても、雪が降る前のあの冷え込みは感じられない。
あの予報が人騒がせな予報であったことを祈りたいが、
それは通勤時のことを思って言っているだけで、内心はきわめて淋しい。
車で出かけなきゃいけないことを思うと、積雪は鬱陶しいのだけれど、
一面真っ白に覆われた朝を迎えるわくわくした感覚の方がうんと勝っている。

とにかくきょうは早く寝ようと思う。



2004年01月12日(月) ラーメンズ!!

昼ごろ起きて階下に下りたら、見慣れたHMVの小包が届いていた。
一昨日ネット注文しておいたラーメンズのDVDがもう届いたのだ。

去年の4月ごろだったか、patamama 姉さまに勧められて行ったサイトで、
「千葉!滋賀!佐賀!」というコントを上映していた。
といっても、フラッシュプレイヤーかなんかで、
固定された講義風景の絵に、台詞に合わせて吹き出しの字が出るだけのもの。
音声の方は、どうやら本物のライヴ録音らしい。
これがおかしくておかしくて、死にそうに笑えるので繰り返し聞き、
ダウンロードして、また好きなときに何度も聞き返していた。

数日前に久しぶりに聞いたら、この実際にコントを演じている連中が
気になって、坊ずに相談してみたら、ラーメンズはテレビにはまず出ない、
ほとんどビデオかDVDじゃないかなー、というので、
レンタル屋を2件回って見つからず、ネット検索して注文してみたのである。

検索したら、意外にも、何種類ものDVDが発売されていたのだが、
とりあえずすぐに送ってくれそうなものの中で、
ファンの投票によって決めたベスト10のコントを集めたものを注文した。
「千葉!滋賀!佐賀!」は入ってなかったけれど、
彼らのギャグや創作姿勢は、かなり私の好みにしっくりするようである。
短い前衛演劇を2人だけでやっているような趣もある。
このDVDは10作だけだが、どれにも意表をつくような趣向がある。
ちゃんと演技をしっかりやりながら、アホらしく笑わせているという感じだ。
台本もよく練ってあるなぁ、、と思わせることが多い。

きょうは1回ざっと見ただけだ。
そして、取り寄せの、届くのに1週間くらいかかるコント集も注文した。
またの機会にじっくり書くことになりそうだ。
昨年のサラ・ブライトマン並みにのめり込みそうな予感がする。



2004年01月11日(日) 鏡開き&おひまち

一昨日母から電話があって、小豆を煮る予定だから取りに来るように、との
ことだったので、今日の昼もらってきて、鏡餅を切ってぜんざいにした。
鏡餅も、家庭用の餅つき機で作ってるので、ほとんどかびていない。
子どものころ、田舎で臼でついた餅をもらっていたけれど、
もっと寒い地域にいたはずなのに、内部まですごいかびようだった。
臼でつくと、たぶん水分が多くなるせいだろう。
今はそれだけでなく、硬い餅も電子レンジで簡単に軟らかくなるので便利だ。
鏡餅を切ったり割ったりする作業だけは相変わらずなかなかの重労働だ。

たまたま日曜日になり、このようにしっかりと11日にやったのは珍しい。
平日にはなかなかできなくて、休日まで延期するばあいもあれば、
もうめんどうになって、ゴミ袋に入れて捨ててしまうことにもなりがちだ。

夜は町内の新年会で、私は初めて出席した。
この家に来てから14、5年になるが、ずっと義父が出ていた。
だから、今までは私自身居候をしているだけのような気楽な気分でいた。
数年前から、来年はもう代わりに出てくれよ、と言いつつも、
新年になると、何も私には知らされないままに、義父が出続けていた。
いよいよもう歳で疲れると言って、今年はしっかりと私の方に回ってきたが、
たぶん、そんな理由よりも、数年後に町内の役が回ってくるので、
今のうちに交代して町内の交流を始めておいた方がよい、という判断だろう。
皆目見当がつかないままに出てみたが、
5分もかからない昨年度の報告のあと、飲んでしゃべるだけだった。

義父はこれを「おひまち」といつも呼んでいた。
これを何で「おひまち」と呼ぶのかな、と思って調べてみると、
「農村などで田植えやとりいれの終わった時などに、
 集落の者が集まって会食や余興をすること」
などと書いてある。そのままだったら、秋の行事なのだろう。
2行目の意味だけが残って、町内の年1度の会合を「おひまち」と呼ぶようだ。

これで、にわかに町内のしがらみの中に取り込まれてしまった、という
何か妙に窮屈な雰囲気に包まれ始めた。
けれども、帰ってからそんなことにお構いなく、酔い覚ましにゲームで遊んだ。



2004年01月10日(土) 派遣命令出たそうな、、

朝刊のトップは、自衛隊派遣命令である。
昨日、陸上自衛隊先遣隊30名と、航空自衛隊本隊150名に、
イラク人道復興支援派遣命令が出たそうである。
陸自先遣隊は16日ごろクゥエートに行き、数日内にイラク入り、
空自の方は、下旬にクゥエートで先遣隊と合流、2月にイラク入りだそうだ。
写真は記者会見中の石破長官だ。
先月から、どうもこの顔が怖く見えてしょうがない。

行き先のサマワでは、自衛隊だけでなく企業も来るという誤解が膨らんで、
70%ほどいるらしい失業者たちが雇用を期待しているそうだ。
バグダッドからもバスで集まってきているそうである。
すでに米軍もオランダ軍も、そういう期待はずれからの批判を受けたようだ。
現地のボランティア団体が誤解を解くための集会を開いてくれるそうだが、
怖いのはテロ・ゲリラばかりではなさそうだ。
いっそのこと、大手土建屋をいくつか派遣して、
地元住民とともに、突貫工事みたく一気に町を整備してやったらどうだぃ?


きょうは夕方ごろからかなり疲労状態だ。きょうはここまで。。。



2004年01月09日(金) 6年前の慨嘆

休み明けといえば長年気が重いものであったが、今年は、
病み上がりということが重なっても、ほとんど苦にもならず、
そう緊張したり心構えしたりすることもなく、教室への足取りも平常である。
生徒の顔を見るのもちょっとは楽しみであるような、
要するに、普通の健全な教員生活が送れているということだ。

そういえば、一時期最悪の心境に陥ったことがあったなぁ、、と、
以前かつての同僚に送ったことのある年賀メールを探してみたら、
それは98年(だから6年前だ)のメールで、こう書いてあった。

・・・・・・
僕自身、本当は、もう今の高校生を見ているのが耐え難くなっています。
あと何年この仕事に耐えられるだろうかと言うくらいに。
Nクンがまだ本校にいたとき、彼が終礼から戻ってきて
誰かと雑談しているところへ通りかかると、生徒について文句を言っていて、
「反吐が出る」などとさえ言っていたことがあります。
僕は、まあ、そこまで言うもんじゃない、と思いながら聞いていましたが、
最近はそこまで言いたくなってしまいます。
サルトル的な「嘔吐」の感覚です。
以前は、放課などに教室に行くのも、半分義務的、半分楽しみみたいな
ところがありましたが、このごろは、義務も放棄し、
できるだけ生徒を見たくなくて、喫煙室に根を生やしたように座っています。
教室に行っても、無駄な注意を最小限にするために、
今怒るかしばらく様子を見るかを選別しながら、
見ない振りをするために目を逸らすことが増えてきました。
かなり堕落してきましたね。
 
戦後民主主義が、何とかいい方向に向かいつつあったのは、
戦後20年か30年の間であって、50年を過ぎた今を見てみると、
若者の甘えとわがままと怠惰と礼儀知らずを助長してきただけではないか、
と腹立たしくなります。
僕らの若かった頃の大人も同じ思いだったかも知れませんが、
だから、「助長」という言葉を使うことにしています。
本校の生徒を見ているだけでも、数年前と比較するだけでも、
全然違う気がします。入ってくる生徒のレベルが下がっているのも
確かですが、そういう問題ではなく、気質が違います。
・・・・・・・


すでにあのころルーズソックスやミニスカートや男子のシャツ出しが流行り、
ピアスも流行っていたのではないかと思う。
その上高校生がケータイを持ち始め、ジベタリアンが蔓延し始めた。
校舎内が退廃の極みといいたいほどに、けだるい風景に支配されていた。

その前の学年までは、私はよく休み時間に教室に出かけていたのである。
生徒に用ができても職員室に呼び出さず、教室に行くようにすると、
ついでに他の生徒にも声をかけられるし、生徒たちの観察もできる。
そういうことが実に気楽にできていた。
ところが、この年度は、教室に顔を出すのがイヤになったのである。
行けば、見逃せない、注意しなければならないことだらけである。
特定の生徒に用事があっても、そこまで行き着けないこともあった。
見とがめて注意しても、その反応は暖簾のようだし、象のようでもある。
刃向かってくるようなことはほとんどなくても、
たとえば、ただ立ち上がらせるだけにでも5分かかるようなものである。
目の前の群れが、生きた人間の若者だとはとうてい思えず、
正体不明の軟体生物か得体の知れない無機的存在にしか感じられなくなった。
怒ったり腹を立てたりするより前に、まず気持ち悪いのである。

さいわい、地べたに座る風習はわりと早く廃れて、
2、3年もするとあんなひどい光景からは解放されるようになったけれど、
他の愚かしい流行は一部の生徒の間でエスカレートするばかりだし、
不愉快で目をそむけたくなるような雰囲気は続いていた。
授業中ぐたぐたしがちな生徒も、年々増えるばかりだった。
この仕事にあと何年耐えられるか、1年辛抱してみるか、という思いは続いた。



2004年01月08日(木) 楽団員の給与査定?

間違えて昨日の新聞をめくったら、昨日は見落としていた記事が目に入った。
「楽団員の給与 査定できる?」という見出しである。
東京都交響楽団に、職能給制が導入されるという。
うーーん、どういうことかいなぁ、、、
ヴァイオリンは弾きっぱなしで譜面も多いから給料が高くて、
出番がないときもあれば、1時間近い曲の中でも1カ所しか出番が
ないこともあるようなシンバルやドラの奏者なんかは月給1万円とか、、?
そんな虐げ方したりしたら肝心なときに大事な奏者がいなくて困るぞ。

そんなんではないらしい。こんな評価基準が例としてあげられている。

・音楽的調和に努め、自己の演奏能力を最大限発揮した。
・聴衆に不快感を与えないようステージ・マナーを励行した。

ん? そんな気持ちのない楽団員がいるのかいな?
わざと音程を外して不調和に努めたりする人がいるとは思われないが、
いるようならその人は首にするか、しばらく謹慎であろう。
管楽器などソロ楽器の場合は、きょうは手抜きしてるなとわかることも
あるだろうが、大勢が一斉に弾いている弦楽器の場合、
誰が最大限能力を発揮していて誰が手抜きしているか、判定できるだろうか?
ステージマナーについても、見る人によってさまざまではないか。。。

評価基準は幾つかあるようだが、とりあえず3つしか紹介されていない。
もうひとつはあとで挙げる。

それよりこういう問題が出るたびに思うのは、誰が査定するかということだ。
好き嫌いの激しい音楽家がするのか、音楽について知らない役人がするのか。
公明正大な客観的査定のできる人材を、
いったい誰が保証して推薦できるというのか。
上に立つものにはそういう立派な人間は皆無であるというつもりはないが、
多くはおべっかを駆使して成り上がり、自らもおべっかに弱い連中である。
教員評価制度でも、一番問題になるのはそこである。
我々はすでに判断を誤っていた校長を複数見ているのである。
さらには、正論を唱える者を敵視し、正論を捨てて擦り寄ってきた者を
かわいがる管理職を見てきているのである。
そんな人間が評価だの査定を始めたりしたらどういうことになるのだ、
という問題である。
残念ながら、そういう人事のからくりがどうなっているのかわからないが、
もうその時点ですでに、見る目がない、という事態が大いにあるものだ。
「白い巨塔」など見ていても、里見のような医師にこそ上に立ってほしいと、
誰もが願うではないか。でも彼は逆に追い出されてしまうのだ。
どこもかしこも、ただ上の言いなりになるような機構に持って行こうといるのだろうか。。。

さて、都響の話だが、こんな談話も載っている。
「オケの〈色〉とか何とか、専門的なことを言われてもよくわからない。
 我々のように、演奏会に足を運ばない素人にもわかる指標を作る義務が
 都響にはある。他のオケとは違い、税金を投入されているのだから」
この談話は、教育庁生涯学習スポーツ部計画課長の談話らしく、
どういう関係か知らないが、これが「担当部署」なんだそうである。
畑違いの部署に思われる上に、その課長自らが、「演奏会に足を運ばない」
と威張って話している、それが担当部署なんだそうである。
ますます不可解な話である。
何か、早い話が、めんどうなことをやいのやいの言って、
解体して厄介払いしてお金の負担から逃れたがっているだけにもみえるし。。

けれども、私は、税金で成り立っているという意味は理解したいと思う。
だから、評価基準に挙げられていたもうひとつのもの、

・楽団のステータスや知名度を高める努力を積極的に行った。

これだけあればいいんじゃないかなぁ、と思うのだが。。。
マーラーやベートーヴェンの聴衆も満足させ、その一方で、
演歌も民謡もヒット曲もヒーリングミュージックも日本の唱歌も、
何でもできて、いろいろな場面で感動させられるオーケストラであるとよい。
納税者のごく一部の趣味の対象というのでは、無駄の声も出るかも知れない。
それを堕落だのくだらんだの楽員が言うようであれば、
あなた方にとって音楽とは何ですか? と問い返さねばならなくなるだろう。
ま、楽員全員でなくても、「都民に愛される活動」に積極的で、
より幅広い活動に参加できる人はそれだけ報酬が多くてもよい。

ただ、ここにひとつ思い過ごしのような不安もちらと現れたりする。
これって、将来的に、国家・軍歌ばかり演奏させて国民意識高揚を手伝う
御用楽団にするための伏線なんじゃないの?・・・なぁんてね、
そんなのオケにさせなくっても、ちゃんと自衛隊や警察のバンドがあるから、
そんなことはないと思うけれど、だいたいあのおかしな評価制度みたいなのはたいていそんな臭いを漂わせているものだから、つい。。。



2004年01月07日(水) 風邪熱の後遺症

昨夜は、夕食後に3時間ほど眠って、11時ごろに起きて仕事して、
塵語にちょっとメモして、2時ごろに寝て、何度も目が覚めながら、
今朝6時半に起きた。目覚めては寝る営みに疲れて起きたようなものだ。
空腹感もあって、トーストを1枚食べ始めたが、半分ほどでイヤになった。
無理して食べ終えたけれど、どうも胃の働きだけはよろしくないようだ。
噂に聞く下痢にも悩まされていないし、喉や鼻もまだ無事なのであるが、
胃の重たい感じや吐き気みたいなものは、昨日ほどでないにしても続いてる。
昼前に自分がやるべき仕事は終わってしまったので、帰らせてもらって、
何とかうどん一杯すすって、夕方までぐっすり眠った。
夢を見た覚えもない。
夕飯に、いつも作るようなおかずを作って、それを食べることもできたが、
ビールを飲む気にはなれないし(いつもは熱が下がれば飲んでたのに)、
茶碗一杯のご飯がなかなか腹に入っていかない。

たぶん、ちょうど風邪がひどくなるのと宴会で飲食するのが
あまりにもタイミング良く一致したために、
風邪熱が本来の目的以上のことを達成してしまったのだろう。
それでふと思ったのだが、昨日眠っているときに、ふと鼻の痛みを覚えて
起き上がると、大量の鼻水で、すぐ鼻をかんだりしてたのだが、
異常に鼻の奥が痛むだけで、それっきり鼻水の症状はなくなってしまい、
痛みも治まってしまう、、、そんなことが3度ばかりあって、
不思議に思っていたのだが、あれはひょっとしたら胃液だったのかも。。。
そう考えてみると、胃液だったとしか思われない。
よっぽど激しく胃をやられてしまったとわかる。

ま、日ごろから酒などで胃を酷使しているわけだから、
こんな機会にでも、ゆっくり休ませてやらなきゃいけない。
明日はきっと元気を取り戻しているような気がする。

こういうときは、日ごろと生活のリズムが違うので、
何をしててもよそよそしく、仕事も思考もぶつ切れで宙づりになりがちだ。
それがいらだたしいものだ。



2004年01月06日(火) 久々の発熱に苦しむ

昨日は新年初出勤で、課題考査を作る分担をして、私の担当分の案を作った。
午後からは年休にしてあったので、帰路に昼食をとって帰宅した。
この昼食の時に、なーんとなく食欲がいつもどおりではなかったし、
その帰りに本屋に寄ろうと思っていたのが、億劫になってしまったあたり、
もう兆候が現れていたのかも知れない。
帰宅して、テストの問題だけは作り終えることができた。
そのころには、何か変に体のそこかしこがこってるなぁ、これはあぶない、
と思ったけれど、夜の会合を今になってキャンセルするわけにいかない。
吹奏楽連盟の支部の中・高の理事の新年会で、会場に私が一番近い。
私と幹事のために、この会場になったようなものである。
ま、遠い会場だったら用心して直前キャンセルもしたかも知れないが、
帰ろうと思えばすぐ帰れるし、直前キャンセルほど迷惑なものはないので、
とにかく出かけることにしたわけである。
途中まではビールも飲め、料理をつまむこともできたが、
途中からまったく受け付けなくなって、座っているのもつらくなってきた。
かなり腰に来ているようだ。
けれども、とにかくお開きの時間までは耐えて、それからすぐに帰った。

帰ってすぐ寝る用意をして、熱を計ったら37度6分だった。
この程度だったら、風邪薬を飲んで一晩真剣に寝ればたいてい治るはずだ、
と思って、一晩真剣に寝てみたけれど、今朝はまだ熱が下がってなかった。
きょう1日最も困ったのは、食欲がぜんぜんないだけでなく、
吐き気に悩まされるということだ。吐こうとしても何も出ない。
これほど吐き気に悩まされたという経験は、ちょっと覚えがない。
昼前に風邪薬を飲もうとして、空きっ腹ではまずいと思って、
何とかその時に口にしたのがポッキー4本だけである。
それから、夕方に熱が下がって、アロエヨーグルトをひとつ食べた。
夕飯の時に、お椀に一杯のうどんを休み休み食べた。
それからまた風邪薬を飲んで3時間ほど眠って、やっと仕事できる状態に
なったので、コーヒーを飲みながらテストの解答用紙を作ったところである。

熱にうなされる場合、うなされ方にもいろいろあるようで、
大学時代に、「鬼畜」という映画を見て帰った後、
2日間風邪熱に苦しんだときには、映画のさまざまな場面が夢に出て、
汗びっしょりになって起きたりしたものだし、
フッサールの現象学を勉強していたときは、解釈に悩んだ文章や
意識作用の図式が執拗に夢に現れて汗びっしょりになったものだった。
昨夜夢に何度となく現れたのは、兵士・武器・突撃である。
時折、私の前に数個の砲弾が宙に浮かんで並び、
そのうちのひとつが私の胃のあたりに近づいて、胃の痛みの象徴となる。
そうして、吐きそうになっては起き上がる、、、といった具合。。。
さて、今回のこのイメージは、戦争を憂え、自衛隊派兵を憂うためだろうか。
いやいや、そんな殊勝な人間だと思ってはいけない。
ゲームのやりすぎである。
そして、その前の晩からゲームができずにいたので、
やりたい一心の現れに過ぎなかったのだろう。

まーとにかく、苦しい苦しい1日であった。
運よくか運悪くか、明日の始業式には行けそうな具合である。
・・・うーん、、、正直なところをいえば、
今夜発熱して、明日はやむを得ず欠勤という形になってほしかったものである。



2004年01月04日(日) 初詣

今年初めて外に出た。久々に娑婆の空気を吸ったという感じである。
大晦日の夕方以来一度も外に出ずである。これはたぶん初めてだ。
庭にも出てないし、ベランダにすら出ていない。
別に大した外出でなく、年賀状を出し、食料の調達に行っただけである。
初詣も、子どもが小さかったころは、世間の慣習に触れさせるために、
必ず2日に出かけていたけれど、今は子どもは行きたいときには自分で行く。
ついでに回り道して、買いたいものを買ってきたりもする。
もうわざわざ世話焼くこともないので、私も神社なぞに行く必要もない。
神社なぞ行かなくても、正月でなくても、平和や幸福は祈れるものだ。

そんな風にあっさり割り切っている私も、
高校時代までは初詣はしなければならないものと教育されてきた。
友人と初詣に行っても、必ず家族とも初詣をしなければならないのだった。
小さいときからそうだったので、自然とそのような気分も作られていた。
けれども、高校時代の途中から、理性的な思考も入り始めて、
小さいころから培われた当たり前の気分に裂け目が入り始めてはいた。
(もちろんそれだけではなく、父親の激しい反共感情から支配されていた
 政治観・社会観にも、まったく違った変化が訪れ始めたのである。
 しかしこれはまた、別の話)

大学の、最後の年のその前の年だったと思うが、帰省しなかった。
東京で年を越そうと思って、年越しは仏文科時代の友人が泊まりに来た。
一晩飲み明かして、夜が明けたころ、明治神宮に行ってみようと思い立った。
初詣のメッカを一度見ておこうよ、という話になったのである。
神宮の周辺から、もう、すごい人である。
長い参道を、何列にもなってのろのろと進んで行く。実に長い時間である。
やっと、本殿前の広場に来た、そして、驚いた。
すぐ目に入るのは、本殿でも何でもない、機動隊(?)の列である。
これ以上中に入らないように、という意味で横一列に立ち塞がってるらしい。
皆、顔に透明の仮面をかぶっているのは、賽銭に当たるからであろう。
驚いたとたんに、ダーーーッと横や後ろから押された。
まるっきり戦場である。手を合わせようとしても、押されて立ち止まれない。
誰も彼も、自分が拝むことに無我夢中で場所を争っているかのようだ。
手を合わせる必要もない、これがありがたきメッカの現状だ、と、
見切りをつけてそのまま退場口の方に行って、友人の姿を探した。

これじゃちっとも初詣にならん、と言い合って、
上智大の前にあるイグナチオ教会に行こうということになった。
私はやや熱心な自称クリスチャン(聖書のイエス派である)だったにしても、
彼はそのころはそれほど信じてなかったはずであるが、つきあってくれた。
四谷で下りて、聖堂に入った。
・・・何という落ち着いた静寂の空間であろうか。。。
先の戦場がひどかったために、そこは実にありがたい場所であった。
並んだ長椅子の一画に座り、いろいろなことを思った。
こうして静かにいろいろな思いをめぐらせながら新年を迎えればいいのだと
心の底から知ったのだった。






2004年01月03日(土) 靖国参拝問題(2)

朝刊(朝日)を読んで、あきれてしまった。
テレビのニュースをまったく見ていないので、まずその写真にドキッである。
羽織袴姿で、神官に導かれて歩いている姿、、、いいんかいなー。。。
彼の言葉がいつも虚言で埋め尽くされていることは感じているが、
それにしても、インタビューの返答は何という愚かな返答であろうか。
現状と矛盾していることでも、しゃあしゃあと答えている。
テレビでも同じような言葉が伝えられたのだろう。
私のようなつまらない人間でも、こんな恥ずかしい返答はできない。
出演料100万円くれると言っても、断る。

Q なぜ元旦に参拝したのですか?
A 初詣という言葉があるように、日本の伝統じゃないですかね。
  多くの方々が各地の神社に参拝しています。いいことだと思います。

そんなら、いつもの格好で、いつも行ってるところに行けぃ!
だいたい、そんなこと聞いてるんじゃないんだよね。
記者も記者だ、なんでもうちょっと突っ込まないんだ?

Q 献花料は私費ですか?
A いつも通り。形式にはこだわりませんから。

靖国参拝自体が形式にこだわっている証拠なんだけどなぁ。。。
献花料は私費かも知れないけど、記事部分にはこうある。
「秘書官らに連絡が入ったのが午前9時ごろ。それから靖国神社に連絡して
 工事中の道路を首相の公用車が通れるようにし、、、」
むしろ、献花料を私費にしたことの方が形式的だったんじゃないの?

Q 自衛隊の安全も祈りましたか?
A ・・平和のありがたさ、これからも日本が平和のうちに繁栄するように、
  さまざまな思いを込めて参拝しました。

初詣に来て、自衛隊の安全を祈ってあげないとは、どういうわけだぃ?
それに、わざわざ戦火を広げることを支持してきた人が、
平和、平和としゃあしゃあと口にできるところがすごいところだ。
その何時間か前には、バクダッドでまた死傷者が出ているというのに。。。

極めつけは、次の応答である。

Q 中国などの反発が予想されますが。。。
A どこの国でも、その国の歴史や伝統を尊重することに
  とやかくは言わないと思います。
  そのへんは理解していただけると思います。
  (中国なども)だんだん理解していただけると思います。

そりゃあね、首相が「伝統行事としての初詣」をいつもの神社でしたって、
だれもとやかくは言わないけどね。。。
で、案の定、激しい反発が来ているようだ。

「侵略の歴史を反省するという、小泉首相の約束は破られた。
 こうした背信行為を中国人民は決して受け入れられない」
「新年早々、また隣国の被害者の傷口に塩をまき、
 人民の感情を傷つけただけでなく、日本の外交をも損ねた」
「小泉政権にはもう中日関係の強化は期待できない。
 首脳往来は今年も実現できないだろう」

私ははなはだ勉強不足なので、この過激な靖国への意識の真相が
今ひとつつかめないのだが、これが現実の反応なのである。
これをないがしろにして、安易に「理解していただける」と言ったり、
毎年のようにこうしてもめ事にしたりしているのは、憲法に反している。
なぜなら、憲法第9条で、戦争・戦力放棄という大胆な理想を掲げたのは、
ひとえに外交に配慮し、よき外交を作り上げていけと命じているからである。

まあ、小泉くんも苦しいのだろう。彼自身はイヤなのかもしれない。
総裁選で、靖国参拝を公約してしまったために、
苦しい選択を毎度毎度強いられているのかもしれない。
自民党内での約束よりも中国との約束を守る方が平和のためになると思うが、
とにかく恐ろしいのは、そんな公約をしないと総裁にしてもらえないという
自民党の体質である。何考えてんだ、あいつらは。
それにまた、そんな公約をしておきながら、
「侵略の行為を反省する」と軽々しく中国に言ってのけるのも恐ろしい。
その場しのぎの場当たり的な虚言を振りまいていると、ますます問題がこじれてしまうものだ。



2004年01月02日(金) 靖国参拝問題

一昨日「戦争を語り継ごうML」に登録したら、大量のメールが届き始めた。
意見交換を会員専用の掲示板で交わしているのが、メールでも逐一
配信されるらしく、他のメールとごちゃごちゃになりそうなので、
フィルタを設定して、自動的に専用フォルダに入るようにしておいた。
昨日、首相が元旦に靖国詣でをしたとかで、昨日から数通入っていたが、
年末にもちょいちょい靖国問題について議論がなされていた。

そういえば、私自身、以前この塵語の中に書いたなぁ、、いつだったかなぁ、
と、確か一昨年の8月、終戦記念日にするのをやめて日をずらすとか、
何かそんなようなごたごたを見て書いたことを思い出したので、
一昨年の8月の日記のところを読んでみた(ノートよりも便利である)。
読む前まで、どんなことを書いたのかなかなか思い出せなかったが、
読んでみて、、、自画自賛みたくなってはなはだ恐縮なのであるが、
なかなかいいこと言ってるじゃん、って感じである。
学問的議論の好きな人には何ともばかばかしい意見なのだろうけれど、
論議の焦点となっている靖国神社の歴史とか意味とかには触れずに、
公式参拝にこだわる政治家の愚行というところに焦点を置いてみたわけだ。
一部分引用してみると、、、

・・・・・・
とにかく、なぜ「参拝するぞ」と意地を張らなきゃいけないのか。
何も、そうムキになることはないのである。
慰霊なんてことは心の問題で、どこにいてもできる。
神社に祀られているとか言ったって、所詮は虚構である。
表面上の雰囲気を作っている仮の場所に過ぎない。(中略)
それよりも、海岸から海に向かい、大陸に向かって祈る方がよい。
そして最後にこの日本の大地にひれ伏して祈るのがよい。
犠牲者たちの霊は、まだそのあたりを恨みがましく漂っているかも知れない。
少なくとも、名簿登録されているだけの場所よりは実質的である。
それよりももっといいのは、戦争の恐れを払拭する日々の努力である。
戦争放棄の理念を実現するために最善の努力を惜しまないことである。
そもそも、国と国との過度な競争やもめ事をなくすことである。
それが、犠牲者たちに報いる最高の慰霊である。
形式的な慰霊にこだわって国家間のもめ事を大きくするのは愚かである。
・・・・・・

ま、私は儀式というものは嫌いだし、バカにしてもいるので、
何で他国の批判を受けながらも「参拝するぞー」と
これみよがしにあの場所に行きたがるのか、まったく理解できない。
あそこに行かなければお参りしたことにならない、と意固地になることこそ、
宗教的行為です、とわざわざ断っているようなものではないか。

それにしても、1年半前にはあれほど苦渋の決断を装って、
わざわざ日をずらして、、、賛否の両陣営のどちらも立てるように
配慮したにもかかわらず、昨日は元旦にしれっと参拝を済ませてしまった。
小泉くん、調子に乗ってなぁい???って感じである。
いよいよ自衛隊派兵が始めてしまったので、
靖国の多くの御霊に守護をお願いしたのだろうか。。。
彼らをお守りください、そうして、何人も血を流すことなく、
早く世界に平和が訪れますように、、、?
いやいや、私には別のセリフが聞こえてしまうのだ。
「お待たせしました。やっとあなた方の時代に近づきます。
 私が、ついに自衛隊を戦場に送り出すことに成功しました。
 やがて憲法は書きかえられ、自衛隊は軍隊となり、
 あなた方の戦犯の汚名は拭われて、英雄と称えられる日も近いでしょう。
 もう少しの辛抱でございますですよ」
なあんてね、考えすぎであってほしいと思うけれど、
今までの首相の中でもっとも危険なものを就任当時から感じていたところ、
こんな情勢になってきたものだから、ついつい極端に想像してしまうのだ。

何はともあれ、西方の大陸ではこれを良しと思っていない。
感情的に刺激する一方だということが、まず事実としてある。
他国がとやかく言うことは内政干渉だといううるさい賛成派もいるようだが、
そんなこと言わず、戦前に日本が大陸で何をしてきたか勉強し直して、
自ら控えようとするのが、一国のリーダーの義務だろう。
靖国参拝なんてのは、よくよく考えてみれば形式的行為に過ぎないのだ。
それをあえてやろう、やらねばならぬとするところに、
執拗なほどの好戦的イメージをまとわりつかせてしまうわけだ。



2004年01月01日(木) 呆けた1日

元旦というものは、だいたい呆けた1日になってしまう。
かといって、1日ゲームに興じられるような自由気ままな1日でもない。
何か落ち着かぬものである。
1日の計は元旦にあり、なんて、おかしな諺があったりするのも邪魔くさい。
何となくそんな言葉に漠然と脅迫されながら、これといったことはしない。
だらだら過ごしたって、年がら年中だらだら過ごすわけではない。

昨夜は朝5時までゲームにかかりきって、10時半に起きた。
それからメールチェック、サイト巡りなどしているうちに年賀状が届いた。
家族は、私以外は暮れに1枚も年賀状を出していないから、
私のを含めて30通以上も返事を出さなきゃいけない。
メール年賀もいくつか送ったりしなきゃいけない。
何やかんやで、ゲームを再開できたのは、4時半ごろからの1時間半だけだ。
夕食後も、テレビを見たりぼんやりしたり、たいていぐずぐずしてるものだ。

夜10時からのNHK海外ドラマ「レ・ミゼラブル」を見た。
映画の「レ・ミゼラブル」を今まで3種類見ているが、どれも落胆した。
2、3時間ではじっくり描けないらしくて、後半が特にひどい。
このフランスドラマは、4回だそうだから6時間かかるようだ。
今度こそどうかと期待しているのだが。。。
高二の時、世界史の時間にこっそり終わりの方を読んで泣いた。
あの物語を映像化して泣かせられないとは、実に失礼である。
ユゴーを冒涜するような映画を作るのはやめたまえ!
第1回のきょうは、このドラマはとりあえずいい感じで進んでいる。
ただ、今までにがっかりした映画もこのあたりまではまあまあよかったのだ。
第4回が肝心なのだ。

んじゃまぁ、もうちょっと「ラチェット2」を遊んでから寝るとしよう。


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