TENSEI塵語

2003年10月29日(水) iMac の強化

昨日買って帰ったSoundSticks を今夜iMac にセットアップしてみた。
これは、2本のサテライトスピーカーとサブウーファーのセットである。
音量を落としているときは以前とさほど変わらないように感じられるけれど、
音量を上げるにつれて、音の広がりが格段に増したことがよくわかる。
DVDのサラちゃんの声がますますかわいくなった。

本当は、iMac に標準装備の小型スピーカーをG4にもつけたいと思って、
それを買いに行ったのだが、それは単品で売られているものではなかった。
それで、SoundSticks をiMac に接続して、
今までiMac で使っていた小型スピーカーをG4で使おうと思っていた。
けれども、小型スピーカーの端子はかなり細くて小さいもので、
G4の外部出力端子に挿すことができなかった。
その点はちょっと残念ではあるが、iMac の進化はとてもうれしいことだ。



2003年10月26日(日) 休日なし、、

来週吹奏楽祭なので、混成バンドの本番の指揮者が練習に来た。
私自身が練習を見るわけではないけれど、責任者として付き添うのは
いつものことである。
昨日は中学校バンド、きょうは高校バンドである。
来週は土曜日は本番会場で午後から練習の指導をして、
日曜も月曜も吹奏楽祭当日である。ずっと休日がない。
ちなみに、さらにその翌週の土曜日も、漢字検定の監督に出る。
来月の9日まで休日がなさそうである。

今夜はもうぐたーーっとしてようかと思ったけれど、
吹奏楽祭の看板用の文字をPCで作って印字していた。
それから、最近、校長が、学習合宿実現を口にするようになっていて、
分会長がそれに対する職場新聞用の投書を求めていたのを思い出して、
ざっと思いつくままに、こんな内容のものを書いたりしていた。
ま、だいたい、校長がこういうことを強く言い出す場合というのは、
中学校にPRするネタがほしいだけの場合なのだが。。。

・・・・・・・・
またもや耳にした、学習合宿という陳腐な提案。
何を求め、何を期待して、2〜3日か、3〜4日か、1週間か、
それっぽっちの労多くして益少なき大行事を持ち込むかがわからない。
そこら中で徒労と挫折を繰り返してきた行事だと思うのだが。

それよりも、たとえばこんなことを考えたりもする。

英語が苦手なまま入ってくる生徒が多い、
だから、本校では英語の授業は1講座あたり10人程度で行っている
(本当は、中学英語をこれくらいの少人数でやるぺきなのだ)。

本を読まない生徒が多い、
だから、本校では(中学校の継続になることもある)朝の10分間読書を行っている。

文章を書けない生徒が多い、考えようともしない、
だから本校では全教職員体制で、年間を通じて小論文指導を行っている。

多様な生徒を抱えている、
だから、本校では5限目までを必修授業で基礎固め、
6・7限目に選択科目としてより深い内容の実力アップ講座を設けている。

何もないから何かをしなければならない、ではなくて、
生徒にこう育ってほしいから、生徒に高校生活をこう過ごしてほしいから、
生徒に高校生活でこういう力をつけてほしいから、、、
だからこういうことをやろう、でなければならないはずである。



2003年10月23日(木) さぼり続け、、

なかなか日記が書けない状態である。

きょうニュー・オデッセイを注文した。
そう高いグレードでもないし、カーナビもつけるわけではないのに、
値引きや下取りを計算しない総支払額が310万を越えてしまった。
おりょおりょおりょと驚いてしまった。
今まででも贅沢だと思っていたのに。。。
比較的質素なオプションでとどめてるはずなのになぁ。。。



2003年10月19日(日) 塵語が書けん

なかなか日記が書けないで何日も過ぎてしまった。
やることが多すぎる、そろそろと思ったときには、
もう寝ないと明日が危ないような時間になってしまっている。
書き始めたらまた長くなりそうな気がして、ためらって、
しばし無為な時間を過ごして、あきらめる、といった具合である。

きょう、日曜日は混成バンドの練習日だった。
一昨日と昨日、金・土曜日は、全然つながらなくなった娘のPCの通信の
修復のために、ああでもないこうでもないと、試行錯誤していた。
昨日の夕方に、ルータのサポートセンターに電話がつながって、
1時間がかりで修復できたのだけれど、それと同時に、
今度は坊ずのPCの方が接続不能になって、きょうからの課題にもなった。
これはまたさらに不思議で、私がルータのベースマネージャーを
再起動するとつながるのに、PCを再起動するともうつながらなくなる
という、まったく不可解な現象である。
ADSL に乗り換えてから、私自身がインタネする分には快適になったが、
無線でつないでいる方は、一難去ってまた一難というようなトラブル続きである。

木曜日は、TVドラマを2本見なければならなかった。
木曜日はしばらくたいへんである。
9時から「トリック3」、10時から「白い巨塔」である。
菜々子さまも智ちゃんも由紀ちゃんも出ないけれど、
「白い巨塔」を見ておかないわけにはいかない。

その前の2日間の夜がどう忙しかったかは、もう忘れた。
何か、やけに長かったなぁと思わせる1週間だった。

新オデッセイが発表されたから、来週は1度店に顔を出して、
商談を開始しなければならないし。。。



2003年10月13日(月) 編曲作業

一昨日実に爽快な目覚めで始まった3連休は最悪の体調で終わった。
きょうは腰が痛くてなかなか起きあがれなかったし、
起きてからも、久々の鼻炎と、腹具合の悪いのに悩まされた。
昨日1日、編曲作業中心で生活して、PCの前で根詰めてたせいだろうか。

昨日やっていたのは、「オペラ座の怪人」の序曲の楽譜書きである。
市販の定番の楽譜を手に入れても、なかなか素直に使えないのが
私の悪癖みたいなもので、そうしていらん仕事を増やしているわけである。
いくつかの楽譜は却下してしまったし、
去年のハリーポッターは、部分的に加筆したし、
何年か前のスターウォーズは、別の楽譜と合成して構成したし、
何年か前のタイタニックは、主題歌だけ自分の苦心の編曲に差し替えた。
それは、ある程度納得できる流れが作れてないと、気が乗らないからである。

今まで20曲くらい編曲してきたと思うのだが、
できあがって行くという限りにおいては確かに喜びではあるけれど、
その過程はただひたすら億劫で苦しいだけの仕事みたいなものである。
和声法も作曲法も習ってない。
独学で勉強しかけたこともあったけれど、よくわからないままに投げ出した。
だから、手探りで移調計算を繰り返したり、弾けないキーボードを叩いたり、
あとは、音色をイメージしながら楽器を振り分けていくだけである。
悪戦苦闘以外の何ものでもないが、それでもいつも
やらないよりはまし、程度の満足感は得ることができている。

高い金を払って購入しながら、こんな無償の労働に駆られざるを得ないとは、
何と理不尽なことではないかと思うのだが、文句を言う相手がいない。
プロなら、もっと誠実に、これ以上の編曲はないぞと保証できる仕事をしろぃ!! と、心底腹立たしくなるのである。



2003年10月11日(土) 寝足りた1日

昨夜は「美女か野獣」の最終の2話を見て、大いに涙して2時に寝たが、
今朝は、2、3度目を覚ましながらも、11時ごろまでしっかり眠った。
起きたとき、寝足りた満足感に包まれ、
何をやるにしてもめんどうで億劫な気がしなかった。
この1ヶ月近く、休日もゆっくり眠れる日がなかったせいでもあるけれど、
十分眠れたことを素直に喜べる日はそうあるわけではない。
むしろ休日でもそれを後悔することの方が多いのである。
今朝の(といっても昼前だけど)爽快感は、
疲れが格別たまっていていい加減投げやりになりかけていたせいでもあるが、
この連休にどうしてもやらなければならない仕事がわずかだという
解放感のせいでもあるだろう。

昼に買い物に出かけ、気になっていたところの掃除をするのも苦でなかった。
それから、夏休み以来億劫で中断していた編曲の仕事をした。
それから市吹に出かけて、実に前向きな練習に入ることができた。
精神的な充実はいろいろな面で前向きに働くものである。

きょうもっともうれしくて元気の源になっているのは、
リードの「オセロ」第5楽章の後半の数小節の解釈を確定できたことである。
オセロがデズデモーナの首を絞める瞬間をどの小節に解釈するか、
去年から暫定的に答えを出しながら、ずっと迷っていたのである。
けれども、木曜日に原作の第5幕を何年ぶりかに読み返してみて、
原作のこの場面があまりにもあっけないのに驚いた。
この場面のオセロには、逡巡もないし、逆上の中でという嵐もないのだ。
オセロのデズデモーナ殺害への言動は実に直線的である。
オセロが寝室に入ってから、もうデスデモーナを殺すことしか考えてない。
デスデモーナも死の直前まで懇願はしているが、すでに覚悟はできている。
そうならざるを得ないところまで来てのクライマックスのようだ。
それをリードが音楽にしているのなら、39小節目を頂点にする必要はない。
首を絞める決定的場面は35小節目だ。
今まで、逆上するオセロと解釈していたのは、無用の解釈だ。
35・36小節目はすごい形相で首を絞めるオセロを思い描き、
37・38小節目は力を失って行くデスデモーナを思い描こう。
39・40小節目は、デスデモーナの息絶える前の台詞を思い浮かべよう。
デスデモーナ「無実の罪で死ぬのです」
エミリア「ああ、誰がこんなことを」
デズデモーナ「誰でもない、、、自分の手で、、さようなら、、
     旦那様(オセロ)によろしく、、、ああ、、さようなら、、、」

こういう流れで第5楽章を演出しようとすると、
非常にすっきりと流れができ、最後が静かに終わっても十分納得できそうだ。
きょうは市吹でそういう演出で練習してみた。
演奏の完成にはまだ時間がかかりそうだけど、今夜は実に満足している。
短い1日だったけど、実に充実した1日だったと思う。



2003年10月06日(月) 「ロンバケ」見終わる

木曜日にまたまた見始めた「ロングバケーション」を今夜見終わった。
嘘っぽいところが多いドラマだとは思うのだが、
そういう批判は持ちながらも見ているうちにそんなことはどうでもよくなる。
もう、何がどうなってどうなってどうなるのか、知り尽くしているのに、
それでも見始めたら止まらなくなるのはなぜだろうか。
今夜も、できれば試験問題を作りたかったのだけれど、
最後の2話を見ないととても落ち着かないような状態だった。



2003年10月05日(日) 市民体育大会

自分の町内の運動会の話ではない。市吹の出番の話である。
朝、寒かったせいもあって5時半に目が覚めた。
早すぎるのだけれど、7時半に出かける予定だったので起きた。
開会式約30分のために出かけるのである。
出かけるころには、空に鱗雲が敷きつめられて、静かに曇っていた。
鱗雲の空の下は独特の静けさに包まれるものだ。
けれども、車で向かっているうちに薄日が差すようになり、
雲間も次第に広がり、恐れていたとおり青空の下の会場に着いた。
開会式の20分ほど前から、じりじり焼くような日差しである。
真夏ほど激しい攻撃はして来ないし、暑さにまいるほどのダメージはないが、
空気が澄んでいるだけに、いかにも直に陽に当たっているという感じだ。
そんな中で、今年はまたやけに開会式参加の市民が多くて、
入場曲も退場曲も例年より長く演奏しなければならなかった。

昼前に帰宅したが、帰るなり横になると、そのまま2時間の睡眠になった。
それからの午後の半日が、2週間ぶりの休日となったけれど、
試験問題を作らなきゃという観念に支配されているだけでのんびりできず、
やっとこさ古典のテストの担当分だけを作ることができた。



2003年10月04日(土) 中学生混成バンド2回目

もういい加減休みがほしい、とは思っても、きょうは練習日である。
でも、いろいろとおもしろいものを感じた。
たまに中学生を相手にしてみると、新鮮な驚きがある。

最初に一度ざっと曲を通してみたら、1週間よく練習した形跡があった。
それは感心するところなのだが、懸命に吹いていて、実に勝手である。
その真剣な表情は見ていてとても微笑ましいが、一人一人バラバラである。
「よく練習してきたなぁと思うけど、自分の世界に籠もってるねぇ」と言い、
「自分の世界に籠もってるって、どういう意味かわかる?」と尋ねてみたら、
「よくわからない」という答えが返ってきた。
まずここから説明しなければならないらしかった。
要するに、指揮も見ていないし、まわりの音も聞いていないということだ。
そういうことを要求しておいて、もうひとつの理由に、
まだ曲に慣れていないからということも大きな要因に違いないから、
繰り返し練習を多用した。

休憩時間などに、中学の先生たちから、「忍耐強いですね」と言われた。
自分だったら、とっくに「へたくそ」と言って投げ出していると言う。
これくらいで忍耐強いと言われるのは意外だった。
懸命に応えようとして、着々と変化を見せている生徒たちを、
放り出す必要はまったくないのだ。
基本を教えるのには、とてつもない根気と労力が必要なものだ。
たった2回、合計7、8時間程度では、わずかなことしか教えられない。



2003年10月03日(金) 久々の「ロンバケ」

昨夜からまた「ロング・バケーション」を見始めた。
他にも、まだ見ていないDVDや、また見たいと思っているのがあるのに、
ついついこういうドラマに心が向かってしまう。
きょうはとても疲れて帰ったのだが、何となしに癒される。



2003年10月01日(水) 錯覚の分析

きょうから10月だということは、昨夜から知っていたけれど、
今朝のラジオで、10月1日だと何度か聞かされているうちに、
不意にある混乱が私を襲った。
次の中間考査は10月9日、、、あれ? 2週間ないではないか、
いったいどうなってるんだ、、? という不思議に包まれた混乱である。
中間考査の日程はよく知っていたのだが、私はこの1、2週間の間、
あと4週間ある、あと3週間、あと2週間、、と、
1週間多く残り日数を数えてきて、週2時間の古典の授業も、
あと4、5回あると思いこんでいたのである。
それが、もう来週中間考査だとはっきり知って青ざめたのである。
もっとも進度が遅れているクラスでも、あと2回しかない。。。
予定している試験範囲に到達するのに、2時間補わないと間に合わない。。。

どうしてこんな錯覚に陥ったのだろうか。
喫煙室に張ってあるカレンダーをしばしば眺めていたし、
試験いつからだっけ?と尋ねる人がいても、すぐに9日からと答えていた。
けれども、そう答えながらも、10月に入ってから2週間ある、という
観念に強く支配されていたのを思い起こすことができる。
これは算数の問題ではない。
9日という数字上の認識はあっても、それとは別個に2週間の観念があった。
それは前任校が長い間そうだったからである。
10月中旬の修学旅行に合わせて1・3年生の中間考査があった。
2年生はその1週間前に済ませるけれど、それは特殊である。
そういう時期が長かったので、その印象が入り込んできたのだ。
去年はそうではなく、全学年一緒に、2週目にやったように思うが、
去年は、3人チームのスタディで、こまめに進度の調整をしていたので、
自分一人が妙な錯覚に陥る必要もなかったのだろう。

長年の習慣というものは、やはり恐ろしいものである。


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