TENSEI塵語

2003年08月31日(日) 夏休み最後の1日

9時半に起きた。
メールチェック・定例のサイト巡りの後、
PowerMacG4機についての情報集めをする。
プッチーニのアリアを吹奏楽に編曲した楽譜を2冊注文する。
「オペラ座の怪人」の編曲を始める。
2時に家を出、コンプマートでG4機の注文をする。
3時に橋本さんと(5カ月ぶり?)に会って歓談する。
5時に箕輪響と会って混声バンドの打ち合わせをする。
帰り道にガソリンスタンドを探して、セルフを初体験する。

ざっとこんな1日だったわけだ。ちょっと忙しかった。
もう少し詳しく書いておこう。

PowerMacG4機を買うかどうかということは長いこと迷っていたのだが、
今回発売されているものを逃すと、OS9で起動するMac がなくなる恐れが
あるので、今度こそは買っておこうという気持ちが強くなったのである。
今年の2月に、OS9で起動しないiMacを買ってしまって失敗している。
これは今、CD焼いたりDVDを見たり、2台同時作業したいときなどの、
サブ的なマシンになっているが、これは実に便利である。
けれども、OSXでは動かない一太郎やフィナーレ(楽譜ソフト)が
使えないので、私の仕事の7、8割方はiMacではできないのである。
だから、メインのマシンは古い7600機なのだが、これがいつまで使えるか、
ちょっと心もとない感じである。
最近特にOS9にしてから、困った動作が増えてきている。
改造して長く使えるようにしてきた実に愛着あるマシンなので、
ブチッと終わりの日が来るまでかわいがっていく予定だったのだけれども、
OS9で起動できるマシンが市場から消えるとなると話は違ってくる。
幸い、今売り出されているG4はかなり安いし、
高いスタジオディスプレイを買わなくても、付属の変換アダプターで
今使っている安いディスプレイがそのまま使えるようである。
きょうの私の一番大きな仕事は、これを決心して注文することだった。
同じような考えの人が多いらしくて、在庫が追いつかず、
納品は3週間ほど先のことになるようだ。

市吹の定期演奏会のプログラムについて、何ヶ月も迷ってきたけれど、
昨夜、前半の部についてこんな風に決めた。

1、プッチーニ「ジャンニ・スキッキ」から「私のおとうさん」
  (CMで流れているそうだ。この1曲では盛り上がらなかったら、
   「トゥーランドット」の「誰も寝てはならぬ」を加える)
2、「オペラ座の怪人」ハイライト
3、アルフレッド・リード「オセロ」全楽章

それで、2曲の楽譜を注文し、編曲も始めたわけだ。
編曲といっても部分を変えるだけで、全曲ではない。
市販の楽譜が構成上気に入らないので、つけ加えるだけなのだが。。。

橋本さんとは、「屋根の上の、、」のDVDを返す機会を失っていたので、
混声バンドの打ち合わせに行く途中の地域に住んでいるのを幸いに、
昨夜メールで声かけておいたら、今朝待ち合わせ指定の返事が来ていた。
彼は常に筆まめだけれど、私は最近特に筆無精になっているので、
時々はこうして会って話さないとね、、、と思って、ふと気づいたことに、
彼は毎日私の学校のそばを通って帰るのだから、
都合の合うときはいつでも通勤帰りに会えそうなものではないか。。。
5ヶ月間、ぜんぜん気づかなかったのが不思議なほど簡単なことだった。


あー、とにかく、明日からごちゃごちゃ満載の新学期が始まる。
昨日市吹が終わったころ、かつての卒業生のひとりで団員なのが、
ぐったり座ったまま、同時期の卒業生2人に話を聞いてもらっているので、
そこに首を突っ込んだら、「新学期いやだー、行きたくないー」と言っている。
今年音大を卒業して、非常勤で小学校の音楽を教えに行っているのだが、
新学期前の教員の憂鬱を実感している真っ最中らしい。
非常勤なので、夏休み中まったく学校に行ってないからなおさらなはずだ。
何年経験しても、夏休み中ほとんど毎日出勤していても、
新学期直前のこの底知れぬ鬱陶しさからは、なかなか解放されないものだ。
始まって1日か2日すると諦めがつくものではあるが。。。



2003年08月30日(土) まことさま〜

う、、う、、、真さまの菜々子さま、やっぱりかっこよすぎ〜。
昨夜もこんなこと書いたと思うし、きょうもいろいろ考えることがあったのだが、、、、



2003年08月29日(金) 夏休みの最終日

最終日は明後日なのだが、きょうが夏休み出勤の最終日である。
明日・明後日は土・日である。
夏休みや春休みは、ほとんど休みがないのに長年慣れているのだが、
この夏休みはかなり精神的に楽な出勤だった。
思いついた時に思いついた仕事をし、
あとはたいてい読書したり、楽譜を書いたり。。。
新学期の憂鬱も不安も多いけれど、きょういくつか準備をしてきたので、
(大半は心の準備だが)昨日までほどは憂鬱でない。

昨夜も今夜も「美女か野獣」を3話ずつ(DVD1枚分)見てしまった。
真さまの菜々子さま、カッコよすぎ〜〜、キャーキャー、って感じである。リアルタイムで7日ごとに見ていたときよりも、
こうして短い期間に一気に見る方がいろいろなおもしろみに出会えるものだ。
明日には見終わるだろう。
新学期に入る前にひととおり見ることができてありがたい。
9月に入って早々に「王様のレストラン」が手に入るけれど、
こちらはいつ見られるかわからない。

寝る前の「沈まぬ太陽」は、この3日ほどは省略である。
昼間にも読む時間があったおかげで、最終の5巻目には入っている。
残念ながらこちらは新学期前に読み終われそうにない。



2003年08月27日(水) 時間が足り〜ん(>_<)

やりたいこともやるべきことも多すぎて、時間が足りない。

そう思いながら、そして、きょうは早く寝ようと思っていながら、
昨日手に入れて、昨夜は1話と半分見た「美女か野獣」を
今夜また1話と半分(正確には続きの半分と新たな1話だが)見てしまった。
癒されてよかったと思うけれど。。。
あ、これも時間が足りなくて困っているやりたいことの一つではある。
限られた1日1日の周期の中で何を優先すべきかがわからなくなる時がある。
このあと、読みかけの本のあと十数ページだけは読み終えて寝ようと思う。
ドラマとか読書とかは、寝る直前に押しやられてしまうものである。



2003年08月24日(日) 混成バンド練習会

昨日・きょうと、恒例の混成バンド発足の練習会である。
去年のを読み返してみたら、去年は真底疲れたようだし、
その理由も、読み返して思い出してみればよくわかる。
練習会場校が自分の学校だったせいで、労力が倍増していた上に、
曲が、感情的にもかなり激しい曲だったので、力が入りすぎたのだった。

今年は、会場校は他校だったので、そちらの方の労力はなしですんだ。
曲は、大曲の部類ではあるけれど、「メキシコの祭」という題のとおり、
精神的には大いに気楽な曲である。
ただ、なかなか凝った構成で展開して行くので、
リズムなどの譜読みがたいへんである。
拍数の数え間違いなども頻繁で、なかなかすんなりと進んで行かない。
私自身もあんまりよくわかってない曲なので(苦手な部類である)、
ますます四苦八苦である。
一昨日の晩、いったいどうなるだろうかと、かなり不安だったけれど、
実に厄介な役割を負わされているパーカッションも含めて、
2日間で何とか、全体の形を作ることはできた。
いろいろ課題は抱えているけれど、奇跡的にここまで来た、という感慨もある。

ほとんど座ったままで、菜箸を叩いているだけの練習だったけれど、
とにかく、頭と神経と眼が疲れた。
おまけに、きょうは特に風がなかなか練習場に入ってこないで、
蒸し風呂に近いような中でやっていたので、忍耐勝負の練習である。
しかも、昨夜は、夜は市吹の練習があり、
帰ってから、参考演奏のCD作りをしていた。
参加校11校に、その曲のCDを早々に配って研究してもらうためである。
(もうなかなか手に入らない演奏だから、やむをない)
こうやって、休日にわざわざ参加する殊勝な生徒たちが、
できるだけ充実した演奏で終われるようにしてやりたいものである。

けれども、個々の生徒の基本的な音までは、どうしようもない。
100人近い大合奏とはいえ、最も大事なのはそこなのだが。。。
個々の基本的な技術は年々劣っていると、痛感せずにはいられない。



2003年08月22日(金) 久々の滝のような汗

一昨日ときょうと、炎天下で大工仕事をして、さわやかな汗をかいた。
何年ぶりだろうという感じがする。

夏休み前に、生徒会の担当の方から、アンケートがあった。
1、体育祭の綱引きに参加していただけますか?
2、体育祭の模範マスコット作りに協力していただけますか?

足が痛いので、1、の運動の方は免除させてもらうにしても、
2、のマスコット作りには、○をつけて提出した。
今度の学校の体育祭は、今でも学年縦割り群団制をとっていて、
応援席に、高さ4メートル以内の大きなマスコットを飾ることになっている。
生徒のその製作活動が毎年難渋しているので、
そのお手本を、ほぼ同時進行で作っていくのだという。
中心となるのは生徒会の係ではない、数学科の組合分会長である。
要するに、中心人物からして、役職から外れたボランティアである。
で、私自身は、今まで学校祭のたびに、
いろいろな立場で深部に関わってきて、それがあたりまえになっていたのに、
今年は、下手をすると傍観者的に終わりそうな懸念もあったし、
何と言っても、ああいう巨大張りぼての作り方を知りたい興味があった。
それで参加させてもらうことにしたのである。

一昨日はクラスの方の集まりがあったので、2時間のうち1時間参加した。
仕事は少なくなったけれど、骨組み作りの釘打ちで、大いに汗を流した。
ぜんぜん先が見えない、ただ、分会長の言いなりに作業しているだけである。
きょうはそれに細く切った竹をさまざまにつけていく作業で、
一昨日より酷暑な割りに汗はそれほどかかなくてすんだ。
「お茶の水博士」の胴体がやっとこさ何となく見えてきた。
いずれにせよ、学校行事というものは、この準備活動が楽しいものである。
一昨日は、集まっているだけで何しているかわからなかった生徒たちも、
きょうは、そこかしこで骨組み作りに入ったり、
我々が作業しているところに来て、技を研究する姿も見られた。



2003年08月20日(水) 川相が犠打世界記録達成

最近ようやく終盤にポコポコ打たれて不甲斐ない負け方をすることが
少なくなったので、巨人戦を見ることも増えてきた。
きょうの対横浜戦は、40歳の工藤の完封勝利の快挙に加えて、
38歳の川相の、512犠打、世界新記録達成の快挙があった。
直後にベンチ前で、花束を長男が、記念のバットを長女が捧げた。
試合終了後には、胴上げがあった。うれしい光景だった\^o^/(T_T)
工藤とレイサムのヒーローインタビューの後、特別インタビューがあった。

打席に入ったときの心境を聞かれて、
「皆さんが期待しているのが良く分かるんで、失敗したらカッコ悪いなと、
 その気持ちが一番大きかったですね」
その通りなんだろうな、と思う。
絶対バントだ、と守備陣にも確信できる状況でするんだからたいへんだ。
そのバントは、一塁側に大きくはずむバントとなり、
本人としてはうまいバントとは言い難かったかもしれないが、
大きくはずんだ上、ランナー二岡の足が速かったというか、
投球がストライクゾーンに入ったので、バントする前から
川相を信頼して走ったのかもしれない。
とにかく、ピッチャーが球を取った時には、
二塁ベースまで2、3歩というあたりまで走っていた。
ゆうゆうとバント成功である。

6人の家族がみんなベンチ横に集まって見つめている中で、
聞き手は、ご家族の皆さんに一言、なんて質問を発している。
たいへんな質問である。
「いや・・なんていうたらいいかわからないですけど、
 とにかく僕が野球を出来る環境をしっかり作ってくれた家族、
 まわりの方々に、、、(感涙)、、、感謝したいと思います。
 自分が思っている以上に回りがはからいをしてくれて、、、」
見ている方も泣けてきちゃうよぉ。。。(T-T)(T-T)(T-T)(T-T)

「川相さんにとってバントとはなんですか?」
「そうですね、僕の人生そのものだと思います。
 大きな事は出来ないんで、コツコツとやってきた成果が
 世界記録につながったと思います」
うーーん、まさにその通りだ。「コツコツやってきた成果!」

実は、バントよりも、8回に二度続けて見せたファインプレーの方が
いかにも川相の本領発揮というような価値あるプレーだった。
守備のうまさというのは、なかなかヒーロー扱いしてもらえないものだ。
巧妙なバッティングと卓越した守備が、
地味ながらも根強いファン層を得続けている理由なのだ。
バントの世界記録という勲章は、
「地味な努力家」を象徴するにふさわしい勲章と言えるのだ。


ちなみに、先日のラジオ放送の解説者の話では、
今までの511本犠打の世界記録というのは、犠牲フライも含んでいる、
川相の犠打記録は、犠牲フライは入れないで、バントの成功だけ数えている、
だからバントだけならとっくに世界記録を更新しているのだ、とのことである。



2003年08月19日(火) 目が腫れたー

昨日は出校日、きょうは中学生たちの体験入学日だった。
夏休み中、2日連続の学校行事日である。

出校日は、かつて2回だったのを1回にまとめたらしくて、
大掃除・LTはもちろんのこと、全校集会あり、学年集会ありで、
たっぷり昼までスケジュールが詰まっていた。
学校祭に向けてのめんどうで憂鬱な取り組みも始まる。
午後は、教科会などの会議もあるし、きょうのための準備もあった。

きょうの体験入学の方は、自分自身の係としては楽ちんだった。
まず、2人組で1グループの生徒の朝の点呼を頼まれていたが、
予定表の時刻に間に合うように体育館に行ったら、とっくに終わっていた。
あとは、部活動見学の時間のために部活の世話だけすればいいのだが、
これも、前々からいるNくんが前面に立ってやってくれたので、
私はほとんど合奏の時にベースギターを弾いて楽しんでいるだけで済んだ。
しかし、この部活動見学も、私としては実に憂鬱だったのである。
Nくんが、久々に新入部員があった嬉しさのために、
吹奏楽部も実施すると答えてしまったのでやるはめになってしまったのだが、
結局、初心者もなかなか演奏できるようにはなれなくて、
登録部員の半数の5人の生徒と、顧問2人の演奏である。
たまたま、ホルン3人(Nくんの専門もホルンである)とユーフォニウム、
ドラムセット、グロッケンに、私が低音を入れるという具合で、
それほど支離滅裂の編成にならずにすんだのはよかったけれども、
演奏はそれほど練れてないし、吹奏楽の演奏でもない。
少なくとも1、2年間はNくんにお任せ〜、だから、つきあったけれど、
こういうのはますます憂鬱きわまりないものなのである。


昨日の朝起きたら、まぶたが腫れていた。
学校に着いたころには、左右の目の大きさがかなり違う程度で、
ぶくっと腫れているほどではなかったけれど、腫れは完全にはひかなかった。
虫に食われてそうなったことはあるので、そういうものかな、と思っていた。
ところが、今朝また、昨日の朝以上に腫れていた。
それはまた、1、2時間でかなりおさまったけれど、昨日と同じである。
でも、こうなると、虫に食われたせいではないらしい。
身近な人に相談したら、それは、ものもらいだから、
普通の目薬でなく、抗菌作用がある目薬を買ってさせばいいと教えてくれた。
帰りに目薬を買って、さしてみたら、
1、2時間でかなりいつもの目にもどりつつある。

こういうのは黴菌が入ってかかる病気だろうと私はずっと思っていたのだが、
その教えてくれた人に言わせると、ストレスも原因のひとつなのだそうだ。
この2日間が、自分で自覚していた以上のストレスになっていたのだろうか。。。



2003年08月16日(土) 楽しいエクセルとの出会い

十数年前にNECのワープロ専用機「文豪」を使い始めた。
表計算機能も付いていたので、それで成績処理をするようになった。
それまでの、筆記で、電卓で計算したのをまた筆記、、というのに比べて
便利だっただけでなく、ソートもできるのが便利でありがたかった。

けれども、同科目で受け持つクラス数が増えた年に成績処理しようとして、
容量オーバーで作業を受けつけてくれなくなった。
それがPC購入のきっかけになった(この時は富士通のFMVである)。
ロータスかエクセルかという時代だったけれど、
今はロータスなんて聞かないから、エクセルを選んで正解だったらしい。
1、2、、、とか、月、火、、、とか、
ドラッグするだけでダーーーッと連番にいてくれるだけで大感激したものだ。

エクセルの深い魅力を教えてくれたのは、数年前、
私が生徒会主任だったときに、生徒会部にいてくれて、
始終喫煙室の隣席で笑い話の相手になっていてくれたK.Kくんである。
彼は、生徒会主任としてさまざまな文書を作ろうとして、
こんなことができないかなぁ、、とつぶやく私にいろいろなことを教えた。
私の前に置いてあるノートPCはMac で、
彼はDos/V 時代から苦労しているWin ユーザーである。
でも、Mac のことはわからんなどということもなく、
原理は一緒だーい、という鷹揚な精神でいろいろと指図してくれた。
主にVLOOKUP の使い道が多かったが、
ひとつの表をマクロを使って差し替え連続印刷できるようにもしてくれた。
そうして、大会の選手名簿から賞状の印刷まで、さまざまな可能性を体感し、
エクセルの計り知れない便利さを知ることができたのだった。

その時は、彼の言いなりにわけもわからず操作していただけだったが、
それがきっかけで何冊かの本を購入し、見ているうちに、
彼が指示してくれた内容が多少は理解できるようになったのだった。
そうして、それを吹奏楽関係の事務作業にどんどん応用するようになった。
エクセルは、こんなことができないかなー、、と思ったことは、
たいていちゃんとできるように作られている、という信仰が生まれた。
本を見ればわかるように、私ができるようになった機能も、
エクセルで可能な機能の10分の1にも達していないのだ。

今夜patamama お、、、ね、ねーさん(-。-;)、、から、新たな課題が届いた。
ピアノレッスンの月謝集計表で、
○をつけるだけで月謝の合計がでるといいんだけどなー、というものだった。
何という難問!!! とびびってしまっのだったが、
とりあえずまずこうして、、、とやってるうちに、
1時間もかからないうちに、要望どおりの表ができた。
エクセルの表作りには、プレステなどのゲームに負けない楽しさがある。



2003年08月15日(金) エクセルでの楽しい遊び

昨夜、patamama おば、、、いや、patamama ねーさんが(-。-;)、
月ごとの給与計算表なるものを作りかけて、添付ファイルで送ってきた。
もっと便利な表にするにはどうしたらいいかというわけである。
見ると、エクセルの表の、縦に日付と曜日が並んでいて、
横には勤務時間帯何時から何時まで、何時間、何円を
入力する3つの欄が作られていた。
時給分そのままでいくらになるかがわかればいいという要望だった。

それで、勤務時間帯何時から何時までの欄を3つに分割して、
出社時刻・休憩時間・退社時刻を入力すれば、勤務時間何時間かが
計算で自動的に出るようにした。
これは簡単なことだった。
次に、その時間に時給の金額をかける計算式を入れようとして、
これが簡単にいかなくて、手持ちの裏技本を調べることになった。
うまく行かないのは、時間の「7:00」というのは
表示のしかたがそうなっているだけで、
値が「7」になっているのではないらしいからだった。
でも、エクセルのおもしろさを味わったことのある者は、
こりゃできそうにない、と諦めるのをうんと先延ばしにするものである。
この程度は絶対できることになっている、と信じて調べ続ける。
で、それは、自分では絶対に考えつかない計算式だったけれど、
本に書いてあるのを応用して解決することができた。
そうして、ひと月分の総額も随時出るようにして(これは基本である)、
patamama おば、、、いや、、ねーさんに送り返した。

そうしたら、今後は2社に通うことになるから、
この日はAの会社、この日はBの会社と書き込めるようにした、と
さらに改められたものが送られてきた。
御本人はこれで完成した、ということで、
ありがとーとお礼を言われて終わってしまってもよかったのだが、
ここまで来ると、私自身が血が騒いでしまうのである。
表全体から、A・B別の金額を合計する欄を作ることと、
出社・退社時刻を入力しない限り勤務時間・日当が空白になるよう、
その欄の「0」だのエラー表示を隠すことを課題にしてみた。
IF やIFSUM の関数を初めて使った。
私の持っている裏技本には、そのままのものはなかったので、
似ていそうなケースを見つけて応用させてもらうことになった。
括弧の使い方をちょっと間違えたために長いこと謎に包まれたりするが、
これがまた、実に楽しいのである。
エクセルは、思いついたことを何でも可能にしてくれるという信仰が
ますます深まるのである。

昨夜はそこまでで終わったが、終わる前に気になったことがあった。
それをきょうになって更に挑戦してみた。
勤務時間の合計欄がおかしいのである。
たとえば、28時間になるはずで、「28:00」と表示してほしいのに、
「4:00」になってしまっているのである。
24時間を引いて表示しているらしい。
これも調べた結果、表示形式をちょっと書きかえるだけで解決した。
また、時給が平日と休日で異なるようなので、
曜日に応じて時給が自動入力できるようにしようと思った。
そのための適当な関数が見つからなかったので、
数年前にはよく使っていたVLOOKUP 関数を使うことにした。
しばらくやっていなかったので、計算式を作る方法を思い出すのに
かなり難儀をしてしまった。
当然のことながら、この欄も、出社・退社時刻を入力しない限り
空白にする、、、もうそれは昨夜やっているから簡単である。

久々に、エクセルでとても楽しい時間を過ごすことができた。
これでまた、残業でもするようになると、
新たな課題ができておもしろいことになりそうだ。



2003年08月13日(水) ちょっとすっきり気分(^o^)

昨日もホントに何やってんのかわからないような1日だった。
部屋の片づけを第一にしたいのに、HP巡りをしてるかと思えば、
読書にいそしんでしまったり、かと思うと横になってたり、、、
片づけもほんのちょっとずつしか進まない、
何をしてても、何を優先すべきなのかがわからない。。。
妻はここ数日間、かなりすごい勢いで居間や寝室の根本的な整理を
続けている、、、それだけ集中してできるというのを
羨ましいような思いで眺めながら、どうも力が入らない。

でも、数日間気がかりだった混成バンドの曲目を決めることができた。
参加総数99名、特に甚だしいのはパーカッションの9名と、
トランペットの22名である。
技術的には全体としてあまり高いものは望めないけれど、
大人数でやるだけの価値がある大曲でなければならない。
ふと、本番指揮者のM氏が3年前から候補としてあげている
「メキシコの祭」を思い出して、CDを聞きながらスコアを検討し、
3度検討して、決めて、昨夜、電話で、M氏の了承も得た。
思いついてから、約1時間で結論が出てしまう。
糸口をつかむまでがたいへんで、それまではただただあてもなく、
ああでもないこうでもないとうろうろするばかりで落ち着かないものだ。

今朝起きたのは8時過ぎだったのだが、9時過ぎに朝食をとって、
しばらくしたら横になりたくなって、気づいたら12時になっていた。
妻がいれば片づけでバタバタしていて寝てなどいられなかったが、
きょうは日直で出勤していた。
8月に入ってから、昼寝・夕寝・宵寝がやたらと増えているのだが、
きょうは午前中からそんなありさまで、自分では気づいていない
大病に冒されているのではないかと不安になった。

けれども、昼に起きてからは、あまりいろいろなことが億劫でなく、
まず、昼食時に換気扇のカバーの取り替えをした。
油が滴ってもおかしくないほどの汚れようだったのが気になっていた。
やり始めればさっさと終わって心地よいようなことでも、
私の場合、そういう決心に至るまでが大仕事になるのである。

それから、買い物に出て物資を補充した後、
浴室の排水口のパイプ掃除とトイレ掃除をした。
以前やってから4〜5カ月経っているからたいへんなものである。
夜はガスレンジとその周りの掃除をした。
やっぱり痛感するのは、やり始めてからの労働よりも、
やろうと決心するまでの方が大仕事だということである。
日ごろ仕事にあくせくしていて、家事が習慣になり得ないからである。

昨夜からのまる1日で、8月に入って大役から放免されて以来
ずっと気がかりだったことをいくつか片づけることができた。
さあ、いよいよ、自分の部屋の整理が残っている。
実質的な夏休みは、あとわずか4日間だ。



2003年08月11日(月) 失敗だった買い物

サラ・ブライトマンの「アンコール」というCDを買って聞いていたとき、
(このCDはミュージカル・ナンバーを集めたものである)
特に気に入った何曲かの曲の出典を見たら、
「ソング&ダンス」という異色ミュージカルの2曲があった。
「キャッツ」のオリジナルキャスト版の全曲CDを探したときに、
ついでにこの作品についても探してみたらあったので、一緒に注文した。

届いてからしばらく放ってあったのだけれど、今夜それを聞いてみた。
聞いていても、いっこうにサラちゃんの声らしきものは聞こえてこない。
トラック8まで進んだところで、待ちきれなくなって、
「アンコール」に収録されている曲名に飛ばしてみた。
けれども、超えも違うし、歌も、こんな曲だったような、違うような、、、
もう1曲に飛ばしても、やはり同じ感想である。
HMVのサイトのレビューに、サラ・ブライトマンの出世作云々とか
書いてあったので、てっきりサラちゃんが歌っているものとばかり思ってたのに〜〜!

念のため、「アンコール」をデッキに入れて、その2曲を聞いてみた。
こちらは確かにサラちゃんの声で、さっきのとはまったく別の曲の感じだ。
メロディーは確かに同じみたいだが、伝わってくるものがまるで違う。
「ソング&ダンス」のCDは、サラちゃんが他にどんな歌を歌ってるかを
聞きたかったのだが、そういう意味ではまったく無駄な買い物だったようだ。

やはり、音楽CDというものは、演奏者をよく検討して買うべきである。
これは、中学時代に発見した鉄則だったが、また改めて痛感した。

ただし、2枚目の「ダンス」の部分の方は、
アンドリュー・ロイド・ウェーバー版「パガニーニの主題による変奏曲」である。
今までに聞いたものを数えて、数作目のパガニーニ変奏曲である。
こちらの方だけ考えれば、おもしろい買い物をしたのかもしれない。
今、それを聞きながら書いているところである。

ちなみに、「キャッツ」は届いたその日に聞いてみたけれど、
音楽としてはあまりおもしろいものではなかった。
「メモリー」のように不滅の名曲といえる曲もあるのだけれど、
全体としてはがっかりした。
しかし、ひょっとしたら吹奏楽の方では使い道があるかもしれない。



2003年08月10日(日) 「屋根の上のバイオリン弾き」

昨夜、「屋根の上のバイオリン弾き」のDVDが目に入った。
橋本さんから昨年から借りっぱなしだったのを、
忘れていたわけではないけれど、なかなか強く意識が向かわずにいたのだ。
なんとなく、見るのがこわい、というような心情も働いている。
他の人はどうかわからないが、私にはよくある心情で、
そのためにまだ見るのをためらっている映画がいくつもある。

昨夜は妙に見てみたいという気持ちに動いた。
11時半回ったところだから、2時ごろ見終わるだろう、
とにかく、「サンライズサンセット」を聞こう、、というわけで、、、
意外と長くて、休憩つきの映画で、3時近くまでかかった。
長いし、ちょっと冗漫かな?と思わせる部分もあったけれど、
少しも退屈することなく、楽しく、そしてもの哀しく見ていた。

カメラワーク、というか、画面構成がよくできている。
風景もいいし、まず映像に引き込まれる。
歌と踊りの部分も、映像のうまさもあって、たいへん楽しい。
「サンライズサンセット」が意外にも1回しか歌われないし、
BGMとしても活躍しないのはちょっと拍子抜けだったけれど、
初めて聞いても魅力的な歌や舞曲が多かった。
オープニングタイトルからして、不思議な魅力である。

もっとも嬉しいのは、父親テビエが、娘の恋愛を認める展開である。
アナテフカ村の秩序を支えてきた(と信じられている)伝統を
守ろうとしながらも、娘の眼差しを信じ、娘の幸福を第一にしようとする。
貧しい生活の中で、裕福な家との縁談を切望しつつも、
長女は貧しい仕立屋と結婚し、次女は反体制運動家と婚約して
彼が投獄されたシベリアの収容所に旅立ち、
三女は、迫害する側であるロシアの将校と駆け落ちする。
子供の縁談は親が決めるという伝統に強く支配されながらも、
結局は娘たちの思いを尊重し、伝統的な幸福ではないながらも、
娘たちにとっての幸福な結婚というものを認めようとする。
貧しい牛乳売りとして、ユダヤ教信者として、
そして、とりあえず平穏なアナテフカ村の一村人として、
幸福な生活を求めているテビエも含め、
それらは、つつましい幸福を懸命に求めている姿なのだ。

娘たちの恋愛は、新しい時代の流れを象徴している。
けれども、新しい時代の流れは、
アナテフカ村のユダヤ人たちの平穏も脅かしていく。
彼らは村からの退去を命じられ、各国に散って行く。
荷車を引いて、放浪の旅のように村を出て行く村人たちを見ながら、
つつましい幸福を世界のほんの片隅で営んでいた彼らを、
なぜ迫害しなければならないのかという思いが突き上げてきた。
(迫害される背景が何なのか、映画だけではよくわからない)

エンディングタイトルは、「サンライズサンセット」の
バイオリン独奏だとよかったのになぁ、、、と、残念!



2003年08月09日(土) 「12人の怒れる男」H.F版

昨夜遅くに、先日「優しい日本人」とともに買った
「12人の怒れる男」のヘンリー・フォンダ版を見た。
もうわかっている内容なのに、煙草を吸うのも忘れて見入っている、
時折の間合いに登場人物たちが煙草を吸い始めるので、
それにつられて私も煙草をくわえる、という風に見続けた。

これは、とにかくまず極上の推理ドラマである。
最初に、ただ1人「有罪とは言えない」と意思表示をして話し合いを求めた
8番陪審員さえ、当初は漠然とした疑問を抱いてるだけらしい。
それが次第に、裁判での証言の信憑性がなくなって行くという展開で、
全員が「有罪でない」という評決にまとまって行くというわけである。
犯人探しや真相に辿り着くわけではないので、
そういう推理好きにとっては物足りない推理ドラマかもしれないが。。。
なお、字幕の「無罪」という語がひどく気になった。

陪審員制度というのは民主制度のひとつの形態なのだろうけど、
それを成り立たせるのは〈良心〉だということを強く感じさせてくれる。
最初にこのひとつの〈良心〉がなかったら、
なんの吟味もなく、評決は12対0の有罪、少年は電気椅子へ、、、
となっていたわけである。
(こういう映画が作られたということは、
 その程度の陪審も多かったということなのだろうか、、?)
この〈良心〉が、裁判では指摘されなかったさまざまな発見を導き、
他のさまざまな思惑にとらわれた人たちの〈良心〉を呼び起こして行く。
この展開が、推理ドラマに一層の緊張感を与えているようである。

最後の最後にただ1人有罪を主張する3番陪審員の演技がみごとだった。
ただ、あの名セリフがなかった。
「今裁かれているのは被告であって、あなたの息子さんではありません」
これが8番陪審員から出ると思って待っていたけれど、なかった。
ちょっと最後の緊迫した場面で、拍子抜けしてしまった。
どうやら、リメイク版のオリジナル・セリフらしい。
先日リメイク版を見たときに、このセリフは初めてでないような
気がしたのだが、リメイク版もずっと前に1度見て忘れていたのだろうか?
「優しい日本人」のこの場面は、リメイク版のパロディだったようだ。



2003年08月08日(金) 台風と大会

一昨日から台風がこちらに向かい始めた。
こちらの方まで来るとすれば、きょうの夜だろうという予想が出たが、
早まる恐れも大いにあるものだ。
心配したのは、きょうの中学校の吹奏楽コンクール県大会である。
もしも暴風警報が出たら、延期にせざるを得ない。
朝から出なくても、昼ごろ出ても続けることはできなくなるだろう。
ところが、延期にすればよい、というような簡単な話ではないのである。
高校野球のように、翌日順延というわけにはいかない。
延期に備えて会場が確保してあるわけではない。
延期と決まって数日以内に借りられるようなホールなどはない。
どこかの学校の体育館でも使うことになるのだろうか。
県大会以上の僅差を争うような大会で、
音響環境の劣悪な条件で大会を開くのは、出演者が気の毒である。
審査員探しもたいへんである。
出場する生徒たちも、8月中旬などはいろいろ家庭の事情があるはずだ。
かつて、三河の地区大会で1度台風による延期があって、
金銭面での損害だけでなく、たいへんな苦労をしたと聞いたことがある。
運営する身として想像するだけで暗澹たる思いになる。

幸い、きょうは警報が出たのが夕方の4時ごろだったので、
何とか最後までやることができただろう。
高校の、東海大会への代表を決める代表選考会は明後日である。
明日に予定されてたらこちらもヒヤヒヤしなきゃいけなかったところだ。
きょうの大会も明後日の大会も、私自身は直接関係してないのだが。。。



2003年08月07日(木) 「沈まぬ太陽」

山崎豊子の「沈まぬ太陽」5巻の第1巻をまず読み終えた。
この文庫本を、前任校に出入りしていた本屋に注文したのが去年の夏休み前。
去年の夏休みに読むつもりだったのが、なかなか納品してもらえなくて、
やっとこさ持ってきてもらえたのが、今年の初めである。
それから、なかなか読み出すきっかけがなくて、
ずっと本棚に並べられたまま放っとかれていた。
「白い巨塔」「華麗なる一族」「不毛地帯」「二つの祖国」「大地の子」と
どれも長いながら夢中になって読んだので、
多忙と衝突することなく読みたくて、その機会を待っていたのだ。

夏休みといっても、いろいろと抱えているために
長時間集中して読むことはなかなかできないのだが、
細切れに中断してまた読み継いでも、すぐに作品の中に入り込めるのは、
いつもながらの迫力ある筆致のためだろうか。
それに加えて、これもいつものことだけれど、
興味深い実態をいろいろと如実に伝えてくれる。
今回は、まずケニアでの象狩りの場面から始まり、
ケニアの生活、ライオン狩りの様子が描かれ、
話が過去の思い出話になると、今から40年ほど前の労働組合の実態、
反体制派組合潰しと御用組合結成の模様、
それからパキスタンのカラチの生活、、、
そしてて第2巻に入って、イランのテヘランでの生活が描かれ始めている。
主人公恩地元は、意に反して組合委員長の座について、
それまでの組合とは異なる労働者の側に立った運動を展開した罪で、
「海外流刑」に処せられているというわけである。

この作者の取材力にはいつも驚かされる。
しかも、それを興味本位に悲惨な現実として報告するのでなく、
常にそこに正義の人、誠実の人が生きているのがうれしい。



2003年08月06日(水) 安城学園の意外な失敗

昨日、吹奏楽コンクール県大会の役員として豊田に出かけ、
ホール入り口の出入りを規制する役の生徒たちを世話していた関係で、
半分以上の学校の演奏を、審査員席近くで聞くことができた。
愛知県の吹奏楽の御三家は、名電、光が丘、安城学園なのだが、
昨日は光が丘と安城学園が出ていた。
(県大会を昨日ときょうの2日間でやって、7校ずつ14校を選び、
 10日の代表選考会で、改めて東海大会への代表を選ぶシステムである)
音色といい表現といい、安城学園が飛び抜けていいように思った。
とにかくもう、驚くべき音色だった。

ところが、結果発表を聞いて驚いた。
安城学園は、タイムオーバーで失格という結果になってしまったのだ。
あとで本部で聞いたところによれば、12分の制限時間を
33秒も超えていたということだ。
顧問がルールを知らなかったからでも、慣れていなかったからでもない。
全国大会に何度も出場し、最高峰を何度でも極めている顧問である。
練習で時間を計ってみたときに、見間違えていたと想像するしかない。
それにしても、実に不思議で意外な展開である。

8月末の東海大会を経て、10月の全国大会まで予定していたはずの活動が、
こんな8月の初めに終わってしまうことになったわけである。
コンクールに向けた練習、という見方だけで考えたら、
その練習は無駄に終わってしまったわけである。

これとは違う話になるが、私は前々任校から前任校にかけて、
コンクールには16回参加したことになり、そのうち14回県大会、
3回東海大会に進んだのだけれど、回を重ねるにつれて、
上位大会に進んでも無駄な場合とか有意義な場合とかがわかるようになった。
わからないうちは、表現とかアインザッツ(縦線合わせ)を
しゃかりきになってやる。
実際、それをやれるかどうかが運命の分かれ目とばかりに、
大いなる幻想を抱いて一生懸命になっている団体は多い。
けれども、先立つものは個々の音色であり、パートごとの音色の統一であり、
音程の統一であり、豊かな音量であり、
それらを土台にしたハーモニーの整理と音色の調和である。
それらができていなければ、何をどう凝っても無意味なのである。
夏の酷暑に耐えながらあくせくしても、何も報われないのである。
だから、コンクールの結果なんてのは、5月ころに8割方決まっている
といっても過言ではないのである。
土台の方は、2カ月ほどの間にそれほど飛躍的に向上するものではないからだ。

安城学園ほどの演奏となると、確かに県大会に向けた練習は
無駄になってしまったかもしれないけれど、
そのための土台作りを考えると、決して無駄になってはいない。
生徒たちにとっては、実にくやしくつらい結果に終わってしまったけれど、
いくらでも今後に生きていくトレーニングがなされているからだ。
これに対して、肝心なことをないがしろにした悪戦苦闘は、
また次の時にも悪戦苦闘をくり返すしかなくなるわけである。



2003年08月04日(月) 夏が来た

立秋まであと2、3日というころに、ようやく夏が来たようだ。
駐車中にサウナと化した車に乗るのが億劫な陽気である。
部活を見てやったが、座って個人指導しているだけなのに、汗が出る。
少しコントラバスを弾いてみたら、30分もしないうちに汗だくだ。
今、エアコンの部屋と遮断されている廊下は、ぼわっと蒸している。
明日の資源ゴミ回収のために段ボールを括ったら、それだけで汗だくになる。

でも、暑くなり始めたと言うだけで、我々が過去に体験した夏は
この程度の暑さではない。
けれども、程度の問題でなくて、暑いものは暑い。
暑さがまとわりついてくるあの感触は、独特なものだ。
酷暑だろうが猛暑だろうが軽暑だろうが、イヤという点では大差ない。
これから、立秋という暦も無視して、猛暑が暴れ回るのだろう。
この1カ月ほど、涼しくて、夢のような思いでありがたがっていたことも、
すぐに忘れて、陽光を恨めしく眺めることになるわけだ。

明日はコンクール県大会役員で、1日中、ホールでの仕事である。
暑さからは避難していられる。



2003年08月03日(日) 「12人の優しい日本人」

注文したDVDが早々と届いたので、本家の「怒れる」を見るより先に、
まだ見たことのないこちらの方を先に見ることにした。
見終わって、おみごと!! と感心した。
うまい!! というわけである。
もっとも、本家の方をまったく知らずに見たらこれほどおもしろかったか、
それは疑問である。(あたりまえだ)

前半は、日本人だといかにもこんなことになりそうな、、と思わせるし、
それだけで終わらず、トヨエツが演じるまったく無関心そうだった青年が
にわかに真剣になり始めてから、適度に緊迫した真相究明劇となる。
本家のヘンリー・フォンだが、途中からやっと登場する仕組みである。
前半までヘンリー・フォンダの役柄に近い立場にいた男は、
途中からもっとも意固地な立場に転じ、
リメイク版のラストの実に印象的だった一言で諫められる。
「今裁かれているのは被告であって、あなたの○○ではありません」である。
あ、あのラストと同じことになりそうだ、と思っているところへ、
案の定この言葉が出てくるので、実におもしろい。
しかもそれが、最初のうちは正義の立場にいた人物だというのがおもしろい。

自己矛盾だらけだったり、会議のルールを無視してばっかりだったり、
私情にとらわれっぱなしだったり、判断不能だったり、表現不能だったり、
フィーリングでしか判断できなかったり、事なかれ主義だったり、、、
(職員会議だけ経験してても、そういういくつかの体質を感じるぞ)
それにまた、陪審員長に選ばれている男が、
有罪にするのが恐いから無罪にしているだけだったり、、、
どうしようもなく混迷した審議(または言い争い?)が続いたあとで、
ひとりの青年が推理していく中で、それまで表現できないでいた者まで、
自己主張のきっかけを見出していく様子がうまく描かれている。
もちろん、相変わらずの者もいる。
けれども、みんなで納得のいく評決に達したあとはさわやかな交流がある。登場人物たちのさっぱりした退場時に、2、3のオチが用意されているのもうれしい。



2003年08月02日(土) 花火大会はパス

長良川花火大会の時は練習を休んでください、と
市吹の団長から毎年言われているので、昼間の用事が何もないときは
実際稀なチャンスしかなかったけれども、休ませてもらっていた。
今回はどうしようと一昨日まで迷っていたのだが、
スコア(総譜)を預けておく機会がなかったので、
代わりに合奏練習を仕切る者(団長か副団長である)が困るだろうと、
花火は断念して市吹の練習に出かけることにした。

こういう日に5時ごろ練習に出かけることはめったになかった。
たいていは、吹奏楽関係の用事が日中にあって、
その出先から活動場所に向かうものだったからである。
また、仮にあったとしても、名岐バイパスを通ることもなかった。
市吹の行き帰りに名岐バイパスを使うようになったのはこの4月からである。
で、車の流れを見て改めて驚いた。
もう岐阜方面はかなりの車が溜まって、渋滞し始めている。
その影響が反対側にそのまま現れるものとは容易に信じがたいが、
こちらはいつもよりもうんとスイスイ走れて、短時間で着いてしまった。

先週くらいから盆のころまでは、長良川花火大会だけでなく、
そこかしこで祭や花火大会が行われる。
団員の住んでいる地元の祭もあったりする。
現に今夜は、岩倉の駅近くの商店街の祭もあったようである。
夏休みでもあるし、会社員は長い休みの前に仕事に追われもするだろうし、
8月というのは、市吹の活動が非常に寂しくなる月である。
わざわざ出かけても、とても合奏できる状態でないことがありうる。
実際、昨年のこの日の参加者は十数名だったそうである。
今夜の参加者は、25名で、やはりかなり少ない方である。
それでも、各楽器に最低ひとりは参加してくれているし、
各パートの主力はそれほど多く欠けていないので、
合奏がなんとか楽しんでやれるだけの団員が集まったことになる。

今夜出かけて行った甲斐があったとホッとしたのは、
団長が急病で欠席していたからである。
団長はドラマーであるが、もうひとりのドラマーがいれば合奏を仕切るし、
いなければ副団長に仕切らせて自分がドラムを叩く。
私がいないときは、複雑な構成の曲はやらないで、
ドラムのリズムに乗れば進行していくポップス系の曲を合奏するそうだが、
今夜はドラムセットを叩けるものがひとりも来ていないので、
何を練習するか困ったことになったはずである。
ま、個人練習だけやってもらってもいいわけであるが、
いろいろ時間をやりくりして集まってくる団員にとっては、
週1回の合奏を楽しみにして来るのだから、
1時間半の合奏時間はできるだけ確保してやりたいものである。
ま、きょうも何とか最低限の責任が果たせてよかったという思いである。

帰り道は、木曽川を越えるともう反対側の車線はかなりの車で、
岩戸トンネルへの陸橋に上がるあたりから、車の列が続いている。
こちら側の車線はめったに車がいないという感じである。
右側の車の列と左側の壁との間の細い通路をすり抜けて走る。
渋滞でイライラしているであろう人々を尻目に見てスイスイ走る。
花火を楽しめなかった鬱憤をそんな形で発散しているようなものである。
以前は、このあと、家まであと少しというあたりで渋滞の列に入り、
なかなか身動きできなくなって、11時を過ぎるのが常だったが、
(なんでお前らのためにこんな目に遭わなきゃいけないんだ、と
 クタクタで帰ってきたときなどは、苦々しく思ったものである)
この4月に道路が整備されたおかげで、その渋滞もなくなった。
家の近所まで脱出しようとする車の列はほとんど動けず続いていたが、
帰宅する私の方向にはほとんど影響なく、10時には帰宅できた。






2003年08月01日(金) 薪能

薪能と聞くと、この上なく幽玄な能舞台を思い浮かべる。
能楽堂で楽しむ能に1度でも魅せられれば、薪能というものに憧れるものだ。
あの芸術が、篝火の灯りだけに照らされている様を思い浮かべるだけで、
もう眩暈がしそうなほどのゆかしさにとらわれてしまうのである。

十数年前から、私の家の近くの河原に舞台をしつらえて、
この8月1日前後に薪能が開催されてきた。
長い間ずっと、それは入場券や整理券を手に入れるのに一苦労する、
特権的な人たちにしか見られないものだと思い込んでいたし、
たいていは部活動を終えて帰路について、この河原の堤防を通るとき、
もうすでに謡曲の音が響いているという具合だったので、
家から歩いて10分ほどのところで開かれている薪能も遠い存在だった。

ところが、今年度は部活動もたいへんではないし、帰り道も早い。
しかも、長良川薪能も整理券制度を廃止して、自由入場になっているそうだ。
5時半ごろ帰宅すると、子ども2人とも、薪能に出かけたという。
2人とも、普段から能や狂言に親しんでいるわけではない。
私がテレビから録画した能・狂言のビデオも、
2、3の狂言だけ見たことがある程度である。
けれども、坊ずの方は4月から演劇に関わりのある専門学校に通い始め、
娘の方は大学の一般教養科目でこの方面のことを学んだらしくて、
そんな成り行きで2人とも開場前の時刻から開場に赴いて、
ぜんぜん混んでないからおいでよ、みたいなメールが入ってきた。
2人ともそう子ども扱いしたくはないけれど、
夜道がどんなだかわからないので、迎えがてら最後の能だけ見に行った。

能の後半をねらって、着いたのは7時20分ごろだったけれど、
これから最後の能の演目「養老」が始まるところだった。
かなり広いスペースに、白いビニールシートを敷いてある。
今までずっと、100人程度の限定されたスペースだろうと思い込んでいた。
数百人は座れそうな広い中で、7割程度の入りであろうか、、?
もちろん途中の出入りも多い。
けれども、こんな渋い催しめあてに3、4百人の人間が集まるのが意外だ。
ふと横を見ると、暗がりで台本を手に聞き入っている人もいた。

残念だったのは、舞台のそばの篝火は2つだけで、
ほとんど電気による照明で舞台が照らされていたことと、
能舞台が低すぎて、後ろの方だと、立たないとよく見えなかった点である。
坊ずは前から2番目の列で見ていたからよかったけれど、
少し遅れて到着したために、2ブロック目の最前列にいた娘は、
もうそのあたりから携帯用の椅子を遣っている人もいてみづらかったそうだ。
私が座ったのはうんと後ろの方なので、姿も小さい上に、
役者の立ち姿の上半身しか見えないような状態だった。
ご親切にも、見づらい人たちのために、大型スクリーンに映写されてもいる。

幽玄を満喫できるようなあつらえではなかったにせよ、
なにしろ、背景は暗がりの金華山であり、長良川の川面である。
能が演じられているさなかに、篝火を焚いた屋形船が3、4そうずつ、
川を下って行くのが背景に入ったりすると、格別な味わいである。
私はとにかく、あの能楽の、世界のどこにもないような独特のリズム感で
演奏される、あの音楽が好きである。
それを夜空の下で聞くというのも、格別な味わいである。
こういう楽しいひとときが、無料で自由に過ごせるのが不思議に思われた。


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