TENSEI塵語

2003年04月28日(月) PM7600 機の再生

昨日、ついに意を決して、この古い7600機の再インストールに取りかかった。
あるメールフォルダが破損して、2GBものお化けファイルになってから、
いろいろと不具合に悩まされるようになった。
もっとも深刻なのは、PC起動時に、起動完了直前で固まることが頻繁になったことだ。
時には、10回も再起動を試みて、やっと起動するということもあった。
朝、前夜作ったプリントを修正してから出かけようとして、
なかなか起動がうまくできなくて、焦りまくって仕事をすませて出かけたこともある。

もうひとつの理由は、OS8.6では、新iMacとのプリンター共有が不可能ではないかと
考えたためで、それをOS9で試してみようと決めたのだった。

昨日、当面の授業のための仕事を終えてから、再インストールのための準備を始めた。
最近CDRの調子がぜんぜんなので、MOにデーターのバックアップをとるのに、
約3時間を費やしてしまった。
何せ、一太郎で作ったファイルだけでも、1100以上もあるのだ。
保存に時間がかかるだけでなく、もう完全に消去してしまうわけだから、
何をバックアップして移植するかも、いろいろ考えなきゃならない。

この7600機は、本来のCPUとは別物を後からつけ足したいわゆる改造マシンなので、
OS9をインストールすることに長年不安を抱いていたのだけれど、
ありがたいことに、快適に動作してくれている。
起動時に固まってしまうなんて恐怖からも、解放してもらえそうである。
けれども、今夜試みたプリンター共有は、相変わらずできないでいる。
何がダメなのかもさっぱりつかめない。

けれども、正常に動作してくれるようになったことは、実にありがたい。
この愛すべきマシンが、腫れ物でなくなったということだ。
愛するものは、まず健康で生きていてくれなければいけない。



2003年04月26日(土) 山本屋

娘が大学で弦楽アンサンブルのサークルに入るというので、
3年間放ってあったヴァイオリンをメンテに出しておいた。
それが完了したという連絡が入ったので、市吹の前に楽器屋に引き取りに寄った。
ついでに夕飯を、楽器屋の近所の山本屋でとることにした。
私にとっては、数年ぶりの山本屋の味噌煮込みうどんである。

その値段表を見て、目ん玉が飛び出るほど驚いた。
並が1000円、かしわ入りが1500円である。
名古屋コーチン入りになると1800円になるようだ。
ふざけんな、山本屋!! って感じである。

たしかに私はこの味噌煮込みうどんが好きだし、
土曜の市吹の前の夕食ではいつもだいたいそれくらいの金額を払っているので、
きょう食べた分については、懐かしくもあり、美味くもありで、
それはもうそれでいいことなのであるが、
ただ、こんな超高額料理はめったに食べに来られないな、と思ったのである。
実際、客がほとんどいない。多くの人が同感に違いない。



2003年04月22日(火) 久々の寝坊(=_=;)

今朝目を覚ましたら、7時を過ぎていた。
昨夜、目覚まし時計をセットするのを忘れて眠ったらしい。
大学の遠い娘が、出かける前に起こしてくれた。
それでも、7時半ころに出るのは不可能ではないのだが、
ごちゃごちゃとやるべきこともあって、7時45分の出発になってしまった。
先月までだったら絶対に遅刻するケースである。
今の学校は、朝の職員打ち合わせが前任校よりも5分早い。
それでもいつもどおりだったら大丈夫だろうと思いつつ出発すると、
なんと、家から5分ほどの所の最初の渋滞地点が倍以上の長さになっている。
いつもは長いトンネルを抜けてからゆるゆる渋滞になるのに、
今朝は、トンネルの入り口からすでに渋滞なのである。
こうなると、ひぇ〜〜〜っと悲鳴をあげざるをえない。
どうなることかと思ったけれど、結局は所要時間きっちり30分でおさまり、
8時15分に着いて、何ごともなかった。
やっぱり、通勤時間が短いということは、
他にどんな事情があっても、文句言う理由がなくなることだなと痛感した。
きょう初めて事務室に行って必要な文房具をもらって来られるようになった。
きょう初めて職員室や進路室のPCで仕事をした。
どんな風にPCがつながれていて、どんなファイルがあるかわかり始めた。
さまざまな仕事もいくらか先が読めるようになった。
今は特に用心深くなっているので、かえって慣れてる人より先を見てるかもしれない。
五里霧中の中にいた2週間前が懐かしい感じである。



2003年04月21日(月) 秋の風情??

ここ数日平年よりも暖かいような暑いような日が続いていて、
昨日は、なま暖かいような空気の中で豪雨になったりやんだりしていたけれど、
きょうは1日中、不安げな雲行きの中で冷たい風が吹き荒れた。
駐車場には枯れ葉が舞い、帰るころにはそこかしこに枯れ葉の山を作っていた。
枯れ葉を踏んで歩くと、ブラームスの交響曲3番、4番の風情である。
ただ、この葉のほとんどは、桜の木から落ちてきたものだろうし、
時折、まだ若いような新鮮な緑の葉が混じっているのが、秋の風情を損なっている。

夕方外を歩いていると、冷たい風に震えた。
夕食の1品を湯豆腐にした。
今私の部屋にはストーブが久しぶりに点火されている。
しかし、不思議がることはない。4月にはこういう日もたいてい訪れるものだ。



2003年04月18日(金) 事務局解任

きょうは午後から吹奏楽連盟の支部総会だった。
10年間やってきた支部事務局長の役を降りることができた。
まだ補佐として残って、新事務局長をサポートしていくのだけれど、
すごく解放された気分である。

最初のころは、こういう役に就かなくてすむように、
支部の会議にはできるだけ出ないようにしていたものである。
熱心さを見せれば、すぐにこういうところに抜擢されてしまうと恐れていた。
人のために働くのは嫌いじゃないけれど、
できれば、自分の学校の生徒のめんどうを十分に見ていたいものだと思っていた。
けれども、あのころ、珍しくアンサンブルコンテストの手伝いに言って、
事務局兼会計を担当してあくせくしているI氏の姿を見て、
事務局の方だけでも分担してあげようと思ってしまったのだった。

それで担任を持った年などは、コンクールを控えた夏休み前になると、
午前中は授業の合間に事務局の仕事に追われ、
午後は保護者会の合間に1時間半ほど練習を見るという毎日だった。
多忙なんて生易しい単語ですませたくないほどの激務の毎日だった。
懐かしい思い出である。



2003年04月16日(水) 7分の6

今度の学校は、月・水は7限授業である。
前の学校で、こんなことがないように警戒し続けていたメンバーのひとりなのに、
こっちへ転勤したら文句言うより前に、去年から行われているわけである。
皮肉な話である。

きょう、その7限のうち、6つが詰まっているという事態を初体験した。
もちろん、授業だけで詰まっているわけではない。
1限目がHR(LT)、2限目が教科会、3、4、6、7限目が授業、
5限目だけ空いてはいたが、心電図・血圧検査・血液検査に半分は奪われた。
7限目の後は、生徒の個人面談で、3組5人の面談を行い、
(年度初めの面談では、こんなのは私だけだと思うが、希望で2人組まで許すのである)
それから、部活登録書だの、個人写真を貼って完成した書類の整理である。
朝8時10分から、夕方6時10分までフル稼働の1日だった。

予め決まっている時間割では、きょうは7分の5なのだった。
それが、明後日吹連の支部総会で出張、その時間割変更が難しくてこうなったのだが、
それを気にした時間割係が時折ねぎらいの言葉をかけてくれるのだけれど、
実際にはそれほどたいへんでもないのである。
何とかなるものである。
そりゃあ、ほとんど1日中つきっきりで、給食も一緒にいなきゃならない
小学校の先生の方がたいへんでしょう、という感じになる。
何と言っても、相手にしているのが1年生だから、HRも授業も楽である。

ざっと数えて、12回ほど3階まで上り下りして向こうの校舎に渡った。
それは確かに疲れた。



2003年04月14日(月) 生活の変化

先月までは、ほとんど毎朝のように、分・秒を争いつつ、さまざまにコース選択して、
出勤時間ぎりぎりセーフの命がけの競走をくり返していたのに、
最近は、毎朝8時前後の、余裕の出勤である。混んでいても焦らない。
それは、新しい職場で先のことが見えにくいので、
朝早めに行って、1日の日程や連絡事項をしっかり確認しておきたいためでもあるが、
以前と同じくらいの時間に出ても、8時前後に着いてしまうのである。
帰りも30分足らずで帰れるので、6時過ぎまで仕事をしてもかまわない。

先月までは、チャイムが鳴ってから授業に行くのが普通だったのに、
今は授業の3分くらい前に授業に向かう。
どの先生も、授業に出発するのが早いから、郷に従っているのである。
実に感心な習慣だなぁ、、困るけど、、、いつからこうなんだろうと思って、
喫煙室で質問してみたら、今年からだと言う。
去年の状況がひどかったので、その改善案の一画だという。

妻も転勤になって、たいてい帰りが7時半ごろになる。
娘も大学に入って、きょうから授業が始まり、
5限目に必修授業が入っているきょうなどは、8時半の帰宅である。
サークルに入ったりなどすれば、毎日何時に帰るかわからなくなるだろう。
先月までは、夕飯は7時を原則にしていて、常にあわただしい夕方だったけれど、
このごろは、夕方バタバタ焦る必要はなくなった。

まだ、1日中ゆとりのない毎日ではあるが、
大急ぎで何かをしなければならないほどあわただしい思いをする必要がない。
その意味では、平穏な毎日と言ってよい。



2003年04月13日(日) OS10への移行

Mac OS10 では、classic 環境、つまり、OS9も同時に稼働できて、
OS9以前のソフトも動作可能、ということになっている。
ところが、実際やってみると、エクセル98も、一太郎5も、
めったにうまく起動してくれないのである。
起動しかけては、消えてしまうのである。作業不能である。
いろいろ解決を試みたけれど、なかなか改善されない。
レーザープリンターを買い換えて、新iMacにつないだけれど、
新iMacでは旧Office は使えないし、プリンター共有もできないのでは、
プリンターを買い換えた意味がないし、試験のころには大いに困りそうだ。

きょう、ついに、OS10対応のOffice を買いに行った。
アカデミック版が買えるから、半額以下である。
ついでに、OS10対応の宛名職人とダイナフォントも買った。
フォントも自由に使えないとおもしろくない。
こういうソフトも、3、4年前に比べると、驚くほど安くなったものである。

結局、これから主要ソフトは、OS10に移行していかなければならないのだろう。
出費はかさむが、そういう転機が訪れたのだ。
今年1年は何もかもが新しいことへの挑戦になるようだ。
一太郎が使えないので、ワードで試験を作ることも覚えなきゃならないようだ。



2003年04月11日(金) バタッ、、、

、、となりたくなりそうな週末である。
激忙の5日間であった。
もう2週間くらい過ぎてしまったような気がする、、、けれど、
そのわりには、まだまだわからないことだらけである。
そうそう、15年前の転勤の時も、このわからなさが煩わしくて、
転勤などできるだけしたくないものだ、と思ったものである。
特に昨日までは、空き時間がほとんどないのにまいった。(*_*)
やることはいっぱいだし。。。
喫煙室では仕事できないし。。。

ルーズソックスを今週はひとつも見ていない。
3年生あたりに2、3人残存しているという話ではあるが。。。
紺ソックス系を奨励すればルーズソックスはなくなるものである。
数年前、名古屋以南で紺のハイソックスが流行り始めたころ、
指導部長に紺のそれを規定に入れるように勧めたのだが、聞き入れられなかった。
セーラー服に紺のハイソックスも、それほど似合っているとは思わないが、
セーラー服のミニスカートにルーズソックスなんて、狂気の沙汰である。

ケータイを手にしている生徒も、まだひとりも見ていない。
休み時間に2、3年生の階を歩いて教室に行ったことも3度ばかりあるけれど、
まだひとりもそんな生徒が目に入っていない。
昨日、ふとそのことに気づいて、気づいたから不思議に思ったのだ。
本来あたりまえのことなので、気づかないでいたのだけれど、
ふとそのことに気づいてしまうと、すご〜く意外な感にとらわれたのだ。

先が見えにくい、等々のイライラはあるけれど、
生徒を見ている限り、イライラの種は少ないようで救われているらしい。
1年生が今のところ落ち着いているのはあたりまえとしても、
2、3年生(ひどいやつがいっぱいいるなどという評判である)を見ても、
ほとんど不愉快を感じさせられないのがありがたい。

今夜は確かに疲れているけれど、連休前の解放感で癒されている。



2003年04月09日(水) フセイン像倒壊

初の本拠地戦での松井の大リーグ第1号満塁ホームランと、
風雨に悩む神宮球場での、シーソーゲームを9対8で制した巨人戦とを、
スポーツニュースで見たくてテレビをつけたら、バグダッドの映像。
フセインの像が映っていて、首にワイヤーが巻かれ、市民が集まっている。
バグダッド制圧などと言葉が聞こえる中、ただならぬ雰囲気に見守っていたら、
11時49分、軍用車によって引っ張られた像が倒れた。
さらにその像が崩れ落ちると、市民たちがその上に乗って狂喜乱舞である。
始めてしまった以上、とにかく早く終わるのを祈るしかないと思っていた戦争が、
やっと終わってくれたかと安堵させてくれるような印象だった。

しかし、それからしばらくいくつかのチャンネルに切り換えながら
いろいろなコメントを聞いていると、決してまだ終わったわけではなく、
難問をいくつも残しているようだ。
「歓迎する市民もいるが、国土を米兵に踏みにじられたと哀しむ市民もいる」
という、あるジャーナリストのコメントが印象的だった。
しかし、フセインへの忠誠を装うしかなくさせる秘密警察が機能しなくなったのを
歓迎する国民が多いのは確かのようだ。この点は戦後日本と似ている。
今後のイラクが、日本と同じ過ちをくり返さないことを祈る。

まだ随所で戦闘が続くようだ。
とりわけ、フセインの故郷の町には攻撃準備がなされつつあるようだ。
暫定政権の発足も、これから、短くても半年はかかる見込みだそうである。
平和はまだまだ先の話のようである。

早く寝たいので、メモ程度にとどめておく。



2003年04月08日(火) 嵐の1日

昨日はぽかぽかと暖かい1日だったのに、きょうは風雨の吹き荒れる1日になった。
体育館は寒くて腰が痛い、渡り廊下は横殴りの雨、、実にうっとうしい。
体育館の中にも風の音と、時折は物のぶつかる音が聞こえていた。
昼過ぎにだんだん治まったかに見えたけれど、夕方遅くに気まぐれな雷雨にもなった。
桜もかなり散ったけれど、まだまだ終わりという感じではないようだ。

きょうは、まず朝に清掃があって、それから、体育館に入り、
新任式、受納式、始業式、生徒指導と教務の話、対面式と続いて1時間半以上、
これでまず、腰が壊滅的に痛くなって、時折ステージ袖の準備室で休ませてもらった。
それから武道場で、1時間近く、生徒指導関係の新入生ガイダンス。
それから教室で、ほとんど事務的なLTで終了。
ほとんどのんびり一服する時間がない。。。

それにしても、静かな式典だった。
2年生男子に落ち着かない部分があるけれど、私語はほとんど聞こえない。
受納式や対面式まで静かにしているのは、久しく味わわなかった感触だ。
2、3年生には茶髪、金髪がちらほらかと予想していたけれど、
目立つようなのはひとりもいない。
ルーズソックスも見当たらない(今年度から正式に禁止したそうだ)。

朝弁当の注文を忘れた、というか、その方法を聞くことさえ忘れたので、
大急ぎでコンビニに買いに出て、大急ぎで食べて、
まず、1時半から、留年生についての去年の学年主任からの説明会があり、
それに引き続いて、転任者向けのオリエンテーションがあった。
各分掌主任がわざわざそれぞれの立場から学校の運営について説明してくれるのだ。
これは前任校でも、やらなきゃいけないとは思いながらも、
なかなか時間設定がむずかしくてできないでいたことだ。
ここでは、教務部の担当者がしっかりセットして段取りして行われている。
これは大事なことであるけれど、やはりこの時間設定はつらかった。
転任してきても副担任におさまるようであれば、どうってことないだろうけれど、
昨日から先が見えにくい中で新入生のめんどうを見てきて、
まだその後始末もいくつかしなきゃいけない立場の者には、
この3時間ものオリエンテーションは、後回しにしてほしいものでしかなかった。
疲れがどっと押し寄せてきて、質問があってもする気力もなく、
それどころか、もう聞こうとする気力もなくなって、(-_-)zzzの世界に引き込まれて行く。
腰は痛いし、寒いし。。。

それよりも、職員室のどこに何があって、何がどう使えるかとか、
PCのどこにどういう書式のファイルが入っているかとか、昼食の注文の仕方とか、
そういうガイダンスこそ早くしてほしいもんだと思ったけれど、
(もちろん、図示したプリントさえあれば足りるのだが)そういうのはなかった。

ま、そういうわけで、きょうは暇なしの1日になり、さらに残務整理もして、
疲れ果てて帰ってきたのだった。

・・・そうそう、昨日の「相違点」で、ひとつ書き忘れていた。

・入学式で1年生担任の他の5人はみんな礼服だった。こんなのは初めてである。
 もちろんそんな指示が出ていたわけではないし、
 喫煙室の話題でも、礼服は卒業式だけでいいよ、ということだったけれど。。。
 



2003年04月07日(月) 入学式

まだまだ先だと思っていた入学式が、やっぱりちゃんと来てしまうのである。
そう大して緊張するわけではないのだけれど、
転任先でのいきなりの1年担任で、例年の状況を知らない中での未知の生徒との初対面だし、
何よりも、背広にネクタイという年に数回もないような格好で出かけるのが憂鬱である。
自分もよくわかってない中で、先に少しずつ知りつつ教えて行かなきゃならないのは、
これはたしかに忙しないことだけれども、
精神的には、2、3年生の担任として明日初対面するとか、
副担任として明後日以降初対面するよりは、うんと気が楽だと思う。
1年担任となったおかげで授業時間数の都合で、今年は1年生だけ教えればよい。
それも、かなり気楽な雰囲気をもたらしてくれている。
きょうのクラスの生徒との初対面の印象は、
10年ほど前に前任校で1年担任をした時の印象に似ているかもしれない。


所変われば、本当にそのやり方にも違いがあるものだ。
その点を簡単にまとめておこう。

・前任校では、生徒は親とともに体育館に入った。
 現任校は、生徒だけ教室に入れる。担任が出欠確認をし、体育館に誘導する。
 その際、当然のことながら、自分が担任であることを明確にするわけだ。
・入学式後、担任紹介の時間があるが、
 前任校では担任も副担もステージに上がり、紹介されていた。
 現任校では、予定では担任だけの紹介になっていた。
 会議でそれを質問したら、副担任にもいっしょに紹介する方に改められた。
・前任校では入学式後、健康診断があって、個人写真撮影もあって、提出物回収作業、、、
 この日の1年生担任はめまぐるしい忙しさだった。
 不確定な進行の中で昼食時間も判断してやらなければならず、
 時間のやりくりもたいへんな中で、自分自身も健康診断を受けさせられる。
 これは何とかならんものか、と思っていたけれど、何ともならずに来ていた。
 ところが、きょうは、入学式後は、4つの回収物と、
 クラス写真撮影、個人写真撮影で、12時前に解散である。
 健康診断・身体測定は、別の日に2回に分けて設定されている。
 初日の大変さがすごく軽減されたような気がしてありがたかった。
・ところが、現任校でも今年から始まったたいへんなものが加わっていた。
 生徒を帰した後、体育館でさまざまな説明を聞かされていた保護者たちが、
 教室に誘導されてきて、学級懇談会なるものがあるのだという。
 せっかくだから、そういう時間を作った方がいいんじゃない? で決まったそうだ。
 最初はひぇ〜〜〜っと思ったもんだが、考えてみれば、悪くない企画かも。。。
 そう思って、学年主任が急遽用意してくれたプリントはほとんど無視して、
 日ごろから思っている方針や問題点をバァーーッと話して終わりにした。
 読書について話すのを忘れたのが心残りだけれど。。。
 質問や要望は出なかったけれど、後から3人ほど相談や挨拶が個人的にあった。
 



2003年04月04日(金) 離任式欠席・歓送迎会出席

きょうは離任式で、転任の挨拶を前任校の生徒たちの前でしなければならなかったが、
転勤の内示が出たすぐに、この日は出られないことを担当者に伝えておいた。
小5のころから不登校を続けた坊ずの、新しい通学先の入学式だったからである。
専門学校なので、保護者同伴の必要はなかったのだけれど、
名古屋の入学式会場の場所も本人にはわからないし(下見に出したけれどダメだった)、
何か、本人だけでは対処しきれないようなことも起こるかもしれないと思い、
連れて行って近所で待機するということを、1カ月前に決めたのである。
そこに転勤の内示が出て、どうしようか迷ったけれど、
やっぱり、自分の子どもの方につかざるをえないなぁ、と判断したわけである。

9時半に出かけて、11時少し前に会場に着いて、
11時の受付時間に坊ずが会場に入っていくのを見届けて、
それで安心していいはずだが、それからが心配の連続である。
12時の式開始の時間近くまで、会館前のベンチで待機する。
自分から、この勉強はしたいということで選んだ学校だから、
心配する必要はないはずだけれど、ひょっとして、
緊張と圧迫感のために、会場から飛び出して来ないとも限らない。
また、このために未明3時から起きている本人が、
式の途中、いや、式を待つまでに眠ってしまって、
肝心なことを聞いていないということもあるかもしれない。
いざ困ったときには電話するように言っておいて近所で待機していた
この11時から2時過ぎまでの約3時間は、
はたから見ると、どう見てもサボりのサラリーマンにしか見えなかっただろう。

それから、歓送迎会(宴会)に出るために前任校に行った。
4時に、2年前退職されたK女史が会いに来て下さった。
昨夜電話で大方のことは談笑したのだけれど、まだまだ尽きなかった。
K女史は、部活で副顧問を長くやってもらったり、
担任−副担関係でも2、3度お世話になった人である。
また、創立90年の記念誌作りでも、協力関係にあった人である。

歓送迎会でいざ指名された場合の挨拶も考えてはあったけれど、それは無用で済んだ。
この15年のことを思うと、泣いちゃう恐れがあるので危険である。
スピーチは免れて、次々に注ぎに来て話しに来てくれる人たちとの談笑が続いて、
宴会場から追い出されるまで参加したのも久々だった。

とにかく、きょうで一区切りとなって、月曜日から新たな生活が始まるわけだ。


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