TENSEI塵語

2003年03月31日(月) 赴任校での第1日

1年生担任、進路指導部、は、先週の木・金曜日の教頭からの電話で聞いていたが、
気になっていた部活顧問は、吹奏楽部と文芸部に入っていた。
やれやれである。
吹奏楽部員は現在1名だけだそうで、3年前から連盟も脱退していたので、
もしも顧問になれないとすると、支部理事として仕事を続けるのも難しくなる。

とにかく、転任したときはわがまま言わず、言われるがまま、をモットーにしてるので、
何が来ても、へいへい、ほいほい、ふんふん、という感じである。
転任者にいきなり担任をやらせるということは前任校でもあったからいいとしても、
1年生の学年主任も転任者とは驚いた。
引き受けてしまう人も大したものである。
つまり、学年主任を頼まれて、みんなイヤだと駄々こねたわけだ。
1年以上いれば、割と意を汲んでもらえるのかもしれない。

きょうの会議は、職員会議と学年会と分掌会と教科会であるが、
転任した時は実に気が楽である。
とにかく何もわからないのだから、へいへいほいほい言っていれば済む。
長年いるとたいへんである。
何とかうまく会議を進めようと、四苦八苦する羽目になる。
きょうは時間的にはたいへんだったけれど、精神的には気楽な1日だった。

もうちょっと緊張してもいいはずなんだけれど、なぜか、悠々としている。
年の功なのかな、と思ってみたけれど、去年までは同じ学校にいながらも、
もうちょっと緊張していたような気がする。
転勤で、自分の仕事と思っていたことを中断させられた怒りと空虚が強いのだろう。
まぁいいよ、なんでも、、、という投げやりな気持ちが強いようだ。
こういう時は、担任でもやった方がいい。
校内の仕組みもよくわかるし、新たな張り合いができる。

喫煙室は、職員室と廊下を隔てた向かい側の一室だった。
そこでしか吸えないらしくて、職員会議の後などは、どやどやと10数名が
集まった。
この喫煙室はおもしろいことになりそうである。

国語科、専任では若い方から2番目、常勤講師入れても3番目だった。
ひょえ〜〜〜っ、である。
まだまだ若手教員なんだ〜〜。



2003年03月25日(火) 最後の公務?

現任校での最後の公務が終わった。
午前中、職員会議の後、教科主任会議と教科会。
午後からは新しい教科主任と分掌主任で新体制を決める会議になるので、
私の役割は午前中で終わりである。

午後はいつでも帰れるから、いつタイヤ交換作業に入ろうと考えているうちに、
事務室に呼ばれて、帳簿処理はしなきゃならないし、
組合の分会代議員の承諾を得るために歩いて該当者を探さなきゃならんし、
車にタイヤを積むために、今乗っている荷物を一時部室に運び入れなきゃならんし、
図書館の消耗品の予算執行の書類を書かなきゃならんし、
本屋や司書とあれこれ相談したり、出版社に電話したり、、、
そうそう、引っ越し前というのは、次々に用事が湧いて出るものである。

やっとこさ、時間休届けを出して抜け出したのは3時半も回ったころで、
柳津の賃貸倉庫にタイヤを引き取りに行って、各務原の車屋に走って、
タイヤ交換してもらっていたら、パンクしているというので修理に時間がかかり、
6時半ごろようやく帰宅して、妻の車にタイヤを積み直して、
近所のタイヤ屋に走って、妻の車のタイヤも交換してもらった。
また、ついでに坊ずも車に積んで行って、タイヤ交換の間にケータイ屋に行って、
坊ずのケータイの契約もした。
(高校でなく、名古屋の専門学校に行くことにしたので、今後必需品になるのだ)

なんか、会議だから座っている時間も多かったに違いないのだけれど、
走り回り、歩き回っていたような1日だった。
慣れないジャンルのことにいろいろ頭を使ったこともあって、今頭がぼ〜っとしている。

仕事はまだ終わっていない。
明後日の午前中には、吹奏楽祭以来預かってもらっている楽器を引き取りに行く。
それを部室に戻したら、いろいろと部室の整理をしなきゃならない。
図書の予算関係の残務整理も、その日と翌日で片づけることになるだろう。
そうして、引き継ぎの関係もあって宙ぶらりんになっているいろいろなものを、
整理した上で、最後に車に自分の私物の残りを積み込んで、本当の終わりになる。
まだまだ終わったわけではないのである。

今朝まで難航していたのは、1年生の学年主任の決定だったようだ。
最終的には、喫煙室の我々の私的会議で目星をつけてた人に決定したようだが、
彼がそんなぎりぎりになって説得されたということは、
ひょっとしたら、私が転勤でなかったら真っ先に候補者になっていたのかもしれない。
4年前にそれを頼まれて、駄々をこねて、生徒会主任で妥協してもらったことがある。
転勤にはいろいろな不満があるけれど、見方を変えれば幸いだったのかもしれない。
ちなみに私は、どの主任でもやれと言われればやるけれど(イヤだけど)、
学年主任だけは、やれる自信がない。
先を読んで計画すべきことがあまりにも多岐に及んでいるからである。
そういう能力が自分に欠けているという判断には自信がある。



2003年03月23日(日) お引っ越し その2

昨日も、吹奏楽部の楽譜部屋に行って、私物楽譜や借りっぱなしの楽譜などを
引き揚げてきたのだが、これは時間も短くて、大した作業にはならなかった。

きょうは、司書室の片づけである。
これが厄介な点はどういうことかというと、
3年前図書主任になったときに、それまで職員室にあったものを
大して整理しないままに持ち込んで、そのままにしてあったためである。
その時は、生徒会主任1年間やったところで、図書主任に変えられてしまって、
さあこれからだと思っていたのを中絶されて、ややふてくされていたので、
わざわざ熱心に身辺整理しようという気力がなかったのだ。
また、もうひとつの難題があって、10年前、2年間だけ図書部にいたときの荷物が、
まだ奥の方にずっと残っていたことである。
大きな段ボール箱に本類と、小さな段ボール箱に雑多なものが詰め込まれている。
その雑多な方は、どうやら、そのころ担任していたクラスの生徒の最後の残し物を
放り込んだ上に、整理しきれなかったさまざまの物を放り込んだらしい。
あのころは、春休みといえば、吹奏楽部の演奏会の準備で忙殺されていた。
そんな中で、たった2年間で生徒会に変わることになって、予想外だったせいもあって、
とにもかくにも、机を明け渡すだけで精一杯だったのだろう。。。。

ま、要するに、日常的に整理整頓のできない、子どものころからの悪癖が、
ずーーっと今まで続いているからに過ぎないのだが。。。(この自室も)

きょうの片づけはおもしろかった。
一昨日の喫煙室の物よりも古い年代の物である。
思いがけない物がいくつか発掘された。
特に感動的だったのは、半年前も、その1年前もそこら中探し回った
ある吹奏楽曲のスコアである。
たしか、この場所にも探しに来たのだが、もう一歩踏み込みが足りなかったようである。
お金まで次々に発掘される。
ほとんどは、立て替えてたお金が戻ってきた物や、楽器屋への支払いのお釣りだが、
部費というのもひとつあったりして、これは部活用の財布に入れておいた。
この部活用の財布も、きょう3年ぶりに発掘された物である。
私の財布に戻った分だけでも1万円を超えた。
他にも懐かしい物がいろいろと発掘された。

きょうは、3年生の学年主任をしていたEくんも来ていて、
明日の新入生登校日の準備をする手伝いもちょいちょいしていたため、
午前中ははかどらなかったけど、9割5分ほどの片づけは完了した。
ゴミ袋6袋、縛った本類4束である。
それに先日括ったポロポロの文庫本3束を、4階から1階まで6往復して下ろして、
それぞれの廃棄場所に運んだころは、脚がガクガクしてしばらく動けなかった。

長〜い3連休だった。
3連休が終わるときに、長かったと感じられるようなことは、そうあるものではない。
たいていは、1日目はまだまだ長いように思われても、
2日目の夜あたりからあと1日しかないの? と思い始め、
3連休が終わる夜には、あっけない3連休だったな、、と寂しがるものなのだ。
でも今夜は、この3連休の長さを、物的にも精神的にも実感できる。



2003年03月22日(土) この1週間

17日(月)
定演翌日で午前中は年休をもらってのんびりして、午後から出校した。
午後は、追試結果の処理や教科会など、いくつか仕事があった。

18日(火)
午前中、今年度最後の久々の授業があった。2週間ぶり。。。
午後は単位認定委員会・成績会議などがあった。慌ただしい1日である。
帰りにコンプマートに寄って、エアマックカードを取り付けるためのアダプタを手に入れ、
坊ずのiMacの無線LAN 設定を深夜まで試みたけれど、失敗に終わった。
寝る前に「プラトーン」を半分ほど見た。
戦争の愚かさや虚しさがよく表現されてるなぁ、と感心した。

19日(水)
午前中は、教科書販売&生徒個人写真撮影で、授業もなかった。
留守になる教室の見張りなどの仕事があり、その合間に
森博嗣「そして二人だけになった」を読み終えて感心したりしていた。
午後は、入試選抜委員会で、明日の合格発表の準備。
それから、人事異動内示である。
例年のように他人事として、今年は人対委員長として集約のトップで待っていたのに、
まさか自分が該当者だったとは。。。
夜、坊ずのiMacの無線設定も成功して、これで4台ともインタネ可能になった。
今春の目標のひとつが、やっとこさこれで達成された。
この日、アメリカの対イラク攻撃が始まった。
寝る前に「プラトーン」の続きを見終わって、エンディングで涙が止まらなかった。
バーバーのアダージョを使ったのがどうにも解せなくて、長年の疑問だったが、
納得できた、、、映画を見てみなけりゃわからないものだ。


20日(木)
午前中は終業式である。
校内のあらゆる光景が色を失っている。
ここでの仕事はもうなくなってしまうし、これらの生徒も自分の生徒でなくなる。
もうちょっと頑張るつもりだったのになぁ、、とそんなことばっかり思う。
夜、菜々子さまの「美女か野獣」最終回を見る。
途中で、次の赴任校の先生からの電話があって、経過が見られなかったけれど、
大団円の、父親を番組で告発する場面からは見ることができた。
涙をこらえてインタビューを迫る表情がたまらなくいい。
これは、、、不本意な演技をさせた父親を見送りに駆けつけた桜子の表情だ。
このDVDも買うぞー。

21日(金)
休日だが出校して、喫煙室だけは整理できた。やれやれである。
そんなことは永遠に不可能ではないかとさえ思われていたのに。。。
近所の、通勤路に大きく関わる「鵜飼大橋」がきょう開通した。
さっそく帰りに渡った。

とにかく、いろんな面で、めまぐるしく事態の急変した1週間だった。

22日(土)
きょうは完全休業のつもりだったけれど、
部室においてある私物楽譜や、団員等に借りていた楽譜だけ引き揚げに行った。
昨日は来てなかった教頭が、二人とも出てきていた。
新体制作りの相談なのだろうか。。。

きょうは夕方市吹なので、昼前に退散した。



2003年03月21日(金) お引っ越しその1

休日だが、誰もいないときの方がしやすいので、転勤前の片づけに出かけた。
1日かかって、何とか喫煙室だけは片づけることができた。
ゴミ袋5袋、縛った本類が3束、引っ越し荷物が紙袋6袋、部室に移動が1箱。。。
7、8人入れば満員になる狭い喫煙室の奧に、それだけのものが詰まっていたわけだ。

思い起こせば、7年前くらいにこの部屋ができたころから居座っていた。
4年前まで生徒会だったころは、職員室に机があったのでまだよかったけれど、
図書主任になってからは、机が4階になってしまったので、
ついつい、いろんなものを持ち込んでため込むようになってしまった。
みんな我慢して黙認してくれていた。
悪いなー、とは思いつつも、片づけ嫌いなのでつい放ったらかしになってしまっていた。
特に今年度は教科主任兼任だったので、図書館に上がることも少なくなって、
ますます甚だしくため込むようになっていた。

涙が出るほど懐かしい部屋である。
この部屋ができてほんの1、2年の間に、牢名主的存在になっていた。
年度初めに転任してきた先生が入ってくると、
「そこのー。まだ挨拶がねぇようだが、、」なんて言ったりして遊んでいた。
最近は私が入っていくと、私の席にいた者は立って譲ってくれるようになっていた(笑)
始終笑いに満たされ、議論の場でもあり、カウンセリングの場でもあった。
煙草を吸わなくても居座る人がいるような、憩いの場でもあった。
これやってみよう、あれやってみよう、こうしてみよう、というアイデアの温床でもあった。

明後日は図書館と楽譜部屋の整理に行く。
そこら中散らかしまくっていたのである。



2003年03月19日(水) 転勤だそうだ

人事異動の公表は毎年3月28日ごろなのだが、
たいていきょうあたりに内示というのがあるのである。
そうでなければ、いろいろ困ることがある。
当人の身辺整理の時間も必要だし、校内人事もそんな遅くでは困ってしまうし、
何よりも、そんな異動では困ってしまう人が苦情申し立てをする余裕が必要だ。
そんなわけで、だいたいこの終業式の前日あたりに内々の申し渡しがある。

これは極秘が立て前なのだけれど、苦情交渉に備えるために、
組合はどんな内示が出たかを把握することになっている。
私は、毎年校長室前に立ってそれを聞き出すところに加わっていたけれど、
今年は人事対策の校内の長ということになっているので、
きょうはそういう立場としても先頭に立って、内示を把握しなければならなかった。
そして、教頭が目の前を通るたびに、通りすがりに呼ばれそうだと冗談を言っていた。

ところが、その冗談が本当になってしまった。
ある瞬間、ふと見たら、教頭の顔が真正面にあって、ちゃんと名前を呼ばれているのだ。
長年、この日はいつも高見の見物みたいなものだったので、信じられなかった。
図書主任として始めた仕事がまだ半ばだったので、まだ変わりたくなかった。
そういうことも、校長に言っておいたし、校長もそのつもりだと言っていた。
(でも、その通りになるかどうかはわからない、とはわかっていたけれど)

校長室に入って通達された赴任校は、自宅から1番近い学校だった。
2、3年後か数年後には、自ら希望を出す予定にしていた学校である。
文句の言いようがない。
まだ仕事半ばだから、なんて理由は、こういう場合ぜんぜん問題外だということは
すでに知っているものだから、何とも言いようがない。
もし私が組合員でなくて、こういう事情に疎かったら、ごねたに違いない。
だいたい私は、こうと決めたことは絶対に途中で投げ出さない、あきらめない、
で生きてきたので、途中だけど捨てなさい、と言われるのはくやしいのである。
けれども、そんな理由で苦情交渉をしても労力のムダである。
この場合はあきらめるしかないのだ。

これから1週間は忙しい。
身辺整理と、仕事の引継と、吹奏楽連盟の支部の役員対策がたいへんだー。



2003年03月17日(月) 定演終わる

昨日、岩吹の定演が終わった。
かなり燃焼できた、、、と思う。
きょうの午前中は、かなり呆けて過ごした。
午後、会議の連続で現実に引き戻された。

今年の定演は、譜面がなかなか体に溶け込まずに、
それでも譜面なしの指揮をめざしたため、緊張感が高まった。
けれども、自分自身の困難や不安が多いほど、
本番をクリアする喜びは大きい。
よくやった!! という感じである。
他にも多くの団員が難所を越えた。
よくやった!! という感じである。



2003年03月13日(木) 「美女か野獣」

1月から2つのドラマを見始めた。
ひとつは日曜9時の「Good Luck」、
もうひとつが木曜10時のこの菜々子さまのドラマである。
まつ様が終わったらしばらく休業すると、去年前半には噂されていたのに、
さっそくの連ドラ登場で、わーいわーいとばかりに見始めて、
早くもきょうは第10回、来週が最終回となってしまった(T_T)

報道番組の視聴率を上げるためにスカウトされ、
視聴率を上げることだけを使命と思っている女が、
しだいに、それだけではないことを自覚していくという流れで、
そういう意味では、「やまとなでしこ」と同じような大筋のドラマだった。
ただ、金のためにいろんな男に媚びを売って品定めしている桜子とは違い、
今度は、報道番組スタッフの冷徹なキャップを演じてきた。

ただ、テレビ局がテレビ番組の裏側を描くのはとても難しいらしくて、
脚本段階での展開に、不自然なものが見られるのが残念だった。
しかも、菜々子さまの役柄も、初回から情にもろいところを見せてしまって、
前回ああだった人が、なんで今回またこんな風になってんの?
と思わせることがしばしばあった。

ドラマ自体の傷はいくつかあるけれど、
とにかく、菜々子さまー、菜々子さまー、、、である。



2003年03月12日(水) 何でもネットで?

何か疑問に思うことがあったら、昔は百科事典だったけれど、
今はインターネットである。
百科事典では調べられないことも多く、別のさまざまな本をひっくり返して、
それでもなーんにもわからないことがよくあったけれど、
インターネットだと、たいていのことについて、何らかの情報を与えてくれる。
億科事典、または百億科事典とさえ言いたくなるほどである。

定演の夜に泊まるホテルを予約しようとして、何年間か使っている本を開いたら、
肝心のページが抜け落ちていた。
電話連絡用に持ち出したまま、どこかになくしてしまったのだろう。
これでは電話がかけられない。
けれども、google で検索すれば、きっと電話番号くらいはわかるだろう。
そう思って、ビジネスホテルの名前を入力して、検索で出てきた最初のところに行ったら
それは、mytrip.net というHPの一画だった。
空き状況の確認も、予約もそこでできる上、1割ほど料金が安い。
電話の方が手続きは簡単だけれど、それを利用させてもらうことにした。

昨夜も似たようなことをしていた。
たまたまHMVというCD屋のHPに迷い込んだので、
ついでに長いこと探しているのになかなか見つからない
「ベン・ハー」のサントラ盤を検索したら、3種類ほど見つかった。
その中には、今までまったく存在を知らなかった2枚組というのもあった。
さっそくその2枚組を注文することにした。
きょうのmytrip.net もそうだけど、初回は会員登録もあるのでめんどうだ。
けれども、何年か前までは、こちらでは手に入らないものがあると、
東京まで行っては、歩き回って探していたものである。
それでいて、虚しく手ぶらで帰ったこともある(もちろん、別の用事のついでである)
HMVは、いながらにして見つけられる上、1品でも送料無料となっている。

もちろんこういう恩恵は、昨日・きょう初めてではなく、今までにも何度もあった。
本格的にこういう機能を使い始めたのは、3年前にこのマシンの改造を目論んだころだ。
この危険な試みに際して、本で調べるだけでなく、さまざまな製品を検索して
検討のための資料にして、そして何よりもありがたかったのは、
Mac 改造のサイトで、さまざまな意見や体験談まで知ることができたことだった。
親切にも、方法を写真入りで説明してくれているユーザーもいた。
何の得にもならないのに、メーカー以上に親切な人たちがいるのである。
ネットでの買い物を始めたのも、その時だったはずである。

自分の知らない可能性が、インターネットの世界にはまだいくらでも埋まっているのだろう。



2003年03月10日(月) Mac な毎日が続く

土曜日は市吹の練習もあり、きょうは高校入試業務の日だったが、
家にいるときは、PC三昧の日々である。

長年愛用している7600機と新iMacとのファイル共有が可能になったので、
次のステップとして、レーザープリンターの買い換えに踏み切った。

8年前(?)まだ窓機を使っていたころに買ったエプソンのレーザープリンターは、
マックに移行したときに、店で使えるはずですよと言われて買った
他社製のケープルとドライバのために、ボロボロになってしまったらしくて、
複数ページの印刷になると、エラーが多くて難儀していた。
その他社製のケーブルを使うと、たった1ページの印刷にも、
延々と文字化けプリントが続いたのだった。
サポートセンターに電話して、いろいろと教えてもらったけれど、改善されなかった。
それを諦めて、エプソン純正のものを取り寄せて、やっとまともに印刷できたけれど、
2、3ページ分が一枚の紙に重ねて印刷されたり、
2ページ目以降に、エラー記号が印字されたりして、
印刷し直さなければならないことが多かった。
インクジェットに比べて、速い、印字がきれい、というのがレーザーの取り柄なのに、
かえって厄介な場面が多かったのである。
けれども、B4版以上のものを印刷するときには、頼らざるを得ない。

新しいレーザープリンターに買い換えようと思ったときには、
USBでしかつなげなくなっていた。
それが、今回新iMacを手に入れた最も大きい理由なのである。
昨年、エプソンのLP−7100が、7万円台で出た。
今まで使っていたLP−8000SXを買ったときの約半額である。
そのLP−7100が最近では、49800円で売られている。
新iMacと同じ時に買おうと思っていたのだが、OS9にしか対応していないというので
ちょっと購入を見合わせることにしたのだ。

昨日の日曜日の朝、エプソンのHPで調べたら、
OSX対応のドライバをダウンロード配布しているのがわかったので、
さっそく、LP−7100を買いに行った。
帰って、新iMacにつないで、OS9にしか対応していないドライバをインストールして、
印刷してみたら、実にスムーズに印刷してくれた。
でも、これではOSXでのファイルは印刷してくれないだろうからと思い、
最新ドライバをダウンロードしてインストールした。
こちらも、何の問題もなく印刷できる。
実にうれしいことだ。もう、今までのような鬱陶しい思いをしなくてすむのだ。

けれども、大きな課題が残った。
7600機からプリンター共有でこの新しいプリンターを使いたいのに、
プリンター共有ができないのだ。
本もヘルプも読みまくって、これ以上設定不可能なだけの設定をしたつもりなのに、
どうしてもプリンターを認識してくれない。
これが当面の課題になりそうである。



2003年03月07日(金) 第21回岩倉市民吹奏楽団定期演奏会

去年もこの日にこのPRを書いたようだ。

3月16日(日) 午後1時半  於 岩倉市総合体育文化センター 入場無料
演奏 岩倉市民吹奏楽団   指揮 私、である。

【第1部】
1 「利家とまつ」メインテーマ
2 「ハリーポッター 賢者の石」より
3 吹奏楽のための交響詩「ぐるりよざ(Gloriosa)」  伊藤康英 作曲

【第2部】
1 ウルトラ大行進(ウルトラマン・メドレー)
2 イマジン
3 アニトラの踊り(ポップス・ヴァージョン)
4 君の瞳に恋してる
5 ど演歌えきすぷれす第3番
6 ABC
7 I GOT RHYTHM



2003年03月06日(木) Mac な毎日

3日空いてしまった。

新しい2台のiMacの整備に入ろうと思ったら、
保管場所に困っていた初代iMacを里子に出す先が決まったので、
まずそちらの整備にかかった。
新iMacの1台は妻のものとなり、今まで妻が使っていたのは坊ずのものになり、
娘は窓機を使っているので、初代iMacが余ってしまったのである。
余っても、下取りに出して、完全におさらばする気はない。
私が始めて買った窓機のFMVは里子に出したまま、好きなようにして、と
おさらばしてしまったけれど、iMacはそうではない。
中味がもう使えなくなっても、わが家の博物的展示物にしたいマシンである。
そう思っていたら、PCを欲しがっていた人がいたので、保管&使用をお願いした。
ありがたいことである。

それも一件落着して、昨日は、妻の新iMacから無線LAN を試みた。
なかなかルータを認識してくれない。
今日の夕方から再挑戦した。
2階の南端のiMacから、エアマックカードで、
3階の北端の私の部屋の、NEC製のルータに無線でつなごうというのである。
ホントにつながるんかいな、、、と疑いの方が強いので、あきらめ気分であった。

きょう夕方から再挑戦するにあたり、いろいろ試した後、私の部屋に運んだ。
娘のがつながったのだから、この部屋の中でつながらないわけがない。
けれどもやっぱりつながらなかった。
設定であとやってないのは、インターネット接続設定である。
ルータを認識した後でやるもんだと思っていたので、後回しにしていたのである。
その設定を書き込んでみたら、ちゃんと接続可能状態になったのである。
半信半疑で、2階の南端の定位置に戻しても、やっぱりちゃんと接続してくれる。

そんなら取説にちゃんとそこまでやれと書いといてくれよぉ。。。(`ε´)

無線接続はもう1台である。たぶん今度は楽勝である。



2003年03月02日(日) 定演前の1日練習日

へっとへとだー。
3週連続で、日曜日は市吹の行事である。
先週は子ども会大会での招待演奏だったが、
きょうは先々週と同じく、1日練習日だった。
けれども、きょうは定演前の最後の練習日みたいなものである。
今日できないことは、もう定演ではできないというような重要な練習日である。

疲れたので、きょうはこれだけにしよっと。



2003年03月01日(土) きょうも多忙な、、、

妻がiMacの買い換えを願っていた。
そう使うわけでもないのに、もったいないと反論するのだが、
それは妻だけの希望ではなく、お下がりを狙っている坊ずの希望でもある。
妻のiMacの買い換えはもっと後でもいいと思っていたが、
よくよく考えてみると、私の買った新製品のiMacは既存のソフトが使いにくい。
OS10は、旧来のソフトを受けつけないからである。
併存するOS9環境で使えないわけではないけれど、それがなかなか不可解で、
今、私も研究中な具合である。
妻のiMacを近うちに買い換えようとすれば、
半年前に出た機種の売れ残りを探さなければならない。
それだったら新製品と同じデザインで、OS9のみの起動も可能だからだ。
そして、ひょっとしたら、私のにもそのシステムをインストールし直せるかも知れない。
これは大きなメリットかも知れないと考え直したので、
午前中、それを求めて岐南町に走った。

上位機種の、しかも展示品しか残っていなかったけれど、買うことにした。
中味を出荷時状態に戻したり、外観をきれいにしたりするために時間がかかるので、
その間に学校に行って、市吹で使うアンプを取りに行った。
それから店に戻って品物を受け取り、帰宅。

帰ってからは、買って帰ったiMacのセットアップやら、
妻の部屋から坊ずの部屋に移動した旧iMacの整備やら、
市吹で使うシンセサイザーの音探し、音づくりに頭を悩ませるやら、、、
出かけるのも6時近くになったので、コンビニおにぎりをかじりながら
市吹の練習に向かったのだった。

3月はわりと優雅な月になる予定だったのだが、
PC環境の整備のために忙しい月になるのかも知れない。。。
そういえば、2年前HP作りを始めたのも、
3年前、今使っているPowerMac 7600 を大々的に改造したのも、
数年前、窓機からMac に乗り換えたのも、
さらにその前、楽譜書きやmidi のために整備したのも、
大きな転換期は、だいたい2〜3月のこの季節だったようだ。


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