TENSEI塵語

2003年02月28日(金) 無線LAN にいよいよ挑戦

昨夜は、娘のメルアドを取った。
ソネットのサービスを覗いたら、いつのまにかファミリーパックなるお得なコースが
できていたので、それを利用することにした。
ひとり増えても、私ひとりが使っている料金と変わらない。
あと2人増やしても、400円増えるだけである。
こういうページは、ちょいちょい覗かなければいけない。

きょうは卒業式で、午後空いたので、車の6カ月点検と床屋に寄って帰っても、
まだ4時半だったので、いよいよ、娘の窓機から無線でインターネットできるよう、
設定作業を始めた。

マニュアルどおり、インストールして、順調に設定を進めていったけど、
私の部屋の親機を認識するという肝心の所で、認識してくれない。
取説欄外の注意書きを解読して、窓機のかなり奥の方まで設定し直しに入って行った。
書いてあることは全部やったはずなのに、やっぱり認識してくれない。。。

行き詰まって、5時半ごろからサポートセンターにずっと絶え間なく電話したのに、
「混み合っています」ばっかりで、ひっきりなしにかけ直していたけれど、
そのまま「本日は終了いたしました」になってしまった(`ε´)
実にひどい仕打ちである。
でも、電話かけまくりながら読んでいるうちに、ひとつわかってきたことがあった。
この最初に子機が親機を認識して読み込みに行く時は、
親機の方では、電源入れてから30分以上たつと自然とセキュリティがかかって、
認識不能にしてしまう、、、最初これを目にしたとき、
作業始めてから30分以内だからいいや、と思ったのだけれど、
実は、親機は一昨日からずっと電源入りっぱなしなのだった。
で、この私の部屋の親機の電源入れ直して再挑戦したら、驚いたことに、
あれだけ頑なにいやがっていた接続を、さっと成し遂げてくれたのである。

これでインターネットし放題、、、と思ったら、もうひとつ難関が待っていた。
インターネットエクスプローラを起動したら、ニフティへの加入登録画面が出るだけで、
それ以上何ともなすすべなし。
アウトルックを起動してもまったく同じ。
ニフティでしかインタネできんのか、こいつは!! 押し売りじゃねえか(`ε´)
と途方に暮れて、作業は中断して夕食にした。
娘のPCは富士通のFMVの最下位機種だが、ソフトがたくさんプレインストール
されていても安いのは、こういう強引なCMのためか、と納得がいく。
夕食時に、添付ののインターネット関係の取説の中に解決方法を見つけて、夕食後ついに無線でのインターネットも可能になったのだった。

窓機は、いろんな形でいろんな設定をするようになっている。
実にめんどうな仕組みになっているものだと、またもや蔑みの感覚が。。。

きょうも3時間ほど悪戦苦闘したが、手探りのようなありさまながら、
こうして未知だった領域をひとつひとつクリアしていくのも、なかなかの充実感である。
そのことについてだけわかるのでなく、いろいろなところが見えてくる。



2003年02月26日(水) 悪戦苦闘の第1段階

WarpStar というルータを手に入れて、私の部屋の2台のMac をつなぎ、
さらには娘の窓機と、妻のノート窓機かiMac を無線でつないで、
家族みんながISDN を使えるようにしようと思っている。
本当は、新iMacを買って、エアマックでそれをしたかったのだけど、
ISDN でエアマックを使うにはいろいろ厄介な問題があるというので、
いろいろ探してみたら、Mac にもISDN にも対応という稀有なルータが見つかったのだ。

その第1段階は、いつも使っている旧Macと、先日買った新iMacをLAN ケープルでつなぎ、
まずそれぞれが、インターネットに接続できることである。
昨夜、それに数時間取り組み、夜中の3時半にあきらめた。
取説には書いてない、AppleTalk やTCP/IP の設定も変えなきゃいけなかった。
そうでないと、LAN ポートの緑ランプがつかなかったのだから。。。
それから設定にかかったのだけれど、ぜんぜんインターネットに接続できない。
取説どおりやっているはずなのに、ぜんぜん問題外のようである。
昨夜はさんざん粘ったけどあきらめて、元の環境に戻して、4時ごろ寝た。
翌日仕事なのにこんな時間に寝るのも、久々である。

今朝、取説を読み直して、昨夜は取説を疑いすぎたかなぁ、と反省した。
けれども、帰って夕食後、すなおに取説どおりにやってみても、接続しない。
それで、設定画面の1項目1部分ずつ、書き換えては接続試行、、、をくり返し、
取説の欄外説明やトラブルシューティングを丹念に解読しながら、
他のアプリケーションの設定も書き込んだりして、ついに接続に成功した。
今夜だけでも、1時間半の作業になった。
それから今度はiMacの方の設定にかかったわけだが、
こちらは、webソフトとメールソフトの設定だけで済んだので、30分ほどだった。



2003年02月23日(日) 招待演奏の日

きょうの演奏は、岩倉市子ども会大会という行事のラストアトラクションだった。
6年生の子たちの、子ども会卒業の式典らしい。
市内のほとんどの6年生とその親が集まる会だと聞いていたので、
宮崎アニメ、ハリーポッター、ウルトラマンの各メドレーに、ヒット曲3曲を用意した。
演奏前のアトラクションはゲームだとかクイズとかをやっていて大騒ぎだったので、
いささか不安はあったが、演奏の合間はザワザワしていても、
演奏が始まると静かになっていく、、、このあたり、高校生や、
さらには、成人式の、大人の仲間入りをしたはずの若者たちよりうんと分別があるようだ。
(なんといっても、成人式ほどひどい集会を見たことがない)

2時半に演奏なので1時半に集合のところ、1時に会場に着いたのだが、
ふと思い立って、やはり譜面台が邪魔なので指揮譜なしで振るために、
ひととおり曲を頭の中で描きながら、不安なところは何度も譜面を見直した。
わりとリラックスしてやれるステージなのだが、急場の暗譜(というほどではないが)で、
その点、いささか緊張感のあるステージとなった。
もっと早くに譜面なし練習をしておかなきゃぁね、、、とは思うのだが、
練習の時は譜面を見てないと不便なことが多いし。。。

最後のヒット曲は、白い恋人達〜地上の星〜Voyage の3曲連続だったのだが、
地上の星が終わったところで盛大な拍手が起こり始めた。



2003年02月22日(土) Mac OS10 は不可解

一昨日iMacを買ったのだが、一昨日は設置できずに終わった。
筐体部が直径20センチほどのの円形での饅頭型で、
その上に、電気スタンドみたいに液晶ディスプレイが付いているという格好なので、
ちょっとしたスペースにどこにでも置けるさ、とたかをくくっていたのだけれど、
よくよく考えたら、キーボードやマウスのスペースも必要なのだった。
それで昨日の帰りに、できるだけ省スペースで適度な大きさのPCラックを買って、
夜はその組み立てとiMacの設置に専念していた。
中味まではなかなかいじれなかったけれど、デザインに惚れ惚れし、
ワイド画面なので、DVD再生にはすばらしいPCだと感心して寝た。

きょうの午前中に、日ごろよく使うソフトをインストールした。
今まで私が使っていたシステムは、Mac OS8.6 である。
今回購入したiMacのシステムは、Mac OS10.2.3 である。
システムのヴァージョンが変わって気がかりになるのは、
古くからあるソフトがそのシステムに対応しているかどうかである。
1年半ほど前までは、ニューヴァージョンへの関心が深くてよくチェックしていたが、
最近はまったくそういう情報源から遠ざかっていた。
後になって冷静に反省してみると実に安易で迂闊な買い物だったわけだ。
確かに、古いソフトをインストールすることは難なくできた。
けれども、インストール後に再起動を要するものが多くて、
再起動させてみると、画面全体が再起動するのではなくて、
ディスプレイの半分くらいのスペースで、OS9 だけが再起動している。
それで気がついた、、、古いソフトはOS9の上で動くのだと。。。
それをクラッシック環境で使用する、と言うのらしい。

私がMac を使い始めたのは、OSがまだ漢字トーク7.5だった時代で、
それが7.6となり、OS8となり、8.1でフォーマットの革命があり、
やがて8.5、8.6、それからOS9の時代を迎えたが、基本的には路線は変わらなかった。
けれども、このOS10はまったく別種のシステムらしい。
お気に入りだったアップルメニューを見ても、今までの便利さがなくなっていて、
窓機のスタートメニューに似てきた感がある。
さらにお気に入りだったポップアップウインドウはなくなってしまったようだし、
さまざまなカスタマイズの方法もよくわからず、今のところ使いにくい。
なぜ、より劣った窓機をまねようとしているのか、不可解である。
窓機から移行する人には、以前よりはすんなり入りやすいかもしれないが。。。

この分だと、周辺機器の買い換えもすぐにはできないかもしれない。
このOS10のクラッシック環境で仕事が滞りなくできるか、
周辺機器のドライバがOS10に対応しているか、などが問題になるからである。
いろいろ研究してみなきゃならない。
けれども、当面はCD−RやDVDだけでも大きな恩恵にはなりそうである。
それにもう何と言っても、デザインにごきげんである。



2003年02月20日(木) iMac を購入

部屋がだいぶん片づいたのをいいことに、長い間保留していたことを実行に移した。
今月発売の新型iMac を入手した。

きょうはこれだけである。詳しくは後日、、f^_^;



2003年02月18日(火) 「後で、、、」の精神

家に帰ったら、明日ケーブルインターネットの工事に来ることが決まっていた。
きょう連絡してきて明日とはひどい、と私は焦ったけれども、
義父母と妻の判断で、明日でOKの返事をしてしまっている。
私が焦ったのは、その工事のために業者は屋根の上に上がって配線を始め、
その線を2階の部屋に引き込むはずであり、屋根に上がるためには、
3階の私の部屋の窓から外に出て、壁に備えられた梯子で上がって行くはずである、
ところが、私の部屋は私以外のものが見たら目を覆いたくなるような惨状だし、
窓への通り道も完全にふさがれている状態だったからである。

2カ月以上も前から片づけて整理整頓しようといつも思いながら、
申し訳程度に整理したことはあったけれど、それも元の木阿弥になっていた。
休日の前日には、明日こそは部屋の片づけだぞー、と意欲満々になるのに、
休日を迎えて、さて、、、と思った途端に、これからの労力に恐れをなして、
ま、、、来週で、、いっか、、、などと、後延ばしにしてしまうのである。
そうして、ますます部屋はごちゃごちゃになる一方である。
たとえば、ダイレクトメールだの支払い通知書だのが届く。
ざっと見て、積んでおくのである。捨てていいものも、「後で、、、」である。
ホントに要らなくなったら捨てよう、というわけで積んでおくのだけれど、
そのまま忘れてしまい、机の上のその山がある時バラバラと落ちたりもする。
その時、拾って整理すればいいのに、「後で、、、」とそのままにしておく。
読んだ本、調べものにちょっと垣間見た本、そんなのも、
床の上の堆積の上にぽんと置く。片づけるのは「後で、、、」である。
その堆積の底の方に必要なものを見つけて引っぱり出して、
ますますグチャグチャになっても、整理するのは「この次、、」である。
こういうだらしなさにかけては、全国レベルでも優秀な成績をおさめるのではないかと、
誇らしい思いに満たされるほどである。

そのおかげで、今夜は実に苦しい思いで3時間ほどを過ごした。
とにかく大急ぎで、2カ月以上も恐れをなしていた片づけに専念したのである。
多くの物を移動し、ゴミ袋を満タンにして、久々にあちこちの床と面会することができた。
少なくとも、明日の工事に支障のないだけのスペースは確保できた。
けれども、移動した物の整理は、やはり「後で、、、」なのである。
その「後で、、、」がいつになるかはわからない。

それにしても、試験問題を作り終えててよかった。
ここ4、5年、仕事上のいくつかの面で、「後で、、」の精神が弱まっているのである。
主任などという立場に置かれるようになった、唯一のメリットかもしれない。
でなければ、今夜など、部屋の片づけは諦めて、試験作りに没頭していたに違いない。



2003年02月17日(月) めちゃめちゃな1日

なんかめちゃめちゃな1日だったような印象が残る。。。

相変わらずの異常渋滞(先週から突然始まっている。原因不明)と
ノロノロ運転に悩まされて、ぎりぎりで滑り込みセーフはもう珍しくないが、
1時間目は卒業認定関係の会議、、、わかりきったことを長々と力説する人がいて、
論点がぼやける上に異常に時間を費やしてしまった。
2時間目に、1年生用の古典の考査問題を作ろうと思っていたのに、
喫煙室内で卒業や進級の認定についての議論になり、それに参加してしまう。
3時間目は、3年生の授業がなくなったので問題の原案ができたので、
他の担当の2人に相談に行き、修正案を作る。
4時間目は授業、そして昼食、、、とここまではまだよかった。
5時間目も空いていたので、ノートPCで、試験問題を清書・編集する。
何とか印刷するところまでできて、、、とここまでもまだよかった。

6時間目は運営委員会である。
試験作りもまだ途中だが、会議に行こうとしたら、呼んでおいた業者が来た。
先日来、体育館のレクチャーアンプの調子がよくない。
何かの拍子に突然マイクの音が途切れてしまうのである。
もうすぐ卒業式なのに、式の途中でそういうことが起こってはたいへんである。
会議よりもそちらを優先させてもらって、点検に付き添った。
けれども、症状はなかなか出ない。業者も他の用事を抱えていたので、
また後で点検し直すことにして、会議に出ると、ちょうど終わるところだった。
清掃時間まで時間があいたので、試験の解答用紙を作り始めた。
清掃時間を挟んで、卒業認定関係の職員会議まで解答用紙を作っていたが、
そう簡単には終わらない。
そろそろ会議だな、と思っていると、業者が用を済ませて呼びに来た。
会議よりも機器の点検を優先させてもらって点検に行ったけれど、
やはり正常に動作してくれていて、先日のような故障が出ない。
業者も判断に困ってしまっている。
とにかく卒業式のしのぎ方だけ決めて、職員室に戻ると、会議は終わっていたけれど、
入試選抜委員会が始まっているらしいので、一服だけさせてもらって、
(その間も解答用紙の作成をわずかながらするのである)会議に出たが、
これも、出席してからわずか10分ほどで終わってしまった。
それから解答用紙を完成し、こういうブツ切れの作り方をすると間違えやすいものだから、
すぐに模範回答を作りながら点検して、不備を修正して、形を整えた。
そうして、明日現代文の担当者3人にすぐ渡せるように用意をして、仕事は終わった。

それにしても、朝から会議が4つである。
そのうち2つに中途半端に出席して、ひとつは出ずに終わってしまった。
その合間に、ブツブツに試験問題作りをした。
レクチャーアンプの故障も、謎のままである。
すっきりしない1日ではあったけれど、試験問題ができた、というのはやはり大きい。
本当ならもっともやもやした感触で1日を終えてもいいのだけれど、
試験問題ができたというこの一事のために、言いようのない解放感に包まれているのである。



2003年02月16日(日) この4日間

木曜日は予餞会前日で、リハにつきあって、家に帰ったのは9時近かった。
金曜日は予餞会当日で、午前中走り回っていた。
放送担当者(私)は、マイクだの音楽だのの音量調節などなどがたいへんである。
放送室が体育館のステージ袖の二階にあるので、
階下に下りて会場の音量を聞いて、駆け上がって調整したり、不便な構造である。
ま、それだけでなくて、いろいろ仕事はあるので(役割以外のことにも口出しするし)、
前夜とこの当日の午前中だけで、ヘトヘト状態になってしまった。
金曜の午後は、授業もないので帰ろうかと思ったけれど、
推薦入試の受付当番だの、調子の悪いレクチャーアンプの修理のお願いだの、
その他の雑用をこなしたり、喫煙室の整理などしたりして、いつもどおりに帰った。

昨日の土曜日は、起きたら昼過ぎで、びっくりした〜。
ちょっとちょっと、、、いろいろやることあるんだよー、と、焦って、
予餞会用に借りたCDは返しに行かなきゃならんし、酒買いに行かなきゃならんし、
書かなきゃならない楽譜はあるし、プログラム原稿完成しなきゃならんし、、、
うーーん、、他にもあったと思うが、とにかくいろいろ用事をすませたころには、
毎週市吹の練習に出かける時間を1時間近く過ぎていた。
いつもの店で少年サンデー読みながら夕食、というわけには行かなくなって、
コンビニおにぎりをかじりながら、市吹の練習に向かうはめになった。

けれども、おもしろいことに、出かける直前にある団員から電話があった。
産休補助で来てもらっているオーボエ奏者の楽器が壊れたらしくて、
学校の楽器を借りられないか、という相談だった。
そんな時間に言われても、今から学校に忍び込めるわけがない、、、
が、ふと気づいたことに、それは今私の部屋に持ってきてあるのだった。
何かの折りに、(実は私が自腹で買った楽器でもあるので)持ち帰ったのだった。
いつもどおり出ていたら、それを持って行ってやることもできないはずだった。
実におもしろい偶然である。

きょうは、朝7時に起きて、市吹の1日練習だった。
もう、へっとへとになるほどの重労働であるが、
来週の子ども会大会の招待演奏と定演の全曲目が、これで確定して、
長い間の重圧に一区切りつけることができたので、大きな満足感がある。

明日1日、1年生の定期考査問題作りに焦ることになりそうだ。

忙しい中ではあったけれど、夜中のゲームをやめにすることはできず、
少しずつは進め続けて、昨夜ついに「ラチェット」2巡目(実は3巡目である)も、
ラスボス戦直前までこぎつけた。
3巡目はさすがに失敗も迷いも少なく、早ーーい。
学習能力は、まだまだ衰えちゃおらんぞ。



2003年02月12日(水) 死者の表情

叔父の葬式に行った。
親族席の末席に連なって、僧侶を真横に、遺影を間近に眺めながら参列した。
改築されてきれいになった斎場の一室で、終始静粛に告別式が進行した。
静粛に、、というのは、葬式もこうなると行儀いいものだな、と思ったのである。
小学生の時、父の田舎の祖父の葬式に行ったときには、
座敷に入れないで、縁側や庭にいる多くの人たちが、読経の間でも、
談笑したりしているので、子ども心に、こんなんでいいんかなー、と思ったものである。
後で母にそう話したら、あの世に楽しく送ってやる送り方もあるのだ、
というようなことを答えていた。

それにしても、もともと形式張った儀式が大嫌いなのだが、
葬儀もこうして商業的に徹底されると、ますます形式的になってくる。
葬儀屋としては、いろいろとしきたりの違いで途方に暮れる参会者のために、
困ることのないよう、親切なガイドをしているのだろうけれど、
読経の間にマイクで焼香順の指名をしたり、喪主にさまざまな演出的指示をしたり、
結婚式で凝りたがるのはわかるけれど、葬儀はもっと簡素でいいのではないかと。。。

棺を開けて故人との最後のお別れの段になり、その顔を見つめていると、
いつも不思議な思いに囚われる。
その、余りに表情がないのに戸惑うのである。
後になってつらつら思うに、生きてる人間で表情がないように見えるような人でも、
無表情という表情をしっかり持って生きているんだな、と思ってしまう。
けれども、この棺の中の顔は、何の表情も感じられないのである。
人形やお面だって、もっと表情豊かなような気がするほどである。
亡き人、とは、そこに確かに存在していながら無化している存在と言えるのかもしれない。
彼が今いるところと、すぐそばの我々との間に大きな隔たり、
つまり別世界のような隔絶感があるのだ。
この感覚が、この世とあの世、現世と来世という観念を生み出したに違いない。

そんなことを思いながら、わりと冷ややかに献花をしたりして見つめていたのだが、
叔母がその究極の蝋細工のごとき叔父の額を愛おしむように撫でて、嗚咽したとき、
さすがに私も目を潤ませずにはいられなかった。
心の中では身近に生きているのに、目の前のこの人はあまりにも遠い、、、
死別の悲哀の本質は、そういうところにあるのではないかと思った。
心の中では生きているのに、現実のどこを見ても、もういない。。。



2003年02月11日(火) 明日は葬式

あまり律儀に葬式には行かない、世間から見ると実に無礼な人間なのであるが、
叔父(母の弟で、70歳を少し過ぎているはずである)の病死の連絡が入って、
明日の葬式には出席しなければならなくなった。
朝学校に行って、必要な段取りを済ませて、そのまま向かえば間に合うだろう。
このごろは、冠婚葬祭でもない限り会うことのなかった叔父だけれど、
郡上に住んでいたころは、年に何度か遊びに来てかわいがってくれた叔父である。
冠婚葬祭でもない限り会うことのない親戚づきあいの円滑のためでもある。

子どものころは、この叔父よりも、叔父の妻である叔母の方の印象が強かった。
グラビア雑誌からそのまま出てきたような美人で、子ども心にも驚いたのである。
後年、祖父母の葬式のたびに会っても、老いてもなお美人の面影を残している。
その叔母が、明日はあまり笑顔を見せてくれまい、、、それが少々憂鬱である。

香典の相場だとか、焼香のしきたりだとか、HPを検索して確認した。
葬式があるたびに、こうやって調べなければならない。
数年前までは、本屋に行ってこの種の本を立ち読みしたりしたものだった。
今は、HPで検索すれば簡単に調べることができるので、出かける必要がない。

まあそんなわけで、少々緊張を伴った休日になってしまった。



2003年02月09日(日) 不思議な値段の話

日常的に物の値段に不思議なものを感じることは多い。
まず、家電機器などはどんどん安くなるものである。
私などは新しい物好きというか、新しいものが出たらすぐ使いたがる方なので、
ビデオデッキ、CDプレーヤー、LDプレーヤー、CDRレコーダー、、、など、
1、2年後だったらもっと高性能なのが3〜5台も買えそうな投資をしたものだ。
ケータイだって、7、8年前は、新規契約に数万円かかった。
それでも、電話引くよりはうんと安いじゃん、と思ったものである。
ところが、それから2、3年もするうちに、0円契約なるものが現れた。
ホントにもう、なんてことでしょ、、と恐ろしいばかりの変わりぶりである。
ま、しかし、安くなるまで待ってもよかったのだけれど、
いろいろと機器の恩恵もあって、早々に感動の時間を得られたり、
便利さに助けられたりしたことも多いわけだから、金銭的には損したようでも、
実際の生活的観点にはその価値を認めてやらなければならない。

それは日常の話であるが、非日常的な、値段の不思議が2つ、きょうの新聞にあった。
ゴッホの絵とケータイ番号の話である。

1〜2万円で売られるはずだった絵が、ゴッホの真正作とわかって、
オークションでは500万円からのスタートとなり、6600万円で落札した。
すごい出世である。
「作者不詳」なら1万円、「ゴッホ作」なら6600万円である。
大切なのは、ゴッホ作であっても「作者不詳」なら1万円であり、
その絵を見ただけなら1万円でも、つまり、見ただけならそんな価値しかなくても、
「ゴッホ作」というだけで6600万円である。
北さんが雑記帳で憤慨しているように、実にばかばかしいからくりである。
落語の枕での話に、茶碗か壺の展示を見て、その値段が驚くほど高いので、
見に来た「通」らしい年寄りが、何もわからんという同行者にいろいろ説明していると、
展覧会の係がやってきて、間違えたと言って壺を取り替えていく話がある。
きっと、ゴッホ作ということで、これからその価値ある部分が説明されて行くのだろう。
こういうからくり自体にばかばかしさを感じずにはいられないけれど、
落札したのは美術館である。
個人の趣味でなく、美術館としての蔵品価値の問題だから、そう批判はできまい。
何としても我が美術館に収めたい、何としても手に入れたい、そうしたら、
6600万円でしか落札できなかったというだけのことである。
絵の値段というよりも、入手権利金と言うべきなのかも知れない。

それより驚きなのは、ケータイ番号の売買である。
部分的にでも同じ番号が並んだものや、連番が並んだものは売れるそうである。
しかも、何十万、何百万という値段で売れるそうである。
買う人があるということに不思議を覚えるのだが、甚だしいところでは、
090-の後が全部同じ番号だったものは、3000万円で売れたという。。。
永田町の宝飾店社長は、37台もの「良番」ケータイを集めたという。
全部で1000万円を投じたが、段ボールにしまってあって使っているわけではない。
ある人(内装業者、とあるから、そう裕福ではあるまい)は、
右上がりに数字の並んだ番号を、サラリーマンの年収ほどの大金かき集めて手に入れ、
結局、頻繁ないたずら電話に悩まされて使い物にならなくなった。
当てずっぽうのいたずら電話の格好の標的になったわけである。
何百万円もの大いなる自慢の品が、疫病神になってしまったということだろう。
車のナンバーもケータイ番号も、な〜んでもかまわない、
車は快適に走ればいいし、ケータイは緊急連絡できさえすればいい、という人間には、
想像もつかないようなことが世間ではくり広げられてるんだなぁ、、と、
実にあっと驚く記事であった。

ま、少なくとも自分は、ものごとの本質をしっかり見つめて生活したいな、
という思いを改めて確認したわけである。



2003年02月07日(金) やったぁ〜〜!!\^o^/

「ラチェット」ラスボス戦クリア!! 
ああ、苦労した。何度目の挑戦かいな? 何度も作戦を練り直した。
瀕死の状態にまで追い込まれながらの、ぎりぎりの勝利だった。

おそらく、今まででもっとも苛酷なラスボス戦だったろうと思う。
こんなんできるわけないよ、ムリだよ、と何度思ったかわからない。
そう思うのは、どのゲームでも付き物のようなものかもしれないけれど、
このラストは、五十路もまもなくという身には、なかなかつらい試練であった。

昨日の勝因は、ゲーム終盤で手に入った、武器ショップの出張販売アイテムを、
ラスボス戦の間に使うことを思いついたからである。
ふと思いついて試してみたら、買っている間は戦闘も静止することがわかった。
それで、ミサイル弾を3度補充することによって、やっとこさやっつけたわけだ。
ただし、買っている間はのんびりできても、戦闘画面に戻った途端に
素早い対応をしないと、それでやられてしまうこともある。

武器の補充ができるようになって、かなり長く最終戦を闘えるようになっても、
もうちょっとというところで3度やられてしまった。
けれども、そのころになると、ラスボスの攻撃内容が全部わかってきたので、
頭の中でそれぞれの攻撃への対処法を整理し直して、再挑戦してみたのである。

しかし、不可能と思いつつも、それを攻略して行く、
不可能だという思いが強ければ強いほど、攻略の喜びはますます高まり深まるのである。
ゲーム途中の数度の大イベントも、そうした苦労の喜びを味わわせてくれたけれど、
このラストの闘いは、めんどくささ、厄介さも実にいやらしく備えられていて、
やられて元に戻されるたびに、どっと疲れて溜息をついてしまうほどであった。

さて、これで終わり、と思ったら、2巡目をすることになってしまった。
何らかの趣向が用意されているらしいので、やらないわけにはいかない。



2003年02月06日(木) 高見の見物

昨日の午後、職員室に帰ったときに、ソファのあたりで橋本さんたちが、
「8つまではできるんだけど、9つはどうしてもできん」とか何とか話している。
何のことがわからなくて無視していたけれど、その問題はこちらにも飛んできた。
「Mに直線3本書き加えて、三角形を9つ作れ」という問題だった。
できたら1万円、なんてことも聞こえてくる。
三角形の中にさらに小さい三角形があるってのはダメだ、などとも言っている。
そりゃそうだ、それだったら3本の直線を並べるだけでできちゃうんだから。。。

さっそく喫煙室に入って取り組んでみた。
確かに、9つできた!! と喜んでも、よくよく見てみると四角形が混じってて、
三角形は7つだったり8つだったりする。
けれども、10近く試みた後で、それらを眺め直して発想の転換を図ると、
それまでこだわっていた場所とは違うところに三角形を作ってみようと思った。
それで線を引いてみたらできてしまった。

できたよー(^o^)、っと見せに行ったら、
数学者&哲学者の橋本氏から、「さすが!!」と賞賛の言葉をいただけた。
1万円(^O^)、と手を出したら、「10個できたら1万円」と言われた。
な〜んだ、、、うーーーん、、、、どう見ても10個は不可能ではないか、、?
「10個できるってのは、何かの本に書いてあるの?」
「いや、できたらいいな、と思って。。。」
ずっこけた。それまでの緊張感がプチプチに切れてふっとんだ。
とても数学者の発言とは思われん。
しかも、それで1万円とは、何とみみっちい懸賞金ではないか!!

きょう3時間目に授業に行ったら、黒板にその問題が書かれたままになっていた。
「できたら天才」とまで書いてある。(私は天才らしい、、テンセイだけど、、)
前の授業が橋本さんで、日直がさぼったために消されずに残っていたわけだ。
「誰かこの問題できたの?」と聞いたら「だーれも」と答えが返ってきた。
「昨日5分でできたー」と言ったら、私の配ったプリントを無視して、
4人ほどがこのMの問題に取り組み続けた。
普通は許さないのだが、3年生の消化授業だからかまわないでやらせておいた。
「わからーん、めっちゃむかつくー」と言いながら四苦八苦しているのを見るのは、
実に楽しかった。
ほんのちょっとの発想の転換でいいのに、
「ほんのちょっと」と「大いなる飛躍」というのも紙一重の差なんだと再認識した。





2003年02月04日(火) ミステリー好き?

よくミステリー小説を読むのだけれど、ふっと自身に疑問を抱いた。
その場合、何を好んで読んでいるのだろうか、と。。。
確かに、いったい真相は何だ? と、その興味で読んでいることは確かである。
けれども、トリックのおもしろさで読んでいるようには思われないのである。
複雑かつ精緻なるトリックに出会うと、むしろがっかりしてしまうのである。
目新しいトリックを求めるミステリーマニアとは違うようである。

私が殊に好んで読んできたのは、松本清張の短編集や、
赤川次郎の「幽霊」「四字熟語」「三姉妹」「悪魔」の各シリーズなどである。
他にもあるだろうけれど、まとまった単位としてあげると、
すぐに思いつくのはこんなところである。
こういう作品を見てみると、トリックのおもしろさというよりは、
そこに醸し出されている雰囲気や、キャラクターの魅力で読んでいるような気がする。
松本清張の短編は、哀しい人間をよく表現している。
赤川次郎の各シリーズは、中心人物が魅力的だ。
トリックの妙味というよりは、それを明かす人物の魅力で読んでいるようだ。
そういえば、横溝正史を読み耽っていた時期も、金田一くんの魅力のためだった。
(ただ、即座にそれが挙がらないのは、作者の筆力がやや弱いためか、、、)

最近読み始めた山口雅也の「垂里冴子の見合いと推理」も、そんな魅力で読んでいる。
考えてみれば、現実世界や映像の世界では出会えないような人物に出会えることも、
言葉による小説の魅力の大きな要素ではないか。
漫画でしか出会えないような魅力的人物があるように。。。



2003年02月03日(月) あの日に帰った

先月17日にゲームデータをうっかり消してしまってから2週間半。
きょう、ついに最終ボス戦いつでも可能状態に再びたどり着いた。
メモしてないのでわからないけれど、たぶん前回の半分程度の所要時間だろう。
前回は、次に何をしたらいいのかわからなくて2、3度同じコースをうろついたり、
隠しアイテムを求めて同じコースをくり返したりした。
前回は苦労して何度もやり直した最終ステージの長丁場も、
今回はまったく無傷で1発クリアできたほどだから、かなり楽勝傾向である。
しかも今回は、途中から2つのデータを保存してきたから、うっかり消しても大丈夫。
明日からのんびりと厄介きわまりない最終戦を楽しむつもりである。

ちなみにきょうは節分である。
明日から春。日本の伝統的な感覚では1年の始まりである。
節分は、実はあと3回、立夏、立秋、立冬の前にあるのだが、
この日だけが節分節分と騒がれるのは、大みそか的意味合いのためだろう。



2003年02月01日(土) 驚くべき勘違い!!

3週間ほど前に市吹で演奏するヒット曲を選曲していたときに、
「地上の星」というのも候補に挙がったいたのだが、とりあえずそれは外した。
それはもうずっと前に楽譜を買って学校の部室のあそこにしまってある、
買ったときは使い道がなくてそのままになってしまったし、
もう古い曲だ(今も主題歌として使われているにしても)と思ったからである。
ところが、最近でもベスト1入りしてるんだとか、小学生でも歌いたがるんだとか聞いて、
非常に驚いて、改めて、それじゃ1度やってみましょうと、
長く部室の棚の中に眠っているはずのその楽譜を引っぱり出すことにしたのである。

昨日の帰り際に部室に探しに行ったけれど、どこを探してもなく、
きょう、もう一度落ち着いて探そうと出校して、1時間かけて探した。
同じ中島みゆきの「旅人の歌」という楽譜は出てきたのだが、
肝心の「地上の星」はやっぱり出てこないのである。
どこに持っていったのか、どこに貸したのかなどと、さまざまに記憶を掘っているうちに、
ある瞬間にある角度から、急に記憶の連鎖が開通した。
この3週間ほど、まったくの勘違いの中にいたことが判明したのだ。

ずっと前に買った中島みゆきの楽譜は「旅人の歌」だったのである。
それはちょうど卒業生の予餞会が開かれるころで、その行事に使えるかなと思ったのに
使わずじまいになってしまった。
一昨年だったか、退職前のK先生が予餞会の出し物で、
「ヘッドライト・テールライト」を歌いたいと言いだした。
吹奏楽部が先生たちの歌の伴奏をすることになっていたけれど、
あいにく、その曲の楽譜は出ていなかった。
「地上の星」なら出ているのにな、、、と思ったことが、
「地上の星」ならあるのにな、という形で、記憶の中で錯綜してしまったのだろう。

この勘違いの真相は、おそらく正しい。
けれども、「旅人の歌」の楽譜を見つけても、
しばらくの間はなかなかこの真相への入り口に行くことができず、
あるはずのない楽譜を探し続けていたのだから、頑固な勘違いというのは恐ろしい。
徒労に終わってしまったけれど、ま、意味ある徒労だったかもしれない。
さっそく注文しなきゃいけないことに気づいたわけだから。。。



数日間、日誌書きをさぼってしまった。
今週は採点に忙しかったし、大雪騒動もあった。
けれども、この部屋での自由な時間の大半をゲームに費やしたのがさぼりの理由である。
1日に30分〜2時間ほどかけながら、
データの消えてしまった「ラチェット&クランク」をやり直しているのである。
最初はうんざり感があったけれど、始めたら、意外にも、うんざりしないのである。
何度同じところをやっても楽しいように、うまく作られている。
それに、前やったときには、できるわけない、不可能だ、と
投げ出したくなったようなところでも、すんなり1発でクリアできたりするし、
1カ所だけあきらめて放ってしまったところも、何とかクリアしてしまった。
おお、歳はとっても、学習能力はまだまだ健在だぞ〜、とうれしかったりもする。
先を知ってるから、前のように、ついつい先に進みたくなって、
明け方近くまで遊んでしまうということもなく、節度を保つこともできる。
けれども、日誌までは手が回らず、読者のお叱りをいただくはめに、、、(>_<)
反省しよっと。。。


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