TENSEI塵語

2002年09月30日(月) 1年半経過

最近は、日誌が不調である。はて何を書くべきか、から悩んだりもする。
何かについて書こうとしても、ついためらってしまう。
たとえば、昨日までの巨人の対中日3連戦にしても、その前の対阪神3連戦にしても、
こんな苦戦してて、対西武戦どうする気なんだい、カブレラに打たれ放題だぞぅ、
なんて、ついつい愚痴だらけの話になりそうなので、ためらって書かずじまい。
(今書いちゃったf^_^;。でも、本格的に書き始めたら、こんなんでは済まない)

去年の今ごろは何書いてたかなー、と思って去年の9月を開いてみたら、
去年のきょうは、高橋尚子のベルリンマラソン優勝がメインになっている。
昨日連覇のニュースを聞いたばかりである。・・な〜るほど、ちょうど1年だもんなー。
それから、昨日の昨日の長嶋引退に続いて、槇原・斎藤・村田の引退を残念がっている。
去年の9月の終わりごろは、野球ネタが多い。
10月に入ると、よくビデオを見ている。
その中心になっているのがロンバケで、この話題は11月まで続くようだ。
その合間に、テロ問題が入っていたりする。

そんな風に懐かしく思いながらところどころ読み直しているうちに、
この日誌を書き始めてから、ちょうど1年半になったことに気づいたのである。
2年で気づくともっとよかったのだが、きょう気づいてしまったのである。
さぼった日も多くて飛び飛びではあるが、とりあえずこれだけ続いたのは、
高校時代以来である。
こういう日記のありがたみがわかるのは、こうして忘れていた時間を思い出す時である。
でも、よく考えてみると、ここだけでなく、メールフォルダーも日記になっている。

さあ、明日から10月だ。新たな気持ちでがんばろう。
さぼっているもんだから、ほら、談話室もおば、、いや、どっかのねーさん2人に
乗っ取られてしまってるじゃないか!!



2002年09月24日(火) 祝 巨人優勝!!

名古屋ドームで、ヤクルトが4対9で中日に敗れて巨人の優勝が決定したとき、
巨人は甲子園で2対1で勝っていた。
このまま勝って胴上げに入りたいと選手もファンも誰もが思っていたが、
阪神の選手とファンは、負かして優勝の喜びに水を差したいと願っていた。
9回裏に、河原がホームランを打たれ、延長戦に入ってしまった。
直球勝負で行け!!と願っているのに、カーブを会心の当たりにされてしまった。
きょうの直球なら打ち取れたと思うのに、僅差の時には河原の弱気が目立つのが残念。
チャンスを生かし切れないまま、同点で12回裏を迎え、
ワンアウト満塁で、ワイルドピッチのサヨナラ負け、、、
実に感触の悪い優勝決定となってしまった。
(あんまり思い出したくないのだが、大切な胴上げの日のことなので記録しておく)
来年こそは、興奮のるつぼの中で胴上げをしてほしいものだ。

ところが、甲子園で優勝が決まる以上、これがよかったのかも知れない。
20何年か前の甲子園での優勝決定の時には、
阪神ファンの暴動で胴上げもできなかったそうである。
何年か前のヤクルトの優勝の時も大変なことになったそうである。
今夜は、阪神のサヨナラ勝ちで、試合後、六甲おろしの大合唱が響き、
胴上げに入りづらいような状況だった。
阪神ファンは延々と歌い続け、胴上げの邪魔をする気かなとも思わせた。
けれども、ひとしきり歌った後、球場を胴上げと祝福に譲ったようだ。
巨人の選手たちが胴上げのためにグラウンドに入ってきたときにも、
阪神ファンがどっと帰るという映像でなく、少なくとも画面に見える範囲では、
巨人ファンとともに出迎えているように見えた。
それは、阪神と長年いい試合をしている敵を讃える姿のように見えた。
今年は優勝を譲るけど、来年はもらうからな、と、いいライバルの態度だったかも。。。
試合終了とともにグラウンドに配備された警備員は、まったく不要だった。
巨人側にとっては、今ひとつ盛り上がりに欠ける区切りではあったけれど、
これはこれでいい光景だったのかもしれない。
テレビの解説者も言っていたが、阪神ファンは勝利の美酒に酔い、
巨人ファンは優勝の美酒に酔って家に帰る、たしかにバランスが取れている。
自力優勝の手放しの喜びは、今年の日本一と、来年の優勝に期待しよう。
原監督もインタビューで言っていたように、これは夢の実現というより、
そのプロローグに過ぎないのだから。。。



2002年09月23日(月) アーミッシュの生活

ハリソン・フォード主演の「目撃者」という映画をたまたま見ることになった。
アーミッシュの村から母と2人で都会に出てきた子どもサミュエルが、
駅のトイレで偶然殺人現場を目撃する。
サミュエルが見た殺人犯の顔は、警察上層部の麻薬捜査官の写真の顔と一致していた。
刑事ジョン・ブックは、そのことを信頼する上司に相談するが、
その上司も実は殺人犯側に通じていたため、ジョン・ブックはその母子ともども、
命を狙われ追われることになり、アーミッシュの村に避難する。

子どもが絡んでいる上に、もみ消しを図る警察上層部との孤軍奮闘なので、
なかなかの緊張感をはらんでいる。
アーミッシュの村に避難してからの大半は、そこでの生活と、
サミュエルの母レイチェルとジョン・ブックの心の動きが中心になるので、
のんびりした雰囲気だが、それだけに結末への緊張が高まる。
このまま進むと、結局ジョン・ブックが殺されて、事件はもみ消されて、
警察上層部の黒い勝利で終わる悲惨な結末になるのではと不安なほどである。
結局は、3人でジョンブックとサミュエルを殺しに来た彼らを、
逆に追いつめる形で、もみ消しは失敗に終わるという結末なのだが、
そのあたり、もっと明瞭にすっきりと描けなかったものかと残念である。
また、ジョン・ブックは住む世界の違いから、レイチェルと別れ村を出る。

さて、この映画でもっとも目を引いたのは、村人みんな、というか、
近在のアーミッシュ全員というべきか、とにかくおおぜいが集まって、
巨大な納屋を1日で建てる場面である。
男たちが納屋を建て、女たちは食事を用意し、大きな布に刺繍をする。
それらは、ある新婚カップルへのみんなからのお祝いの贈り物なのである。
アーミッシュたちは、車社会の中で馬車に乗り、電気も電話もないつつましい生活をし、
無抵抗主義で、戒律を守った生活をしている人々のようだ。
さらにHP検索で調べてみると、「1700年代に移民してきた当時の生活を
そのままつつましやかに守って暮らしている人たち」と説明がある。
「信心深く、かなりかわった生活様式をしている彼等ですが、
 かたまって住んでいるとはいえ、隔離しているわけではなく、
 普通の生活をしているアメリカ人と一緒にくらしています。
 そんなわけで、その地域の商魂豊かなアメリカ人はペンションや町見学ツアー、
 お土産物やさんなどを作って生活しているのです」などとも書かれている。

これは、民族とか種族とかいうものなのだろうか?
非常に興味深い生き方である。
現代文明と隔離されずに、現代文明に侵されることなく生活している人々である。
以前に「ハリケーン」というボクサーの映画を見たときにも、
実に人道的で献身的な男女の共同生活者たちを見て驚き、原作を読んだ。
アーミッシュについても、もっとよく知りたいものである。



2002年09月22日(日) 巨人&貴乃花

マジック8で迎えた2位ヤクルトとの首位攻防戦3連戦は、
巨人の方が1勝2敗くらいで、もうちょっとヤキモキさせられる予定だったけれど、
巨人3連勝でM2となって、早くも優勝に王手をかけてしまうあっけない展開。
8、9月、やたらとしぶとかったヤクルトが、ここに来てどうしてしまったのだろう?
これで、甲子園球場での胴上げの可能性が一挙に高まってきた。
甲子園だと阪神ファンに胴上げを阻止される恐れ(前例)もあるそうだ。

7場所ぶり復帰の貴乃花は、今場所、体調不良と騒ぎすぎる周囲の思惑にもかかわらず、
よくがんばって、きょうの千秋楽結びの一番の優勝決定戦まで持ち込んだ。
私自身は、昨日12勝2敗で武蔵丸とタイとなって、横綱2人の優勝争いとなった時点で
よくやった、と満足した。
きょうの取り組みを見ていたけれど、期待は半々だった。
この数日間の連勝の取り組みを見ていても、勝つには勝っても、
あまり貴乃花らしい相撲をしていないな、と感じていたからである。
本来の相撲が取りきれずに、ごまかしごまかし勝ち続けていた感がある。
きょうも、つっぱり返したり引いたりして、かえって不利にしてしまった。
そんなことをしているうちに、まわしを取れないまま寄り切られてしまった。
武蔵丸は不動の巨体だから、小手先の撹乱作戦では通じない。
今場所は、時々貴乃花の取り組みを見たけど、彼らしかったのは最初の方だけで、
後半に入るとあまり彼らしさが出てなくて、本人の心の不安を感じさせた。
けれども、ホントによくここまで場所を作ったものである。
これこそが日本の相撲だぞという模範的な相撲ができる唯一の力士なのだがら、
後継者が現れるまでがんばって欲しいものである。



2002年09月21日(土) 市川崑

昨夜、スポーツニュースをハシゴしていた時だったと思うが、
きょうの夜9時からの「黒い十人の女」とかいう題のドラマの予告が再三流れて、
ぜひ見てみたいもんだな、と思ったのだが、土曜は市吹で見られない。
朝ビデオ予約してから出ようと思っていたのに、今朝になったらころっと忘れていて、
混成バンドの練習に行ってしまってからそのことを思い出した。
で、家に電話して子どもに録画を頼むか、誰か友人に頼むか、迷いつつ、
いったい何が魅力で、録画までしてみたいと思ったのか、
思い出して再確認しようと思っても、どうもよくわからない。
確かに小泉今日子がちらと予告に現れてそれにも惹かれたのだが、それでは弱い。
内容かな?と思ったけど、どうも内容に惹かれたとは考えづらい。
昨夜ふと予告を見て、衝動的に見たいと思っただけで、
冷静に考えれば大したドラマじゃなかったんだと、録画を頼むのもあきらめたのだった。

ところが、帰宅してビールを飲みながら新聞を見て、思い出した。
「監督 市川崑」に惹かれて、ぜひ見てみたいもんだ、と思ったのだった。
しかも、監督自身のリメークなんだという。
内容はちょっとした解説を読んで、おもしろいかどうか判断しかねても、
やっぱり見られなくて惜しいことをしたな、と思う。

実は、彼の映画はほとんど見たことがないのである。
ドラマ「木枯らし紋次郎」が大好きだったのである。中村敦夫が演じたやつである。
今でも、時代劇で1番好きなのは? と問われたら、「紋次郎」と答える。
ドラマのおもしろさだけでなく、精緻な画面作りから来る情緒がたまらなくよかった。
古いテレビドラマのビデオがいくつも売り出される中で、
どうして「紋次郎」はまだ出てこないのか、不思議な思いである。
それから、「犬神家の一族」などの、横溝正史シリーズである。
石坂浩二が金田一耕助を演じたやつである。
横溝正史の小説を読んでいても、美的なものはなかなか感じられないけれども、
市川崑が映像化したら、実に美しい作品になっている。
原作をはるかに凌ぐ作品、という感じである。

どちらも、この映画を作ったのは誰だ、このドラマを作ったのは誰だ、と見たら、
市川崑という人だった、という風に知ったのである。
それが、昨夜のように、この人の監督作品なら見てみたいもんだ、となったわけである。
そういえば、何年か前に、この人の映画をレンタルで借りていくつか見てみようと
企てたことがあったが、そのころは調べる術がなくてあっさりあきらめた。
今は、Web で検索すれば簡単である(実はもう検索してみた)。
レンタルでどれだけ見つかるかわからないが、見てみたいものである。



2002年09月18日(水) ヤモリ

ここんとこ毎晩、ヤモリが私の目の前の窓を這い回っている。
夏の、雨や曇りの日の、湿気の多い日が多いと思っていたけれど、そうでもないようだ。
白い腹や喉をかすかにヘコヘコさせながら、ピタピタと歩き回る。
羽虫を口で捕まえるときの素早さといったら、タタパッ、という感じである。
みごとなものである。

この種の生物があまり好きでない私は、最初現れたとき寒気がして、
夜中の楽しみのウイスキーもまずく感じたほどである。
慣れるのに少なからぬ時間がかかったと思う。
その間には、私の部屋の中を這っているヤモリを発見して大騒ぎしたこともある。
けれども今は、身をくねらせている白い姿といい、
4本の脚の先の、いかにもピトピト言いそうな吸盤つきの指といい、
なかなかかわいく観賞できる。

ふと疑問に思ったのは、なぜ毎年1匹なんだろう、毎晩1匹なんだろう、、?
今窓の外をピタピタ歩き回っているのが、十何年か前の子と同じとは思われない。
2匹一緒に現れたのは、ほんの2、3回に過ぎない。
毎年のように、しかも毎晩のように、1匹だけが現れるのが不思議である。
しかも、私の部屋は3階である。



2002年09月16日(月) 巨人M10、松井43号!!

早くて9月の中旬か、なんて、8月の中ごろ言われていたけれど、
ヤクルトが11連勝なんてのもあってしぶとく勝ち続けるので、
巨人ファンも (-_^;) と複雑な心境ながら、かえってハラハラ楽しんでいる。
(ちなみに今年から監督は原である)

去年の9月26日の日誌を読んでみたら、巨人の優勝をあきらめた日になっている。
その代わり、ここまで勝って優勝争いを盛り上げたことを讃えている。
10日違いだが、去年と今年とで、ヤクルトと巨人の役割が逆転しているわけである。
きょうで巨人はマジック10、ヤクルトとのゲーム差8となった。
今後、巨人が7勝8敗で行くにしても、ヤクルトは17勝2敗で進まなければならない。
圧倒的に有利ではあっても、ファンというものは兜の緒を締めるものである。
(ファンというものはつまるところ選手頼り、他力本願みたいなものなので、
 兜の緒を締めたところでどうにもならないものであるが、、)
昨日のような悲しい悲しい負けもある。何が起こるかわからない。
(上原が8回まで1点に抑えながら、9回に不運なヒットから始まって、
 連打を許し、逆転負け。8回までの好投が報われなかった。
 前回登板も、1点に抑えながら、打線の援護がなく負け投手になってしまった)
一昨日のような、意外な勝利もある。何が起こるかわからない。
(工藤が4点差を追いつかれ、延長戦で松井も阿部も打てず、はぁ、、と溜息ついたら、
 11回裏、代打川中が、プロ入り初のサヨナラホームラ〜ン!!の快挙)
これだけ差が開いていても、巨人が8連敗、ヤクルトが8連勝すれば、
そこからはもう互角の争いになってしまうわけである。
最終的には、たったの1勝差、たったの1点差が天と地の違いになってしまうのが、
勝負の世界の苛酷な一面である。だから野球ファンをやめられなくなるのである。
野球だけでなく、どのスポーツでも同じである。

それにしても、松井の久々(!)のホームラン、自己最多記録更新の1発はすごかった。
このピッチャーで打つような気がする、、とワクワクして見ていたら、
打った瞬間にわっっ、特大アーチ!! と直感させるようなすごい当たり。
ところが、その打球は、外野席の前寄りに落ちた。
あれ?? 意外と小さかったね、、と思ったら、VTRで見ると、
いったんドームの屋根に当たって、それでもスタンドに飛びこんだのだった。
屋根のない球場だったらどこまで飛んで行ったんだろうと、その点ちょっと残念だった。



2002年09月12日(木) 見果てぬ夢

「ラ・マンチャの男」は、宗教裁判と火あぶりの刑を待つ地下牢で、
セルバンテスが自己弁明のために、牢のおおぜいの囚人たちに
ドンキホーテの物語を演じさせる、いわゆる劇中劇の形で作られている。
囚人たちは最初、この新入りの詩人に攻撃的で、殺してしまいかねない様相だが、
牢の中で、セルバンテスに対する裁判が行われることになる。
セルバンテスが大事そうに抱えている原稿をめぐり、それの安否を賭けて、
セルバンテスの弁明が始まる。
その弁明の方法として、囚人たちに演じさせるわけである。

ドンキホーテは、幻想の中に生きている。
風車小屋は巨人であり、安宿はお城、宿の主人はお城の立派な城主、
娼婦アルドンサは気高き処女ドルシネア姫、アルドンサの雑巾は絹のスカーフ、
床屋のかぶっている盥は、かぶる者を不死身にするマンブリーノの黄金の兜。。。
その眼はまっすぐで、まったく疑うことを知らないかのようである。
そして歌う、騎士の道、、
「不可能を夢み、無敵の敵に挑む。
 耐え得ぬ哀しみに耐え、勇者も行かぬ地へ向かう。
 勇者も行かぬ地へ永遠の彼方まで、旅に疲れていてもとどかぬ星に手を、
 とどかぬ星はどんなに高くても、求める心を忘れず、遠く到達しがたい星に向かおう」

それでいて、実際のドンキホーテは武術も何もない弱虫である。
滑稽な振る舞いばかりが目立つ。
けれども、彼の心の中では、すべてが輝いているかのようである。
セルバンテスはなぜこのような人物を描いたのか。
劇の合間に、ある政治犯の男とセルバンテスの問答がある。

「・・だが、夢と現実とは違う。ここの囚人たちと君の狂気の男とはな」
「彼らの夢こそ現実的だ」
「夢は夢だ。なぜ詩人は狂人を好む?!」
「似てるのだ」
「人生に背を向けてる」
「人生を選ぶのだ」
「人生を受け入れろ」
「人生をか、、、40年以上も人生を見てきた。
 苦悩、悲惨、残酷さ・・・神の創った子たちの声は道ばたに漂ううめき声だ。
 兵士も奴隷も経験した。
 仲間が戦いで死に、ムチで死んで行く。
 彼らは人生をただ受け入れてきた、、、そして、死んだ。
 ただ当惑して、なぜ?と言いながら死んだ。
 なぜ死ぬのか?ではなく、なぜこんな人生を?と問いながら。。。
 人生で、狂気とは何だ?!!
 現実的すぎること、夢をもたぬこと、ゴミの中の宝探し、、、
 1番の狂気は、人生を、あるべき姿でなく、あるがままに受け入れることだ!!」

・・う〜ん、、、字幕でなく、ちゃんとした台本が欲しいところではあるが、
この場面のセリフをじっくりと読んでみたら、
長年、今ひとつ腑に落ちないところを抱えていたこの作品が、
非常にすっきりした流れでわかりやすくなった。
最後のドンキホーテの病床でアルドンサが夢を思い起こさせる場面は、
はじめて見たときから涙を誘う感動的な場面だったけれども、
今回、ようやく、このミュージカル全編を名作として確信できたと思う。


昨日、図書館に上がって行ったら、廊下に2種の写真ニュースが掲示してあるのだが、
幸四郎の「ラ・マンチャの男」1000回公演達成の記事が出ていた。
偶然でびっくりした。また舞台の方も見に行きたいものだと思った。



2002年09月11日(水) 改めて「ラ・マンチャの男」

この映画を初めて観たのは、高校時代、映画好きの演劇部だった友人に薦められてだった。
それからすぐの休日に観に行ったと思う。
実は、その時は、全体としてはピンと来なかったのである。
ドン・キホーテの狂人的夢想というものが違和感として強く印象に残った。
それがちょっと行き過ぎのようにも感じ、物語の登場人物の中での共感が
今ひとつ理解できないでいた。

それでも、その後3、4回映画をくり返してみているだけでなく、
日生劇場へ、松本幸四郎主演の舞台ミュージカルを観にも行っている。
よく理解できないながらもこの映画にな〜んとなく執着してきたのは、
映画に漂う中世の雰囲気と、セルバンテス役のピーター・オトゥールの
表情(特にドン・キホーテを演じている際の、眼!!)の魅力もそうだが、
何といっても、劇中の歌が魅力的だからである。
今年の4月に、実に偶然ながら、やっとこさサントラCDを手に入れた。
若いころ探し回ったのに見つからずにあきらめたサントラ盤である。
終幕近く、ドンキホーテの瀕死の病床でアルドンサが胸の底から訴えるように歌う
第2ヴァージョンの「見果てぬ夢」は涙なしには聞けない。

昨夜は、やけに真剣に字幕の言葉を真剣に読みながら見ていたような気がする。
歌詞の意味も、セリフも、いろいろと再発見するような心持ちで見ていた。
そして、はじめてこの映画がすっきりと理解できたように思う。
アルドンサの心の動きも、はじめて、きわめて自然に受け取れたように思う。
このことについては明日に回そう。



2002年09月10日(火) ラ・マンチャの男

約6回目、映画「ラ・マンチャの男」を見て、大いに泣く。
しかし、明朝早いのでまずは寝ることにする。明日書こう。



2002年09月09日(月) スパイ大作戦

1日1話ずつ「スパイ大作戦」を見始めた。
「トリック2」の最終話を返しに行った時、借りようと思ってたものがなかったので、
ふと目に止まった「スパイ大作戦」が不意に懐かしくなって、借りて見始めたのである。
夢中で見てたのが高校時代だったのか大学時代だったのか思い出せない。
スカッとさわやか的ドラマである。
寝る前に見ると、満足して安眠体勢にはいることができる。
さまざまなトリックを使って、相手の心理までも動かして、
最後は標的を呆然とさせるところが、実に痛快である。
作戦遂行中は、何のために何をしてるのかが大変わかりにくい。
それでいて、最後にはな〜るほど!と1本の線につながる。巧妙なドラマである。
・・・時間がないのでまた書こう。



2002年09月07日(土) 「オトナ帝国の逆襲」を見て

月曜日に北さんが貸してくれたのに、やっと昨夜と今夜2回に分けて見た。
昨夜一気に見ないで中断できてしまった、ということで、
あんまり夢中になれなかった冷めた見方というものがばれてしまいそうだが、
その理由は自分自身でよくわかるのである。
ひとつは、長く本の方で親しんでいた漫画のアニメ版を見るのが好きでないからである。
これは、漫画の方が好きであればあるほど、そのリズムだとか雰囲気・情緒が
読んでいる自分の体にしみついてしまうので、アニメや映画になったものを見ると、
どうしてもひどい違和感を感じて、魅力を失ってしまうのだろう。
(あだち充の場合に特に甚だしい)

快楽亭ブラックという人が、(談話室の北さんのカキコNo.59)
「この映画のスゴイ所は、そんな大人たちの現実逃避のノスタルジックな感情を、
 未来をになう子どもたちにとっての〈敵〉として描いているところ」と評して
絶賛しているそうだけれど、私の知らないところでそんな世相になっているのだろうか?

60〜70年代への郷愁は確かに共感できる。
何かの折りに見聞きしては、わーーなつかしい!!と大騒ぎするのは私も同じである。
このアニメでも、なつかしい風物を再現して見せてくれていて、
それも、確かに〈におってくる〉ように描かれていて、
それはこの映画の貴重な部分でもある。
けれども、いくらそれが甘美な郷愁だからといって、
子どもたちをほっぽりだしても夢中になるような郷愁ではないし、
回帰したくなるほどのものとして人々の心に生きているものなのか、疑問である。
(もしも、実はそういう危機的世相なんだったとしたら、私の認識不足である)

まぁ、あんまり大げさな評言は禁物だぞ、というのが私の感想である。
家族っていいものだ、というこの漫画のいつものテーマを、
作為的郷愁による危機を通じて描いたお笑いアクション劇、ぐらいにとらえておこうか。。



2002年09月05日(木) 新学期の長さ

昨日の朝、起きて、煙草を吸いながら、愕然とした。
まだ水曜日だ、3日目の朝だ、2日過ぎただけだ、授業も昨日1日しただけだ、、、
とても信じられない、、、が、本当らしい。。。 どう見ても水曜日だ、9月4日だ。
そうと悟って、気が遠くなるような気がした。週末はちゃんと来るんかいな、、と。
なんか、いろいろなことが通り過ぎて、もう1日くらいしのげば週末が来そうな
錯覚の中に入り込んでいたのだ。
きょうになったら、もうそんな錯覚はなくなって、正確に日を数えることができたけど。。

新年度や新学期の歩みは、いつもこんなに遅いものであるが、
今回は、月曜日から始まったのでとりわけこんな錯覚が生じたのだろう。
週の半ばで始まると、2、3日で休日が来る。
その2、3日が、まるまる1週間くらいの長さに感じられるものである。

9月1日のような、夏休み最後の日の夜の心境というのは、格別なものである。
(例年はもちろん、8月31日である)
ホントに始まっちゃうの? もう2、3日待ってくれないの?
必死の問いも虚しく、夜は更け、やがて朝がやって来る。
ひょっとしてこれは、小学校入学以来ずっとくり返している感慨ではなかろうか?
どんなにイヤな時間もつらい時間も、時間というものは余裕綽々の仕事ぶりで、
ちゃ〜んと我々に送り届けてくれて、そうして常に律儀に前を見続ける。
その代わり、よい時もちゃ〜んとその時になれば送り届けてくれるんだから、
そうそう文句ばかり言ってはいけない。



2002年09月01日(日) 長野県田中知事圧勝

議会の横暴によるものだっただけに絶対勝利してほしかったが、
9時前の1%開票ですでに当確(不思議だ。長谷川508票、田中262票なのに、、)、
11時ごろの96%開票では田中80万余、長谷川38万余と圧勝していた。
長谷川陣営は組織票を固めてくるはずだから、もうちょっと苦戦になるのかな、
と思っていたので、意外なほどの楽勝という印象だった。
不信任決議した議員側の組織ぐるみの抵抗がなかったらもっと楽勝だったろうが。。。

さ〜て、長野県議会はこれからどうなるんだろう???
8週間前、テレビで息巻いていた浜とかいう議員は辞職するだろう。
何人が辞職するのかわからないけれど、残った反対勢力の方々は何を主張していくのか。
それとも、辞職しないで議会をさぼり続けて税金泥棒するつもりだろうか。

補欠選挙もあるだろうし、来年には県議会選挙もあるそうだ。
今度こそ、各議員の主張によって判定をし、投票してほしいものだと思うが、
議員の選挙は票が分散してしまい、一部の支持で当選してしまうのが難である。
少なくとも、反田中派が過半数を占めないような投票をしてほしいものだと思う。

とにかく、不可解な不信任決議案を可決した連中をギャフンとさせた点で、
実に痛快な知事選結果であった。
(これについて以前書いたのは7月7日だった)


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