TENSEI塵語

2002年08月31日(土) 愛について

「中学生でもできる哲学的思考」というメルマガが忘れていた状態で唐突に届いた。
「あと50分くらいで発行しないと廃刊になってしまうので」なんて断り書きがしてある。
たぶん、数ヶ月発行せずに来たのだろう。
こういう、他者と契約を結んで発行しているメルマガでもこれだけさぼるのだから、
私の日記が1週間くらいさぼるなんてのはかわいいものである。
(書くことがないときに昔書いたものを加筆訂正しつつ転記する人もあるようだが、
 私はリアルタイムを重んじるので、今のところはそういうことはしていない)

さて、そのメルマガは、今回は「愛について」書かれていた。
前置きは省略して、筆者の本題のところだけ引用しておくことにしよう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そこで最近、「自分と同じように思えるもの、これが
『愛している』ということなのじゃないだろうか?」と思っています。
つまり、自分と分離している感じがしない、一体感、のようなもの。
これが愛じゃなかろうか、と。

あくまでも一般に、ですが、親は子を、自分の命に代えても守り抜こうとします。
子供が殺されそうになったら、「代わりに私を殺してください!」と叫びます。
これが愛じゃないだろうか。
この図式において親子の間にVSは存在しません。
親子は同じチームで、VSが存在するとすれば、その外に向けてなのです。
その場合、親にとって子供はある意味『自分』であるのです。
自分が殺されるのと子供が殺されるのとは同じなのです。

友人の交際していた男性が、「愛っていうのはねぇ、一番うまいと思ったものを
好きな人にあげることが出来るかどうかなんだよ」と冗談のように話していたそうです。
何年も前に聞いたにもかかわらず、その言葉はずっと私の中に残っていました。
自分にとってものすごく美味しいと思うものを、自分は食べなくていいから
この人に食べてもらいたい、と思える、うーむ、愛かも、と最近実感してます。
食べ物のことは根源的で本能的ですから、私にとってはかなり難しいことなので…(笑)。

そこで今度は、「『自分』と思える範囲が人によって違う」ということに気がつきました。
つまり、ある人は文字通り『自分自身』しか自分と思えないのに対し、
ある母親は家族5人全員を自分と同様に考えられる。
またある教師は、クラス全員の教え子40人を自分だと思える。
そしてマザーテレサやガンジーなどは、世界の人間すべてを
自分と同じように尊び、大事にすることが出来る(のかな?)、と。

相手を自分と同様にとらえるということは、相手を愛しているということ。
逆も真で、愛するとは、相手を自分と同じように感じられること。
つまり、自分がほしいものを与える、自分がされたくないことはしない、
自分が言って欲しいことは言ってあげること。

世間一般でイヤというほど言われている、これが「愛」の正体なのでは
なかろうかと、私は現在行きついたわけです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

愛とは「自分と同じように思えること」? 新しい表現かも。。。
なーるほど、、、こう考えれば、単に「べき」の領域でないことがよくわかる。
「自分と同じように思える範囲が人によって違う」?
なーるほど、、、こう考えれば、愛にさまざまな相があることもよくわかる。



2002年08月30日(金) 「トリック2」まで全て見終えて

最終話まで見終えたのは、主役の2人がおもしろかったことと、
今回はどんなニセ超常現象を扱うのかな、という興味のためだった。
実は、見ながら、イライラするほどにつらい面もあった。
まず、毎回登場する2人の刑事が実に不愉快なドタバタぶりであること。
そして、事件に関わる脇役陣にオーバーアクションが目立って、
やたらと泣きわめいたり、悲鳴をあげたり、、、こういう騒々しいのはもともと嫌いだ。
けれども、このドラマは喜劇6、サスペンス4のドラマと割り切って
我慢して見続けて、それなりに楽しんだといえる。
しかし、こういう中にあって、仲間由紀恵の演技は実に魅力的だ。
たどたどしいような、いかにも不器用なような、もどかしいような、
それでいて要所をぴしっと締めているような、不思議な魅力である。
どんな魅力でもいい、全体としてマイナス面が多く感じられても、
際だった魅力がな〜んとなく次々と見続けさせる原動力になるのである。
所有してまで見直したいほどのドラマではないけれど、とにかくおもしろく見た。

今夜見た最終話は、未解決の謎をいくつか残したまま終わってしまったけれど、
そういう意味では杜撰な話だけれど、とびきりおもしろく見た。
けれどもこれは、最初のシリーズの最終話を見ていないとわかりにくい話だろう。

全11話中、社会的な問題提起のようなものを感じたのは、最初のシリーズの第1話、
第4話(だったかな?)、それから昨夜見た「2」シリーズの第4話などに見られる、
信仰の真実を暴露することの是非という問題である。
からくりを暴露されて、新興宗教の信者たちは拠り所を失い、路頭に迷う運命となり、
インチキ商法の信者の少年は、病気治癒の希望を失い、
自分の超能力を信じる子どもが、発狂して笑い続ける。。。
こういう素朴な信仰の悲劇で話を終える部分があったのである。
暴露した山田奈緒子は、ただそれをやりきれない思いの表情で見つめているだけ。。。
けれども、しょうがないのだ。
一見、確かにそれは不幸に陥れたように見える。
けれども、真実を見据えた上で生きる希望を見出していくのが本来だからだ。

このドラマの最高にうまいのは、短いオープニングタイトルである。
長々とやらない、あっという間に終わる。
短い音楽をバックに、卵にひびが入って、緑または紫の黄身が現れるだけのものである。



2002年08月27日(火) メモ程度に書きとめる

昨夜見た「トリック2」第1話(六墓村)は、前シリーズの第2作以降に感じたほどの
杜撰さは感じさせなかった。それで、続けて見たくなったのだが、
きょう借りてきた第2作(占い師)は、また少しいい加減な処理を感じさせられる。
なーんとなく仲間由紀恵の雰囲気を味わいたくて見続けているようなものである。

昨夜、ビデオを巻き戻している間に、テレビの深夜映画で、ある邦画を見始めた。
これといった刺激的な場面もない、淡々とした感じの静かな映画だったが、
画面から受ける不思議な印象に惹かれて、CMのたびにも続きを待って見続けてしまった。
高校受験を控える中3生とその家庭教師を中心に展開される映画だったが、
淡々とした運びに見えながら、場面のひとつひとつが象徴的な印象を受けるのである。
始まってしばらくして見始めたので、経緯もわからなければ、
いつ終わるのかもわからなかったが、2時間ほど見させられた。
自分では正面から子どもと関わろうとしない父親の姿と、
晴れて合格祝いの食卓をグチャグチャにして立ち去る家庭教師の姿が印象的だった。
番組終わりのタイトルを見たら、題は「家族ゲーム」というらしかった。

読みかけてしばらく忘れていた、東野圭吾の「どちらかが彼女を殺した」を
昨日、きょうで読み終わった。
小説の中で犯人探しの解決はするけれど、犯人が誰かは読者に明言しない、
いじわるな推理小説だった。



2002年08月25日(日) 混成バンド練習会

もうヘトヘトである。脚にも腕にも筋肉痛が始まっている。ぼーっとしていたい夜である。
しかし、菜々まつ様も見たし、巨人は久々の快勝をしたし、元気出たぞ! というわけで。

昨日・今日と、11月の最初のころにある吹奏楽祭の混成バンドの練習日だった。
もう10年ほどその練習を見ているけれど、たいていは会場が他校か他の施設で、
そこに行って合奏指導だけやればいいのだが、時々そういう場所が見つからなくて、
自分の学校を会場にしなければならなくなることがある。
こういう時は労力が倍になると言ってよい。
朝から夕方まで未知の生徒たちを相手に合奏練習をするだけでなく、
いろいろな雑用を抱え込むことになるからである。
だから、歩き回る時間も多くなるし、立ちっぱなしの時間も多くなる。

しかも、選んだ曲が、アルフレッド・リードの「オセロ」という5楽章仕立ての、
第1・3楽章がたいへんエキサイティングな曲である。
それを伝えるために、身振りにも異様に力が入るのである。
指揮法の基礎は力を抜くことなので、力んではいけないのだが、
それはプロ相手の話で、素人に思いを伝え、能力を引き出すためには、
言葉だけでなく、身振りも大切なのである。
昨日・今日あたりはまだ生徒たちも楽譜を読むのに懸命な状態なので、
テンポ指示は指揮台を叩いて、そのついでに、その叩く力と動きを援用するわけである。
軽やかな部分では徹底的に軽く叩き、動きもほとんどないようにするのだが、
めいっぱい感情を入れてほしいところでは、身振りも叩きも自然と大きくなる。
練習の時には菜箸を使っているが、新品だったのが昨日の3時ごろ折れた。

昨夜はさらに市吹の練習にも行ったのである。だめ押しみたいなものである。
けれども、音楽好きには、疲れようが何だろうが、音楽優先である。
どんなにグッタリしていようと、音楽が鳴り始めたら体は音楽に向かってしまう。
「心頭滅却すれば火もまた涼し」という何とか和尚の名言とやらも、
火や近年の夏の猛暑には疑問を抱くけれど、音楽については確かにそう言えるのである。

集まったのは13校から約80人もの生徒たちである。
わざわざ休日を吹奏楽のために潰そうと集まった生徒たちである。
半数ほどが、毎日補習に攻め立てながらも、
その合間の2日間を練習に費やしているわけである。
技術的に光る生徒はひとりしか見出せなかったけれど、
そういう気持ちは大切にして、他校ながら少しずつ伸ばしてあげたいと思う。
これも私の、疲れるけれど張り切ってしまう時間である。
毎年毎年、誰か代わってよぉ、、と陳情しながら捨てきれない貴重な時間である。



2002年08月23日(金) 混成バンド練習会前夜

明日、明後日と混成バンド第1、2回練習会である。
曲は去年から大栗裕の「大阪俗謡による幻想曲」と決めていたのだが、
90人近い希望者が出たので、こんな大人数でアクロバット的アンサンブルは困難と思い、
1カ月ほど前からちょっと迷いながら、アルフレッド・リードの「オセロ」にした。
細かい音符は多いけれど、拍は単純だから、
運指さえ覚えてもらえば何とかなるだろうという方を選んだのである。

困ったことには、自分の学校を練習場所にせざるを得なくなったのである。
昨日ときょうで、部活の合奏練習の後、掃除・整頓・椅子の配置などをやらせた。
それだけでなく、パート練習用の教室を、使える程度に整頓しなきゃならなかった。
練習の会場校を担当するのは大変なことなのである。
朝校舎を開けてから施錠まで、気の休まる時がないのである。
それでいて、1日合奏練習の前に立ち続けるわけである。

てぇへんだ〜〜、と思いながらも、この仕事は案外やりがいのある仕事でもある。
今年もまた、12、3校から集まる90名近い生徒たちが喜んでくれるといいが。。。



2002年08月20日(火) 涼風が吹き荒れる

台風13号は、こちらに向かって北上してきたものの、高気圧に阻まれたらしく、
本州に近づいてから東にくるりと進路を変え、本州の外側を東進・北進して去った。
夏休み中には台風などに来てほしくないものである。
来なかった上に、昨夜から涼しい風を置き土産としてもたらしてくれた。
昨夜、窓から吹き込む風の涼しさにおどろいたのだが、
きょうも、朝からずっと涼しい風がありがたく、
8月の半ばにこんな心地よい風を味わっていいのだろうかと不安を感じたほどである。
7月の台風の後も、こういうさわやかな晴天に恵まれてありがたい思いをした。
あの時は、7月とは信じられないさわやかな陽気が、3、4日続いたはずである。
きょうはその代わりに、時折突風が吹いて、車のドアが煽られるなど、危険な思いもした。
今夜もその涼しさは続いている。風はおさまったようだ。
明日は出校日なのだが、天気だけはすがすがしくあってほしいものだ。



2002年08月19日(月) 絶妙なルール

もうとにかくここ2、3日の間感心することしきりなのは、二角取りというゲームである。
34種類×4の麻雀牌が、横17×縦8に並んでいて、
ルールに従って同じものを2個ずつ裏返して行くだけのパズルなのだが、
ルールの絶妙さに感心してやまないのである。
(ま、白状すれば、それだけのめり込んでしまっているということにもなるf^_^;)

実は、これはかなり昔(いつからかは知らない)からあるパズルらしくて、
10数年前に人がやっているのをそばで見ていたことがある。
その時に、いったいどういうルールでパズルを進めているか、どうもよくわからなかった。
けれども、それ以後機会もなく、そのまま忘れてしまっていた。
先日、Shockwave のメルマガに乗せられて、ちょっとやってみるか、となったのである。

ルールを読んで始めてみたのだけれど、なかなかイメージがつかめなかった。
<条件>
 a. 2つの牌が接している場合
 b. 2つの牌の間に裏返った牌のみが存在する場合
 c. 条件b を満たし、2つの牌の間で2回まで直角に曲がる事で牌が合わさる場合
 d. 牌の並んだ外枠を通って、2つの牌が合わさる場合
・・・みたいなことが書いてある。
それを、実際にやってみながらヒント(これとこれ、と教えてくれる)も頼りにして、
やっとこさ自分の力で見つけにくいものも見つけられるようになるまで、
1時間かかったのか、2時間かかったのかわからない、、、とにかくそのころには、
完全にハマってしまって、やめられない状態に陥っていたからである。
条件は、もっと簡潔に書いてくれればよかったのだ。
「外側または裏返した牌を通って、直線上に並んでいるか、曲がるのは2回以内」と。

さて、感心することしきりなのは、このルールの絶妙さである。
やっているうちに、手詰まり、となってゲームオーバーとなることもある。
けれども、もうどこにも条件どおりに結ばれるペアはないぞ、
どれだけ探してもないぞ、と思っていても、思わぬところに、
ちゃんと条件で結ばれるペアが存在しているのである。
あの条件でなければ、こんな唯一無二のペアは存在し得ないと思われるほどである。
そうして、そこから連鎖反応式に、1組1組と見つけて裏返して行くと、
まだ半分以上の牌を残してあきらめかけていたときには予想もしていなかったのだが、
ちゃんとすべての牌を裏返しにするという目標を達成できるのである。
たったひとつの発見が局面を打開して行くという、さまざまな推理ゲームや、
クロスワード、ナンクロなどのパズルや、ある種のTVゲームや、
中高生だったころの数学などの問題や、ひょっとしたら生活の中にもありがちな、
感動的な問題解決の喜びを味わわせてくれるのである。

野球とかサッカーとかを見ていても、ルールの絶妙さに感心する。
たとえば、ベース間の距離だとか、サッカーゴールの広さとかいうものである。
実にうまく設定されているものである。
内野ゴロひとつ取ってみても、安心とスリルとが交錯するようにできている。
ベース間の距離はもうちょっと長くてもおもしろみを奪うかも知れないし、
サッカーゴールの大きさも、1点に狂喜するちょうどよい大きさなのかな、と思う。
バレーボール、バドミントン、テニス、、、どれもそういう点で感心するばかりである。
そういえば、ボーリングについてふと思い出したのだが、
中学時代にボーリングが流行って自分でも熱中していたころに、球の重さといい、
ピンの重さといい、あの距離といい、機械システム、点数計算方法などなど、
快感と口惜しさが実にうまく絡まるように作られているので、感心したものだった。
それらは、長い歴史の間に話し合いつつ改善をくり返してきたのだろう。
二角取りの絶妙なルールは、いったい誰がどうやって発明したのだろうか。この単純なゲームの中に潜む絶妙なからくりに、拍手を贈りたいものである。
だいたい、こんなゲームを思いつくこと自体が不思議である。
お絵描きロジック(ピクロス)も、思いつくこと自体が不思議なパズルだったけど。。。



2002年08月15日(木) Shockwave.com のGame

13日の夜からだから、まる2日、3つのゲームに狂っていた。
13日にShockwave.com のメルマガが届いて、日ごろ忙しいときは放っておくのだが、
夜中にちょっと出来心でそのゲームランキング1位のゲームにアクセスしてしまった。
実に簡素な落ち物ゲームなのだが、簡素で単純なものほど一気にハマリ易いものである。

「ZOO KEEPER」というそのゲームは、8×8のランダムに配列される動物を、
ひとつずつ入れ換えながら、タテかヨコに3つずつ並べて消して行くだけのものである。
消えた分はどんどん上から落ちてきてまた新しい配列になるし、
勝手に3つ並んだ分は自動的に消えて、得点が加算されて行く。
要求されただけ消す(ゲームでは捕らえることになっている)と、次のステージに移る。
そのたびに、制限時間の減り方がだんだん短くなって行くので次第に大変になる。。。
ゲームオーバーになると、動物園の経営者の禿げたおじさんに叱られる。
「ちみ、この仕事むいてないね」「よゆうでクビ」「やる気あるの」などいろいろ。
あ〜あ、ダメだった〜、と思っても、コメントが楽しいのでまた始めてしまうのである。

落ち物ゲームとしては、テトリスが最高人気なのだろうが、私はあまり好きでなかった。
テトリスよりは、爆弾の置き方次第で一挙にクリアできるボンブリスにハマった。
それ以上に名作だと思うのが、Mac のフリーウェアの「まきがめ」である。
私はそのキャラを入れ換えて「びっくりたぬたぬ」で遊んでいるが、
これは、2つ以上並べて消して行くだけのゲームである。
ただし、2つ消しても1点である。3つ消して2点。4つ消したら2の2乗で4点。
5つ消したら2の3乗で8点、、、n個消したら2の(n−2)乗のとくてんになる。
だから、102個を1度に消したら、2の100乗のハイスコアが可能になるのである。
そういう連鎖ができるように配列を読み、他のキャラをうまく消して行くのである。
時間無制限のこういう頭脳プレイが私は大好きである。
「ZOO KEEPER」はおもしろいけれども、時間に追われるという点で、
そのうち自分の能力の限界を感じて見切りをつけてしまうだろうと思う。

ランキング第2位は「二角取り」だった。
古くからある定番ゲームそのままだが、その昔、人がやっているのを見て、
まったくルールが理解できなかった。
その後、時々自分でやり始めても、よくわからずに投げ出してしまった。
今回は、説明を読み、ヒントも援用しながらちょっと時間をかけて取り組んでみた。
長年の疑問がようやく解決されそうで、かなりコツがわかってきた。
これは長くハマリそうなゲームである。長年支持されているだけのことはある。

ランキング第3位の「びぼぼブロック」も、息の長〜いブロック崩しの一種だった。
これのために、プラグインのヴァージョンアップ作業を強いられだけれど、
今まで市販のものを買ってまでして遊んでいたブロック崩しよりも、
さらに優秀で、次にどんなステージが待っているのか、実に楽しみな作品である。

この2日間は、仕事を忘れるつもりで遊んだけれど、今後がいささか不安である。



2002年08月12日(月) 誇大広告??

コンビニに寄るのは大急ぎの場合が多くて、たいていは今必要な物だけを買うのだけれど、
急いでないときは、スーパーでは見かけないインスタントものを探したりする。
コンビニは、単に便利なだけでなく、新製品の試売機関になっているみたいだ。
「えぞ菊」味噌ラーメンという傑作も今ではスーパーに袋物が安く売られているが、
最初は、コンビニでカップラーメンで売られていて、買って食べて感動した品である。
一昨日も3種類ほどカップラーメンを選んで買ってきて、昨日ひとつ試食して、
娘と品評したところである。

さて、きょう試食したのは、1カ月ほど前に見つけて買ってあった
「鳥肌の立つチキンカレー」というレトルトカレーである。
買ってみたものの、名前や箱の柄の雰囲気にちょっと恐れをなしていたのだが、
きょう、昼にようやく勇気出して食べてみたわけである。
箱にはこんなことが書いてある。

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ひとくち食べたその瞬間、口に広がるおいしさはまさに「鳥肌もの」。
何度食べても肌が粟立つほどの、感動の逸品。
カレー研究家・小野員裕氏は、鳥肌ものの味を求めて
1000件以上のカレー専門店を食べ尽くすほど決して味には妥協を許さない男である。
今回のレトルトカレーも、専門店カレーの味を凌駕する程の最高の味を提供すべく、
執念の努力の末、遂にこのカレーを作り上げました。
「カレー専門店の味を超えるレトルトカレーが可能であることを証明してみたかった」
と語る小野員裕氏の「夢」をかたちにした、鳥肌もののレトルトカレーです。

従来の小麦粉を使用したカレールーとは異なり玉ねぎ等の野菜、
スパイスと荒塩だけで作った本格インドカレーです。
かすかな酸味、ほのかな甘味、香辛料と玉ねぎの深いコク。
誰にでも馴染める程よい辛味を追求しました。
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こうまで書かれていて食べてみないのは、「好きな食べ物は?」と問われて
「カレーライス〜!」(他にもあるが)と答える者としては片手落ちである。

食べた感想は、、、辛いだけ、だった(;_;)。誇大広告だ。
辛いだけで、香辛料の粉っぽさがいつまでも残る。ほのかな甘みなどほとんど感じない。
中味を見た瞬間は、黄色いカレーの表面にオレンジ色の油が浮いてて鳥肌もんだったが。。。

私がこういう新物を試食しているとたいていそばに寄ってくるのが娘である。
「どう?」と私に尋ねるときにはもうスプーンを手にしている。「辛いだけ」と答える。
「あまりおいしそうなにおいしてないしね」と言いながら、横からスプーンが入り込む。
2、3度横取りした後で「チキンはいいね」
「うん、レトルトにしてはチキンがうまい」
「ま、たまにはこういうのもいいんじゃない?」
「いや、もう買わない」
(もちろん、娘が試食しているときには、父が横から割り込んで品評会になるわけである)

それから、HP検索をしてみると、意外とこの種のカレーを試食して品評したHPも多く、
この鳥肌カレーの反響を知ることができた。おもしろいものである。
食べて感激のあまり「妻に買い占めを指令した」という人もいれば、
「旨味がいまいち」というような人もいる。
私ほど冷淡に不満を感じたような感想は見られなかったけれど。。。

そこで、思うに、好みとか求めるものが根本的に違っていれば、
評論家や研究家が魂傾けて追求したものも、人によってはまったく無意味だということだ。
私は辛いカレーを好みつつ、そこに甘みがじわんとやって来るようなのが好きなのに、
小野氏たちは、そういうのを否定しようとしたわけなのだろう。
・・・ということは、今後小野氏のカレーに関する著書を見つけても、
うまいカレーのタイプが違うから買って読む必要はなくなったわけだ。
本場インド風とか、そういうこだわりは私にはまったくない。
何をどう試してみても、わが家で作ったカレーの2日目に煮直したのが1番美味いのかな、と思ったりもする。



2002年08月11日(日) 「トリック」を見終えて

最後の最後まで、結末の杜撰なドラマだったと言うしかない。
最終話など、それでいったい何だったの? と残る疑問が多すぎる。
それでしゃあしゃあと満足げに幕を閉じてしまう。
視聴者に対する詐欺行為みたいなものである。
見終わった後、時間のムダだったかな、と感じさせるものがある、これではいけない。
けれども、見ている最中は、目を離せないのである。
それは、見破れそうにないような超能力を披露してくれるためでもあるが、
主人公2人のおもしろさのためでもある。

こういうシリーズドラマには、決まったセリフがあるとおもしろいが、
(たとえば、水戸黄門の「控えぃ、控えぃ、この紋所が目に入らぬか」とか、
 桃太郎侍の「桃から生まれた桃太郎、、」で始まる長ゼリフとか、
 木枯らし紋次郎の「あっしにはかかわりのねぇこっで」とか、、、)
このドラマでも、ヒロイン山田奈緒子(仲間由紀恵)の
「お前らがやってることはぜ〜んぶお見通しだー」というのがおもしろい。
共演の上田物理学者(阿部寛)の「僕もそうだと思ってたんだよ」というのも。。。
2人ともそう言いながら、その推理は失敗をくり返す。
それはほんの1例であって、この2人の会話についてはかなりよく書き込まれているのに
肝心のトリックについて入念でないのかが解せない。

仲間由紀恵は、ちょっと前に、やくざの親分の娘で教員をしている役柄のドラマを
3回ほど、たまたま見て、ややたどたどしく啖呵切って生徒達を説得するところや、
目のきれいなところがなかなか魅力的だな、と思っていた。
今回も、そういう魅力を見せてくれていて、注目すべきところに来ている。
けれども、菜々子さま〜、智ちゃ〜ん、というほどにインパクトがないのは、
ドラマ(脚本)全体の魅力にいまいち欠けるためだろうか。
脚本を生かすのも女優なら、逆に、女優を生かすのは脚本なのである。
作品の中で俳優が光り、俳優次第で作品も光るという相互作用なのだろう。



2002年08月08日(木) 「トリック」

完全休業日である。久々のめずらしい1日である。
何をやろうか、といろいろ考えたけれど、先週借りてきた2本のビデオを
明日には返さなければならないので、4時間近くをそれに費やした。
それは、「トリック」というドラマのビデオである。
今年の正月に、テレビ番組の雑誌で新番組「トリック2」というのを見つけて、
興味を持って、見たいと思ったけれど見ることができなかった。
忘れた日もあるけれど、書いてある時間にチャンネルを回しても見つからなかった。
地域によっては別番組、という但し書きの、その地域にあたっているのだろうと思った。
先週、レンタルに寄ったときに、その「トリック2」を見つけたのだが、
新入荷価格の上に、全部借り出されていたので、古い方の「トリック」を2本借りたのだ。
でもその後な〜んとなく慌ただしくて、忘れてしまっていた。

このドラマは霊能力・超能力と称するもののからくりを暴くドラマである。
マジシャンの女(仲間由紀恵)と物理学者の男(阿部寛)が
実に不器用に、失敗だらけの推理を進めていく展開がおもしろい。
しかも、ドラマの展開の中で、いろいろな手品の種を紹介してくれるのもおもしろい。
この2人の主役のやりとりもおもしろい。
しかも、犯罪者側が、見ている限りで種のない超能力を行っているとしか見えないのも、
見始めたら途中でやめられない原因になってしまっている。
それが、1時間ドラマ3回分で1話完結とか、2回分で1話完結になっているのである。

ところが、全体に画面構成に落ち着きがない。品がない。
やけにドタバタ喜劇的な落ち着きなさや品のなさが目立つのである。
そのあたりがどうも扱っているテーマの大きさと見ている作品とのギャップというか、
ちぐはぐなものを感じさせる。
謎、謎、謎、、、と、謎はますます深まり、見ているものの心を高める割には、
最終の推理や結末が、大ざっぱで安易すぎるようで拍子抜けする。

そんなわけで、ひとつの話が完結した後味は、それほどいいものではない。
この程度の謎解きのために、一生懸命この長丁場を見つめていたのか〜、という落胆。。。
けれども次が見たくなってしまうのは、次はどんな霊能力者が登場するのか
という興味だけではなくて、結末が決してハッピーエンドで終わらず、
何らかの問題提起や、不吉な予言を含んでいるからだろう。
詳しいことは、ビデオ4巻を全部見てから書くとしよう。



2002年08月07日(水) 大会役員と大渋滞

きょうもまた、県大会の下働きの日である。
ただし、いつでもそうだが、実際に働いているのはある学校の生徒達であって、
我々教員は、何をどうするかを指示して、それがうまく機能しているかどうかを確認し、
いざという時に相談にのったり、トラブルの解決をするくらいで、
生徒達のように朝から夕方までずっと働き続けているわけではない。
いつも思うのだが、たいていこういう仕事に駆り出された生徒達は、
ほとんど文句も言わず、最後まで疲れていてもはつらつとした表情を失わず、
最後の挨拶の時まで、実に気持ちのよいまっすぐの視線を向けてくる。
(1度だけそうでなかったのは、数年前のアンサンブルコンテスト県大会で
 私の学校の生徒を係の生徒に使ったときくらいである)
きょうはまた特に驚いたのだが、6時半ごろ終わった後、帰ろうとしたら、
ロビーで、きょう1日下働きをしていた学校の生徒が全員集まって反省会をしていた。
いわゆる吹奏楽名門校ならそれくらいは不思議じゃないのだけれど、
きょうの担当校はこの2日間の県大会に出場していなかった学校である。

むしろこういう日は大人に困らされることが多い。
もうひとり役員を頼んでいた先生がなかなか姿を見せなくて長い時間困らされた。
演奏中に会場に入ることを禁止していることについて、
係の生徒に食ってかかった夫婦がいる。
後からその親と応対して、何とかわかってもらえたようだけれど、
係の生徒はしばらくその恐怖感から立ち直れないようであった。
大渋滞で遅れて、娘が今ステージにいるのに見られない、その気持ちはわかるけれど、
ボランティアで働いている生徒を脅かしてどうするんだと言いたい。
(こういう問題については、今後係の生徒が困らないように、
 特別配慮の手だてを提案しておいた)

ま、とにかく、立ちっぱなし、歩き回りになる時間が多いので、
帰るころには、空腹と、渇きと、足腰の痛みでふらふらであった。
早く家に帰りたいよりも前に、とにかく早く飯にありつきたいと切なる願望。
飢え渇いているときに渋滞はいやなので、会館前の渋滞を避けて、
裏道の方から近道をしたら、そちらもまた車は多くないのにちっとも進めなくて、
すなおに会館前の渋滞に身を委ねた方がましだったほどで口惜しい思いをした。
つっかえつっかえする渋滞に耐えて、やっとの思いで高速のインター近くまで来たら、
電光掲示板に「豊田〜名古屋9キロ渋滞35分」・・冗談じゃない、腹減ってんだぞ、
喉も渇いてんだぞ、と、まず食べてから高速に入ることにして道を変え、
店探ししながら走り回ってみても、適当な店が見つからなくて、ぐる〜〜っと回って、
徒労に終わり、あきらめて高速に上り、歩いているような車の列に入り込んだ。
何でこんな仕打ちを受けなきゃいけないんだろう、と涙が出そうだった。
2日間の無償の労働の報酬がこの仕打ちなのだろうか、、という思いである。

そんな思いも、東郷PAに飛びこんで食欲を満たして一服したら、
ゆったりとした気分が戻ってきた。急ぐことはない、渋滞だっていつかは着ける、、、
食欲が精神に与える影響は非常に大きいようである。
高速走り続けることにうんざりしてきたので、小牧東インターで下りることにした。
高速で関まで行かずに、犬山からのんびり帰ろうとしたのである。
中央自動車道は坂道が多く、小牧東インターの前後も登坂車線になっている。
ところが、まだそれにはほど遠いあたりの上り坂から、前のトラックが走れなくなって、
真っ黒い排気ガスを狂ったように吐き出しながら点滅ランプをつけてよたよた状態。
追い越そうと思ったら、その時に限って後ろから追い抜き車が続々やってきて追い越せず、
黒煙の中をのろのろついて行くしかなくなってしまった。
そのちょっと前から、エアコンは喚起モードになってたし、
窓を少し開けていたから、存分に黒煙吸わされて鼻をやられた。
この不運にまた私の心はΨ(`△´)Ψになった。Ψ(`▽´)ΨΨ(`▽´)Ψ





2002年08月06日(火) 大会役員と歯医者

朝7時前に出発して豊田に向かった。
県大会の役員の仕事で、明日も行かなければならない。
人に頼むのはめんどうなので、自分の学校に支障がない限りまず私は行くのである。
自分の学校が2日目に出なければならなくなったときは、全部人に頼む。
自分の学校が1日目になったら、2日目はまず私が役員として行くことにする。
3年前のように地区大会から出るのを断念したり、今年のように県大会を辞退した場合は
2日とも私がまず役員として行くわけである。
本部からは地区から2人ずつ出せ、と言われているので、
もうひとりは、その日の出番の早い学校の、指揮しない顧問に頼むわけである。
そういう先生は生徒とバスに乗って来るので、役員集合時間には間に合わないけれど、
係の生徒への指示は私がひとりでやれば支障がないので、
何人かの人に電話をかけて頼んで断られたりするよりよほどラクである。

さて、今朝は困ったことに、行く途中コンビニでおにぎりを買って、
それを一口食べた瞬間、堅い異物をご飯と一緒に噛みかけていることに気づいた。
それを取り出すと、右の奥歯にかぶせてあったのが取れたのだった。
これは困ったことである。
早ければ、これをこのまま接着しておしまいにしてもらえる可能性が高い。
ところが、きょうも明日も豊田のホールに1日缶詰状態である。
明後日は歯医者の休診日である。
左でかめなくもないが、すでに何日も前から左の奥歯は冷水にしみる状態である。

歯医者に行けるとしたら、明日よりは今日である。
明日のもうひとりの役員の先生には任せて出られないが、
きょうの人は地区大会でもいろいろやってもらってる人なので安心である。
けれども、そうさせてもらうにしても、実に億劫な距離である。
5時ごろ、後かたづけの指示をするためにまた豊田の会館に戻らなきゃならない。
かつて、犬山にいったん戻って学校に楽器を運んでまた豊田に戻ったこともあるが、
岐阜の自宅まで戻って歯医者に行くとなると、そんな程度の労力じゃない。
まず、それが徒労で終わらないことと、時間までに帰れるようにと、
歯医者に割り込み予約をお願いしようとしたが、電話番号簿を持ってきていない。
家に電話して歯医者の番号を聞こうとしたら、いるはずの子どもが電話に出てくれない。

やっとの事で歯医者と連絡を取れたのが午ちょっと前だった。
それからわが家に帰って保険証と診察券を持って歯医者に行って、
また豊田の会館にもどるという長旅をして、係の生徒たちと閉会式後の後片づけをした。
思わぬことでハードな日程になった。



2002年08月03日(土) 談話室の再設置

今年も2回の花火大会のうち1回は市吹を休ませてもらった。
見なけりゃ見ないで、テレビ番組と同じくそれで済んでしまうものではあるけれど、
それでも何か肝心なことをし忘れたような気分を消し去れないのは、
若かったころに蓄積してできあがった感性なのだろうか。

夕方から遠出しなくていいというだけで、かなり精神的な負担が違うものである。
昼過ぎから、談話室の再設置作業をした。
一昨日から、談話室に入ろうとしてもまったくアクセスできなくなっていた。
アドレスから察するにshisei さんちと同じものを使っているようだけど、
かれはさっさと諦めて、別の掲示板に移し替えていた。
まぁ、こういうアクセス不能状態はたまには起こる、そのうち復旧する、
とのんびり構えていたけれど、今朝、北さんから苦情のメールが来た。
「なきゃ困るというほどのものではないので」もう少し待つつもりと返信したら、
「なきゃ困りますよ。毎日見ているんだから。これから暇が多くなるので書き込みたいし。
 早く、何とかしてください」と叱られた。

otd に行って、もっともシンプルそうなのを選び、項目をちょっとだけ増やし、
背景色や文字色がちょっとも思い通りにならずに、まあいいや、とばかりにアップした。
おまけにネットスケープで見たらぜんぜん違う色で表示されていた。
とにかくこういう問題は我々にはなかなかわかりにくい。
私は、レスを書き込むと下へ下へと連鎖して行くツリー表示にこだわるので、
それさえできるならそう文句は言わないのである。



2002年08月02日(金) 数学のお勉強

魔がさしたように昨日本屋で買い込んだ、ナツメ社図解雑学シリーズの中の
3冊の算数・数学関係の本のうち、きょうはまず「数の不思議」を読み進めた。
以前にも2、3度あったことだけど、突然数学の世界に触れたくなる時期があるものだ。
以前は高校数学を復習してみたくなって、問題に挑戦したりしたものだが、
今回は、数学の世界ってどういうものなんだろう、という興味なのである。

最初は、自然数、負の数、偶数・奇数、倍数・約数、素数、有理数・無理数、
小数、実数、そして、0について、、など、確認のような話が続いている。
西暦0年がないのは、まだ0が発見されてなかったから、とか、
0は「無いのに有る」上に便利、というあたりから、読み進めるのが楽しくなる。

素数の話に入ってから、初めて聞く話が次々に現れる。
素数は無限にあることの証明、双子素数・三つ子素数の話、
素数を見つけるためのいくつかの手段、フェルマ数、ゴルドバッハの予想、
回文素数、エマープ、、、など。
それから、ますます高校数学まででは聞いたこともなかった数が出てくる。
不足数、過剰数、完全数にまつわる話、友愛数、社交数、不思議数、、、
三角数、四角数、五角数、n角数、、それらについてのフェルマの予想、
三角数と組み合わせの関係、、、正四面体数、立方数、立方数と平方数との関係、、、

数の神秘を極めるために、さまざまな観点から発見や問題提起がなされ、
何百年とか、千何百年とか、そんな時間的単位でほんの少しずつ解明されているのが
おもしろい。スリリングなものを感じさせてくれる。


ほとんど羅列しただけだか、自分自身の復習のために書いておくことにした。


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