TENSEI塵語

2002年07月31日(水) 着信音のない電話

11日に通話不能状態が解除されたものの、それ以後着信音が鳴らなくなっていた。
こちらからは相手に電話することもできるし、インターネットも可能なのだが、
外からかかってきた電話は知らせてもらえないのである。
何故かはよくわからないけれど、TAの着信ランプは灯るし、
NTTに相談しても、ちゃんと信号は室内まで送られているようだと言う。
3種類の電話をつないでいるのに、どれも鳴らないことから考えても、
故障はTAにありと断定せざるを得ない。
いろいろ試みたけれど、まったく改善されそうにないので、TAを買い換えてみた。
TA内部の損傷としか考えようがなくなったからである。
きょう買って帰って夜つないでみたら、本当に問題は解決された。
ケータイからわが家の電話にかけてみると、ちゃんと鳴るようになったのである。

この間、電話してもちっとも出てくれない、という苦情を数回聞かされた。
長い旅行に出かけたか、とか、誰か入院したほどに思った人もいた。
緊急連絡は、階下の祖父母の電話に入ったりした。
緊急に家に連絡しようと思って困ったことが3度ほどあった。
鳴らない電話はかなり役立たずだと言えるようだ。
それで、もうこれ以上引き延ばせないとばかりに、買い換え作戦に出たのである。
とにかく、もうこれで電話については安心である。



2002年07月29日(月) 教育課程講習会?

新指導要領の国語科の説明とかいうことで、教育センターまで行くはめに。早朝から2時間近い旅になった。
苦労して行って、ムカムカさせられるばかりの講習会だった。

新指導要領では、「論理的に意見を述べる能力」「適切に表現する能力」の育成が
特筆すべき目玉らしくて、配当時間についても指定されているようである。
年間140時間として、「話す・聞く」に15時間、「書く」に30時間などと。。。
言語活動例として、講師はすごく具体的なつもりかもしれないが、
「スピーチ・説明」「報告・発表」「話し合い・討論」などとあげている。

彼らにとっては、画期的な発想なのだろうか??
なぜ、こんなあたりまえのことを仰々しく、しかも浅薄に講習しなきゃならないのか??
そんなこと、教員になる前から、あったりまえにわかっとるわぃ!!と、
ただただ、ばかばかしく、腹立たしい限りである。
そんなことは、たいていの国語教員がこうしたいと望みながら、
どうしてもなしえないために、苦しみ続けていることである。
大体において、四半世紀前、考えない、物言わぬ学生こそ良しとして、
自治活動をことごとくぶっ潰してきたのは、誰だったのか。
正義よりも、わがまま勝手を見て見ぬフリをするようにし向けてきたのは誰だったのか。
無気力・無関心・無責任を助長させて良しとしてきたのは誰だったのか。

それだけではなく、こういう指示を下す人々は、高校生の実体をどう見ているのだろうか。
学校によっては、1時間静かに座らせたままで授業を進めるのが至難の業である。
やっとこさ秩序維持に成功したとしても、自由発言を求めた途端に、
私語の嵐となり、授業とは無関係の大騒ぎが始まったりもするのである。
悲しいけれど、それが実態である。

まだまだ言いたいことは山ほどあるのだが、講習会でも言いたくてしょうがなかったが、
わずかな質疑応答の時間に、整理して簡潔に言えるほど内容がまとまらなかった。
もう悔しい限りである。言いたいことがあまりにも多すぎたのである。
てめぇらは何も知らぬアホだ、と講師にも司会にも、主催者側の全員にぶちまけたかった。



2002年07月27日(土) イヴェントの翌朝は、、、

昨日、吹奏楽コンクールの地区大会を終えた。
1カ月ほど前からその運営の準備作業を始め、10日ほど前からだんだん忙しくなり、
今週に入ってからは、学校の仕事との兼ね合いで、時間との競争になった。
一昨日の夕方には、間に合わーーん、、、と泣きそうな思いで作業に追われていた。
昨日の朝まで、運営をスムーズにするための用品を作っていた。
もちろん自分の学校の生徒も出場するわけで、かつてはそれだけで疲弊していたわけだが、
ここ7、8年は、それの方は片手間のつけ足しのようになっている。
大会当日は早朝に起きて、稲沢の会館に誰よりも早く着き、
係の生徒たちや先生たちに指示を出したり、審査員と応対したりしながら、
ステージの進行を円滑にし、最後の表彰まで気が抜けない。
ほとんど1日、立ちっぱなしで歩き回り、走り回っている。。。

こんな日の夜は、泥のように眠れるような気がするものであるが、
実際眠ってしまうと、翌朝、早く目が覚めてしまう。
体がまだ疲れていて、起き上がっても体は睡眠を求めていることがよくわかる。
けれども、眠り直そうと再び横になっても、眠れない、寝苦しい、、、それで、
結局不本意ながら起きてしまうことになる。
今朝は、4時前に目が覚めてしまい、それから3、40分ほど眠ろうと努力したが、
4時半を回ったあたりであきらめて起き出してしまった。
暑さのために寝苦しかったせいでもあるけれど、思い起こしてみると、
毎年コンクールのたびにそうだし、生徒会の係をやっていたころは、
学校祭が終わった日の翌日も、たいていはこんな風だったと思う。
疲れを癒すための安眠は、たいてい2、3日後にやって来るのである。
それまでの、緊張感に満ちた精神の興奮状態から解放されるのに時間がかかるのだろう。
きょうは幸い休日だから、きっと昼寝で解消できるに違いない。
早くふつうの精神状態にもどりたいものである。

こんな役を請け負って、8年になるのか10年になるのか、定かでない。
いつから始めたのか、よく覚えてない。とにかく、長い方だろう。
今週に入ってからは、もう来年はお役ご免だ、誰かに代わってもらおっ!!
と、胸の中で叫び続けてきた。何かあるたびにそう叫ぶのである。
けれども、昨日表彰式を終え、夕方新聞社に報告を終え、やれやれと一息ついたころには、
会計担当のI君に促され、来年の開催に向けて会場確保に頭を悩ませる羽目になっている。



2002年07月24日(水) 猛暑の日々

今年はおかしな時期にやけに暑いということもあったりしたが、
7月に入ってもなかなか堪らない暑さというものがやってこなかった。
先週もずっと台風の影響とかで天気もスッキリしなかった代わりに、
それほど気温も上がることなく、気温としてはしのぎやすい状態が続いていた。
ところが、夏休みに入った途端、猛暑、酷暑の日々である。
教室で、立っているだけでも、いや、座っている気にもなかなかなれないのだが、
座っているだけでも、汗が噴き出るように流れる。
きょうも、補充授業の最中に、教卓で課題を点検していただけなのに、
汗がポタポタと机や床の上に落ちたり、眼の中に流れ込もうとするので、
あわててタオルを取りに職員室に戻ったほどである。
こんな中で、汗を拭ったりうちわで扇いだりしながら辛抱して勉強している生徒達を
見ると、日ごろは超怠け者だとはいえ、、いや、そうだからこそなお、
妙にけなげで、いとおしく感じられたりする。

ここ10年ほどは特に、年々夏の暑さが激しくなっていることを痛感させられ、
座っているだけでも汗がにじむイヤになるほどの暑さの記憶もあるけれど、
今週に入ってから悩まされているほどの暑さは、今までなかったのではないだろうか。
歩いていても、サウナの中、といえばあまりにも月並みな表現だが、
とにかく、温風にとりまかれ、まとわりつかれながら歩いているようなものである。
7月に入ってもおとなしくしてた分を、懸命にとりもどそう、元を取ろうと
躍起になっているような感じである。
部活で合奏指導などしようものなら、全身ビショビショになってしまう。
服着たままお湯をかぶって、そのまま冷房のきいた部屋で涼んでいると、
冷たいおしぼりを体中に貼りつけているようなかっこうになって、
それでさらに冷気にあたっているわけだから、風邪ひきはせぬかと心配になる。
そうかといって、暖まりに外に出るという気にはなれない。
外の暑さが、暖まるなどという生やさしい暑さではないからである。
とにかく、今週に入ってからのこの暑さは尋常でない。
夏は暑いもの、なんて、悟り澄ましたようなことも言っていられないほどである。
心頭滅却しても暑いものは暑いぞ、と断言せざるを得ないほどである。



2002年07月11日(木) 電話を停められた

一昨日の夕方自宅に電話しようとしたら、「現在使えなくなっております」の声が。。。
そんなばかな、そんなことがあるわけない、と思ったけれど、何度かけても同じ。
帰ってから自宅電話からどこにかけても、話し中の時のプー、プーが聞こえるのみ。
あー!そーいえば!・・と思いついて、雑然と積んである未開封混じりのDMを
ざっと見てみたら、未開封のNTTの封筒から6月分の請求書が出てきた。
そういえばいつだったかに、今までの引き落としができなくなったから、、云々の通知を
読んで、どうしてだ、説明しろ、なんて思いながら、そのまま忘れてしまっていた。

とにかく、その支払いを昨日の朝にコンビニで済ませた。
それで電話が通じるようになるまでにどれだけかかるかわからない。
その支払い確認がされて手続きが終わって停止を解除されるのに、2、3日か、
あるいは1週間かかるのだろうかと、そんな風に思っていた。

昨日は台風6号の接近で、暴風雨警報が出て授業が休講になるか、
生徒も教師も一体となって一日中やきもきさせられて、結局警報が出ずじまいだったが、
白鳥や大垣で雨による洪水被害があったり、この近辺にも避難勧告が出たりした。
娘の高校は朝から休校になった。
娘はそれを知らずにバス停でスクールバスを待ち、バスが来ないので、
祖父に学校に送ってもらったら、休みだったという。
連絡網が回ったはずだというので、いよいよ電話不通の不便さが痛感されることになった。
よりによって、こんな日に電話を停められてしまうとは、、!!
(ところが、連絡網の前の順番の人にこの事情を話してお詫びを言ったところ、
 その人は、去年の順番でかけてしまって、うちへはかけていない、
 順番が変わったのを知らなかったと、反対に謝られてしまった)

ひとつだけ不思議なのは、昨日も1日中電話は不通だったのだが、
朝の10時過ぎに学校から戻った娘に、担任の先生から電話がかかっていることである。
その時だけは電話がちゃんと使えているのが、実に奇妙である。
故障なのかも知れない、、とも思われたので、今朝、公衆電話から
113番に問い合わせてみることにしたのである。
学校の前の公衆電話を使ったので、名古屋のNTTの方にかかったようだ。
それは料金関係にちがいない、支払えば10分しない内に停止解除されるはずだが、
詳しいことがわからないのでと、岐阜の料金関係のダイヤルを教えてくれた。
岐阜の方にかけてみたら、昨日支払いの確認をしたけれど、それは6月分で、
電話が停まったのは5月分のためだから、5月分の請求書を送っておいた、
(え?!そんな前から滞納してたの? と改めて驚くことにもなった)
きょう届くはずだから、それをコンビニで払ってもらえばすぐに通じるようになるという。
どれくらいで?と尋ねたら、支払ってから5分もかからないうちになのだという。
何か、想像を絶する仕組みになっているようである。
こんなところまで機械による自動処理が行われているらしい。

さて、帰宅してからすぐに届いた請求書をもって支払いに行ったので、
電話は使えるようになったものの、不思議なことに、着信のプルルルが全然鳴らない。
何もいじってないし、改めて着信音量など設定し直しても、沈黙を守っている。
着信音はNTTとは関係ない、電話機だけの問題としか思われないのだが、
電話機の方は一昨日までとまったく変わりないはずなのである。
プルルルは聞こえないけど、電話をとるとちゃんと通話はできる。
でも、これではいつ電話がかかったのか知りようがない。謎はまだ続くようだ。

この丸2日間、もうひとつ困ったのは、インターネットである。
PowerBook にケータイをつないでできるようにしてあるので不可能にはならないのだが、
遅い!! いつもの何倍も時間がかかるし、どうもいつもと違う感覚で、
書く意欲もおおいに減退してしまっていた。



2002年07月08日(月) ウインブルドン

昨夜、たまたまウインブルドン決勝の実況生中継に出くわした。
(部屋でテレビを見られるようにしてから、こういう偶然が増えた)
テニスの試合なんてほとんど見たことがないし、何かよくわからんもんだと思っていた。
3、4分見ていた限りでは、観客数や、その観客がいちいち拍手するのが不思議なほど、
どこがそんなおもしろいのかわからない、ちんたらした感じに見えた。
けれども、それでも見続けているうちに、微妙な駆け引きの妙というものに引き込まれ、
ある時には、サッカーのゴール前の攻防のような緊迫を感じるようになっていた。
それで、雨で長い中断になるまで、ずっと見続けるはめになった。
ルールもだいぶ飲み込めるようになってきたのだが、それにしても、なぜ
15、30、40と点数を数えて行くのだろうか、、? 謎だ。

驚いたのは、試合を進めるために用意されたスタッフの多さである。
ラインズマンだけでも10人なんだろうか??
それが、スーツに近いユニフォームを着て、毅然として立っている。
コートチェンジになると、隊列を組むようにして行進して配置換えをする。
雨で中断の時には、すぐには数えられないほどの係員が出てきて、
わずか何秒かの間にサーーッとコートの上にシートをかぶせて行く。
たった2人が打ち合うだけの単純なゲームのために、入念な条件整備がなされている。
そんな様子を見ているのもおもしろかった。



2002年07月07日(日) 長野県知事不信任問題

知事不信任案が可決されるぞ、という予想の新聞記事を見ながらのことだったので、
一昨日の昼食時だったと思うけれど、職員室のソファのところで橋本さんと、
議会はこうだけれども、県民の意見がちっとも報道されなくて変だね、などと話していた。
県民が脱ダムを支持しているのに、議会が脱ダム故に知事を辞めさせるというのは、
どう考えてもおかしな成り行きだと思うのだが、県民の意向がわからない。
私が知らないだけで、橋本さんあたりはそういう報道に接しているかと思って
聞いてみたのだけれど、彼もまた、おかしいねぇ、を連発していた。
まぁ、要するに議員の利権を守るための醜悪な不信任案だとしか考えられない。
その夜の、不信任案可決の報道の時に、数人の県民の声を聞いていたけれど、
議会との意志の疎通を批判する声はあったけれど、知事支持の声の方が多かった。

10時はとっくに回っていたのだけれど、テレビをつけてみたら田中知事が出ていた。
今回の不信任決議について長野県民500人に調査してみたということで、
すごいヒット、そのまま見続けることにした。(サンデープロジェクトである)
もうひとり出ていたのが、不信任案に賛成した浜康幸という県議で、
「不信任案支持は何%いると思うか」と尋ねられて、40%くらいはいるでしょう、
などと答えている。実に興味深いところである。
調査結果は、不信任案の支持は10数%、支持しないは6割台だった。
知事の支持率についても、支持するは6割台、不支持は1割台だった。

どこでもそうなんだろうけど、議会が民意を反映しない欠点がここにも表れた。
民意の反映という観点で議員を選んでないからこういうことが起こるのだが、
それは、国会議員から市町村議員まで、たいていのところに共通している。
だから、今後、知事と議員の同時選挙が行われた場合、
どちらも今までと同じ結果になったらどうしていくつもりなのかという
心配の声が生まれることにもなる。
日本人の選挙は、こういう場合に、知事に投票した人は不信任案賛成議員には投票しない
というような、明快なものではないからである。
特に議員の方は、少数の得票数で決まってしまうから、
議員自身の意見がどうこうでなく、習慣や義理人情で投票する人が一部に固まれば、
県民の絶大な支持を得て当選したと見なされてしまう。
その代わり、もしも同時選挙に踏み切って、田中知事は支持され、
議会も知事の支持者多数に刷新されることになれば、革命的なできごとになるだろう。

以下は、番組で知ったことのメモである。

県議たちが1番こだわっているのは、下諏訪ダムの建設であって、
これだけはとにかく実現しないと大変危険であり、ダムを作る以外にないという。
その下諏訪ダムの必要性について、県全体の調査では必要が1割台、不要が4割台、
ところが地元住民に対する調査では、不要は6割以上にもなっている。
その川に身近な住民がそういう意見でいることを、司会者は力説して浜県議に迫った。
浜県議は、洪水の本当の恐ろしさを知っている10数%の人は必要といい、
そういうことをまだ知らない人たちは不要論を唱えているだけで、
これからさらに理解を求めていかなければ、と、理解されない正義の味方を演じていた。
けれども、昨年の調査委員会(名称を忘れた)の決議内容では、
ダムでしか安全を守れないと主張したのは4人の県議だけで、
1人の県議や5人の学者は、河川の補修や流域対策でよいと結論しているようだ。

さらに司会者は迫る。
最近の世界的な流れとしては、ダムよりも流域対策で解決していこうとしている。
長野県議会の考え方は古いんじゃないのか。
さらに、(邪推かも知れませんけどね、と断りながら)県議のうち14名は
土木関係の出身(数字はうろ覚え)ということから見ても、
そういうことから来る利益などを、当然われわれは考えてしまうのだが、、などとも。
また、今回知事が中止しようとした浅川ダムと下諏訪ダムの工事費用が640億円、
それを地元企業ではなくて、県外の大ゼネコンが8割方持っていってしまう。
それに対して浜県議は、古くても新しくても、利権の疑惑を持ち出されようと、
また大金が県外に流れようと、「県民の安全しか考えていない」と答える。
長良川河口堰の建設の時と同じ理屈、というか、脅し文句のようなものである。



2002年07月02日(火) 勝負はホントにわからぬもの

きょうの巨人は、中日の川上の気迫の投球をまったく打てなかったようである。
2対0から、7回に清原がやっとホームランを打って2対1とした。
そして9回裏、抑えのギャラードに対し、1アウト1、3塁というところまで来た。
ところが、松井が内野フライに終わってしまう。
で、三振のイメージの強い清原が登場する。
さっきホームランを打っているだけに、そうは続くまいと思うのが人情である。
大事な場面に代打で登場しても、あっさり三振した実績がいくつかある。
粘って2−3まで来たものの、かえって空振り三振の結末が予想されてしまう。
けれども、三遊間を抜ける渋いヒットを打って、同点にしてしまった。
延長戦に入った9回表の中日は、三者凡退で終わってしまった。
こりゃもう完全に巨人の流れ、仁志のホームランでも出るかな、と楽観したら、凡退。
続く小田は1軍に入って間もないので期待しないでいたら、二塁打を放つ。
これはこれは! と勝利は間違いなしと思いきや、2アウト1、2塁で、
二岡が三振してしまって、同点のまま11回へ。
中日の攻撃は1死2塁のチャンスに、三振したばかりの二岡の好捕もあって残塁無得点。
その裏、松井がヒットを打って1死1、2塁まで行ったけれど、後藤がダブルプレーで×。
12回表、2死2塁の場面で福留が三遊間を破ったけれど、
レフト清水の好返球で本塁タッチアウト。中日の勝ちはこれでなくなる。
12回裏、仁志がヒットで出て無死1塁、送りバント成功で1死2塁となる。
ところが、最近こういう場面でホームランを打ったりしている福井が代打で
期待させたけれど、あっさり三振で引っ込んでしまう。
清水は敬遠されて、2死1、2塁の場面で、さっき三振に終わった二岡が登場。
きょう当たっていない二岡との勝負を選んだわけである。
我々巨人ファンからすると、こういう場面で勝負を決めた二岡を今まで見てるわけだから、
かなり期待しながらも、期待するからかえってまた三振かな、とも恐れたりもする。
そう大げさなヒットが必要なわけでもないし、と期待するものの、
あっさり外野フライで試合終了となりそうな気もする。
ヒットを打っても、本塁タッチアウトの復讐をされて終わってしまいそうな気もするし、
ホームランで決めてくれそうな期待もある。

とにかく、勝負というのはわからぬものである。
解説者は、流れがどうのこうのというが、私はあまりそういうことを信じないのである。
何事も、一寸先は闇で、行くに流れがよさそうに見えても、そう見えるだけのことである。
現にこの試合も、チャンスを生かし切れない状態が双方に続いているのである。
サッカーの時にも書いたけれど、微妙な個々のプレイが生み出すドラマでしかない。
さっきチャンスを潰したばかりの二岡の一振りは、今度はポールをスタンドまで運んだ。
ニュースで見たけれど、ミートするような軽い振り方に見えた。
正真正銘の最終回2アウトからの、つまり、ラストチャンスというべき状況での、
劇的なサヨナラスリーランとなって、巨人サイドとしては華やかな幕切れとなった。
中日サイドとしては、最悪の、悪夢のような幕切れとなった。
勝負の行方というものは本当にわからないものだし、
それだからこそ、時折、身震いするほどのドラマに出会う。



2002年07月01日(月) 「晩年」の思い出(2)

6月25日の続きである。

高校時代に「晩年」に惹かれたのは、たぶん、苦悩の結晶のような雰囲気に
惹かれていたのだろう。
たとえば、その作品群の中に「逆行」というのがあって、その最初の「蝶々」の章。

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老人ではなかった。25歳を越しただけであった。けれどもやはり老人であった。
ふつうの人の1年1年を、この老人はたっぷり3倍3倍にして暮らしたのである。
2度、自殺をし損なった。そのうちの1度は情死であった。
3度、留置場にぶちこまれた。思想の罪人としてであった。
ついに1篇も売れなかったけれど、百篇に余る小説を書いた。
しかし、それはいずれもこの老人の本気でした仕業ではなかった。いわば道草であった。
いまだにこの老人のひしがれた胸をとくとく打ち鳴らし、
そのこけた頬をあからめさせるのは、酔いどれることと、
ちがった女を眺めながらあくなき空想をめぐらすことと、2つであった。
いや、その2つの思い出である。
ひしがれた胸、こけた頬、それは嘘ではなかった。老人はこの日に死んだのである。
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若いころは、自分も、、、というか、自分こそは大きな苦悩を抱えていると思いがちで、
空回りするようにあくせく悩みながら、疲れ果てていたりする。
後になって振り返ってみると、ばかばかしいようなことで苦悩ぶっていたわけだけれど、
その時の自分自身にとってみれば、大まじめで悩んでいたりする。
(それはそれで良しとしよう。何であれ、人生を見つめる絶好の機会なんだから)
老いてから振り返ってみると、あの大いなる苦悩めいたものも、
多分に幻想だったとしか思われなくなるのだが、その時の当の本人にとっては、
それこそが最も身近な現実であり、生死の分かれ目に立ったりもする。
だから、「晩年」という題に漂う遺書めいた雰囲気に知らず知らず共感したのだろう。

それにしても、今、老齢に近づきつつある目で若き日を冷ややかに思い出しながらも、
「蝶々」の書き出しの、太宰の緊密な筆致には感心させられる。(つづく)


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