TENSEI塵語

2002年06月30日(日) W杯終わる

まつ様がないのは淋しかったけれど、決勝戦は見た。
ついつい見てしまうのは、サッカーを見るときの常道みたいなものだけれど、
ちょっときょうの試合は、ドイツの選手の動きが鈍く感じられてもの足りなかった。
このシリーズの中で2度ほどドイツ戦を見たように思うけれども、
前に見たときはこんな動きではなかったような気がして、ちょっと拍子抜けた。
確かにブラジルの選手たちの動きはいざとなるとずば抜けて速いのだけれども、
以前に見ていたドイツの守りはこんなもんじゃなかったように思う。
ゴール前をがっちり固めて、絶対にここから先には通させないぞ、という頑固さがあった。
きょう見ていると、守りの動きがどうも緩慢で、カーンに任せれば大丈夫みたいに見えた。
ブラジルの2度の得点場面など、ドイツの守りがほとんどいなかった。
それだけでなく、確かにブラジル選手がキープしているボールは上手く取りに行っても、
こぼれ球やパスミスした球への執念があまり感じられなかった。
何か、全体的に、ボールの動きに対する反応が悪い、という感じだった。
雨が苦手なんだろうか、とも考えてみたけれど、そんなわけもないだろう。

W杯は終わり、いろいろな思いが残った。
サッカーのおもしろさが再認識できた。これは大きい。
サッカーのおもしろさを初めて感じた人も多いそうである。これは実に大きい。
こういうことで、多くの人たちの心がひとつになるのはいいものだな、と思う反面、
ついついそれを無礼講と思い違いして羽目を外す奴らの迷惑なこと。
たいていいつもこういう輩がいて、良きことに汚点を散らし、楽しみを損なうのである。
選手たちの技の競い合いを楽しんでいればいいのに、
それを国家間の争いにまで拡大してしまう困ったファンたちもいる。
同国人選手の活躍を喜ぶのはあたりまえだけど、
スポーツは、国家と国家の争いではなく、選手同士の争いに過ぎず、
努力の結晶を披露し合うのを見て、我々はその美しさに感動するのである。
スポーツとか芸術とか、そういうものを通じて、世界はひとつだと思いたいものである。
人間はみな同じなんだということを、再認識して喜びたいものである。
もちろん、オリンピックも同じである。



2002年06月25日(火) 「晩年」の思い出

先週末から9冊の新しい国語の教科書に目を通して、きょう1冊を教科会で決めた。
選んだ教科書の中に、太宰の「猿ヶ島」が入っていた。
それはその教科書に注目するきっかけにはなったけれど、それに決めたのは、
他の作品や、活字の読みやすさや、多くの要素を考慮してのことである。

久しぶりに先週末に「猿ヶ島」を読み、懐かしくなって、きょう再び読んだ。
「はるばると海を越えて、この島に着いたときの私の憂愁を思い給え」
という書き出しで始まる。実にうまい書き出しである。
こうして、一匹の日本猿が語り続ける。
霧深い島だと思われていたのは、実は動物園の中の猿ヶ島だとわかってくる。
しかし、野生のまま捕らえられ連れられてきた「私」には初の体験でよくわからない。
すぐに仲間になったもう一匹の日本猿が客を指さして説明する。
「あれは学者と言って、死んだ天才にめいわくな註釈をつけ、
 生まれる天才をたしなめながらめしを食っているおかしな奴だが、
 おれはあれを見るたびに、なんとも知れず眠たくなるのだ。
 あれは女優と言って、舞台にいるときよりも素顔でいるときの方が芝居の上手な婆で、
 おおお、またおれの奧の虫歯がいたんで来た。
 あれは地主と言って、自分もまた労働していると始終弁明ばかりしている小胆者だが、
 おれはあのお姿を見ると、鼻筋づたいに虱が這って歩いているというような
 もどかしさを覚える。・・・」
などとこんな具合に、人間たちを見物するおもしろさを説明してくれるのだが、
「私」は結局、見物されているのは自分たちなのだということに気づき、
脱走を決意するに至る、という物語である。
「私」の認識の変化や心境の変化が実に巧妙な筆致で描かれている。

この作品は、太宰の「晩年」という短編集に収められている。
この短編集は高2の時に、「御伽草子」の次に買ってくり返し読んだ本である。
「晩年」と題されているが、太宰にとっては遺書ともいうべき初の短編集である。
100篇あまり、5万枚の作品原稿を破り捨てて残った作品群なのだという。
それが誇張かどうかはともかく、ここに収められた15篇は多彩な試みである。
あのころ、この短編集を電車の中で読み、帰ってから読みして、
何度も何度も読み返したものだった。  (つづく)


ついでだが、今夜もW杯準決勝の韓国vsドイツ戦を前半の終わり10分から最後まで見た。
見始めた前半10分ほどは、ドイツが圧倒的に押していたが韓国の守備に阻まれていた。
後半は、韓国が小気味よく攻めて、うまくパスつなぐなぁ、、と
感心することしきりだったけれど、ドイツが少ないチャンスをうまくものにして勝った。
どの試合も、緊迫した白熱した闘いが続く。いい姿である。
こういう大会が、国同士の闘いの様相を帯びることは、やはり悲しいことである。
 



2002年06月22日(土) 梅雨時の晴れ?

梅雨入り以後、そんなに大した雨は降っていない。
夕立のような激しい雨が降った夜は、、? あれはもう先週の金曜日だ。
今週でも、火曜日は朝降ってたけど午前中にはやんで、午後は蒸し風呂になりかけた。
木曜日には1日降り続いていたけれど、久々にヒンヤリした空気がありがたいくらいで、
翌日の昨日はもう力一杯晴れていて、きょうもやはりさわやかな快晴である。

3、4日前にラジオで気象協会が説明しているのを聞いていたら、
沖縄が梅雨明けするころから前線が北上して停滞するようになるので、
本州の方も本格的な梅雨に入るのだと言っていた。
それはそれで、な〜るほど、と聞いていたのだけれども、でも何か違う、
どうも普通の梅雨時の様子と違うような気がするのは、晴れの日に感じるのだ。

梅雨時に雨が降り続くのはうっとうしい。
寒いくらいの日も稀にあるけれど、たいていはじめじめとべたつくようで、
涼しくてありがたいという感じは受けないという印象が強い。
ホントにまぁ、いったいいつまで降り続くんだよー、と文句言ったりする。
そんな日が続いて、ある朝晴れてたりすると、その日は暑くてもさわやかに思われる。
洗濯ものは干せるし、布団も干せるし、家中開け放して空気を入れ換え、、、
そういうありがたい梅雨の晴れ間に、五月晴れという名がつけられたのだ。
そういう梅雨時の晴れの日は、久々に晴れた1日目はそれほどでないにしても、
2日目以降ともなると、暑くて参ったというような記憶があるのだが。。。

朝起きると、青空がまぶしい。一生懸命晴れてる、という感じを受ける。
最高気温も、29度とか、31度とか予想されたりしている。
そうして、1日暑さに苦しめられなきゃいかんか、とぞっとする。
ところが、不思議にこのごろは空気がさわやかなのである。
気温はちょっと高めでも、例年5月の中ごろに好ましく感じていた陽気なのである。
こんな風ならずっと晴れててくれていいよ、てな感じである。
逆に、今年は、5月に蒸し蒸しした暑い日を何日も体験して、
今年はいったいどうなっとるんだ、もう真夏か、8月には秋が来るのか、
夏休みを1ヶ月早めなきゃいかん、などと言っていた。
その5月の陽気を、今取り返しているというようにも感じさせられる。

年々、季節感がわかりにくくなるなぁ、と、毎年どこかで思っているような気もする。



2002年06月18日(火) 勝負の妙

W杯、日本の決勝T第1戦は、0対1でベスト8進出は成らなかった。
残念ながらほとんど見ることはできず、最後の30分近くをカーラジオで聞いたのだが、
開始直後のトルコの1点がなかったら、ぜんぜん違う展開になっていたかもしれないと
思わせるような試合展開だと感じさせられた。
後半に入り、時間の経過に従って、トルコは徹底的に防御を厚くしたように思われる。
この点については、目で見ていないので確かなことは言えないけれど。。。

夜、ついついテレビをつけてしまったら、韓国vsイタリア戦をやっていた。
韓国も0対1で負けていた。あと20分くらいの試合だった。
韓国も日本と同じ運命かな?と思ったけど、イタリアの選手に転倒が多いのが気になった。
ディフェンダーが強固に見えたけれども、イタリア選手の疲れが感じられた。
後半43分ごろの土壇場だったか、イタリア選手の動きが追いつかないという感じで、
韓国がシュートを決め、同点に追いついた。
すばらしい瞬間である。日本の応援者たちも、これを夢見ていたわけである。
その後の数分間にも、両者ともノーマークに近いシュートチャンスがあったけれど、
(それが勝敗の決定打となるのに)決まらなかった。

延長戦に入った。その後半には、イタリアは9人に減っていた。
イタリアの攻撃場面になると、イタリア選手が少なすぎる。
これではなかなか得点チャンスにするのは難しいように思われた。
それでも、両者なかなかシュートが決まらず、PK戦かな、と思わせた。
けれども、韓国の勝利は、延長戦終了まであと5分の土壇場に訪れた。
サイドから蹴り込んだボールをヘディングして、それがゴールに入ったのである。

このヘディングシュートは、わずかにかすったようなヘディングだった。
まともに当たってたら、キーパーの守備範囲内に捕らえられていたかもしれない。
けれども、まともに当たらなかったおかげで、球筋を少し変えた程度で、
ゴールの隅に転がり込んで、キーパーにも届かず、天地の差となる1点となった。
実力差のない勝負とは、こういう微妙な違いで明暗を分ける。
彼らと我々が試合をしたら、90分で100対0も不可能でないけれど、
彼ら同士の闘いでは、わずか1センチ、そして、一瞬の妙のやりとりなのである。
野球でも、セカンドフライとホームランの差は紙一重なのだろう。
その一瞬や、何ミリに賭ける、精神の闘いなのである。
それが、見ている者の心をも震わせるのである。

ただ、野球の場合は、ひいきのチームでないとなかなか興味を引かないけれど、
サッカーはそんなこと関係なしに、見始めたら行く末を見守りたくなる。
1点の重みのせいだろうか?
その代わり、例えば5対0で後半に入ったら、野球だとまだ逆転を夢見て見続けるけど、
サッカーだとまったく見る気がなくなってしまう。
これはあくまでも、私自身の感覚であって、
サッカーファンは、そんなことないぞ、と反論するかもしれないけど。。。



2002年06月16日(日) 菜々まつさま〜〜!!

第24回「利家とまつ」、う〜〜、きょうの菜々まつ様にも、グググッッと感じ入った。
もう夜遅いので詳しく書くわけにはいかない。そろそろ寝なきゃいけない。
メモとしてとどめておいて、ビデオ見直してから、改めて書くとしよう。

9回に同点に追いつかれ、10回に勝ち越して逃げ切って勝った巨人vs阪神戦にも、
延長戦でも決まらず、PK戦でぎりぎりで決まったスペインvsアイルランド戦にも、
ググッときた。忙しい夜だった。



2002年06月15日(土) W杯への熱狂の中で

昨日は、日本がチュニジアを2対0で破り、決勝T戦進出という悲願を達成した。
4年前までは、世界的には問題外と言われるような位置にいたのに、
ここまで飛躍できたのは、今回の開催地が日本であるというだけでなく、
国内の選手たちが、自分のチームの活躍を目標にするとともに、
このW杯での勝利と、そこに自分も加われることを願っての切磋琢磨に努めたためだろう。

全国各地での熱狂ぶりはすごいものである。
サッカー見たさに学校をさぼろうとする生徒も増産しているようだし、
街のいろいろなところに集まって、戦況を見守り、ともに喜ぶ姿も多いようだ。
多くの人たちが、強制でなく、自分の心の欲求から心をひとつにできるというのは
数日前にも書いたように、それ自体はとてもいいことだと思う。
それは、社会生活、集団生活の中での大切な要素だと思うのである。

ところが、不穏な噂も入ってくるのである。
ある国では、自国のサッカーチームを負かしたチームの国籍の人たちを、
街中で攻撃したり迫害したりした一団があるそうだ。
こういうのは言語道断である。スポーツは国と国との戦争ではないのである。
日本国内にはまだこういう事件はないようだが、悲しい噂を聞く。
戦勝に酔いしれた応援者たちが、はめ外してむちゃくちゃやっていたという噂である。
豊田のスタジアムでは、1戦目はそういう応援の場として開放してたようだが、
あまりにもマナーが悪いということで、2、3戦目はやめてしまったという。
開催市から遠く離れた名古屋でも、勝利と酒に酔いしれた一部の連中が、
街中で交通妨害したり、大暴れしていたというような目撃者の話を聞いた。
何か、しばしば感じさせられることであるか、そういう類のいいことがあったりすると、
何でも許されて当然の無礼講的状況になると錯覚するバカな人種も世間にはいるらしい。
まったくアホらしい話で、こういうバカな連中のために、
純粋に喜び、純粋に楽しもうとしている人間の心は損なわれてしまうのである。

私自身は、さまざまなスポーツのW杯にしろ、オリンピックにしろ、甲子園大会にしろ、
夢中になれるものには、夢中になっていいと思う。
人を害さない、人に迷惑をかけない限りでなら、自分が達成したわけでなくても、
大いに羽目を外して喜べばいいし、ともに喜びを分かち合えばいい。
若者たちが、その日になすべきことを放っておいてサッカー観戦に夢中になってもいい。
そうして、その感動を与えてくれたのは何か、ということをしっかりかみしめて、
自分自身が生きていく糧にして欲しいと、おせっかい爺のごとく願ってしまうのである。
悲しいのは、勝ちが勝ったというだけのことで終わってしまうことである。
戦勝に酔いしれて大暴れした者も、学校をさぼってまで観戦したいと願った者も、
そういう連中に限って、騒ぐだけで、翌日からは怠惰な生活を継続するものである。



2002年06月13日(木) 野球とサッカー

最近は仕事の都合で帰りが遅く、帰ってから夕食の用意をし、
のんびり飲み食いしていると9時近くになってしまう。
夕食後、ラジオをつけたら、もう8回裏が終わったところらしく、
2対5で巨人はヤクルトに負けていた。
昨日は0対0のうちからもうすでに聞く気も見る気も失せてしまって放っておいたけど、
今夜は3点差にも関わらず、な〜んとなく期待してしまった。
9回表は無難に終わり、裏に入っていきなり清水がホームランで3対5。
これだけで終わってしまうことは非常によくあることだ。
案の定、次の後藤は凡打だった、、が、高橋がヒットで出た。
ここでテレビをつけて松井を見守ったけれど、ボテボテセカンドゴロで、
かろうじてダブルプレーだけは免れて2アウト。
ここで代打清原が登場し、ささやかな期待と大きな不安をもって見守ることになる。
なかなか苦しいバットである。打てるんかいなぁ、、というあやしげな雰囲気。
けれども、2−3のカウントになって、打つんじゃないかな、という思いになった。
そして、本当にツーランホームランとなって、延長戦に入った。
試合は結局、11回裏に、清原の代わりに守備についていた福井の
スリーランホームランがサヨナラ打となって、8対5で巨人が勝った。

サッカーの90分と、野球の9回というのを単純に分割して考えてみる。
きょうの巨人は、最後の2回で5点差を同点として延長戦に持ち込んだ。
サッカーの残り時間20分で5点差もついていたら、もうおもしろくもなくなる。
一挙に逆転ということがほとんど考えられないスポーツである。
1点差勝負であっても、サッカーの場合、あと1分で同点にはできても、
あと1分の土壇場で逆転ということはまず考えられない。
野球では土壇場の一振りで一挙に逆転ということもあり得るところがおもしろい。

そういう意味でもサッカーとは実にもどかしいスポーツであるが、
パスのつなぎ方という点でも、これほどもどかしいスポーツはない。
バスケットボールにしてもハンドボールにしてもバレーボールにしても、
手で直接ボールを扱っているスポーツは、そういうもどかしさがない。
野球の打てる・打てないには、実にもどかしいものがあるけれど、
サッカーのもどかしさはそんな程度のものではない。
それでも、やっぱり見始めたらやめられなくなる。
もどかしいだけに、1点が入るあの瞬間がたまらない魅力になっているのである。
とてつもない苦心惨憺の末に産み出す大いなる喜びという感じが強いのである。



2002年06月11日(火) 梅雨入り

10日間近くかんかん照りのような陽射しが続いて、
7月を感じさせたり5月を感じさせたりしていたけれど、
昨夜から雨が降り始めて、きょうは曇り時々雨の涼しい1日だった。
台風も本州に向かっていて、明日あたり警報かな、と不謹慎な期待を抱かせたけど、
これはまったく根性なしの台風で、夕方ごろ熱帯低気圧に堕落してしまった。
(長欠の先生のサポートをしている身には、明日警報が出て授業がなくなることが
 すごく大きな意味を持つので、単に怠けたい一心で言うのではない)

雨が好きでない人でも、あまり長く日照りが続けば、きょうのような空は歓迎だろうし、
雨好きな人でも、あまりぐずついた天気が続けば晴天を恋しがる。
「五月晴れ」というのはこれからの用語だけれども、
この言葉も、たぶんそういう感慨から生まれた言葉である。
やっと晴れた〜〜!! という感動を伴っている。
これから3、4日はぐずついた天気が続くだろうと、気象協会が報じていた。



2002年06月10日(月) 海と川

山育ちで川育ちではあるが、もちろん海も好きである。
蒲郡と知多に勤めていた時期もあるから、そのあたりの海はよく眺めている。
東京にいた学生時代には、横浜や鎌倉や伊豆の海を眺めに行った。
修学旅行などで瀬戸内海や萩の海はたびたび眺めさせてもらえた。
3、4年前には、能登半島まで2泊で出かけたりもした。
道路を走っていて海岸沿いの道に入り、海の大きな光景が目に入った瞬間は感動的だ。
海岸に立って、または座って、眺める光景も、いつまでも飽きさせない。
フランス語では、海は la mer 母は la mere だと言って海の母性を説いた
評論家もいたけれど、確かに海の眺めは心を癒してくれる。

しかし、川もまたいいものである。
海のような大きさも広さも懐の深さも望めないけれど、川には川のよさがある。
私はこの近辺の長良川の川面を見るのが好きである。
もっと上流の郡上方面の川を眺めるのも好きだし、長良川でなくても、
チョロチョロ流れるような山の中の小さな流れを眺めるのも好きなのだが、
時折ふらっと散歩に出て、何気なく眺めることのできる近所の川もが好きである。
あまり深くなく、川底の石が見えるほどの、大して大きいとも言えぬ川である。
けれども、その流れを見、ぽちゃぽちゃ言うような音を聞き、
潮の臭いとはまた違う生臭いようなにおいを感じているうちに、
つまらんことでウジウジしている自分がばかばかしくなったりもするわけである。

川を眺めて楽しむときによく思うのだが、川は水際で流れを眺めて楽しむものである。
そうして、不思議な感覚に襲われる。
今目の前に見ている水は、さっき見ていた水ではないという、鴨長明的感覚である。
目の前の光景はさっきとほとんど変わりないのに、さっきの水はもうここにはない。
常に上流から新たに現れ、そして下流へと去って行く。

我々は、海を眺めるとき、その大きさを見、広さを見、水平線を見、水の深い色を見、
寄せては返す波のダイナミックな動きを見て、心を広く大きくする。
海が与えてくれるものは、空間的な感動である。
それに対して、川の与える感慨は、多分に時間的なものである。
我々が川の光景に見るものは、究極のところ、流れである。
黄河や長江にまで行かずとも、長良川のごときちっぽけな川でも、
悠久の流れを感じることはできる。



2002年06月09日(日) サッカー観戦

きょうも強い陽射しだったが、風は実に心地よかった。
7月の陽射しに5月の空気が流れていた、という感じだった。

W杯の日本対ロシア戦を断片的に見た。
まつ様の後でちょっとチャンネルを変えて数分間と、
後半の最初の方の日本が1点取ったあたりと、最後の20分間である。
小学校6年生のころはサッカー少年で、サッカークラブに入り、
その時のケガのせいで中学での部活をサッカーにしようとしたけど親に猛反対され、
泣く泣くバスケ部に入り、やがて音楽の方に転じたけれども、サッカー大好き少年だった。
暇だったあのころはテレビでよくサッカーの試合を見た。
点がなかなか入らないので、かえって目が離せない。
ちょっと離れたすきに点が入ってくやしい思いをするので目が離せないのだ。
そこがますます魅力で見ていたけれど、
忙しい生活になるとそれゆえに見ることがままならなくなって、遠ざかってしまった。
1発逆転もある野球がおもしろいか、貴重な1点を取り合うサッカーがおもしろいか、
これは容易に決することのできない難問である。
ただ、あの1点の喜びの激しさは、拙いサッカーを楽しんでいた身にもわかる。
体育の授業でも、走って抱き合ってもみくちゃになったものだから。。。

見た部分だけで言えば、概してロシアの方が上手くパスを通していたように思う。
けれども、ゴール前の攻防で、日本の守りがホントによく守っていた。
ロシアの守りも実によく守っていたけれど、1点の差は、
数少ないチャンスを瞬時に生かし切ったかどうかの差だろう。
日本チームのパステクニックには、まだちょっと粗さがあるように思う。

深夜のニュースの、サポーターたちの様子の方がおもしろかった。
観客席だけではない、各地のいろんな店に集まり、路上に集まり、大騒ぎしている。
今夜のこの熱狂が、彼らの明日からの活力になるのだろう。
選手たちも自分たちのためだけにやってるのだろうけど、大きな貢献にもなっている。
何であれ、心がひとつになるのはいいものだなぁ、と思う。



2002年06月08日(土) この1週間

今週は毎日晴れ、日に日に暑くなり、湿度も増して不快な日本の夏日になった。
毎朝のラジオの気象協会の話では、7月上旬の天気、ということだった。
月曜、火曜あたりは、まだ気温のわりにしのぎやすい感じがあったけれど、
水曜ごろからは、何か鬱陶しいような、全身けだるくなるような暑さに悩まされ始めた。
水曜日に日本語の勉強を見たタスマニアから来た留学生も、暑さに参っているようだった。
梅雨の前に7月が訪れたようなものである。
けれども、去年の梅雨明けの7月上旬の暑さはこんな生易しいものではなかった。
今年の梅雨明けも、きっと生易しいものではないに違いない。

そんな陽気の中で、今週と来週は教育実習生が来ている。
今年は何とたったひとりという異例の年なのだが、それが国語で、
しかも、5年前吹奏楽部で部長をやっていた卒業生である。
こうなると、誰も他に担当しようと言ってくれる人がいなくなる。
お前がめんどうを見て当然とばかりにしらん顔なので、私が担当せざるを得なくなった。
授業を代わりにやらせる、と言ってしまえば、楽できるように聞こえるが、
これがかえっていろいろと神経使ったり、自分で授業をやるよりも、
集中して1時間の授業の成り行きを注意深く見守ることにもなる。
空き時間も、次の授業の打ち合わせや、実習授業の反省に費やすことになる。
決して楽できるわけではなくて、普段より多忙であることは間違いないのである。

そんな1週間に、まるまる病気で休んだ先生がいたので、忙しさに輪をかけた。
休んだ先生の授業を他の授業で埋めるのは困難なので自習にするのだが、
自習教材の準備やら、自習監督の教員配置やらで、毎朝パニック状態だった。
幸い、国語科の先生たちはみな協力的で、何の文句もなく教室に行ってもらえたので、
大体どの人にも平等に負担してもらうことができた。
職場の人間関係の良さだけが自慢の学校かもしれないが、
そのおかげで何とか連日のピンチをしのぐことができたと強く感じさせられた。

あれやこれやで、忙しく、歩き回ることもイライラも多い1週間だった。
今朝は、8時半ごろだったけれど、足がつって、それと闘うために目が覚めた。
昨夜は、夢の話を書き始めながら、うとうとしては目を覚まして書くという
半眠りの状態で書きながら、ついに挫折して途中退場してしまった。
今朝読み返してみても、どうやって書くのをやめ、PCのスイッチを切って
眠りについたのか、どうもその辺の経緯が思い出せないほど、昨夜は朦朧としていた。
昨夜書こうとしていた分は、今朝書き足しておいた。



2002年06月07日(金) 正夢とはどういうものか

きょう、抹茶あずきプリンなるものを買い物のついでに買ったのである。
それを夜中になってから食べてみたら、なかなかうまいと思ったのである。
夕食の時に、1週間の疲れのせいか、ビール飲みながらおかずをつまんでいるだけで、
もう食べられなくなって、仕上げの納豆&ご飯を省略した。
それで夜中になって空腹を感じて、ラーメンでも食べようかと思ったが、
インスタントラーメンのような夜食で腹をこわすかもしれない不安もあって、
ほとんど経験のないトーストを夜食にしようと思ったのだ。
抹茶あずきプリンを一口食べて、今度はそれをトーストにのせて食べようとして、
なかなかうまいぞう〜と誰かに伝えたいような気がしながら、
すくってパンにのせているそのさなかに、あれ? と思ったのである。
小さいころから幾度となく経験した、あれこの光景見たことある、という不思議な感覚。
ちぎったトースト、その上にのせつつある抹茶プリン、コロンとのった姿、
それを食べようとするところ、そこに伴う誰かに伝えたいような思い、、、
それがまったく以前見たものと一致して、それは夢で見たのだと思う、異様な感覚。。。

この感覚は、ある時不意にやってくる。
そして、恐怖感かあまりの驚きのために、それまでの行動を止めさせることもある。
あれ?これ見たことある。・・それは時間の進行に従ってますます深まる、
つまり、ますます以前に見たできごとや光景とぴったり同じになって、驚く。
そうして、夢で見たのだという記憶が重なってくる。
さらに不思議なことには、その時の夢の中でも、見たことある思いに囚われて
焦っていたように思い出される場合があるということである。

これはいったい何であろうか。
霊感的予知能力だの占いだのをまったく信じない私としては、実に不可解な現象である。
だから、なんかの拍子に意識の中にあるさまざまのものが結集されて、
類似の体験なりイメージなりが、今の現実に重なって組織されるのだ、と考えてみる。
それにしても、それが何の変哲もない行動のさなかに不意に襲ってきて、
確かに夢で見たぞと確信させるほどのピッタリ感を伴うのはあまりにも不思議である。
それは、今自分が意識の中で現実と類似のイメージを合成しているようではなく、
イメージの方が断固としてやってきて、それとまったく同じに現実が進行するようなのだ。
私としては、そんなことは絶対あってはならないことなのに、
しかし実際、そんなことが小さいころからしばしば起こっているわけである。
これは本当にいったい何なのであろうか。


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