TENSEI塵語

2002年05月31日(金) 代打ヒーローに思う

きょうの対広島戦は先発黒田をなかなか打てず、2対2で延長戦に入った。
10回ウラ、阿部がヒットで出、後藤の送りバントを黒田が二塁封殺しようとして、
それが悪送球となって、ランナー1、3塁となった。
続く清水は敬遠で、1死満塁となり、清原が代打で登場した。
まだ清水の敬遠の真っ最中なのに、ウエイティングサークルに現れただけで大歓声である。
復帰後の清原は、何度か代打で大事な場面で登場しているけれど、三振が多い。
大歓声に迎えられて得点のチャンスに出ながらも、
1度もバットを振らないままストライク3つで終わったこともある。
決して手放しで期待を寄せられない状況ながら、相変わらずすごい声援である。
そしてゲームは清原の初球ひと振りで決まった。
最近の清原を見ていた者からすると、当たった!!という感じだった。
センターが追いかけてあきらめ、フェンス手前に打球が落ちた。
選手たちも大騒ぎだし、ファンとしても先日とは対照的に顔がほころんでしょうがない。

で、清原お立ち台となるわけだが、当然のことと認めながらも、ふと思う。
清原がバッターボックスにいたのは1分もない。たった1回バットを振っただけ。。。
3時間以上もの間、打ち、走り、守りして表舞台で働いていた選手が舞台裏へ押しやられ、
10回までひとりで投げ抜いて、圧倒的な好投を続けていた投手が、
塁への送球でコントロールミスをし、清原への1球で敗戦投手となる。
それまで舞台裏にいた選手が最後の1分に表舞台に登場して、瞬時にヒーローとなる。
勝負の世界というものは、こういう明暗が露骨に現れるものだ。
ただ、この場合大切なことは、控えの選手もベンチでともに試合に参加しているのだ、
という目を忘れないことであろう。



2002年05月29日(水) 立ち直れない観戦後

遅めの夕食の後、巨人vsヤクルト戦をつけてみたら、入来と藤井の緊迫した投げ合い。
とても点が入りそうな雰囲気ではなく、しかし、球場ではどうだかわからないが、
テレビでは投手戦ほどおもしろいパターンはないと思うので、
もう昨夜で採点に追われることもなくなった気楽さもあって見続けていた。
9回表に松井がホームランを打って、ようやく1対0となった。
カウント、ワンスリーから藤井が投げた瞬間に、ピッチャーの後方から映された
球筋を見た瞬間に、打つ!!と予感したら、松井が打った。
(正確に書くと、打つ!!と感じた自分を瞬時に振り返ったのと、
 松井が打ったのとほぼ同時だった、、みたいな感じになるのだろう)
最高の勝ちパターンのようなのだが、何となく、まだ勝てるような気がしない。
もう1点取らないとね、、と思っても、大歓声とともに登場の清原もあっけない三振。
当たれば即もう1点、とは思っても、当たりそうな予感はしなかった。
気合い十分の入来に最後まで投げさせた方がいいんじゃないの? と願ったのは、
やっぱり素人考えなのか、最後は河原に代わった。
河原はデビュー当時から応援してきたし、信頼するけれども、
な〜んとな〜くイヤ〜〜な予感がどうも拭えなかった。
解説者も、心の準備が不十分じゃないかという不安の発言をしたりしていた。
最初のバッターはファウル、ファウル、見逃しの3球3振で、
3球目のストレートには、思わず、すごい!!と声が出てしまったほど。。。
でも、古田に初球をセンター前に持って行かれた。
そして、イヤらしい構えのラミレスを見てるうちに、イヤ〜〜な予感が次第につのり、
一瞬打ち取ったように映った打球がスタンドまで伸びて行ってしまったのだった。

久々に解放感を味わいたかった夜が、これで台無しである。
だから、忙しかったあのころ、巨人戦は見ないように習慣づけていたのである。
くやしいこともあれば、嬉しいこともある。選手もそうして連夜闘っている。
そう思いながらここ3年ばかり、ラジオやテレビで観戦しているけれど、
こういう夜はやっぱりなかなか立ち直れない。、、クク、、、



2002年05月26日(日) きょうのBGM

1日中採点ばかりしていたわけではないけれど、採点仕事に苦しめられていた。
もういい加減うんざりするような仕事だから、苦しむことにもなる。
ぐずぐずしたり、眠たくなったり、急にはかどってみたり、いろいろである。
数学の先生が採点しているのを見ると、こんなに早く1枚全部見終われたら
耐えられるのになぁ、、と羨むことしきり。。。
休日なのにこんな1日になるのも、試験期間中に気ままな生活をしていたためだが、
それはもうその覚悟でのんびりしてたわけだから、後悔するわけでもない。
できるときにできることをしておかないと、それこそ後悔することになる。

昨夜、夜中にも採点しながら、加古隆の特にお気に入りの曲をMDに編集したので、
きょうはそれをくり返し流しながら採点していた。
聞きながら、いかにも自分好みの曲が並んでるなぁ、、と、改めて感心(?)した。
 1、ジブラルタルの風(ピアノのみ)
 2、ジブラルタルの風(声楽つき)
 3、白梅抄−−亡き母の
 4、黄昏のワルツ
 5、パリは燃えているか(オーケストラつき)
 6、未来の思い出(ピアノのみ)
 7、未来の思い出(オーケストラつき)
 8、大河の一滴
 9、青の地平
10、光と影のバラード
11、永訣の朝−−宮沢賢治の詩に
12、永遠の流れ
13、ポエジー(グリーン・スリーブス)



2002年05月25日(土) 読めず、話せず、書けず、、

昨日の続きで、きょうは3日目の3年生の英語の試験についてである。
この英語のテストは、前置詞と関係詞の使い方の問題が並んでいた。
ほとんどが、スラッと出てくるか、確かこうだった、と答えられるような問題で、
大半が中学英語の範囲にあるような気がした。
けれども、机間を回りながら生徒の答案をのぞいてみると、いろいろ違っていて、
自分のもかなり怪しいんじゃないかと不安になるほどである。
でも、テスト勉強をしっかりしてそうな女子の答案を2、3のぞいてみると、
私の答と大方似ていたので、それでようやく安心するという具合である。

前置詞などを3択で選んだり、空欄に補ったりする問題が多いのだが、
明らかに、何でそんなの選ぶかなぁ、何でそんなの入れるかなぁ、の
連続であるような答案もいくつかある。
空白だらけで、なかなか埋まらない答案もある。
口で何度も唱えておけば、理屈の説明も頭にきちっと納まるだろうに、
英文自体を体に取り込もうとしないから、先生の説明も何の意味もなくなる。
いずれにしても、この程度の英語は、高校でわざわざ苦労しなくても、
中学の教科書を暗唱するくらい口慣らししていればかなりできるはずである。

何年前だったか忘れたけれど、英語の成績が中くらいよりもちょっと上の子で、
もっと英語ができるようになりたいというので、
まず、教科書の文章を丸暗記するくらい何回も読んだら? と奨めたら、
発音のわからない言葉がいくつもあって読めないのだと言う。
中学時代も、ほとんど自分で読んだことがないのだと言う。
テストがぼろくそでない程度にできるのは、先生から「覚えてきなさい」と
言われたところを覚えて行くからできるだけで、
もしもそんな指示でも出なかったら、もう次にはできなくなっていそうである。

日本の英語教育では、個々の生徒が英語を口にする機会が少なすぎる。
教室の中に40人もいては、どうしようもないのは確かである。
こんな大人数を前にしたら、実用英会話の練習などは困難を極める。
当然、教師としては、多くの場合に共通する原理を説明することによって、
1度に多くを理解させられるよう努めたくなる。
けれども、言語構造が日本語とはまったく異質なのに、
説明とささやかな練習(ほとんどが文字による)で理解できるものか。



2002年05月24日(金) 哀れな入学生

きょう中間考査が終わったが、2日目に1年生の数学のテストの監督をした。
始まって3分もしないうちに、テスト用紙を半分に折って頬杖体勢に入った生徒がいた。
1年生の1学期中間テストの数学など、ほとんど中学の復習程度だろうと思っていた。
かつて担任していたときでも、この中間テストだけは楽勝だったという声を聞いていた。
実際、この生徒のようすを見てから、問題を見てみたのだが、
大きい1番から4番まで2問ずつあるうちの、(1)の問題は書かなくても解ける程度のもの。
−8−7×(−6)×5/3−42 というような計算問題や、
7x−5=3(x+5) ・・程度の方程式、不等式、連立方程式の問題。
(1)は中学の復習問題で、(2)が高校での発展問題かな、と思ったが、それはわからない。
で、巡回しながらその生徒のところに行ったとき、答案用紙をちょっと見せてもらったら、
一次方程式を解こうとした走り書きはあったけど、答は出ていなかった。
最初の計算問題を指して、これもできない? と聞いたら、まったく、と彼は答えた。

この状態で彼はあと2年半以上も数学の授業を受けることになっている。
今回のテストには私でも暗算で解ける程度のものがあったけれど、
高校数学を忘れてしまった身には、1年生2学期以降3年生までの数学は何もわからない。
今の時点で何もわからない子の今後の不幸は想像を絶するものがある。
おそらく彼は、計算練習でも何でも、何にもしないまま中学時代を過ごしたし、
授業以外の時間に先生が手当てしようとしても、それを拒み続けてきたのだろう。
また、それでいて高校ぐらい出ておかなきゃいかん、と世間が攻め立て、
実際高校に入れてしまうところが、少なからぬ若者たちの不幸の源であるように思われる。

私は入学試験というものは、その学校での勉強に耐えられるかどうかを見るもの、と
考えたいのだが、現実にはまったくそうなっていない。
試験ができていようがいまいが、上から順番に定員までを入学させることになってるから、
小学校の算数から中学校の数学まで、まったくちんぷんかんぷんの状態であっても、
高校数学の授業を受けさせることになってしまうが、こんな残酷なことがなぜ許されるか。
入学生のすべてが、分数の計算がわからず、加減乗除の入り混じった計算ができないなら、
そのように授業を進めることも(高校数学をやらないのは反則だけど)可能だろうが、
そんな生徒ばかりが集まるはずもないのである。
わからない子には手厚い手当を、という要請に従って、授業外に算数から教えたとしても、
授業の方はどんどん先に進んで追いつかず、授業中の不幸まで克服できるわけではない。
(そしてまた、現実には、そういう生徒ほど〈親切〉から逃げ回るものである)

たまたま数学の話になったけれども、多くの教科に共通する深刻な問題なのである。



2002年05月22日(水) 連夜の逆転勝利!!

う〜〜ん、実に気分がよい。昨日ときょうの対阪神戦。
昨日は藪、きょうは井川の好投で、中盤まではまったく打てず、リードを許してたのに、
昨日はヒットと四球で12人つないで一挙に6点の、6対3、
きょうは松井の一振りがツーランとなって、2対1、実によい勝ち方だ。
しかも、2日とも、先発の工藤、武田が交代間際のところで逆転しているから、
先発を勝利投手にして勝っているところも見逃せないいいところである。

何と言っても、河原が頼もしい。あの表情がいい。
何があっても、アウトにしてもヒット打たれても、まったく変わらぬ表情。
岡島が頼みの綱になっていたころもあったけれど、
どうにも表情がたるんたるんなので、なかなか安心できなかった。
快刀乱麻のようないいピッチングを見せてくれても、何か不安がつきまとった。
河原だと、きょうのように2本ヒットを打たれてまだノーアウトというようなピンチでも、
いや、いい、大丈夫、お前に任せた、というような気分にさせられる。
デビュー当時から応援してて、ずっと故障で2軍生活だったけど、
こういう頼もしい復活をしてくれて、ファンとしたら手放しで喜べる状態ではある。



2002年05月21日(火) 五月晴れ

5月の空気が帰って来た。
最近では、テレビ・ラジオのアナウンサーでも、GWのころになると、
「五月晴れに恵まれ、行楽日和、、」などと平気で言ったりしている。
五月晴れというのは、そういう鯉幟の似合う晴天を言うのではない、
梅雨で、何日も雨が降り続いたり、ぐずぐずした天気が続いて、
洗濯物も乾かない、布団も干せない、何やら湿っぽくて黴も生えてきそうな毎日に、
ある日突然カラッと晴れ上がる、長雨上がりの晴天、待ちに待った晴天、
あれを喜びをこめて呼んだ言葉だぞ、旧暦5月、今の6月の晴れ間のことだぞ、
と機会を見つけて生徒に話したりするのだが、
昨日・きょうのような晴天に出会うと、五月晴れと敢えて呼びたくなってしまう。

4月の後半から何か異常な天気が続いていて、晴れれば7月のように暑く、
曇ったり降ったりすると寒かったりする。
気温の変動が激しすぎて、それで体調崩してる人も少なくないようだ。
そんなことがくり返されて、先週は、梅雨入りかと思わせるほどぐずぐずした天気だった。
きょうなどは、気温から言うとちょっと高めだったのではないかと思うが、
風がさわやかだったし、緑がまぶしかった。



2002年05月19日(日) 家事を厭わぬ理由

橋本さんちのHPで、父親の家庭での役割がチラッと話題になっていた。
我が家では、家事の大半は父がやるものだと娘が勘違いしないように、
時折ちゃんと説明しといてやらないと、嫁に出してもすぐ追い返されそうな心配がある。
きょうも昼食時に娘と夕飯の相談をしていたのは、私だった。
夕方、食料品を買い込みに出かけて、帰ってから、
「買い物はしてきたから、作る方は頼むね〜〜」と妻娘に聞こえるように
言っておいたのに、しばらく経ってもまったく無視されているので、
結局大半は私がやるはめに。。。
大半終わりかけたころ、ゲームを一段落させた妻が顔を出して、
「何か手伝うことある?」というので、2つばかり指示してPCに戻るという具合。
ま、そのおかげで、夕飯が遅くなりすぎてまつ様を見損なうということもないし、
(我が家の食卓のそばにはTVは置いてない。ひたすら会話する)
かえっていいことも多いのである。

帰宅後の家事はほとんど私の仕事、というのが、ここ3、4年ほどの顕著な傾向である。
帰宅途中の買い物、夕飯の用意、食器洗い、明朝の炊飯のための準備。。。
日によって風呂掃除やゴミ出しの準備なども。。。
それが顕著になってきたのは、妻の方が帰宅が遅くなり、ヘトヘトで帰るようになり、
帰ってから仕事することも多くなったからである。
それが定着すると、彼女は新聞読んだりテレビ見たりしている傍らで、
私が料理したり台所を片づけたりしている光景も不思議ではなくなる。
休日も似たような感じなのだが、それは、以前は休日だけはそうだったからである。
休日に私が家にいると、夕方、まだ小さかった子どもが私の部屋まで上がってきて、
「おとーさん、きょうのゆーはんなに?」と催促に来ていたものである。
休日だけでなく、職場の日程の都合で早く帰宅できた日もそうだった。
それがだんだんと、拡大されてきただけのことなのだ。
そんな話を職場の同僚にすると、女性からは「偉いね〜」と賞賛の声が返るし、
男どもからは、「悲惨な生活」という評価が下されることになっている。

何年か前まで、特に部活指導に忙しかったころは、我が家は母子家庭状態だった。
だから、たいていは食器洗いくらいが夜中の仕事として残っていた。
休日も家にいることが少なかったけれど、家にいるときには、
1週間分の買い出しに出かけ、夕飯を作るのがだいたい決まっていた。
妻は、自分しかする人間がいないとなれば何でもやるけれど、
仕事でも掃除でも読書でも遊びでも、いったんやり始めると
時間を忘れて歯止めがなくなってしまうからでもある。
洗濯と居間などの掃除だけは、自分の仕事にしている。
私に洗濯物を干させると、干し方が下手くそでやり直ししなきゃいけないからだそうだ。

我が家には、結婚当初から家事の分担などは一切なかった。
それぞれが気づいたときに気づいたことをするうちに、
家事は気づいた方がするという不文律が自然にできあがった。
そんな不文律が通用している中で、家事と育児という2つが同時進行になり始めると、
私としては、「ご飯作るから子ども見てて」と言われるよりは
「子ども見てるからご飯作って」と言われた方が落ち着くので、
自然と家事の比重がこちらに多く回ってくるようになったのだろう。
(まぁ、要するに、小さい子ども苦手〜〜の性癖が災いしたことになる)

私が家事を厭わないのは、母の姿を見ていたためである。
母は専業主婦だったけれど、中途半端ながらいろいろなことに通じていた。
私の音楽好き、読書好き、演劇好き、歌舞伎好き、絵を見るのも好き、、、等々は、
母がその環境を作ったり、影響を与えてくれたためだと思う。
私に影響しなかったことでも、いくつか卓越していたことがあった。
家事一切、何でもそつなくテキパキやっていたのはもちろんなのだが、
特に料理関係、医学関係、生物関係のことになると、見識が深いと感じられた。
知人の間でも世話好きなので、いろんなところで頼りにされていた。
世が世なら社会でバリバリに働いていただろうに、
一介の貧しい警察官の妻として年老いて行く姿を見ながら、
女だから家事に専念すべきという通念の残酷なことを感じたのである。
そうして、男女平等というよりは、男女同権的な見方が強くなったと思う。



2002年05月17日(金) 一昨日の続き

「春の世の夢の浮き橋とだえして峰にわかるる横雲の空」に歌われているのは、
夢から覚めたごく私的な心の中のできごとと、その時に見た空の光景である。
それがどうなんだということは何も書かれていない。
けれどもそこから漂ってくるのは、何となく艶っぽい、しかし寂しげな雰囲気である。
夢の中ではおそらく恋人とともにいたのだろうし、夢から覚めて見えた空は、
未明か薄明のあたりの、きぬぎぬの別れの朝に眺める光景でもあるのだろう。
心に浮かぶ山と雲を配した一枚の幻想的な絵に、こんな情緒がいつも伴っている。

俊成女の歌にこんなのがある。
「橘のにほふあたりのうたた寝は夢も昔の袖の香ぞする」
これはもう、すぐに古今集のこの歌を連想させる。
「五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」
こちらの古今集のは、橘の香でかつての恋人を懐かしんだのである。
こういうことは橘の香でなくても、どんな香でもいい、また、何を見るのでもいい、
あるものから懐かしい人を偲ぶということはよくあることなので、普遍的に共感される。
「袖の橘の香」としたことで、甘い抱擁の思い出がほろ苦く重なってくるわけである。
俊成女の歌は、その歌の世界をそのまま持ち込みながら、
「うたた寝の夢」の世界に入り込んでより奥行きのある、より儚い情緒を出している。

式子内親王にも似たような歌があって、
「かへり来ぬ昔を今と思ひ寝の夢の枕ににほふ橘」
若かったころを懐古する心情の深さと、橘の香に包まれるように寝る空間的な広がりを
実にほんわかとイメージさせてくれるではないか。

万葉集にも古今集にも好きな歌はいくつかあるのだけれど、
奥行きの深さや、歌に漂う空間性など、新古今集の世界により魅惑を感じることが多い。
この傾向は俳句を鑑賞するときにも通じるのだが、
もちろん基準を設けて判定したり決めつけているわけではない。
どんな手法をとっていても、いいものはいいし、つまらないものはつまらない。



2002年05月15日(水) 昨日の補足

昨夜は、睡魔と猛烈な闘いをしながら書いていた。
ここで何も書かずにすませてしまったら、また2、3週間空いてしまいそうな気がして、
何でもいいからとにかく、、と思いながら、ついついこっくりしたりして、
ハッと気づいたりしながらやっとの思いであの大ざっぱな短い文章をでっち上げた。

私はたぶん、さまざまな作品と接するときに、余情の多いものを好むのだと思う。
(これも途中かも、、)



2002年05月14日(火) 夢の浮き橋

好きな和歌は? なんて尋ねられると、いろいろあるはずだし、
どちらかと言えば恋歌を詠む方が好きで、大学時代に国文科に入り直したときも、
すぐに古今和歌集の恋歌の研究会に入れてもらったほどなのだが、
何故か、真っ先に頭に浮かぶのは、新古今集の定家の歌、

春の世の夢の浮き橋途絶えして 峰にわかるる横雲の空

であるのが不思議だ。
なんという映像美、理屈では説明しがたいイメージの世界、という感じがするのだ。
文学とは言葉の芸術だということを、この歌もまたはっきり教えてくれるのである。



2002年05月13日(月) 会議が3つとは!

まぁ、何とも落ち着かぬ1日だった。
1時間目はカリキュラム関係の会議。議題が多すぎてほとんど消化不良。
総合学習の議題の時に、朝の読書を総合として認めてもらうための案を
教務主任に出しておいたら、それが配布されていたので話題となり、
説明を求められたが、たまたま国語主任として出席してたから説明できたけれど、
そうでなかったらこの会議のメンバーではなかったわけだから、どうなってたんだろう?
とにかく、この1時間目の会議はごちゃごちゃでよくわからない会議になった。
2時間目は空いていたけれど、総合学習を熱心に考える分掌メンバーのT氏から
いろいろと議論をかけられる。
要するに、朝の読書だけでなく、それをもっと徹底するために
「総合」の時間をうまく使える方策を考えてほしいとのことだった。
これは大いに考えてもいいことなので、いい方策を考えることにした。
3、4時間目は授業。
5時間目には、興道高校の先生が、やっと試験日になったと言って、楽器を借りに来た。
うちの学校と違って、部員がおおぜい入ってくれたけど楽器が足りないそうだ。
初心者用なので、古い使ってない楽器を貸してほしいと前々から頼まれていた。
古いトロンボーン3つとホルン2つを借りて行った。
バリトンサックスを借りたいと言ってたけど、あるはずのところにないので
見つけてから連絡すると言ったら、
それは去年お宅から借りたものをそのまま使わせていただいてます、とのこと。。あれ?
とにかく、私はことごとく忘れてしまうのである。
6限目は運営委員会。さして重要とも思われないことを、念のためごちょごちょと。。
終わってからも、いくつか打ち合わせや確認の話があったりする。。
きょうから試験前1週間ということで部活が禁止になるので暇なはずだったのに、
さらに業後に、明後日の遠足の打ち合わせ会議が予定されていて、
それで結局5時も回ってしまった。

きょうの3つの会議に全部出たのは、私と1年学年主任の2人だけである。
まったくもう。。。



2002年05月12日(日) PINK FLOYD「Animals」

今この座っている椅子から立って、どこに行くにしてもアスレチック状態なので、
ちっとは片づけしよっかなー、と思って昼前に1時間ほど片づけをした。
買ってきたもの、本棚から出して見たもの、そういうのを然るべき場所に置かずに、
手近なところにぽんぽん積み重ねて顧みることがないので、山のようになっている。
それを上から順番に片づけて行くと、忘れていたものが発掘できて楽しい。
この楽しみは、きちんとお片づけできる几帳面な方々には決して味わえまい。
人生に思わぬ楽しみをもたらす知恵と言ってよい。(・・☆ポカッ)

さて、こういう作業をする場合もっともよくBGMにするのがピンク・フロイドである。
バロック音楽やウインナ・ワルツやバレエ音楽も流すけれど、
心地よく高揚するリズムがイヤな作業を前にしても気持ちを鼓舞させてくれ、
心の大部分が音楽の方に向かいながらも、歌詞を聴こうなんて集中力は生じない、
そういう点で、ピンクフロイドがこういうイヤな作業をよく手伝ってくれるのである。

きょう聴いたのは「アニマルズ」という組曲である。
「翼を持った豚」という歌が最初と最後にあって、その2曲の間に、
「Dogs」「Pigs」「Sheep」という長い3曲の歌が収められている。
もちろん動物について歌ったのでなく、内容は人間について歌ったものである。
さ〜て、これを、組曲というべきか、それとも、交響詩とでも呼ぶべきか。
それとも、プロローグとエピローグを伴った、3楽章仕立ての交響曲と言うべきか。
「Dogs」などは、交響曲の第1楽章でよく使われるソナタ形式と言えなくもないのである。
また、協奏曲と言ってもいいかもしれない。
各曲とも、彼ら特有のロック演奏の背後に、動物の鳴き声が聞こえるから。
「Pigs」は明らかに人の声を電気的に加工して豚の声に模したものだが、
あとの2曲は、シンセ等で作ったものなのか生録なのか判じにくい鳴き声が聞こえてくる。
それらを各曲のテーマにちなんだソリストと見なせば、協奏曲とも言えるわけである。

さて、高校時代からの長いつきあいになってしまって、歌でもギターでも、
ピンク・フロイド節の虜になっていることはもう否めないのだけれど、
それから、ジワジワと聴く者の心を高揚させて行く盛り上げ方もやはりうまいけれど、
この曲については、もうひとつ特筆すべきことがある。
私にとってピンク・フロイドの最大の魅力はリードギターの扱いなのだが、
この曲のリードギターのメロディーもやはり格別にいい、、のみならず、
よく聴いてみると、この曲のリードギターはその曲の動物の鳴き声を模しているのである。
それは「Dogs」に顕著で、そう意図しながら、実にみごとな音楽を作っている。
そうしてまた、この曲では犬の鳴き声が実際に聞こえる(本物かどうかは知らない)が、
それらも、曲の流れの中で実に調和して展開されて行く。
まったく、少なくともこの「Dogs」については、芸術品!!と太鼓判を捺したい!!
と思い続けながら、もう30年ほどの月日が経っているわけである。



2002年05月11日(土) 再開を期す

な〜んと、また2週間も空いてしまった。
継続しているときにはどんな小さなことでも文章になってしまうものだが、
なんかの拍子に何日間か遠ざかってしまうと、何も書けなくなってしまうものである。
頭の中でいろいろ思いめぐらせてみても、何も言葉にならなくなってしまうのだ。
3日坊主で終わってしまう、というときはたいていこうなるもので、
過去に何十回もくり返してきた私の悪癖でもある。
橋本さんなどはこういう過ちをしないために、必ず毎日更新する。
何も書けないときには、古い日記を写して終わりにしてでも、
ひとつの話題を何日分かに小分けしてでも、とにかく毎日欠かさない。
実に賢い人である。
勉強を継続するためには、とにかく毎日テキストを開くことであるし、
読書を継続しようと思ったら、とにかく毎日本を開くことだし、
日記を続けようと思えば、とにかく毎日日記を目の前に開くことである。
簡単な原理なんだけれども、そこにきっと何らかのコツがいるわけである。

今年の5月は異常だ。
今ごろはたいてい「1年中こうだといいのにね」と言い合えるような、
気温も湿度も快適な天気が続いていいはずである。
肌に快適なだけでなく、「青葉若葉の日の光」という句が浮かぶような、
目にも快適なさわやかな光景がそよ風に吹かれているはずである。
ところが、快晴の日は7月のように暑く、雨が降るとやけに冷える。
今日は暑くなるかと予想されていながら、曇って肌寒かったりする。
そうして、あたかも梅雨時のように雨や曇りの日が続いたりもする。
3月から、今年は何か変だぞ、と思っていたが、最高の陽気の月であるだけに、いっそう気になる。


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