TENSEI塵語

2001年12月31日(月) 大晦日の夜の思い

年末だの新年だのといっても、たまたま365日の区切りがここに来たというだけで、
もしも違った区切り方をしていたら別の日に新年が来るに過ぎない。
初日の出をありがたく拝んでも、お日様の方はいつもと変わらぬお日様でしかない。
自然全体を眺めてみれば、新年も何もない。
どうってことないはずなのだと、もう30年間も毎年思い続けていることなのに、
年賀状はあくせくと大慌てで作って投函し、
大掃除と買い出しで最後の3、4日をバタバタと過ごし、
紅白歌合戦の時間になってやっと自分の時間が取り戻せて、
それでも、何となくいつものようには過ごせず、
1年を振り返って、みたいなことをどうしても考えてしまう。
我々は絶えずさまざまな〆切に追われながら何とか仕事をこなしているが、
こうして、1年ごとの〆切を作りながら、身の回りの雑事にけじめをつけたり、
友人・知人関係を確認したりしているわけなのだろう。
それは掃除をこまめにすることが苦手で知らぬ間に塵を積もらせてしまい、
そうなるとますます掃除が億劫になる私のような無精者にはありがたい〆切なのだが、
そうかといって、テレビや商店で見せつけるごとく大げさに騒ぐほどのものでもないし、
精神までとらわれるほどのものではないと思うのである。
そうは思ってもやはりいつものように過ごせないのは、長年の習性なのだろう。

さて、今年を振り返ってみようとしたのだが、たいていのことは
この中に書いてあるので、わざわざここで反復するのも煩わしくなってしまった。
それより、明日から今までに書いたことをいくつかまとめてみよう、と決めて、
今年1年に区切りをつけることにする。



2001年12月30日(日) 「Hero」第5話

この回の話が特に好きなわけではないけれど、
最近の恋愛談義とかなり共通する部分があるので書き留めておこう。

事件は、愛人が訪ねてきたことにより夫婦が口論になり、
夫が包丁を持ち出してきて妻に傷を負わせた、その場にいた愛人もそう証言している。
ところが容疑者となった夫は、妻が自分で持ち出した包丁で自分を刺したのだと主張する。
もしそれが本当なら、愛人は、常識的には男に不利な証言はしないはずなので、
愛人も妻と同じ証言をしていることが、ますます夫の罪を照明しているように思われる。
ところが久利生は、愛人が男をかばおうとしない、気持ちは冷めました、
と断言しているところに、妙にこだわって、そこから何か手がかりを得ようとする。
「だって、恋愛からむと何するかわからないじゃん」

結局その愛人は真相を話すことになる。その理由の言葉が効いている。
「いちばん不幸な女ってどんな女だと思います? 醜い女? 棄てられた女?」
「いちばん不幸な女は、忘れられた女だと思うんです。
 自分を刑務所に入れた女のことはいつまでも忘れないでしょ?」
そして、前の証言を翻して、真実の証言をする気持ちになった理由をこう説明する。
「私も、相手の幸せを願えるような恋愛をしたいと思ったから。。。」
この「相手の幸せを願える」という言葉は、ただ、
雨宮が自分の不器用な恋愛姿勢を弁解しただけの言葉なのである。

忘れられたくない一心で、偽証して恋しい男を刑務所に送る、
けれども、相手の幸福も考えて、偽証罪覚悟で真実の証言に臨む、、、
「恋」と「恋愛」のエッセンスが描かれているような45分間である。

なお、この「Hero」というドラマは、毎回毎回謎解きに終始せず、
時には、こうして直接謎解きはしないけれど、心で動かすような解決を描いている点が、
全11回の味わいを深めているように思う。


きょうは、台所の床磨き、トイレの掃除、風呂掃除、、、
風呂場はちょいちょいやってたからいいけど、
もう、台所とトイレは長いことさぼってたから大変、大変。。。
昨日は油の層に悩まされたけど、きょうは固まった埃の層に悩まされた。



2001年12月29日(土) 「恋」について

きょうはお昼前から夕方まで、台所の油汚れと格闘した。
見える部分でも半年に1度、見えない部分だと1年に1度とは限らなくなるものだから、
大変なことになっているのである。
掃除するたびに、1カ月に1度やれば簡単なんだよね〜、と決意するのだが、
結局毎回、溜めに溜めて悪戦苦闘しながら、ネチョネチョノイローゼに陥る。

北さんが、恋愛とは独占欲であり、支配−被支配の関係であり、
互いの「固有性」を損なう、などととんでもないことを言い始めたために始まった
橋本BBSでの3人論争は、4日目にして北さんの改心によって一段落した。
でも、おかげで、大学時代に真剣に考えていたことを再確認+αする機会を得た。
自分で意図しなくても、2、3年とか数年に1度、こういう機会がもたらされるのは、
実にありがたいことだ。

「恋」という感情は、まったく一筋縄では行かないものである。
突如として生まれることもあれば、消滅することもある。
コントロールできることもあれば、できないこともある。
生活を創造的に生かすことがあるかと思うと、生活を破滅させることもある。
甘やかしていると増長して当の本人を奴隷としかねけれど、
厳しく抑えつけてばかりいると、人生がつまらなくなる。
暴れん坊になったり腕白坊主になったりするかと思うと、
おしとやかなお嬢さんにも変身したりして、まったく予想がつかないものである。
幸福、喜び、、、というような感情とともに、
切なさ、淋しさ、哀しさ、、、というような感情も共存している。
実に多義的で、豊かな謎を秘めた領域なのである。
男女の関係とか、人と人との関係にとどまらず、もっと広義にとらえるならば、
人間の意欲、活力、やる気、、、の源と言ってもいいようである。
その代わり、その恋が激しければ激しいほど、
挫折したときの絶望や無力感は底知れぬものになるのである。



2001年12月20日(木) 掃除も工事も完了

ケーブルテレビの工事業者からの連絡が全然ないので一昨日CCNに電話したら、
きょう工事と言われた。焦って、一昨日から部屋の掃除にラストスパートをかけた。
昨夜、やっと床がほとんど見えるようになった。
何一つまたがずに部屋の中を移動できるなんて、何年ぶりだろう。。。
今でも、このパソコンの前から、あっちの机まで移動するのに、
ただ歩いて行けるのが、何か足りないような、不思議な感じがするのである。
・・・今、メールを調べてみたら(日記代わりになっている)、
ISDN の工事をしたのが、97年の11月4日だった。
その時すでに部屋がひどい状態で、このパソコンの回りを空けるために、
部屋の向こう側半分に、物をぐしゃぐしゃに集めたのだった。
あきれたことに、この大掃除は2、3年ぶりどころか、
4年以上、、、たぶん、5、6年ぶりなのである。
このパソコンの回りだけは1年ごとに簡単にやっていたかもしれないが、
全体となると、それだけの間、グシャグシャのまま放っておいたわけである。
その間、物と物の隙間を狙っては、障害物をまたいで移動していたのである。
約2000日間の習慣なんだから、この部屋を縦断するのにただ歩くだけで
それが可能だということを、脚がなかなか信用しないとしても不思議でない。

ただ、床面積が広がったというだけで、本棚や引き出しの中など、
ぐちゃぐちゃは相変わらずで、ますますひどくなっていると言ってよい。
これが冬休みの課題になりそうである。

掃除する必要があったのは、屋根に上るためには私の部屋を通過しなくてはならないし、
今までビデオを見るためだけに使っていたテレビを、
この機会に放送も見えるようにしてもらおうと思ったからである。
そのため、部屋の一番奥に配線されている引き込み線のところまで、
業者がスムーズに入り込めるようにしておかなければならなかったのである。
ISDN の時のように、めんどうな加工作業をやるものとばかり思い込んでいた。
実際には、その差込口を全然いじらずにケーブルを差し込むだけで済んだから、
そうまで熱心に片づけておかなくても、それだけなら自分でもやれたわけで
拍子抜けしたけれど、ホントにいい掃除のチャンスになってよかったと思う。

さあ、この部屋でも放送が見られるようになったから、
新年からの菜々子さまの大河ドラマ「利家とまつ」を見逃さない条件が整った!!\^o^/



2001年12月19日(水) 悩める総合学習

昨夜、妻との雑談の中で、さ〜〜〜っと閃いたことがあった。
妻の小学校では今、「総合」の時間を朝の15分の活動を週3日やることによって、
週1単位時間分に充てようという案が大いに支持されているというのである。
「そんな分割方式でもいいのか?」と驚いて訊いたら、
それは帯タイムといって、それでもいいと認められているのだという。
それを聞いたら、さっと閃いたわけである。
今やっている朝の読書を、10分×5日で週1時間分とする。。。

ほんの少し、本来の早朝読書の趣旨と異なる要素が入らざるを得なくなるかもしれないが、
こうすることのメリットは大きい。
授業という規定になることによって、先生たちは今よりも指導しやすくなるだろうし、
平気で何時間も遅刻してくる生徒が増えつつある、その歯止めになるだろう。
文部省の規定では週25時間やれば十分なはずなのに、
週30時間か、31か、32か、、、というバカげた論争が行われている中で、
7限目を設定することなしに、31時間、なんて曲芸もやってみせることができる。
(それにしても、ホントにこれはばかばかしい議論だ。
 教師がここまで愚かになって、一体どうなってしまうのだろうか。。。)
何よりも、うんざりするような、わけのわからない、細かい、負担ばかり増える、
その癖、どうせ大した成果もなくて、机上のプランだけがもてはやされる
「総合」の時間を、もっとも実り多い時間にすることも可能である。

実際、多くの高校の教師が戸惑っているのである。
LTだけでも持て余している。それなのに、そこから進路関係の問題も「総合」に奪われる。
で、LTだけでなく、「総合」にもそれ以上に悪戦苦闘しなければならない。
進学校の多くは、最初からその時間は受験演習に充てて、有名無実にするつもりでいる。
それに比べれば、何と良心的な試みではないか。

学校で7、8人の人にこの考えを話してみた。ほとんど賛成の声を聞くことができた。
最後に話した教務主任は10分ずつの分割が認めてもらえるかどうかわからないと言った。
最初に話したのは、現に目下「総合」の企画作りにあくせくしている研修部主任だった。
彼は、それは可能だから提案してみたらいいのではないか、と言ってくれたけれど、
3時間後、資料の綴りを持ってきてくれて、引っかかるところがあるかもしれないから、
ちょっと読んで検討してみた方がいいと、資料を貸してくれた。

・・・まったく、読めば読むほどこういう資料には腹が立ってくるのである。
ていのいい机上の空論をお説きになっては悦に入っていらっしゃるのである。
いろいろな子どもを直視していない証拠である。
そうして、観念でしか子どもを見ていない証拠である。
何でこんなやつらに振り回されなければならないのであろうか。。。
まったくばかばかしい限りである。いつもそうなんだけど。。。

腹が立ってきたので、この件についての詳しいことは、また後日。



2001年12月16日(日) 仕事で終わり

1日、アンサンブルコンテストの時間割作りと、プログラム作りで終わった。
ホントにもう、何でこんなことやってんだろ???
夕方、ついて疲れて、2時間ほど眠れたことが休日の醍醐味か。。。

でも、かつては休日も生徒の練習を見てやりながら、
夜中までかかってこういう仕事をこなしていたのだった。
昼寝する時間どころか、寝不足があたりまえで、それを気にする暇さえなかった。
人間、日ごろの生活で、性格も変わってしまうようだ。

他の仕事までできなかったので、明日の午前中は超忙しくなりそうだ。



2001年12月14日(金) お掃除週間

この部屋の中が、どこから手をつけていいやらわからないほど散らかって、
そうなるとかえって億劫だし、ちょっとくらい手を出しても甲斐もないので、
ほとんど気休め程度の整理を稀にしながらますますぐしゃぐしゃになっていたのを、
ケーブルテレビの工事に来てもらう前に何とかすっきりさせないわけに行かないと、
先週の土曜日から毎日(月曜からは毎晩)、1区画ずつ整理している。
1区画はだいたい一畳分くらいの範囲だと考えていいけれど、
それだけずつ着実に片づいて行くわけではなくて、
前夜片づいたところに今夜残しておきたいと判断したものを積み上げたりするから、
床面積は確かに着実に広がって行くものの、相変わらず雑然としているし、
ようやく、「そろそろ掃除しなきゃなぁ」と考えていたころの状態まで
復帰できたと言ったところだ。要するに、いよいよこれから、という感じである。
毎日、1、2袋のゴミ袋を作っている。
ホントに、よくもまぁこんなにいらんものをため込んだものである。
わりと広い部屋をもらっているだけに、油断もしてしまうし、
そのしっぺ返しも並々でなくなってしまうのである。
その代わり、懐かしいものを思いがけず発掘する楽しさもある。
1日1回、智ちゃんの南ちゃんをたとえ20分でも見ることは怠らないが、
文章を書く方はほとんど怠ってしまった。
そういえば、仕事の方もかなり怠っているような。。。



2001年12月08日(土) 「天使のくれた時間」を見た

久々にケチつけようのない映画を見た。「千と千尋」以来の感服。
昨夜、見かけて中断していた「ロンバケ」の第10回の途中から最後まで、
智ちゃんの南ちゃんの芸術品ぶりを再認識しながら見て、
それから夜中になったらふとこの映画を見たくなって見てしまったのである。

木曜日にタイヤの交換に車屋に行って、そこを出てからその近所の、
いつも立ち寄るCD屋に寄ったのだ。
「天使のくれた時間」は、CD屋でもらったパンフを読んで、
そのうちまずレンタルで借りて見ようとは思っていたけれど、
CD屋でDVDの実物を見たら、えーい買っちゃえ、と
半ば衝動買いになってしまったのだった。
買って帰っても「ロンバケ」に心を奪われてしまっているので、
いつ見ることになるのかわからないでいたけれど、
ふと例のパンフが目に止まって、不意に見てみようという気持ちに襲われたのだ。

もちろん、テーマに特に惹かれたわけではない。
恋人や妻との愛を大切にするとか、家族愛に目覚めるとか、
そんなテーマの物語だったらうんざりするほどある。
それよりも、それをいかに表現しているかである。
この映画では、主人公にもうひとつの人生を体験させることによって表現している。
この主人公の場合だと、もしも13年前恋人を捨てずに結婚していたら、
彼の人生はどうなっていただろう、ということである。

ウォール街で大手金融会社を営み、リッチでゴージャスな生活に満足するジャックの
もうひとつの人生とは、そういう人生を求めて13年前に別れた恋人
ケイトとの、つつましい平凡な家庭生活だった。
天使の魔法(?)によっていきなりその生活の中に放り込まれたジャックは、
それまでの地位・名誉・財力を奪われまいと、じたばたする。
けれども、彼は何を確かめても、妻の父のタイヤ店のセールスマンでしかなく、
ケイトの夫でしかなく、2児の父親でしかない。

この長女がまずなかなか、、である。
おむつをかえるのにてこずるジャックを見て「パパじゃない」と気づき、
エイリアンだと思い込んで、うまくやれるように指南する。
最後の日の朝には雪の中で戯れて、「パパだ」と言ってかわいく笑う。。。

ジャックもこの生活に半ばあきらめつつも馴染んできたのだろうが、
地位と金への執着はなかなか捨てられない。
タイヤ店に、現実のジャックが経営する会社の会長が来店したのをきっかけに、
ウォール街で働けるように自身を売り込み、実現しそうになる。
たぶん、もうここでは家族をも喜ばせたいと思っているはずである。
ところが、ジャックの転職と市街地への居住についてケイトは反対する。
彼女は、郊外でのつつましい生活のよさを訴える。

けれども、ある晩ケイトは語る。・・・ここでの暮らしを続けたいけれど、
市街地へ行くのならそれでもいい、あなたを愛してるから、
それが1番大切だから、あなたを選ぶ。。。
・・・そう、この「もうひとつの人生」でのジャックは、13年前、
ロンドンに旅立った翌日にケイトのもとへ引き返してきたのである。
将来の大きな夢よりも、ケイトを選んで結婚したのである。

岩塩を買いにコンビニに行ったジャックは、レジで〈天使〉に出会う。
ジャックは、この生活を終わらせないで欲しい、と訴えるが、
〈天使〉は「きらめきは一瞬だ」といって、終わりの予告をする。

現実の世界に戻されたジャックは、郊外のあの家に行ってみるが、
案の定他人が住んでいる。
(あちらの世界に行ったときも、マンションや会社に行って追い返されている。
 同じことをしているわけである。が、さすがに今度は察しがついている)
ビジネスの方はとんでもないことになっているが、彼にはもう興味がない。
大切なものを失ったという喪失感だけが彼の心を支配している。

彼はケイトを訪ねる。高給取りの弁護士として活躍していて、
パリの事務所に引っ越すためにてんてこ舞いをしている。
求婚めいたことを口にしてみるが、ケイトは軽くあしらってしまう。
けれども、ジャックはやむにやまれず空港に駆けつける。
そして、ゲイトをくぐる寸前のケイトをお茶に誘う。ケイトはここでも軽くあしらう。
ジャックはあきらめきれない。・・そして、驚いたことに、
あの世界の家族のことを語り始めるのである。
ケイトは不思議そうな顔でそれを聞いている、、、ところが、しだいに、
ただならぬジャックの思いに、かつて自分が願っていたものを思い出したのか、
潤んだ目でジャックの言葉に耳を傾ける。
ジャックは、今ケイトが去ったらすべては消えてしまう、
飛行機に乗るのをやめて、僕とお茶を飲もう、と訴える。
13年前のジャックは、ケイトの思いを振り切って飛行機に乗ったのだった。
けれども、ケイトは「OK、ジャック」と答える。この上なく魅力的な笑顔で。。。

エンディングは、喫茶室で談笑する2人。。。
このひとときも、天使のくれた時間、なのである。
そして・・・?? ・・たぶん。。。。。。



2001年12月05日(水) 通常生活に戻る

きょうで試験が終わり、最終日に自分の試験があった私は、
試験終了後からずっと採点、採点、採点、、、、
明日の準備が全部終わって学校を出たのは5時だった。
久々に、デスクワークだけで疲労困憊した。

試験中の5日間は(日曜を入れて6日間)は決して優雅な日々とは言えなかった。
1日目は、午前中役所回りで手続き、午後から吹連の理事会。
2日目は、昼から帰宅はしたけど夕方から市吹に出かけ、
日曜日は試験問題の完成と、館報の計画および原稿書き。
3日目は試験の印刷等々済ませて2時過ぎに学校を出たけれど、
帰り着いたのが5時を過ぎたのは何故だったっけ。。。
あっそうだ、通販で宣伝しているスティームバギーという清掃機を引き取りに、
注文していた駅傍の家電屋に寄って、同じ建物内にある大手古本屋で物色していて、
食料品の買い物にも寄って遅くなったのだった。
でも、「ロンバケ」と「素顔のままで」のノベライズを古本で手に入れて喜んだ日だ。
4日目は指定休だったけど10時ごろから夕方5時ごろまで車で用足しに走り回っていた。

それでも、毎晩最低1時間は「ロンバケ」を見ていた。
車の中でも時々「ロンバケ」のCDを聞いていた。
のんびりできる時間が大量に与えられなくても、感動できる時間があればそれでいい。
たかがTVドラマとしか思わずに見始めたのに、
そして、こう認める人はめったにいないと思うけれど、
菜々子さまの桜子、智ちゃんの南ちゃんは芸術品だ。



2001年12月02日(日) 久々のUp

今日は起きてからずっと、仕事、仕事、仕事。。。
テスト作り、図書館報の企画、その原稿書き、、、などなど。
その合間に、パソコンで成績処理中の妻がトラブル解決申請に何度もやって来る。
そのたびに中断、また中断。。。
図書館報の、保護者会時の発行は、今年はあきらめよう。
3学期に配布すればいい。
でも、そう思いつつも、できれば例年通りに、という思いも捨てきれない。

最近書き始めていた「ロンバケ再発見」に少し書き足して、
とりあえずUpしてみた。
あまり長いこと更新しないでいると、停止処分を受けかねない。
きょうはまだ1度も「ロンバケ」を見ずに来てしまったけれど、
これから一目南ちゃんに会ってからでないと眠れそうにない。


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