TENSEI塵語

2001年11月30日(金) 5回目を見終わる

「ロンバケ」通算5回目を見終わった。最後の2話は6回目。
本当は「再発見」を書くための取材として見始めたのに、
ついつい先を見たくなって、またもや最後まで見続けてしまったのだった。
「再発見」の方も前書きを書いて、第1話の途中までは書いたけど、
まだUpできる状態ではない。

何度見ても、第9話の南がピアノを弾いてみせる場面と、
最後の2話の音和堂コンクール予選・本選の演奏場面では、
かなり泣けてしまうのである。
わかっていて警戒しているのに、やっぱりかなり泣けてしまうのである。
それだけでなく、ホロッときたり、ジ〜ンとしたりする場面は、
見直すたびに増えてしまうのである。困ったことである。
そうまでいかなくても、ここいいなぁ、、、という名台詞・名場面も、
やはり見直すたびに増えて行くのである。ますます困ったことである。

今夜も、最終回だけとってみても、例えば、
テアトロンでの南の「結論は出てるよ」なんてのも、ググッときた。
「奇跡は、起きます」「見たことあるのかね?」「・・・あります!」というのも。
もうひとつあったはずなのだけれど、忘れた。
もちろん、こんな風に忘れては再発見しているわけだから、
前回もここに格別の思いを抱いたのかも知れない。
南が杉崎にプロポーズを断って「ごめんなさい」と言うときの表情が、
すごくかっこいい、と格別感心したのは確か前回見たときだった。
こうして、あの智ちゃんの表情をもう1度見たい、という欲求が、
また見直させてしまう衝動となるわけだから、実に困ったことである。

思うに、「読書百遍、意自ずから通ず」と同じことで、
くり返し見ているうちに、長い流れの中で感受できるようになるから、
ますます各部分が意味深く変貌して行くのだろう。


きょうは午後から吹連の理事会に名古屋まで出かけた。
個人的であれ、支部レベルであれ、前回の理事会で出た発案について
論議するために特別に設定された理事会だった。
私の言い出した表彰方法の改革についても提案が認められていたので、
3日前に作った提案書を持って出かけて、趣旨説明させてもらった。
これもまた、最近の結婚式スピーチや、昨日の人権問題についての導入解説に次ぐ、
かなり荷重な説明だったけれど、かなりの人にわかってもらえたようだ。
最近、こんなことが続いていたけれど、しばらくはないはずで、肩の荷が下りた。

その帰り、駄目もとと思いつつヤマギワに寄ったら、
「ロンバケ」サントラの3というのが見つかった。
これは廃盤になっている4枚組サントラの3枚目のCDに当たるもので、
これさえ見つかれば、「ロンバケ」関係のCD探しは終わりにできると思っていた。
帰ってから聞いてみても、期待していた曲は見つからなかったけれど、
もうこれ以上探してもムダだということがはっきりした成果は大きい。



2001年11月27日(火) 「百年の物語」DVD

きょうはちょっと年休をもらって3時半に出たが、帰宅したのは7時だった。
いろいろ雑用を片づけながら、駅の近くに開店したエイデンにも寄った。
通販で宣伝しているスティーム・バギーという清掃機が
通販よりも1万円安く出ているのを広告で見ていたので買いに寄ったのである。
残念ながら注文になったけれど、そう急ぐものでもないからいいとして。。。

同じビルの中に中古CDを扱っている店があったので、ついでに物色した。
「ロンバケ」のCDを探すのが目的だったが、DVDのコーナーで、
「百年の物語」が9500円で出ているのを見つけたのである。
「やまとなでしこ」のDVDを買った頃、これも買おうかと迷いながら、
菜々子さまには魅力的なところが多かったのは確かだけれど、
共演陣の魅力が乏しかったこともあって、ずっとためらっていたのである。
第3巻だけは買っておこうかな、と思いながら、そのままになっていた。
その写真集は見つけて手に入れたので、それでいいや、とも思っていた。

さて、その中古屋の「百年の物語」を手にとって、ちょっと悩んだのである。
定価14100円。これが9500円。
中古ならもう少し安くても、、、と思うのだが、
他の中古DVDの価格と比べれば、これでもかなり安くしてある方である。
この店は、消費税分の次回値引き券をくれるので、
それを考えれば5000円以上安く買えることにもなる。
まぁいいではないか、めったにないチャンスだから、
中古でもいいから買っておこうと、思い切って買うことにした。

帰ってからそれを開いてみて、びっくりしたのである。
確かに、店で包んだと思われるビニールから取り出すと、むき出しの箱が現れる。
ところが、その中の3つのケースには、新品と同じラッピングがそのまま。。。
その中を開いてみると、ディスクはもちろんきれいだし、
ケースの中の2枚の紙も皺ひとつない、、、新品としか思えない。
たぶん、一番表のラッピングがビロビロになって売り物にならなくなったのを、
こういう中古販売店に卸したものなのではないだろうか。。。
早起きは三文の得、きょうの1時間の年休は1万5千円の得、と言えそうである。
それとも、最近、以前より廉価になって売り出されたのかも知れないが。。。


その「百年の物語」をすぐに見直したいという気持ちもあるけれど、
まずは「ロンバケ」だ。こっちが先だ。でないと、落ち着かない。



2001年11月25日(日) ハマリやすい性格

遅起きして、ほぼ日課のようになっているHP回りをしていたら、
「安楽への全体主義」について、「カラマーゾフ」の「大審問官」を引用して
日記に書いていた橋本さんが、北さんちにこんな悪口を書いていたので、
思わずクスクスしてしまった。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
tenseiさんがはまっている「ロンバケ」、昨日も借りることが
出来ませんでした。しかし、tenseiさんがこういうものにはまっているのも、
いささか「安楽への全体主義」ではないのかな? 
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

しかも、これをこっちに来て書かずに、向こうで書いてるもんだから、
陰口っぽい感じがして、いっそうおもしろかった。
確かに世評で安易な世界と思われがちな分野に夢中になっていることは
常々認めてはいるけれど、その一方で、こういうドラマを見ながら、
自分流の感性を細かく働かせていることも自負するところなので、
こんな返事を書いておいた。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
しばらく談話に参加しないでいたら、こんなとこで陰口たたかれてますね。
まあ、確かに、「大審問官」に比べたらうんと安易なものに走ってますからね、
返す言葉はありません。
それに、この悪口を読んでもムカッとしたわけではなくて、
職員室で昼食取りながらこう言われたら、大笑いして受け流したでしょうね。
〈安易なもの〉に心奪われていることは確かなので、大っぴらには話題にしていない、
基本的にHP上でしか「ロンバケ」にハマッている話はしていないのです。
この点、自分の内と外とでは、だいぶ態度が違っています。
つまり対外的にはそういう〈負い目〉みたいなものを感じながら、
精神的には、今までにハマッてきたいろいろなものと同じなのです。
太宰の小説ばかりくり返し全部読みまくった時とか、
「御伽草子」や「斜陽」については何十回も読み返して論文書いたり、
マーラーの音楽を狂ったように聴いて感想を書き殴ったり、
プッチーニの「トスカ」をくり返し聞いてオペラの舞台に憧れたり、
「ベンハー」を10回以上見てさらに手に入れずにいられなかったり、
・・・まぁ、きりがありませんが、広隆寺の菩薩様への気持ちとも同じですよ。
哲学を熱心に勉強していた頃とも同じです。
どういう点で共通するかというと、
自分の目や耳でとことんいいところを見つける楽しみ、みたいなものです。
実際、くり返し向き合う中で新たな発見や感動もあり、
また、そういう期待が、もう1度、もう1度とそこへと向かわせるわけです。
ただ、「やまとなでしこ」も「ロンバケ」も、何て言ったって
世間ではトレンディードラマに過ぎませんから、
橋本さんや北さんが、こいつ大丈夫か、とハラハラしてもおかしくないと思います。
ただ、私はいつでも、自分を感動させてくれたものについては、
心に残る度合いに応じて徹底追及します。ハマリようが尋常でなくなります。
同じものを見たり読んだりしても、くり返し味わうに値しないと判断するか、
くり返し味わえるかは、個人の感覚と問題意識の違いですから、
下の悪口に逆襲するとしたら、
「トレンディードラマなんぞハマるに値しない」という決めつけこそ、
〈安易なる全体主義〉ですよ、ということになります。
・・・わーい、書いてるうちにいい結論に到達しました。ありがとう。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

ハマリようが尋常でなくなるのは、私の困った欠点のひとつである。
だから、部活などがやたらと忙しく、(それが忙しいと仕事全体が忙しくなる)
自分の時間というものが持てなかった十数年間は、
いろいろなものを避けてきたし、感覚をわざとぼんやりさせたこともあった。
それでも、時に、今度は「トリスタンとイゾルデ」を観に行くとなると、
オペラのスコアを買ってきて、対訳を全部そこに書き込んで、
時間の許す限り、スコアを見ながらレコードを聴いて、劇の内容だけでなく、
オーケストレーションまでいろいろと研究した上で公演に出かけたりもした。
小説であれ漫画であれ、たまたまおもしろい作家を見つけると、
その作家のものを次々に手に入れて、寸暇に読みあさる。

まぁ、「なでしこ」フリークや「ロンバケ」フリークについては、
他人がそこだけを知ったら、しょーもないトレンディードラマに狂っている
異常なおっさん、くらいにしか見られないだろうから、声高には言えないけれど、
感動の度合いからいえば、中学時代に狂ったベートーヴェンの「第九」や
高校時代に狂ったマーラーの交響曲とも大差ないのである。
先入観を捨てて見ている画面から出発すれば、
桜子役の菜々子さまや、南役の智ちゃんの微妙な表情は、
文章にこだわる作家が文体や言葉の吟味に腐心するのと
大差ない味わいを醸し出しているのである。
そういうところに気づいてしまったので、この2つはことさらに何度も見直して、
そのたびにまた、微細な発見をして感心したりもするわけである。

一昨日、DVDを手に入れてからの1回目(通算4回目)を見終わった。
それから、昨夜もう1度、第10回と最終回を見てから寝た。
相変わらず泣けるところでひどく泣けてしまうのは、音楽の効果も大きいだろうが、
智ちゃんの表情が、ホントに何ともいえずみごとだからである。
フリーク状態を鎮めるには、また「なでしこ再発見」のような大作をしたためるしかあるまい。。。



2001年11月23日(金) スピーチ前の心境

きょうは市吹の団員の結婚式で、披露宴のスピーチを頼まれていた。
何もしなくて済む出席するだけの披露宴は気楽でいいが、なかなかそういうことはない。
前回の団員の時には、「何もしなくていいんだろ?」と先手を打って
楽ができたので今後はそのつもりでいたのに、今回は先手を取られてしまった。
2カ月前に言われたこのスピーチ依頼が、ずっと頭の片隅に引っかかり続けていた。

きょうの新郎の方は10年近く前に入団してきた団員だが、
新婦の方は、部活の生徒だったのが団員としても続いているという関係なので、
一応、団の仲間ということよりも新婦の恩師という立場で招待されていた。
だから、話の主体は新婦側のエピソードにして、新郎のこともほめなきゃいけない。
数年前に「今つき合ってます」の報告を受けたときのことと、
吹奏楽部に入らなかったらこういう出会いはなかったことと、
この2つで何とか話をまとめればいいだろうと、漠然と用意はしていた。

こういうことがあると、たいてい私は漠然と話題は用意していても、
前日になってメモ書きを作るのに焦ってしまってそれができず、
当日の朝になって困り果てることがよくあった。
教室で生徒に話をするのとはわけが違うのである。
メモを作った上で、それを見ながらしゃべるのでなく、
そのメモだけは覚え込んで、話の順序にするだけなのだが、
その兼ね合いをうまくやらないと、場所が場所だけに混乱してしまって、
自分が何をしゃべっているのかわからなくなって、収拾に困る恐れがある。
たいていは何とかなってしまうものだけれど、心配である。
もうひとつ大事なのは、ところどころに笑いを取るところを考えておく必要もある。

今回は、今までの反省も踏まえて、2日前に、何と、原稿を書き始めてみた。
画期的な取り組みである。
ところが、なかなか言葉が出てこないのである。
この1日目の試みは結局半分くらいしか達成できずに終わってしまった。
で、昨日再挑戦をして、何とか一通りの原稿は書き上げたのである。
そして声に出してみて、くどいようなところは書き直すのはいいにしても、
読むのはどうしてもまずい、暗唱してしまうのもまずい、
どうしても棒読みまたは朗読調にならざるをえないからである。

朝、出かける前に、まだ祝儀の方の準備をしてないことに気づいた。
原稿にもう2、3度目を通したりしていたので、それにばかり気が行っていたのだ。
いろいろ準備して完璧なつもりだったが、出てからケータイを忘れたことに気づいた。
不便もあるかも知れないが、取りには戻らなかった。

バスに乗っても電車に乗っても、こういう時は本などいらない。
頭の中でスピーチのリハをしていれば、いつの間にか名古屋に着いてしまう。
ところが困ったことに、頭の中のリハなどというものはとりとめなく、
言葉の断片が次々に浮かぶばかりで、なかなかつながらない。
これが不安と緊張のもとになるわけである。
その時が近づくにつれて、言葉の断片の間の空白が膨らんでいって、
いったい何を話すはずだったかもおぼつかなくなる。
本番に真っ白になってしまったらどうしよう、などとも恐れるわけである。
会場に着いて仲間と会って、冗談言って笑うのも口と心をほぐすのに大事だけれど、
時には別行動をして、一度メモを読み返したり、頭の中でリハする必要もある。

きょうの披露宴では、乾杯後からスピーチに入るまでがやたらと長かった。
司会者が、1番最初ですからよろしくと挨拶に来て、
それから歓談時間がしばらくあって、それから司会の声が聞こえたけれど、
しばらく祝辞の披露があって、それからまた歓談時間になった。
ビールはちびちび飲んでいたけれど、とても食べる気にはならない。
本当に前に出てしゃべらなきゃならない時間が来るような気がしないのだけど、
今すぐそこにその空白の時間が口をあけて待っているようにも思われる。
昨日、11月22日はいい夫婦の日、なんて話をラジオで聞いて、
この、きょうは使えないネタを、じゃあ23日はいいお二人さんの日だ、
なんてつまらん枕を本当に採用しようかどうか、ますます迷ってしまう。
メインの話も、どこまで話すか、ちゃんと結論がうまくまとまるように思い出せるか、
何もかもにさまざまな迷いが生じてくる。
しかし、表面上は同じテーブルにいる卒業生たちや団長夫婦と冗談言い合っている。

ついに祝辞開始前言があり、名前が紹介された。
わかっていても、ひゃ〜〜、ホント? どうしよー、と立つのに度胸がいるものである。
でも幸い、新郎新婦の席に集まって写真を撮っていた20名近い団員たちが、
席に戻りながら囃し立ててくれたので、落ち着いて始めることができた。



2001年11月20日(火) 「ロンバケ」DVD入手

仕事帰りにCD屋に向かって、近づくにつれてドキドキするほどだった。
それほど内心待ち焦がれていたわけである。

「もののけ姫」のDVDも同日発売だと最近知って、既にLDはあるけれど、
特典映像欲しさに買う予定で行ったら、こちらは山積みになっていた。
「ロンバケ」は新製品コーナーに見当たらない。
「もののけ姫」といっしょに「ロンバケ」の予約券を出したら、
「たしか見たよねー」と言いながら、長いこと予約品の山を探していた。

夕食後、第1、2話を見た。取材しながら、とも思ったけれど、
久しぶりなので、ついつい先を急ぐように止めずに見続けた。
「ロンバケ」についてはあのころちょいちょい書いたけれど、
今夜特に感じ入ったのは、南が誕生日の朝倉からの電話の話をするところ。
27の時、前の恋人と別れて今年の誕生日はひとりか、、、と思っていたら、
誕生日の午前0時に朝倉から電話があって、
「誰よりも先におめでとうを言いたかった」と言われて、それがその後3回続いて、
「そんなのがず〜っと続くと思ってた」と言うときに、時計が午前0時をさしている。
実は、これが南の31の誕生日の午前0時なのだけれど、
ドラマをはじめて見る場合には、それが後になって2段階でわかって行くのである。
まったく、心憎いほどの手法である。
後になってわかってみると、この午前0時に今年はかかってこなかったわけであり、
それでも南は、それから1日中、朝倉からの電話を待ち続けるのである。
けれども、はじめて見る場合には、その日中の南の姿は、
転職情報誌を見ながらぐ〜たらやっている姿にしか見えないし、
瀬名の電話を約束破って取って、残酷な伝言をしゃあしゃあと報告して、
何事にも悪びれない、しかも文句言われたら怒って出て行く、
無神経で身勝手な女にしか見えない。
けれども、瀬名が偶然見る南の履歴書がすべてを明らかにする。
4月15日、その日は南の誕生日、南はずっと朝倉の電話を待ち続けたのだと。
南のその時の一連の態度は、哀しみと苛々の裏返しなのである。

もうひとつ。
ある日、パチンコ屋で朝倉の姿を見たように思った南は、
翌日、一日中パチンコ屋で朝倉の姿を求める。
けれども、結局朝倉に会えないままパチンコ屋の照明は消えて閉店となり、
失意でとぼとぼと瀬名マンの下まで歩いた来たときに、瀬名のピアノが聞こえる。
この時の智ちゃんの、実に魅力的な微笑。何かほっとするような。。。
これが、後に「瀬名くんのピアノ好きなのに〜」「救われたから」に説得力を与えたのだ。



2001年11月19日(月) 流星群を見損なう

何とも何ともバカな話である。
土曜日の夜までは、日曜日(つまり昨日)は夕食後すぐに寝て、
夜中に起きて、しし座流星群とやらを見るつもりでいたのである。
ところが、土曜の夜寝る前にトイレに行ったとき、魔がさしたのである。
19日? 19日といったら月曜じゃないか、明日じゃないんだ、、、と。
そして、そう思い込んでしまったのである。翌日になってもまったく訂正されず、
月曜の夜はさっさと寝てしまうから、今夜いろいろ済ませておこう、とも。。。
で、昨夜は1時半ごろに寝てしまったのである。
驚いて青ざめたのは、今朝起きてから橋本BBSで北さんのカキコを読んだときである。
2時ごろに奥さんに起こされて見たのだという。
まだ信じがたい思いだったけど、ロンバケBBSでも徹夜で見た人がカキコしていた。
ふと、そういえば19日「未明」と言われていたのに、
どうしてこんな勘違いを思い込んでしまったのか、
自分のアホぶりを痛感し、自分の頭が信じられなくなった。
横になって寝ようとしていたころに、今回は絶対見ようと思っていた
流星群の乱舞が屋根の上で展開されていたなんて。。。

学校に行っても、見たという人はみんなすごかったと言う。
つくづく、バカな勘違いが腹立たしくくやしい思いに苛まれる。
ある先生が、朝教室に行って、「みんなきょうは寝不足かな?」と声かけたが、
それでわかるやつとわからんやつがいるようだったという。
「毎日(夜遊びで)寝不足です、というヤツも多いんじゃないの?」と茶化したが、
「でも、あれみんなゴミなんだよな〜、といったヤツはわかってるヤツだな」
「すごいこと言うね」
「勉強はまったくできんヤツだけどな。。。
 ゴミに願いごとするなんてばかだよな〜、とも言ってたぞ」
「う〜〜ん、なかなか本質を突いた名言かも知れん」
「そーかぁ〜〜??」
そうなんだ、屑や塵のためになに大騒ぎして徹夜までして、、、騒ぐこともないし、
悔しがることも、残念がることもないんだ、、、と思ってみたものの、
そんな風に考えてしまうのは、やっぱり淋しい気がした。
ちなみに私はまだ1度も、たったひとつの流れ星さえ見たことがない。



2001年11月18日(日) ロンバケ三択クイズ

ここ数日間、日記すら更新できず、諸所へカキコもままならなかったのは、
管理人名「しげお」なる人のHPに「ロンバケ三択クイズ」なるものがあって、
それにしっかりハマってしまったからである。
クイズを始めると、三択問題がランダムに出てくる。
間違ったり、制限時間内に答えないでいるとゲームオーバーになり、
自己記録更新なら順位表に正解数や挑戦回数、最終更新時刻が記録され、
自己記録に及ばなければ、挑戦回数と最終挑戦時刻だけが更新される。
問題はランダムに出てくるから、同じ問題が何度も出てくる。
けれども、初めて対面する問題の中には、基本的なものもあるけれど、
そんなとこまで見てねえぞ〜、というのもあれば、
ドラマを見ているだけでは絶対わかりっこないちょーマニアックなものもある。
最初はかなりてこずったものである。
しかも、最初は100問で始まったのが、どんどん新しい問題が足されて行く。
60何回目かで80問近く正解できたときは、奇跡かと思ったほどだった。
ところが、ある時ある人が777問で記録を作っていた。
驚くべきことだと思ったが、その日私もそのレベルになったのである。
出る問題出る問題、もう知った問題ばかりで、時間さえあれば無限に続きそうだった。
その時はもう寝なきゃいけないと思って、555問で止めた。
登録問題数152問、70何回目かの挑戦だった。

その時、こういう三択クイズの原理を知ったのである。
これは、見たことのない人でも最高記録を作ることができるのである。
おもしろくないだろうからそんなことをする人はいないけれど、できるのだ。
要するに、ことごとく間違えても、3回目には必ず正解できるわけだから、
問題数×2+1回目には、すべての問題の正解を知っている計算になる。
(もしこの公式違ってたら、橋本さん、教えてね)
実際には、ことごとく間違うことなんてあり得ないから、もっと少ない回数で済む。
全部の問題の答を知ってしまえば、気力と根性さえあればいくらでも記録更新できる。

だから、記録更新への興味はそれ以来なくなってしまった。
それでもさらに続けたのは、新たな問題が30数問つけ加えられ、
その新しい問題に対する興味のためである。
今ドラマを見ることができない代わりに、問題に接することによって、
ドラマのさまざまな場面を思い出して楽しむためである。
けれども、明後日DVDが手に入ったらドラマを見ることに専念する。
「やまとなでしこ再発見」のようなものをじっくり書こうかと思っている。
クイズについては「ロングバケーション」に入らざるを得ないので、
きょうはその決着をつけようかな、と思って2、3回挑戦するつもりで始めたら、
その1回でどんどん続いてしまって、とりあえずの決着をつけることができた。
先日777で新記録を作っていた人が、1111問で更新していたので、
私は1000問でやめておいた。登録問題数190問。挑戦回数99回。
2ケタ挑戦で4ケタ正解という記録はなかなか破られることはないだろう。
本当は100回挑戦目に1000問という数字を登録したかったのだが。。。
今度は数十問増えたところで、新しい問題に出会う楽しみをまた味わいたいものである。



2001年11月17日(土) 「死国」を読み終えた

きょうは、学校全体を文化会館に移動して、講演会で午前中が終わった。
私の仕事は、講演前に紹介ビデオ等をスクリーンに映し出す仕事である。
とんでもない故障があっては困るが、まあ概して楽な仕事である。
終わってから同僚たちとゆっくり昼食をとって、学校に戻った。
夕方には市吹に行かねばならないので、それまで時間を潰すことになる。
橋本・北の両名が昼食を終えて職員室でしゃべっていたので、
そこに割り込ませてもらって、かなり長いこと雑談を楽しませてもらった。
最近は「ロンバケ3択クイズ」に熱中していて何も書けない話をしたら、
北さんからぼろくそにバカにされてしまった。
彼らが帰ってしまい、授業の準備を簡単にすませ、市吹の楽譜の準備をしてから、
まだ時間があったので、「死国」の続きを読み始めた。

こういう本は苦手なので、家に帰ってから自室で読みたい本ではない。
昼間に、職員室で、休憩時間に時々読み継いできたのだった。
結局、夕食のために寄ったいつもの喫茶店で夢中で読み終えた。

この作品は「四国は死国である」というモチーフの下に、
古事記等の伝承、敬虔な信仰、狂信的な信仰、心霊現象等、
そして愛とか罪というものを、実に緻密に融合させた怪異小説である。
けれども、ばかげた作り物の怪異現象という印象を少しも与えない。
真ん中あたりまで読んだ時点でもつくづく感じたことだが、
本当に少しずつ少しずつ、じわじわと不思議の世界に入り込んで行くのである。
「リング」3部作はこれより夢中で読んだけれど、
こういううまさを感じさせてはくれなかった。
最後にヴァーチャルな世界のできごとだということになってほっとしたほどである。
この「死国」はそういう意味でかなり格調高い作品だと思う。



2001年11月10日(土) 「光射す海」

最近は、きちんと読み終えた本がなかった。
読み始めても放置してしまう。2、3日後には別の本を取っていたりする。
ドラマにかまけてしまったり、仕事や雑用が気になって読書時間も減っていた。
昨日の夕方、名古屋に向かう電車の中で読み始めた鈴木光司の「光射す海」は、
久々にあまり放置することなく、こまめに開いて引き込まれてしまった。
「リング」3部作のような、不思議で奇抜な話ではない。
精神疾患と、遠洋漁業、およびその遭難というものを通して、
人間の心というもの、生きるということ、そういう問題と取り組んだ作品である。

昨日名古屋に行ったついでに、ヤマギワで「王様のレストラン」のサントラを手に入れた。
とりわけ「ガルソンのボレロ」という曲を聴きたくて探していたのだ。
きょうの市吹への行き帰りにCDを通してくり返し聴いていたが、
典雅なムードの音楽を次々に聴くことができる。
下手をすればドタバタ調で品のないドラマになったかもしれない画面を
引き締めていたのは、幸四郎の物腰と、これらの音楽だったのである。

「Hero」DVDは数日かけて見終え、昨日第4話だけ再び見た。
はじめて見たのが第4話で、これで一挙に引き込まれてしまったのだが、
全編見直しても、特筆すべき味わいがこの回にはある。
けれども、じゃあこの回が最高なのかと問うてみると、そうは言いきれない、
他の何話かもそれぞれに優劣つけがたいよさがあって、どれもよいことになってしまう。
松たか子も「Hero」の舞子さん役がやはり一番美人で魅力的である。



2001年11月05日(月) 風邪に難儀する

昨日から風邪(らしい)に悩まされている。
昨日は市吹の本番があったので、実に困った。
市民音楽祭でたった15分の出番だとは言え、
演奏中にクシャミでも出てしまったら台無しである。
その出番の1時間ほど前に、クシャミ10連発、前々止まらなくて困った。
風邪薬を飲んだばかりだったけれど、鼻炎カプセルも飲んだ。
「こわいことしてますね」と団員に言われたけれど、ま、やけくそである。
とにかく、約1時間ほどの時間を無事しのげさえすればいい。

今朝起きたときも、顔の上半分があちこち痛い。
けれども、動けないわけでもないし、自習課題の用意はしてないし、
運営委員会で読書指導について話さねばならないので、出かけた。
授業中は、体の節々、特に腰がだるくて痛くて、
そうかといって、きょうの内容はぜんぜん座るチャンスができなくて、つらかった。
でも、日中は薬がよく効いていたらしくて、しゃべるのも億劫というほどではなかった。
夕食後に一挙に、眠気に襲われた。体もだるく、そこら中が痛い。
薬を飲んでベッドに入っても、寒気や節々の痛みに悩まされて、
このまま朝までうなされるように眠ることになるのだろうと思っていたら、
2時間ほどですっきり目が覚めた。
何やら、うなされるようにいろんな映像を見ていたような記憶があるが、
何も覚えていない。ただ、2時間前が別世界のようにすっきり目が覚めたのである。

まあ、こんな時に運営委員会で読書指導について話すのは気が重かったが、
実際のところ、朝の読書がこれほど困難なものにされてしまうとは予想しなかった。
私には何がそんなに難しいのか、不思議でしょうがない。
まあ、この件については後日改めて。。。


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