TENSEI塵語

2001年10月31日(水) 「ダブル・キッチン」を見終わった

夕食が早く終わったこともあって、最後の3回分を一挙に見た。
この終盤の展開はなかなかよくできていると思った。
だから、だいたい1話ずつしか見ないできたのに、一挙に見てしまった。
この終盤になると、子供が生まれて、子育てと仕事の両立とか、
そういう中での姑とのもめ事だけでなく、心の交流とか、母と子というテーマとか、
夫の海外赴任という問題の中で、家族のあり方とか、そういうものが、
続々と、たいへんコンパクトに描かれていて、前半の姑や小姑と嫁の、
やたらとムリしてこじれているような醜いほどの争いの物語ではなくなっている。
しかし、結局のところ、そうくり返して見たいほどのドラマではない。
智ちゃん見たさについつい最後まで見てきたけれど、
それほど興味のない女優がやってたら、1、2話見たらそのままおしまいになったに違いない。

「ダブル・キッチン」と「王様のレストラン」の智ちゃんは、見た目にキズがない。
というのは、「ロンバケ」でちょいちょい感じさせられるような、
ちょっとその表情、品がないぞ、とか、美人損なってるぞ、というような表情がない。
「ダブル・キッチン」で、出産の場面や風邪で熱出して寝込んでいる場面での、
懸命に苦しみに耐えている表情なども、実にかわいく映っている。
けれども、やっぱり「ロンバケ」の智ちゃんが1番魅力的である。
それだけ、あの葉月南という役柄が、複雑に揺れる心を表出しているからだろう。

役柄の説得力を与えるのに、女優の容姿(もちろん演技力は当然)は重要だけれど、
女優の魅力を引き出すのに、役柄の魅力というのが重要である。
「やまとなでしこ」の菜々子さまは特別崇拝クラスの魅力があるけれど、
「スイート・シーズン」の菜々子さまは、そうくり返し見たいとも思わない。
「ラブジェネ」のようにひとつのドラマでも、松たか子について、
これの前半の松たか子が1番いいと思っても、後半の彼女には魅力が半減し、
「ロンバケ」の松たか子にはほとんど魅力が感じられない。
もっとも、それは男優の場合にも言えることであるが。。。

「ロングバケーション」のDVDは11月21日発売だそうである。3週間後。
実に楽しみである。レンタルですでに3回見たにもかかわらず、待ち遠しい心境である。
もちろん予約しておいて発売日に手に入れるつもりである。
ちなみに、きょう、頼んでおいた「Hero」のDVDが手に入った。



2001年10月30日(火) 日本の「独立自尊」について

この日、北さんのBBSに書き込んだものを、こちらに写しておこう。
日本という国の「独立自尊」のあり方について北さんが書いていたので、
それに関連して、疑問をまじえて最近の願いを書いてみただけのものである。

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実に素朴な疑問なのですが、日本とアメリカの関係は、
日本が属国なのか、それとも、対等な立場での同盟国なのか。。。
たしかに、軍事力の有無という観点で見るだけで、日本は属国だと見るべきかも知れない。
国民レベルではともかく、政府や与党内では、
やたらとアメリカに対してペコペコし、サービスに努めていますね。

日本の「独立自尊」は、国家主義と再軍備などとそんな方向にだけ考えないで、
せっかく、アメリカのおかげで
軍事力を持てない平和憲法の下で暮らしていられる(?)のだから、
憲法論議をあやふやにし、歪めても、米軍について行きますよ、ではなくて、
別の平和的な方向からテロ対策に取り組みますよ、と堂々と言えるところに育つと思います。
それなのに、ひたすら顔色をうかがうようにペコペコしているのは、
アメリカに対して根深〜〜い負い目でもあるんではないだろうか、と疑いたくなります。
あるいはまったく反対に、再軍備、再軍国化に向けて、 実は国民の顔色をうかがいながら、
壁を少しずつ崩しているのではないかとも疑いたくなります。

まあ、平和憲法の国らしい国際関係が築けたら、「独立自尊」の国家になれます。
報復戦争後、各国が荒らすだけ荒らしておいて、後は知らん顔というような、
長年くり返してきた過ちをまたもやくり返すかも知れないけれど、
日本は支援活動を続けなければいけないし、
もし続けたら内外から「偉い!」と言ってもらえるでしょう。
(でも、日本だけではとてもやりきれん、とは思いますが。。。)
でも、アメリカが手を引けば、日本政府も手を引いちゃうような気がするなぁ。。。
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この日の天声人語には、政府の「軽挙」と「勝手読みと読み誤り」として、
イチローの国民栄誉賞と、テロ対策特措法をあげていた。
そうだそうだ!! と思いながら読んだのだが、本当にもう何考えてるんだか。。。
物事の本質をまったく見ようとしない連中が、日本の政治の最高峰にいるわけだ。
テロ対策問題でそう判定するのは、いろいろと迷いがあって難しいけれど、
イチロー問題について見れば、それは明らかだ。
そして、その傾向は別に今始まったことではなく、
今までにも何度となく、呆れはてさせられていたことでもある。



2001年10月28日(日) トレーナー解任の日

混成バンド練習会の最終日だったが、きょうは本番指揮者が来てくれたので、
私はいざという時の相談役で、ただ歩き回って時折指示するだけでよかった。
そういう点では楽な日のはずだったのに、ゆっくり眠る日がなかったせいか、
今夜も夕食後、あまり意識ないままに変な時間に眠ってしまった。。。

例年のことであるが、非常に正直な感想を言えば、
この日私は、それまで気づかなかったことを発見させてもらうこともある代わりに、
これまで作ってきた音楽を、つまらなくされているという思いに苛まれるのである。

ここ3、4年は、そういうものだと最初から割り切っているので、
これまでの練習も、この効果は半減するかも知れないと思いながら、
時には、アラルガンドなど必要以上にオーバーにやらせて楽しんだりしているけれど、
最初のころは、この日が来ると、予想外の展開にいたく落胆したりしたものだった。
そこ、そんなにあっさりやらないでよ〜、と身を切られるような思いをしたこともある。

プライドの高い人間なら、もうあんなヤツには本番を頼まない、と言うところだろうが、
私にはそういう意味での誇りはないので、このシステムを歓迎して維持してきたし、
他の役員が指揮者を変えようと提案しても、変えさせないで今まで続けてきた。

私にプライドがないのは、私が自信をもって主張できるのは、
音楽は心だ、という一点だけで、その他の専門的なところになると、
確実なものは何も持っていないからである。
私の音楽的な知識は、さまざまな演奏を聞いて、楽譜を見て、
そのくり返しの中で体感してきただけのもので、教えられたものは何もない、
だから、プラトン的に言えば、思いこみか、憶測程度のものに過ぎないのである。
早い話が、「音楽は心」に先立つ部分についての認識が弱い。
だから、心の高揚とか、しみじみ、ジワジワ、、、という点では人の演奏を批判するけど、
それは客観的な善し悪しではなくて、好き嫌いでしかないと思うのである。

また、指揮者を変える提案の中には、本番も私が振ればいいという意見が強かった。
そうすれば、大金を放出することもなく、組織運営も楽になるのである。
けれども、そればっかりはご勘弁を、と辞退し続けてきた。
本番指揮者に多少なりとも文句があるなら、自分でやればよさそうなものだが、
そうしなくてもよいから、気楽に無償でトレーナーをやっていられるのである。
練習時間がたっぷりあって、失敗の恐れも少なく、十分に意志疎通できているなら、
自分が本番を振れないことを口惜しく思うだろうが、
もしも今の状態で来週の本番で振れと言われたら、
私は1週間の間胃がキリキリ痛み、毎晩不眠に悩まされるのである。
技術的に確かでない寄せ集めバンドは、所詮単なる寄せ集めである。
10年前ごろ、何度か合同演奏会で合同演奏の指揮をして、
合同バンドのステージはもうこりごりだと思った。
ところが、プロが振ると、そこにさまざまなプラス要因が働くのである。
肩書きの力だけでなく、やっぱりステージでの振る舞いが堂々としている。
私などが振ってしまうと聴衆が聴いたままの演奏に終わってしまうけれど、
彼に振ってもらうと、そこに多くのプラス効果が加えられるのである。
そうして、毎年、たいへん危なっかしい演奏をしているにもかかわらず、
よく懲りることなく引き受けてくれているものだと、感謝さえしているのである。



2001年10月27日(土) 嫁と姑の闘い

清少納言が「ありがたきもの(めったにないもの)」として筆頭にあげたのは、
「舅にほめらるる婿。姑に思はるる嫁の君」である。
当時の貴族階級は、婿入りの通い婚が普通だったので婿が先になっているが、
現代の清少納言だったら、真っ先に嫁が来て、ついでに婿の方に言及したことだろう。
嫁と姑の確執なるものは、永遠のテーマ、普遍的な難題とまでは言わないとしても、
かなり長年に渡る難題である。

私は入り婿ではないけれども、妻の実家の敷地に二世帯住宅を建てて、
別世帯の形を取りながら、妻の両親と同居している。
それがもっとも気楽な立場であり、親も娘に老後を見てもらうのがベストだと思ったし、
私は次男坊である一方、妻は女2人だけの姉妹の長女なので、
何の迷いもなく、今のような生活をすることにしたのである。
ただ、私は夜中まで起きていることが多いので、迷惑を恐れて、
風呂・トイレ・台所・玄関を別にする二世帯家屋にしてもらったのである。
で、娘や孫と一緒に住めることを義父母は喜んでいるわけだし、
私の方は感謝され、何かあると叱られるのは妻の方である。

ところが、おそらく武家社会以来主流になった嫁入り婚の風習のために、
嫁というものは「忍従すべき存在」となり、様々なトラブルを生むことになった。

智ちゃんめあてに「ダブル・キッチン」というドラマのビデオを借りて、
1日1話ずつ見ながら、第5話まで見た。
このドラマの智ちゃんは、今のところかわいい表情しか見せてなくて、
そういう点ではこのドラマはいいのだけれど、
どうもこういう嫁と姑の闘いを描いたドラマは後味が悪くていけない。



2001年10月26日(金) ガラクタとの格闘

考査中に1度ざっとやった視聴覚室の備品点検を、きょうは念入りにやった。
こんな点検作業は、もう20年近く(あるいはそれ以上?)やってないに違いない。
視聴覚室保管品として登録されていない備品が20近く出てきた。
ひとつを除いて、もう今ではどうにも使いようのないものばかりである。
ちゃんと備品データに入っているものも、ひとつを除いて全部あった。
その内の10品ほどは、もうどうにも使いようのないものばかりである。
昔のものだけに、やたらと大ぶりで重た〜〜いものが多い。
それらをロッカーの中から引きずり出して、シールの番号を確かめるのである。
そのまま棄ててしまえばそれっきりになって平和なはずだけれど、
一応手続きが必要だし、そのまますぐにというわけにはいかないので、またそれを不自然な姿勢で持ち上げて、ロッカーに押し戻さねばならない。
そんな重労働の合間に、点検簿に書き込みをして行った。。。

何しろ、8ミリ映写機だけでも数台ある。
スライド映写機も3台ほど出てきたが、最近でも稀に使っている1台に比べて、
実にいかめしい風体をしている上に、2、3倍も重いものばかり。。。
見たことないような映画撮影機なんてのも出てくるし、アンプ内蔵スピーカーなども。。

実は、こういうのを引っ張り出してみては、何となく胸がときめくのである。
古きよき時代の遺物。。。
こんなこともできるのか、、、と斬新な驚きをもって迎えられた往年の利器。。。
私がまだ子どもだったころ、雑誌の付録に幻灯機なるものがあって、
紙で組み立てて、絵が描かれたセロファンのようなものを差し込んで、
裏から懐中電灯を突っ込んで壁に映して遊んだ、あの胸がときめく時間を思い出す。
そうして、あのころ、ちゃんとした機械の幻灯機だとか映写機などは、
恐るべき文明の象徴に思われて、父が町内の行事のために借りてきたりすると、
何と親父は偉い人なんだろうと感心しないではいられないほどだった。

それが今では、残骸のように目につかぬところに押し込まれ、
私にとっても、無駄な労力を強いるためにだけ存在する邪魔者でしかない。
けれども、あの数々の古臭い姿は、何となく郷愁をそそり、胸ときめかせるのである。
これらは、邪魔者に過ぎないけれど、棄てるには忍びない。
何かの折りに一部屋に陳列して、展示会を催したいほどである。
「映像機器の昔と今」とでも題して、その変遷を偲びたいところである。

そういう思いは容易には捨てられないけれど、
こんな煩雑な仕事を、後に引き継いでくれる図書主任に残すわけにもいかない。
こういう点検作業は、どう考えても余計な仕事である。
現に使っている機器だけをチェックすればそれで十分なはずである。
やっぱり、今年度中に廃棄するに越したことはない。
ガラクタはそういう備品だけでなく、はぐれた部品や付属品もある。
ちぎれたコードや、ぐちゃぐちゃに巻かれた昔のレコーディングテープなども
大事そうに放置されているのが、学校という建物の大奥の実態なのである。
今までさほど気づかないでいたけれど、今回、その杜撰さを痛感してしまった。
今年度中に何とかすっきり処分して、快適空間を作りたいものである。
次の図書主任になるはずの北さんか橋本さんのためにも。。。



2001年10月25日(木) 南に捧げる「Minami」

「ロンバケ」の最終回のコンクールの場面で瀬名が弾いた曲の入ったCDと楽譜を、
きょうやっと手に入れた。
楽譜の方は土曜日に「ロンバケ」ファンのBBSでヤマハから出ていると知ったので、
ヤマハのHPをたどって、かなり難儀して楽譜の情報にたどり着き、
そのまま注文して、宅配で送ってもらった。
CDの方は、火曜日の帰りにCD屋に寄って、曖昧に尋ねてみたら、
検索機で検索してくれて、曲名を頼りに1枚注文した。
その曲名の情報も、同じBBSのおかげである。

で、楽譜を見ながら数回聴いた。
ドラマの中では「HINATA Rhapsody No1 op.38」と紹介されるこの曲は、
CDや楽譜では「Minami」と南の名前になっている。
カデンツァ風の部分が多い曲だが、静かに切ないようなメロディーが2回入る。
この時に回想シーンが入り、演奏する瀬名の姿とそれを聴く南の顔が交互に映る。
そうして、この演奏は〈南のために〉弾いていることが強調され、
〈誰かのために〉弾くことができたおかげで、ブラヴォーと総立ちの拍手に迎えられ、
瀬名は、コンクールでの最優秀賞を受けることになる。

この、瀬名が〈誰かのために弾く〉というドラマの中に流れるモチーフは、
このドラマのもっとも嘘っぽいところでありながら、もっとも大切な要素である。
芸大の教授がそれを期待し、厳しいピアニストが瀬名の演奏にそれを感じたときに、
はじめて瀬名の演奏をほめたりする。
どうもここが無理な作り物のように感じさせるのである。
けれども、そうわかっていながらも、
ドラマの流れの中では感動させられて涙してしまうのである。
そうして、あの曲を画面なしでもじっくり聴いてみたいと願わせ、
CDや楽譜さえも求めさせてしまうわけである。



2001年10月23日(火) 自己嫌悪の夜

どうにも耐えられず、9時ごろに眠ってしまい、0時近くに目が覚めて、
シャワーを浴びて、明朝炊きあがっている予定の米を洗い、
再び睡魔の訪れるのを待ちながらウイスキーを飲んでいる深夜である。
どうもこのごろは怠惰である。
かつては仕事に追われていた、あるいは、仕事を見つけて加えていた時間帯に、
このごろは、ドラマや映画のビデオを見るか、眠ってるか、どちらかである。
以前と違って、本を読もうと思えば読めるのに、忘れがちである。
先週など、暇さえあれば「ロンバケ」だった。
ひたすら安易に流れてしまうのを怠惰という。

本当は、1日5時間必修授業のための闘いに本腰を入れて取り組むために、
もっと研究して資料を用意しなければならないのである。
こういうことは、水面下で「・・だといいのになぁ。。」などと
愚痴っているだけではいけないのである。
実現しない(教委はバカの集団だから理解不能である)のはわかっていても、
表舞台に出して、本当は県教委と徹底対決をしたいのである。
先日の、県教委からの学校訪問の際には、番狂わせに戸惑いながらも、
敢えて質問をした、そこまではなかなか思い切ったことができた。
その質疑応答によって、ますます闘争心がかき立てられたことも確かなのである。
何せ、彼らの〈指示〉には何の実質的な理由がないのだから。
けれども、どうも力が出なくて、自分もまた、
「・・だといいのになぁ。。」と愚痴って終わる愚かな人間になりそうである。
かつての闘争心はどこに行ってしまったのだろう。。。

明白な主張をしなければ、変革の可能性は生まれない。
今年だって、運営委員会で誰の援護ももらえなかったけれど、
執拗に反対意見を言ったおかげで、中学校の先生の授業参観と、
その準備段階の校内公開授業とやらをぶっ潰したではないか。
何事も、「嫌われても言うぞ」の精神でなければ、前進はないのである。



2001年10月22日(月) 昨日の疲れ

10月1日と同じ状況である。足腰の疲れがきょうもまだ続いている。
あの時と同じく、昨日は混成バンドの練習会だった上に、
あの時と同じく、練習会場は私の学校だったのである。
会場校になると実に大変なのである。何かと歩き回ることが多くなる。
それでいて、1日中ほとんど立ちっぱなしで指揮台で踊っている。
みんなが帰ってから、もうその時点で歩くのイヤ状態になっているけれど、
使った場所の施錠を見て回る。
やっとこさ事務室に戻ったところで、ある部屋の施錠を忘れたことを思い出し、
目の前が暗くなるけれど、また鍵を持ってとぼとぼと歩き出す。
ついでに要所要所の再確認をしながら事務室に戻り、さらに頭の中で再確認をくり返し、
ようやく意を決して警備会社に連絡し、施錠して玄関を出る。
家を留守にするときもそうだけど、何度確認しても不安が拭えないものである。
車に乗って運転席に座るときに、思わず呻き声というか叫び声を上げてしまった。
腰がペキペキと折れてしまうのではないかと思った。
妻の入院している病院に寄って3階の病室に上がるときに、
はじめてエレベーターを使わせてもらった。もう脚に力が入らない。
下りるときも脚がうまく曲がらないので、エレベーターを使わせてもらった。
病室のソファで横になってしゃべっていたら、ふわ〜と眠りそうになった。
夕食の準備は娘がしてくれていたので、台所には立たずに済んだ。
夜遅くに気づいたのだけれど、夕飯の時のビールを飲み残していた。
借りてあった「居酒屋ゆうれい」という映画を見始めたけれど、
気力が続かず、30分ほどで中断した。
昨日のこの日記に山口智ちゃんについて書き始めたけれど、途中で突然睡魔に襲われて、
中断したらしいことに気づいたのは今朝だった。(これはさっきつけ足しておいた)
きょうも一日中身体が重かった。。。
けれども、ああいう仕事なら、何の見返りもないけれど、そして後がつらいけど、
役に立てるだけ役に立ちたいという気持ちには変わりないのである。


「居酒屋ゆうれい」はさっき見終わった。
これも、今までと違った智ちゃん見たさに借りたビデオである。
ラストがさらっとほのぼのした感じだし、全体の雰囲気はいいのだが、
智ちゃんの魅力的なアップがほとんどなかったことと、
幽霊になって出てくる前の奥さんが智ちゃんと争えるほどの美人でなかったことと、
(これは、この映画の説得力のためには大事な要素だと思うのだが、、、)
エンドタイトル画面が、なぜ街の雑踏なのかわけわからない点など、
マイナス要因が多くて残念だった。

帰宅途中にCD屋に寄って、「Hero」のDVDBoxと、
キャグネットのCDを注文した。
CDについて店員に尋ねたら、検索機でいくつか検索してくれて、
その中から曲名をたよりに1枚選ばせてもらった。
その検索機は店に入ったすぐのところにおいてあるのに、
今まで20回は足を運びながら、全然気づかずにいた。
「やまとなでしこ」のサントラを頼んだときも、ここでデータを出してくれたのだと、
きょうはじめて気がついたのである。
「ロンバケ」の楽譜も一昨日BBSでヒントを得、HPで検索・注文できたし、
本当に便利な世の中になったものである。



2001年10月21日(日) 智ちゃんの魅力

きょうで「ロングバケーション」を返却し終わり、名残惜しいけどひとまずおしまい。
DVDが11月の初めに出るという噂もあるけど、調べてもはっきりわからない。
(「Hero」は出ていることがわかったので、近いうちに注文する)
ドラマの中で使われていた曲の楽譜やCDの情報を求めて昨日収穫があった。
サントラ盤に入っていない、瀬名がコンクールで弾いて泣かせる曲の入った楽譜を、
ヤマハのHPで注文した。他にも数曲入っているようだ。

「Close To You」という瀬名が南のために何度か弾く曲など、
それだけをCDなどで聞いていてもそれほど心に響いてくる曲ではないのに、
智ちゃんの表情を見ながら耳にしていると、ググッと胸に迫ってくる。

どうも、とびきりの美人とは言い難いところがあって、
笑いすぎると品がなくなるようなところもあるし、
妙におばさんぽい表情をするときもある。
でも、全体に、いい面してんなぁ、、、という印象で、結局惚れ惚れと見入ってしまう。
「王様のレストラン」の時は、そういう欠点が見えにくかった。
「ロンバケ」では、美人とは言い難い面がときどき明瞭に現れるのだけれど、
「ロンバケ」での葉月南役の方により惹かれるのは、
多彩な表情を見せてくれるからだろう。
桜子役の菜々子様が最高なのと同じような理由である。

第5話にこんな場面がある。
カメラマンの杉崎に、7、8年前から「けっこうファンだったから」と言われて、
舞い上がってしまった南が、昔の衣装をいくつか取り出して着てみていたらしい。。。
瀬名が帰宅すると、バニーガール姿の南が顔を出す。
私はこういう場面が出てくると、しょうもない場面に出くわしたな、と
鬱陶しく思うのだが、見ていたら、その演技のあまりのみごとさに感服、
巻き戻してくり返し見てしまったほどである。

「やまとなでしこ」では脇役たちがもっぱら喜劇をやっていたけれど、
「ロンバケ」では、喜劇をやっているのはたいてい南と、後輩の桃子である。
喜劇でない部分の智ちゃんもいいけれど、喜劇の部分の演技も実にうまい。
下にそのバニー姿のところの内容を書いても、その演技のうまさは、文字で表現しようがない。

「(顔だけ出して)お帰りピョ〜ン、お耳ピョ〜ン、(全身現して)しっぽピョ〜ン、
 ピョ〜ンピョ〜ンピョ〜ン、タラッタラッタラッタうさぎのダンス〜〜〜」
はねて踊る姿を呆れて眺める瀬名に、20歳のころこの衣装でシャボン玉して
かわいいポスター撮ったことがあるの、と説明する。
「そのまま街角行けば、あのカチカチ山の狸さんが連れてってくれるよ」
「またインテリなこと言ってる〜〜」
「別にインテリじゃないよ。誰だってカチカチ山ぐらい知ってるじゃん」
「カチカチ山の狸さん(と踊りながら歌う)・・・あれ? ゲンコツ山か。。。
 バキュ〜〜ン、女王様とお呼び! な〜〜んて。。。
 痒い!! ボーンレスハム状態(網タイツのせいらしい)。ちょっと脱ごう」
「ちょっと、、ねぇねぇ、、、ここで脱がないで」
「あ、そうか。。。
 (他の衣装を集めながら)ピョピョピョピョンピョピョンピョうさぎのダンス〜」
「・・・・ファッションショー??」
「へへへへへ、、、たまにはねー、自分の劣らぬ魅力を確かめてみようと思ってさーー」
「・・・いいことあったの?」
「(うれしそうに)何でわかんの?!!」
「顔で打ち上げ花火バンバン上げてたら誰でもわかりますよ」
「ドッカ〜〜〜ン!!! ピーヒャラヒャラヒャラ、ピーヒャラヒャラ、
 打ち上げ花火〜〜、仕掛け花火〜〜、線香花火〜〜(と踊っている)」
ここで瀬名が、杉崎の撮った南の写真を見つけて手にとって見つめると、
みなみはますます嬉しそうになって、
「あ、、、あら?・・あら???・・・ふーー、ひ・み・つ、し〜〜っ。
 ひ・み・つ、ひ・み・つ、ひみつのウッ・ウ・ウン、
 来週もまた見てね〜、バ〜〜イ!!(バニーのしっぽを投げて部屋に入る)」
で、すぐにまだドアを開けて、顔だけ出して、
「ね、知りたい??」
「何を?」
「南ちゃんの秘密」
「別に・・・」
「あ、そ。。。」
と引っ込むが、今度は着替えた姿で顔だけ出して、
「ねぇ、、、」
「何??」
「ホントは知りたいんでしょ?」
「・・・ホントはしゃべりたいんでしょ」
「バ〜レ〜た〜か〜〜!!(と、満面の笑みで瀬名の前に出てくる)」

・・・まだまだ続くが、これぐらいにしておこう。
こんなぐちゃぐちゃなセリフの連続を、実にリズミカルに、あるいは絶妙な間を取って、
芸術品と思わせるような一場面に仕上げている。

それから、最終回のエンドタイトルのバックに蛇足のような朗読が入るが、
余分だなぁ、、、と思いながら聞いていて、いい声だな〜〜、と思った。
劇中は乱暴な言葉が多いのであんまり意識することがなかったのだけれど、
実は、この声から受ける心地よさも演技の補助的役割を果たしているのだろう。



2001年10月17日(水) 妻の手術の日

昨日、理事会の最中に入院中の妻から電話があって、
1時からの予定だったのが3時からになったというので、今朝11時まで勤務に出た。
行くまでもないかなぁと思ってたけど、案外いろいろと仕事があって退屈しなかった。

午過ぎに病室に行くと、腹が減って憔悴しきった顔をしているだろうと思ってたのに、
いつもと同じ表情で、いつもと同じ会話をしていた。
一昨日入院したときから、医師や看護婦たちから、
「心配ないですよ〜〜」攻めなんだ、かえって不安になる、と言って笑っている。          

まったく心配ないわけではないけれど、生死にかかわるような心配はしていなかった。
そんなことがあるわけないと信じていたに過ぎないけれど、とにかくそれはなかった。
心配なのは、手術中のトラブルであり、大変な思いを味わわせるのではないか、だった。
大体において、出産の時もすんなりと生まれたことはなかったようだし、
親不知ひとつ抜くのにも、私などは歯医者でその場で抜いて、
痛み止めの薬を飲む必要もなく、翌日にはケロッとしていたのに対し、
妻の場合は大学病院で実に大がかりな抜き方をして、つらい思いをしている。
こういうことになると、何かと不運な女なのである。
手術はきっと予定より長引くだろうし、
途中、医師から相談を受けることにもなるかもしれないし、
そうすると、何か苦しんでいる姿を想像して不憫になるという心配はあったけれど、
医師から何を言われても、お任せしますと答えるしかないということは明らかなので、
先走りして心配したってしょうがないことだった。
だから、手術の時間が来るまで、のんびりとふだんの会話をしていた。

手術中病室で待っているように言われたけれど、
狭苦しい部屋でただ待っているだけでは時間が長くてしょうがないので、
病室を出たすぐのところにある、患者がテレビを見に集まる場所にいた。
時折テレビに目をやりながら待っていた。
テレビでは裁判官の正義を扱ったようなドラマをやっていた。

手術は4時に始めて、5時ごろ終わると言われていて、
4時40分頃に、まだまだだなと思って座り直した途端に、
看護婦に名前を呼ばれて、話があるので手術室の入り口へ行くよう言われた。
やっぱり来たか、、、と緊張していた。
やっぱり変に余裕かましていると、心配が当たるもんだと思った。
ま、どんな状況でどんな提案をされても、落ち着いてお任せするのだと、
覚悟を決めて、階段を下りて、手術室に入って、待っていた。

2、3分待たされて、執刀医が出てきて、そして説明を始めた。
万事、予定したとおりに手術が終わり、何の問題もなく、輸血の必要もなかったと言う。
奇跡のような気がして、思いがけないほどの安堵感がわき上がってきた。



2001年10月16日(火) テレビドラマと映画

日曜日から3日かかって「ロンバケ」第2回から最後まで見直した。
DVDが出ているなら、「やまとなでしこ」の時のように「再発見」を書きたい。
でも、この目の前のテレビデオは性能が悪くて、取材が大変厄介である。
せめて、返却前に、もう1度第1回から見直しておきたいものだ。

概して映画よりもテレビドラマの方に惹かれるというのも、変な気がする。
費用からいっても労力からいっても、映画の方がレベルが上、という先入観のためか。。。
テレビドラマなどは所詮はお茶の間の慰みものという先入観もある。
そりゃあ、「ベンハー」のような映画を見てしまうと、映画崇拝もしてしまうけど、
この半年を見る限り、テレビドラマの方がハマる確率が高い。
考えてみれば、映画製作者よりも、テレビドラマ製作者の方が立場がつらい。
映画だってヒットさせるのは大変なことだろうけど、
それ以前に、映画の観客は1度座ればたいていは最後まで見てくれる。
評判を聞きつけて券を買ってくれるまでが最大の勝負なのである。
それに対して、テレビドラマは、つまらなければ次回続けて見てもらえないだけでなく、
いつチャンネルを変えられるかわからない。
だから、常に視聴者との勝負を迫られて作られているのである。
逆に言えば、私などはドラマ製作者の引きつけたら放すまいとする手管に
まんまとひっかかっているとも言えるだろう。


第9話でもっとも泣けるのは、南が1週間の秘密の練習の後、
ピアノを棄てようと決意している瀬名の前で不器用にピアノを弾いている場面。
第10話でもっとも泣けるのは、コンクール予選の演奏場面。
回想シーンが入るので、これにやられる。
また、ソファに寝そべった南が電話で瀬名のピアノを聴いている場面。
最終話は、コンクール最終選考の演奏場面。回想シーンももちろんだが、
合間に何度も大写しになる智ちゃんの顔が何とも魅力的。
こういうホールでの演奏シーンというのは、現実とのギャップができすぎて
少々安っぽくなりがちだけれど、ドラマではその状況自体よりも、
そこまでの過程がものをいうし、それを意味深くさせているのが南の表情なのだ。
そうやって、少々ムリのある場面をさまざまな要素でカバーしてできあがるのが、
ドラマ作りというものの奇跡なのだ。(だから映画「砂の器」も重宝せざるをえない)
もちろん他にもいい場面はいくつもあって、気の利いた脚本のおかげである。



2001年10月14日(日) 「ロングバケーション」

昨夜、市吹から帰ってビール1本飲み終えたときには久々に早寝の予感があったけれど、
ついちょっとだけのつもりでドラマを見始めたらやめられなくなって、
結局朝の5時過ぎに、やや暗い水色に染まり始めた空を眺めてから寝た。

昨日の昼の帰宅途中にレンタルに寄ったら、第2、3巻は借り出されて抜けてたけど、
とりあえず4〜6巻を確保しておくだけのつもりで借りておいた。
本当は1回分も飛ばして見るのが嫌いな性格のはずである。
テレビで放映時に連続ドラマを見たがらないのも、そのためである。
だから、2、3巻が借りられるまで取っておくつもりだったのである。
4回分もとばしてしまったらぜんぜん話が見えないだろうな、、、と思いつつ、
それでも、ついちょっとのつもりで第6話を見始めたらやめられなくなった。
瀬名が涼子に振られる場面から始まっている。
第1話で、女と2人連れで瀬名の部屋に何度も電話をかけていた男は、
てっきりその段階では逃げたアサクラかと思わせていたのに、南の弟だったらしい。
そして、涼子はその南の弟の真二に恋をしてしまったらしい。
たぶん第2〜5話は、大まかには、瀬名の涼子がいい感じに進行しかけながら、
南の弟である涼子の心を奪われてしまうという皮肉な経緯が描かれていたのだろう。

それにしても、最後の3話あたり、ちょいちょい半端でない泣かされよう。。。
これは「やまとなでしこ」以来の感触である。
ふと、タイトルの中に脚本家の名前を見たら、北川悦吏子だった。
数年前「素顔のままで」というドラマでさんざん泣かせてくれた人と同じではないか。。
ドラマの開始を花嫁姿で走らせていたので、最終回でもきっともう1度
智ちゃんを花嫁姿で走らせるに違いないと思っていたら、
微笑ましく走らせて幕を閉じたところもなかなかいい結末。
一眠りして起きた後も、いいドラマを見た後のいい感慨に包まれている。
第2話からもう1度見直したいと思うけれど、そんな時間が取れるかどうかは不安。。。


(つけ足し)
金曜日に第1話を見直していたのだが、本当によくできていると思った。
たとえば・・・

ある日、南は1日部屋にいて、瀬名との契約を破ってかかってきた電話に応対していた。
瀬名の留守中にかかった電話は、南に出てほしくなかったものばかりだった。
涼子からのはじめての電話、コンクールの落選の報告・・など。
瀬名としては、約束破りのためだけではない怒りが湧く。
ところか、口論の末、南が出ていこうとしたときに、
瀬名は南が転職用に書いた履歴書を見て、その日が南の誕生日だったことを知る。
南はそれまで誕生日には欠けることのなかったアサクラからの電話を待っていたのだ。
・・・それで、それまで出しゃばりのお調子乗りとしか見えてなかった南の姿が一変する。
それだけでなく、昼間ぐったりとソファに寝そべっていた姿も意味深くなる。
すべては切なくはかない思いが実現しないつらさを帯びているのである。
「実はアサクラからの電話を待っている女」として見直してみると、
その一連の場面がそういう思いを秘めて演じられているのである。
呼び戻そうと弾く瀬名のピアノに呼び戻された南は、
「人前では弾かないんじゃなかったの?」とかわいげのない質問をする。
「誕生日とクリスマスは別」と瀬名が答える。
ちょうどその時電話がかかるが、この時視聴者は電話の主はアサクラだと思っている。
電話に出るのをためらう南を瀬名は強く促して、南は電話に飛びつく。
・・・ここで静止画面になって第1話が終わるのだが、
この第1話でアサクラだと思いこまされていた人物は、どうやら南の弟だったらしい。
まだ第2話を見ていないので、この後どういう反応をするのかは知らない。


(さらに・・・)
夕方、第2、3巻も借りることができたので、第2話を見た。
↓これはなかなかいいやりとりかもしれない。

南が映画「卒業」について、こう言い出す。
「逃げた方はけっこうドラマだけど、逃げられた方ってどうなったんだろうね」
長い沈黙の後、瀬名が言う。
「脇役にはスポットライト当たんないじゃん。。。。
 脇役のことなんてカメラ追いかけないし。。。 鉄則だよ」
「映画の?」
「・・・人生の・・・」
そして、南の悲観的なセリフ。
「いつになったら出番が来るんだか。。。 何やってんだろ、私。。。」
「・・・こういうふうに考えんの、ダメかなぁ。・・・長〜〜い、お休み」
  (これが、題名の意味だ。ドラマの終盤で瀬名がコンクールに挑むとき
   僕の長い休暇を終わりにするのだと言っていた)
何やってもうまく行かないときはある。
「いつも走る必要ないと思うんだよね。神さまがくれたお休みだと思ってさぁ。
 ムリに走らない。焦らない。がんばらない。自然に身を委ねる」
「そしたら・・・?」
「よくなる!」
「ホントに・・・?」
「たぶん!」
ここで智ちゃん(南)のさわやかな嬉しそうな笑顔だ。
「乾杯」「何で・・・?」「・・・なんとなく・・・」(嬉しそう。。。)

ちなみに、この翌朝、アサクラからの結婚報告ハガキが瀬名に届く。
瀬名は南に見せないようにするが、南は察して奪い取ろうとする。
もみ合っているうちにハガキは破れ、瀬名は敗れた片方を見せまいと、食べてしまう。
その努力にもかかわらず、南にとって絶望の朝になったことには変わりない。。。
この時の泣きようには、虚ろな雰囲気がある。



2001年10月11日(木) ドラマあれこれ

今朝、車を走らせていたら、ラジオからすご〜〜く懐かしく心にしみいってくる
ストリングスのメロディーが。。。
菜々子さまの顔が自然に浮かぶとともに、アナウンサーが曲名を告げた。
前奏が終わり、「すれ違うときの中で あなたとめぐり逢えた」と歌い出す。
聞きながらついうるうるしてしまうのは、歌だけの力でなく、
私自身が〈パブロフの犬〉的状態に陥ってしまうからだろう。
巧妙な回想場面でいっそう泣かせるドラマだっただけに、
聞きながら自然とさまざまな場面が浮かんでくる。
これもやはり条件反射だ。
そろそろ、もう1回見てもいいかな・・・? いやいや、まだまだ。。。
間隔をあけ、その間にいろんなドラマを見、いろんな女優を見て、
それからまた「やまとなでしこ」を見てみたいと思っている。

昨日、「ロングバケーション」を借りたかったのだが、穴あきだったので、
松たか子主演の「見合い結婚」というドラマを借りた。
見始めたけれど、どうもおもしろいドラマと言えない。
第1回を見ている間にも退屈してくるし、続きを見たい欲求もそれほど起こらない。
松たか子も、今まで見た3作ほどの魅力はない。
こういう場合、どこでどうなるかわからんと信じて、何はともあれ見続けるべきか、
1、2回で放り出してしまうべきか、迷ってしまう。
時間のムダだけは味わいたくないものだ。
けれども、ひょっとしたらだんだんと、、、と思わないでもないし。。。

その4巻を借りようとしたら、5本借りると1000円になって4本借りるより安いと
店員に言われたので、「ロングバケーション」の第1巻だけを加えて借りてきた。
これは、「Hero」で気に入ったキムタクが主演で、松たか子が脇役に入り、
「王様のレストラン」で頗る気に入った山口智子がヒロインに入っている。
私のタイミングとしては、とても贅沢なキャスティングになっている。
きょう帰ってから見てみたら、なかなかおもしろい第1回である。
いきなり白無垢の花嫁が街中をなりふりかまわず走っている場面から始まる。
式場から逃げ出したのかと思っていると、相手が式場に来ないのだという。
その結婚相手の部屋にたどり着くと、同居していた瀬名(キムタク)しかいない。
その結婚相手のアサクラは、結婚式の朝に別の女と旅立ってしまったのである。
花嫁の南(山口智子)に別れの手紙を残して。。。
(結婚したら「あさくらみなみ」になる、というジョークも含まれている)
それから南はいきなり瀬名の部屋に押しかけてきて、
アサクラの住んでいた方の部屋に住み始める。。。
(たぶん、アサクラからの連絡を期待してのことだろう)
一方の瀬名は南と同居を強いられながら、
音大ピアノ科の後輩の涼子(松たか子)に淡い恋心。。。
・・・「見合い結婚」と違い、こちらは実におもしろいドラマになりそうな予感。

「Hero」と「王様のレストラン」はDVDが出たら買いたいと思っている。
「ラブジェネ」は前半は松たか子もストーリーも魅力あるけれど、
後半のごちゃごちゃがどうもよくない。

それにしても、ウェディングドレスで街の中走った菜々子さまも大変だったろうけど、
白無垢姿でやけくそに街の中を走った智ちゃんはもっと大変だっただろうな。。。



2001年10月10日(水) 県教委からの訪問の日

国語科と理科には授業参観も予定されているということで、他教科から同情され、
先週すでに10年以上ぶりに指導案らしきものを書かされ、多少は気が重かったが、
指導案はほんの30分くらいの間に書き殴って出してしまったし、
きょうも参観などよりも、時間内に試験範囲を終わらせることに専念した。
そんなことにそう神経使ったってしょうがないし、
参観されたって、ふだんのまんま授業するしかない。
それにしても、試験の前日なんかに来るものだから、
そんな日に来ることにしておきながら、自習はいかんと強く要請されるものだから、
生徒にもちょっと無理させることになってしまった。
このあたり、もうちょっと融通きかないものか。。。 迷惑な話である。
このために、授業に行っている全クラスにわざわざその教材を差し込んだのである。

おまけに、国語科での「指導助言」、運営委員会での「指導助言」なるものに、
午後の2時間参加させられてしまい、試験問題の仕上げの時間を奪われた。
もちろん、そのために午後の授業を午前中に移動されたのである。
まったくもって迷惑な話である。

この日のために、先週、質問状を提出しておいた。
1日の必修授業拘束時間を5時間とし、その後自由選択授業とする私案について、
それが認められないものであるなら、その理由説明を求めたのだった。
国語科の時間にはその話はまったく出なかったので、
次の運営委員会の前に教頭に確かめたら、質問状は渡してあるという返事だったので、
そこで出るかと思ったら、まったく無視されていた。
教頭が閉会宣言をしようとするので、それを遮って質問せざるを得なかった。
質問状を提出してある旨をまず説明したけれど、
県教委からの客はいぶかしげな表情をしていた。。。
どういうことだこれは??? と思ったけれど、とにかくまず説明するしかない。
口頭で手短に説明できる考えではないので質問状を書いて渡したのに、
それを、時間に追われるように手短に説明したって真意が伝わるわけがない。

県教委の答弁はこうだった。
学力低下を防ぐため、また、学校によって帰宅時間が異なっては問題になるため、
一昨年から教務主任会議で、週30時間以下にならないようお願いしている。
国の最低基準は3年間で74単位でも、その運用については県で定めることになっている。
県で定める週30時間の方が絶対だと思って欲しい。。。

これが、2度3度のやりとりの中で明らかになった答弁である。
さらにもっと突っ込もうとしたのだけれど、うち切りたい様子がありありなので、
「もう少し勉強してみます」と答えて、その場は引き下がるしかなかった。
とても「わかりました」などと答える気にはなれなかった。
そして、体裁繕いのごまかしと詭弁に過ぎないことを確信したのだった。
今後、どう闘って行くかを考えなければならない。
やっぱり、分会の理解を得られるなら分会と相談しながら進めるしかない。
井戸端会議的な賛同者を何人か得たところで、現実化は難しい。
10年前、私が単独で始めた運動に、
組織的な協力を得てやっとの思いで困難な問題を実現できたからこそ、
あの後、志を曲げて組合活動に参入したのではないか。

まずは明日、質問状の行き違いがどのように起こったかを、教頭に問い質さなければ。。。
もしも、伝わっていながら黙殺しようとしていたのであれば、許さない。
彼らがいかに自分たちの政策に弱みを持っているかを露呈しているようなものだ。



2001年10月09日(火) 戦争反対、だけれど。。。

夕方のラジオでこんな話をしていた。
千葉県のある女性グループが、ニューヨークタイムズの1面に、
報復攻撃反対の広告を掲載してもらうことになっている。
この広告料は千数百万円かかるそうだが、交渉して千二百何十万円かにしてもらえた。
そのための資金は、インターネットなどを通じてのカンパで、
たったの2週間ですでに1900万円以上集まっているそうである。
もう支払いも済ませ、9日のニューヨークタイムズに載る予定だそうだ。

タイミングがよくないけれど、この運動自体はすばらしい力である。
この運動の中心となっている女性が電話のインタビューに答えていたけれど、
(それにしても、このヤマダトオルというアナウンサーの応対はひどい。
 呼び出しておいて、相手の意見をしっかり聞かずに、自分の意見をかぶせてしまう)
アメリカの世論は94%空爆を支持というのも怪しい、という。
なぜなら、自分の100人近いアメリカの知人が、みな反対しているから。。。
(確かに、少なからぬマスコミ操作が働いているに違いない)
そして、貧富の格差是正と、裁判による公正な判断が先決だという。
・・・そこまでしか主張が聞けなかった。アナウンサーが遮るようにしてしまったので。

私自身、「目には目を」には目もくれず「左の頬も」に心酔した人間である。
「汝を迫害するもののために祈れ」に心酔した人間である。
どんな形であれ、戦争というもの、武力というものを根絶して欲しいと願っている。

けれども、裁判・・・麻原の裁判でさえ、もう何年続いていることだろう。
幸いにも、オウムは本来テロを目的として集団ではないので、事なきを得ている。
非常に懸念するのは、たとえビンラディンの身柄を拘束し、裁判へと向かうにしても、
その公正さを保証する条件づくりのためだけでも、どれだけの時間を費やすことか。。。
そして、裁判に何年を費やすかわからない。
その間に、ビンラディンやアルカイダ幹部の解放を求めて、
世界中でどれだけのテロが行われるかわからない。
オウムと違って、彼らはテロを目的とした集団なのである。

難民支援、経済支援、、、こういったものを地道に続けて理解を得ることは大切だ。
けれども、現状ではそれ自体も危険をはらんでいる。
もっともっと以前からすべきことだったのだろうけれど、
問題は、現状からどうすべきか、なのである。
仮にそれがうまく行ったとしても、孤立するテロ集団は、
ますます「聖戦」を展開するのではないだろうか。

報復攻撃にも決して賛成はできない。
けれども、話し合い、裁判、支援、という理想論も、現状では甚だ無責任に思われる。
ただ、報復攻撃反対を唱えるのも、無責任に思われる。
どの道を選んでも、報復テロは避けられないのではないか、とそんな気がする。
そして、どうあがいても、攻撃は、とにもかくにも始まってしまったのだ。

それでは、どうすればいいのか。。。
そんなことがわかるなら、報復攻撃には最初から断固反対している。
むしろ、今までの歴史が、平和的解決を拒否させているのではないか、と。。。
日本が戦争放棄するために、半世紀余り前に泥沼を経験せざるを得なかったように、
今回のこの泥沼が、最後の「聖戦」になることを祈るしかないのではないか。。。
そうして、その後で、多くの犠牲者たちのために、
昨日引用したような「負の連鎖を断ち切る努力」なるものを世界中ですべきだろう。

・・・しかし、そう願うにも、中東の対立の構造はあまりにも複雑で根が深すぎる。。。



2001年10月08日(月) アメリカの空爆始まる

橋本さんちでeichan の「ついに始まりました」のカキコを見て知って、
午前11時のニュースを見た。
夕方、午後5時のニュースも見たけれど、報道内容にあまり進展はなかった。
日本時間で午前1時30分(アフガンあたりでは昨日の午後9時ごろだとか)ごろに、
空爆を開始したそうである。
湾岸戦争の時のような、実況中継のようなことはやらなかった。
ニュースステーションで、「空爆は大成功だった」との記者会見が映された。
アフガニスタン側は、20数名の市民が死亡したと伝えている。
ただ、攻撃方法は、テロ組織の拠点とタリバンの軍事施設に対して、
かなり精度の高いピンポイント攻撃に限定しているようだ。
一方で、難民向けの食糧等の支援物資の投下も始めているという。
むしろ、それを可能にするための対空攻撃の拠点を潰すのも空爆の目的のひとつという。
パキスタンの反米デモが激しくなっている。

いつどこで映したのか定かでないビンラディンの声明を収録したビデオが放映された。
「神に導かれた何人かのものが、アメリカを攻撃した。
 アメリカの人民はそれに怯えているが、彼らにとっては一時のもので、
 イスラムは80年もの間、その苦しみの中に置かれている。
 アメリカが我々に軍隊を向けているが、イスラムはアメリカと徹底的に闘う」
・・・というような趣旨の演説ではなかったかと思う。
イスラム社会全体との戦争なんてことは大変なことなので、
アメリカとしては、あくまでも対テロリズムということで国際理解を得たいところだが、
ビンラディン側としては、イスラム対アメリカという図式を作りたいようである。
この声明とパキスタンの暴動やイランなどの反米感情の高まる様子を見ると、
堂々めぐりの蟻地獄的な様相といったものを感じてしまうのだが。。。


昨日の新聞の「私の視点」欄の豊下楢彦氏の文章を引いておこう。
「米国はイラン封じ込めのために80年代からクウェート侵攻の前夜まで
 膨大な軍事援助をイラクに供与し、
 生物化学兵器を含む軍事技術関連の輸出総額だけでも15億ドルに上った。
 この結果、制御不能の地域軍事大国が建設されて、
 それは今なお米軍のサウジアラビア駐留の根拠とされ、
 その駐留がビンラディンの卑劣なテロ宣言の口実とされているのである。

 米国は同じ轍をアフガニスタンでも踏んだ。
 86年、米中央情報局はソ連に対抗すべく、世界中からイスラム急進派を
 パキスタンに結集させてテロ活動のノウハウと武器を全面的に供与することにした。
 結集した3万5千人の急進派の中にビンラディンがいたことはよく知られている。
 さらに米国は、94年にタリバーンが登場して以来4年近くに渡り、
 イラン封じ込めとパキスタンに抜ける石油パイプライン構想という思惑から、
 抑圧的な同政権を支え続けたのである。
 将来の脅威を育成するという誤りが再び犯された。

 ところが、同様の事態は今もくり返されつつある。
 コソボ問題で米国は、ミロシェビッチに対抗すべく、マフィアと結んだ
 テロ集団と認定していたコソボ解放軍に援助を与えて軍事的に利用した。
 こうして勢力拡大したこのテロ集団の浸透によって、
 今や隣国マケドニアがバルカンの新たな火種になりつつあるのである。

 米国市民の大半はこうした非公式の軍事活動を知らないであろう。
 しかし、敵の敵は友、といった場当たり的な対応が結局は反米感情を生み出し、
 反作用として米国に跳ね返ってくるという構図を断ち切らない限り、
 それこそ悲劇は無限にくり返されることになるであろう」

だから、「途上国の民衆の反米感情を取り除く方策」と、
「負の連鎖を生み出す米国の外交政策の再考」を直言することこそ、
湾岸戦争の轍を踏まないように心がける日本が本当にやるべきことだ、と言う。




2001年10月07日(日) 「王様のレストラン」を見始める

数年前から見よう見ようと思っていたけれど、そのまま忘れてしまっていて、
(ある夕方、1回分だけ再放送を見たことはあった)
最近いろいろとレンタルで物色するようになってから見つけたのだが、
本当は、松たか子の出ているドラマを借りようと思っていたのだった。
「ロングヴァケーション」も「見合い結婚」も「ひとつ屋根の下2」も、
誰かが中途半端に借り出していて、しかも全部1巻がないので、
今回はこの親父が主演しているドラマを借りることにしたのである。

歌舞伎役者でもっとも好きなのは、幸四郎と玉三郎である。
学生時代に見た、幸四郎の「盛綱陣屋」のクライマックスの演技が圧巻だったので、
それ以来幸四郎の歌舞伎のファンなのだが、現代劇での印象は、
日生劇場で見た「ラ・マンチャの男」もよかったけれど、
こうして現代劇の舞台で演技を見てみると、声の小さめなのだけが気になった。

ドラマで聞く声も、甲高い優しいような声なのに、不思議な力が芯を通っているようで、
どんな些細な場面にも、いちいち説得力や存在感が感じられる。
洗練された物腰も、まったくさすがと言うしかない。

ドラマはたいへんおもしろい。よく笑わせてくれながら、
誠実・優しさ・熱意といったものを核に、店のスタッフたちがまとまって行くという。。。
森本レオのとぼけたようなナレーションが、ちょっと不吉な予告をほのめかして、
「それはまた、別の話。。。」などと締めくくるので、つい次回が気になってしまう。
ふてくされたシェフ役の山口智子が実にいい感じで、素直でない役柄を好演している。
時折見せる前向きな笑顔はもちろん、ふてくされて文句を言っている表情も、
ヤケ気味に煙草をふかしている表情も、それぞれにたいへん魅力的である。
きっと、このヒロインがもっとも素直な笑顔を見せてくれるようになるのを
楽しみに見続けることになるのだろう。



2001年10月05日(金) 「大脱走」を見た

ず〜〜っと前に廉価で出ていたときに買って、本編が3時間近いのでためらって、
そのままず〜〜っと忘れていたのを見つけて、今夜やっとこさ見たのである。
(意外とこういう名作の定番を見ていないのである)

ほとんどムダを感じさせない、緊密に構成された映画だと思った。
あとで、撮影しながら台本が作られ、それも複数が常に作られ、
これといった台本が存在しないのだと知って、とても驚いた。
でも、日ごろ、多くの映画に余計な会話を感じてしまう身には、実に心地よい作品だった。

実はずっと長い間、この映画は大脱走成功痛快アクション映画だと思いこんでいた。
ところが、次々と脱走者が捕らえられて行く。まとめて銃殺もされる。
主演なのかどうなのか、筆頭出演者とでも言うべきマックィーンも捕らえられる。
250人脱走の予定が、76人しか逃亡できず、捕まらなかったのは3人だけ。。。
大脱走大成功痛快アクション映画を期待していた限りでは、何かつまらない結末。。。
ところが、ふと、映画の中に出ていた「後方を撹乱する」という言葉を思い出した。
何と浅はかな先入観を抱いてみていたことだろうか。。。
この映画を、ドイツの敗北へと後方から支援するための「偉大なる脱走」として見直すと、
実に感動的な戦争映画として、心に迫ってくるのである。
そういえば、最初の方に、「脱走は捕虜の任務だ」というような意味の台詞もあった。

どの物語を読んでも、どの映画を見ても、ゲシュタポの鉄壁を破るのは至難であるが、
それを承知で後方撹乱の使命を、国籍を越えて綿密に協力・遂行した物語。
・・・このところ、美人女優追求志向が強かったけれど、
男ばかりの何の色気もない映画でも、これほど集中でき、感動できるのだった。。。



2001年10月02日(火) とりあえずフレッツに接続

8月にケーブルへの移行をあきらめた(8月30日参照)が、
9月に入ってからNTTからフレッツへのお誘いがあった。
とにかく、このままの状態ではいけないわけだし、
ISDN のままで、NTT側での切り替えだけでここでの工事はいらないから、
とりあえずお願いすることにした。
無制限で2900円だが、ここ何ヶ月間、この部分の料金だけでもこの倍は払っている。
ソネットの方はもうとっくに無制限にしてあるから、これで接続時間を気にしなくてよい。

ところが、切り換え日の昨日、何度やっても接続できなかった。
調べてみると、Opentransport のせいかもしれないし、TAのせいかも知れない。
もちろん、設定のせいかも知れないのだが、それは多分大丈夫だと思った。
推奨のfreePPP をダウンロードしようといろいろ試みたが、
なかなかそういうページにたどり着けないし、これはMacOS 以前の
漢字トーク時代のものだったはずなので、これが原因というのは信じがたかった。
かといって、TAのせいだというのはあまりに酷いではないか。
TAは使えるはずだ、それより、まだ切り換えられていないのではないか、
と、昨日の段階では結論した。

きょうは早めに帰宅して、NTTに電話した。
説明を聞きながら、Opentransport の不具合というのはもうないらしいので、
要するにTAが古すぎて対応していないということを認めざるをえなくなった。
電話を切ってから、提案されたその他のことを確認してから、
もう1度、今まで使っていたTAについてのHPを回って、
やっぱりこれが接続不能の原因に違いないと確信するに至った。
なぜなら、今まで使っていたTAの製品情報は、検索からは得られるけれど、
その会社のHPからはどうしても得られない、見捨てられたものだったからである。
ファームウェアのヴァージョンアップ版も、ダウンロードへのリンクが切られていた。

ここまでに、今までの方式のままかなりの時間インターネットにつないでいるので、
無制限以外の課金が嵩んでいる。

その時、まだ夕方の6時だったので、すぐに近所のヤマダに車を走らせて、
NECのフレッツ対応のTAを手に入れて帰った。
夕食後、そのTAを接続して、昨日から何度も試みた設定をしたら、
難なく1発で接続に成功した。

古いTAではフレッツはできないよ、と最初に言っておいて欲しいものである。
我々の感覚では、同じISDN なんだから、今までと同じ環境で行けるとしか思わない。
対応してないものもあります、程度の説明では、自分のが該当するとは思わない。
現に十分すぎるほど働いてくれているのだから。
思わぬ出費で、NTTにさんざん文句を言ってやりたいところではあるが、
TAもいつの間にか、あのころの3分の1くらいの値段に下がっていて、
3、4カ月で元が取れるだろう。
今まで、電話のナンバーディスプレイもできないままでいたけれど、
きょうのTAで簡単にそれができるようになったことだし、
買い換えて損したばかりとも言えないから、まあとにかくこれでよしとしよう。



2001年10月01日(月) 指揮の楽しさ

きょう1日中体が重たくて、階段の1階分登るにも難儀していたのは、
昨日体を動かしすぎたせいだろう。
混成バンドでやっている「ぐるりよざ」のように、
テンポの変化も多く、スケールの大きい曲をやるときには、
特に練習段階では、いろんな姿勢で、どうしても動きが大げさになる。
腕や上半身だけでなく、足腰も大変疲れる。
本番が近づくにつれて、つまり完成に近づくにつれて、動きは小さくなる。
私は、練習中、あまり説明をしない。
譜面台を叩いてテンポを取る段階から、ほとんど説明抜きで勝手にテンポを変える。
振るときには、たとえ指揮者を見つめていなくても、視界の片隅で感じ取れるようにと、
そう願ってできるだけ動作を大きくする。
ここはこれぐらいゆっくりにしましょうなんて、口で説明したって、
実際のところは伝わらない。
音楽は、哲学的に言うところの〈ことば〉ではあっても、
日常的な意味でのいわゆる「言葉」ではない。
むしろ、「言葉」で表現しえない世界を表現しているのである。
指揮者として言葉で説明しうるものは、その片鱗かきっかけにすぎない。
だから、言葉を最小限にして、とにかく演奏の中で交感することにしている。
そうすると時折、何ともいえない体験があるのである。
たとえば、アラルガンドからフォルテシッシモに入る部分などである。
別に何も指示したわけでないのに、棒の振りに合わせてゆっくりになって行き、
大きくなって行き、いっせいに爆発音に突っ込む。。。
実に感動的な瞬間である。
ハーモニーだとか音色だとか、より高度な部分に問題点を見つけても、
それ以上に、この雑多な集団がひとつの世界に共感しつつある、その驚きなのである。
昨日の集団は、日ごろ別々の環境で活動を続けている生徒の3回目の集まりであり、
市吹の連中はといえば、それぞれに仕事や学生生活に忙殺されている人間の、
週に1度、人によっては2、3週間に1度といったような集まりである。
それがこんなふうに時を共有してしまうことが、ひとつの奇跡のように思われるのである。
それをファシスト的楽しみだと批判する人もあるかも知れないが、
我々素人の指揮者の場合は決してそうではないのである。
現に聞こえてくる音や演奏によって、そのつど反応が変わるからである。
こういう流れで来てしまったか、、、じゃ、こう行こうか、なんて、
状況によって臨機応変に変えてみたりもする。
そんな対話的なおもしろさもある。
疲れるし、ある意味で孤独な闘いでもあるけれど、実に贅沢な楽しさもある。


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