TENSEI塵語

2001年08月30日(木) この夏休みを振り返る

ほぼ3カ月ぶりに床屋に行った。
夕方から、部屋の片づけに着手した。
画期的な日である。
夏休みに入ってもなかなか床屋に行くチャンスがなかった。
部屋の片づけも見るだけでうんざりして、とても手をつける気にならなかった。
床屋に行って、ついでにきょうの買い物を済ませ、
戻ってから娘をパスポートの受け取りに連れて行き、
帰ってから課題考査を作り終えたら、やっと片づけをする気になったのである。
当面のわずらわしいことがらを片づけたら、やっと部屋を片づける気力が生まれたわけだ。

片づけを、今さらのようにしながら、あ〜あ、40日も一体何してたんだろ、と思う。
憂鬱な9月がやっぱり来てしまうことが、恨めしく思われてくる。

振り返ってみれば、夏休みといっても、煩わしいことに満たされている。
最初の一週間は、地区大会の運営準備と大会練習と補充授業。
(精神的にも労力から言っても、この時期が最悪だ)
次の一週間は、県大会の練習と補習授業(+大会役員)。
次の一週間は、司書教諭講習。
やっと暇になったと思ったら、なぜか一週間ほど腹痛に悩まされた。(誤算)
次の一週間余は、混成バンドの曲決めと楽譜準備、部活。
(この曲決めはかなりの重圧だし、何をしていても悩ましさの種になる)
こんな風にして、8月26日までが過ぎてしまった。
27日は京都に遊んだわけだが、28日は部活に出た。

で、あと3日になったところで、課題考査作りが難問として残ってしまった。
今まで何度となくテキストを見ながら考えたけれど、作れずに来てしまったのである。
目のつけどころ1つでスラスラとできてしまうことがあるが、
そこに至るまでが毎度毎度の苦労なのである。
きょうも運転しながら、この方針で行こうとハッと閃いたからさっと片づいたのである。

実は、部屋の片づけがこの3週間ほど一番気がかりで、早く始めたかったのだが、
それは、8月に入ってから、ケーブルテレビの広告が新聞にはさまれていて、
テレビもインターネットもケーブルに移行しようかな、と考えたからである。
8月中だと工事費の割引があるようなので、できればそうしたかった。
けれども、パソコンのまわりもこの部屋全体もどうしようもなくグチャグチャなので、
工事どころか、工事の下見にも来てもらえない。
夏休み中に、ということはもうあきらめたけれど、次のチャンスのために、
いつでもOKの状態を作っておかなければならないだろう。
このケーブル問題にも、少なからず惑わされることにもなった。

しかし、こんなことを愚痴っぽく振り返っているのも、暇になったからである。
3年前までは、夏休みが終わる、も、新学期が始まる、も関係なかった。
4年前までは、部活も忙しく、生徒会の仕事もあったので、
夏休み全体で合計1週間程度しか休んでないことが多かった。
指定休はほとんど返上で、普通の会社員よりも夏休みが少ない状態だった。
部活だの、補習だのいろいろ重なると、空き時間なんてものがない生活が続くから、
学期中の生活の方がまだゆとりがあるように感じられたものである。
3年前は部活は暇になってしまったけれど、生徒会主任だった。

夏休みももう終わっちゃうな、、、なんて思いに悩まされるのは、
何だかんだ言っても、わりとのんびりした生活を送らせてもらった証拠だろう。
ホントは感謝しなければいけないわけだ。



2001年08月29日(水) 続・京都に行った

嵯峨野では、二尊院にだけ入ってみた。
10数年前、妻と来たときにここは拝観しなかったためでもあるし、
その時に確かここで見た手書きの百人一首がまだ売っているだろうか、と
思ったためでもあるが、残念ながら見つからなかった。
あの時、字も絵もすごく味わい深く思われて、欲しくてたまらなかったけれど、
2万9千円という値段を見たら、躊躇してやめてしまった。
ずっとそのことを後悔しているのである。。。

ところで、二尊院に入って、歩き始めてすぐに後悔してしまった。
坂と階段ばかりである。そして、あるものといったらお墓ばかりである。
もともとかんばしくない足に大ダメージである。
それでも、立て札に「百人一首選定の時雨亭跡」とかいうのを見て、
長い階段を登り、熊か猪でも出そうな山道を歩いて淋しい場所に行き着いた。
平たい石が積み上げられただけの跡に、小銭がいくつものっている。
まぁ、ここに来たのもムダではない。定家の選定の話を読んだときに、
こういう場所だったのだというイメージは浮かべやすくなるわけである。
それからぐるっと回って、坂道を降りて戻ったのだが、実に長い厳しい下りだった。

境内の茶店にたったひとりで腰かける気はしないので、喫茶店を探すかなと思っていたら、
出たところに自販機があって、そこにベンチも置かれていた。
実にありがたいことだと、座って脚の疲れを癒すと、風がとても快かった。


Fクンと会ってから連れて行かれたのは、京大の近くの寿司屋だった。
京大の大学院に入って、初めて行った店なのだという。
その後で、哲学の散歩道も歩きたいという。
最近、こうして20年前の思い出の場所を訪ねたくなっている、という。
私など20年も経たないうちから、そんなことをしているから気持ちがよくわかる。
彼の場合、研究分野を新たに開拓しようと思っているから、一層そうなのかも知れない。
6、7年ぶりの再会なので、とりとめもなく断片的な話を続けているうちに、
9時近くになったので店を出た。それから、哲学の道をしばらく歩いた。
淋しい場所に入って行くばかりなので、電車に間に合うようにタクシーが拾えるか、
不安も感じたけれど、彼はいつもそつのない人間だったので、任せてついて歩いた。
この道も、10数年前に来そびれたところなのだった。
・・・ちなみに彼はその後のメールによると、そこで私と別れた後、
銭湯に寄って夜行で帰ったそうである。その銭湯も昔通っていた銭湯なのだろう。。。
彼のやることはやっぱり徹底している。
私の以前の回顧の旅では、さすがに銭湯までは思いつかなかった。

考えてみれば、9時に飲み終わって、それから散歩して、
翌日にならないうちに、その日のうちに帰宅できるほど京都は近かったのである。
9時50分の新幹線に乗った。それでも、午前0時前には家でのんびりできるのだ。
羽島の駅で20分以上待たされた。
一緒に降りた客も多いけれど、みんな駐車場に入っていって、駅で待つのは私ひとりだった。
発車時間近くなって、ホームに上がってゆくと、車掌がベンチで雑誌を読んでいた。
一番前の車両に歩いてゆく間も、他の乗客は見なかった。
乗るとすぐに発車となり、たったひとりのために4両電車が動き始めたわけである。
ふっと、千尋の乗った電車を連想した。これ、どこに行くのかな、と非現実的になった。。。
・・・岐阜に着いて降りて、背後を見たけれど、やはり誰も降りる人はなかった。
本当に乗客は自分1人だったのだろうか、、、ということは、
私がきょう京都に行かなければ、この電車は空っぽだったのだろうか、、、
そう考えると、これも何か不思議なめぐり合わせのような気がしてくるのだった。



2001年08月27日(月) 京都に行った

前に行ったのはいつかよくわからないが、10数年ぶりだったかも知れない。
今は鎌倉にいる大学時代の哲学仲間だった(先生だった、というべきか)Fクンが、
京都で飲もう、と言ってきたので、久しぶりに思い切って出かけることにした。
こんなお誘いでもないと、なかなか出不精の尻は持ち上がらない。
しかし、半日あれば十分散歩して帰ってこられるのだということがわかった。
遠かったのは精神的な距離だけで、いつでも行ける範囲にあるのだった。
新岐阜で11時半に乗って新羽島まで約30分、それから新幹線で40分。
車だとどれくらいなんだろう? 高速だけで1時間半くらい見ればいいだろうか。。。

Fクンとの待ち合わせまで3、4時間ほど散歩、と予定したときに、
まず広隆寺の菩薩さんに会いに行くことと、そこから嵯峨野の散歩と決めた。
まず、太秦に行こうとして、大失敗してしまった。
京福電車が四条の通りを走っているという風に地図を見間違えて、
地下鉄の四条で下りたら、そこには阪急電車の駅しかなかった。
京福電車は四条大宮が始発なのだとわかって、そこで阪急に乗ればよかったのに、
1駅だけならばと、歩き始めたら、それが意外と長い距離でまいった。
ただ、この通りは車がかなり渋滞しているのをずっと見て歩いていたので、
車で来たときにはこの道に紛れ込まないようにしようという教えにはなった。

京福電車は路面を走ったり民家の間を走ったりする一両の電車である。
確かにこれに乗った覚えがある。十数年前、妻と奈良を回ったついでに、
広隆寺と、当時Fクンが住んでいた太秦のアパートを訪ねるためにこれに乗った。
でも、あの時どうやってこの駅まで来たのか、まったく思い出せない。

しかし、まあとにかく、太秦に着いたのである。
駅前に、もう広隆寺の大げさな門がでんと構えているのである。
数年前から、もう1度会いたい会いたい、と願っていた相手がこの奧にいるのである。
門をくぐりながら、デートの待ち合わせみたいにドキドキし始めたりしてね。。。
広隆寺の境内というのは独特の色合いである。
不思議な色に古びた木材と白壁の配色が独特な雰囲気を出している。
これが、あの不思議な美と対面する予兆にもなるのである。
そして、どの建物の前にも立ち寄ることなく、霊宝殿に直行する。
早く会いたい気もするし、会うのがこわい気がするものである。
そうして、いよいよ霊宝殿に入ってぐるりと見回して、少々がっかりした。
また陳列のレイアウトが変わっているのである。
祭壇のようなものが作られて、その上に半跏思惟像が安置され、
その祭壇の前に頑丈な柵がずっと長く置かれている。
離れてしか見えないし、真横から見るなんてこともできない、今まで最悪の状態。
けれども、フロアの中央に畳が縁台代わりに2つ置かれていたので、
そこに腰かけて、ゆっくりとのんびりと眺めることができた。
ときどき、まわりの他の仏像や、背後の千手観音などにも目をやったりしながら。
・・・やはりこの半跏思惟像は卓越している。
表情といい、右腕の線といい、手の動きといい、やはりそこに生きているようだ。
その思惟天上に至る、という感じがするのも、あの姿勢と表情のせいだろう。
途中でポケットの電話が振動し続けたけれど、それを無視して2、30分眺め、
外に出て、電話の相手と仕事の話を済ませ、嵯峨野に向かった。

終点の嵐山まで行くつもりだったけれど、その前に嵯峨駅前という駅があるのを知って、
これは探すべき待ち合わせ駅の山陰線「嵯峨嵐山」駅の傍かも知れないと、
急遽そこで降りた。おかげで、待ち合わせ駅は簡単に見つかったけれど、
嵯峨野までかなりの距離を歩かなければならなくなったし、
嵐山方面まで足をのばす時間はなくなった。とにかくぶらぶら歩いた。
脚がパンパンに張るほど疲れた。

きょうはここまで。。。



2001年08月26日(日) 混成バンド第1回練習会

蒸し暑〜〜体育館の中で、1日「ぐるりよざ」という難物の曲と格闘した。
80人の希望者のうち、7名ほど休んでいたようだが、
70人以上の生徒が集まっているわけだから、体育館といえども熱気がこもる。
数年ほど前から、「日曜日まで練習はイヤだ」と明言する生徒が増えているはずだが、
これから約2カ月の間、日曜日が半分(月2回)潰れるこの活動に
わざわざ志願してくる子たちがこれだけいるのだから、驚きでもあり、
まだまだ捨てたもんじゃないぞ、という気持ちにさせてくれる。
もう来年は集まらないだろう、と言い続けて何年になるか定かでないが、
ここ数年、年々参加者が増えている。
まぁ、正直なところ、こっちの方が日曜日くらいは休みたいのだが。。。

「ぐるりよざ」というのは Gloriosa のキリシタン訛りである。
キリシタンが題材になっているから、教会旋法と日本の旋法が混在している。
この20分の曲の中で、西洋風だったり古い日本風だったりする。
そういうおもしろさは認めるものの、どうも全体的に技術的な問題もあって、
息切れしそうな苦しげな困難さを感じて、あまり好きな曲ではなかった。
けれども、きょう1日この曲とつき合ってみたら、やはりおもしろい曲だと改めて思った。

毎年のことだが、きょうほとんどが初対面だった子たちと、
あとたった3回で曲をまとめて、本番指揮者に渡さなければならない。
それはそれは大変なことだが、いつもできてるんだから、なんて、
甘い考えは持たないようにしよう。



2001年08月25日(土) 健忘症

忙しいときには、ついいらんことまで背負い込むもので、昨日部室に鞄を忘れた。
それは、昨日の夕方、職員室を出たときに、いつもならまず鞄を車に乗せるのに、
そのまま部室に向かったことから始まっている。
練習では、昨日は指揮でなく、ペースギターを弾いて参加したのだが、
その席に座るときに、「鞄を忘れなきゃいいが、、、」とちょっと懸念はしたのである。
練習後、混成バンドで必要な小物打楽器をかき集めて袋に入れた。
ドラは最近使っていない古い軽い方を持っていこうと思ったら、
それが出しにくい奥まったところに入れられていて、ここで大変難儀をした。
もちろん、2人の生徒が手伝ってくれて労力はかなり緩和されたのだけれど、
意外と時間がかかってしまって、さあ、早く帰ろうという思いにとらわれた。
鞄を忘れてきたのに気づいたのは、家に着いて車を降りようとしたときである。
実に腹立たしく、思わず自分の頭を拳で殴ってしまった。
やっぱりこうだ、いつ、だってこうだ、と、もう自分がふがいないの何の。。。

だから、今朝、その鞄を取りに行くという、余計な仕事ができてしまったのである。
ホントは他にやりたいことがあったのに、そのために2時間余りの時間が費やされたのだ。
そのついでに本屋に行きたがる子どもを連れて自分も数冊の本を仕入れては来たのだけど、
この自分のほんのちょっとした間隙に失念してしまう癖に、
今まで何百回悩まされたことか。。。

私の忘れっぽいのは、もう職場仲間にも生徒にも有名である。
よく「もう歳だね」なんて言われるけど、「性格です」と答えるしかない。
もし「もう歳だね」だとしたら、10代から老化現象が進んでいたことになる。
・・・いや、ホントにそうだったのかも知れないけど。。。



2001年08月23日(木) 混成バンドの準備が進む

今度の日曜日は、今年度混成バンドの第1回練習日である。
昨夜、本番指揮者の箕輪氏に電話をして、メインの曲が「ぐるりよざ」に決まった。
これが、最初の大仕事であり、この大問題が解決しないと練習も始まらない。
毎年毎年、夏休み中の最も頭の痛い難題のひとつになっている。
各校からの希望者を集約したメンバー表が委員長のH氏から送ってくる。
それを見て、どういう編成になるかを思い描く。
特に偏りがあったりしなければ、大事なのは打楽器の人数である。
たとえば、今回は打楽器奏者が7人登録されているが、
この7人が全部演奏に参加できるような、打楽器の多い曲を選ぶ必要がある。
そうして、何よりも、いい曲でなければならない。
しかも、難しすぎない、演奏可能の見通しが立たなきゃいけないし、
そうかといって、簡単すぎる曲では、こういう特別な集まりの意味がない。
・・・実に漠然とした基準なのだけれど、とにかく、
いいメロディーと高揚感のある曲を選びたい、ということである。
これがなかなか大変である。
この曲がいい、と思うと、打楽器が少なすぎたり、技術的に難しすぎたりする。
思いついては却下、思いついては却下の連続なのである。
部活や市吹だったら、とりあえずやってみて決めることもできるけれど、
2カ月ほどの間に数回しか練習日のない混声バンドでは、
そういう試しはできない、練習し始めたら本番までその曲と心中するしかない。

まあ、とにかく、ひとつ肩の荷が下りて、きょうは午後いっぱいと帰宅後の夜も、
配布する楽譜の準備と参考音源の準備に追われた。
とにかく、日曜日には問題なく練習に入れるようになったのがうれしい。
あとは、明日・明後日で、もう少し曲の研究をやっておかなきゃならない。

今年の参加希望者は、例年より2、30人多くて、80人にもなるそうだ。
各校とも、部活が廃れそうで、部員の確保や運営に苦しんでいるのがこの数年の傾向で、
しかも、何とか活動している生徒たちも、休日の練習はイヤというのが普通なので、
この混声バンドも、去年は何とか集まったけど今年はどうだか、と言い続けて、
もう数年に及んでいるのが実態だから、名簿を見た時は大変驚いた。



2001年08月22日(水) 「女優マルキーズ」を見たけど、、、

台風は夜中のうちに、またまた予想を裏切って、太平洋岸沿いに進んで行ったようだ。
西の方に向かっていたのが、北へ東へと進路を変え、そのまま東進するかと思うと、
北に向きを変え、また東に向きを変えたことになる。
もちろん、この間にかなりジグザグがあり、報道も何転したかわからない。
まったく動きの読みにくい台風だったが、この時期の台風は気まぐれなのだという。

昨夜、風雨の強まる中、「女優マルキーズ」という映画を見ていたけれど、
実につまらない映画だった。
ソフィー・マルソーの魅力が発揮された、とか、彼女の美しさなしには語れない、とか、
そんな批評も書いてあったけれど、確かに魅力的な場面もあるけれど、
彼女の魅力を際だって引き出したという作品には思われない。
むしろ、彼女の美貌のおかげで多少救われた作品、というべきである。

それよりも、モリエールとラシーヌの確執を描きながら、
どうしてこんなにドラマ自体がおもしろくないのか、不思議でしょうがない。
しかも、映画の進行は、断片を継ぎ合わせたようなイライラする進行である。
時折、いつの間にこういうことになったのかわからない、ということがある。
この種の映画には、何かこういう手法のものが多いので、
見ながらうんざりすることがよくある。(それでも、結末まで見ざるをえない)


学校に行く前に、娘のパスポートの申請に行った。
(親がまだ海外旅行したことないのに、娘は修学旅行でイギリス行きである。
 実に不条理な世の中である。。。)
もっと大変なものかと思っていたけれど、意外と簡単な手続きなので、
自分もさっさとパスポートをもらって、フラッとフランスにでも出かけられそうな
錯覚にとらわれた。・・・錯覚? いやいや、錯覚じゃない。
夏休みに、少々不義理でもすれば、簡単にできることだ。簡単だ。
大切なのは、大それたことだと思わないことだ。簡単だと信じることだ。



2001年08月21日(火) 2つの頭痛の種

今度の日曜日に混成バンドの練習会がある。
この1週間選曲に頭を悩ませてきたけれど、もう決めなきゃならない。
本番を振る箕輪さんにとっても、トレーナーの私にとっても「いい曲」で、
集まってくる生徒にとっても満足できる曲でなければならない。
考えてみれば、すごい難題を背負っていることになる。
よくこんな難題に、7、8年も取り組んでこられたものだ。

国際交流関係の担当から、予算を満たすべく早く図書購入リストを出せ、と催促。
すでに7、8冊物色してリストにはいてあるけれど、まだまだ足りない。
帰りにわざわざ柳ケ瀬の自由書房に寄って物色したけれど、収穫は1冊。
しょうがないから、インターネット本屋を検索して、何冊か探す羽目になった。
駐車場代、インターネット接続料が嵩んでも、その費用が出るわけではない。

昨日からどう進むかやきもきさせていた台風は、進度が遅くて夕方まで海上にあったが、
7時ごろ和歌山県の海岸に上陸し、伊勢湾を横切って愛知県から山梨県方面に進むらしい。
今、深夜になってこのあたりも風が強まってきたようだ。



2001年08月19日(日) ついに「リング」を見た

まぁ、ホントにここまで、どれだけためらい、覚悟を決めたことか。。。
とにかく、ホラー・怪談の類はキライなのである。
恐いもの見たさ、なんて感情も普通はまったく起こらないのである。
表紙とかカバーのデザインを見るだけで、嫌悪感で満たされてしまうのである。
(だから、「リング」3部作の本も、本屋のカバーをかけっぱなしにしてある)
で、どのように見るかについても、いろいろと思い悩んだのである。
夜は絶対にやめよう。真っ昼間でも、ひとりで見るのはイヤだ。
でも、誰を引きずり込もう? 家族は絶対に、誰も一緒に見たがらない。
卒業生の誰かをつき合わせようかと考えたりもしたし、
DVDを買って、公園の真ん中でノートPCで見ようかとも考えたりもしたけれど、
覚悟を決めて、きょうの午前中にこの部屋で見ることにしたのだった。

でも、そんなに大がかりな心がまえをすることもなかったのだ。
原作を読んだとき、伊豆のロッジで浅川がビデオを見る場面が1番不気味だった。
読んでいるだけでその生々しさが、自分の手元にも、部屋全体にも、
じわ〜〜っと漂ってくるような異様な雰囲気を感じた。
こんなのが映像で再現されたら、しかもそんなのをこの部屋で見たら、
しばらくはこの部屋で過ごすこともできなくなるんじゃないかと恐れていたのである。
けれども、謎のビデオは意外とあっさり作られていて、
浅川の、見てしまった、という恐怖感、それから不気味な存在の仄めかし、
そしてすぐにかかってくる電話、、、という具合に、
心理的な恐怖でこの場が簡単に終わってしまった。
後は、いつ恐怖の映像が突然出るか、それをヒヤヒヤ警戒しながら見るわけだが、
あまりこれといったこともなく、迫り来る死の恐怖と底知れぬ謎の雰囲気で、
とりあえずの事件解決まで進んでいってしまった。
最後の方で、高山竜司の死の場面で、テレビから貞子が出てくる怖い場面があったが、
すごいアイデアではあるけれど、原作を先に読んだ者にとっては、
こういうのはやめて欲しい気がした。
・・・でも、こんな場面がひとつでもないと、ホラー映画にはならないのだろう。

原作の浅川は離婚した子持ちの女に設定され、離婚した夫が高山竜司に設定されている。
だから、元夫婦が、忌まわしいビデオの謎を解くために奔走することになる。
これは、実にうまい設定だと感心した(ただ、離婚の事情が定かでない)。
その効果がもっとも発揮されるのは、井戸の底で貞子の骸骨が現れる場面である。
貞子のが遺骨をうっとりと見つめ抱きしめる菜々子さんの表情を、
我々もまた、うっとりと見つめることになる。
死期の迫った朝、伊豆のロッジへ井戸の解明に向かう前、
子どもに電話で話す場面でも、ついつい涙ぐまされてしまう。。。
最後の最後、わが子を救うにはダビングをして人に見せるしかないことに気づき、
覚悟を決める時の恐ろしく美しい表情も、やはり女性にして正解だったわけである。

さ〜て、この「リング」でしか見られない菜々子さんの魅力に再会するためには、
またこの映画を見なきゃいけないわけだが、それはまた億劫な葛藤になりそうだ。
ちょっと厄介なことだけど、でも、やっぱりまた見るだろうな。。。

ところで、これが「らせん」に続くものだとすると、
この映画の中で浅川がレポートを書いている場面がまったくなかった点が気になった。



2001年08月18日(土) 「出口なし」上演の思い出

週刊朝日百科「世界の文学」のサルトルのところを読んでいたら、
「出口なし」の写真も1枚載っていて、「出口なし」上演のころを思い出した。

上京して上智大に通うなんてこと自体、大それた奇跡みたいな境遇だったのに、
ギターアンサンブルという地味〜〜な音楽サークルではあったけれど、
そこで指揮者という大役に決まって間もなく、
仏文科恒例のフランス語劇で「出口なし」をやろうということになって、
次は自分が主役と決めている友人と話している内に私が演出ということになったのだった。
それ以外にこの企画の中心人物がいなかったからに他ならない。

恒例のフランス語劇は、だいたい軽い喜劇を上演するのが普通だった。
前の年は、教授の奨める喜劇で1年生の優等生たちが集まって上演した。
これはすごいことである。何しろ、1年生ばかりである。
私はとにかく劣等生だったので、加わってはいなかったが、
演出をしていたのがさっき出てきた友人Mだったので、
音楽の方を頼まれた。劇中歌の伴奏作りである。
楽譜は台本に付随していたので、それを誰かに弾いてもらって録音する仕事だった。
ギター部の方でピアノを弾ける子を見つけて、録音させてもらうことにした。
その時に、クライマックスの曲がありきたりで終わっていたので、
最後に少しだけ華やかになるように終止部をくっつけてもらった。
そのテープを聴いた演出家のMは、怒って、余計なことをするな、と言った。
最後は暗転で終わるのに、これでは暗転に合わないじゃないか、と言うのである。
で、私は、とんでもない、とばかりに、幕をスルスル閉めるべきだと主張した。
最後の短い後奏の間に左右から幕が閉まって、
最後の音が鳴るころには幕が重なってゆらゆら揺れていなければいけない、と言った。
・・・ところが、大学のその講堂には、幕は常備されていなかったのである。
彼は渋々スタッフたちと幕の取り付けにかかった。大変な重労働だったらしい。
おかげで余計な仕事をさせられた、と不平たらたらだった。
音効を頼む相手を間違えたね、と私も冷ややかに応対していた。
私としては、こういう喜劇を歌で終わりながら、しみじみ暗転で終わるなんてのは、
いったいどういう神経してんだか、、、とかえってアホらしく思っていた。
ところが、舞台稽古が一通り終わると、いきなり彼が大笑いし始めたのである。
誰かがおもしろい仕草でもしたのかな、と思っていると、
「ホントに、これは喜劇だ」と幕が閉まるのを見て大喜びしたらしいのである。

この一件で、私に演出の大役が回ってきたわけである。
それから何をやろうということになったときに、何と「出口なし」で意気投合したのである。
無神論実存哲学者の絶望のドラマを、カトリックの大学で上演しようというのである。
しかも、このやや難解な戯曲を、原語のままでやろうというのである。
けれども、私としては、原語でやるなら、従来の喜劇路線よりも、
この「出口なし」の方が、原語を知らない人にも楽しめると踏んでいた。
象徴的な演劇なので、図式と音楽性(台詞の)で伝えられるだろうと思っていた。

問題はまず、教授の許可を得られるかだったが、許可を得られたばかりでなく、
F神父は例年通り、しっかり判読テープを録音してくださった。
1番の困難は配役で、たった4人の配役がなかなか埋まらなかった。
前の年のメンバーは、裏方ならばと残ったものもいたけれど、
配役からは全員逃げてしまった。
主役ガルサンはM、ちょい役のガルソン(ボーイ)はしょうがないから私が兼任、
3年生からひとり申し出てくれた人がいて、その人がエステル役、
問題のイネス役がいないのである。同学年にあたってもぜんぜんダメ。
なかなか活動を始められず、絶望的な状況が続いた。
ところがある日、Mと講義に出ていたときに、
斜め前方に適役の雰囲気の女性を見つけたのである。
髪の長い目の大きな細面の、ちょっと冷ややかな雰囲気の女性。
「あの人、どうだ?」とMに言うと、「ぴったり!!」と同調する。
でも、こういう雰囲気の人が、こういう話に乗ってくるわけがない。
藁にもすがる思いという勢いで、講義終了後、声をかけてみた。
案の定、冷ややかな反応である。フランス語劇なんてまったく興味ないわ、という。。。
「何やるの?」
「サルトル。出口なし」
「・・・サルトル?・・・魅力的ね。。。 考えさせて」
こうして彼女も加わり、苦渋の末、やっと練習にはいることができたのだった。

この話はまだ続くが、「出口なし」についても、読書のコーナーにUpしておこう。 



2001年08月17日(金) 中国と日本の約束

こういう事情があるとは知らなかった。ますます首相の選択は誤りだ。
首相の靖国参拝は誤り、というか、知っていればできるわけがないだろうから、
こういうことを知らされてもいないということだろうか。

きょう、たまたま文芸春秋の9月号を読んでいたら、
古山高麗雄という作家がこんな話を紹介していた。
元中国大使の中江要介という友人が東京新聞に書いた話の要旨だそうだ。
もちろん、私もこんな話を初めて知った。(橋本さんは知っていたようだ)

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1972年に首相田中角栄が、日中国交正常化のために訪中したとき、
周恩来首相は次のように言って、賠償請求を放棄したという。
「あの戦争の責任は日本の一握りの軍国主義者にあり、
 一般の善良なる日本人民は、中国人民と同様、
 一握りの軍国主義者の策謀した戦争にかり出された犠牲者であるのだから、
 その日本人民に対してさらに莫大な賠償金支払いの負担を強いるべきではない。
 すべからく日中両国人民は、ともに軍国主義の犠牲にされた過去を忘れず、
 それを今後の教訓とすべきである」
だから中国政府としては、A級戦犯を合祀する靖国神社に日本の首相が参拝することによって、
A級戦犯の戦争責任が曖昧になったり、その名誉が回復されたりすると、
自国民を納得させられない、というのである。

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・・・で、古山さんはこれを読むまでは、参拝自体にそんなに意味があるとは思わないけれども、
日本のやることに中国や韓国が騒ぎすぎだ、という考えを持っていて、
参拝したけりゃすればいい、くらいに思っていたけれど、
こういう経緯がある以上、首相は参拝すべきでない、と思うようになったそうだ。

「首相ともなれば、知らなかったでは怠慢になるが、
 知っていてなお強行するとなれば、これは中国に対する非礼である。
 礼節は守りましょうや」

「中国の内政干渉に反発する前に、国と国との礼節を大切にしない
 自国の身勝手について反省しなければならないのではないか。
 賠償金の請求を放棄してもらって、もらい放しで、
 まったくお返しを考えないというのでは、虫が良すぎる。
 ・・・(こういう経緯があるなら)角栄のあとを継いだ小泉首相は、
 周恩来のあとを継いだ政治家江沢民の立場を無視するわけにはいかないし、
 無視してはいけないのではないか」

・・・角栄先生、ニクッたらしいほど先見の明(?)のある策士だと感心していたけれど、
こういうことはちゃんと後輩に伝えてから逝ってくれないと、
せっかくの国交回復の功績も台無しになりかねないですよ。


しかし、この人の文章の中で、もっとも共感したのは次の部分だ。

「死ねば、靖国も何もない。無です。招魂も追悼も葬式も、生者の営みです。
 霊魂だの、英霊だの、生者が一方的に思ったりしてることで、
 死者には、言葉も思いもない。
 生者は死者をもとりこんで生者の世界を作る。社会を作る。
 生者は霊の存在を信じることもできる。死者との交流を作ることもできる。
 だがそれは生者の営みであって、死者の方には何もない」

「英霊が浮かばれるの浮かばれないのといったことは生者の思いであり、
 死者には浮かばれるも浮かばれないもない。
 死者は無、生者の思いの中にあるだけだ」

生死について、ここまではっきり言い切る人がいるのだから、私もそういう勇気を持とう。
ただし、「生者の思いの中にある」存在は大切だ。



2001年08月16日(木) 「ザ・ハリケーン」を見た

橋本さんのカキコに刺激されて、さっそく借りてきて見た。

冤罪で投獄された黒人ボクサーの無念の思いが入念に描かれていて、
その手記を読んで感銘した黒人中学生との交流があり、
そしてその少年を引き取って育てる3人の白人男女の命がけの再審運動を経て、
裁判に勝訴、解放という感動のドラマである。

殊にこのサム、テリー、リサという3人の存在が魅力的である。
格別善人ぶっているわけでもないし、正義感に燃えているわけでもない。
それがこの黒人少年レズラの教育のため、引き取ってめんどうを見ている。
それだけでなく、ついには刑務所の近くに移住して、再審請求の準備をする。
「釈放までカナダに帰らない」「一緒に帰るのよ」とハリケーンを励ます。
この静かな人道家たちは、いったいどういう人種なんだろう。

そういう中で、いかに捜査や裁判の中に、偽証・改竄や、暴力・弾圧などが
介入しているか、浮き彫りにされて行く。
新しい証拠や裏付けを捜査する4人にも、殺意が向けられる。
正義も何もあったものではない。
不正に投獄された者が生きるには、外のことを忘れるしかない、
外の世界を求めたりしたら耐えられなくなる、この理不尽な境遇。

残念だったのは、最後の大切な裁判の場面である。
州の裁判所では今までのような圧力がかかって結果が変わらないだろうからと、
連邦裁判所に再審を求めたところ、順序が違う、と裁判長は真剣な対応をしない。
しかし、ハリケーンの要求で裁判は続行される。
ところが残念なことに、この裁判の場面にドラマがないのである。
通り一遍の観念的な弁護士の弁論がある。それだけで次に進んでしまうのだ。
そうではない、ここでは、もっと弁護士が頑張ってもらわなきゃいけないのだ。
新証拠を提出すると、検事側や警察側に反応がある。裁判長にもある。
そういう説得力ある弁明を経ても、裁判長の基本的態度は変わらない。
そこへ、あのハリケーンの「正義」についての静かな弁論が入る。
こういう風にドラマを運んでくれると、判決にも説得力が増す。
ところが、裁判の場面が簡略すぎて、この「正義」についての演説も重みを欠くし、
釈放の判決もあっけないほど唐突に感じられるし、
今までの苦渋の歳月も、つまらないほど軽んじられてしまい、
ハリケーンが空を眺める場面の感動も形だけのものになってしまう。

実に残念な、惜しい作品であった。



2001年08月14日(火) 「千と千尋の神隠し」を見た

映画館に家族を連れて行くなんて、めんどうで、私が忙しい間に連れて行くようにと
妻に言っておいたのに、結局、きょう、と予定されていることを昨日知らされた。
ジブリのアニメはずっとビデオやLDでくり返し見てきたのだが、
「もののけ姫」以来、映画館に行くのが当然という雰囲気になってしまった。
「となりの山田くん」(こちらは高畑アニメ)さえ連れて行くはめになって、
その時は昼食をはさんで、「スターウォーズ」の最新作までハシゴしたりした。
そもそも私が家庭内に宮崎アニメを持ち込んだのだから、
絶対に一緒に行くことを反対しないという確信から予定が立てられているようだ。
今回のこの作品については、予備知識がまだほとんどなくて興味にまで育ってなかったし、
昨日1日体調がおもわしくなかったので、大いに迷惑な計画であった。

けれども、今朝になったら、9時に出るぞ〜と、家族を起こして歩いていた。
まあ、もともとは大好きなので、朝早く起きて体調も悪くないとわかれば、
さっさと見に行きたいということになってしまうわけである。
道路も休日モードだから、30分もあれば映画館に着くだろうと思っていたら、
もっと早くて、家から出発して市営駐車場に車を置いて映画館の客席に入るまで、
20分かからないので、驚いてしまった。
こんなに近いところに映画館があるのに、ひどく遠いところに行くような気になっていた。
心理的距離ばかりが遠くなってしまっていたわけだ。
日曜日など、少し早く起きればフラッと行ってこられる程度の場所なのである。
日曜日の午前中をたまには映画館で過ごすというのもいいかもしれない。

このアニメの雑感は、もう映画コーナーにUpした。
何か、こう、さっさとまとめておきたい衝動に駆られたのである。



2001年08月13日(月) 盂蘭盆会

北さんの言う「かのように」さえろくろくできぬ怠け者である。
お彼岸だろうがお盆だろうが、ご先祖様の墓参りなんてしたことがない。
父方の田舎には子どもの時連れられて行ったきり、もうぜんぜん。。。
可児郡の山の中だから、そう遠いわけではない。
兄は律儀に折りあるごとに墓参りに行っているようだ。
母方の田舎は、祖父母がそこを引き払って一宮に出て暮らしてから亡くなったので、
それじゃあどこに墓参りに行けばいいのか、そんなことを尋ねたこともない。
妻の家系のお寺は、ここから車で10分かかるかかからないほどの近所だが、
結婚してからそこに行ったのはたったの1回で、何しに行ったのかも覚えていない。
義父母が何か言ってきてもよさそうなものだが、何もないのでそれに甘えている。
母は稀に「たまにはご先祖様を参らなきゃ」などと牽制球を投げてくることもあるが、
生返事したまま、それっきりになって、30年以上も不義理が続いている。
そんな労力を払うほどの意義を見出さないし、
ホントのお盆はちょっと日がずれているでしょ? など言い訳して、
実際、旧暦どおりの日に行くかというとそんなはずはないのだが、
形式的な行事に過ぎないと思うと、どうも出かける気になれないのである。
それよりも、お盆といえば郡上八幡の徹夜踊りへと心はそればかり憧れるけれど、
行き帰りの渋滞や疲労を思うとまったく出かける気がしなくなる。
こういうご先祖様をないがしろにする不信心者にはバチが当たるんだそうである。。。

結局、寝てばかりの1日になった。
昨夜、「ベン・ハー」DVDのメーキング等のおまけ映像を見た後、
その本編は長いので後日にして、久々に「やまとなでしこ」の最終話を見て、
もうパブロフの犬みたいに同じ所で相変わらずの感服をして、2時過ぎに寝た。
今朝は8時半ごろ目覚めたのでそのまま起きた。
それからパソコン開いたり朝食をとったりしていたけれど、
腹の具合が頗る悪くて、痛みさえ伴っているので、横になった。
こういう下腹部の痛みなど、今まで経験した覚えがないので、焦った。
30分くらいでプツッと切れるように痛みが引いて、そのまま3時間ほど眠った。
夕方、鈴木光司の「生と死の幻想」という短編集を読んで一段落したとき、
どうも体に力が入らなくて、横になった、けれどこの時は眠りはしなかった。
あまり動かないのもよくないので、食料品の買い出しに出かけて店の中を歩き回った。
夕食後、また2時間近く眠ってしまい、今は目が冴え冴え状態である。

きょうの体調不良は、寝酒の習慣の積もり積もった悪影響かも知れない。
今夜からちょっと控えて様子をみる必要があるだろう。
そんなことを決意してみると、実に頼りない不安な思いに陥ってしまう。
もうさっきから、あの味が恋しくて、手が習慣どおり動いてしまいそうな気配なのである。



2001年08月12日(日) 「スパルタカス」を見た

一昨日、「ベン・ハー」のDVDの発売予定日だったので買いに寄ったついでに、
「スパルタカス」も見つけた。
橋本さんが「スパルタカス」が1番、「ベン・ハー」よりも「スパルタカス」と
言っていたので、それを信頼したのである。
長年探し求めていた第3位の映画がこれで見つかるだろうと期待もしていた。
でも、何か物足りなさがあった。それがなぜか、よくわからない。
ラストでは少し泣けたけれど、一昨日の晩見た「ノッティングヒルの恋人」
の方が泣けた。
全体を見たら「ノッティングヒル」よりもうんといい映画である。
3時間余という長丁場に、飽きを覚える部分があったわけでもない。
テーマも好きなテーマであるはずだ。
「我々は、この世にある限り真実のために闘わねばならない。
 我々は兄弟なのだ。そして、自由なのだ」
けれども、何か物足りなさを覚えた。
奴隷身分というものがどれほどのものか、描ききれてなくて、
反乱への原動力というものがちょっと薄かったかも知れないな、とも思うし、
最後には負けても、ローマと闘えたこと自体に意味があるという点もちょっと薄い気がする。
ラストに奇跡的な救いと希望があるとはいえ、悲劇だから今ひとつなのかも知れない。
戦闘シーンに重点が置かれる映画は、どうしても私好みでないのかも知れない。
音楽の出来がよくないせいかも知れない。
このあたり、後日もう1度見て、よく考えてみたいと思う。

1番の疑問点は、反乱のきっかけとなった決闘場面で、
スパルタカスの相手をした奴隷が、スパルタカスを殺さずに、
クラサスに槍を投げて反逆行為に及んだことである。
(あの奴隷は、風呂場の場面で、名前など聞かない方がいい、
 決闘場では殺し合うことになるのだから、と答えた男ではなかったか?)
その気持ちをいろいろ推測することは容易にできるけれども、
ドラマの説得力という点では惜しいところである。
反乱への契機として大事なところだけに、こういうところをきめ細かく描いてほしいものだ。
もちろん、すべてが辻褄合って論理的でなきゃいけない、という意味ではない。

こういう疑問を「シンドラーのリスト」にも抱いていて、
シンドラーがいつごろから、どうして慈善家に変貌するのか、
どうもよくわからないところがあった。
あれも、もう1度じっくり見てみないとまとめが書けない。



2001年08月11日(土) 靖国参拝問題雑感

・・・というわけで、4日間、2つの原爆記念日も忘れていた、
少なくとも、帰宅後新聞を見るまでは忘れるような有様だった。
靖国参拝問題で大騒ぎなことを意識したのも、昨日の朝だった。

靖国問題は、批判する方としては大問題なんだけど、
その批判の対象になっている側に目を向けると、実にくだらない。
とにかく、なぜ「参拝するぞ」と意地を張らなきゃいけないのか。
何も、そうムキになることはないのである。
(票田確保など取引上の問題もあって、つらい選択なのか?)
慰霊なんてことは心の問題で、どこにいてもできる。
神社に祀られているとか言ったって、所詮は虚構である。
表面上の雰囲気を作っている仮の場所に過ぎない。
そこで拝むのが一番便利で支障のない人は、そこで拝めばいい。
それでその人の気がすむのなら、それはそれでいい。
それよりも、海岸から海に向かい、大陸に向かって祈る方がよい。
そして最後にこの日本の大地にひれ伏して祈るのがよい。
犠牲者たちの霊は、まだそのあたりを恨みがましく漂っているかも知れない。
少なくとも、名簿登録されているだけの場所よりは実質的である。
それよりももっといいのは、戦争の恐れを払拭する日々の努力である。
戦争放棄の理念を実現するために最善の努力を惜しまないことである。
そもそも、国と国との過度な競争やもめ事をなくすことである。
それが、犠牲者たちに報いる最高の慰霊である。
形式的な慰霊にこだわって国家間のもめ事を大きくするのは愚かである。

戦争に勝っても負けても、犠牲者たちは犬死にである。
お国のための名誉という虚構に覆われた、ムダ死にである。
当の犠牲者たちには残酷な言い方ではあるが、
事実、そういう死を余儀なくされたのである。
戦争の最大の罪は、生命の価値を安く見積もってしまう点にある。
今の世は、たったひとりのやむを得ない殺人に対してさえ、
執拗な真相追求と断罪をする、それほど生命は尊いのである、、、
いや、そんなことでは言い尽くせないほど、生命は尊いのである。
それなのに、戦争は何万人死なせても、何万人殺しても、
バタバタ、コロコロと死んでいっても、正義の一語で正当化され、
挙げ句の果てに、将来ある若者に向かって爆弾になれと強要する。
為政者たちにとって、兵隊たちはゲームの駒に過ぎず、
○○部隊全滅と報じられても、国民の死を悼むよりは、
敗北を悔しがる、、、また負けたか、何してやがるんだ、などと。
虐殺されたのは大陸の国の人々だけではなく、
日本国民の多くも軍部によって大量虐殺されたのである、
あるいは、罪を問われることなく死刑に処せられたのである。
戦争は、それさえも正義の名の下に美化してしまうから、恐ろしいのである。

こんな生命の軽視・大安売りが、近代の大戦だけでなく、
何千年もの間、各国の内部や各国間で繰り返されてきて、
この何十年の間にようやく生命の尊さということが
常識となり始めたのである。
それが、敗戦によって得たかけがえのない利益なのであって、
もしもあの時勝ってしまっていたら、
日本の為政者たちは国内外にムダ死にを量産していたことだろう。
あれほどの悲惨にめぐり会うことがなければ、
人間の命の尊さに気づくこともなかった、というのも、
なかなか恥ずかしいことであるが、これは日本に限ったことではない。
そういう私だって、あの時代に生きていたら、
陛下に命を捧げる道徳で全身が染まっていたかも知れないのだ。
敗戦によって日本は誤った呪縛から解放される機会を得たし、
これを機に、世界中の平和に尽力しなければならなかったのである。



2001年08月10日(金) 打ち上げ

4日間の忍耐から解放された。
後日レポート提出なんていうわけでなく、試験で終わりだったから助かった。
これで、補充・補習・部活・講習会と、
平常の勤務より時間のやりくりに大変だった夏休みの前半が一段落し、
明日からやっと休日モードに入れるわけである。

昨夜は、帰りにキムキム(仮称)と妙興寺で待ち合わせて、飲んだ。
彼も4日の県大会まで部活だったし、昨日は県代表選考会の役員として行ってもらったので、
お互い、夏休み前半終了ごくろうさん、の打ち上げのつもりで。。。
飲み過ぎた夜は寝苦しく、夜中に目が覚めて、眠れなくなる。
だから、寝不足だと自覚していても、早々に起き出してPCに向かっているわけである。
きょうは、朝、車を点検にもって行かなきゃいけないので、
ついでに雑用を片づけに回る予定で、今夜ゆっくり眠るとしよう。

さて、4日間の講習会は、時間的にも空間的にも実に窮屈で、
たった4日間で半月くらい過ぎてしまったような長い長い感じがした。
じっと座って苦行に耐えている間は、充実した時間とは思えなかった。
けれども、終わってからその主要な内容を振り返ってみると、
いつもベテラン司書に任せっきりの分類番号だとか、カード記入だとか、
そのあたりの歴史や基本を教わったわけで、
なかなか自分だけでは入り込めなかったし、そんな気にもなれなかったところを、
偶然手に入れたようなもので、儲けものだったということになる。
3冊の教科書を手に入れて予習しようかな、と思っても頭がクラクラしそうになったのに、
イヤイヤながら講義を聴いてみれば、この教科書も意味あるものに変貌する。
第1日目にはキャンパスライフとはほど遠いような感慨を記したのだけれど、
講義のありがたさを実感したという点では、大学時代と同じである。
夏休み前半にして、すでにひとつ、
例年にはなかった大きな収穫を得たような気分になっている。



2001年08月08日(水) 今朝はねぼう。。。

何と、昨日、一昨日に家を出発した時間に目が覚めた。
そういえば、目覚まし時計を止めた覚えもないし、
よくよく考えると、昨夜寝る前に目覚まし時計のセットをしなかったような。。。
でも、万事休す、というわけではない。
いつもの電車にはもう乗れそうにないというだけで、
急げば次の急行に乗って間に合う可能性もあるのである。
しかし、じれったい急行なんかでやきもきしながら行く気がしない。
この時間に豊田へなら車で何度も行ったことがあるので、
7時ごろに出ても間に合うだろうと、車で行くことにした。
本当は4日とも車で行ってもいいのだけれど、渋滞でもあったら困る。
普段の仕事だといざとなれば代わりになってくれるひとがいるからいいけど、
こういう場合は代役なんてのは一切きかないから絶対に困る。
安全圏ということで電車にしているだけで、車の方が基本的に早い。

実際、行きも帰りも早かった。
帰りなどは昨日よりも40分ほど早く家に着いた。
数年前まではこうは行かなかったが、東海北陸自動車道ができて、
大半を高速道路で行けるようになったから早くなったのである。

今朝は車に乗ってから青ざめた。ガソリンが乏しい。。。
けれども、入れなきゃ途中で止まってしまうので、
途中にあるガソリンスタンドでまずガソリンの補給をした。
そこは、平常の通勤の時に長い渋滞の途中にあるスタンドである。
止まったときはまだ渋滞でなかったのに、
この3、4分の間に見る見る車が信号待ちで並び始めた。
焦ったけれども、結局はその先、ほとんど渋滞もなくて、
目的地には、昨日より10分くらい遅れて着いたくらいで、余裕があった。

で、朝ガソリンスタンドを出たときに、距離メーターを0にしたので、
夕方家に着くころにこのことを意識して走行距離を見てみたのである。
結局、きょうの走行距離は、約190��、片道約95��というわけである。
毎日通うのは大変なことだ。
そう、最初は、すご〜く遠いところに行くような気がして、
毎日通うのでなく、一泊二日を2回やろうかとも考えたのだった。
けれども、電車でも意外と時間がかからないようなのでその必要もなかった。
考えてみると、今の勤務校まで25��もないのに、
パス&電車を使うと1時間15分ほどかかる。
100��近いこの4日間の目的地まで、バス&電車で2時間で着き、
車で1時間半程度で着く。
そこには条件の違いというものがあるのだけれど、ちょっとおもしろい驚きがある。


今朝ねぼうしたのは、ゆうべ「唯我独存?」を書いていて遅くなったせいでもある。
Upし忘れて寝てしまったようだ。



2001年08月07日(火) 賢い!!!

講習会が終わると我先にとみんな退散し始めた。
たぶん、昨日の帰りのバスの混みようと渋滞に勝とうとしたのだろう。
私もそうできればそうしたかったけれど、
みんなが同じことを考えているなら絶対勝ち目はない。
ただでさえ出遅れた上に、足が痛いので早く歩けず何人もの人に追い抜かれる。
バス停にはもうバス3台分ほどの人が並んでいて、
私の後ろに近づいてきた人が悲鳴をあげていた。
これでは、今乗客を乗せているバスに乗れないのはあたりまえで、
この次の、昨日と同じバスに乗るのも難しい。
きょうは、高校生向けのオープンキャンパスの日らしくて、乗客も昨日より多いのだ。
喫茶店を探してもいい、というくらいの気持ちで、大学の門を出た。
で、出たところで、ふと思った。
道路は渋滞している。昨日は、停留所の2区目までに10分以上かかった。
あんなところで並ばなくったって、先の停留所で乗せてもらえばいいじゃないか。
ひとつ先の停留所に達する前に、さっきのバスに1度追い抜かれたけれど、
あわてる必要は何もない。
バスの中を見ると、予想以上に空いている。
どうしてあれだけしか乗せずに発進したのか、不思議だ。
すぐにそのバスを追い抜いて、一つ目の停留所に着いたけれど歩き続けた。
渋滞の中、バスの中で立っているよりも、きょうは涼しいから外を歩いた方がましだ。
二つ目の停留所で待って乗せてもらって、後はスイスイと昨日よりうんと早く家まで帰った。
めったに自慢できることはないけど、きょうの賢明な判断は自慢したくなる。
急ぐなら廻るのが一番、の典型的な一例となるだろう。



2001年08月06日(月) 司書講習会初日

4日間も朝から夕方まで同じ講義を聞き続けるなんて・・・と思いつつ、
早起きを最大の不安に感じ、4日間のキャンパスライフを仄かに楽しみにしていたが、
後者は完全に期待はずれということになった。

まず、朝だが、先日から大会がらみで早寝早起きはめどがついている。
昨夜11時ごろに寝たが、夜中の2時半ごろから目が覚めて、
その後眠ったり覚めたりを3、4回繰り返して5時前に起きた。
6時半過ぎのバスに乗ると、7時発の特急に乗れた。
そうすると知立の駅から8時発の大学行きのバスに乗れた。
今朝は行き当たりばったりで行ったが、要するにこのコースでいいわけだ。

ところで、キャンパスライフの方だが、私のイメージでは、
時間的にも空間的にもどこかゆとりがあって、
しかも、講義を通じて何かしら〈哲学〉的な収穫がないといけないのである。
ところが、講義室の300以上の座席は満席で窮屈だし、
休憩時間も、10分と50分と10分。
生協の食堂は殺到して盛況だから長蛇の列。
昼食後の缶コーヒーと煙草もゆっくりしていられない。
帰りのバスは満員な上、車で帰る人たちと一緒になるので渋滞。。。
それなら少し帰りを遅らせようかと思っても、生協は終わっているし。。。

講義の主要部分はといえば、日ごろ目の当たりにしていることを言葉にしただけか、
予算が実際にはその通りに下りてきていないのに、理想の蔵書数・予算の話ばかり。。。
その3倍くらいの余談が入るから、余談をなしにしたら1日半で済んでしまいそう。。。
でも、まあ、こういうのは時間拘束の方が重要なんだろうから、
余談はサービスとして好意的に受け止めるべきなのだろう。

大学時代には、1日2、3講座が普通で、間に1、2時間の空白があったり、
1日4講座埋まっていても早く切り上げる授業があったりしてうまく回っていたものだし、
何といっても(つまらない講義もあったけれど)、いくつも発見があってよかった。
未知の世界に招待されるようなところがあった。・・・。

ただ、きょうの講義室は今年から冷房が入ったそうである。
去年は、みんな汗だくだくで講義を受けていたそうである。
想像するだけで地獄的である。
去年、参加の返事をぐずぐず遅らせていたおかげで定員が満たされて免除してもらえた。
これだけでも実に幸運だったわけである。
しかも去年だったら図書の経験年数が足りなくて8日間受講しなければならなかったのに、
今年は、経験年数が基準に達しているので4日間でいいわけである。
優柔不断なぐずぐずも、時には幸運をもたらすことがあるようだ。


行き帰りに鈴木光司の「ハッピー・バースデー」を読んだ。
「リング」3部作の外伝みたいな作品集で、
「らせん」の高野舞のビル屋上での死の場面、
「リング」の貞子の恋人であった遠山という男の物語、
「ループ」の杉浦礼子の後日談、という3作が収録されている。
文庫本のタイトルにもなっている3作目は、
「ループ」の苦味のある読後感を補ってくれる感動的な作品だった。



2001年08月03日(金) 県大会終了

やっと県大会が終わった。苦痛の県大会である。やる前から結果がわかっているから。
大体人数も30人に満たない、トロンボーンも(最低でも3本必要なのに)1本しかない、
ユーフォニウムもチューバもないのに、県代表になってしまうのがいけないのである。
競う意欲をもって県大会に出かけていたころが懐かしい。

人数の書かれた名簿を見せてもらったら、50人ちょうどでない方が少ない。
30人台の学校が2校、20人台なんてのは本校だけだった。

パートも大事なところが欠けているし、出てもしょうがないよ、と、
5月にも6月にも顧問として中心メンバーには話したのだが、
ミーティングではそれでも出たいという結果になった。
少数にはなってしまったものの、やっぱり、こうして入部した以上は、
何とか励みになる活動を求めてはいるのだろう。

地区大会で終わるつもりだったのが、さらに1週間汗まみれの練習を課せられてしまった。
確かにこの状態で県大会で演奏するのは苦痛ではあるけれど、
決してこの予定外の1週間が無駄であったというわけではない。
大切なのは、結果ではなくて、やはり、過程と経験なのだ。

さて、明日も、今度は役員として、早起きして豊田まで出かけなきゃいけない。
そろそろ寝なければ。。。


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