TENSEI塵語

2001年07月30日(月) 参院選終わる

自民党の勝利はとうに予想がついていたが、むしろ予想を遙かに下回る勝利というべきだ。
投票率も、予想を遙かに下回っている。
(あくまでも、政治に疎い私の予想に過ぎないのだが)
「自民票」の理由によくある「改革への期待」というのも、
「改革」によって何を期待しているかがまったく不明だ。
「改革」提唱者が何も具体的に語っていないのだからあたりまえだ。
参院選前に明らかにしないところを見ると、
よほど庶民にとって具合の悪いことなんだろうと勘ぐらずにいられない。
とある店のマスターの新聞での談話、
「還暦になったとき、少しでも暮らしが楽になっていてほしい。
 今回は小泉さんに夢を託してみます」
なんてのを読むと、こういう人たちがだまし討ちに遭わなきゃいいが、と不安になる。

それよりも、夕刊を読んでいて、新聞の記事に気になるのがあった。
思い過ごしかも知れないが、大きな流れの中の小さな動きでなければいいが、、、と。
それは、「比例区で逆転現象」という見出しの記事である。
31万票でも落選し、2万4千票でも当選することをやけに強調している。
これを読んで、さっそく「比例区はおかしい」と投書する人がいることだろう。
新聞のすべきことは、この点を指摘した上で、
比例区は政党への投票だからこれはおかしくない、ということを教えることだろう。
個人名に投票するのは、政党内での当選者の優先順位を決めるためで、
政党別の得票数と議席数を見れば、なにもおかしなことはないのである。
個人得票数の逆転現象なるものは、この意味では一種の錯覚である。
それ以上に、この新方式によって大儲けした政党があることの方が問題だ。
マスコミに名を売って人気取りに終始した人を取り込んだ政党が勝てる。
選挙がだんだんと横道に外れてゆく。。。
けれども、新聞が書いているのはそんなことではなく、
個人得票数が少なくても当選できる矛盾という誤った見解、
比例区の本来の意味を忘れさせようとするような見解なのである。

こんなことが気になるのは、ひとつには、地方区よりも比例代表と思っているからである。
地域がお世話になっているから、といっては
汚職犯罪人でさえ政界に復帰させる地方区よりも、
政策論議の上での政党選びをする比例区の方がより妥当性がある。
個人名でも投票できるようになったのは、
名簿の優先順位を政党任せにしないという点でいいと思ったけれど、
候補者の立て方がちょっと邪道に陥りつつある。
(私的には、最高得票の人名を見ると、アホらし、と吐き捨てたくなる)
またひとつには、この新聞記事の書き方を見ると、
マスコミがますます右傾化に荷担し始めているかな、、と懸念するからである。

まあ、とにかく、いろいろとだまされないように気をつけたいものである。



2001年07月28日(土) 花火大会

きょうは久々にのんびりと過ごした。
市吹も休ませてもらって、長良川花火大会に行った。
行った、といっても、歩いて5分で川岸に出られる。
その川岸に出れば、すぐそばで鵜飼いをやっていて、その向こうに花火がまるまる見える。
打ち上げ場所から7、800メートルくらいだろうか、
ちょっと小さめに見える位置だけれど、案外多くの人が座って見ている。
そのあたりでも、感激のあまりの拍手が起こったりする。
鵜飼いが完全に終わった8時半ころに、少し歩いてもう少し近いところに移動して、
ラストのあたりを堪能して、そうしてのんびり歩いて帰る。

こんないいところに住んでいながら、数年ぶりの花火鑑賞である。
例年は、部活や大会のために県外に仕事に出てしまう。
夕方遅くに帰ろうとしたって混雑に巻き込まれて、動けなくなるので、
そのまま市吹に行って、寄り道しながら遅くに帰宅する。
途中、江南や各務原で祭のにぎわいに出会う。
そして対向車線の長蛇の列と路肩の間をすーーーっと走って帰るのだけれど、
我が家まであと3分くらいのあたりで渋滞に巻き込まれたりする。
そんな風だから、なかなか見られないのである。

小学生のころ、郡上八幡の花火大会は1分に1、2発ずつ上がったものだった。
じっと待たされて、シュポッというかすかな音やかすかな赤い筋を見ては、
「上がった」と思うと、大輪が開いて、大きな音がする。
そんなのがいくつか悠長に上げられて、時々連続弾が上げられる。
そんな花火大会でも、なかなか大きな楽しみだった。
岐阜に引っ越してから、この長良川花火大会は、最初驚異だった。
そのころも、15分ほど歩けばメイン会場に行けるところに住んでいたのである。
もちろん、友人たちと連れだって、メイン会場に毎回通ったものである。
その当時は、1発ずつがひっきりなしに上げられる合間に、
だいたい5分ごとにスポンサーの提示の後、派手なスターマインが上げられた。
最近は、スターマインの連続になっているようである。
それのひとつずつが以前よりも長く豪勢になっている上に、
ちょっとだけ間隔をあけて、またそれが始まるという風に。
場つなぎの「1発ずつ」の時間は開始直後だけになっているようだ。

花火の音というのは不思議なもので、まだ明るくても、
派手な音がし始めると、そわそわして落ち着かなくなるものである。
暗くなって、川へ向かう間も、派手な音がするのに建物に遮られて見えなかったりすると、
すごく大切なものを見逃してしまったような気がして、ついつい急ぎ足にさせられる。
朝から、きょうは花火大会だぞ、とばかりに打ち上げられているのを聞きながら、
仕事に向かうのは、この土地に親しんだものにはたいへんつらいものである。

来週の土曜日も主催者の違う花火大会だが、県大会役員で豊田に行くことになっている。
当然のことながら、市吹に行って夜中に帰宅するコースになる。
それ自体は残念だけど、朝早いので、
花火打ち上げの第1号を聞く前にでかけることになるだけは救いかも知れない。



2001年07月27日(金) コンクール終了

一昨日、市吹の活動日誌に余談でこんなことを書いた。

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まず、市吹とは関係のない話だけれど、今はコンクールシーズンである。
各地で中学・高校の地区大会が次々に開かれている。
犬山〜扶桑〜江南〜岩倉〜海部郡へと結んだ線より西側の西尾張地区の大会も、
明後日から稲沢市民会館で中・高の大会が連日行われる。
私は今年初めて、ちょっと事情があって自分の学校を振らないことになった。
本番は他の先生に任せるので、はたから見ると気楽そうだけれど、
案外気楽なものではないし、もちろん、できるだけ汗だくで練習は見てやっている。

それ以上に、例年同様、地区の高校の事務局を担当しているので、準備に忙しい。
きょうも、審査員の審査用紙、出場者証、チケット入場者の外出証、
貼り紙、アナウンス用台本・・・などなどを作ったり、
配布用の封筒詰めをしたりで、たっぷり7、8時間を費やした。
当日も、大会役員の先生たちや生徒たちが各部署で働いてくれるけれど、
緊急の指示を出しに走り回ったり、審査集計や表彰、結果報告など、
気が抜けない1日となる。

岩吹の定演もそうだけど、はた目には何気なく進行しているようなイヴェントにも、
たいていは少数のボランティアが頭と時間を費やしているものである。

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この7月のコンクールと12月のアンサンブルコンテストの前の数日間は、
なかなか大変な重圧なのである。
こんな厄介な役を引き受けてから、もう7年目になる。
その気の緩みからか、「リング」3部作にのめり込んだこともあって、
取りかかりが遅れて、25日には焦りまくっていたのである。

係員を随所に配置しているといっても、いろいろと突発的な問い合わせは来るし、
いろいろな状況を自分の目で確認しないと安心できないこともあって、
きょうも一日中会場内を歩き回り、走り回っていた。
準備にも手落ちがなかったようでうまく回ったけれど、
去年会場をとってくれた人たちが楽屋や練習室を申請していなかったことを、
部屋がまだ開いてないよ、という訴えではじめて知ったので大変焦った。
また、会計係の到着が遅れて、当日券の釣り銭の用意がなくて、
会館のレストランで頭を下げて両替をしてもらわねばならなかった。
そんなトラブルで朝たいへんな一幕もあったけれど、概してあとは順調で、
表彰式も終わり、県大会代表校の打ち合わせもすんで、
楽屋ロビーに座ったときには、肩の上のものがさらさらと滑り落ちてゆく気分だった。

ただ、今年はこれで終わるに違いなかったコンクールが、
今年もまた、県大会まで引き延ばされることになって、その重荷は続くわけである。
代わりに振ってくれた先生と、なかなか呼吸が合わなかったらしく、
大いにアンサンブルが乱れたところはあったけれど、
トータルなサウンドという点では、これでも相対的によかったらしくて、
第2位で代表に選ばれてしまったわけである。
私が思い描いている基準でいえば、とてもとても、、、というレベルなのだが、
他校の出来によっては、それでも上位に入ってしまうわけである。
おまけに人数が少なすぎて、パートも欠けている。
そういう状態で県大会に出るのはたいへんなことだが、
これからまた数日間、できるだけの悪あがきをするしかない。

でも、生徒にとってきょうの演奏は不本意なものだっただろうから、
もう1度チャンスがもらえて幸運だったろうと思う。
4年前までの、東海大会をめざしていたころと違って、
今は、出場できるだけでも幸運、練習の機会がもらえるだけで幸運、
2度演奏のチャンスがもらえて幸運、と教えざるを得ない。
地区の加盟校が25校のうち、参加校は12校にまで減ってしまった。
出たくても出られず、練習もままならない生徒達がたくさんいるのである。



2001年07月23日(月) リング3部作

一昨日「ループ」を1日で読み終えて(もちろん部活も市吹もあったけど)、
昨日、読後のごちゃごちゃを整理するために、3作の要点をまとめてみた。
これはなかなか大変な作業だった。
「ループ」とは要するに何だったのか、これを簡潔に説明するために、
もう1度本をパラパラ開いて、要所を熟読しなければならなかった。
また、読むのに夢中にさせられた壮大な部分を多く削ってでも、
とにかくまず単純な大筋をまとめようと、取捨選択に苦しんだ。

読後の余韻はまだ響いている。大変な世界を体験させてもらったものだ。
「らせん」など、渋滞中の車の中で、ついつい開いて、
ちょっと読んでは車を進め、またちょっと読んでは車を進め、、、
それほど展開が気がかりでたまらなくなる物語だったわけだ。

きょう、たまたまCD屋で「リング」「らせん」のDVDのケースを見たけれど、
やたらと不気味なデザインが施してある。
たぶん、映画もやたらと不気味に作ってあるのだろう。
文庫本の表紙も、いやになるほど恐怖の世界を表現しようとしている。
けれども、「らせん」と「ループ」はそういう物語ではないのだ。
確かに、科学的事象のはざまに生じた怪、には違いないのだろうけど、
幽霊とか怪物とかに恐れおののくような、そんな物語ではなくなっている。

そしてそれよりも、この世界の、この宇宙の存在自体の謎というものに、
いっそう刺激的に思いを広げさせてくれたことを歓迎するのである。



2001年07月19日(木) 「リング」から「らせん」へ

「リング」は昨日の夕方読み終えた。推理小説としてとてもおもしろかったので、
ついつい寸暇を惜しむように読み継いだ。
登場人物が得体の知れないものを生身で感じる部分の描写がうまい。
読んでいるうちに、この部屋の中まで登場人物のいる部屋の異様な世界に
変貌しているような臨場感に包まれる。
けれども、横溝正史のように、何から何まで怪しげなムードの中に引き込むわけでないのは、
やはり、舞台装置も小道具も、現代そのままで勝負しているためだろうか。
このあたり、両者を比較して速断すると、横溝正史の場合には、
全体を妖しい雰囲気に彩りながら、最後には合理的に決着するのに対して、
この「リング」の作者の場合は、そんな不思議が起こり得ないような現代を世界の中に、
不可思議で霊的なものの力を敢えて描ききっている、ということになる。
だから、いっそう恐ろしく不気味な何ものかが読後に残ることになる。
ただ、この「リング」の場合、その霊的な力とその「増殖」が、
「ビデオ」とか「ダビング」というものに託されたのが、
どうも釈然としない、ばかばかしくがっかりするような印象に終わった。

それでも、主人公の妻子の運命も気になるし、どうしても続編を読まねばならなくなって、
昨日の帰りに本屋に寄って、「らせん」も「ループ」も買った。
「らせん」を読み始めると、「リング」よりもさらに密度の濃さが感じられる。
生物学的・医学的知識も一般人には難解な次元にまで踏み込んでいる。
暗号解読の世界にも入り込む。
医学者たちが直面する不可解な医学的現象。
ビデオテープから発散したと思われる恐ろしい空気。。。
こうすればこうなるではすまないような執拗でまとわりつくような「念」の力が、
だんだんと深まってきて、「リング」で残ったばかばかしい印象も薄らいで行く。。。



2001年07月17日(火) 雷雨

先週の半ばに梅雨明け宣言(曖昧だったが)がされて以来、
木、金、日、月、火と一時的な大雨に襲われている。
木、金ときょうは夕立で、日曜は深夜の雷雨、月曜は朝の激雨だった。
当たったら痛いだろうな、と思うような大粒の雨がいきなり乱れ落ちてくる。

今日の夕方は特にひどくて、帰宅の車を入らせたら降り始めた。
たんぼ道を走ると、広大な空の四方八方・・というよりは、
進行方向しか見ていないので、三方五方というべきだろうが、
そこら中に稲妻が乱立する。
一時は、ハンドルを握る手の手首のあたりに稲妻の衝撃を感じて、
その直後に恐ろしいほどの落雷音を聞いた。
雨も風も見る見る激しくなり、前方が見えにくいばかりでなく、
地面に叩きつけられた水がそのまま吹き上げるように流れて行くので、
車も足をすくわれてひっくり返るのでないかと不安になるような激しさだった。

踏切が2つ続くところで渋滞になり、この渋滞がなかなか進まなかった。
けれども、なんとか少しずつ進む内に、雨風も穏やかになり、
一つ目の踏切を越えたあたりで、どうもおかしい、2つ目の踏切がなかなか上がらない。
それでも今まで進んできたのだからと、辛抱して待ち続けていると、
歩行者が次々に遮断機を押し上げたりくぐったりして渡り始めた。
こうなるともう踏切の故障としか考えられないので、
たまたま右前方に開けていた空き地を利用してUターンして別の道に走った。
それでも、どこもかしこも渋滞だらけで、いつもの2倍半の時間をかけて帰宅した。

すごく迷惑で、恐怖感さえ与えるような雷雨が続いているけれど、
ウジウジと降り続ける長雨よりは、こういう一挙にぶちまけるような雨の方が好ましい。


ちょっと古いホラー話題作「リング」を読み始めた。
話題のまっただ中だったころから、何となく読んでみたいと思いながら、
ず〜〜〜っと避けてきた小説である。
ホラー小説は、赤川次郎でも読みたくないので読まないようにしている。
映画だったらもちろんのこと、菜々子さまの作品でも見ないようにしてきたのである。
けれども、やっぱり、何といっても菜々子さま主演女優賞の作品を、
見ないですませるわけにもいかない。
それならとにかく、まず小説を読んで少しでも免疫を作ってから見ようと、
教図書館で借りて、さっそく読み始めたわけである。
半分ほど読んだけれど、ここまではそれほど露骨な恐怖感はない。
ただ、やはり底知れぬ異様な不気味さは湛えている。



2001年07月08日(日) またもや「なでしこ」最終話

いつからだったか、また最初から見直し始めた「やまとなでしこ」。
毎晩というわけには行かず、時々何日か置きに見ながら、
水曜日に第10話を見て、昨夜最終話を見た。

昨夜、途中で巻き戻してくり返し見た部分。
・欧介がニューヨークに行くと聞いて、食べかけのお菓子をぽろっと落とす部分。
・「とっとと行っちゃえ!!! 行くなら一生帰って来んな!!!」の部分。
・「あなたはまだ、なにもわかってないわ」
 「あなたと欧介クンは、まだ何も始まってないじゃない」と
 佐久間夫人に諭されている部分。

ドラマが終わっても、まだ名残惜しくて、特典映像を全部見尽くして、
それでもまだ名残惜しくて、もう1度見ようか、と思いながら、
我慢して眠ることにしたのだった。。。



2001年07月04日(水) カリキュラム私論

きょうのように、後から後から日程が埋められて、
やろうと思っていた仕事がぜんぜんできない日も、そうあるわけではない。
きょうは、授業が3時間で、教科会が入っていたが、
さらに他日からの授業変更が入っているわ、自習監督が入るわ、
終礼には行かなきゃいけないし、業後の図書館監督と戸締まりも代行。
他校からの講習会の問い合わせもあるし、部活の生徒からの相談事も増え、
10分放課ものんびり過ごすことが少なくなっている。

もともと、教員になって以来、空き時間ものんびり過ごさない習慣になっていて、
部活も忙しく、分掌の仕事も忙しかった3年ほど前までは、
何かと忙殺されてあくせくするのが当たり前だったから、
1日中日程が埋まっていたって何も不満に思う必要はないのだが、
〆切間際の成績処理がまったく進められなかったのは、大変痛い。
しょうがないから、業後、司書室でやろうかと思っていたら、
生徒が多すぎて、成績表をパソコンで開くわけには行かなかった。
夏休みの読書感想文の要項だけ簡単に作ろうと思って始めたら、
意外と時間がかかって、帰りが遅くなってしまった。
7時ちょっと前に帰宅したのだが、妻がまだ帰ってないので、
休む間もなく、夕飯の支度。。。 脚が棒状態だが、しょうがない。
(昨夜や明晩のように、遅くなることがわかっているときは、娘に任せる)
遅い夕食後、成績処理を済ませて、そのころさらに降りかかってくるのが、
妻のパソコンでの仕事の、仕上げの手伝い。

1日24時間というのは、短すぎると、今週は特に(またもや)痛感する。


ところで、なしにしてくれないかなぁ、、、と願った教科会は、
やっぱり、有無を言わせてもらえない勢いで開かれた。
再来年度からの科目編成について、中間報告を委員会に持って行かなきゃならない、
ということだったが、こんな忙しいときに意見なんてないよ、と思った。
ところが、忙しいときというのは、案外バタバタと言うべきことがまとまるものである。
今まで、消極的に出していたところを、強硬に持っていってもらうことにした。

1、最低修得単位数に合わせて、一斉必修授業を、1日5時間にする。
  1時間目を今までより5分遅らせて、9時に始める。(STの確保)
  9時から3時間授業を行い、昼放課を挟んで、午後2時間授業をする。
  (昼食が遅すぎるという、いびつな時間割も改善できる)
  6時間目は選択授業とし、希望しない者は帰宅、または部活など。

 イ、これが認められる可能性があるなら、具体案を真剣に考えるけれども、
   とうてい認められないのに試案を出せるほど、暇はない。
 ロ、けれども、なぜ、必ず6時間拘束しなければならないか、
   その理由はしっかり説明してもらわねばならない。
 ハ、これによって、最低単位数のために矛盾だらけだったおかしな点は、
   すっきりと解決される。
   今までも、必修科目と指定されている科目が不認定でも、
   どうして進級・卒業できていたのか、まったくおかしいことばかり。
 ニ、「特色」を出すなら、ここまでやらなきゃダメだ。
   特別金が出るわけでもなく、施設が増えるわけでもなく、
   教員を増やしてもらえるわけでもないから、
   思い切った内容的改革なんて、大してできるわけではない。

2、2年次から就職コースのクラスを設定するのは、
  生徒自身がまずはっきりと決められないばかりでなく、
  人数枠に合わせて強引に調整しなければならないという点で、不都合だ。


今、こうして、書きながら思うに、最低単位数がどんどん減っているのは、
ゆとりのためでしかないのに、どうして、それを実地に反映させてはいけないのだろうか?
それとも、生徒が怠けてもいい幅を広げたくて、単位数を減らしているのだろうか?
そんなばかな施策はないと思うが。。。
  



2001年07月03日(火) とりあえず入れ替え完了

HPのファイル入れ替え作業が「舞姫」を除いて終わった。
気がかりなことが一段落して、ほんのちょっとさっぱりしたような。。。
それにしても、未upの書きかけファイルの多いこと。。。

今朝も大渋滞。
それだけでまたヘトヘトになって、3時間連続授業。
その間に、書類整理して提出したり、講習会の問い合わせ電話に応対したり。。。
で、昼から吹連の理事会のため、名古屋に出る。
名駅から朝日新聞社まで歩いて、汗だくになった。
帰りは、用事で一宮の楽器屋にも寄って、帰宅したのが8時半。
遅い夕食後、仕事前にファイル整理を少しやったら、そのままダウンして、
1時間半ほど眠ってしまった。誤算。

名古屋に向かう途中から、2カ月ぶりくらいの鼻炎に悩まされたのは、
前の車の排気孔から黒煙がまき散らされるのを見てからだ。
異様な臭いも車の中に入ってきて、すぐにシャットアウトしたけれど、
それからしばらくして、くしゃみと鼻水に苦しめられるようになった。
よくあんな車に乗っていて、罪意識なしに生きていられるものだ。
鼻炎と闘いながら名古屋を歩いていて、いっそう汗だくになった。
それとは対照的に、朝日新聞社の冷房は効きすぎていて、凍えるほどだった。
もう、何から何まで、最悪の1日だった。

もう少し元気だったら、理事会で、数年ぶりに、
コンクール等の表彰方法について、改善案の示唆をするつもりだったのに。。。
あの車の無邪気な運転手は、人の半日をめちゃくちゃにしたなんて、
夢にも思っていないだろう。
(もちろん、あの黒煙が常に鼻炎をもたらすわけではない。
 もしそうだとしたら、毎日鼻炎に苦しんでいなければならないので)

さて、きょうは慌ただしく職場を離れてしまったので、
明日の日程がほとんど頭に入っていない。
変更が入っていたような気がするけれども、ちゃんと確認できてない。
明後日まではとにかく、わけわからぬほど忙殺されそうな。。。



2001年07月01日(日) HPの修正始め

もとより、あんまり凝った作りにするつもりはない。
けれども、特にネットスケープで見ると行間が詰まりすぎていて、
自分でも読みづらいので、フォントを1ランク大きくしてみることにした。
また、ファイル名を最初うかつに、1、2、3とつけていたのが、
これだと10以上が加わったときに順番に並んでくれないので、
01、02、03 に書き直して、リンクを張り直す。
この3つの作業を、まず「やまとなでしこ」のところから始めた。
「やまとなでしこ」について書いている時に1度思ったのだが、
あの時は、見るのと書くのに夢中で、ついそのままにしてしまった。
おかげで、大変な作業が後に回ってしまったわけだ。。。


7月に入った。モワッと蒸し暑さを伴う陽射しの恨めしい7月。
仕事に追われ続ける、ゆーうつな7月。
何やってんのかわけわからなくなるくらい、イライラする7月。。。


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