雑記帳
日々の感慨、経験、その他をつらつらと

2001年06月23日(土) 無益な時間・・・

今日はひたすらに寝まくってしまいました。
すごく無意味な時間ってありますね、やはり。
勉強をしない時間が無意味な時間だとは流石に思わないけど、それにしても何もしなかったもの・・・。



2001年06月22日(金) 「大丈夫だよ」

なんか漸く思い知りました。うかつに大丈夫だよ、なんて言えないんですね。
友人が大分前に言ってたことだけど、私は今になってようやく身に沁みたようです。
主観的に見ても相当楽天的な私は、何事も「大丈夫でしょう」とか結構思ってるところがあるわけなんですけど、誰かを励ますとなると別問題なんですねぇ。
根拠無くやたらと肯定しても、駄目なんですよね。
ああでも、一体どうしたらいいんでしょうか。(また言ってる。)
これといって大変な悩みもなく絶望感も無く仕合わせに育ってきた御陰で、私にはやさしさとか強さとか(?)、そういったものが足りないみたいで。
歯がゆい歯がゆい。
あたふたあたふた。

そう言えば、私はこういう「どうしたらいいのかともかく判らない」事態の処方箋がほしくて心理学やら哲学やらの本を読み出したと言ってもいい訳で。
でも、少々本を読んだくらいじゃぁ全然解決になっていないのでした。
歯がゆい歯がゆい。



2001年06月20日(水) うろたえること

このあいだ友人に、儚げだね、みたいなことを言われて、あとからうろたえてしまいました(苦笑)。
やっぱり、どこか、そういう言葉には憧れるところがあるんだなぁ・・・。(しみじみ)
ちょっと前の日記に「高みを目指さなきゃならないんでしょう」とかなんとか言っておきながら。

そして、友人の動揺(?)も心中穏やかならぬことになります、やっぱり。
もう傍目に判るほどぎゃぁぎゃぁ言って(私がうろたえてるを)どうしたらいいの、なんとかして、とは言わなくなりましたけど。(今思うと恥ずかしい限り。)
ああ、でも本当に、私はなにができるんでしょう・・・。私は人ひとりを全部支えられるほど強くもやさしくもないんです。どうしたらいいんでしょう。
難しい本読んで脳みそのゲームをやって悦に入ってるなんて阿呆くさいですね。
実は何の役にも立たないのかもしれない。
そう、あんまりに無力な気がするわ・・・。

(そして、学校で日記を書くのってやっぱり無謀かも・・・)



2001年06月17日(日) おかしなロマンチズム(?)

例えば、
精神病(=狂気)、白血病(?)、心中、自殺。
ある意味、妙な具合にロマンチックに感じられるもの。

でも駄目なんです、並べてみるだけでなんだか吐き気がしてくるほど。
駄目なんです、こんなんじゃぁ・・・。
きっと、もっと高みを目指すべきなんでしょう。

私は心身共に健康なんです。
これはこれで、軽い失望でもあるんですけど、
いつまでもそうは言ってられないんでしょう。

そう、もっと高みを目指すべきなんでしょうけど、それもまたしんどいんですね。
ああ嫌だわ。


また別の話で。

ここ数日で見かけたこわいもの。
・「そんな風にひとに迷惑かけていると、殺されるわよっ!」と小学校低学年とおぼしき息子を叱る母親。
・新宿紀伊国屋近くの路上で、相当やばげ(鼻の下のばしているのとはまた違う)な目をして、通り過ぎる若い女性のそでをつかもうとしている、三十中盤の男。(私は思わず逃げた)
・駅前のスーパーの前に繋がれてる犬(おびえて吠えている)に、ファイティングポーズを取りつつ煙草の火を近づけようとしている五十くらいの男。

ほんとにやばい人って、実はすごく身近に居るのかも知れません・・・。



2001年06月16日(土) 本屋と美術館。

友人と、塾帰りの電車の中で。
「東京に住んで何がいいって、本屋と美術館がいいこと。他はあんまり。」というような話をしてました。いやもうほんとに。

色んな事について沢山話をしたいな、と思う人はいっぱいいるんですけど、どうも片思いばかりで(笑)。
私から喋らないせいですけども、ね・・・。

話はずれて。

大阪の教育大附属小学校で起きた、ショッキングな事件のこと、あれは日本に居る人のほとんどが知ってると言っていいですよね。
だとしたら、皆さんあれをどう解釈してるんでしょう。
一億以上の人間が、一人一人あの事件が一体どういうものだったのか考えて・・・。
やはり、かなりの人は新聞やテレビの見解を見てそれで終わってしまうんでしょうか(私がそうだけれど。だってちょっと理解できないんだもの)。
新聞・テレビの恐ろしいこと。
これだけインターネットが普及して山ほどの情報があろうとも、(だからこそ?)伝統的なメディア(?)の影響は強いんですね。

更に話はずれて。

例えば、電車で本を読んでいるとき。
ちょっと文章のむずかしい、竹田青嗣の「ニーチェ入門」なんぞを読んでいたいりすると、当然ブックカバーはかけるくせに、妙な優越感があったりするんです。ちょっと堂々と(?)読んでたり。
あぁもう最悪。
そういうときの私って一体どういう顔してるんでしょう?
見たところ大人しくて、真面目に考えているようで、鼻持ちならない嫌味なインテリ(の卵?)ぶりを発揮してるんでしょうか。うげげげげげげげ。
さらにタチの悪いことに、こういった妙な優越感ってのは、小さい頃から割と馴染み深いものだったりするんですよね。
うぎゃぁぁぁぁぁぁぁ。
もーいやぁぁぁ・・・四十を越えると内面が顔に出るって言うし・・・二十年後がエライ恐ろしいわぁぁぁ・・・。

更にまた別の話で。

さっき、ニーチェ入門とやらを読んで得意になってるのが鼻持ちならないと言いましたけど。
先日の日記で、考えたところで結局すべてが分かるわけないって書きましたけど。
でも、考えなくちゃいけない、と思える気がします。
まず、まぁ結局直感なんですけど、誰しも自分で考えなきゃいけないんです。哲学はもちろんだろうけど、数学でも政治でも歴史でも。他の誰かの言うことに飲み込まれちゃいけないんです。
そして、普段くだらないことでも色々と考えていれば、きっと思考力が強くなるんです。(今日の塾の国語の授業で思った訳なんですけどね。)
きっとそれは、知性が鍛えられるってことで・・・。
これには私、無条件に憧れるんです。


貧弱な話の展開だって分かってるつもりです。あとで読み返したらギャッって飛び上がっちゃうだろうってのも大体分かってます。
でも、何かに書き留めておかないと、これから先に進めないので・・・。



2001年06月10日(日) あーぁ

某委員会も任期満了です。
もう、あやつに会うこともないんでしょうかね。
貸した本も郵送で送ってもらうことにしたし。
最近ほんとにどうでもよくなってましてね。
だって、議論を吹っ掛けたところでのれんに腕押しというか何というか。かなり考え方違うんです。

それでも今になってほんの少し切なくなるとはね。
やっぱり少し懐かしいからか。
2つの音楽会を作った高2の一年間は、びっくりするほど青春でしたから。

こう言うのもね、昨日その委員会の仲間と打ち上げに行ったのですよ。
いやぁ楽しかった。なんてすてきなひとたち。
(あやつは他の人たちと別の打ち上げに行ってたけどね。)
あの委員会の同期会HPを作りたいくらいです。時間あるかなぁ?(笑)


今日は今日で、友人とプラネタリウムを観、その後延々とお喋りしてました。
プラネタリウムで、星の話とみせかけて微妙に哲学なプログラムをやってたりして。おもしろいことをやるなぁ。天文学者は哲学好きなのかしらね?
世界は本当に広すぎて、そもそも一個人の手に負えるようなものではないのでしょう。
感受性の鋭い人とかがそれに気付くと、どうしようもなく不安になったりするのかも知れません。
でも、別に世界が何かなんて分からなくても、ぶっちゃけ人間はしぶといですから生きていけます。

そう、そもそも、何かを分かろうと考えていても、絶対に全部なんて分からないんですよね。
考えたところで、悩みが消える訳じゃないんです、きっと。
じゃぁなんで、色々考えなくちゃいけないって思うんでしょうかね。


それにしても、私はあんまりにも勉強する気がない。全く、なんだっていうんだろう・・・。



2001年06月05日(火) ふと気付くと

日々、何が変わったわけでも進歩したわけでもないのに、
爪は伸びるしコンタクト洗浄液はなくなるし季節は過ぎていきます。

ティーンエイジャーのうちに、ニーチェのツァラトゥストラかく語りきとやらを、(決心して)読んでみようかな、とか思いました。
(決心して読まないと絶対途中で止めちゃうだろうから。)
それというのも、「90分でわかるニーチェ(ポール・ストラーザン著・浅見昇吾訳 青山出版社)」とやらを図書室でみつけたからです。
なかなか乱暴な(?)題名ですけど、この要約っぷりが有り難いし、文章やさしいし、ちょっとおすすめ。

学校の図書室とか、大学の生協とかって、すごくおもしろい具合に本が厳選されてて、ちゃんとみるとなかなかよさげです。



2001年06月03日(日) 私の学校

この間、お気に入りの雑貨屋さんのおばさんとおしゃべりしてて驚いてしまったんですけど、
コギャル(笑)やカツアゲや「やりたいことが見つからない人」や「すぐキレる人」のなんと身近なことか。
もう大分会ってないけど、中学の時の友達もやりたいことが見つからないそうです。近くの駄菓子屋にたむろしてる小学生をカツアゲするこの上なくみみっちい輩もよくいるそうです。
「うーん・・・。何なんだろう・・・?」とぶつぶつ言ってるだけで精一杯でした。嗚呼。
私は全然気付いていなかったのだけど、所謂「最近の子」の症状(?)って全然他人事じゃないんですね。

どうやら、私の学校(と私の周り)には優等生ばっかり集まってるようです。
すぐ暴れ出すような人も居ませんし、皆それほど言われなくてもそれなりには勉強してます。お行儀も割といいですね(打ち上げ行ってもお酒は飲まないし)。
このことも、私は全然気付いてなかった。

すぐ身近にあることなのに、全然見ちゃいなかったようです。
なんなんだろう、これは。
同じニュータウンに住んでて、同じ高校生で、大して違わないはずなのに、
この断絶(大袈裟?)は何。何より、何も気付いてなかった自分は何。
白状すれば、私は「すぐキレる人」の気持ちは分からない。何故どうでもいい細かいことにキレたりするんだろう。何故そんなに神経質なんだろう。
「やりたいことが見つからない人」の気持ちは分からないでもないんだけど、本当は全然わからないわけじゃないでしょう、って思ってる。

この「気持ちが分からない」ってのは流石にやばいとは思いました。
自分の世界が、どんどん小さくなっていってしまう。他の人から見て「嫌味なエリート」になって街を闊歩してもしょうもないわけで。
でも、だからって自分がどう変わるとも思えなくて。
金髪の高校生(男女問わず)がコンビニの前で座り込んでたむろしてたら怖がって避けて通りますし、「やりたいことが見つからない人」に適切な助言ができるとも思えません。そういうのが苛立しくは思えど。

しかしほんと、エリートって何なんでしょうね。
私は「世の中を支えてる自覚のある人たち」だと思ってるんですけど。
普通は、有名高校(?)に行ってたら問答無用でエリート予備軍なんでしょうか?今時そんな理屈もないと思うけど・・・。
私は大して頭がいいわけでもないし、難しい思考に耐えられるわけでもないし、これといって努力もしてないし、要するに大した人間ではない訳です。
(「知識人」という言葉や尊敬すべき大人には憧れますけど、だからなれるって訳じゃないですしねぇ。)
それなのに、一体・・・。
中学の頃感じた、所謂優等生が受ける白い視線の不快感を思い出します。(私はまぁ所謂優等生ではあったんでしょう。)
ああほんと、一体何なんでしょう・・・?

庄子薫クンの抱えてた悩みと同じようなものから、私はちっとも抜け出せません。
あの小説が書かれて30年以上経つというのに。
ひょっとして、時間は何も解決しないのかも知れませんね。ある分野の問題は。

そして、(こういうことには限らず、悩みはそれぞれだろうけど)若人達は何時の時代も悩んでて、でもなんだかんだと自殺もせずにちゃんと大人になっていくんですよね。庄子薫なんてもう60すぎのおじいちゃんですよね。
前はこのことを思うと寒気がしたんですけど、今ではなんだか諦めてます。

(・・・やっぱり話題がずれてばっかりでまとまってないやぁ・・・)


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