雑記帳
日々の感慨、経験、その他をつらつらと

2001年05月30日(水) 五月雨

今日くらいの極軽い雨は、そう嫌いじゃないです。
むしろ涼しい分好いかも知れない。

食生活乱れてます。具体的にはお菓子食い過ぎですけど。
それに現実逃避で本をざくざくばらばらめくってるだけで全然勉強してませんし。
某Y氏へのメールには、用件のちゃんとあるのにまで、禅問答チックなセリフが必ず入るようになってしまいました。うーん。
いきなり、「本当に読まなくちゃならない本って何なんだろう?新聞はとりあえず読んでるけど、多少世の動きがわかったところでどうなるって言うんだろう?」とか言っても普通相手は困るわな。分かってるんだけど。



2001年05月29日(火) 気付いたら日記の空白が・・・

やばいですなぁ。体育祭があったにせよこりゃぁ・・・。

えっと、まず、今日の朝日の夕刊に載ってたポリーニのコンサートより。
そう、18日に聴きに行ったのですよ、父と。ポリーニという有名なピアニストのリサイタル。ショパンづくし(女性が多かったよ・・・)。まともにピアノを聴きに行くのは初めてでした。
私は、前半の詩情豊かな(とかいう言葉しか思いつかないのだなぁ。悲しい)感じの、とても一筋縄ではいかない複雑さっていうか、一つの物語に引き込んでしまうような感じのに惹かれて、白状すればちょっぴり泣いたりもしてたんです。もちろん、後半の音のキレイさを追究したのもよかったんですけど、でも音のキレイさってただそれだけでしょう・・・?程度にもよるんでしょうけど。
でも、聞いてみたら父とは評価が正反対だったのですなぁ。
それで恥ずかしながら私は当日割とへこみまして。翌日には回復してましたが。
自分の感じ方に自信がないのも自覚しましたけど、何より「何がどうよかったのか」ちゃんと言葉にできるようにならないとなぁ、と痛切に思ったのです。
いくら言葉が拙くても、言うと一面しか語ってないようで却って野暮に聞こえてしまう怖れがあっても、でも言葉にしなくちゃいけないんです、きっと。
そうでなきゃ私はその感動をいつか忘れていってしまうに決まってます。それに、きっと感受性とやらも鋭くならないんです。
ちなみに付け加えてますと、今日の新聞の記事は割と(私と同じく)前半の方を褒めてました。そんでもって、表現は私とは正に雲泥の差でした。(苦笑)
父曰く、「聞く人によって違うもんだなぁ・・・。」そりゃぁそうでしょう・・・。しかしあやつの自信満々の態度は一体どこから来るって言うんだろう。やっぱり理系は絶対にある意味ズレてるってのを、少なくとも自覚すべきだよ。はぁ。
(・・・そのまんま自分に返ってきそうで恐ろしいけどね・・・。)



2001年05月12日(土) 好い天気・・・

休日になるとほんと何もしてません。
でもこうのんびりしてるのって仕合わせです。(笑)

父親に「70年安保はなんだったのだ」みたいなことを訊いてみました。
結構おもしろかった。私が、その場で考えて思ったこと言うってのがなかなか出来ないせいで議論にはならんけど。
当時の学生運動は、高校生から見ても先鋭化しててついていけなかったとこがあるらしい。あーぁ。

考えなきゃならないことが、それこそワーっとあるはずなんだけど、
結局ちょっと考えて疲れたーとか思って、あとは寝るだけ。
今日みたいな休日でも、実は真面目に考えてなんかいない。
それならいっそ普通に勉強しろよって気がかなりするけど・・・。



2001年05月11日(金) 「健全に悩む」って

果たしてこれは形容矛盾でしょうか・・・?
ちょっと切実。
たとえあり得る表現だとしても、なかなかにうさんくさいのは確かだけどね。

形容矛盾といえば、「革命の血統」ってのは相当に矛盾だと思うんだけど、
某息子氏についてあっさりと使われておりました。ニュースステーションで。皮肉だったのかなぁ。

昨日庄子薫の「僕の大好きな青髭」が出版元で品切れ(=古本屋で探してください)だってことを知って微妙なショックだったんだけども。
いやぁ、売れてないんだなぁ、と思って。でも、他の赤頭巾ちゃんや白鳥の歌はちゃんと置いてあるのにねぇ。
まぁさておいて。代わりに、「バクの飼い主をめざして」っていう随筆を買ったわけなんです。それを読んでて・・・。なんだかな。
価値基準の相対化とか情報の洪水化とかはもう、ずっと前から(それこそ一世代も前から)言われてるわけで。今更なにをか言わん。
で、多分その中で溺れないように、ほとんどの人は「フィーリング」に頼ってやってるわけで。私もそうだし。
でも一方で、私は、分析とか理性とかともかくそのへんの考えることを、(フィーリングも考えることの中に入るのかも知れないけどさ・・・)結構信じてる。
あぁ、やっぱり上手く言えないわ。
新左翼みたいな(最近70年安保あたりを調べる必要があって、「理論史」みたいな本を借りてみたわけなんです、)なんだか別の世界に行ってしまったような理論はもちろんご免だし、
ニーチェの本の中の人も「神(≒理性)は死んだ!」って叫んでるわけだけど、(これをつなげるのは間違ってるかな?まだかなりちぐはぐなんです。)
でも理性(庄子氏が言う知性?)は死ぬわけはないよ・・・。

あーぁ、ぐちゃぐちゃ。



2001年05月09日(水) また・・・

あやつに変な話をふっかけてしまいました。
「イモを食べると死ぬ」って話。(4月15日付の日記をご覧下さい。)

あやつから貸した本の短い感想が来たのですけど、
なんかやっぱり捉え方かなり違うのですよね。そりゃぁ、向こうは忙しいだろうし(私は2,3度読んでるけど)あの小説読むのは初めてだろうし、酌量の余地はあるわけで。何よりも、別に私と同じ反応しなきゃならないわけじゃないし。
ぶつぶつぶつ。
とか思ってる内にイモの話を思い出して吹っ掛けたんですねぇ。(ちょうど、貸した本も死がどうのこうの、って内容だったから。)

いつかも書いたけど、本当私は自己中心的なのですよ。
友人の話も何もかも、自分にとってどうか、と捉えてるだけで。
こういうのって色々考えたり経験したりする内になんとか気にならない程度になっていくのかな。というかそうでないとかなり困る。
「ダルダニャン物語」に確か、「若いうちは自分に酔ってしまっていて駄目で、本当の恋が出来るのは30過ぎてからだ」みたいなセリフがあった気が。30だか35だか忘れたけど。本当に誰かを愛せるのはそのくらいになってから、って話だった。
あーぁ。



2001年05月06日(日) 遺伝子改変baby

両親以外に、卵子(核以外)を提供した女性の遺伝子も入っている赤ちゃんがすでにいるそうですね。(今日の朝日新聞より。)
その子はもう4歳だそうで。うわぁ。
卵子提供者からの遺伝子は一部のミトコンドリアの分だけと言えど。
一線を踏み越えた、とは確か新聞でも言ってましたけど、確かに。次のステップ(?)に行ってしまった、と感じます。

恥ずかしながら、書こうと思いつつ全然進まなかった、
「ある女性生物科学研究者が、教授やらなんやらの圧力で、自分の卵子とDNA使ってクローンを作ってしまい、15年後くらいにその少女に殺される」
という小説の構想(爆)を思い出さずにはいられない感じでした。
大してオリジナリティーなさげだけど、まぁ私としては結構切実に思えたのです。
でも、(この件はクローンとは違うんだけど、)ここまで現実味を帯びるとはちょっと・・・。まさかこんなに早くやるとは思わなかった。

うーん、ほんと、その4歳の女の子は、ごく僅かだけど遺伝子をもらった、卵子提供者さんをどう思うんだろう?

自分の出自というか立ち位置というか正体というか・・・。自分が何者なのか(こんな言い方すると変な気がするけど)がもっとあやふやになっていくんでしょうかね。



2001年05月04日(金) 五月晴

ホラ、好い天気じゃァないですか、猫の散歩に付き合ったら正に夏の陽気で。
カラリと晴れた中自転車を漕いで行くのは気持ちのいいもんでしたよ。帰りに忘れてきたのがナンですけどもね。
いやシカシ、こないだまでの雨は全くの所、許し難いもンじゃなかったですか。私の知己にもネ、頭痛がするってモンが・・・。
イヤ失敬、二葉亭四迷の浮雲なぞ読んで立て板に水ッて文にチョットかぶれ気味なんですヨ、でも口惜しいことに一太郎君が思うように変換してくれなくてねェ、特に片仮名づかいなんぞね。

・・・あぁ、鬱陶しい。素直に現代語使います。

連休だってのに日記も書かず(≒ろくに考え事もせず)、さりとて勉強はもちろんせず過ごしていたわけですけども。(いちいち言うまでも無いって感じがしてきて嫌だけど。)
でも、メールはまぁそれなりに書いてたんですよ。

つまり、庄子薫の小説を3冊程誰かさんに貸して、あやつがちゃんと(割とおもしろがって)読んでくれてるようなのですよ。感想もメールしてくれるし。
単純すぎる?まぁね。
でも、(議論になるんだかならないんだか知らないけど、感想言い合ったりして)ともかく言いたいことをまくし立ててしまうと実際結構落ち着いて、次に行けるような気がするんです。
例えば「親の引いた線ばっかりの本なんてイラついて読めるかぁ!」って言ってしまうと、なんとか開き直って読めるようになったり。
これって相当恥ずかしい現代っ子らしからぬ(爆)感じだしなにより相手してくれるあやつにはいい迷惑なんですけどね。あーぁ。

あぁぁぁ、ほんとどうでもいいことばっかり書いてるなぁ・・・。
女の子の依存症について述べる(爆)つもりが・・・。

図太い私には却ってよく見えたりするのですけど、(ついこの間このことを友達がHPで言ってたので追従って感じです、)
人間て強いのか儚いのかよくわからないけど、まぁ大抵の人間は強めにできてるんじゃないかなぁと思うのです。
なんだかんだ言って自殺する若者は少ないし、(実際、今の日本は老人の自殺率の方がずっと高いんだよ確か、)いざってときには本能的に身を守るでしょう。
ウサギが淋しくて死んじゃうのも小説の中の話。
kissing fishが、一匹では生きていけないってのも映画(シュリ、だっけ。韓国の映画であった。)の中の話。
私がたまに、あーぁ、腐りきってるな自分、なんなんだ、発展途上国の貧しい子どもに後ろから刺されてしまえ、と呆れてみても、きっとしぶとく生き延びるのでしょう。(悪人は長生きするって言うしねぇ。ああ厭だ。)
ちょっと脱線だったけど。

上の友達が言ってたように、「あなたなしじゃ息も出来ない」っていうのは、多分本人は真剣に言ってるのだろうけど、よく考えればそんなことなくて。
ただ、かまってほしい、自分だけを見てほしいって叫んでるだけなんですよね・・・。
こんなの今更言うまでもなく多くの人が気づいてるとは思うけど、
きっと本人がそれに気づくのは難しいんでしょう・・・。自分の心理が見えてなくて、むしろ見ようとしなくて。
だって、きっと、依存してべったりしてる、又は助けてって叫び廻ってる方が・・・(ごめんなさい、無礼は承知で言っちゃいます・・・反論歓迎)ある意味ラク、というか・・・なんて言うんだろう・・・?

うーん、駄目だわ、まだまとまってなかった。

これとはちょっと別だけど、
白状すると、私はひとから頼りにされたいって傾向が少しあって。
一歩間違えると多分アブなくなるから・・・ってこれもさて置いて。
もっとあの人と色んな事を話せたらな、とか、力になれたらな、とか思ってる友人は何人もいるんですけど、そう上手くいかなかったりするのです。(というか私は大して行動に移さんし。(苦笑))
そんな人たちが、孤独感にさいなまれてたりするのを聞くと、なんだろう、私もちょっと寂しいのです、実際。片思い(!?)かな、って感じで。


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