西日が差したら枇杷の実を食べよう
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2001年12月23日(日) デヴォン・サワ君って、もしかしてバ・・・。『ファイナルデスティネーション』

遅ればせながら、拝見させていただきました。
元!?アイドル、デヴォン・サワくんの現時点での
最新作『ファイナル・デスティネーション』。

子供の頃から活躍してる美少年系アイドル俳優って、
年々、顔が変わっていくから、ファンにとっては、
一作、一作が、ある意味、踏み絵だろーなぁ。

とそんなことを思いつつ、『ファイナル・デスティネーション』。
これ、ジャンルでいうとなぁに? 青春ホラームービー?
ま、とにかく、笑う映画、でいいのよね? ね? ね?

『Xファイル』のスタッフが製作ってクレジットも妙に納得。
まるで遊園地のホラーハウスみたいに、サービス精神いっぱいの
「恐怖の仕掛け」の連打攻撃。

まぁ、「恐怖の仕掛け」ていっても、
怖がるか、笑うかは、紙一重なんですけども。
でもって、予想通り、ラストは、
『Xファイル』ウォッチャーならおなじみの、「で?」って感じの、
なんかもう、いい感じに、脱力感あふれる結末。

でもねー。全然、ハラがたたないし、退屈じゃないのよ。
1時間半、ひたすら、登場人物達の「とんでもない死に方」を楽しめる!?
「ビバ!B級ホラー」な世界。
それって、作り手側の「サービス精神」が心地いいのと、もう一つ、
主人公デヴォン・サワくんのキャラクターに負うところが大きいかも。

デヴォン・サワ。
「一応」ギリギリ、ハンサムちゃんなのに、
『アイドルハンズ』と同じく、なぜか、その一挙手一投足に、
そこはかとないアホさと愛嬌がにじみ出るキャラクター。
(いわゆるニコラス・ケイジ系。
 がしかし、彼ほど個性も愛嬌も強くないのが、中途半端っていえば、中途半端だけど)

で、そんな、肩の力の抜けたデヴォン・サワのキャラクターが、
作品全体に、なんともいえない好感度を、かもし出しているのよね。

ま、ぶっちゃけたハナシ、デヴォン・サワ、
何してても「頭わるそー」にみえるのよ。憎めないバカっていうの?
「シムラうしろ、うしろー」って言われてる時の、シムラ的っていうの?

それって、演技なのか、天然なのか。やっぱ、天然だろうなー。
でも、そんなトコが、大すきよ。デヴォン・サワ。


2001年12月19日(水) 「映画と原作」は永遠のライバル?、運命の恋人!? 『バトルロワイヤル』

WOWOWで『バトルロワイヤル』をみた。ようやく。
なかなか面白い映画だった。いろんな意味で。
高見広春の原作をすでに読んで(それも、かなり面白く)いた為、
正直、ガッカリするとヤだなぁという不安もあったのだけれど、
そんなことは全然なかった。

ちょっと大げさすぎるかもしれないけれど、映画と原作との
ほぼ理想的な関係かもしれない、とも思った。
原作は原作で、2時間弱の映画では絶対に表現しきれない
緻密な心理や、奥深いキャラクターの背景を描いているし、
映画は映画で、たった「一瞬」の映像で、
文字だけでは決して得ることができない「感情」をかりたててくれる。

たとえば。
映画『バトルロワイヤル』の中で、私がすごいなぁと思った場面。
中学生同士の3日間の殺戮ゲームの2日目、光子役の柴咲コウが、
前夜、クラスメイトを鎌!で殺した翌朝、何、くわぬ顔で、
慣れた手つきで、ビューラーでまつげをカールしているシーン。

「バトルロワイヤル=殺人ゲーム」という常軌を逸した非日常の中にありながら、
髪を洗い、メイクをするという、とてつもなく日常的な行為を、
悠然とした態度で、淡々とこなす彼女を映すその一瞬に、
この作品の持つ「普通の中の異常さ」、
「本当の怖さは日常の中に潜んでいる」みたいなものが、
ハッとするほど、鮮明に象徴されていたように思う。

深作欣二監督。
原作を正確に解釈し、曲解することなく、しかも
それを自分のものとしてキッチリ消化した上で、
わかりやすく娯楽的な、自分なりの「オリジナル」をつくり上げている。
さすが、だ。

俳優・ビートたけしといい、深作監督といい、
好き嫌いはあるとはいえ、日本映画はまだまだワカモノよりも、
こんな骨太オヤジたちの方がパワーを持っているのかもしれない。

追伸。
アクションするたびに、はみ出した白いペチコートが
ヒラヒラする女子の制服のデザイン。
海外で上映されたら「日本の女子中学生はこんな制服を着ているのか!?」と、
誤解されそーで不安なのだが、妙にエロくて、これもまた作戦勝ちかもな。


2001年12月03日(月) 全編、「人生とは何か?」を語る濃厚エキスが滴ってます。『カノン』

『カノン』と、その前編にあたる40分の短篇映画、『カルネ』を、
続けてみた。ギャスパー・ノエづくし。

映画を娯楽というスタンスでみる(私は殆どそうだけど)と、
カウンターパンチをくらいそうなくらい、濃い映画。
こういう作品をみると、映画って、娯楽であるとともに、
「人間を語る芸術なんだ」という、当たり前な事実を思いしらされる。

『カノン』。脚本、監督、ギャスパー・ノエ。
男手一つで育てた娘に、近親相姦願望を持つ、
社会からドロップアウトした元・肉屋のものがたり・・・、

ではあるけれど、映画は「ものがたり」を語るというより、
最初から最後まで、この主人公である、
元・肉屋の精神状態(てめーら、皆、馬鹿野郎だというボヤキが殆ど)
が、彼自身のモノローグによって
延々と語られる。あらすじは、ほとんどオマケ状態。

それでも2時間弱の映画として成立しているのは、
タイトでキレのいい映像表現の巧さか?
はたまた肉屋のオヤジのぼやき芸!?の巧さか?

ラスト近く。
タイトル通り、パッフェルベルの「カノン」が流れる、
この映画のメインテーマともいえる重要なシーン。

あそこは、ちょっと泣けた。
大げさだけど、「人生とは何か?」という、問いに対する答えが、
ほんの一瞬、ほんの一欠片だけ、みえた気がして。

正直、それまでは、いかにもフランス映画といった感じの、
シニカルな理屈っぽさや、オヤジの無茶苦茶な強引さ(みればわかる)に、
ちょっと息切れ気味だったけど、あそこまできて、やっと、
「この映画、みてよかった」と思えたもの。

人生は、シンプルだけど、濃い。
そんなことを教えてくれる、
濃厚なブイヨンでつくったスープみたいな、映画です。
ギャスパー・ノエ、愛と刃の才人。


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