今日、新聞に面白い記事が出ていました。 太宰治の有名な小説「人間失格」、その集英社文庫の新装版の表紙を、「DEATH NOTE(デスノート)」で知られる漫画家、小畑健さんが描いたのだそうです。
新聞には、文章の真ん中に、小畑氏が描かれたと言う表紙の写真、そして文末に太宰治の顔写真が載っていました。 もうちょっと大きな写真が見られないかと、アマゾンのサイトで検索してみたら・・・しっかり見ることができました(笑) この表紙、デスノートの原作を知っている方なら、きっと「おおっ〜」と思うだろうなあ。 はい、私も思いました(笑)
学生服を着て、椅子に座っている少年が真正面から描かれています。 真直ぐな黒髪が、少し俯きがちな額にかかり、冷笑とも自嘲とも取れるような表情は、そのまんま「夜神月」、いえ、「キラ」と言った方がいいかもしれません。
「人間失格」は、私も若い頃、たぶん学生時代に読んだ記憶があります。 内容は・・・かなり忘れてますけど(笑) ただ、主人公が子供の頃から、わざと道化のまねをしていて、ある日学校で、何かおかしなまねをした時、一人の子から「わざと」していると見破られて、怖れをいだくと言うシーンが、やけに印象に残っていました。
周りからは、頭もよく、でも時々おかしなことをして笑わせる子、と言ういい印象を持たれている主人公が、実は心の中に、様々な葛藤や闇をかかえていて、それが人生を狂わせていく、と言うような話だったと思います。 ちなみに、調べてみたら、この表紙の絵は、文中に登場する主人公の写真の描写を、そのまま絵柄にしているのだとわかりました。 学生服で籐椅子に腰かけ、笑っている美貌の学生・・・と言うようなことが、文中には書かれているのです。 しかも、笑ってはいても造りものめいていて、生きている人間の感じがしない、と。
なるほど、これって確かにデスノートの主人公である夜神月、その内面に隠されたキラの顔とも、どこか重なるところがあるように思えてきます。 いずれにしろ、この表紙になってから、古典的文学作品としては異例の売れ行きとなっているそうです(^^; まさに、イメージ戦略?(笑) 小畑氏の絵のファンなら、表紙だけでも買いたくなっても不思議はないかもしれませんね。
そして、デスノートのイメージを持つ表紙から、内容にも興味を持ち、一冊の本を読むことができたなら、それはそれでいいのではないかとも思います。 きっかけは大切です。 人間、どんなきっかけから、新たな興味が生まれるかわかりませんから・・・と、常にささいなきっかけで、何かにドボンとはまる私(笑)
それにしても、これほど有名な文学作品に、漫画的なイラストを使うことを考えた集英社さん、驚きですねえ。 今は、子供たちの教科書でさえ、以前とは比べ物にならないくらい、イラストも多く、カラフルになったと聞きます。 何事もビジュアルから入る時代、なのでしょうか(^^;
世間では、今日からお盆休暇に入られる方が多いことと思います。 交通機関の混み方もすごいのでしょうね。 サービス業の私はもう長いこと、夏は働く時期、夏休みお盆休みなんて、とんでもない、と言うのに慣れっこになっていました(笑) お盆の時期は無休と言うこともしょっちゅう。ですから、一年で一番憂鬱な時期であったとも言えます(^^;
今年は、ありがたいことに夏の間も通常と変わらず。お休みも、普段通りのローテーションの中でもらうことができます。 それだけで、なんて嬉しい(^^) まとまった夏休みやお盆休みがなくても、十分だわ〜と喜んでおります。 いえ、そりゃもちろん夏休みあれば、もっと嬉しいでしょうけど(笑)
そんなわけで、今日は本当に珍しく、お盆の始まりの土曜日だと言うのに、お休みでした。 ところが、まず待ち構えていたのは、お墓の草取り(^^; うっそ〜、この暑いのに、と(笑) でも、考えれば長いこと、お盆でも何もしていなかったし、ようやくこの時期にお休み取れたのだから、と自分に言い聞かせ、暑い中(早起きして、涼しいうちにやればいいのにね)、手強い草と格闘してきました。
お盆は、亡き人々を偲ぶ時。そして終戦記念日。 某番組で、とてもショックな映像を見ました。 それは、広島に原爆が落とされた時、投下したB29エノラ・ゲイ号に乗っていたと言うアメリカ人が、アメリカの子供たちにその時の様子を話し聞かせていると言うものでした。 原爆を落としたことをどう思うとか、と言うインタビューに、彼は「満足です」と答えたのです。 「原爆のおかげで、戦争が終わった。原爆を落とさなければ、本土決戦となり、もっと多くの人々が死ぬことになった」と・・・
そして、さらにショックだったことは、その後、彼の話を聞いていた子供たちにインタビューすると、同じ言葉が返ってきていたのです。 「それで戦争が終わったのだから」と。 こんなことって・・・! テレビの前で、絶句してしまいました。 こんなことを、子供に教えていいはずがない。 戦争を終結させるために、原爆は仕方なかっただなんて。 まさに、某元大臣の発言と同じですが(-"-;)
ゲストの解説者が言っていました。 「教育とは怖ろしい。子供がこんな考えを思いつくはずがない。そう教え込まれたからなのだ」と。 本当に、その通りです。戦争を終わらすため、勝つために、原爆を落としたのだから、それで正しい、そんな教育をしたら、いったいどんな考えを持つ大人になってしまうのか。考えただけで、ゾッとします。 今アメリカでは、原爆を正当化する考えも広まっているのだとか。 そんなことが正当化されるなんて、ありえない・・・
番組では、次に原爆のドキュメンタリー映画が、アメリカのケーブルテレビで流されたことを報じ、それを見た人の感想も取り上げていました。 ある女性は、涙ながらに「私たちの国がこんなことをしたなんて、すまないと言う思いでいっぱいです」と。 男性も「被爆の恐ろしさを知った」と。 被爆の悲惨さを映像で見たこの人たちは、おそらく「戦争を終えるために、原爆は仕方なかった」とは思えないでしょう。
原爆の恐ろしさは、全世界に伝えていかなければならない、本当に大切なことなのだと、あらためて思いました。 こんな怖ろしいものを容認する国が、ひとつたりともあってほしくない。 そして、日本はその恐ろしさを、身を持って伝え得る唯一の国だと言うことを、真摯に受け止めなくてはならないのでしょう。
地球と言う、ひとつの星に生を受けた者同士。 すべての国の平和を、心より祈りたいと思います。
新聞のテレビ欄に、このドラマの紹介がありました。 大ヒットした「千の風になって」の歌をテーマとしたドラマの第2弾とのこと。第1弾は見ていませんでした(^^; 今回のも、話のあらすじを読んで、実はやめとこうと思ったのですが。 ついつい・・・見てしまいました。
なぜ「やめとこう」と思ったのか。 このドラマの前半は、戦時中の上野動物園で、猛獣処分の通達のため、猛獣に分類される動物たちを殺さなくてはならなかった飼育員たちのお話とのことでした。 ライオンや虎などに、毒入りの餌を与え、どうしてもそれを食べなかった三頭のゾウは餓死させることになる。
このお話を、子供の頃、何かの漫画で見た記憶がありました。 動物たちが死んでいく様が、けっこうリアルに描かれていて、さらに食べ物を与えられないゾウたちの様子や飼育員の悲痛さも描かれ、当時ものすごいショックを受けたことを、まだ覚えています。 ですから、このお話をドラマで見るなんて、とんでもない、と思ってしまったのですが。
それでも、なぜか見てしまいました。 もうだめですねえ、最初から涙出てしまって(^^; 可愛がっている担当の動物たちを、自分の手で殺さなくてはならない飼育員たちの、身もだえするほどの苦悩が、そして何も知らずに飼育員に寄っていく動物たちが・・・見ていて、本当につらくなってしまいました。 誰が悪いとか、他に方法がとか、そんなことではなく、どうすることもできない悲しみが、画面から伝わってきました。
後半は、戦争が終わって、新たにタイから贈らせてきた子ゾウと、その子ゾウを担当する飼育員の絆に焦点が当てられます。 餓死させられたゾウの一頭と同じ名前をもらった「はな子」。 そのはな子のため、家族との時間よりも、はな子の世話を優先させ、ついに息子に「帰ってこなくていい」とまで言われてしまう飼育員。 それでも、ひたすらはな子のことだけを考え続ける。
それは、先代の花子を死なせなければならなかった、先輩の飼育員の思いを受け継いだせいもあり、飼育員と言う仕事が、どれほど動物と心を通わせなくてはならないかをわかっているからでもあったでしょう。
何かひとつ、とても大切なものを持つと言うことは、もしかしたら他のことを犠牲にすることになるのかもしれない。 けれど、そこまで自分を賭けられる何かがあるのは、どこかうらやましい。 飼育員の死後、その息子は「家族として、いい父親だったとはとても言えないけれど、男としては憧れた」と・・・ そして、息子は父の跡を継ぐように、はな子の飼育員になるのです。 「動物には、人間の都合は通用しない」と言う飼育員の言葉は、そのまま動物への深い愛情と理解を表していると思いました。 同時に、その言葉を全うすることの厳しさも感じました。
それにしても・・・泣きすぎてしまった(^^;
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