日々日記
いちらんふるいあたらしい


2010年05月29日(土) 事実は小説より奇なり。

きょうの驚き。

友達(女、同い年)が、
私に紹介すると言ってもうすぐ会う予定だった男子(3つ下)と
知らない間に付き合ってた。

そのよーな進行があったとは露知らず。

眼鏡男子で、もみあげが素敵で、自転車が趣味で、食べ歩きも旅行も好きと聞いて、
うきうきしてたんだよこっちは。珍しく。


それがねぇ。まさかの事態。
あんたその男子は好みじゃないって言ってたっしょー。


今朝のお昼前にそれを知って、誰かをすごく「好き」になったら走りたい気持ちわかるから、
こういう事があっても「仕方がないな」って思いと、

珍しく「私じゃだめなんだ」って思いの両方が湧いて来て、辛くて悲しい。

いやほんと、珍しく「いいな」って思ってたから。
そんできちんとうきうきしてたから。
最近肌つやいいね、化粧もいいね、ってほかの友達に褒められてたんだヨ。。。


きっと、彼女もどうしようもなかったんだろう(と思いたい)し、
起きてしまった事がもはや全てなので、頭ではわかってるんだけど、どうにもこうにも胃が痛む。

すぐには元気になれない感じ。


時事問題、政局、修士論文、司書講習、考えたいこと、考えなきゃならないこと、
どんどん進めなきゃならないことがたくさんあるのに、
いま私の意識はそれらから一番遠いところにいる。

何回倒れたらいいんだろう。
またきっと起き上がるだろうけど、本当は倒れずに生きていきたいよ。


2010年05月25日(火) すてきなごはん会

ついったーしてて知り合った人とやってる、ごはん会というのがあるんだ。

みんな専門の違うことをしてて、共通点は「ついったーをしていること」と
「にんげんであること」ぐらいなんだよね(言い過ぎ?)。

でも、すっごくその会が刺激的なのよ。

集まってごはん食べるだけなら他の面子でもよくやるのに、
この集まりの何がこんなに面白くて刺激的なのかなぁと、ちょっと考えてみた。

そしたら、彼らは私に私の知らない世界を見せてくれる人たちなんだ、ってことに気付いた。

自分の与り知らぬ所でも「世界」が常に動いているという事実と、
そしてその大きくて正体の掴みにくい「世界」も、「会社」や「組織」のその先端を見ると
ちゃんと名前も顔もある個々の人間によって営まれているという現実。

この2つを同時にまざまざと知るわけなのよ。ほぇぇーー!って思うわけよ。
これは興奮しないわけがないです。うん。

そういう私にとってまだ得体の知れない部分の「世界」を、
現場にいる人の言葉や眼差しからまざまざと知ることができるんだよ。


そんで自分の中にある「空間としての世界を知覚するための立体的な世界地図」に、
ぴょっ!と新しい奥行きが出て、そこにいろんなものが張り巡らされて行く気がするの。


みんな人としてすごく素敵だし、特に話をする相手に対して持ってる尊敬がすごいから、
すごく真剣に話を聞いてくれるので、わたしは自分が話す時は
頭脳と感覚をフル回転させながら話すんだ(当社比)。

わたしの拙い話も、二人の何かしらのお役にたて(あるいはJOYとなれ)れば幸いだ。
果たしてどうなんだろう。。そこは自信ない。


なにしろ「わたしはこう思うの」ってのを、コミュニティ内の人間や親友ではない、
言ってみれば知り合ったばかりの他人に向かって宣言しちゃうわけだからねぇ。。



すーごく刺激的。でもすーごくリラックス。
好きなようにさせてもらってる。のびのび。

なんかそういう不思議なごはん会というのがあるのです。うれしいことにね。


きのうは、ロシア料理を食べましたが若干食べ過ぎた。ふはは。
ボルシチ大好きなんだよぅ。えへへ。


2010年05月18日(火) きみも阿呆、われも阿呆

誰かと何かやり取りをしてて、ああ、この人阿呆かなーーーーと思う事って多々ある。
今もそうなんだよじつは。

だったら最初から君が分かりやすい内容で投げかけるか、
意味がわからなくても気にするなといったインフォメーションを付けるべきですよね!

なんだあれは祝詞か。呪詛か。そもそも日本語か?なんなんだよ。


なんの配慮もせずに意味不明のこと述べてからに!この阿呆め!と
まぁ、プンスカピーに怒っておる訳ですけども。


まぁ、しょうがないかとも思うの。
それぞれがそれぞれであるしかないかと。

他者に自分の望むような対応をあんまり望むのもなぁ。
それこそバカバカしいしなぁ。

そういう事言うのって、よほど親密な関係じゃないと言いたくない。
単なる友達にそんなこと言ったりしたら、私はあなたの何さまですか!ってね!
自分で自分に思っちゃうヨ!呆れる。


分からなくて悩んだのも、分かり辛い言葉に対してあのように投げかけたのも、
それを悪かったかなと思って謝ったのも、全て私が好きでやったといったら
そうも言える訳で。

あるいは私の判断ミスっていったら、これまたそうとも言える訳で。

だが、そこを看過せず、質しておきたいかどうかって、
相手が自分にとってどういう存在かって事にも大きく左右される。。

うーん。質したいような、どーでもいいような。。はてさて。



でもその人ととおんなじように、自分も誰かから(ひょっとしたら相手から)
こいつほんっとーーーに阿呆だなーって思われてるだろうなという、絶大なる自信がある。

これ↑!これが私が相手に対してギャースカ言って強く出ない一番の理由であり、
同時に自分の怒りをうまーくおさめてくれる虎の子(?)なんだよ。

阿呆はお互いさま。阿呆は巡る。みんな阿呆。誰もが阿呆。世界は阿呆でできているさ。


やっぱり「やり過ごす」これが一番面倒でなくていいかと。
そういう結論にいま書いてて落ち着いた。やれやれだぜ。の、火曜日の夜。


inu-chan