日々日記
いちらんふるいあたらしい


2010年04月25日(日) シミのような

ふと、

自分はまるで、
洗っても洗っても落ちないで、色はだいぶうすぼんやりしてはいるが、
常に他者の視界と心のどこかに見切れては強固に存在を主張する年季の入ったシミのようだ。

と思った。

それが良い悪いの価値判断は抜きにして、

これはちょっと愉快だと思った。


だって、(ある意味、ある種の)ガッツがあるってことじゃないかー。
かまってちゃん上等だぜよ!ふっはっはーー。


わたし本当に飽きっぽいけど、その性格の中にも変わらない本質というものは
やっぱりあるもんなぁ。そしてその本質がだんだん見えて来たし。

2007年の春に生まれたコピーはやはり秀逸でしたな。→『執念深さを粘り強さにシフトしよう』


こんな私でも、いつかどこかへ辿り着きましょうぞ。きっとね。
終点は永遠に来ないだろうけど、ずっと楽しめると思えばそれもまた良し。


2010年04月24日(土) 書き散らかす私

あまり面白い文章じゃないよー。
変に落ち込んでいるわけでもなく、こんなようなことを最近思っているので書いた。



自身の内面にあるものを表出する手段として、絵を描いたり、工作したり、文章書いたり、
twitterでつぶやいたりしているわけだけど、

そのどれもが、他者に「私」を承認されたいためと、自分がハッピーに日々を
過ごせるよう思考を整理するためと、自己肯定するための手段なのだよなぁという事を
改めて思ってみたりしている。


ご大層な事を声高らかに、全世界に向かって言ったりしているけど、
ようするにそうやって積み上げた、あるいは構築した持論の枠組みの中で、
自分自身が安心したくて書いているのだ。

言葉が食べ物だとしたら確実に消化不良になりそうなほど書いて書いて書き連ねている。

どんだけ書きたいんだよと思う。

そしてふと、そういうものを読まされる名も知らぬ人の事を思ってみる。
あなたもきっと、読みたくて読んでいるのだろうけど(強制した事ないし)、
一体どう思って読んでいるのだろうね。

そしてこれを読んでどう思うのだろう。。聞きたいような、聞きたくないような。。

聞いても私にとっては「ふーん」でしかないのだけどね。
でも読んでくれる他者を渇望しているわけで。ワケわからんなぁ。

(リアルともだちも読んでくれてるね。ありがとう。)


この「私」とはどういうものかというと、もうほんと自己中心的で自分が好きで大好きで、
他人なんて実はどうでも良くて、計算高く、妬み屋で、傲慢で、心が狭く、攻撃的で、
意地汚く、意地悪く、浅ましく、我慢が出来ず、残酷で、狡く、賢しげで、
どうにも救いようのない人間なのだ、と書いててうんうんと納得。


それでも、そう思ってても作り、書くのだよ。


そしてそれを誰かに見て欲しいし、できれば喜んでもらいたい。
肯定的に受け入れて欲しいのだよ。


浅ましいなぁ。黙っていられない私。

自分がこうだと思ったら、ただ1人でそれを思って、
そのように日々実践して、静かに生きて死んでいけばいいのになぁ。


日々わめき散らす私。騒々しい私。どうしようもないけどこれが私か。


こんな自分を見て、「これでいい」とも「これじゃよくない」
とも言えず、ただ「そうだなぁ」と思って頷くばかりの自分。

何が言いたいのかもわからないまま、またしても書き散らかしている自分。


果たしてこれは、一体全体どういう事なのだろうね。


2010年04月18日(日) 願い

幾人もの持ち主の手を経てくたびれた縫いぐるみのような、

幾人もの人に着られて味わいの増した服のような、

やわらかさと少しの物悲しさをまとった、そのやさしい心と体に、

いつの日かふれることを許されて、

そして強くだきしめることができたらいいと思う。



もしその時がきたら、世界よ。

祝福してちょうだい。よろしく頼むよ。


2010年04月17日(土) 雑木林が好き過ぎて

武蔵野の雑木林の芽吹きが大変に美しい。

通学するのにバスに乗らなかったら、見とれちゃっていつ大学に到着するのか
わからないほどじっっと見ていたくなる。


小さくて、やわらかな、新芽たち。
その小さな新芽の持つ伸びシロは計り知れない。それは希望。

芽吹きのときって、
木というシステムの中で、一番目に見えてわかりやすい変化なので余計好きだ。

(でも、目に見えない部分での地味な営みももちろん好きさ。スキスキスー!)


新芽、あるものは、淡い新緑に、細かなうぶげをまとって。
あるものは、赤みを帯びて。


これからさき、この小さな芽から、緑の枝葉がすくすくと伸び、展開していくんだぜ。
嘘みたいだけど、ほんとなんだぜ。


わたしも木になりたい。
雑木林にいたい。ただいたい。じっと木を見ていたい。

木になって、雑木林の中に立って、隣の木をじっと見ていたい。


風の音を聞いて、雨に降られて、陽を浴びて、虫に食われて、鳥に営巣されたい。

なんてね。


2010年04月08日(木) また泣いている

こんどは、『赤いおおかみ』という絵本を読んで、えぐえぐ言っている。

F.K.ヴェヒター作。


万年筆タッチの絵は、ガブリエル・バンサンに似通うものがあるなぁ。

ああ、絵だけじゃない。取り上げている内容も近いかも。



犬はね、犬はこんな風に硬派な口調で話したりしないのよ!
そんなの分かってる。

でも泣ける。

なんだろうねぇ、数奇な運命というか、生まれ落ちた運命を受け入れていくというか、
誰かと、そして自分の誇りのために、とても気高く生きる犬の話なんだ。

そこにはごく自然に「覚悟」というものが描かれていて、
その犬の覚悟は最後に完遂されるのだけど、その姿があんまり気高くて泣いた。

彼を止めることはできん。誰にも止められないですよ。

そんで、それでいいんだ。というお話。


ずっと気になってたんだけど、高くて買うのを躊躇してたら、売ってなくなっちゃって
あわあわしてたらマーケットプレイスで出品されてたので速攻買った。


いやはや。あー、もう。泣かさないでよ。


2010年04月02日(金) クウネル読んで泣いてる

いま午前2時なんだけど、
昼間買って来たクウネル vol.43を読み始めたら、

どーにも面白くて超眠たいのに寝れなくなってしもた。

特にいいのが、98頁の、建築家ヴォーリズさんのやつだよ。

その人の事は、大好きな内田樹さんのblogで知った。
内田さんが在職している神戸女学院大学を設計した人として紹介されていた。

その、ヴォーリズさんについての記述が、いま目の前に。

奥さんと並んで映ってる写真もあって、
2人の表情がものすごく良くて、なんだか嬉しくて泣けてしまった。

いい顔してるなぁ。すてきだなぁ、と思った。

あらー!山の上ホテルの建築も彼だっていうじゃないの!
あそこは私の好きな場所なんだよぅー!!

いやはや。嬉しいこと続きの今日だよ。:) ふふふのふ


2010年04月01日(木) 満月団ANNEXと「消費される主体」について

友達と久々に会って話をした。

その時間がめっちゃ楽しくて、あんまり楽しかったから、
真っ直ぐ帰宅する気になれず(アドレナリン出過ぎ)、

帰りは苗木抜けて福岡回りで帰宅しましたよ!

あー面白かった‼


なんかねぇ、仲良しの友達とも、
ほとんど全く連絡を取らなくなることがよくあるんだよね。

不義理で申し訳ないなぁと思うのだけど、
連絡取りたくない、会いたくない時がどしてもあるの。

時間的にも、心と体の体力的にも会えないのさ。
あとは一つのことしか考えられない質だから、何かを考えてる時も
なかなか友達と会えない。

今まで、所属コミュニティの活動方針の一環として、
友人知人と積極的に連絡を取り合うことを要求されてきた。

その当時、そうすることが正しいと思ってた私は頑張った。

でも、そういう活動から距離を置いてみたら、そういうの自分には
向いてないことがよく分かった。しんどかったさ。

とまぁそんな経緯もあって、
気力の無い時は人に会わないようにしてたんだよあえて。

んで、まぁ多分時が来たんでしょうね。

今日、満月団の団長とひっさびさに会って、
元気になってちょっとキャラが昔と変わった人との3人で
いろいろ話をしたらめっちゃ楽しかったという訳。フヒヒ。

そのキャラが昔と変わった人が団長に繋げて下さってねぇ。
ありがたや。


そうそう、私がここ数年ずっと考えてるキーワードが
実は「消費」なのだけど、その話題も出たんだよねぇ。

それは消費する立場としてではなく、
消費される立場としての「自分」あるいは「我々」について。

所属コミュニティの活動に勤しみながらも、
なぜか空虚な気持ちになって疲弊していく自分を見て、漠然と
思ってたのは「もしかして私は消費されてないか?」だった。

私たちから回収したもので誰か高笑いしてんじゃないだろーな?と。
なんだか急にそう思えてならなくて。

資本主義もそう。新自由主義もそう。

誰かに消費されてる自分を感じるようになったら、TVCMを見たくなくなって、なので引越しを機にTVを所有するのをやめたんだよなー。

取り留めないけど、
まぁそんなような事を思ってたんだよねぇ。うん。

うーん、iPhoneからだと文章作り辛くて、流れが変かもだけど
気にしないでくだしあ!


あー、面白かった。まんぞく。寝るぞよ!!


inu-chan