日々日記
いちらんふるいあたらしい


2009年06月28日(日) スクーターの足下に

バスに乗って、窓際に座って外の景色を見てたら、

道ばたでスクーターに乗ったまま停止しているおじさんの足を乗せるところに、
ミルクティ色のプードルのおおきなぬいぐるみが座っていた。

そしておばさん2人が、そのプードルをなでくりまわしている。

なんだか妙な光景だなおい、と思ってたら、


あ、プードルの頭が動いた!ベロが出てるよ生きてるよwww


なんとベアカットのスタンダード・プードルだったよ。
やっぱスタンダードは大きいなぁ〜。

ミルクティ色の子は初めて見たけど、まるっきりぬいぐるみ。


そんな所に犬をのせて走っても大丈夫なのかとか、突っ込みどころはいくつもあったのだけど、
信号が変わり、犬とおじさんとおばさんは遠ざかっていった。

ちゃんとこの目で見たはずなのに、

今でも夢かと思ってしまうような出来事だった。


2009年06月27日(土) 思うよ。

会えないとさみしい。と思うというのはもう既に恋であるよ。


初対面のとき、いろいろ忙しくて最高潮にテンパってる頭で
「え!見たことのないオバサンがいるよ!誰!」と思ったことは内緒だ。

おばさんじゃなかった。
男の人だったよ。
ああびっくり。


つーかもう9月まで会えないんじゃないか。ほんきで泣ける…。

9月にもし会えたとして、
彼のことすっかり忘れてるか、
それともこの痛くて悲しくて楽しくて嬉しいのを維持できてるか。

さて、どっちだろうね。しくしく。


2009年06月26日(金) らっきょのため息と初ボルダリング

先日の蒸し暑い夜、らっきょの塩漬けを見たら発酵して出てきた気体で
ふたが膨らんでいる。

空気抜かなきゃ。と思ってちょこっとふたを開けたとたん、
かつてないレベルの激臭に覆われる我が家。

煮立てた酢どころの騒ぎではない。
外に漏れたら通報されやしないかヒヤヒヤするレベル。


…その晩はほとんど眠れなかったよ。
らっきょ恐るべし。

翌日かららっきょは冷蔵庫の中にしまわれた。
ここでちょっと大人しくしててくれい。


人生初のボルダリングに挑戦した。
狭い空間で全力で汗流して運動できるね。なんだかハムスターになった気分。

実家で岩によじ上ったり急坂の石垣をのぼっておった思い出がよみがえった。
(のぼりながら「ファイトー!いっぱぁーつ!と言う」)

翌日は腕が痛いのなんの。

ぞうきんが絞れない。
自転車のブレーキも力が入らない。
腕を延ばしてよじ上るだけなのに、そんだけ負荷がかかってたなんて驚き。

日常生活では体験できないくらい、全身をぐいーん!と伸ばせるところがよかったなー。

手足のとりかたを間違えてどこにもいけなくなって、壁にカカオの実みたいに
実る状態はまことにしんどかった。

それにしても、人って面白いスポーツを考えつくものだなぁ。


2009年06月20日(土) つれづれ日記

今週末は実家に帰省している。
といっても羽を伸ばすとか、のんびり、だなんてとんでもない話で。

両親はフルタイムで働き、祖父は高齢でそれなりの介護が必要なので、
デイサービスの助けを借りても、やはりどこかで家事の手を抜かざるを得ない。

そのような、普段手が回らない部分を手伝う。

サポーターでありスポンサーでもある両親が(先行き完全不透明の)娘が帰ってきて、
あんなに喜ぶんならそりゃたまに帰って来てなんでもするさー。


今日の夕飯は、唐揚げ。しばらく食べてないと言うのでたくさん揚げた。
一人暮らしでも揚げ物あんましやらないから、おいしかった。

あとは大根とニンジンと高野豆腐の煮物、
大根とツナとわかめのサラダ、
切ったトマト。

そして、母が職場でもらってきた「朴葉もち」がデザートになった。
ふわんと香る朴の葉っぱに故郷を感じる。

あんこがしっとりしてて、甘みがちょうどよくてそれはそれはおいしゅうございました。


話は変わって、
お風呂上がりに何気なく浴槽を囲むタイルを見たら、上にゼリー状の何かが…。

さっき追い出した雨蛙を思い出す。
タイルの上にいたのか、妙に白っぽくなった雨蛙。

で、もういちど、何かつぶつぶの入ったゼリー状のものをよくよく見る。



おいおまえ、ここで卵産んじゃったのかよ…orz


放っておくわけにもいかないので、さっそく救出作戦開始。
おちょこに小川の水を汲んできて、綿棒で卵を救出した。

明日明るくなったら、適当な場所にはなしてやろうと思う。


ちゃんと野に返せたら、恩返しにくるかなー。げこげこ。


2009年06月16日(火) あめあめ

土がいい感じにしっかりと湿る、とてもいい雨が降っている。

あさってあたり、大学構内に、きのこがたくさん生えそうだなー。
ツチグリもますます育つだろうな〜。


乾燥気味だったあじさいの花も葉っぱも、
明日とか見たら、厚みが増してツヤツヤになってるんだろうなー。


ふんふんふ〜ん♪


たのしいな〜。うれしいな〜。
雨はいいなぁ。


先日の雨降りの時のこと。

空が桃色と灰色と橙色と、肌色と、白と黒と茶色を混ぜたような気持ちの悪い色をしていて、
私も友達も、我々の近くにいた他人の皆さんも、なぜか頭がズキズキ痛んで、

低気圧のせいかねぇ。なんてのんきに話してたら
実は光化学スモックというものだったそうな。


恐ろしい現象だわありゃ。



2009年06月13日(土) 梅仕事完了。

今年も梅干しを漬けた。

内訳は、塩分15%のスタンダードな梅干しを2kg
(昨年の「NHKきょうの料理」参照)と、

はちみつ梅干し
(こちらは漬け物用の「かめ」や「重し」をインターネット販売する
「おふくろの味.com」のレシピを参照)を1kg。


3日ほど前から台所のすみで、下漬け(塩漬け)されたらっきょが1kg、
本漬けされる時を待っている。

こちらは今年の「NHKきょうの料理」レシピを参照した。

頃合いを見計らって、レモン風味の甘酢漬けとしょうゆ漬けにする〜。うはは〜。


毎年こんなにうきうき梅干しを作っておいてなんだが、
わたしは梅干しがあまり好きじゃないので、自分ではあまりもぐもぐ食べない。
だいたい友人か妹にほとんどあげてしまう。

そうねぇ、自分が食べるんなら、おにぎりに混ぜて入れるか、
魚や肉を煮るときに入れるくらいか。

あ、鶏肉のトマト煮に入れると、酸味と塩味と旨味が加わってすっごくおいしくなる。


じゃぁなんで梅干しを一生懸命作るのかというと、
梅仕事は、絵を描いたり、工作したりすんのと同じ意味があるんだと思う。

しかも6月に限られた、年に1回しかないイベント。

漬けてハイおしまい。じゃないところもいいんだな。
毎日様子を見て、梅の状態に応じていろいろやんなきゃなんない。
土用干しだってしなきゃなんない。

あの手間が、なんだかんだ面白いんだよなー。


瓜育てて、いずれは奈良漬けもやりたい。


2009年06月12日(金) iMacとか、クックパッドとか。

iMacを買った。お安く買えた。わーい。

24インチ。でかーい。
最初あまりの大きさに「しまった」と思ったけど、慣れちゃえばどうってことないね。

さらに、イラストレーターとフォトショップが買えれば言うことないだけど、
やっぱりまだそこまでは手が出ないわ。
もうちょっと辛抱。

今まであんなに愛してたMacBookを完全に顧みなくなったもんね。
酷い人間だよアタシゃ(ちびまるこ風に)。

ちなみに、MacBookちゃんは大学常駐になりました。
大学では学内無線LANつなぎ放題なのでほんと便利だ。やったね★


つーか、iMacが届いたあたりから、部屋の中にダニがわらわら出てきたんだが、
段ボール箱のせいなのか、この家のせいなのかわからず。

かゆいなぁと思って衣類をぺろっとめくると、小さな小さなダニが歩いている。
自分の体の皮膚の上にダニが歩いているのを目視したのはこれが初めてで、
悪寒が走ったのと同時に「こんなちっさいのに歩くんだよなぁ」と感心する。

いや、感心してる場合じゃないだろ。笑。

ダニ取りマットがあるのでそれでしのいでいるけどどうなるんかなー。

というわけで、うちに遊びにくる人、要注意ざますよ!


クックパッドの料理をいくつか試したのだけど、あれ全然おいしくないものもたくさんあるね。
素人さんが家庭料理を披露するんだもんな。無理ないか。

「つくれぽ」でたくさんの人に絶賛されてるレシピを作っても、
どこがおいしいのか全然わからないものが結構あるんだな。

ウッキウキで作ったのに、食べて「しゅん…」となった。
しばらくクックパッドは見るだけにしよう。


このような失敗から学んだのは、
「おいしい」と感じる味覚の幅というか、ベクトルそのものが
個人によってだいぶ違うんだなぁということですな。

その反面
プロの料理人のレシピはどれも、おいしさのベクトルのどこかには乗っかる。
すごいなプロ。万人向けであることってすごいことなんだな。

これは…いよいよ飯島奈美さんの「LIFE」を買う時が来たかな。
と一人でふむふむと頷く。


2009年06月11日(木) 強者どもが夢のあと?

怒濤の週末があけた今週、関係者がバタバタと交代で倒れている。

面白いのは、今週会ったいろんな人たちがみんなして、
挨拶代わりに「調子、どう?からだ大丈夫?」って聞いてくること。

しかしわたしはどちらかというと元気なんだな。

ダメージらしいダメージが見受けられない。

まるであんまり頑張って働いてないかのように、平常通りの今週のわたし。

しかし、
当日の発表会場係は本気で目が回るほど忙しく、休憩もなしに一日ぶっ通しで、
会場に張り付くか、なんらかの用事で走り回っていたのさ。

体力的なことより、種々現場で発生する予想外の出来事を、
さばききれない精神的なプレッシャーがすごかった。


でも、元気ー。あははははは。




なんで元気かというと、
「こんなこと(自分が決めて企画したわけではないイベント)なんかで、
健康を損なうほどのダメージ食らってたまるか。」と思っていることが一番の理由かと。

その次に、わたしは他のことに意識も体力も使わないですんだことがあげられる。
でなきゃ絶対途中でまためまいとか起こしてたよ。

アルバイトとか、うちの大学ならではの課外活動とか、一切を意図的にシャットアウトして、
最後の1週間は、すべての体力や時間を、大会準備と身体の回復に費やした。
その日の疲れはその日のうちに取るんじゃぁ!!とかいいながら。

だって、個人の時間も体力も気力も有限で、
対応したり処理できることには人それぞれ限界があるもん。
その中で最大のコストパフォーマンスを実現するためにはどこかセーブしないと。

なので、今わたしがこうして元気なのはしかたないというか、予想通りのことなのね。
月曜日に昼まで寝たらだいたい元気になった。

しかし、今週大学に行くと居心地の悪さをしばしば体験する。

たわいもない会話の中で、倒れることが「あいつは頑張った」との評価につながったり、
仲間意識を強めたりしているので、そういうとき丈夫な自分を恨めしく思うのね。



いろんな人の見たくない部分を見たし、極限状態も見た。
自分の限界も、いたらなさも見た。さんざんうんざりしたし、がっかりした。
同じように、私も誰かをがっかりさせただろうし、うんざりさせてただろうなぁ。

久々に、つーか初めて大学構内で他人に向かって暴言も吐きました。

想像できない状態(当日のイレギュラーな出来事の続発)にどう対応するか、
その準備が甘く、手伝いの学部生も業務の理解をしてなかったりして

結果的に、頭が回ってフットワークの軽い人に多大なしわ寄せが行った。
申し訳なかった。本当に。
反省は山のようにあるよ…。


まぁいいや。誰も死んだり怪我したりしなかったし。
終わりよければすべてよし。ということで。


2009年06月09日(火) 夕餉のにおい

買い物や大学からの帰り道、深夜以外は家の近所まで来ると、
車道をそれて路地に入ることが多い。

路地はいい。
車道とは見える景色が全く違って、緑も家々の軒も近く、歩いていてとても心地いいから。

今日はちょうど、あちこちのお宅が夕飯の支度をしていて、
最後に嗅いだのはアパートのすぐ手前のおうちのカレーライスの匂いだった。

その家の台所で誰かが作ったカレーライスの匂いと、
中で支度をする2人の女の人の会話といっしょに私まで届いてきたとき、
もうなんともいえない幸福な気分になった。

そして、「家族」というのは、やっぱり1人でいるんじゃ得られない
喜びと楽しさと安心があるんだなぁー。ということをつくづく思った。

家族がいると煩わしいこともたくさんある。
1人でいるのだって、十分楽しい。

それでも、あのカレーライスの並ぶ食卓に家族で着くであろう様子を想像したとき、
やっぱり、さんざん強気なこと言ってたけど、やっぱ1人は寂しいわ。と思った。

いや、そんなのもともと知ってるけど、
一人暮らしが続くと忘れてしまうんだわ。こういうことって。


この場合、「家族」は血縁だけをささない。だって、肉親でも毒になる場合もある。

その点、夫婦は最初から他人だ。
つまり相手を選べるし、嫌だったらやめられるんだ。なるほどねー。


家族を持つことは悪いことじゃないよなぁ。
みたいなことをくるくる思いながら、アパートの階段をのぼり、部屋のカギを開けた。

で、うちの夕飯は、カルビとズッキーニを焼いて塩こしょうしたものと、
ゆでたスナップエンドウでした。うまかったにょ。


2009年06月08日(月) さようなら、こむぎ。

10年くらい前にうちで生まれて伯母(母の姉)の家にもらわれていった子犬がいた。

ちょうど祖父の介護をしてくれていた叔父(母の弟)が自死したあとで、
伯母一家が祖父を迎え入れることになって、誰もがまだ落ち着かない頃だった。

伯母が何かでうちにきて、その時ちょうど生まれてすぐだった子犬たちがいたのだ。

段ボール箱の中で、ぴょんぴょん飛び跳ねる子、壁をよじ登る子、
そして、きょうだいに踏みつけられても気にしない子がいた。

その子は、ちょっとね、ぽーっとした感じの、クリーム色をした女の子。

伯母は元気な子たちに踏まれたその子が気になったという。
でもどうぶつが苦手だから飼う気は毛頭なかったらしい。


けど、犬を見ている時にふとうちの父が
「義姉さん、犬がおると家族(の心)が丸くなるぜ。」と言った。

ぼけてしまったとはいえ、子供の頃から関係がよくなかった父親を
引き取ることへの不安でいっぱいだった伯母は、その一言で子犬を飼うことにしたという。


そうして、ぽーっとした子犬は叔母の家にもらわれていって「こむぎ」になった。


こむぎのきょうだいたちは、血が濃いせいか半分くらいがアレルギーを抱えて生まれてきていて、
そしてこむぎ自身もいろんな病気やアレルギーを抱えていた。

しょっちゅう病院に行ったから、お金もいっぱいかかったと思う。
食が細くてすぐ飽きて食べなくなるから、いろんな食べ物を探して、工夫して食べさせてくれた。
それだって大変だったと思う。

それでも、家族みんなでうんとうんと可愛がってくれた。

たまに、私や母が会いに行くと、
覚えているのか、嬉しくておしっこをもらす所もかわいかった。


そのこむぎが、5月末に亡くなっていたことを今朝母から聞いた。
伯母は悲しくて、母に電話できるような状態じゃなかったらしい。

伯母の悲しみを思うと、こちらも胸が潰れそうになる。

こむたん。
こむぎ。
こむこむ。
名前を呼ぶと、あの愛らしい仕草が次々脳裏に蘇る。

10年間、伯母たちを喜ばせ、癒し、生き甲斐になってくれた。
それでも「たかが犬」だろうか。いいや、「すごいや犬!!」である。
うちに生まれてきてくれてありがとう。
人を元気にしてくれてありがとう。
愉快で、あたたかい時間をありがとう。

さようならこむぎ。悲しいなぁ。さようなら。


inu-chan