日々日記
いちらんふるいあたらしい


2009年02月17日(火) 沈みつ浮きつ

その昔友達が、さんざん妄想してた男子と結婚することになった。

彼女曰く、
「すごいんだよー、フモフモさん(注:ぬいぐるみ)を抱きしめてたように、
本物(の彼)の腹に手を回して抱きつけるわけよー!!!」


妄想ってさ、妄想ってさ、時に叶うらしいよ!すげー。

結婚式だー。
めでたい。

親族でもなんでもないのに、勝手に挙式の親族席に座ってしまいたいくらいだ。
でも本当にそれやっても、誰からもとがめられなさそうな雰囲気が予想されるwwww



Amazonで買ったベクシンスキーの画集が届いたので、
つい無防備な心持ちで見たらめちゃめちゃ気分が落ちた。

弱ってる時に見ちゃだめだ…連れて行かれるわ。


じゃぁ気を取り直して、同じく届いたばかりの『100 Suns』を見る。
これはー、アメリカが1945年から1962年までに行った原爆の爆破実験の写真集。

ダメだダメだ!バカバカ!!
ますます気分が落ちる。ちーん…。


んー、よし、もいっちょ気を取り直して、こんどは『Earth from Above』を見る。
これも写真集。

何キロあるんだ?っつーくらい重い。

空撮した世界中のいろんな場所の写真集。風景写真だねー。
あたしなんか、まだまだこの世のこと、ぜんぜん知らないことばかりだわー。

きっと、ここに載ってるような風景はほとんど肉眼で見ることなく死ぬんだろーなー。
でもなるべくいろんなものを見ておきたいなー。

ようやく、小さくほっこり。小さく浮上。


そんな時に電話をもらって「結婚式の日取りが決まったよっ」と告げられたので、
よけいに嬉しいわー。えぐえぐ(泣)



明日は引っ越し先の大家さんと契約してくる。

ご高齢でイマイチ会話が噛み合ないけどがんばるー。
というか勝手に「あなた(入居)短期でしょ?短期よね。」って決めちゃイヤン大家さん。

結婚とかしない限り2年間はお世話になるますよ。
駅近くて、台所広くて、しかも安いんだもん。


あしたは、21日の結婚式のウェルカムボードを作るますー。


2009年02月12日(木) さよならだけどさよならじゃないぞう

社会人編入してからマブダチになった、同じゼミ所属の院生が、
もうすぐ就職先の研修が始まるので、引っ越していってしまった。


母上が上京して、荷造りや掃除を手伝っておられて、
その母上と一緒に、新横浜からお得きっぷで「こだま」に乗って行っちゃった。


最後の時はあっという間に過ぎていった。

初めて母上とお会いして、ランチをごちそうしてもらい、
そのまま横浜線で新横浜まで見送りに行った。

わたしたちはランチの間も、車中も、途切れることなくずっとたわいもない話をしていた。

2人して全然、別れる実感が湧かないから、会話も当然普段となんら変わりない。


母上だけが、横浜線の座席に座って静かにこだまのチケットを見ている。
ここを離れていくということをリアルに考えていたのは、母上だけだったと思う。

母上はきっとすごく嬉しいはずである。
都合8年在籍した長女が今春やっと卒業し、しかも就職先は実家の近くなのだ。

娘とまた一緒に暮らせるのは安心でもあるし、やっぱ嬉しいだろうと思う。



たわいもない話しをずっとしていて、この時間はいつものようにずっと続くんだと
錯覚しそうになったけど、電車はちゃんと時間通り新横浜駅に着いた。

ここでお別れ。

帰って行く彼女の、ひょうひょうとした中に困惑の表情を見つける。
クールなあなたの無表情に宿る、はっきりとした感情が、
なんともわかりやすくてわたしは好きなのだ。


帰り道、ものすごくぽつーーーんとした気持ちになる。
座席に座る体にぜんぜん力が入らない。


八王子駅についても、見てるのはいつもの景色なのにまるで知らない街のようだ。
急激に寂しくなって、ちょびっと泣く。


彼女の居ない東京。
の、なんと寂しくて味気ないことよ。


彼女の存在がずっと「無上の安心感」を与えてくれていたということにようやく気付く。

たとえ彼女が池袋の別宅にいても、八王子のアパートにいても、
彼女はいつも全力でわたしのことを心配し、考え、思って、祈り、守ってくれていたのだ。

その深い慈愛は、きっと離れてもかわらないだろうけど、
ここに居ないっつーのがこんなに悲しいことだなんてねぇ。


でも、いつまでも八王子で一緒にウハウハしてるわけにもゆかぬ。

これは生きる上でどうしても必要な変化であるから。


でも絶対変化しないとい言えるものもある。
それはわたしたちの友情(…いや、もはや愛?)。

ええ臆面もなくそう言い切りますよあたしゃ。と誰に向かって居直るのだと思いつつ、
えーい、どうせ彼女が読むことはないんだから、書いちゃえー。


2009年02月10日(火) 大いなる何かに翻弄される

妹と会話していたら、びっくりするようなことを言ったのでびっくりしますた。


「ひろみ、3人は子供を生んで少子高齢化を食い止めたいのっ。

(アフターファイブの課外活動があまりに忙しくて遊べない、習い事できない、
そして滅多に出会いもない現状を嘆き)

今年結婚式の日取りが決まんなかったら、来年は引きこもるから!
そんで、婚活させろー!って言ってやるー!

だって、33歳までにひとり産んどかないと、いきなりマル高(高齢出産)なのよっ!

そんなの不安でしょー???」



えっとぉ、姉たんは、すでに33でし。

で、もうすぐ34ダ。


そっかー、今年受胎しても、もう産むときはマル高なんだー。
おおぉ〜。

結婚のけの字もない姉妹だが、姉は妹のあまりの熱の入りようにおののき、
そしてそこはかとなく不安になる。

いや、産まなくてもいいやと思ってたはずなのに、
そこんとこが揺らぐってどゆこと???

相手もいないのに産みたがるってのは不毛。ありえない。
と思ってきたけど、どうなの?

産みたいの?
結婚したいの?
産みたくないの?
結婚したくないの?

わかんねー!自分のことなのにわかんなーい。

何だ何だ?この雰囲気。わたしの周囲で、何か大いなる力が動いてる?

今日も大学で先生に「野菜農家の息子がゴロゴロ余ってて、もしよかったら紹介するし」
と言われるわ、

独身謳歌サークル「行かず後家ズ」の最後のひとりになるわ、

地元で仲良しだった年上の女友達がこの春相次いで結婚するわ、

父がプレッシャーを与えてくるわ、

妹は熱く語るわ、


なんなんだぁー!

ヒィィイー!


2009年02月09日(月) 土のないかなしみ

とうきょうは、全然土がないねぇ。

遊んでる土地もないねぇ。


そりゃ大雨が降っても染み込まないわけだよ。



さっき中央道から首都高速入って新宿あたりまで、
バスの窓から覗き込んで地面を見てたんだけど全然「土」というものが見当たらない。

当然「草」というものもあまりいない。


そんな当たり前のことに改めてびっくりして、そして見事にがっくりする。

ああー。自分は土がないと心がダメになる。悲しくなってしまう。
ということを深く自覚。


都心で働けても、住むのは無理かも…。
就職どこでしよーかなぁ。
精神衛生上、これはないがしろにできない問題のようでふ。

真剣に考えないと。


2009年02月08日(日) 祖父がまた一段と老いていますた

実家で、祖父の老い具合を観察する。

老いるというのは、今までできたことがどんどんできなくなっていくということで、
一度できなくなったことはほぼ間違いなく回復しないんだな。

そうやって、大病をしなくても、事故に遭わなくても、
人は必ず死ぬんだなぁ、ということを祖父から見て取る。



祖父は年末に以前やったのと反対側の大腿骨を骨折して、今は車いすの生活を送っている。
(それにしても…なんで彼は車いすに座ってごはんを食べるとき、
いつも左に傾くのかなぁ。おじぃ、地軸がずれてっぞ)


立って歩く、ということは、重力に逆らって体重を支えて移動するんですが、
祖父は歩かない生活になって2ヶ月ちょっとしかたってないのに、
太ももの筋肉がまるで落ちてしまっててびっくりした。

こりゃ、歩けるわけないわー。


食も少々細くなり、そして骨折前より7キロ痩せたらしく、たしかに頬がげっそりしてる。

うーん、健康的…っていうか、おじい、弱ってねーか???


彼の人生の終りが、ちょこっとだけ見えて来たかもね…。と、家族で話す。


★祖父ってこんな人★

幼くして生母と死別、そのあと来た後妻にはあまりよくしてもらえなかったらしい。
大人になって「しっかり者だから」と言われて娶った女性は気が強かったもんだから、
以来、家庭内別居60年ですよ。

しらじらしかった金婚式。
忘れられないレジェンド。


新婚の頃に出征し、14師団衛生部にいたらしいけど詳細は聞けないままだ。
去年ちょこっとだけ聞いてみたけど、話したがらないので聞くのはやめた。

センスは全くないけど音楽が好きで、ギターを手に上京したこともある。
(一週間で連れ戻されたけど)
家にはピアノ、笛、ギター、オルガン、アコーディオンがある。

2男2女を儲け、10人の孫と、6人の曾孫がいる。

好きなテレビ番組は深夜のお色気系。11PMとか。
定年後は完全昼夜逆転生活を送っていた。

今は強制的に(介護する側の都合上)規則正しい生活を送らされている。

旅行が好きで、定年後はしょっちゅう旅行に行っていた。
(ただし祖母は連れて行かない)

お土産のセンスがベタで、ペナントとか「努力」って書いた石とか、万華鏡とか。

長いこと尺八を習っていた。すっごく練習するのに、全然上達しなかった。


小さい頃は、「海に行くぞ」と言われて木曽川の川原へ散歩に行った。
より小さいものが好きで、孫に関しては第一子より第二子、第二子よりも第三子、
第三子より末っ子を可愛がるタイプ。

沢に自生する葉ワサビが好物で、ものすごい深い沢にも平気で下りて行って採って来た。

ぼたもち、おはぎ、餅、あんころ餅、草餅、からすみ(米粉で作ったほう)、
赤飯、味ご飯、鯖の煮付けが大好物。


いやー、案外知ってること少ないなー。と、これ書いてて思ったり。


最近はずっと趣味の絵を描いている。

4Bの鉛筆が欲しいと言うから、10本買って渡してきたけれど、
きっと3ヶ月くらいで使い切るだろーなー。また買わなきゃだー。


2009年02月07日(土) 夢診断されたい

警察官やってる幼なじみが、いつの間にか軍人になってて、

しかも殉職して、

立派な棺に入って地元へ輸送されてくるという夢を見た。


広場にやってきた輸送機から、大きな棺が担ぎ出され、
その上には見たことのない色と文様の大きな旗がかけらていた。


その間わたしは、棺から血がしたたって落ちて来ることを
しきりに心配していた。

拭かなきゃ、拭かなきゃ、とずっと思って待機してるという夢だった。


たしかにその日の昼間、久しぶりにその幼なじみに偶然再会はしてたんだけどさ、
だからってこの夢はないでしょーよ。

と、目が覚めてからずっと、いやーな、なんともいえない心持ちで一日過ごした。


家族の誰にも言えなかったけど、正夢になると困るのでここで書いとくー。


2009年02月02日(月) 卒論発表会が無事に終わる

今日、社会学科の卒論発表会が終わった。


それぞれのゼミから選ばれた人身御供…もとい、発表者が、
バラエティに富んだ研究の成果を果敢に発表。

おつかれさま!!!


うちのゼミからは、自己啓発セミナーの論文を書いた O君と、
院生で沖縄の基地関連について書いたOさんが発表した。



それぞれの先生の個性も豊かで面白かったー。

兵器全般に詳しい国際関係論のH先生は何かを「備蓄」しているともっぱらの噂なのだが、
その兵器がなんなのかが今日わかりました。


でっかい望遠レンズのついた、一眼レフカメラだったお!

ていうか先生、
その座席間の移動の仕方、構え方、撮り方…、あの、覗いてるそれ、ファインダーじゃなくて、
スコープなんじゃね?と突っ込みたくなるような、

なんかランボー(by スタローン)的な動きにツッコミ所満載だった。


そのでっかい望遠レンズで、自分とこのゼミ生の発表を激写してますた。


たいして広くもない教室でそこまででっかい望遠レンズ使って何を撮るんだ一体。
っていう空気なんてものともせず、毛穴を写す勢いで連写してたよ!!!

絶対撃ってる。H先生の心の風景では絶対弾が出てた。

笑える…。



司会の先生は若手コンビでやっておられたのだが、このコンビがまた秀逸で。

ものすごく頭がよくて、卒論の口頭試問の時は自分の専門外についてもよく勉強してきて、
その明晰な頭脳と歯に衣着せぬ語り口調で何人もの学生がバッサリ斬られてPTSDになったとか
ならないとかと評判のI先生と、

プログラムと要旨が載った冊子を担当したんだけど、
ものすごく適当な作り方がしてあって、後半の頁がごっそり逆さまになってたり、
頁が飛んでたり、両面印刷に失敗してたりと、メキシコの大らかさが満載のI先生とのコンビ…。


そして、発表者になんだかやたら優しかったうちのボス
(たぶん今学科で、実務的に一番上の立場の人)。

ななな、なんでそんなに慈愛に富んでいるのですかっ。
なんか悪いものでも食べちゃったんですかっ。

と、こちらにもツッコミが入る。


志願末席のS先生の腰の低さ、年齢不詳癒し系オタクM先生の仕草、
ゴルフ焼けで真っ黒のN●K出身T先生の流れるような語り口調。

私が学部生だったのはたった2年だけど、もうこんなに思い出がいっぱいある。
本当にお世話になりました。
ありがとうございました。


あー、発表会面白かった。



そのあと駅前で後輩が追い出しコンパをやってくれた。ありがとう36期!37期!

今いる場所がつまらないと思ったら、動くべきだ。と、
3年前のわたしが思ったことは間違ってなかった。

身体をその場に持って行くことの重要さと面白さ。

その間の苦労すら楽しいということを身をもって知れたことはものすごく大きな財産だ。


とても楽しいコンパだったー。


2009年02月01日(日) げーじゅつ。柑橘類。と、雪山事故の追記。

追記。

この記事のスポニチの見出しが気になった。


【救われた遭難男性…まさかの滑落で再び行方不明】

 北海道積丹町の積丹岳で1月31日に遭難した札幌市豊平区の会社員藤原隆一さん(38)は1日、いったん救助隊の警察官と合流したが警察官とともに滑落し、藤原さんだけ再び行方不明になった。

 余市署によると、捜索は1日朝に開始。正午ごろ、頂上付近の南側斜面にいた藤原さんを警察官5人が発見した。しかし約10分後、急こう配を警察官3人と藤原さんが滑落し、藤原さんの行方が分からなくなった。

 現場は風が強く、視界も悪かった。悪天候のため捜索は午後5時ごろに中止され、滑落した警察官3人を含む救助隊は自力で下山した。藤原さんは衰弱していたという。
[ 2009年02月01日 22:14 ]


「まさか」でもなんでもないと思う。
じゅうぶんありうることだと思う。それが雪山。
「まさか」って言葉はこういう状況で軽々しく見出しに使ってほしくない。

記者のセンスを問うわ。まじで。

たしかにまさかだけどさ…。
いつそうなってもおかしくない状況でギリギリの救出をしておったのでしょ?


遭難した人、衰弱してると書いてある。そりゃそうだよね…。
好きで登っておられたとはいえ、事故があることも想定しての登山とはいえ、
やるせないなぁ。

ほんとうにやるせないです。

雪山に興味のないわたくしとしては、
なんであんな危ないとこにいくのー。って思うけど、行きたい人は行きたいんだよね。

冒険は私も好きだから、なんとなくわかる。

行きたいの。





ボスに無料のチケットを頂戴したので、六本木まで繰り出す。

昨日までの雨が大気を掃除してくれたのか、まー空気がきれいで、都心なのにおいしかったよ。



新国立美術館に行って来た。
明日までのアジア創造美術展2009ってやつのチケットをもらったのよね。

こちらは、いろんな人のいろんな作品が展示されてた。

作品としてはあんまし上手じゃないんだけど、
一生懸命、そして楽しんで描いてるのがよくわかって、そこんとこが面白かった。



そんでついでにやってた加山又造展をみてきたよ。

又造すげー。
これまで幾度か絵を見にしたことはあったけど、私はこれまで彼のことは知らなかった。
なので、なんの知識も先入観もなしに絵を見て来た。


んっと、一番気に入ったのは

「木枯」1959(昭和34)紙本彩色/額装 長谷川町子美術館蔵 だった。


魚眼レンズで覗いたような構図でね、地は全体に金箔をはってあって一見絢爛豪華なの。

でも画面の下の方には、黒、白、朱色を使い分けて葉っぱのない木々が書き込まれてるのね。
木は株ごとに色が違うので、枝振りがよくわかる。

で、真ん中には黒い鳥が群がるように、もつれるように、いっぱい飛んでる。
近くにも遠くにも、いっぱいいる。

色は金や朱色と黒だからすごくはっきりしてて、ぱっと見ると紅葉みたいなんだけど、
なんのなんの。

すっごくうら寂しい感じの絵。
秋の終わりの寂しさ。


いい絵だったなー。


あとねで、屏風なんだけど「奥入瀬」ってのがね、またすごいの。
金と深緑と濃紺で描いてある。

金色の岩場に焦げ茶色の幹をした落葉樹が生えている上流の景色。
なぜに金。
でもしっくりくるね金。

そんで深緑の岩場は、苔かなぁ。
さらに下流は濃紺。

シダ植物の葉っぱが金色で描かれてて、どの葉っぱも重なってないけど
不自然じゃなくて、その配置の妙にびっくりした。

又造、すげー。



裸婦がねー、もう最高に「あわわ」って感じで、面白かった。
又造のエロティシズムしかとお見受けした。

「はなびら」「はなふぶき」は、もうモデルさん大変なことになってた。
躍動してるの?しなきゃだめなの?すっぽんぽんで?


「秋草」すてきだったなー。
というのは、わたしがあざみの花が大好きだから。

かわいいあざみの花がたくさん描いてあって、ほっこり。
でもあざみって初夏の花のイメージなんだけどな。


敷居の高くない(先入観のない)芸術との遭遇もいいもんだなぁ。と思った。

すごい人、すごい作品、って言われても、「ふーん」で終わってしまうのか、
それとも「すごいねぇ」って価値がつけられるのかって、

ようするに、

絵を評価する人と、その絵を買ったりする人(美術館とか個人とか)が
その絵の価値を共有のものとして認めてなきゃ、なんの意味もないことなんだねぇ。
面白いなぁー。


帰りに新宿で日向夏を買った。2コ。

ああああ。日向夏、デコポン、ぽんかん、文旦…!!ジューシー柑橘四重奏!!
箱買いしたい。
大人買いしたい。
オラ金持ちになりてぇ。。

さっそくいただきまする。じゅる。


inu-chan