日々日記
いちらんふるいあたらしい


2008年12月31日(水) つながった2008年

再び大学生活も2年目。
ここは山梨か?と言いたくなるような暑さ寒さにも、
そして勉強を中心とした生活サイクルにもちょっと慣れた。

なので、今年は大卒後の20代を取り戻してるような気持ちで過ごせた。


わかりたいという気持ちを持って講義にのぞんだ。
あと断片的だった情報のストックを何か体系的につなげてみたいという意思を持って、
出かけ、調べ、読み、撮った。


手前味噌ですけど、成長したなぁと思ったのが、先日実家で消防の夜警に出た際、

「そんなに勉強して何になるの?」と聞かれたので
「べつに何にもなんないよ」と言えたこと。グフ。

聞いて来た人の顔が、若干ポカーンとしてて笑えた。
(ちなみに彼の質問は、結婚して子どものいない夫婦に「子どもはまだ?」って聞くのと
同じ意味合いの質問だと思う。内田樹さんの言葉を借りれば「呪い」ってやつだ)

果たしてわたしの答えはふざけているか?


でも、わたしにとって大学って何かになろうとして行く場所じゃないわありゃ。
あそこは何か生産性のないものやことに没頭することを許された場所なんじゃないのかねー。

(没頭できるものが見つかればラッキー、見つからなかったら苦しい)
そのための時間が与えられてる場所だと思うなぁ。


生きるためには働かなきゃならんから。
卒業したそのあとは、そうだなぁ、私たちの世代は年金に期待できそうもないから、
たぶん働ける限り働くようになるだろうね。

いいわよー。あたい、働くからー。

そのわたしの仕事が、世の中のためになったり、誰かを喜ばせることができれば
もうそれで生きてて良かった級の大満足だ。泣けるね。

そうこうするうちに、あとできっと「何か」になってるんじゃないのかな。と思う。

つーか、今まで引き出す場面がなくてただ一方的に貯めてきた「知識」が、
頭の中で繋がって思わぬ「知恵」になって自分の外に出てくるという機会が増えたのよー。
(知識たちはほんとうにくだらないものが多い。雑学的。でも私にとってはラブリー。)

びっくりー。

多分来年以降も増えると思う。
そういう知識たちが、わたしの脳を含む身体を通して外に出た時どんな形になってるのか、
それが修士に進むともっと増えるかと思うと楽しみだ。


勉強内容がさらに専門的になるしなぁ。
しかも大学院生は研究者扱いだから、同じ先生方にお世話になるとはいえ、
厳しくなるだろうしなぁ。キャー。


研究を極めるべきか、就職するべきかも今後はっきり見えてくると思うから心配してない。
わからんことを心配するのはやめた。でも準備はぬかりなく。

新規学卒扱いにならないってのは、かえって気楽でいいもんです。
再就職扱いだから。


あ、2008年は、
実家の独身女子で構成する「行かず後家ズ」の3人のうち1人が入籍し、
さらにもう1人に1年以上交際している彼氏がいることが発覚した!
(つまりその子と1年以上連絡とってなかったわけよ。フフフ)

最終的に、自分の予想通り「孤高の存在」になったことに快哉を叫びつつ、
明日もバイトなので大晦日だけど9時に寝るにょ。

ウチはテレビもないし静かなもんです。

ではよいお年を。


2008年12月27日(土) 年齢と人格は比例して成熟しない。

ちょっと覚え書き。忘れないように。
面白くないから読まないほうがいいかもです。


祖母、祖父の入院中に4回、祖父の入院する病院に行っているが、
一回も祖父の病室に顔を出さず。

ちなみに病院に行ったのは実弟を見舞うため。なお実弟は祖父と同じフロアに入院していた。

このことについて、クリーンスタッフとしてその病院に勤める娘(父の姉)に
ものすごく叱られたが「俺は(反論せず)黙っとった。黙っとったぞ。」とあとでぽそっと言う。

悪かったと思っているのか、いないのか、全然わからない発言。
少なくとも、叔母の忠告は徒労に終わったことは確か。


26日、祖父が退院。
車いすでの生活になるので、スロープの設置や、簡易トイレの設置、
退院の手続き、祖父の部屋のしたくなどで朝からてんやわんや。

祖母、朝から一切タッチせず、こたつで寝ている。
それはいい。身体がきつければ動かなくてよし。

問題は、祖父が帰ってきてから。



夕食時、祖父の顔をいまいましげに睨みつける祖母。
祖母、そんな目で家族を見ちゃいけないよ。

なお、祖父と祖母は食事のとき、
机の角を挟んだ隣に座る。祖父の右に祖母。祖母の左に祖父。

普段からその傾向はあったが、今日はことさら祖母が意地悪。

祖父のそばから自分のおかずや、取り皿、茶碗、湯のみなどを遠ざけ、
最終的に、祖父に背を向けさもいまいましげに食事をとり始める。


祖父に背を向ける理由は、祖父の食事のマナーが悪くて食事をとった気がしないから、
との話であるが、入院していて身体の自由がきかない人の食事マナー(92歳)を
あれこれ言うのも実に大人気ない話である。

ちなみに食事マナーに関して言えば、
祖母は口を開けて音を立てて食べる、手をあてず平気で咳き込む、
噛んでて噛めないものを皿の上に出すなど、彼女もたいして行儀良くない。
祖父とどっこいどっこいである。

しかし、自分のことは彼女にとってあまり問題ではない。

このへんの矛盾を指摘すると「みんなで俺をきめる(悪く言う)」言って
親戚中に電話をする。べつに、もう気にならないから、いいけど。


ちなみに、食卓についた祖父をものすごい目つきで見ていたので、
「これこれ、それは退院して帰って来た亭主を見る目つきじゃないわよ」と言っても、
全く聞く耳もたず。


しかし、みんなが「じいちゃんじいちゃん」と祖父の世話をやくので、
それがたいそう気に入らないらしく、通常よりよけいに「俺様的振舞い」が増える。

…この忙しいのに面倒を増やすんじゃありませんよ。

あ、ちなみに、26日に退院してくるまで
祖父が車いすの生活になることも祖母は知らなかったなー。
本気で一切ノータッチなのだ。興味がないのだ。すげーよ。マジ勇者だよ。


あのねー、じいちゃんは骨折をしてだねぇ、いろいろ大変なんだよ。
なのであなた、もすこし大人になってくれや。

と言っても聞かず。

やれやれ。


退院して来た祖父を、祖母があまりにいじめるので、
「ここまでだったとは」と父が驚き、若干凹む。

そんなの今に始まったことじゃない。はなからああいう人ですよ。
だから凹むことはない。と励ます。

そんなことでダメージ受けてるばあいじゃないわよ。


というわけで、慣れ過ぎた日常だけど一応記録に残しておく。
こういうつまんないことはどんどん忘れていっちゃうからねー。


2008年12月25日(木) 大きくなってゆく弟

夕食を食べながら、自分が算定した以上にボーナスが出たのが嬉しくて嬉しくて、
んでそのボーナスで地デジのテレビを買って楽しく生きている弟が、
とつぜん、

「姉ちゃん、就職はどうするの?」と聞いて来た。


おまえかつて我が家で一番、箸にも棒にもかからない人だったのに、
姉にそんな質問してこれる立場になったと思えるよーになったんだねぇ。と感無量になる。

うむ、つまり今わたしが我が家で一番、箸にも棒にもかからない
困った人なわけだな。あはは!


就職はするに決まってるだろー。と答える。
就職難だし難しいかもしれないけど、自分1人だけのことだからなんとかなるよ。

あ、こっちに帰ってくるつもりはないから安心しなさいねー。と言ったら嬉しそうだったので、
ああやっぱ姉ちゃんは家を出てよかったなぁと思った。


弟がのびのび暮らすには、私は近くにいないほうがいい。
彼が彼らしく、家族を気遣い、家族の一員としての役割を果たすには、姉はその群れに
一緒にいないほうが健全にことが進むのだ。

なお、その他に、
わたしがのびのび暮らすには、父と同居しないほうがいい。というのもわかってきた。
あいつ…、親だけど若干宿敵。似過ぎるから。ほんとに。もう。

なので姉ちゃんはこっちには帰りませんよ。
ご安心めされ、弟よ!


大人になるときょうだいの関係も変わってくるから、面白いね。


2008年12月23日(火) 山を離れては生きられない身体

青春18きっぷで「ぶらり途中下車、はできないけど各駅停車でのんびり旅」の帰省。

高尾を過ぎると左右は山。
狭い谷間を電車は走る。

道中の山に生えている落葉樹がみんなきれいに坊主になってるのを見て、
季節が冬であることをしっかり認識する。


都会は気温はそれなりに下がるけど、そうはいってもあたたかく、
紅葉が残ってる葉っぱもまだあるし、雪も降らないし、あんまし季節感が湧かない。


やっぱ冬と言えば、寒くて赤みを帯びた針葉樹と、丸坊主になった落葉樹と、
露になった山肌の三位一体の絶妙なコントラストですよ。

そして田んぼにおりた、真っ白な霜と、真っ白な息。

これこそ冬の景色なり。



八王子は、わたしの行動範囲にはまともな山が存在しないので、
そうねー、冬を感じるのはオリオン座を見たときくらいか。


山に近いはずなのに、眺めるのにちょうどいい距離感の、
高さ的にもちょうどよく高くて、それなりにそびえ立つのが身近にない。

なので、甲府を過ぎて小淵沢に行くまでの、あの山並みの美しさにすっかりやられる。
はぁー。うっとり。

となりに座った若い男女がもんのすごくうざかったから、
なおさら熱心に山を見てたってのもあるが。


山はいいなぁ。
山が好き。


2008年12月19日(金) 馴れ初め収集家

今日びっくりしたこと。

UFJ銀行が合併したおかげで、ATMでの自由形積み立ての一部解約などの操作が
できなくなってしまった。

お金をおろすにも、この問題を解決するにも、結局窓口に行くしかないんですってよ。

仕方なく窓口に行った。
そのあとまさか90分もいることになるとは思わなかったー。

どうも、わたしの定期積み立ての通帳と、総合口座通帳がリンクしてないことが
原因だったらしいんだけど、それをお客の非のようにいう。

あのねー、合併以前は普通にATMでやってたんですのよこちとら。
それが、そちら様が合併なさったことでできなくなったんですの。



そ の 態 度 は な ん な の 一 体 。


70分待ってこれだよ…。うんざりだよ銀行。

そもそもこのご時世にですよ。たかだか10分もかからない手続きのために
お客を80分も拘束するのって、結構な度胸だと思う。
なかなかないことだと思うよ。すごいよ。


バイト明けだったので待ってる間ほとんど寝てたけど、うつらうつらしては起きて
時計を見るたび、まだ呼ばれないことにホントびっくりしたわ。

でもお金がおろせないのは困るので、
手続きしてもらわなくてはならないから、仕方なく待ったにょ。

貴重な経験だったにゃ。
しかし二度とごめんだにゃ。



話はかわって。

人様の馴れ初めを聞くのが大好きです。


恋人同士ならくっつくまでのストーリー、
夫婦なら結婚に至るまでのストーリーを聞きます。

ようするに、ハッピーエンド(いや、エンドっつーより結婚はスタートなんですけどー)
ばかり聞けるのだ。

それがまた、すごく面白いんだよね。


なんの変哲もなかった関係が、徐々に、あるいは劇的に「特別」へと変わっていく様子や、
知り合っていきなりめくるめいちゃってそのままずっと一緒にいるとか、
100カップルいたらもうそこには100通りのストーリーがあるわけよ。


そういうのを、ごく親しい人から、お茶を飲みながら、またはお酒をいただきながら
身振り手振りを交えて、そのサイドから見てたものや、感じたことを教えてもらう。

んで、友人の恋人または配偶者とも話せる機会があったりするともう最高。

(それこそスペシャルケース)こんどは相手サイドからの話が聞けるんですな。


あの日の事件のとき、彼女はこう思っていて、彼はこう考えていた。ってことが、
わたしの中で繋がっていく。


それがねぇ、聞けば聞くほどすごいんだよね。

馴れ初めを保管している、わたしの心のアーカイブが充実してゆくほど、
恋愛を中心とした家族形成に至るまでの物語がもう、魔法か?ってくらいフシギで、
すげぇ。って、ため息出ちゃうのー。


自分にも経験あるけどさ、両想いって、すごいよねぇ。なんだあれ一体。


そして人は、好きだってだけで、新しい生活、新しい人間関係に飛び込んで行けるんだよ。


どんな困難があっても、くっつく2人はくっつくし、
どんなに順調でも、好きでも、別れる2人は別れてしまう。


やめられないわ。
馴れ初め収集。
いいわー。


2008年12月18日(木) つれづれなるままに。師走

古い友人から届いた結婚式の招待状の返事を持って、大学正門前のポストへMTBで急行し、
そのまんま勢い余って「年賀状」用の投函口へ入れてしまった。

とりゃっ!……あれ?…がーん。て感じだったお。

まぁいいか。年賀状じゃないので、選別で撥ねてくれるだろう。

とほほ。


同級生の「結婚しそうなひと」たちはもうことごとく結婚してしまったので、
最近結婚式に呼ばれることはほとんどなかった。
久々だー。


式は2月だよー。
厳寒の諏訪だよ。御神渡りじゃないですか。寒いぞーーーー。

なに着ようかな…。

ウェルカムボードの作成を頼まれたので、その準備をしてかなきゃな。


こうして先々の楽しみが増えるのは大歓迎だ。


大学職員が、同じ地域所属の同じ団体関係者っていうのは、
パワーハラスメントになりゃしないかと思う。

学生はどうしたって、図書館で本を借りるにしても、学生課に何か届け出るにしても、
職員の世話にならないわけにはいかないのだ。

でも、プライベートでの個人的関係の気まずさを感じずに職員と事務的に接することのできる
20歳そこそこの学生なんて存在するんだろうか。

現に33歳のわたしだって、大学で彼女らに会うの苦痛。気まずいもの。


どっち寄りでもない人。何派でもない人。何宗でもない人。
永世中立職員とでも名付けるか。

学生とプライベートで全く関わりのない職員を採用するべきなんじゃないのかな。
と思ったが、
…100%無理だな。変な話だけど。


というか、ふつー、大学職員と学生がアフターファイブに一緒に何かやったりしないからねぇ。


2008年12月17日(水) 小さくちょっとずつ死んでいく

ひとつの、大きな山と平原との間の谷にいる。
谷は深くて深くて、ものすごい圧迫感がある。

見上げては、これ登れるのかなぁ、とすごく不安になる。

あ、現実の風景じゃなくて、心の風景です。




嘘をつくときは、
いつも小さくちょっとずつ自分が死んで行く気がする。

だから自殺した人というのは、
それが積もり積もって
いっそ、一思いに死んでしまいたくなるのだろうなと思ったりする。

そのくらい、小さいけれど確実なダメージを与えるのだ。


結論としましては、
小さくちょっとずつ自分が死ぬような状況にいつまでもいてはダメだ、ということ。

んで、たとえわたしの選択が真実間違っていたとしても、
他者に呼び戻されるんじゃなく、自力で間違いを感じ、自力で戻りたい。

どんなに苦悩しようと、また恥ずかしい思いをしようとも、自力で。
だって経験は、自分の身体でもって獲得しなけりゃ身にならない。

観念論大嫌いさ。
身にならない経験なんかいらね。


でもね、全ての心中が穏やかってわけじゃぁないんだよ。
あえてこういう冒険をしてて穏やかなわけないでしょーが。時にはギリギリよー。まったくもー。


それでもそうするんだ。うん。


今後、最悪身動きがとれなくなってもまぁ大丈夫。

全て(だと思っていたもの)を投げ捨て、身体を総動員して「谷」の絶壁をよじ登り、
風吹く草原に立って遠くの山を見ることが、もうできるようになってるから。

生きてこその煩わしさであり、めんどくささだ。醍醐味だね。


2008年12月16日(火) 十年一日

彼を連れに行ったとき。
同じような大きさのきょうだいと一緒に転げて動き回っていた。
でももう、わたしにはどの茶色のかたまりが彼か見分けがついていた。

頭が大きくて、目が少しまだ青色がかっていて、
歩くとよちよちしていて、口のまわりの毛が黒くてドロボーみたいなのね。

そして、わたしに抱かれてもぜんぜんお母さんを恋しがらなかった。

抱きしめて匂いを嗅いだら、顔を舐めてくれた。
物怖じしない子。



「おまえは今日からうちの子だよー」


そう言って連れ帰ってから、10年たった。


この10年間というもの、彼はただ彼のまんまで私たちの近くに存在し続け、
毎日遊んで食べて出して眠るだけの日々を送っているんだけど、

それだけのことしかしない、あの茶色の小さなもこもこしたものが
我が家と私にもたらしてくれた喜びの大きさたるや、
当初の想像をはるかに超えていた。

「かわいい」ことが彼の仕事だとしたら、
わたしにとって、これほどいい仕事をしてくれる存在は他にはないだろう。


今、離れて暮らすのはすごくすごく寂しい。
たまに帰ると彼は大はしゃぎで迎えてくれて、その後は帰るまでくっついて離れない。
それはわたしも同じで。

寂しがりやの、人のいい顔をした、ドロボー顔の彼。


もうあと10年は生きてほしい。

大好きだよー。大事だよー。会いたいよー。


あと1週間で帰省だ。


2008年12月14日(日) 都下で遭難しかける

ほめらりた〜。

ボスにほめらりた〜。

うーれしいな、うれしーなー。


全然学問とは関係ない場面なんだけど。
来年うちの大学で行う、とある学会の事務局会議の話なんだけどね。


学問の師弟関係は、こんなふうに「のーんのん」してちゃいけないんだと思うけど、
あたいは学問で生きてくつもりはないので(屋内でやんややんやするのに向いてない)、
いいんだ別に。


もちろん先生は学問のお師匠様だけど、
最近は「東京のお父さん」みたいな感じになってきた。

…いいのかな?
まぁ、いいんだよ。うん。新しい相互関係の定位っつーことで。



話は変わって。
こないだ水曜日にゼミの忘年会があったの。

でも人の世話を焼いてるうちに終わってしまって、
なんだか不完全燃焼だったですよ。

だからなのか、なんなのか、修士論文を控えて神経が昂ってる友達と、
卒業論文を終えて燃え尽き症候群になっているinu-chanというベストコンビで、
翌日午後から高尾山へ行くことになった。それも急に。

で、京王線で高尾山口駅へ着いた時点で午後3時くらいだった。
ケーブルカーは入れ替えだかで乗れないらしく、リフトで上へ行き、
そのまま山の上のお寺まで歩いて行った。

もー、本当に空気がおいしくて最高でねー。
遠くの山並みが紫色に見えて、もうたまらなくってねー。


気分が高揚したのかなんなのか、
なぜか帰りは下りだしリフトに乗らず歩こうかということになった。

お互いうっとおしい下界から脱出し、空気がうまくてつい魔が差したんですな。



でもねー、inu-chan、帰りにリフトの横を通り過ぎるとき思ったの。
この時点でもうだいぶ暗いんだけど、いいんかなー。大丈夫かなって。


そしたら案の定、全然大丈夫じゃねーよー!怖かったんだおーーー。

あのリフト脇の坂道には1個も街灯がないんだよー。頼りは月明かりのみ。
なのに変な地蔵とか点在してるし、シルエットで浮かび上がるし、
足下は急勾配で滑るから怖いから走りたくても走れない。


そして背の高い杉木立が両脇に立ち並び、音もなく、
時たま上の方から仕事を終えた関係者がスゴい勢いで車で下ってくる以外は誰も通らない。

ってか、その運転手らもびっくりしたと思うんですよ。
真っ暗な中に女2人歩いてるわけだからね。


でも、拾ってくれりゃーいいのに、誰も拾ってくれないという。
助けろよ!えーん。えーん。

歩いても歩いても暗闇。
走っても走ってもどこにも着かない。ヒィー!本気でピンチじゃないの〜?

そろそろどちらともなく焦り始めたころ、飯場の明かりが見えた。
あの感激は二度と忘れまいー。

このように、世の中の役に立たない経験を日々着々と積み上げております。
うはは。


2008年12月12日(金) 心の旅路さまよい中。

できれば誰にもがっかりされずに生きていきたいものである。

用意周到に立ち居振る舞い、期待通りの結果を出す。
だってそのほうが楽だもん。
説明もいらない。

でも、そうするのが自分の本心とは相容れなくなってくると
がっかりはされたくないんだけど、その型の中で振る舞うことが苦しくてたまらなくなる。

だんだん、だんだん、その場に行きたくなくなる。
そうすると、相手にどうしたのと聞かれる。
…説明を求められる。でも本心が言えない。


本来は強制じゃなく、任意の行動のはずなのに、
そのグループのいうところの「正義」は今のわたしにとっては強制である。

正義のはずがすっかり暴力になってしまう。


嫌だ、やりたくない、と言う人がいても良いが、真面目な活動家ほどそれはありえない。
なにしろ、なぜそう思うかの説明ができない仕組みになっているので。
とにかく本当に大変なのである。

何を守ろうとしているのか、
何を実現させようとしているのか、
そのかわり何を失っているのか、
それを冷静に見ようと思ったらそこから離れるしかないんだが、

それは離反行為なんだよなー。

うー。
でも無理。

何をするにも自分自身の納得をまず大事にしたい。でなきゃ100パーセントの没頭は無理。

大事な存在だけど、今の私には離れてみることがどうしても必要なんだよなー。
それを許さないような狭量な集団なんだろうか。
そうは思いたくないんだけどなぁ。


わたしに心底がっかりした目を差し向けた彼女の顔が脳裏から離れない。

でもしょうがない。

これがわたしだ。


2008年12月07日(日) 想像力

人を撥ねておいて車体の下に巻き込んだまま救助せず、走行を続けるという
非常に悪質なひき逃げが相次いでいる。


犯人らが人命が何よりも最優先だと思っている人たちだったなら、
たとえ酒を飲んでいようとも、すぐに助けられたんじゃないかと思えてならない。


というか、まずは酒飲んだら運転するなよと言いたいわ。
事故起こさないほうが奇跡なんだから。

酒飲んで運転すると、運転し始めは少し休んで酔いがさめたつもりでも、
運転を続けるうちに神経がたかぶるというか、残ってるアルコールが再び回るんですよ。

本当に、本当に判断力にぶるよ。
わたしは絶対やりませんよ飲酒運転。


実は撥ねられたあと車体の下に巻き込まれたけど一命を取り留めた人のニュースというか
ルポを読んだんだけど、確かに命は助かったけど、
事故の後、生きるのが大変でとても辛いのがすごく伝わって来て読むのが苦しかった。

その人が引きずられたのは10秒程度だったらしいけど、
目の前で轟音を轟かせながら高速で回転する車軸が怖かったと書いてあった。

そして一番読んでて苦しかったのが、
撥ねられて靴は脱げちゃってたから、むき出しのかかとがアスファルトとこすれて
肉がどんどんそげ落ちていって、あまりの痛さに叫んでも運転手は車を止めなかったと
いうくだり。

なんでさぁ、そんな酷いことできる?????
飲酒運転や無免許の発覚と、人の命と、どっちが大事だよ。


その人は必死で、引っ掛かっていた衣服をなんとか自力ではずして脱出でき、
動けなくて道路に転がっていたところを通行人が見つけて通報して命は助かった。

でも、
そげ落ちてしまった肉はもとには戻らなくて、痛くて歩くこともままならないし、
水分を含んだ特殊なスポンジ状のものを患部にいつもあてていなくてはならない。
お風呂に入るのは本当に大変なのだと書いてあった。

もし、車を走らせずにすぐ止まって救急車を呼んでいたら、
絶対にこんな苦しい思いをせずにすんだ。

ひき逃げの卑怯さとずるさは全くもって許し難い。


そして、想像してみて欲しい。
富田林で6キロ引きずられて脳挫傷で亡くなった被害者のことを。
ニュースでは詳しいことは言わないけれど、どれほどご遺体の損傷が激しかったか
想像に難くない。

さんざん引きずって来た被害者を「あえて見ないようにし」て、放置し、
自室にこもった被害者の態度にはただただ怒りを覚える。

お前たいがいにせぇよゴルァ。と、罵っていいなら罵りに行きたい。

いや、そんな暇じゃないから実際行ったりしないけど、
とにかくひき逃げという犯罪は絶対許さない。

他者の命、他者の幸福をなめてんじゃねぇ。


2008年12月05日(金) 祝・脱稿

いま午前4時15分すぎ。


卒論終わったーーーーー!!!!!




今からバイトいってくるなりくるなりー。


わぁーい。

わあぁあーーーーーーいっ!


2008年12月02日(火) 会った瞬間から縁が腐れてた人

友達の生命力が、なんだか知らんが
とことんまで落ちていたので、学食でコーヒー飲みつつ愚痴を聞く。


そのうちにだんだん落ち着いて来て、
そんで彼女の大好きな微生物や、動植物、農業の話をすると目がキラキラしてきた。

2人で、好きなことだけをお腹いっぱいしゃべって、
最後はいつもの彼女に戻っていた。


わたし「おかえりー」


友達「ただいまー」


腹が減ってきたので、帰ることにした。
バスに乗る彼女は駐輪場まで行くと遠回りなのに、わざわざ同行してくれた。

友「あなたが嫌じゃなければ」

わ「嫌じゃないよ」


わ「…ね、俺ら、おかしくね?」

友「うん、おかしいな」

わ「おかしいよなー」


結局わたしはバス停についていって、バスが来るまでまたしゃべる。

わ「じゃぁまたなー」

友「うぬ!気をつけてなぁ」


彼女が元気になってよかったよかった。
でもやっぱ2人の関係は少しおかしいと思う。全然嫌じゃないけど。あはは。


2008年12月01日(月) 新たな不条理@大学内

今日も大学図書館から。

卒論に添付する写真資料の編集作業をしているのだけど、
その写真がなんといいますか、ええと、

川崎の奇祭、
かなまら祭のやつなので、


とにかくち○こ。


あっちを見てもこっちを向いても、
ち○こち○こ。とにかくち○こ満載なんですよー。
しかもみんな勃っている。


で、編集はワープロソフト(マイクロソフトのWordやね)を使って
やってるんだけども、貼り付けた一番最初だけ、
画像サイズがやたら超でっかく表示されるので、超びっくりする。

しかもね、貼り付けた直後は、
画像のサイズが大きいのでパソコンがすぐ言うことをきかないんですわ。

ええ、その結果
ピンクの巨根・エリザベス神輿をパソコンの画面いっぱいに表示したまま
なすすべもなく鎮座するわたくしがね、ここにいると。



このとき、後ろを人が通ったり、
背中合わせの後ろの席の人の気配を感じると、

「オゥ!!!」と若干画面を隠すように前かがみになって
狼狽しまくるわけです。

ああ。聞かれてもないのに説明したい。
「これはね、卒論の資料でね!」と。


最近、学内のネットでのエロサイト閲覧に規制がかかるようになったり、
通常もあんましこういう話題を表だってしない校風なので、
万が一見つかったらどー思われるか予想がつき、ますます肩身が狭い。

調べてるものは祭り関係のものでべつにエロじゃないんだけど、
リンク先がエロバナーとかを掲載してるともう見れないの。

卒論用にサーチしたHPに、大学からは飛べないこともあって不便なり。


まー、しょうがないけど。


えらい卒論書いてるよあたしゃ。ぷぷー。


inu-chan