日々日記
いちらんふるいあたらしい


2008年11月30日(日) 自己完結/柴田倫世さん

閉館間際の大学図書館から書き込む。

いやー、卒論が…ちっともアカデミックにならねー!!

なんだよこれ、おじいさんから聞いた民話かよ!っていうか。
いや、いくらなんでもそこまでじゃーないけどさ…
(民話をバカにしているわけじゃないが)

なんていうか、まだ私には学問的考察というものがちゃんとできない。
ということかと。


でもいいのー。
今のステージにいる自分にできないことは、しないでおく。
それでもし先生に笑われたとしてもしょーがない。


修士論文で存分に考察し、とりゃっ!て結論を書くための
これは大事な下準備だと思えおう。それで全然オッケーだ。

卒論の位置づけがそんなんでいいのかは知らない。
でも、わたし的にはぜんぜんいい。

むはは。


もう9時間は図書館にいるわ。
おなかすいたし、そろそろかえろーっと。


さて、AERAだったか?忘れちゃた。えへ。
松坂投手の奥さんの柴田倫世さんの記事を読みましたよ。

何を大事に思って生きるかは人それぞれで全然違うもんだから、
あれを読んで「素敵」って思う人と「けっ」って思う人と
反応はさまざまだとおもうけど、

文章や写真から、彼女が心から充実した幸せな日々を送る様子が伺えて、
生き方や考え方や立場がどれがいいかなんてのは、

その現場で個人が「今まさにまった只中で幸せを感じている」のを目の当たりにしたら、
全然どうでもよくなるや、と思った。


記事の中の彼女の存在感は結婚前よりますます増していた。
記事が見事なのか。
彼女が見事なのか。

彼女が見事なんだろうなぁ。

あの生き方を実現させるにはお金が少々余分に必要で、
それなりの稼ぎを持ってきてくれる旦那が不可欠であるが、
そんな旦那を探せない、もしくは結婚しない生き方を選んだとしても、
見習いたいものがあったなぁ。

自分で考え、相手とよく相談し、可能なことは行動に移す。
すごく当たり前の積極的な生き方。
でもみんながなかなかできない生き方なのかもー。


inu-chanは彼女の生き方に憧れはしないが、いい顔をしていると思った。
いい顔をしている人を見るのも、そういう人に会うのも、嬉しい。

やはり、自分が納得し、今を満足して生きられたらそれでいいなぁ。
納得って大事。

ああ、おなかが鳴った。
恥ずかし。かえろー。


2008年11月28日(金) 結局注文したさ。

先日さんざん熱く来年の手帳について語ったのに、結局ほぼ日手帳を注文しますた。


だってー、気になるんだもん!
去年よりもだいぶいろいろ改善されてるらしいし。
中の印刷色も、チカチカしないようにシックな色合いになってるらしいし。

というわけで、来年は緑色の皮にしたんだー。


カスタマイズ済みのMOLESKINEは、院生用のマイ机で使うことにする。

うちの大学、大学院生になると机と本棚を貸してくれるのです。
一部屋に最大で8人が入れます。

院生だけが学習するための建物があるのです。
冷暖房完備、給湯設備やラウンジもある、何時間でも、いや、何日でもいられる場所なんです。


もー入り浸ること間違い無し。

これでノートパソコン貸してくれれば言うことないんだけどー。
それは小さくて安いのを自分で買うしかないなぁ。

あ、それよりも寝袋買わなきゃぁ。



と、逃避をしておるのだけれど、卒論書けよって話なんですよ。ようするに。
むきゃぁーーーー!!


2008年11月26日(水) すごくいい話

毎年恒例、ゼミのボスのお誕生会をやった。

そこでボスがすごいいいことを言ったの。


同期の女子が
「わたし、10年後には結婚してる予定で、子供を産んだら連れてくるから、
先生それまで元気でいてくださいね」

と言った。

先生は男のお子さんしかいないので、よくわたしらのことを娘みたいな存在って言うから、

わたしが合いの手みたいに
「うんうん、先生に孫を抱いてもらうまではねー」と言ったら先生が、


「困ったなぁ。抱くと、この子が一人前になるまでしっかり面倒見なきゃって
思っちゃうんだよなぁ。」って言った。


ああ本当に彼は素敵な人だなーと思って、
inu-chanmの心の中に花が、ぽぽぽぽぽぽっっ!!!!って咲いた。


きっと、結婚前にその後妻となる女性を抱きしめた時は
「この人を幸せにしなきゃなぁ」と思っただろうし、

子供が生まれて、初めて抱いたときも恐らく
「この子が一人前になるまでちゃんと面倒みなきゃなぁ」って思ったんだよ。


結婚ってのは自分の持ち物が増えるってことなんだという定義が最近わたしの中で確立された。
荷物が増えるとフットワークが重くなるから、やりたいことやできることが制限されます。

それが嫌だなぁと思っているのが、今のわたし。


結婚してさ、持ち物が増えるほど責任が重くなるし、義務が増える。


その持ち物を、先生は30年以上前に自ら望んで増やし、
そして年月がたつに従って徐々に増えていった責任をしっかと受け止め、

こうして61歳の今日まで生きてきたんだなぁと思ったら、すっごいことやなぁと思った。

目頭が熱くなる思いがした。


こういうところが素晴らしいんです。うちのボスは!えっへん!といばってみる。
いい誕生会だった。


2008年11月24日(月) クリスマスってなぁに

『クリスマス(英語: Christmas, Χmas)とは、
イエス・キリストの降誕(誕生)を祝うキリスト教の記念日・祭日である。

「神様が人間として産まれてきてくださったこと」を祝うことが本質である。
12月25日がこれに当たるが、昔の暦では日没を一日の境目としているので12月24日夕刻から
朝までをクリスマス・イヴとして祝う。

ムスリムも、主要な預言者イエスの生誕として、クリスマスを祝う。』

以上、ウィキペディアより引用



んで、なんでそれがニポンだと、イブが恋人と過ごす日になるんでしょー。


夜景を見て、ディナーを食べて、そんでセックスする。

そ れ 、 も う ク リ ス マ ス じ ゃ な い 。


よく考えてみると、この文化が日本に来てから今日までに
エラい不思議な変容を遂げたなぁと。

バレンタインはたしかチョコレート業界が火付け役だったけど、
クリスマスはどこなんだろう。

こうなるまでの一連の流れを調べても面白いかもなぁ。



個人的には、巷の胡散臭いクリスマスの雰囲気に便乗してセックスするよりかは、
姫はじめのほうが趣があるし、やるべき意義を感じます。

…べつに、どっちでもいいか?ふはは。



今日すごく面白いことがあったんだよー。


大学の講義の中で先生が言った言葉。
「西洋のおかげで、人類は世界規模で性に対する罪悪感を持つようになったのです」


そう先生が言った瞬間、inu-chanの中を吹き抜ける激しい嵐!!!!
そうだったのかー!っていうんじゃなくて、
「この人、すごいこと言ってる!!」っていう衝撃。

まったくもってその通りだとinu-chanは思ったけど、
世界規模とまで言うような人には会ったことなかったから、すっごくびっくりしたのだ。

そーだよね、ヨーロッパは世界規模で遠征したし、植民地を展開したもんね。

つまり、ヨーロッパの人々はせっせと海を渡って植民地を広げながら宣教師を送り込み、
キリスト教を世界に広めたわけだけど、その結果、性に対しておおらかな文化を持ってた人々が、
性に対して罪悪感を持つようになってしまったという話。

日本で言えば、江戸時代はおおらかだったのに、近代化の中で西洋の考え方を取り入れた時に、
「そんな未開で野蛮で洗練されてない考えはいかん!」
ってなわけで、取り締まられ、タブーにされていった歴史がある。

…でも今日の講義は世俗化だったのに、なんでこの話になったんだろう。


この先生は、昨年11年間のメキシコ生活から戻ってきた、うちのゼミの先輩なのだけど、
あなたに出会ったのはこのことを聞くためだったんだなー!っていう思いがするほど、

ズ キ ュ ー ン ! !

な出来事だった。



inu-chanの中での
この先生の印象がどんどん変わっていってて面白いので書いてみる。

去年:色黒い。

今年春:ゼミ室ができているのを見て「お。講師になったんや。」

夏休み明けの宗教学会にて:「あの人名前なんだっけ?」
       さんざん先生と話した後に同期に向かって言った言葉。同期の目が点になってた。

宗教学会あと:気の毒な人
       友達がいなくて寂しがっているという情報を入手して。
       彼にはテキーラとアミーゴが必要だねと院生や同期と救済案を相談し合う。

今年秋:わりとエロの人 
       講義の中にエロ(性)にまつわる話題が多い。もちろん講義中では学問として、
       あくまでジェントルにさらりと触れるんだけど、ご本人がエロじゃなきゃそこまで
       突き詰めないですよこの分野。
       ちなみに、inu-chanはエロです。そして目指せちんこ博士です。

先週:つーん! コミュニケーションが取りにくいときがある。疎通しにくいというか。
        多感な年頃なのかしら。つーんっていう印象を受ける時がある。
       そっとしとくに限ります。

今日:尊敬!身近!最高!そういうところ、すき!(いきなりそこかよ)



うーん。面白い。なんだか変な日記だけどまぁいっかー。
あー、面白かった。


2008年11月23日(日) 精神の分水嶺 何を軸に生きるか

気持ちが完全に先走った日記なので意味不明かもしれないです。
あしからず。


「ほぼ日刊イトイ新聞の本」を手に取る。

すごいよすごいよこの本は。

アマゾンで中古品を買ったのだけど、新品を買って敬意を示したかったと思うくらい
わたしが以前の大学を出て意に染まない仕事をやってた8年間に疑問に思っていたことと
本の内容とがけっこう被ってるのだ。


競争したくない、とかね。
勝ち負けとか、どうでもいいのよ。

自分をとりまく世界の「こうあらねば」と、自分との乖離を感じ始めてた自分にとって
この本の糸井さんの考え方は砂漠のオアシスとうか、世界で初めて見つけたアミーゴというか、
ほっとした。

こうやって考えてる人が他にもいるんだという。
わたしの倍生きている彼の方が、数倍、数段、進んだ先にいるだろうけど。


身の丈にあった生き方で、十分今を楽しみながら生きたい。


そうでなきゃ、生まれて来た意味がないでしょ。って、
思ってたけど、宗教的なバイアスがかかっててなかなか明確な形にならなかったものが、
こう、一気に具体化してしまった。


そういう理論体系(宗教)に則って生きたい人はそうすればいい。
そうしたくない人は、そうしなくていい。

自分自身に聞けばわかる。わたしにはそれはできない。



世界は広い。広くて広くて掴みきれない。
いろんな人がいて、いろんな人生を歩む。

そしてどんな人がいてもいいし、どんな生き方だってありだ。

誰かを故意に哀しませたり、苦しませたりするんじゃなければ、
思うのも、行動するのも自由で、誰にも止められないのだ。



最近、許しについて考える。

たとえばキリスト教では自分の犯した罪を懺悔することで神に許しを乞う。
神じゃなければその罪を許すことはできないし、神と人を繋ぐ役目を担うのは聖職者である。

しかし、神じゃなくたって許しができる事に気付いた。

小さな「すねに傷」をいっぱい抱えて、誰もが生きて行く。
でももしそれら全てをいちいち取り上げて正邪を下していくとしたらぞっとする。

ネットで時々起こる炎上とか、まぁたしかに間違いを起こした本人が悪いんだけど、
自分のことを棚に上げてターゲットを吊るし上げる人間の多いこと多いこと。

でも、自分の周囲の人たちだって、自分を許してくれているんだよということに気付くと
何かが少し変わるんだ。


わたしは他者に「相手の裏切りも含めての信頼」を置くことにしている。
相手から見てわたしを絶対裏切らないなんてこと、自分に照らして考えても不可能だから。

だけど、信頼する以上は本当に信頼するよ。心から。
それと同じだけ、相手が裏切ることについてもあらかじめ想定しておくの。

人なんだから、魔が差して取り返しのつかない間違いを起こすこともある。
気持ちの上では信頼してても、状況が許さない時だってある。
あと、もうどうでもよくなっちゃう時だってある。

それが人なのよ。


だからこそ、絶対とか永遠とかがもてはやされる。


でも考えてみると、いい加減の権化みたいなもんでも、許されて生きて来たのだ自分は。

家族や親族や友人や近所の人や同郷の人や、仕事の付き合いの人や、もうありとあらゆる人に
失敗やら間違いやらをやっては、それらを許されて生きて来たのだ。

許したつもりはないという知り合いもいるかもしれない。

でも、不問に付す、とか
あえて問いたださないことにする、とか、
なんだあいつは、って思うけど思うだけで何も言わないとか、
呆れたから縁を切ると言われたり、思われてることとか、

それらを許しだと捉えると、なんだかしっくり来るんだな。
そうされたことが後ろめたいから思うんじゃないよ。

だからって、こちらが卑屈になったり、相手を憎んだりはしない。
人目がどうでもよくなり、全然気にしなくなったからこそ可能になった考え方だと思う。

まだ説明はうまくできないんだけど、そんなようなことを最近思っている。


それと平行して、自分も他人を許す生き方をするようになってきたな、って感じ。

気にならなくなった。

自分と違っても、全然噛み合なくても、まぁ、いいじゃないか。って。
もう呆れるやらうんざりするやら、情けないやらだとしても、ま、いいじゃないか。って。

でもそれは相手の声に無反応なわけじゃなくて、ちゃんと話しを聞いてるし、
向き合ってもいる。本の言葉を借りれば、寄り添ってるというのか。



あとは、もうね、なんでもそうなんだけど、
自分に必要ならばやればいい。
どんなに必要性を説かれても、自分に必要じゃなかったらやらなくていいよ。


本の中の、ほぼ日は「出入り自由の宗教」みたいなもんだ、ってくだりに
深く深く頷いた。

「出入り自由」うん、それだ。


2008年11月20日(木) 内田樹さん・酢豚

内田樹さんのブログをいつも読みに行く。懲りずに、そして修行のような面持ちで。

わたしにとって興味のあることや、知っておいた方がいいことや、知りたいことなんかが、
独特の複雑な文章で綴られているので見逃せないんである。

なんていうのかしら、読み飛ばせない文章というのかな。

丁寧に書こうとすると、恐らくこういう文章になるんだろうなと思う。
私があの文章を書こうと思ったら、通常の数倍の量とスピードで
脳が栄養を消費するに違いないです。

…ものすっごくお腹が空きそう。

そうそう、内田さんのブログ。

1回読んだだけじゃ内田さんが主張または表現なさることの正体?がよく飲み込めないのだけど、
1回読むと言わんとすることだけはなんとなくわかるから、

ああああああ。知りたい!知りたいけどよくわかんない!と思って落ち着かなくなる。

落ち着いて、2回目を読むとようやく「うんうん」って理解できる。



そこまでちゃんとやると、すごくいい気持ち。
でも反対に、さらっと読んでやめた日にゃ…。モヤモヤする。最高にモヤモヤする。

だから、「読む気」で行かないと、大変。


昨日は友達姉妹が遊びにきた。
若いお客さんがいらっしゃるのなら、1人じゃ食べないメニューがいいなぁと思い、
クックドゥのレトルト使って黒酢酢豚を作った。

パインの小さな缶詰が売ってなかったので、生パインの切り身を買う。
おつとめ品(まだじゅうぶんおいしく食べられる)があったのでお得に買えた。
ああ、お得って、いい気分だなぁ。

お得 make me happy.って感じ。

国産豚モモブロックの赤みを贅沢に切って使ったので、非常に豪勢な酢豚になりました。

茨城県産ピーマンは、隣にあった別の山のピーマンよりちょっと割高だったけど、
色が濃くてつやつやしてたから「絶対美味しい」と思って買ったら正解。
甘みがと旨味が濃厚で、歯ごたえもよくてすごくおいしかったー。


お客さんらは、ゴハン前までは賑やかにしゃべっていたのだけど、
ゴハンになったら突如…チーン…って感じで押し黙ってしまったので、

「何何!!どうしたのっ?なんでそんなに静かになるのっ」と聞いたら
「おいしいものを食べると黙ってしまうのよ…」と言われる。

それは嬉しいお言葉をありがとう。
でも沈黙の食卓は非常に変な感じだった。笑える姉妹だ。


たまには豪勢なゴハンもいいなぁ。
人が来るってのは、代わり映えのない日常に変化があっていいと思った。
ましてや目が合った瞬間から縁が腐れていた人とその妹なので、なおさら楽しいわけで。


2008年11月19日(水) 雪が降ったら六本木ヒルズへ

雪が降る日は六本木ヒルズへ行く。
この衝動がアディクションなのかホビーなのか、はっきりしないけど、

天気予報で「明日は終日雪が降ります」なんて言われると心がざわめき、落ち着かなくなる。


翌日朝起きて予報通り雪だったら、電車が動いていたら都心へ向かう。
帰りの中央線が止まってもいい。
鈍色の空から絶え間なく雪が降る中を、何かに吸い寄せられるように移動する。


目的地は東京シティビュー。

好きな音楽と、好きな本と、カメラをお供に、
そこで日がな一日、または半日、降っている雪をじっと眺める。


高いところが大好きであちこち登るけれど、
居心地の良さでは東京シティビューが今のところ一番気に入っている。

360度ぐるりとまわれるところもいい。
立って移動しながら、座ってじっとして、疲れたらちょっと眠って、
そんな調子でずっと降っている雪を眺める。

お腹が空いたら軽食もとれるし、喉を心を潤すコーヒーもウォッカもある。


そういえばこのビルには文化や芸術を愛する人々が集うという、
会員制のクラブがあったなぁとか思ったりする。

そういう世界とはかすりもしないけど、そういう世界も確かにあるなぁと思いながら見る。



降っている雪を見るのはとても面白い。

空は低くてもし夏なら頭痛がしそうな気配だし、
雲の色はどこを見てもモノクロで、変化と言えば濃淡のグラデーションくらい。

その雲から、無数の雪が落ちてくる。

雪の色は白いかというとそうでもなく、見上げる頭上の雪は灰色をしていて、
なんだかゴミか虫の大群みたいだ。


そして風向きによってあっちのほうへ、こっちのほうへ、向きを変える。

まっすぐ降ったり、斜めになったり、真横になったりする。



次から次へと、雪ははるか頭上から絶え間なく降りて来て、
はるか下へと落ちてゆく。

どうも自分はこの一連の「動き」が好きなのだ。
この動きを見るためだけに、六本木ヒルズへ来ていると言っても過言ではない。

動きを見ている間、頭の中でずっと
「チッ チッ チッ チッ チッ チッ チッ」という音のないリズムが刻まれている。

そのリズムがたまらなく心地いい。
周囲にはたくさん人がいるけれど、その時自分の意識の中には自分と窓の外の世界しかない。


地上で見ていると雪はすぐに着地し、「動き」はそこで止まってしまうので、
このリズムは生まれない。

リズムを感じ始めると、やがて自分の身体の内側に、自分という意識の存在を感じ始める。
ぼんやり外を眺めているだけだど、何かがどんどんどんどん研ぎ澄まされていく。



一体この行動はなんなんだろう?と思うんだけど、
たぶん、1人になりに行っているのかもなぁと思った。


今年も雪が降ったら六本木ヒルズへ行く。
電車が止まったら、どこかに泊まればいいんだし。
それが当然て顔をして。


2008年11月18日(火) 近頃の歯医者さん

歯医者って、行くたびに進化してるなぁと思う。

歯医者さん、優しくなったよね。昔より。

昔は叱られた。動くなとか。もっと早く来ないから悪くなったとか。
お客様なのによく叱られたものだ。

で、ただでさえ怖い歯医者がよりいっそう怖くなって、行かなくなるという悪循環になった。


あと、昔は痛かった。
多少の虫歯は麻酔しないでゴリゴリやることもあった気がする。
痛さって、嫌な記憶としてずっと残るから、よく覚えてる。


それが今は、早くて親切で優しくて痛くないの。すげー。

麻酔の注射って痛いから、予備麻酔というか液体をピューとかけると
そこだけ皮膚の感覚がなくなるんだよ。

それから麻酔の注射をするの。
この注射くらいは我慢できるけど、痛くないということはいずれにせよ嬉しい。


あとモタモタ時間かけて治療しない。
悪いとこはすぐ治す。



今日は、悪くなってる歯の銀色部分をとって、神経をとって、中をドリルでぐりぐりして、
薬をつめて暫定的な蓋をして終わった。

こんどは金曜日です。

歯が今後どうなっていくのか、なんか楽しみになってきたー。


まだ麻酔がきいていて、顔の半分が動かない。
お茶が飲みづらくて変な感じ。そしてそれが面白い。


2008年11月16日(日) 手帳を語る。勝手に。熱く。

歯は痛い。しかしアグレッシブな日曜日だった。

結局歯医者に行ったものの、炎症がひどくてこのままじゃ麻酔が効かないと言われ、
火曜日まで化膿止めを飲んで待機となりました。がーん。

すぐ助けてくれるとばかり思っていたのに…こんな落とし穴があったなんて…よよよ。


でももらった薬が効いて、おかゆ以外のものも、もんのすっごくもたもたしながらだけど
食べられるようになったから、マカロニグラタン作って食べた。うまかったー。泣ける。


さて、来年の手帳をどうするかで、毎年この季節になると頭を悩ませる。

昨年は、初めて「ほぼ日手帳」を使った。個性的で、たしかに面白い手帳だった。
でも使い勝手でいうと、私には少々余分な部分が多かったなぁ。

(しかも重い。そして使ううち更にどんどん重くなる。)

なので来年はほぼ日手帳から離れてみることにした。

あ、でもほぼ日の路線図は大活躍だったので来年用に買いました。あれは便利だよ。
しばらく東京を離れていて、すっかり乗り換え感覚が失われた私にとって
あの路線図はすごく強い味方ですじゃ。

それと、ほぼ日では「ポケットセクレタリ」という薄くて小さいはさみも買った。
アルスという日本のメーカーのはさみで、手帳に挟めるくらい薄いんだよ。

知り合いの研ぎ師さんがアルスを絶賛してて、
その人は年末になるとお得意さんにそこのはさみを配るほどなので、
こりゃ間違いないわと思って買った。あんなにぺらいのに、すっごく切れてびっくりしたよ。


なお、今年新しく発売された「ほぼ日手帳カズン」に関しては
最後の最後まで後ろ髪ひかれたけど、

「いっぱい書ける!」ってそりゃアナタ、従来のほぼ日手帳の2倍の大きさだからね。
そして、やっぱり私には「余分」な部分がある気がしたんだよね。


やはり重い…。これ以上背筋を鍛えてどーする。
ただでさえ荷物多いもんなぁ。

思い切って一回離れてみて、それでまた、新しく見えてくることもあるでしょう。うん。
ほぼ日がどっか行っちゃうわけじゃないんだから。(若干、ぐずり気味)


というわけで、ほぼ日手帳から乗り換えまーす。


じゃぁ来年の手帳は何使おうかな〜と思って、思案したところ、候補が2つ出た。

MIDORIのトラベラーズノートか、MOLESKINEか。

トラベラーズノートは、仕組みが面白い。
革製の本体に、月予定やノートなど好きなものをはさんでカスタマイズできる。
姿形も美しい長方形で、皮の質感もかっちりしてなくて、程よい。

「仕事をさせる手帳」というより、断然「旅に誘う手帳」って感じなのだ。
ハンズに行くたびに手に取って悩む。

三女がここ数年この手帳を使っていて、すごく気になって観察してた。


おととしはMOLESKINEのポケットサイズを使ってたんだよなぁ。
それだけじゃなく、何を血迷ったのか、ポケットファイルからアルバムからノート、
日記帳に至るまでMOLESKINEという年だった。

使ってみての感想は、ちょっと罫線が透けて見え過ぎる気がするなぁということ。
でも雰囲気そのものはすごくいいから、罫線の透けのことは無視します(なんだそりゃ)。

MOLESKINEは、黒い、ソフトタッチのカバーがシンプルでいいんだよねぇ。
この手帳が醸すのは品があって端正な雰囲気。中のベージュ色の紙もいい色してる。

手帳の印刷にいろんな色を使ってないので、使い手が書き込む時の色がすごく映えるし、
使用色を制限することで、すごく心地いいカスタマイズができる。


で、悩んだ結果、来年はMOLESKINEに決定。

しかも、来年は大きい紙面にのびのびと字を書いてみたいと思い、
MOLESKINE MONTHLY NOTEBOOK の一番でっかいサイズにしました。クフフ。

どんくらいでっかいかというと、B5のノートより少し縦が短くて、少し横幅が長い感じ。
でも、ほぼ日手帳よりは軽い。

学校で友達とボスに見せたら「でっか!」って2人とも言ってた。グフ〜。


MOLESKINEには、手帳の後ろに内ポケットが付いているんだけど、
これがあんまし使い勝手がよろしくない。やる気あんのか、ってくらいに。

なので、この手帳の裏表の中表紙にですよ、先ほどのトラベラーズノートの、
カスタマイズ用のポケットファイルをくっつけた。
裏がシールになってて、ぺたんと貼れるのだ。

するとそこに紙片や「ほぼ日の路線図」を挟めるようになった。わーい。

さらにリフィルの透明ポケットを付けたら、そこに先日ほぼ日で買った
ポケットセクレタリが入りました〜。わーいわーい。


手帳は楽しい。

まずは実用的だ。忙しい時は手帳が欠かせない。
反面、…忙しいのに手帳を見なくなってくると、ちょっと危ないサインなのだけど。

そして、私にとって手帳を特別なものたらしめているのが、余すところなく、そして
恥ずかしいまでに赤裸々な「プライベート情報が満載」であるということ。

ここまで書き連ねていいのでしょうか。ってくらい、他人にはあえて言わないことまでびっしり
書いてある。考えてること、頭の中の具現化だ。

そしてまず他人には見せない。


手帳って、閉じてる時は二次元だけど、
開いてあれこれ思案や思索をするときは、恐らく四次元くらいまで開いてそうな感じ。

手帳の中には、過去も現在も未来もある。

面白いなぁ。


今年も手帳のことで熱くなっているinu-chan。
ああ秋が過ぎ行くなぁと感じまする。


2008年11月14日(金) 明日は歯医者か…

うーん。歯が痛い。

いや、…歯茎か。あれ、…歯茎の中か?


それともほほ肉の中?顎の骨?



どこだかわかんないけど、左の歯茎のあたりが痛い。

おとといから熱いものを食べるとジワーと痛かったけどそのうち治まるだろうと侮っておった。

んが、
今日になったら上下を噛み合わせるたびに左の歯だけが先に接合するじゃないの。
なぜだ!

そしてそのたびに ズ キ ュ ー ン ! ! と、
それはもう例えようのない痛みが脳に向けて抜けて行くようになったよ。

わーん、わーん、もう騙せないー。


というわけで、明日は朝から歯医者だしくしく。


でも歯医者、きらーーーーい!!






☆ ☆ 閑話休題 ☆ ☆

歯は痛いですけど、大好きな道の駅で小降りの白菜と、柔らかいキャベツ、
茎を食べるブロッコリーを買って来た。

スーパーで鶏ひき肉を買って、今日は白菜の重ね蒸し。

器に、そぎ切りにした白菜と千切りショウガ、ひき肉を重ねて、上から酒とみりんを少々。
歯茎が痛いのでいつもより白菜が柔らかくなるよう、レンジで4分のところを5分加熱。

熱が通ったら、これをゆずポン酢でいただく。

食べてる間、うまーい。痛ーい。うまーい。痛ーい。その繰り返し。
歯茎が痛いだけで味わい半減だよ。

やっぱちゃんと治さないとだめだわ。


2008年11月13日(木) ふしぎ

わたしたちの身体が入れ物だとしたら、

中身は「いのち」かな。
それとも「心」かな。

中には何が入っているんだろう。

何が入って、この身体を動かしてるんだろう。

それがぜんぜん、わかんない。

ふーしぎー。


2008年11月12日(水) 東京都近郊区間大回りをやってみた

八王子から隣の豊田駅までの大回りをやった。


超楽しかったー!

一緒に行った鉄子が乗り継ぎ関係は全てやってくれたので、
わたしは彼女に全てを委ねてエンジョイしていればよかったのですよー。ふふふー。

たった1駅、運賃150円で4分で行ける豊田まで、
同じ運賃150円で、乗って、降りて、また乗って、1回も改札から出ないで
1都5県を14時間かけて大回り。

最後に豊田駅で改札を出たときの清々しい気持ちは、
今まで体験したことのない新しい種類の感動だった。

どうやら新しい扉を開けてしまったよ。


で、八王子に戻って反省会(総括?)やったお。ギネスで乾杯。あー至福。
大人って、いーなー。


☆今回の行程☆

八王子 08:01
 ↓  八高線
川越  09:09-09:16
 ↓  埼京線
大宮  09:35-10:17
 ↓  高崎線
新前橋 11:53-12:10
 ↓  両毛線
小山  13:48-14:09
 ↓  水戸線
友部  15:15-15:17
 ↓  常磐線
我孫子 16:32-16:46
 ↓  成田線
成田  17:27-17:47
 ↓  総武本線
佐倉  18:01-18:19
 ↓  総武本線
成東  18:46-19:08
 ↓  東金線
(大綱)19:31
 ↓  外房線
千葉  20:00-20:06
 ↓  総武線快速
東京  20:44-20:49
 ↓  中央線快速
豊田  21:40


(成田と佐倉のあたりの路線の名前がうろ覚えなのでまた友達に確認しないとだ。)

電車って、居心地いいなぁ。
混んでるのは好きじゃないけど、
平日のローカル線なんて空き空きだから贅沢に空間を占有できた。


揺れも気持ちいいし、車掌の声もいい。

そして何もしなくても景色がどんとん変わっていく。
景色を観察するのが大好きなinu-chanには最高の旅だった。

眠くなったらどちらともなく寝るし、しゃべりたい時はしゃべるし、
他者と一緒なのにここまで気ままに振る舞えてよいのでしょーか、という2人だった。


あとね、不思議だったのが、ただ乗ってるだけなのにお腹が空くということ。
ちゃんと食べるのに、そんなに時間がたたないうちに、いつの間にか空腹。

出かけるまでは、トイレのことが一番心配だった。
乗り換えでトイレに行く時間がなかったら困るから水分控えようかな、みたいな。

ところが、なんでか知らんけど、トイレに行くことよりも
「次いつ食料を入手できるかわからない」ことのほうが問題だったー。


「おなかすいたね」「うん」……ショボーン…みたいなかんじ。

なので時間がある時は売店を見て食べ物を買っていた。
一番かかった費用は食費だったおーwww


2008年11月10日(月) 予期せぬことばかり起こります

長男に代わって家を継いだ父は以前より、
いよいよの時は自分が祖父の介護をすることを決めていたのだけど、
思ったよりいきなり「その時」が来ちゃったもんだからすごく困惑している。

祖父の入院は最長4週間。だからその間にどんな介護をしていくか、プランをたてにゃならん。



この週末は、疲弊した両親および犬たちの精神衛生の向上と養生のために、
少しでもなんかできればと思って、3泊2日(最終日は夜行バス泊)の強行帰省を行った。


(ちなみに、祖母は祖父に興味がないので、介護なんてどこふく風。
相変わらず自分のペースで暮らす。元気モリモリ。

同じ病院に祖母の実弟が入院しているのでそっちにはよく見舞いに行くけど、祖父のところには
寄ったり寄らなかったり。ガクブルだぁ。)


でさー、金曜の5コマの講義を終えて、電車に乗ってさ、夜中11時に実家に着くじゃない。

そこで衝撃の事実を聞かされる訳よー。

「明 日 、 電 車 で T お じ さ ん 来 る っ て 。 

S お ば さ ん も い っ し ょ に 。 」


ワー!!
ウチは人手がなくて、ふつうの家事すらままならないというのに、泊まるんですか??
おまけに秋の繁忙期なものだから、母は職場で1日12時間労働してるんだよ…。

あいたたたの親戚にはもはや呆れもしないけど、
ああ自分が帰省してて本当によかったなと。
もし私がいなかったら、母は発狂したか、過労で交通事故でも起こしておったかもだ。



まぁそんなこんなで、レポート2本持って帰省したけど、 や る 暇 が な い 。


客間掃除して、布団乾燥機かけて(×2組)、お布団セットして、買出しに行って、
到着時のお茶の用意して、畑に野菜とりに行って、夕飯作って、祖母も父も疲れて寝た後、
母が帰るまで叔父夫婦の相手をして、

そこで叔父に「お前もちゃんとおじいに会いに行ってこいよ」と諭され。
ってか、あなたたちがいなかったら、とっくに見舞っていたと思われます。

もうねー、疲れ果て。泥のように寝た。


で、叔父夫婦を見送った日の夕方、やっと祖父に会いに行って来た。


つやつやとした顔で気持ち良さそうに寝ていた。

起きたら、「俺は夢を見たぞ」と言って一生懸命話をしてた。
「3人の内孫の誰かが結婚式をするで、正装してお宮の前からみんなでバスに乗って行ったんだ」

「おじいちゃん、そりゃいい夢だったねぇ。実際は誰もまだ結婚しそうにないけどねぇ」と、
父とで目配せしあって笑う。

ほんと顔ツヤがいい。家にいて若干マッドな気配で夜更かしして絵を描いてた頃より
よほど健康的で、元気そうだった。

よくないけど、そんな中でも、これはよきかな。
あ、一句できたわwww


はぁー、そんなこんなで今日の朝5時に新宿着いて、そのままアパートに帰って、
すぐ大学に行ってレポート作成☆

だから、なんて言っちゃいけないですけど、悪いのは計画性のない私なんですけど、
授業中のプレゼンテーションはホント子供騙しな内容だったね…。先生、皆、ごめんなさい。

よし、反省おわり。

寝るぞ…。明日は恐怖の外書講読、…発表。毎日綱渡りだぁ。


2008年11月04日(火) オイオイオイコラ +追記

隣の小娘(カバ子と命名)が、


夜 中 に ア パ ー ト の 部 屋 の 中 で

ド リ ブ ル し て る よ 。


この弾み具合、小さめのバスケットボールといったところでしょうか。



えー、いま、草木も眠る午前2時4分。




こ の バ カ め ー 。


あ、ちがった。


こ の カ バ め ー !


と、心で強く念じておく。うむ。念ずれば花開く。



ってか、inu-chanは今もって半べそ状態で相変わらず英文和訳をしている。フフフ。アハハ。
今夜は徹夜ね。
そして4時半にはバイトに出勤ね。

…お前この3連休なにやってたの?と自分に問う。
フフフ。アハハ。


愚図ー。








追記


祖父は骨折してから入院するまで、いろんなタイミングが重なって2日近く要した。

そして入院してから手術するまでも、連休に入ってしまったのでやはり2日を要した。
ところが入院してからずっと、つまり48時間、一睡もせずしゃべり続けているという。

手術の間も、ずっと何かをしゃべっていたそうだ。

まるで人がいて会話しているような、でもやっぱり独り言のような、
何を言っているのかはよく分からない内容らしい。


あと、入院するまでは、運んでくれたデイサービスセンターの所長さんのことも、
病室に顔を出したおばのことも、
わたしの両親のこともちゃんとわかっていたそうなのだが、

今では誰のことも認識しないし「なんで自分がここにこんな風に寝ていなきゃならないんだ」
と言って、ベッドから起き上がろうとして全身に汗をかく勢いで首を持ち上げているという。


考えてもみると、ようするに知ってる人のいない知らない場所へ放り込まれて、
自分の意志ではなくベッドに固定されてしまったのだから、
(この場合の固定は、手術までの間のやむを得ない処置。骨折しているのに動き回ろうとするのを防ぐため)

そりゃ、怒るよなぁ。

見当識障害というのがどういうことで、そしてそうなってしまうことで誰より当人が
一番悲しくて辛い、というのは、こういうことなのかなぁと祖父の話を聞いて思った。


さすがに術後は先生が「本人も疲れていますし、薬を使って眠らせます。」とのことだったから
今日は夕方から眠ったそうだ。


老いることで身の上にどんな変化が起こりうるか、それをわかっていたって
わからなくなっちゃうのが「老い」なんだからなぁ。まいる。

自分だって、知らない人ばかりの場所に行って、安心して眠れるってことはないよなぁ。
いつもの居場所に帰りたいと思うなぁ、きっと。

相手が誰か、ここはどこか、今はいつか、ゴハンは食べたのか、
それらを認識できないってのは大変なことだ。実感。

最初大部屋だった祖父は、今はナースステーション脇の2人部屋に移された。
そして同室の女性は常に「誰かー、誰か、助けてください」と言っていると聞いた。

その女性にとっても、病院は「どこか知らない場所」なのかもなぁと思った。


2008年11月03日(月) こうしちゃいられない

妹のHPに載ってる父親の写真をまじまじと見て、

わー、歳取ったなーーー。と。思った。

そんなこと今日の今日まで思ったことなかった。
わたしの脳ビジョンの父は、40代後半で老化が止まっていてたようだ。


思わぬ事実を認識し、おおいにしんみり。


親が歳をとったというのは、考えてみりゃ自分がこの歳になってるんだから
至極当たり前のことなんだけど、写真のその風貌を見てあれまぁ本当にびっくりしたんだよ。

あかんあかん。パパンを大事にしたらな。って感じ。


そーだよなぁ、もう56だもんなぁ。


親も、いつまでも生きてるわけじゃない。それは自分もそうだし。


母も随分歳取った。老婆、とはわたしがたまに母を呼ぶ呼び方だが、
(「えっと、そこの老婆、お菓子食べる?」みたいな感じで使う。ほかに「お嬢さん」
「奥さん」「鬼嫁」「さなえちゃん」「お母さんのひと」など様々なバリエあり)

そう遠くない未来にほんとうに老婆になるわけよ母も。
あ、もちろんわたしもいずれ。生きていれば老婆になるのよー。

おぉ〜。

娘はこんなところでボーっとしていてはいけないと思う。
(文化の日の今日も部屋でぼーっとしてたし)

何を選んでも何をしてもそれは娘の人生であり娘の勝手であるが、
親が「わたしの存在」を喜び、それと共に「わたしの人生の先にある何か変化」を
楽しみにしている以上、それを見せてやんなきゃなぁと。

わたしのおおいなるスポンサーでありサポーターである親。

なんだかよくわからないけどそんな思いが急に押し寄せて来たー。ヒィー。

見えない階段を作ってちゃんと登ろう。
今日のぼーっとする時間はこれでおわり!

ああもう、こうしちゃいられないーっと。


2008年11月01日(土) アクシデント勃発

ああびっくりした。
祖父が自分の部屋にいて足を骨折したらしい。おそらく、大腿骨。

今度こそ寝たきりかも、っていう話だけど、まぁ寝たきりになるのならなるし、
ならないのならならないという事でしょう。神のみぞ知るというか。


大正5年生まれ。92歳。
「寝たきりになったら、面倒見てもらうだけだで別にいいわ」と言ってたくらいだし、
彼にとって寝たきりになることはそんなに問題じゃないみたい。

家族にとっては、問題だけどねー。


祖母がよく言うんだけど、昔の人は年をとって身体がへぼく(弱く)なると、
だんだん寝たきりになって(だんだん、がポイント)、

寝ている人も家族が野良仕事で忙しいことがわかっているから、
朝枕元に水と食べ物を用意してもらって、昼間は大人しく静かに寝ていて、

(再び歩けるように訓練するとか、治療するとかそんな概念がそもそもなくて)

時がくればそっと死んでいく、そういうもんだったらしい。うちだけの話か?


祖父に関して言えば、一回大腿骨骨折やってボケかけたのを持ち直し、さらに足腰まで治って
今日まで歩いてこれたのが、奇跡というか、まぁフシギなくらいだから、
よくここまでもったものだ、とわたしは思う。

今まで楽しく動けて、よかったじゃん。と思う。


親戚(彼の娘や息子、わたしの父の兄や姉たち)にとって
これは我々家族(つーか、わたしの両親)の不手際ってことになるけどそこまで面倒みきれんよ。


どんなに気をつけても転ぶ時は転ぶからね。


外野がなんやかんやと言うかもしれんけど、今まで歩けて好きなことを好きなように
のびのびやってたことのほうが「奇跡」だったんだとぜひ認識していただきたいものです。


彼は体重がものすごい重いんだよねー。

身長はそんなにないんだけど、堅太りっていうのか、肉密度が普通の人と違うような気がする。
泳げないって言ってたし、カナヅチなのも頷けるわ。


とにかくいろいろ、これからだなー。
力になれることはなんでもするのだ。


inu-chan