非日記
DiaryINDEXpastwill


2022年12月25日(日) なんか今年書いてるな。

このエンピツシステムは無料ユーザーの場合、どうやら三か月以上書かないと削除されるらしいのです。知らなかったよね。私のさぼり具合三か月どころじゃないんだが、なんで今まで非日記なのに生き延びているのかとても不思議。空登録すればそこから三か月らしいので、私はひそかに空登録をし続ていたってことなのかな?

最長の2016年の1月から2019年の7月まで、まる三年以上空いてる期間も?
三年六か月もの間、最低三か月に一回は空登録して続けていたの?
特にそうしようというつもりもなく本当に?

こういうのはシステム的にそういうプログラムを組んであるのかと思うところだけど、わざわざプログラムを組むのはリソースの無駄だとか、意外とエンピツさんは真面目だから一覧とかで出して手動でやっているのかもしれない。そして意外とその量が多くって私の削除順番が回ってくる前にうっかり私が空登録したりして猶予期間がそのたびにのびたりしているんじゃないかな…という疑いもあるよ。
前のPC捨てた時に新しいPCにデータを残さなかった書きかけの日記が軽く数百ファイル以上はあったので(きっとどうでもいい事ばっかりだなと確信していたので中身を見もしなかった)、実際に期限内に空登録を繰り返していた可能性もあります。

今年は近年まれに見る勢いで書いているけど、書いているというか登録しているけど、深い理由はたぶんありません。暇と言えば暇だし、暇じゃないといえば暇じゃないのよ。

忙しい時に日記を書かずに間があくのだろうか。確実に忙しかったのは仕事かわった時とか引っ越した時とかだろう。2014年に前の仕事辞めて引っ越している。そのあとしばらくうだうだして、なんとなく軽い気持ちでハロ〇ワークでの職業訓練を受けたら、半年ぐらいクソ忙しくて暇がなかった。あのね、無料だからって軽い気持ちで受けたらハロー〇ークの職業訓練、マジくそ忙しいから、やるなら心得ておいた方がいいよ。私が思うにものを考えないレベルにクソ忙しくして、「そもそもどうして人間は働かなきゃいけないのかな?ベーシックインカムとかを導入して生きていったらいいんじゃね?そういえば生活保護とかがなかったか?」等とあらぬ道に迷わないように、横にコーチがついて「今から100mを全力疾走で50本!五分休んだら集合!」みたいな事をさせられるねん。ひいひい言っているうちに日が暮れていくの。

そして訓練の終盤になったら問答無用で就職活動させられる。我々は無料で受講できる代わりに、請負の職業訓練施設は他所から金をもらっていて、結果的に何人就職させたかが施設の営業成績っぽく判断されているようなので、めっちゃ尻をたたかれます。お茶を濁すために一社ぐらい受けとくかーって面接に行ったら問答無用で刈り取られたよね。ハ〇ーワークでやってる職業訓練業種は、要するに就業者が少ないからこそ公的機関として推してまいっているのであって、うっかり行くとあっという間に就職させられます。大体就職率98%とかを誇ってるから(むろん、その後の離職率は内緒です)、行ったら最後、他人の意見に流されやすい人間は問答無用で就職させられるものと思って気を引き締めて覚悟の上でいくといいよ。

「仕事がない」とか世に聞くと、そんな馬鹿な…と思います。こんにちはお仕事ワールドに足を踏み入れたら最後、ベルトコンベアーに乗せられて、やる気なく「別にいいけど?」とか言っていたら気が付いた時には就職させられているはず。もしかして職種とか給与とか待遇を選んでいるのか?きっと自分の意見や意志、目的や人生設計があって、周りに流されない、しっかりした自立したタイプなのだろう。「どっちでもいいけど?」とふにゃふにゃした人間はすぐブラックな業種に就職させられるから。


…またどうでもいいことを書いていたな。
あのね、私は最近、自分の頭の悪さと改めて向き合っていたの。マジ頭悪いな、と。昔もそんなに良くはなかったが、さらにひどいことになっている。新しいことを覚えるのが大変!とはいうものの記憶力自体は昔からなかった。漢字とか英単語とか有機の化学式とか端から全部捨ていて、覚えられる気が全然しなかった。

しかし記憶力だけじゃなくてIQもそんな高くないと思うわけよ。
そもそも診断テストをやる時からして、全然集中できないのよ。小学校の時も、皆がカリカリ鉛筆音をさせていてカサッとすぐページめくる音がしてたのが気になって「皆なんでそんなに早いの?なんかめっちゃ書いてるわ。うわ、後ろのやつもうめくりやがったぞ!はやすぎね?」と耳をすませていたからね。

可能な限り最速で解くとかダメやねん。皆なんであれができるのかわからん。
「全力で急がなきゃ…!」があると、もうそれだけでリアルに手が震える。「可能な限り早く解きなさい。時間内に何問解けたか」のやつ。脳内が、言うなればプルプルプルプル…!と小刻みに震える感覚になる。プルプル小刻みに震えだすのをターゲット内に収まるように制御し続けないきゃいけなくなり、問題を解くとか判断をすること以上に、その作業に意識を集中させる事自体が難しくて、そしてついに抑えきれなくなって、そのままパーンと明後日の方向に意識(注意)が吹っ飛ぶ感じ。ガタガタガタ…パーン!だよ。
そしてあっという間に投げやりになる。

あと、語学は、あれね。私、耳も悪いね。
アプリで英語の発音をチェックしてくれるやつをやってみたわけ。結果、最初の一問から躓いている。どうしてもsonが言えない。五十回に一回ぐらいはクリアできるんだけど、もう何がだめなのかすらわからない。発音記号に忠実にと頑張ると余計に「存在しない単語です」などと言われる。なんでやねん。私の何が悪いんねんな。ちなみにdautherは五回に一回ぐらい言える。
あまりにも頭が悪すぎて、ちょっと勉強しようとラジオ講座を流し聞きしてみたけど、簡単な文章でも本当に「あsdfghj?」な感じで、「もしかしてあれか!」と知っている単語として思いつかないとカス程も聞き取れない。マジでか。え、私もっと聞き取れてなかったか?…いや、こんなもんだったかもしれん。

むしろ勉強してもいない韓国語(朝鮮語?)のニュースの方が、日本語と同じ膠着語であることが分かっているために、知っている固有名詞が挟まると、これはあのニュースで、こういう感じの事をこういう言い方でしているんじゃないかな…と察しがつく時があるぐらいよ。
しかし、じゃあ韓国語は簡単に覚えられるのかと言ったら勿論違うねん。中学校から続いた英語教育のために、意外と知っている単語が多く、耳で聞いたらダメダメだけど文字でなら意外と理解できる事があり、なんだかかんだ言って六年にわたる英語教育は身になっていない気がしていたが、そうでもなかったんだと、いきなりアラビア語や韓国語やタイ語を勉強しようとするとわかります。文字を覚えて、読めても、それがなんだかわからない。未知の言語は、まず文字が読めないといけない。そして文字が読めてもその音の連なりが何を意味するのか知らないといけない。しかも文法がわからないと文章全体の意味もわからない。

まずね、なんと私たちはアルファベットが読めるねんな。そしてコミュニケーションがとれる程度ではなくても、結構な数の名詞や動詞をすでに知っているねん。「ショッピングに行く」とか「ドライブする」とか日本語の中に英語をぶち込んでしゃべっている事も結構あるので(品詞は無視してるけど)、よく考えてみるとアルファベットが読めて意味もわかる単語が案外あるのよ。何気なくやっていたけど、全く知らない言語で一からやろうとしたら、実は大変だと気が付いた。アラビア語なんか、右から読むことはわかっているが、どれが一文字だかが既にわからない。

未知の言語を勉強しようとすると、例えばドイツ語の時は、すでに英語でアルファベットが読めるようになっていたから、新しく覚える文字がウムラウトぐらいで実際はかなり楽だったんだとわかる。ドイツ語は、動詞がなぜか前半と後半に分離し、よりによって分かれた前半部分がどことも知れぬ後ろの方にすっ飛んでいくので、何より辞書を引くときに困った記憶がある。なんでよりによって前側が後ろに行くのだろう。いまだに解せない。順番に辞書を引いていって「この単語がみあたらない」と確信してから、「この文章のどこかに単語の前半部分があるはず…」と後ろを探しはじめる。

BSで外国のニュース番組を見ていると、どこの国のニュース番組も大体、各国の言語での「TODAY」とか「NOW」とか「NEWS」「夜」「朝」みたいなタイトルなのが面白いです。HEUTE知ってるー。ドイツ語でTODAYやねん。

改めて思うと、日本の場合「ニュース」の日本語がないというか「ニュース」が日本語よな。「NHKニュース」「日テレNEWS」に「THE TIME」に「NEWS LIVE」やら「めざましテレビ」。テレもテレビもすでに日本語ですがTerevisionからでしょう。報道1930は?ぎりぎり日本語オンリー?(あ、オンリーって英語だわ)でも1930はアラビア数字だしな…。

どうよ?

考えてみるとすごくないですか。ものすごくナチュラルにテレビ欄にすらアルファベットが踊り狂っている。「普通ならABCが大体読めるだろう」事が前提じゃないですか。新聞や雑誌、書籍等で「この漢字が読めない人いるかも」とひらがな表記にしたり、読み仮名うったりしてるくせに、異国の文字には読み仮名も翻訳も併記しないってどういうことなんだ。漢字は中国語だから読み仮名うつんですか?ならアルファベットだって英語なんだから読み仮名うたなきゃおかしいだろうが。しかもアルファベットの方が入ってきて短いだろう。なら読み仮名を優先的に打つのはアルファベットであるべきですよね。漢字が読めないのがおかしくないなら、英語が読めないのは当然でしょう!違いますか、皆さん!(夜空に向かって)

日本には「ひらがな」と「カタカナ」と「漢字」があるっていうけど、「アルファベット」も普通に使っているから、本当は日常的に文字は四種類使っているんじゃないですか?漢字を日本語の表記文字としていいのなら、アルファベットも日本語の文字に片足突っ込んでいるのでは?しかもパンフレットとかポスターとかだと格好いいからみたいな理由で筆記体まで使ってるじゃないの。「当然読めるよね?」とごり押しされている。
数字は漢数字とひらがな、カタカナ、アラビア数字と、ローマ数字の大文字小文字は少なくとも使っているので最低でも五六種類は使っているし、もう、勝手な事ばっかりして!

大体「?」と「!」ってなんやねん。こいつら、いつどっからやって来たねん。知らんぞ。日本語の文章の中にいつのまにかめっちゃ普通におるぞ。今調べたら「公用でも必要に応じて疑問符を用いても差し支えない」とな。はあそうだったのか。ちょっと怪しんでいて、お堅い文章を書くときは?マークを使わなくても疑問系であることが判別できるようにと努力していたのに。



導入部分から本文にたどり着けないままで、予定の導入文の後半戦にも入れないでいる事に今気が付きました。
流れとしては、この非日記について「全く更新していなかった期間も再々書きかけて登録せずに消していた(もともと比較的高頻度で書こうとはしていた)」➡「最近再び登録するようになったのは次のような原因ときっかけがある」➡「自分の頭の悪さを意識する事が多くなった」➡「自分の昔の日記を見たら自分が考えていたよりもさらに頭が悪そうだった。めっちゃどうでもいいことを適当に書いている」➡「じゃあもうちゃんと書こうとか気にしなくてもいっか…という気分になった」➡「いけるいけるーと比較的気安く登録をはじめた」

以上です。
そしてこの順序で書こうとしているうちに「自分の頭の悪さを意識するきっかけとなったのは」➡「語学の復習を一人で始めたら全然わからない。単語覚えようとしても覚えられないし…」ここらへんでやめときゃいいものを➡「特に耳が悪いのも問題じゃないだろうか」ここでやめればいいのに、書いてる間に脳内に流されて上記の状態になった。就職活動の話は予定になかったので脱線から軌道修正しようと頑張ったんだけど(これはちゃんと元の道に戻ったぞ)、頭の悪さの話をしようとしてたらうっかりIQの話をし始めて、違うねん英語の話にしようとしていたの…からなんでか日本語の文字の話に脱線していきました。

もう!もおう!

この調子だからいつも日記登録までたどり着けなかった。
それで最近は諦めてそのまま登録しているわけなのよ。どうよ。私の頭が悪い加減がよくわかる。正直、自分の頭を全然コントロールできてないよな。嗜癖をコントロールするのはできなくもない。思考をコントロールできない。

またちょっと脱線するんだけど、懲りずに。
毎度こういう事になるたびに最近思うから書いちゃうけど。

しばらく前から海外のマンガや俳優のファンサイト、ようつべでMBTIとかエニアグラム診断を時々見かけて、なんかどっかで見たな聞いたなと思ったら昔やった事があった。すでに存在しないサイトでコミュニケーションの齟齬についてやったやつで、私がINTPでお友達がISFPだった感じ。(「どっかで書いたな」と遡って探すうちに昔の日記の適当さを目の当たりにすることになったわけで)
あれからン十年たち、今再びやってみたら違うんじゃないかと思ったけど、なかなか違わなくてまたINTPだったわけよ。内容を見たら昔見たよりなんか詳しくて、論理的って書いてあるんだけど、私、そんなに論理的じゃないよな…と微妙に納得いかない。そんな理詰めじゃないし、裏どりなど全くせず、だいぶ思い付きで適当な事ばっかり言い流しているよ。そんな人の矛盾にいちいち気が付いたりつっこんだりしないよ。たまにしか。

でも「自分がしゃべりはじめると話が長くて脱線しまくる」のと「自分にしか興味がない」のは「確かにその通り!」となる。実際の知的レベルは置いておいて、知性に執着心があるのも自覚がある。頭の悪さに拘るのは、つまり自分の頭がよくあってほしい、自分の自分に期待するレベルに達していない事に不満があるってことなのよ。でも現実的には論理性にも厳密性にも乏しいんだよね、私。すごく適当。でも脱線しまくるのは確かに本当に脱線しまくる。どうしたら脱線せずに済むのかわからんレベルで脱線する。つうか脱線してるのが人生の楽しみなので、あんま直す気もない。

いつも日記を上げる時は三倍ぐらい書いてて、内容を頑張って削る作業に同じぐらいかかかってた。だから結果的にうまくつじつまを合わせられなくて話が繋がってないところが結構あるよな。接続詞の使い方間違ってるところもいっぱいあるし。主に「でも」の使い方がおかしいだろう。「ところで」と「とか」も使いすぎじゃないか。
昔面接のときに「とかを使いすぎ」と言われて「確かに!」と反省し、意識して頑張って直そうとしてるんだけど、ちょっと気が抜けるとダラダラダラダラ並列するし、それ以前に語尾に「とか」とつけて厳密性を担保しようとしてしまう。
あー、そうか。最後に無意識に「とか」をつける事で、自分的の中で「ここにはあげていないが他にも可能性がある」の保険にしているんだな。「とか」をつける事で本当にそうなのか他の可能性はないのか詳細に検証する手間を省き、あやふやなまま話をすすめる事を可能にしているのね。それで息継ぎみたいに「とか」が出現するのか。不要なはずなのに「とか」を抜くのが精神的にツライ…となる原因か。


いかん。また何を言おうとしていたのか忘れてきたわ。
忘れないうちに今言っとくわ。
車で出勤中にラジオが「明日の命に続く」と言ったのよ。これを最高ランクの赤ちゃん言葉にしようとしたらどうなるか考えてたのよ。「あしゅのいにょちにちゅじゅきゅ」か?……なんだかうまくいかないのよ。赤ちゃん言葉にするときに、よく変わる音とあまり変えない音があるでしょ。それで気が付いたんだけど、そもそも「なにぬねの」は「にゃににゅねにょ」になれるんだけど、すでにこの中で「に」と「ね」の音が変わらないねん。なぜ変わらないのかしら。どうにかして「に」と「ね」は赤ちゃん音感にできないか。できないならどうしてできないの。「あいうえお」はできないなと思ったのよ。母音だからかと思ったんだけど、「に」や「ね」もできないとして、「〜でちゅ」と言うでしょ?「たちつてと」は「ちゃちちゅちぇちょ」…「ち」ができないねん。「〜でしゅ」の場合を考えるでしょ。「さしすせそ」を変換して「しゃししゅしぇしょ」。ここでは「し」ができないでしょ。できないよな?母音が「い」の音はできないのかなと思うでしょ。これを運転しながら考えていて、五十音とかを思い浮かべていたら混乱してきて、待って、とりあえず事故を起こさないように運転に集中すべきだろう。仕事しなくては。だから日記に書きながら考えてみようと思ったのよ。

これを書くために、そもそも何故「明日の命に続く」を赤ちゃん言葉にしようとしていたのかを説明しなければいけないかもと思って、まずそこにたどり着くことを目指したんだけど、とてもじゃないがたどり着けない。これが脱線のプロのINTPにされる由縁なのかしら。
でもMBTIって自分がどう思ってるかの質問群だから結果に対して客観性に乏しくなる気がするんだよね。これがよく当たると評価される原因はそもそも…待って。今にも脱線しそう。しかけてる。危ない。
赤ちゃん言葉の何を考えていたのか。次覚えてたら打つ。


2022年12月19日(月) つらい季節がやってきました。

今年もこの時期がやってきてしまいました。嗚呼、やってきてしまいました。
私、寒いのは別に嫌いじゃなくて、むしろ暑いよりはましだと思うけど、それは九州や太平洋側から日本海側に移ってくる以前の話です。

降雪はまあよろしい。積雪は地獄。

九州とか太平洋側とかで暮らしていたし、関東より東に行った事もなかったし(まあ長野とかはもちろん雪降るんですけど。後日本海側…)、北陸とか東北とかどんな感じだろうというキラキラしい夢がありましたよね。日本海側で雪との闘いに直面するまでは。

雪が降っても、雪が積もっても、車がスタックしても、休日が一日雪かきだけで終わっていっても、夜勤の前に仮眠もとれずに雪かきし続けても、出勤しなければならない地獄。朝の四時過ぎに起きて五時頃には出勤して、職場の門から駐車場内に車をすすめるために真っ暗な中掘りすすむ夜明け前の地獄。掘っていく上から降ってくる地獄。本来の豪雪地帯じゃないがゆえに掘った雪を捨てる場所も積む場所もない。でも一日あったら五十センチぐらい積もってしまう時がある。夜勤明けに帰ってきても、メイン道路から住宅街の細めの道路内に車をすすめられない。徹夜明けなのに家にたどり着けない。後10メートルもないのにたどり着けない。そこに家が見えてるのに車を路上に放置することもできないから帰れない。

土日は休みの人が多いから土日に降ったら皆家から出てこないけど、私は土日関係なく出勤なので一人で頑張るしかない地獄。会社員め…!いいなぁ!

あとね、雪が降って除雪した後に、また降って、そしてその上をある程度の車が通りますと雪が圧縮されてかき氷を固めましたみたいな厚さ数センチの雪の道路ができるんだよね。私もこっちに来て初めて知ったんだけど。そしてその上をまたしばらく車が走っていますと、氷のようにはガチガチ凍っていないのでランダムにあちこち穴があいてくるのよ。「ああ、これ、古くなったアフファルトの道路でたまに見つけるやつ!」って感じのやつが、あっちにもこっちにもボコボコと。だから大体夜勤明けに帰る頃は、…私、パリダカールラリーってきっとこんな感じねって思いますよ。めっちゃ跳ねる。めっちゃハンドルとられる。軽くトランポリン気分で運転してる。

しかしながら新雪よりはましかもしれないと今度は思いなおし始める。どんなに慎重にゆっくり言ってても真面目にハンドルとられて対向車線に突っ込みかける時があるからです。雪の塊に乗り上げて、滑り落ちる時にタイヤがぐりっと曲がる感じで。これでも四駆なんですのよ?二駆の時よりはましになった…ような気もするわけですが。職場の100m手前ぐらいの上り坂で零時からの夜勤で出勤するために夜の九時過ぎに一人孤独に雪を掘っていた時(その時は「どこへ行こうとしているんですか?」と通りすがったランドクルーザーが牽引してくれた)「次の車はせめて四駆にする」と決意しましたからね!

とにかく日本海側は同じ緯度なのになんでやねんみたいになる。いや原因はわかってるんですけど。そもそも太陽系がいけないんだと思いますけど。
いやいいんです。平和が一番です。

こっちに来る前は年に1センチも雪が降らなかった代わりに、大体毎年台風が来て、数年に一度は大規模な水害があった。
こっちに来たら雨の降り方が全然違う。一番たくさん勢いよく降る時でも「HAHA!」って感じの雨だよ。

この雨で?豪雨ですって?HAHAHA!

小学校とか中学とか高校とか、傘は頭部を守るためのもので、制服人生の時の雨天時は大体朝から夕方まで一日びしょぬれだったよね。ランドセルや学生カバンの中に入っている教科書やノートもしくじると三センチぐらい濡れる。登校して椅子に座ると「スカートがとても冷たいでちゅ…」という。スカートとパンツの間にタオルをはさんだりしてた。半日ぐらいたつと自然乾燥で乾くので、その間パンツが濡れないように。替えの靴下をもっていって履き替えるだけで大分さわやかな一日として過ごせた。どうせ帰りの靴はぐっちょぐっちょだけど。

でも帰りは靴が濡れてようが靴下が濡れてようが関係ないよ。坂道を歩いている時は渓流を歩いているようなものだった。自分の足の形に流れが割れるわけ。その状態で三十分とか四十分とか歩いて登下校する日常が十年以上続くわけでしょ。もうそこで人生に対する取り組み方の基本方針が決まった気がする。無心になる。心は虚無。風に向かうように傘を立て、前は全く見えず足元だけを見つめて歩き続ける。一緒に帰る人間がいても、叫ばないと話ができないので、縦列で無言で歩く。とにかくやがて必ず来る終わりまで耐えるという闘い。

「これが日本の川が清流である理由だ!」という感じ。
降った雨が一気に下流にむかって濁流のごとく流れさる。そう、日本の川は大陸の川に比べたら滝です。てゆうか、住宅街の坂道が滝です。長靴よりも水位が高いようだったら満タンに雨水が入ってとても重くなるので長靴は諦めて普通の靴の方が歩きやすいよ。サンダルはね、濁流の中に何が流れてくるかわからないし、脱げやすくて危ないから紐靴の方がいい。
思いだす雨の日。雨の音。ドドドドド!で他に何も聞こえない。

でもちょっと前に時間あたり降水量の日本記録を他所に破られ気がします。あの時は県を離れてから、殆ど初めて故郷の名前を全国ニュースのテロップで見ました。…ちょっと悔しかった。一位を記録した時は、たくさん亡くなったので別に喜ばしい記憶というわけでもないんだけど(私は幼児だったのでたくさん雨が降ることを喜んでいただけでしたが)「ひどい事になったが歴代一位に君臨する降雨量だったんだから仕方ない」みたいな何かがあったよ。


思い出す台風銀座での暮らし。
台風の上陸数では二位のところで暮らしていた時よりも五位のところで暮らしていた時の方が「雨がひどかった!」感がある。でも二位の方が隣町が頻繁に水没していたからな。しかし水没は雨の所為というより海抜の問題という気もする。


思い出せば、つらつらと色々思い出すンだけど、でも正直今の方がつらい。
日常的には雪の方がつらいです。定期的に必ず来るという事がわかっているし。直接的な原因で亡くなる人は台風より少ない気もするけど、でもつらい。社会人になったからか。生き物が相手の仕事でそう簡単に休めないからか。むしろ災害があったら「家や家族の無事を確保したら自分はどうにかして出勤を目指せ」という職種なのがツライです。

カメハメハ大王みたいに暮らしたいです。雨が降ったり雪が降ったら休みたい。そういう仕事で暮らしたいんだけど、そういう仕事で生きてる自分をイメージできないのが真実。無職でうだうだと遊び暮らしていたり役所でぐだぐだと役人に絡んで自分の希望が通らないからってやけになって地味な嫌がらせをして自分も嫌な気分になりさらに自棄になっている自分か、ああだこうだ文句言いながら雨が降っても風が吹いても先生が鉈で切りかかってきても休まず無心で学校に通っていた自分、的な生活しか思い描けない。絶対台風銀座で成長したせいだよ。

しかしテレビを見ていたら東北や北陸や中部(新潟とか!)がン倍ひどい感じだったので、地方としては魅力があってあこがれるけど、やっぱり住む事を考えたらなあ…と。殆ど雪の降らない地方で成長した人間からすると、「雪が降る」という自分のせいではない原因で給料がもらえない時間から職場に行かねばならない事に何とも言えない納得いかなさがぬぐえないわけです。きっと雪国で生まれ育ったら、雨が降ったら傘をさすぐらいの気分で雪かきするのかもしれない。イギリス人なら雨降っても傘ささないかもしれないけど。
生活するために当然のことで酸素を吸って二酸化炭素を吐くぐらいの「めんどくさいけど理不尽を感じない程度に当たり前」な気持ちで雪かきするのかも。私のような幼少期から呼吸することにすら「なんでこんなめんどくさいことをせねばならないのか」と理不尽と苛立ちを感じるような人間は、雪かきなんてそんな直接的に一文にもならない肉体労働!という気持ちになってしまうのです。

良いこともあります。雪かきのせいで冬の殆ど鍔のない帽子に存在意義を感じるようになった。「頭寒い」とか「頭冷たい」が理解できるようになりました。
年取ったせいもあるけど、サングラスの意義も感じるようになった。明順応暗順応が鈍くなったのでトンネルの出入りを考えて日中にサングラスしたい気持ちはわかるようになっていたのだけど、晴天時の積雪眩しすぎる。「あー、それでスキーヤーはあの派手なサングラスをしてるのね!」とすごくわかるようになった。昔、年寄りが薄い紫の色付きレンズの眼鏡とかしてた理由が今になってよくわかるようになってきた!でもなんで色が紫だったのかはまだわからない!


超人ロックが未完?になりましたそう>
ご冥福をお祈りいたします。
出版社も何度も変わったし、基本的にロックは傍観者的に去っていくし、ストーリーはそれぞれそこで完結するので、あんまり気にしていなかった。
どこまで読んだか覚えてないんだけど、最初の方は持ってた気がする。ロードレオンとリュウ・ヤマキとジェシカあたりは結構覚えてるかも。
009が好きだったので、その流れで(線のすっきりしたキャラと画面。SF仕立て。異能力戦っぽい。何よりロックの前髪長めでちょっと横に流れているところが好き)読み始めた気がするんだが、今思うとめっちゃ俺ツエー系主人公だった。何をどうしても死なないし。人の能力を奪えるので次から次へと後出し式に「実はこんなこともできました(できるようになりました)」が出てくるし。
ただなろう系とかの俺つぇー系と違うところは、強すぎて話にならず割とメインで動かなくて水戸黄門的に出てくることが多かった気がする。おそらく半分も読んでないんだけど、ロックが記憶喪失とかになってないとストーリー作るのが難しい感じだったのは覚えてる次第。

ロンウォールの嵐とかはなんか覚える気がするのよ(超能力者が反乱組織みたいなの作っていたような)。あと炎の虎とか。あれロード・レオンが出てきたっけ?待ってよくわかんなくなってきた。ロックが不老不死な為に敵を殺さずに乳幼児にしたら、それが成長して再登場できちゃうスタイルなので、記憶が定かでないです。

009もグインサーガもベルセルクもいたずらなKissもクレヨンしんちゃんも未完になったし…。
009は愛蔵版も持っていたけど〇×編毎に一応話としては毎回まとまって終わっており、時々設定が微妙に変わっていた気がするのもあって、スターシステムに近い感覚でみていたので、未完ですと言われると、そういえばそうだった…のか?というふんわりした気持ちがある。
グインサーガもベルセルクも皇国の守護者も私は読んでなかったんだけど、終わったら読もうと思っていた部分もあり、未完で残念な気持ちはわかります。個人的には、ゼロの使い魔、風の聖痕、トリニティ・ブラッド、あたりはちらっと読んでいたし、風呂敷が大きかった気がするので、ちょっと歯がゆい。ちょっとじたばたします。

アル戦と創竜伝、破妖の剣あたりは気が付いたら完結してたんですけど、「アル戦と創竜伝は完結まで読まなくても大丈夫!」と言われ素直に読んでません。破妖の剣はなんか話すすまない割にめっちゃ巻数出て追うのが辛くて読めなさそう。あと破妖は挿絵の厦門潤さんがめっちゃ好きだったので、イラストレーター変わったあたりから読む気が激減していました。

あとマンサーチャーシリーズどうなってるかなってみたら、めっちゃ出てる!短編10巻ぐらいまでは読んでたと思う。長編はブルーマンと<魔震>戦線を読んだか読んでないかってあたりまでなので、めっちゃ出てる!しかし緋の天使は割と覚えているのに、死人騎士団を絶対に読んだ記憶があるにも関わらず話が全く思い出せないので、どうせなら最初から読みたい。後吸血鬼ハンターDも割と好きだったので途中までしか読んでないけど今年も新刊が出ている事だし予算と暇があったら読みたい。
菊地さんの書く話は別に完結を求めてないのです、私。途中で終わっても全然気にしないから好きなように書いてほしいです。佐伯さんの居眠り磐音さんとかもそうだったけど、ストーリーの先が気になる以上に「読んでいる間楽しい時間を過ごせる」って感じだったのよ。途中までしか読んでないけど、途中までしか読んでいないのは、飽きたとかつまらなくなったとかではなくて、単に他にやることがあったり他に気になる事ができていたからで、読み始めたら時間泥棒な事がわかっているから、気持ちが落ち着いた隙に「ちょっと禁煙していたら、習慣性がおさまって、そのままタバコやめている」みたいな感じなわけです。

しばらく前から電子版で買いなおししようかと思って計算していたんだけど、長いんだよね…。結構かかるのよ。

佐伯さんは信頼性高いよね。きっと続きがちゃんと定期的に出る。ちゃんと完結するであろう感。
きっくちー?菊地さんに求めているのはそういうのじゃないので。伝奇作品系は夢枕獏とか高橋克巳さんのも読んでたけど、でも菊地さんのが一番好き。世界観とか雰囲気とか。特にマンサーチャーシリーズは後になるほどキャラが皆可愛いので。てゆうかかわいいよね?!かわいいから読んでるんだよ!にまにまできるのよ。

伝奇小説のジャンルがよくわからないんだけど、検索したら私がミステリー小説として分類していた京極夏彦のアレが伝奇小説で出てきた。そうなの?夢枕獏の陰陽師も伝奇小説で出てきたんだけど、そうなの?映画化した空海のやつは伝奇小説だと思っていたけど陰陽師は伝奇小説だと思ってなかった。私がイメージしていたのはキマイラとか餓狼伝ですね。餓狼伝は読んでないけど、陰陽師とキマイラは読んだ。でも私の中で陰陽師は伝奇小説じゃなかったので…。陰陽師と魔王伝とでどっちが好きかって言われたら、…魔王伝かなあ。陰陽師は、とても面白かった。登場人物も魅力的だし、物語も破綻がなく、ストーリーも割と無理なく面白くて、文章も読みやすかったし、世界観や雰囲気も好きだった。何より文章表現によって抱く感覚がちょっと独特でよかったよね。魔王伝よりまとまりあって完成度も高い感じがした。
でもどっちが好きかって言われたら魔王伝って感じなのよ、私は。小説としての出来とかじゃなくて。このエピソードいる?とかこの展開いる?とか思いつつ、ストーリーは右往左往している感じがして、でも物語と登場人物の魅力で強引に読まされた感があって、その強引さの力強さが、おまえにしか書けない唯一無二な感じだったのよ。なろう小説の書籍化する前のほうがなんかよかったよ!みたいな。


気分でだらだら書いてたら収拾がつかないままになってきたので終わります。


2022年12月02日(金) ちがうんです。

だから違います。前回日記を書こうと立ち上げたのは、ああいう言い訳をしようとしたわけじゃなくて別の言い訳をしようとしていたのですよ。
そういえば、人様のセクシャリティは秘密にしなければいけなかったのではと思い至って、「お友達がなんか普通っぽいという事を了承も得ずに暴露したことになってしまうのでは?いけない事なのでは?」と戦々恐々としたわけです。

もー、世の中が難しすぎます。
皆好きに生きればいいと思うんだけど、私が思うに、じゃあどういう社会が皆のセクシャリティにとって公平かというと、便所も風呂も更衣室も全部男女共有しかないじゃん…ってなるのよね。でもダメなんだろ?

それに私も、このセクシャリティとジェンダーが固定化された社会の恩恵を被っている。夜道で一人で家に帰ってる時に後ろから歩いてくるのが同性だったらほっとするし、人気のないビルのエレベーターで自分一人の時に入ってきた相手がおっさんだったらちょっと緊張する感じ。
まあ私は見知らぬおばちゃんとかにも絡まれたりするので、そういう意味では男女の差はないんだけど、でもどうもこうも同性だと痴漢だとはあまり思わないし、身の危険はあまり感じないねん。「やれやれ、やべえ女に絡まれたぜ」って感じで、「いざとなったら殺す覚悟を決めるしかない」みたいな生きるか死ぬかみたいな覚悟にはならないっていうか。

高〇薫か誰だかが言ってた気がします。女の人生は体を張って生きるハードボイルドだって。わっかるわー。

こういう感じなので、ジェンダーとセクシャリティの差別意識にめっちゃ癒されているねん。職場の人間が同性だったら「パンツが股に食い込んでつらいわー。男は股に裂け目がないからいいわよね」とか「乳バンド忘れたねん!下乳に汗かいてつらい」と何気なく愚痴れるが、相手が異性ならできないもの。相手が反応に困るかと思って、気を使ってんねん、これでも。しかしながら私が安堵を感じるこの区別に苦しむ人間がいるわけね。

「私はこういうセクシャリティだから、そこを気にして!」といちいち公にせずに平和に物事をすすめるには、「性別は存在しない」レベルに至るのが一番平和だと思うんだけど、でもダメなのよね。
あー、人生ままならない。
この先どういう社会になっていくのか、どういう方向を目指すべきなのか全く想像できないわ。攻殻機動隊みたいに外殻の中身が男女どっちかとか不明に男女別なく交わりながら、いざという時のために常に武器を携帯する近未来社会みたいな感じかな。そうじゃなきゃ握手するようなレベルで気軽にセ〇クスするような。「好きな人意外とは絶対嫌だよ!」というと「あいつ変わってるな。ちょっと頭おかしい」と言われる…。

いや、そこまで無法地帯にせずに、むしろ逆に「常識でわかるだろう」「雰囲気をよめ」「意識しろ」「あたりまえだろ」というのをやめるとか。私はこっちがいいんだけど…。こう、全部口頭で文言で意思確認しながら進めていくみたいな。「いかがわしい気持ちになりました」って言ってくれたら「ほう!そうか!」となるよ。私が心を開いたらめっちゃゴリゴリに聞いていくと思う。「こういう場合はどうなん?」「これはどうなん?」「それってこういう場合とは違うの?」「へえ!」「ほう!」「ふうむ!」「じゃあこれは!?」「おまえのシステム全てが知りたい」とめっちゃゴリゴリ聞いていく。それどころが相手に甘え始めると「こうしたらどうなる」「そうしたらどうなる」と相手の反応で実験を始める危険がある。気を使って抑えてきた好奇心を全開にするとそうなる。
私のいいところは「それっておかしいよ!信じられない!」とならないところなんだけど、我が人生で全然活かせない。


というわけで一応言い訳する。
よくない事はわかってんねんという事を。


ところで今回日記を書こうとしたのは、自動車を運転していて、赤信号で公園の隣で止まった時、母と娘の親子がブランコをしていたからです。
はじめ、娘だけがブランコに乗っており、お母さんがその背中を押して漕いであげていたんだけど、そのうち「こうよ!」「こう!」と漕ぐ仕草をしはじめ、そのうち隣のブランコに乗って「だからこう!」とやって見せ始めた。ンで、娘は「だってできない」と座り込んでいたんだけど、お母さんがめっちゃ笑ってて微笑ましかったわけです。
いや、娘は可哀想かもしれんが、こう、ブランコとかシーソーとかジャングルジムとか子供の頃遊んでいた遊具はなんか楽しかった記憶がある。

大きな公園に行くと子供向けの三階建てのビルみたいな巨大な滑り台なんかがあって、畜生最近の子供は恵まれているなと思う。遊具の注意書きで「対象年齢は何歳から」と下は書いてあっても上は書いてないねん。まあ我々は仮に体重を許容されてもケツがひっかかって滑らないリスクがあるんだけど。
大人向けの滑り台とかブランコとかの遊具があったら私、絶対遊びに行きますね。高齢者向けの体操器具みたいなのは見かけないでもないんだが、それはそれでぬるすぎるねん。ハードなのは踏み台昇降的な運動をさせるやつぐらいだろうか。てゆうか楽しさが足りないよ。


やぐちまさき |MAIL