非日記
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2011年12月08日(木) こんな夢を見ました。

私は飼い犬と一緒に散歩をしていました。めっちゃのろのろ歩いていて、「犬の散歩って走らなきゃいけないんじゃないの?」と思いつつも「でも私は毎日走るなんてしんどいから嫌だわ。犬を飼ったら毎日走らなきゃいけないんじゃなかろうか。嫌だ。犬を飼いたくない。でも既に飼ってしまってるから走らなきゃいけないんじゃなかろうか。てゆうか、なんで私は犬を飼ってるのだろう?」と不審に思ったところで方向転換。

私は家に用事があり、どこともしれない我が家の玄関先で、(とてもアパートに似ている家。私がアパートにしか住んだ事が無いからだろう)リードを繋いで家に入り、何事かをなして外に出ると、名もしれぬ子供たちが私の犬にちょっかいを掛けていました。

ちょっとそんなにつつきまわったら怖がるじゃないの!

植え込みに隠れてしまっています。「そんなに一方的に触っちゃだめよ」私は子供たちに注意をし、気分はナウシカよろしく「ほら出ておいで〜」私の犬を呼ぶと、怯えた私の犬が姿を現しました。「よしよし」撫でながら私は思いました。

……私の犬って、こんなだったかしら?
いえ、繋いだリードの先にいるし、呼んだら反応するし、確かに私の犬のはずなんだけど、しかしこんなにも、こんなだったかしら?

こんなに耳が大きかったかしら?
こんなに鼻は長かったかしら?
こんなに毛が無かったかしら?

というか、これは象にとてもよく似ている……。

私はお手をしながら、手の上に乗って来る明らかに犬と違う足に思いました。
なんか違う。これ、全体的に象に見える。
私の犬は、こんなに象だったっけ?
確かに、飼い主が私だからかと申し訳なく思うほど、散歩中全然はしゃがず走らなかったけど。

子供たちに犬の触り方を教えながら、「なんかこれ、めっちゃ象?」と疑いが晴れません。いやいや、しかしちゃんと反応するし、これは私の犬よ。間違いない。しかしこんなに象だったか?普段からあまり人の顔を見ない私は飼い犬の顔もよく見て無かったので、改めてちゃんと顔を見た事が無かったから「違う気がする」違和感があるだけかもしれない。
そう思うと、「ふさふさ茶色の雑種犬だったはず」の記憶もおぼろで、私の勘違いと思い込みな気がしてきます。明らかに私の犬はこれなんだけど、でも犬に見えない……。

そして私は犬の頭を撫でようとして気が付きました。額に王冠がくっついている……。王冠を乗せたのは誰?いたずら?明らかに私の趣味じゃない。声を大にして言いたい。私は犬にキラキラの冠を載せて散歩したりしないっ!誰かに見られたら私の趣味だと思われるじゃないの!恥だ!まさか気づかずに、この格好のままで散歩していたの!?恥ずかしすぎる!

そして私は気がつきました。
これ、サイズは私の犬だけど、なんかサーカスとかに出てくる象に似ている。

もっと犬みたいな犬が良かったんだけど。
……別の犬を飼おうかな……。
て、駄目よッ!
私は既にこの犬を飼っているのよ!ペットの顔が気に入らないからって、直ぐに次の犬を飼おうだなんて、なんて事を考えるの!生命に対しての冒涜だわ!速攻「次に飼う犬は黒くて毛のふさふさした耳の尖ったやつにしよう。はりぽったのシリウスみたいな犬にしよう」とか考えるなんて、何を考えてるの私!次ってどういう意味よ!可愛がっている(はずの)自分の飼い犬に向かって、早く死ねばいいのにって意味?

でも、これ、すごく犬に見えない。

そうね。別に「次の犬」とかじゃなくて、新しくもう一匹、多頭飼いすればいいんじゃないかしら?そうしたらその犬は、黒くて毛がふさふさしていて耳が三角の犬にしよう。

てゆうか、なんで私、犬を飼ってるのかしら?
私ならば、まず猫を飼おうとするんじゃないの?
どうして猫を飼っていないのかしら?
何故私は「とりあえず猫」ではなく、犬(みたいな象)を飼っているの?
猫ではなく、犬を飼っているのは何故?


……
あまりの己への不信感に目が覚めましたよ。
てゆうか、なんで象やねん。
サーカスに行きたいという気持ちの表れ?

私の象は悲しげな、めっちゃ「守って!」という感じの目をしていました。そのせいで直感的に「私の保護を求めているのだから、確かにこれは私の犬に違いない」と思ったんだけど、でも犬に対するビジュアルイメージよりもずっと遥かに象だった。
夢ですからね、鼻を撫でてるうちに気が付きました。
「犬の鼻って、こんなにくねくねと動いて長かったかしら?犬の撫で方と違う気がする……」
しかし断固として、「それでもこれは犬のはずだ」と思い込んで譲ろうとしないところが、夢の凄いところです。


2011年12月03日(土) 意味不明だと固執するのかもしれない。

当日に選挙を思い出して終業間に合わずにいたら、大家の息子に選挙に行ったんかとネチネチいびられた私ですが、人様はいかがお過ごしでしょうね。

……おかしいですよ。
私は昔から人付き合いどころか家族付き合いからして大の苦手で人と深くかかわろうなんて少しもしてこなくて、先日何かの○い……というか性格診断では「心の内も外も悪」と言いきられたぐらいだってのに、どうしてむやみやたらに人様に絡まれるのであろうか。と、こういう被害妄想が悪の根拠らしいが、そう言われると「じゃあアレも被害妄想で、アレも被害妄想で、ああいうのも被害妄想で、あんなんも被害妄想だとオマエは言うのか!?」とずらずら被害妄想が炎のごとく燃え上がります。「正当な憤りである」と言ってもらえれば「ならいいんだ」と淡々と流して生きていけるのに罪作りな話ですよ。

最初は「私はそんなに悪か?」と微細な不満を感じないのでも無かったのですが、三分ほどしたら、「おまえがそうだと言うのならば、別に構わんけど」という気持ちになり、さらに熟慮黙考の末、「そうだなあ……、善人の存在は必ず悪人を生むから悪だ、などと考えている部分があるから、そういうところが善に対して完全に悪だと言われても反論の余地は無い。むしろ善人であると判断されて葛藤するよりは遥かに心安らぐ結果であるとも言える」と落ち着いた。

話が逸れましたね。
私は家賃を払いに行っていたわけですけれども、ついでに「どうも暫く前からお風呂のガス給湯湯沸かし器の調子が悪くて点火したり、しなかったりで、今日も先程から点かないのです」と申告してみましたら、「なんでさっさと言わんのじゃ!」と思いっきり叱られました。だって困ってるの私だけだし、何かのついででいいかなーとか……。

息「調子がいいとか悪いとか、ありませんからっ!」

なんだと!?あるもん!
調子がいいとか悪いとか古くなったカラクリにはあるもん!

勿論そんな反論はできません。すいませんすいませんと只管に謝罪して帰宅。うっかり投票をし忘れていた人間は、かくも弱い立場なのですよ。しかし私のン十年の人生を振り返って、物の調子がいいとか悪いとかは絶対にあります。私が蛇口をひねる際のスピードとか力の入れ具合の角度の問題とか、そういう調子の良し悪しなのかもしれませんけれども、昨日は駄目だったが今日はオッケーとか、とにかくそういう事は断固としてあるのです。

「私にはわかる。やつはまだ戦える!」ぷすぷす!←燃え損なってる憤り
「きっといつもの使用時間と違っていたから、湯沸かし器に心の準備ができていなかっただけよ!」

まだ十数回チャレンジして駄目だっただけです。「いつもの時間」になるのを二時間待ちます。非科学的だろうと、そういう事は現実にあるのです。
そして二時間後……。

<ガチッ!ボオオオーッ!>

ほらあ!ほら点いたじゃないの!?だから言ったじゃないのさ!

でももちろんそんな事は言いに行けません。
翌日には直してくれていたわけですが(直ったというか新品になっていた)、その際には、言いすぎたと反省したのかしれませんが、選挙に対しても柔らかくなっていました。私に次のチャンスをくれるらしいです。そしてリンゴを貰って帰りました。やっと最後の柿に辿りついたところだったのに!
生みの親から「柿を送ろうか?」と言われた際には「柿は好かんから、いらん。送るな」とずばり言えても、赤の他人にはよっぽどでなければ言えないのです。大切な人を大切にできない。どうでもいい人間に全力で気を使って使い果たす。それがO型クオリティらしい。


最近は、外科に行って指先に刺さったガラス片を取り除く為に針で指先を切られてピンセットでぐりぐりされたり、「ところで私の車は本当に大丈夫なんでしょうか?」とお店に突進して空中に車を浮かせてもらって「ここがね、こうなってるでしょ?ここにこう書いてあるのは、ここがこうなってるという意味で……」と逐一丁寧に説明してもらったりしてました。お金も払わせずに、なんて親切ぶりよ!
何だかわからないけれど、検死の集団とすれ違って道を通せんぼされ(人一人通れる程度の狭い道で、いきなり立ち止まって周囲を見回し始めた)、「どけ」と念じながら黙って待っていたら「あ、ごめんね」と言って通してくれました。「この方はオサツなのに謝るなんて!なんて人間のできた御方!素敵!」と惚れそうになりました。

思いますが、心が裏表なく全き悪なので、こんなに容易く感激するのだろうか?
悪だからリンゴを貰ったのだろうか?「そっちのお菓子をください」「あなたのはそっちでしょ!」「でもこっちにはフロランタンが無い。私はフロランタンが欲しい。私にフロランタンをください」「もう仕方が無いわね!持って行きなさいよ!」となったのも、私が悪だからなのか?
今日も悪は幸せに暮らしていました。
フロランタン大好き!


ところで、
最近のちょこざいなオタク生活は、境界線上の地平線を真面目に見ています。虎と兎は偶に見忘れましたが(たぶん私がアレを面白いと思ったのは、サ○レッドを面白いと思う感じに近かったと思うよ。でもサン○ッドの方が好きなんだよ)、これは本当に真面目に見ています。あまりの意味のわからなさに、熱心に見ていました。まずストーリーがわからない。第一話なんか特に酷かった。ただの登場人物紹介で、しかも顔と名前の紹介だけでニ十分終わってしまった感じです。科白の意味が八割方理解できないまま。世界観すらよくわからないまま終わり、あまりの理解不能加減に、つい次の回も見てしまいました。そして次の回も、話は殆どすすまないまま、よくわからないまま終わり(登場人物の多さに特徴どころか名前すらよくわからないまま終わり)、ハテナを飛ばし過ぎて、つい次の回も見ました。次こそは、一体どんな話なのかが漠然とでもわかるかと!科白の意味と頻出単語と行動の意味が六割以上わからないまま(だいぶ理解が進んできた。最初九割以上意味不明だった)、結局、かかさず見ています。

人様「原作読んだらいいじゃない」

いや、このわからないっぷりがいい感じがしてきた。むしろ話がどう進行してるのか、登場人物が片っぱしから何を言っているのかが全然わからなかったからこそ、ほんのちょっとでも意味がわかった瞬間に喜びがある。喋る事も動く事も表情を表す事すら全くできない相手から、まばたきや視線で僅かな意思疎通ができた時の「うん、うん、そうか!わかった!今おまえが頷いたのわかったぞ!」的喜びに似てるというか……。それがだんだん時間と経験?を重ねて、「あ……、もしかして今、笑ってるんだ」とわかってきた時の喜びというか。ひたすら読み取りと理解の努力を一方的に要求される、諦めたらそこで試合終了だ、この感じに意欲がわくっていうか。

それにつけても評価が低く、他に見ているという人間を見つけた事が無いのですが、原作のファンは見ているのだろうか?というか、私の狭い活動範囲では原作のファンすら見かけた事が無かった。第一話なんか本当に酷かったけど。本当にストーリーが無くてびっくりした。右から左に走ったら一話が終わって。びっくりで。まじでこれでいいのか?と、びっくりで。まあ大抵の第一話って、何か叫んでいるうちに終わったとか、そういうものかもしれないけれど。でも普通は物語が始まりそうな感じがするよ。しかし全然しなかった。三、四話まで、ある一日の朝から夜までを延々とやっていて、物語が始まる感じが全然しなかったよ。
九話まで見たけど、ここまでを普通の物語なら、一話分か二話分でやる気がするよ。九話まで来て、まだ話が始まって時間の経過は二日目じゃないのか?それなのに登場人物が目指せ半年後の話をしている。その事に驚愕する。おおい、これ何話で終わる話なの?推測するに、原作一巻の上下巻分に1クール使う気なのであろう。原作が終わって無いっぽいのだが、この勢いなら全部作るつもりでも、きっと追いつかないだろう。

でもここまできたら、気の向く限り、私は原作を読まないで見続ける。DVDの特典小説の試し読みがあって、文章の流れが肌に合わなさそう、慣れるまで結構つらそうと判断したのもあるが、「何言ってるのかが全然わからないわ!素敵!」な母の血が、自分にも脈々と流れている事を実感した。


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