非日記
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2010年06月06日(日) 心配するのは逃避です。

特に、自分が結局どうするのかわかってる時は。
でも夜寝ないと朝起きれないように、逃避してからでないと向き合えないのです。

人様は「慣れてからが危ないのよー。乗り始めた時は気をつけるから大丈夫よー」と気安く言ってくれますが、私は到底そんなのんきな気持ちになれません。まずPCにロックを掛けて仮に私が亡き人になろうとも、そう簡単に中身が覗けないようにしなければなりません。さらに自分が作ったファイルは一見どこかからDLしてきたかのような小細工をろうしたい。確かにプロフェッショナルには簡単に暴露されてしまうでしょう。プロに依頼してまで私の秘密を暴く人間はいない事はわかっています。しかし私は兄が急逝した為に、人は死んだら色んなものをやむを得ずほじくり返される事を実地で知っているのです。

つうか世の中には無免許で乗り回す奴もいるわけですが、一体そいつらの頭の中はどうなっているのか?私にはついうっかり勢いに任せて思わず断崖から飛び降りそうな衝動はあっても、甚だしく危ないと予めわかっている事に事前の準備も覚悟も無く臨むような気概はありません。たぶん、無免許で乗り回して事故を起こした人とかは甚だしく危ないと思っていなかったのであろう。
人と人とはどれだけ話し合ってもわかりあえない事があるものです。

しかし幼児期の愛読書が「おっとあぶない!」という色んな危険予測がなされた絵本であった私には、ありとあらゆる危険な予想をし、さらにストレスに激弱なためについ「一思いに楽になりたい。不安にかられているぐらいなら、さっさと現実にしてしまった方がマシ」と思ってしまう自分を熟知している私には、そんな自信に満ち溢れた行動はとうてい取れないのでした。
人がどれだけ大量に「大丈夫よー」と言うからといって、そんな事で私が安心すると思ったら大間違いですよ。大丈夫にするのは誰か?私です。本当に大丈夫なら、私は大丈夫にするための注意も払わなければ、努力なんぞもしません。私が何かしようとする時に人が「大丈夫よ」などと言おうものなら、悪魔の甘言としか感じられません。
山ほど大丈夫と言っておいて、もし私が事故って死んだり相手が死んだりしたら、「まさかこんなことになるなんて」とか言うに決まっています。そんな人生のテンプレ台詞は聞きあきた。もしかすると、「こんな事になるんじゃないかと思ってたの」なんて言うかもしれません。ええ、事後になったらそんな風に言うと思ってたわ。

大体、世の中の現在の大勢においては、悩んだり迷ったり不安になったりするのはよろしくない事らしいです。悩んで選択した時より、悩まないで適当に選択した時の方が後悔しないそうです。しかし私に言わせれば、そんなの関係ありませんね。後悔するかしないかは、その時点で後悔するかしないかの選択であって過去は関係ありません。どちらかというと「あれだけ考え抜いた末の選択なわけだから、私が私である限りは生まれ変わろうとも、どうせこの選択しか私にはできなかった」という風に私は考えるタイプです。勢いで選択すると、自分が選んだ感じがせず、「勢いで反対を選んだかもしれなかった!」と後悔するのです。自分の選択の責任を負っていく気分に微妙に影がさしますよ。
犯罪者だって魔がさして悪い事した時は「どうしてあの時、あんなことをしてしまったんだろう!」と罪悪感と後悔に苛まれるが、予め悪い事とわかっていて突っ込んでいく反社会的人格の場合は罪悪感と後悔に無縁であろう。
年に数回は自分でも「ありえない!」と愕然とする間違いをするので、それを最小限度に留めようと努力した結果、几帳面で神経質な部分が生じてA型と間違われるようになったのです。

どんな「ありえない!」間違いをするかというと、例えば、赤信号を見て、「赤信号だな。止まらないと」と思いながら確実にアクセルを踏むような具合です。けして「アクセルとブレーキが隣り合っていたので踏み間違えた」のではありません。「アクセルを踏むことと、ブレーキを踏むことを間違えた」のです。たまにそういう事になるんです。
「今日は妙にご飯が食いにくいな」と思っていたら、右利きなのに左手で箸を持って食べていたとか、「なんだろう?どうも字が少し違う気がするわ」と思ったら、右利きなのに左手で鉛筆を持ってナチュラルに鏡文字を書いていたとか、物理で式を立てるところまでは合っていたのに一桁の足し算を間違えていたとか、自分の名前をド忘れして人に尋ねたとか、呼吸するのをうっかり忘れていて窒息しかけるとか、そういう自分でも理由を上手く説明できない事がまま起こるんですよ。

だから私は生きてる限り常にビビっています。自分が何をしでかすかと思うと、心配で心配で一瞬も気を抜けません。落ち着いて、慎重に、確実に、しつこく点検しながら、なおも間違えるのです。私はケアレスミスやヒューマンエラーを「一生懸命に頑張れば精神力で無くせる」なんて黄金の都エルドラードな夢物語は信じていません。そんな事は本当に必死になった事のない、全力を傾けて努力した事のない人間の口走る事だと思っております。ミスとエラーが絶対に許されないのなら、発生を最小にするシステムを構築し、何重にも防衛線を張り、それでもなお最終防衛ラインを突破された時は、速やかな復旧と修正をするための覚悟と準備が必要です。

つまり警官に呼び止められた時の為に、常に免許証を携帯し、事故を起こした時の為に携帯電話は携帯して充電を怠らず、事故ったら相手を安全な場所に移して(頭を打ってたら動かすなって言うけれど、道路のど真ん中に放置してたらマズイ)、可及的速やかに救急車を呼んで警察に連絡して救命措置をとるわけです。生き返るかも知れないから!私も見ました。一度呼吸がとまって目を見開いたまま一時停止していて、「これ絶対に死んでる」と見えた奴が、悲鳴を上げる人に「息を吸って!息を吸って!息を吸うのよ!」と叩かれたら痙攣して、医者に取り囲まれたら生き返って、しばらくしたらのんきに喋っていた。まことに見ました。人は死にそうになってきてそのまますうっと死ぬ事と、呆れるほど突然に死ぬ事が断然多いが、うっかりは稀に勢いで生き返る事がある。そんな事だから人は諦めるのがへたになるのだ。しかし簡単に諦めてはいけません。

一体、絶対に事故を起こさない覚悟で本当に起こさないというのなら、誰が上積み保険などかけるでしょうか?高速自動車道路でも人は飛び出してきます。新幹線の前にだって人は飛び出してきます。飛行機は墜落するし船は沈没します。道を歩いていれば痴漢は抱きついてくるし落雷してくるし通り魔は走って来るし自動車は突っ込んでくるし自動車に無理やり突っ込まされそうになります。家を出ずにいれば地震が起きて川は氾濫して浸水してくるわけです。
うちの近所には小学校があって、ちっちゃなグレムリンみたいなのが集団でわらわら動いていて、時々路上に広がった上に、隅っこに寄ったかと思ったら、なんの前触れも無く反復横とびなんかするわけです。

つまり心配したって無駄なんだけど、だからといってグレムリンを沢山撥ねた方が勝ちなわけじゃないのよ。そりゃ私だって三人ぐらい撥ねたら、たぶん十中八九慣れると思う。刑務所に入ったら、一回目は二度としないと反省してても、二回目からは段々第二の我が家の気分になってきて、定期的に帰って来るべき気分になるような気がする。だからと言って、じゃあそれでいいじゃないと安心したらいけないのよ。

これは中学三年の十二月段階で三角関数すらわからない事がわかっていた時のビビり具合に似ています。誰もが「大丈夫よー」と気安く言ってましたが、自分だけは高校生になれないかもしれないぐらい真剣にヤバイ事を知っていた。私のいいところは、真剣にヤバイと思った時、たまに必死になる事です。人を動かすのは恐怖と利益だってナポレオンか誰かが言ってましたね。死んだふりにさえ突入しなければ、私にもその力学は働きます。まさに今現在こういう事態に陥っているのも、恐怖と利益の為に違いない。むしろ死んだりふりをしてる間にそのまま死なないかななんて方向に逃避せずに、恐怖と不安を抱える事によって「回避のために積極的に行動する」という状態だとか、目の前にぶら下げられた利益や利潤に興味と関心を持ち続けて「獲得のために積極的に行動する」という状態を維持する事こそが難しいのですよ。



とりあえずまんじゅうかわいい。



ある人様がンか月ぶりに更新してたんです。
しつこくレジ○ルド/ヒルを読んでいたら、図書館が書庫から全部出してきて一般閲覧棚に並べはじめました。そんな事されたら、責任をとってシリーズの最新刊まで読まなきゃいかんような気になってきた。まんじゅうちゃんが足りない心の隙間を殺人事件で埋めていたら、唐突に人が描いてくださっていたんです。
ええ、私、十年ぐらいなら軽く待てますよ。
むしろ十年程度で気が変わらない自分が嫌いです。人の感情は好きになったり嫌いになったり揺れ動くものではないのか。それが健全ではないのか。いっこうに変化しないからこそ私の感情は胡散臭い。だから私は信用しなかったんですよ。でも対象は二次元なので無問題です。ちゃんと波はありますからね。盗んだバイクで走りだしたり校舎の窓ガラスを割ってみたりしそうな勢いの時と、一本吸えばもとの黙阿弥かもしれないがとりあえず禁煙に成功してるみたいな時がありますからね。とりあえず問題は、やめてもちっとも飯が旨くない上に生活に張り合いが無くなり退屈するところです。
もののたとえであって、禁煙なんてしてないよ。

あー、まんじゅうちゃんはなんでこんなにかわいいんだろうか!とても人間に思えない。確かに2ディメンジョンではあるが、そういう問題じゃない。2Dでも柔らかそうに見える不思議さよ。


やぐちまさき |MAIL