非日記
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2009年12月13日(日) 来年の手帳どうしよう。

今年はやたらあったかいですな。
ちょうど先日、テレビで温暖化が農作物や果物に与える影響をやっていて(現在の名産地が栽培に適さない地域にずれてしまうとか、色付きが悪くなるとか完熟時期がずれるために早く傷むようになるとか色々)、困ったもんだと思っていたら、タイムリーに人様からみかんを山ほど貰い。やたら甘かった。このおみかんも厳しさに直面する時代になっていくのですか。

ところでもうすぐ来年になるのだが、来年の手帳を通販しようかどうしようかと悩んでいる。私はここ十年ぐらい殆ど同じ手帳を使っているのだが、去年はどうにか売ってる店を見つけたものの、今年は見つからないでいる。去年どうにか購入した店は本屋だったのだが閉店してしまったのだ。何冊か別の手帳も使った事があるんだけど、私としてはこれが一番使いやすいと思うものなのよ。一年間月別のページがあり、見開きで二週間見れる。さらにページの隅にその月、一か月分のカレンダーもついてる。メモ帳のページも結構あり、しかもかなり薄い。
シフト自体は毎月バラバラで、休日もしょっちゅう変わる。一度決まった後でも変動があり、月内で会議や研修や書類の提出締め切りもある(そして毎回違う)。一日の時間毎に刻まれたスケジュールがあるなんて事は殆ど無い。一日の記入分量は少ない。全体としてみると変動が激しい。仕事中は使えない。だが仕事の前後では必要。そして荷物が重い。重すぎる。旅行カバンで出勤したい。

ひとつには、私が万が一の為に資料とかマニュアルとかも結構沢山持って移動してるのが悪いんだって事はわかってるんだけど、でも全然持たずに移動してる人でも普通にカバン三つぐらいになっている。ひとつでは絶対に入らないけど、流石に旅行カバンは……というところだ。
全部持って移動しようとするのは私は昔から癖なのよ。学生時代から。

何種類か使ってみたけれど、今使ってるこの手帳がベストなのよ。来年もこれを使いたいのだけど、通販すれば買えるっぽい。密林でも買えるようなので、本屋で見つからない本と一緒に通販するかと思う。ここ数年は手帳のメモ欄に気になった本を書名と著者名と出版社ぐらいがざっと書いてあって(全部読んだ事は一度も無い。ちなみに今年の手帳には130冊ぐらいメモってある。中で目を通したのは十冊ぐらいで買ったのは四冊)、大体図書館であったら中身見てみようというつもりで、「これは取り寄せで買ってもいい」というのは印が付いてるわけよ。だからそういうのと一緒に。

しかし手帳を通販する事になんともいえない抵抗感がある。「手帳なんかその辺で売ってるものでいいじゃないか。なんでもいいじゃないか」と物凄く思う。でも凄く使いやすい。
私は、手帳をなかなか捨てない人なんだよ。スケジュールだけじゃなくて「とりあえず」で色々とメモしてあるから。例えば2007年の三月一日には夢の中で方向指示器を出すのを忘れたらしい事が書いてある。ペーパードライバーなのでありうることだと思い、「もし実際に車を運転する時には方向指示器を出す事を忘れないように気をつけねばならないな」と思ってメモをした事を覚えている。そして二月の二十三日は何故だか知らんが税理士記念日だったという事が書いてある。2004年の手帳を見たら、この年に某親友が結婚しているな。去年の十二月に子供が生まれたお知らせが来たのだが、早いんだか遅いんだかと思ってたけど、そうか四年も経っていたのか。この頃の私はレコード店でバイトしていたので、売れ筋商品の発売予定日が着々とメモってある。九月の二十二日に生まれて初めて献血した事がわかる。400MLだったらしい。ちょうどこの頃、某Gさんがバイオハザード2を見た事もわかる。むしろ何のためのメモかわからない。この年は兄が死んで一周忌で坊さんが来たと書いてある。
あ、わかった。
たぶんちょうどこの頃は無職になっていて、実家で親の鬱に付き合っていて、やる事が無かったんだな、私。それで何を読んだとか何を見たとか誰と電話したとか暇にあかせて全部書いてあるのだ。

こんな感じで手帳が日記兼出納帳兼……色々代わりの部分があるのよ。ちゃんと日記を書くと長文で飛びまくった思考を書きすぎて結局のところその日何があったのかよくわからんくなるだろ(それはおまえだけだ)?パラパラと捲っていくと、いつからいつまでどこに行ってたとか、何を見たとか、何を食ったとか、どこに幾ら払ったとか、人の連絡先とか、でかい事は箇条書きで手帳に書いてあるんだよ、大体。
だから念のために捨てずに置いてあるんだけど、そうすると同じサイズであって欲しい、しかも場所をとらないで欲しいと切実に思うわけだ。

だからやっぱり通販して購入しようかなと思う。
あ、2004年の手帳にヤマトメリベのスケッチが描いてあるのを発見した。「ここが膨らむ」とか矢印で説明が入ってる。そう、身を捩るように踊るように泳ぐんだよ。やつは変なヤツだよ。気になるやつだよ。


2009年12月06日(日) クラシック音楽を聴いて爆睡する。

常日頃何の代わり映えも無い生活をぶっ通しで続け、活動らしい活動をせず、しばしば人様に何が楽しくて生きてるのか不審がられる私ですが、たまに動きます。何が問題かといえば、人様に「趣味は?」と聞かれて「○○です」と胸を張れるようなものが何一つ無いのがいけない。オタク趣味はあるけど、昔からコンスタントに活動してるわけでもないし。

休日とか家帰ってとか普段何してるのって聞かれて困るのは、普段は、だから、……何かを考えてるんじゃないかしら、たぶん。二次創作的な捏造CP萌え妄想じゃなかったら、何かを見るでしょ。それで何か考え始める。何かを読むと、何かを考え始める。何か聞いて、何か考え始める。ぼーっと。一人で笑ったり、嫌な気分になったり、悲壮な気持ちになったり、反省したり、後悔したり、楽しくなったり、割と色々してる。後悔はしない主義なので「今更昔の罪悪をほじくり返してどうする?嫌な事を考えるのやーめた!」と思って楽しい事を考えてみたり、「そうやって逃げるのがイカンのだよ!罪の意識と向き合わねば!……恥の多い人生でした」とズンズン嫌な気分になり、「いかん。これ以上己を責めると真面目に鬱病を患う気がする。今日は大分引っ張ったからもういいにしよう」と思ってみたり、「てゆうか、むしろ本当に自力で鬱になるまで引っ張れるのか試してみたい気もする。鬱になりそうだからやーめた☆って、そこに本気の反省が見られないきがする。本気で反省してるのか私は?」「いや、してるつもりだ。だからこそ即座に忘れたくて木っ端も考えたくないのに詳細に思い出して反省を促してるんじゃないか。同じミスを二度としないためにも!」「とは言うものの、もう嫌な気分は嫌だからやーめただなんて。もっと後悔を心に叩き込むべきじゃね?それこそ、私はコレで会社を辞めましたの限界ギリギリあたりまで」「たったアレだけのミスでそこまでやる事は無いんじゃないのか?」「いかん。これがいかんのだよ、たぶん!明らかに真剣味が足りない」「あ、もう休憩時間終るから、そろそろ前向きにいい事考えよ。プロとして午前の失敗を午後に引っ張るわけにはいかんからな。だがこういう過ちを行ったという事を忘れないために、最後にもう一度だけ嫌な気分を味わっておこう」〜嫌な気分味わい中〜「……ああああもおおおお私サイテー!死んでしまいたいもう仕事行きたくない墓に埋まりたいなんで私は生まれてきてしまったんだ……」〜腕時計を確認〜「よし、そろそろいいだろう、タイムリミットだ。さ!××ちゃんの事でも考えようっと!」
(↑仕事でミスをした、ある日の休憩時間。山を見ながら)

だから別に小難しい事を考えてるわけじゃないねん。ただ何をしてるのかと言えば、「何かを考えてる」としか表現のしようがない。読んだ本の一節とか、見たドラマとかアニメとかのシーンを繰り返し思い出してる時もある。
力入れて本腰を入れて考える時は目を閉じる(だから腐女子的妄想は目を閉じて行う)。で、目を閉じると、いつの間にか寝てる。思い出したり考えたりして合間合間に寝て、総じて寝たり起きたりを繰り返し、昼近くとか昼過ぎとか夕方とかになって「やべえ寝すぎた!」と慌てて飯作ったり掃除したり雑事を片付けてると、なんたる悲劇。一日が終るわけよ。
何をしてると言い難い。

たまに何かする時もある。市内のラーメン屋に休みごとに来店して網羅する事にチャレンジしていたりとか。ある日突然思い立った勢いで長距離バスに乗って遠征してみたり。終点まで行って往復して帰ってくるとか。タウン情報誌で遊楽施設を発見して「行った事無いな」と思って行ってみたり。新聞や雑誌やテレビに何かの作り方が出ていたら「作った事無いな」と思ってやってみたり。何かしたくなったらポコッとしてみたりするんだけど、別に何もしなくても問題を感じないわけよ。出かけたって帰ってくるだろ?残りの時間があるだろ。それは当然のように寝たり起きたりしてボーっと何かもやもや考えてるし、これといって代わり映えしないのよな。

そんな私が先日、例によって俄かに思い立って大学の交響楽団のクラシックコンサート?演奏会に行ってきたわけよ。最近のブームなの。ホールとかで行われる舞台とか催し物に行ってみるってのが。
東京で宝塚見てきたと言ったら「宝塚なら大阪行けよ」と言われたけど、だってその時東京では舞台物は宝塚しかやってなかったんだよ。仕方ないだろう。劇団四季なんか他のは時間的に無理だった。ついでに生まれて初めてプラネタリウムにも行ってみた。私にしては結構詰めた日程だった。それにしても、ああいうものだったのか。私は割と楽しかったが友達は寝てた。というか私は一人プラネタリウムよくやってた気もする。要するに、夜中にひたすら空を見てた記憶がやたらある。空を見ながら星を背景に雲が流れていくのを眺めながら何か考えてたらニ時間ぐらい経つだろ。わざわざ金を払ってみるのもなんだかなって気もしないでもなかったが、まあ、寒くは無いし。大体あそこまで大量の星が見えるような場所には行った事無いから、ちょっと興奮した。楽しい。世界は分けてもわからないとかなんとかいう本で、視線についての箇所で星が見えるという事は云々書いてあったのを思い出したりして、なんか考えてたら、直ぐ終った。

で、クラシック音楽よ。

寝たね。気持ちよく半分以上寝てた。大体交響曲って第四楽章ぐらいまであって、一楽章が十分から15分ぐらいだろ。十五分ごとぐらいに目が覚めて(不思議と楽章の終わる直前に目が覚めた。無意識に空気で察知しているのか。次の楽章が始まると直ぐに寝てしまう)、頑張るんだけどダメだった。吸い込まれるように寝てた。それでわかったわけよ。これは昔、学生の頃にやっぱり学校のブラスバンドか交響楽団だかの演奏会で爆睡したリベンジであって、常々「あの時は巡検帰りで、ただでも猛烈に眠かったからだ!」と思ってたんだが、要するに私は音楽が聴けない人なのかもしれない。集中力が持たない。異国の言葉を聴く人のように、何が行われてるのかわからない。ソナタ形式とか展開とか構造とか言われてもサッパリわからない。いい感じで気持ちよく寝てしまう。たぶん五分十分のポピュラー音楽が限界なのよ。よくよく考えてみると、私はアルバムの構成についても理解できたタメシが無い。アルバムを聴いて、好きな曲を発見して、それをエンドレスで延々と繰り返しリピートする。素晴らしい構成などと激賞されてても、なんのこっちゃわからん。好みの曲が沢山入ってるのが素晴らしい構成だ。
「矢口さんはワグネリアンだね」と言われた事があるけど、そんな事は無い。ワーグナーとは有名なやつだが一体何者だどんなものだと思って聴き、何が凄いのか、どこが他の作曲家のと違うのかわからなくて、わからないから畜生と思ってよく聞いてただけだ。たまに思い出したように聴いてみるが、いまだに全く覚えられない。普通、いくら私のようなクラシック音痴であろうとも、有名なメロディーぐらいはちょろっと覚えてて、そこが流れると誰それの何だとわかるわけよ。しかしワーグナーは何度聴いてもすっぽ抜ける。好きなのは割と古典的なのが好きなのよ。J.S.バッハとかエルガーとかショパンとか、わかりやすくて短くて何かが早いぜみたいなのが。モーツァルトは昔からどこがいいのかわからんのだけど、レクイエムだけ妙に好きだ。あれはね、好きなメロディーが沢山ある。私のツボをついてくる。フォーレもまあまあ好きなんだが、レクイエムに限ればモーツァルトが一番好きな気がする。ちゅうかレクイエムは一曲が短いから私には聞きやすいのだと思われるよ。聴きやすいというか聴けるというか。

自分音楽というものが楽しめてないのではないかと思い改めて、一体人が音楽を聴きながら音楽の何を聴いているのかが気になりはじめた。私は音楽を聴いて「これ好き!」と感じると、殆ど同時に何か考え始めるのよ。それで全部聴いてない。なんかこーバックミュージックみたいにして全然違う事を考えてる。歌を聴くためには歌詞カードがいる。「歌を聴くぞ!」と思ったら逐一歌にあわせて歌詞を眺めながらでないと違う事を考えてしまって、途中から全く聴いておらず、好きだと言って何度も聴いてるのに全然覚えないという事になる。その歌やその曲を聴くと必ずと言ってよいほど想起する想念や情動があって、その曲を聴きながらでないと没頭できない為にエンドレスリピートする。だから「丸二ヶ月ぐらい暇さえあれば掛けて聴いていたにも関わらず全く歌えない」とかそういう事になるのよ。
それで思う。
人は一体楽曲の何を聞いているんだろう。というか、どうやったら私は音楽を聴けるんだろうか。無心に音楽を聴こうとするでしょ。寝る。ダメだ。寝た。

それどころか私は、本を読むときにもちゃんと読んでないんじゃないかと思う。たぶん読みながら頻繁に何か違う事を考えてる。それで何度も読んだ本なのに、ある日唐突に発見する一文とかがいつまでもあるんじゃなかろうか。何回も読む本に限って、たまに「こんな一文初めて読んだ!」とか「こんな事が書いてあったのか!」という驚きがあるんだよ。一体何を読んでるんだ、私は?でも「どんな話だった?」と聞かれたら「こういう事があってこんなこんな話」とベラベラ喋れて、「よくそんな事まで覚えてるわね」と言われるのよ。「だって読んだばっかだし当たり前ジャン」と思ってたが、よく考えたら不思議だ。ちゃんと読んでないっぽいのに。字を読んでる覚えが無いから(本を読んでる時は字を見てない感じがするよね。特に面白いと思ってる時は、頭の中に映像のような流れのような何かが展開していて、それを眺めている……みたいな)、一体どう読み飛ばしてるのかすらわからない。読みながら勝手にかなり編集してるらしい事はわかる。ひどい時はボコッと段落とか数ページ飛ばしてる時があるんだよ。再読三回目ぐらいで「こんなエピソードがあったとは知らなかった!」ってことが。びっくりー。しかもそういうのに限って「凄く面白かった!」と思ってる。凄く面白かったから何度も読みかえすんだが、そのたびに新たな発見をするんだよ。
最初からちゃんと読めと思う。でも無理。見えないんだもの。文字が。

たぶん私が無心になるのはね、好きなキャラの顔を眺めてる時だ。あれは無心だと思う。ぽかーんという感じで、なんも考えてない。だから原作を閉じて、画面を切って、目を閉じて、妄想するのよ。


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