非日記
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些細な事なんだが、ツボにはまった。 働く奥様達。五十代後半ぐらい? 仕事の合間の空白の瞬間を垣間見た。 Bがいるところへ、Aがやってくる。
B「ん?なんかあったかね?」 A「無いけどね。ねえ、ちょっと聞くけどさ、あたし最近腕が汚くなってきたんだけど。なんかの病気かしらと思って、皮膚科に行くべきかと思うんだけど」 B「腕が汚くなってきたあ?なによそれ、どういう事?」 A「なんか汚いのよ。たぶん年食ったって事じゃないかと思うんだけど」 B「じゃあそりゃあトシじゃないの?」 A「だってほら見てよ。気がついたらこんな。前はこんなじゃなかった!」
やって来たA、袖をむきむき剥いて腕を出して見せる。 B、覗き込む。
A「ね?!汚い!」 B「あんたッ!こりゃあただの老化だよ!老化!アタシだってなってるもの!とっくの昔にね!」 A「アンタもかね!?どら!?」 B「当たり前じゃないの!ほら!」
B、袖をむりむり捲って腕を出してみせる。 A、深刻に覗き込む。
A「あー、本当だわー。アタシと一緒だね」 B「だからトシ食ったって事なのよ!老人斑よ!ただの老人斑!」 A「老人斑…。やっぱそうかねえ…(溜息)」 B「あったりまえじゃないのッ!あたし達は老じ…ッ」
その時、同業種の若い子が駆け込んできた!
C「あの!すみませんッ!」 A「何!?どうしたッ!?」 B「何かあったかね!?」
ベテランの二人は一瞬で厳しい顔になり、鋭く問いただした。 しかし二人とも袖を捲って腕を見せ合った体勢だ。 なんかその何してるんだか妙な格好に戸惑い、思ったより険しい応答がかえったらしく、命の懸かっているかのような厳しすぎる雰囲気にたたらを踏む若人。
C「え、いえ、あの、Dさんが今業務で出てていらっしゃらないんで、それなら今のうちにAさんかBさんの送りを先に済ませてもらったらどうかと主任が…」 A「あー、そうかね。戻ってこんかね。じゃあ先に行こうかね」 B「そんならアタシも行こうかね」
そして二人は事務所の方へ去っていった。
・・・なんか、妙に、すっごく楽しかったんだけど。 まさにこういう風にトシ取りたいって感じで。 笑っちゃいかんと思いながら、ひーひーって感じだった。
幸せに暮らしています。 こんだけ幸せなバカップルを書いたのは生まれて初めてで、最初は何をどう書けばいいのか全くわからなかったのが(原作設定も詳細でない上に、頻繁に会わせるには地位と距離的な困難さがある)、四百字詰め原稿用紙で三百枚を越えたあたりから全く何も考えなくても勝手に動くようになってきて、今となっては他人様のサイトの更新を待つような気持ち。ただでも同好の士がいないのだからいたしかたない。いつになく罪の意識が薄いのは、端役であるがゆえに原作での登場回数が少なく、本編に絡める必要が少ないせいかもしれん。自分が書くものにしては信じがたいほど自然に展開したが、後になって見返すと「あ、ここミスってるわ。あ、ここもミスってるわ」が続々と発見される。
いや、私は個人的には人間は常に矛盾に満ちていて、完全に筋の通った人間はいないだろうと思うのよ。よう知らんがカント先生とかは通ってそうかもしれんけど、あれは一般人からしたら異常レベルだろう。かのヴィトゲンシュタインですら、一度自分が考え抜いた結論の矛盾に気がついて後で否定している。それに精神活動の全てをつぎ込んでいる哲学者でもなく、たとえば論文書いてたりとか研究してたりとかの論理的で矛盾をなくそうと苛烈に努力しているのでなければ尚更だ。例えば、普通に、幼少期には何らの問題意識もなくイジメに加担していたものがちょっと成長したら「イジメは絶対よくない」と平気で言い出せ、しかも後悔の念を得る事もなく善なる自身への信頼は揺らがないわけよ。これは受けた側からすれば許しがたい現実である事は想像に難くない。私はこれが全く不思議だと思っていたんだが、つまり人間というモノは元来がそういう性質をもつものなのかもしれないんだ。例えば、生物の中で、子供が親の面倒を見るなどという事をするのは人間だけだと言われる。これぞまさに生命体として最大の矛盾であり、であるからこそ最大の人間性の発露とも言える。墓所に乱立する卒塔婆や墓石など見ていると、実に不思議な気持ちになるね。この、ある意味で無駄の絶頂たる光景に、それぞれの墓の下に生きていた人間がある事を思うと、なにやら心を動かされるのが不思議だ。仮に現在の文明がすっかり消え去って忘れ去られた時が来ても、いつかこれらの「日当たり良好!美しい景観の望める安らぎの霊園」とかが発掘された時には、人間ならばたぶんそこに何かを感じるのではないだろうかね。虫だったら、それがなんなのか理解不能だと思う。
高齢になっても皆社会活動に参加可能であるとか、年齢は関係無いとか色々な価値観が現れるようになったが、しかしそれはこの、「子孫を残し成体まで成長させた以上、あとはゆるやかに老いて死にゆくだけのものは生物として既に世界に不要な存在である」などという理屈に反して、私達の中に残る過ぎた時間への郷愁や愛着であるとか、個人に対する恋着であるとか、そういったものに駆られて活動せざるをえない情緒的現実を生物や社会として矛盾しない厳然たる事実に転換し昇華しようとする切ない努力のようでもある。孵化した我が子に己の体を食わせる昆虫のようではあれない。それは人間がただ利己的で自己愛に満ちた存在であるからだろうか。己がやがて同じ道を辿ることを思う時、ただそれがために優しくせざるをえないのだろうか。未来に対する投資の如く。いや、私はそれだけではないように感じる。
また話がずれた。だから人間は重大な事から日常的で些細な事にいたるまで、常にナチュラルに矛盾してる事が多々ある存在だと思うのよ。言語を用いて表記するならば尚更に。例えば日本語には「かなしい」という言葉があるね。これは普通漢字で書くと哀しいとか悲しいとか書いて、要するにSADな「かなしい」事をあらわすが、愛しいとも書かれる事がある。これは相手の心や存在に対して悲しさを感じるほど、あるいは相手の悲しさを共有して同じように悲しくなるほど「いとしい」のであるからして、宛てる漢字は愛の字でもよいのだ!全然間違いじゃないね!という事になるらしい。だがそうして表記した以上、ここで明らかに境界は揺らぐ。いとしさは悲しみにだけ反応するものではないからだ。感情が幅と厚みを持つものであるならば、言葉は境界を刻む線のようなものに感じる。言葉は心を切る。それは分析したり整理したりし、理性的であろうと努め、決断し判断を行ううえでは有用この上ないが、だがそこで必ず切り落とされていくものがあると私は思う。人が言葉によって物語を語らずにいられないのは、ロゴスに心をこめようとするある意味無謀な行為なんだろうと思うよ。理性に愛を語らせようとする程度には困難だ。
「矢口さんは喋りだすと長すぎるから簡潔に!」と言われるが、だってそれは思うことを言葉で簡略化して端的に述べる事は時にとても難しいように思うんだけど。白いものを白いという事はまだ簡潔にできる。雪のように白いとか、餅のように白いとか、色々くっつけて長くする事もできるけれども、単純に「白い」と言えば一応伝わる。でもそれに対して自分が何を感じたかを語ろうとするならば、「白い」と言う以上に簡潔にする事はできないだけでなく、「白い」と発言しただけの私が何を考え何を感じたのかをわかるやつがいたら手を合わせて拝むだろうよ。そしてさよならをする。まるで同じように感じる相手ならば、一人でいるのと同じではないのか。
「一言一言に全部ツッコミを入れたくなりました」とぐちぐち文句を言っていたら「それを簡潔に書いて出してよ!」と言われたが、講演に対するレポートを簡潔に書くならば「すっこんでろ屑が!」で終わりだ。私は己の社会的立場を守り、属する集団を守り、目的をもってそれの達成を目指すのならば、常に努力をするべきだと思う。正直であればそれでいいというものではないし、正直さが常に誠実さと等しいわけではない。 本気で伝えようとするならば、千語を用いても難しい。相手の気持ちが理解できれば同じように感じさせることができるのだろうか、そうすれば世界は優しいものに変わるのだろうか、と思った事がある。例えば、虐めっ子に虐められっ子の感じているものを全く同じように感じさせる事ができるならば、彼らにはそれができないはずだ、と。後になってわかったが、それはとんでもない考え方だった。世界はそれで、けして優しくなどなりはしない。「相手の気持ちを思いやれ」という言葉は、けして相手の気持ちを真には理解ができないからこそ意味も価値もある言葉だし、初心の導入としては適切なんだろう。 エスキモーには雪の白さを表現する単語が山ほどあるらしい。そう、彼らはそれを本気で伝えようとしたからこそ、「白い」だけでは全然足りなかったわけだろう。もっと正確に、もっと正しく、もっと適確に、誤解や勘違いの入る余地などないようにと真剣になった結果、ゼロと一の間にも多くの目盛を打つ事になった。
また話がずれた。 だから要するにだ、先に考えてた事を後から考えた事が矛盾するとして、しかもそれに気がつかないなんて事は、普通人間としてなら当たり前にある事だと思うねん。人間はキャラじゃないからな。でも架空の物語における人物像の叙述された内省としては、そうでかい矛盾があっては問題じゃないかとも思う。これが生身の人間で、たとえば自分だったら、三ヶ月も経っていれば前に考えてた事は忘れてる自信がある。その時は「こうだ!間違いない!」と確信した事があっても、五分後には「間違えたかも」と思う。
相手の顔色を見たりしても考えが瞬時に変わったりするだろ。ミーティングで、 「私はねー、それは違うんじゃないかと思う。それは法律に抵触する行為じゃないのか。私はそう思うんだけど。大体私達の職分において求められる事は…、(略)できる事とできない事があるだろう。もしそうするのならば顧客は(略)となり、(略)となれば、(略)となりがちになる、だろう?私はそう思う。ならばそれは必要ない。たとえ要求され、何故できないのかと顧客の不満を抱かせるとしても、妥協すれば第一に法に反する可能性が高い。やってはならない事だ。やらないのが当然だという雰囲気にもっていく必要がある」と延々と語り、別段説得する気はなかったのだが、一応こうミーティングだし、ちょっとぐらい自分の考えを言わないといかんのじゃないかなーとか思って。そしたら会が終った途端に中の一人に「私にはもうできません!」と号泣されてしまい、
チーフ「それは考え方の一つに過ぎないんだから!ね?!」 わたし「そうです!ただ私が勝手にそう思ってるだけで!もう全然どうでもいい事なのよ!寝たら忘れればいいようなもので!」 ひと「違うの!私は何もわかってないの!何もできてないんです!」 わたし「できてるって!すごく一緒にやりやすいって言ってる人だってたくさんいるし、頼られてるよ!ね!?」 チーフ「そうよ!考え方はいろいろあるの!ね!?」 わたし「色々あっていいんです!ね!?」
と、こうなってしまったのだ。やっちまったかと青ざめた。頭の中で脳内お宮が歌いまくり。 ↓ お宮「やーちゃったー♪やっちゃったー♪せーんせーに言うたーろー♪」 貫一「や、やってない!た、ただ私は自分の考えを述べただけで…!」 お宮「それがいけないんだよぉー?おまえなんか一生黙ってろ人間の屑がー」 貫一「だ、だって自分の考えを口にするぐらい。ぐ、グループミーティングだぞ!?自分の考えを発言しなければ」 お宮「自分の考えを発言して?で?ちゃんと考えてるのねって関心してもらいたかったの?さすがに屑は違うわね。口調を柔らかくゆっくりに、相手の発言を待って、相手に優先的に発言させ、それを優先的に受け入れる余裕を忘れてただろーが。黙りなさい。あなたは同じ地位と同じ立場の人間に上から指導するような口の利き方をしたのよ。そんな大そうな人間でもあるまいに、人として恥ずかしくないの」 貫一「く…お、お宮、きさま」 お宮「甘ったれないで。言い切るような言い方は危険だ、するべきではないと私は声をかけた。聞こえたな。だがおまえは留まろうとして結局無視した。己の考えを語る事が、考える事が楽しかったんだろう?相手がそれを得て己自身に何を見るか考えなかった。いいや、故意に考えようとしなかったのよ。十分に大人なんだから自分の中で処理できると信じて、それほど慎重に考える必要は無いと断じた。本当にそう判断したか?違うね。それは言い訳にすぎない。楽しかったからだ」 貫一「わ、私は全力で、切り崩そうとした、わけではない!本気ならもっと徹底的に言っている。わかるはずだ。途中でちゃんと、何度か自分の個人的な見解に過ぎない事は強調したし、逆の見解だってあげてみせたんだ!」 お宮「バカが!足りなかったのよ。見るがいい、ボケが!おまえの糞の如き思考と価値観を丸飲みしてしまったぞ。わかるはずだ?言葉を繰るものが甘えるな。この人は人によってはいい加減で勝手だと謗る人もいるが、基本的に善良で素直で真面目で頑張り屋さんなんだ。何より人としての感性が豊かだ。それは対人能力の高さが求められる業種において何より重要であるだけでなく、今のこの時代に貴重な人間だぞ。人間は機械ではない。朱鷺みたいに絶滅危惧品種として大事にされてしかるべき存在だ。おまえ如きくだらぬ人間とは違うのだ。そうと知ってて何をやってるんだ。柔らかさをいい事に引きちぎる気か。理に準ずるという者が己の制御もできないとは情けないとは思わんのか!?嘆かわしいわ、恥を知るがいい」 貫一「……私は、どうすれば、そう、そうだ、先の私の考えが間違っている事を証明できて、それを理解させる事ができれば!」 お宮「今更どうするもこうするもあるか!一度口にした言葉は戻らぬわ。それだけの覚悟も無く口にした事が浅慮の極みよ。己の言動を容易く翻す事が本当に正しいと思うのか。少しはマトモに考えろ。二十年前を思い出せ。一度染み入った水を引き上げる事などできぬ。こうなって、おまえにできる事など何も無いわ!何か?今度はそんなつもりではないと飲ませて、それで満足か。言うがままに振り回す気か。ふざけるな!このSM好きーが、人の心を支配しようとするなと何度言ったらわかるんだ!とりあえず三週間ぐらいは引っ込んでいろ。おまえはバカップルやおい小説の矛盾点の調整に血道を上げて集中しておればいいのだ!余計な事をするな!」 貫一「は、はい、そうします。あの、それに関してなんだけど、あの最初の話のときと後になってからだとさ…」 お宮「なぁにぃ?おまえ、愛と矛盾の解消とどっちが大切だ」 貫一「あ、愛でございましょうか?」 お宮「ならば細かい矛盾をあげつらうな!だからおまえは屑なのだ!」 貫一「く…、も、もうしわけ、ありません」 お宮「フン。頭が高いわよ。お紅茶を持ってきなさい」 ↑ こんな具合になったほどだよ。お宮言いすぎだと思う。 パワハラ反対。 そういえば、自分で書くには殆ど初めて攻の方が位が高く、受の方が好意が強く、対外的に攻の方が能力が高いとされ評価も高い人物なので、パワハラやDVやデートDVにならないよう全精力を注ぎ、意識結集して鬼の如く注意した。それで、自分視点で鬼の如く優しい攻設定にしたら、鬼畜と優しさの境界が曖昧になった。どうして欲しいと全部言わされる。かわいそう(笑)難しいものね。でも四百五十枚ぐらい行ったら異様にラブラブになってきたからいいかー?
いや、私だって悩んだんですよ。ここの二人の凄くいいところは結構な年齢になって初恋のごとく初々しいところだと思い。初々しくしたいのだが、私がいい年齢なので、手を繋ぐだけで終らせられん。まあ平たく言うと、受け子ちゃんになんでもしてあげたいというか。しかし嫌だ嫌だでは進めんのだ。だからと言って絶対に強行はできない。もうすっごく困った。今まで私が書いてたものは、もっと爛れた人間模様が多かったのよ。同意を重視するあまりセフレから移行とか!こんな初々しいのに手を出したのは初めてで。初々しい誘い受けなんてどうすれば表現できる。人は誘っても初々しくあれるか?という哲学的な難問が。 だってかわいいんだもん。泣いたんだもん。
いや携帯小説もそうだし、二次創作もそうだけど、常々時々読んでて思ってたのよ。これはフィクションだからと思って面白楽しく読むけど、「客観的には、これ、明らかにデートDVだよね。相手の人格や意思を無視する事が愛の強さの証明みたいになっちゃってるよ」と思う時があり、こういうのを若い子が読んで感情的に共感したり理想的だと感じたりしたら、なんか違うんじゃないかなーと思う時とかがあって。いや、あのね、別に現実と妄想をごっちゃにしてるというんじゃなくて、でも書いてる側としても読んでる側としても「好きな相手がこうしてくれたら嬉しいだろうな」とか「こんな風に言われたら嫌だろうな」みたいな感覚は通念上共有されえなければ何事を表現する事も難しいでしょう。つまりバックグラウンドとしてそれを大勢が容認可能な土壌が根深くあるのだなとは常々思ってた。確かに二次創作では同性同士のカップリングも多いけど、でもそれはファンタジーとしてどちらかというと男女的役割に分担されてるでしょう。ああ、同性なら別に構わんと言いたいわけではなく。海外のはまた違うけど、日本のは明らかに攻めが男性的で受けが女性的なものとして考えられている。それは誘い受けだろうが、襲い受けだろうがそうなのよ。だからこそ役割分担が明瞭でひっくり返らないものが多く、洋物に比べてリバが非常に少ない。洋産には受け攻めなんて役割分担は無いものね。でもそうであるならば、本質的に本来ならばどちらでも構わないものが固定化されるという事は、そこに現れているのは現代の女性達に共有されている身体性を越えたジェンダーの表現であると言えないか。だからこそ気になる時があるの。文学ではないからこそよ。攻めが受けの同意も無くやる事が相手を求める気持ちの強さや切なさとして表現され解釈されたり、相手の個人的人間関係や選択に対する束縛や嫉妬や要求が愛情の強さと解釈されたりするのが。好きならこうしてくれるはずだろうと当然のように要求したり、好きだからこうするんだみたいなのが当然のように現れ、好意が理由ならば仕方ないと受け入れられるのが物凄く気になって仕方ないねん。私なら血管キレる。
現実の世の中は相手にバカとか言っただけで相手の人格を否定したとDVなんですよ。洋物ハーレクインとかはそのへん物凄く意識が高くて物凄く厳しいねん。怒鳴ったら恐怖を与えたのでDV。「どうなんだ?!」と肩を掴んで揺さぶったら、もう暴力の範疇なのよ。必ず同意の上で、強姦なんかまず絶対に無い。私はクラシカルの歴史物が好きなので「この時代にんなわけあるかー」とおかしく思う時もあるんだけど(だって中世の小説なんか読んでみなさいよ。理由も無く主人が暴力を振るったら、振るわれた奴隷は「素晴らしい主人!是非この方についていきたい!」と涙ながらに感動し、社会的に周囲は人格的に素晴らしい主人になったと褒め称えるんだよ?人に優劣は無いと既に人権意識を刷り込まれた現代人としては眉を潜める以前に大ウケだ)、でも理想的な恋愛関係だとか夫婦関係を夢描くというスタンスでならば真っ当に王道ではないかとも思うんだ。物語にはやっぱりその土地柄や民族やらの感性とか出るんだよと私は思う。フランスの恋愛小説なんか読んでみろ。バツ1だろうがバツ2だろうが、子供がいようがいまいが、四十だろうが五十だろうが、なんの問題にもならず、生涯恋愛現役意識が満ち切っている。「ママはデートなの。今夜は帰らないかも。叔母さんのうちで良い子にしててね」「私、あの人がパパになってもいいわよ」「ありがとうマリアン、愛してるわ」みたいな。さすが恋愛大国、先進国で高い離婚率と高い失業率にも関わらず高い出生率を守りきっているだけあるし、イギリスの小説なら生涯独身の人間が当たり前のように出てくる。「この人はどうして結婚しなかったの?」なんて誰も疑問に思わないし、「一度も結婚せず、子供もつくらなかったのは人としてどうかしら?」なんて疑われたりはしない。日本なら日本語には顔の綺麗な男や美しい男を褒め称える言葉が山のようにあり、衆道文化だけでなく、元々日本人は男も女も顔の綺麗な男が顔の綺麗な女より大好きで大注目なんだろうなと感心する。だって鬼や妖怪なんかに、かわいい女の子は狙われないんだけど、「かわいい男の子は狙われるから女の子のふりをさせねば!」と思ってたんだよ、親心。ついでに古典になると、十代初期の女の子にも当然のように女の色艶を感じる描写が多いので、大和男子にロリコン趣味が多い事はもはや伝統に近いと察せられるのだ。
何が言いたいかと言うと、つまり要するにどうしても意識や価値観や感性とかが出るわけよ。それを使わなければ表現できないところもある。だから私も限界を手探りしながら好きに理想を込めてみました。そしたら楽しくって仕方ない。ごめん、恥らう男が好きなのよ。やらせてもらえなくて泣いて我慢する男とかな、大好き(笑)かわえー☆そういえば私は受け攻め診断で、天然受けの隠れ鬼畜だった。
| 2008年10月04日(土) |
生きている事を記してみる。 |
三十五秒から三十六秒にかけて萌えるのに忙しくしていたら、一ヶ月以上が経っていました。
もうね、なんていうの、語る言葉が何も無いせいだ。 でもあの三十五秒零コンマちょいアタリから三十六秒あたりにかけて、一瞬眉を顰めて目を閉じていく瞬間が、ああ、どうして私はプロ野球選手ばりの動体視力を持っていないのかと己の無力が口惜しくてならない。倒立前転なんかに半年かけていた場合ではなかった。球技かなんかに熱中しておけばよかった。それだったら三十五秒から三十六秒にかけての一秒間を永遠に近い長さでゆっくりと堪能できたかもしれなかった。後悔先に立たず。麻薬を覚えさせられた猿が飯を食うのも忘れ、飢餓で瀕死の状態になりながらも命がけでバーを押し続けるように(確か報酬と行動の関連を調査した、そういう有名な実験があったわけよ。今だったら動物虐待とか言われるな。結論としては、脳は、己の肉体と生命が生存するための選択ではなく、ただ脳だけが大満足の快楽を容易に得られる選択をする傾向がある、つまり脳みそ信用ならないネ!みたいな。)、必死になってコマ送りし、己がオリンピック選手でない現実に身悶えする事もなかったかもしれない。
一こまと一こまの間、動きと動きの間が見えないよ畜生が! ……冷静になれば、たぶんセル画の枚数が見えてるそれだけしかないんじゃないかと思われるよ。 ええそんな!それって私が今からオリンピック選手ばりの動体視力を目指して特訓を重ねても永遠に見れないって事なの? そう、つまり新世界を創造するしかない。
神は七日間で世界を創造したという。 最後の一日はバタンキューで寝てたらしい。 締め切り間際の作家のようだ。
ええ、一ヶ月ぐらい休日に飯を食うのをド忘れしていたら2.5キロぐらい減りましたとも。仕事に出てれば忘れずに済むんだけどな。しかし、それもこれもその一秒の所為だ。あの一秒は酷い。かわいいを通り越して美しい、美しいを突き抜けて麗しい、麗しいを飛び越えてなまめかしい。あの一秒のためにDVD買ったらどうしよう。美人は三日で飽きると言うけれども、私は最短二ヶ月は持ちます。その一秒に対する萌えを吐くために、軽く十四万六千字ぐらい費やす感じ。十四万六千字をローマ字入力の日本語で打つという事はだよ、変換やミスタッチや「あかんわ、これは」の一括削除も含めるとしても、三十万回近くはキーを叩いたという事だろう。三十万回ってどれくらい?自分でやっておいて、今から三十万回テーブルを叩けって言われたら冗談は止せ腱鞘炎になるわと思うのに、何の不満も抱かずに幸せに、誰にも強制されることなく自ら率先してポチポチ三十万回だよ。薬中の猿もかくや、だ。
まあね、別に顔だけが好きなわけじゃないの。その一秒の顔が、顔がっていうか、あのね、ちょっと眉を顰めてゆっくり(注:心のコマ送り。現実は一秒弱)目を閉じていくの。ああもうバカ!そんな顔するな! 否、だから違うって。顔だけだったらまだよかったんかもしれんのだけど。こうね、自分で提案した事に対して、人がそれに従って実際にやり始めたらビビッて「やっぱりやめとこうか」って言い出した、あの瞬間に落雷の如く天と地を繋いだ萌えの柱は、さながらセフィロトの樹の如く…って具合で。ああんこのくそやろうがかわゆすぐる! 泣くし。 萌えの玉手箱かなんかなのだろうな。 ちっちゃいし。 あの年齢じゃもう背も伸びっこないよな。枕草子の一文を思い出します。 なにもなにもちひさきものはみなうつくし だ。
なんらの重要な重苦しく物悲しい切ない設定が一つも見当たらない、健全至極なところがまたいいのかもしれない。この作品世界で、そのバックグラウンドにおいて、その性格を獲得しえたという事はまさに奇跡って感じがする。やんごとなく、よんどころない、めざましき貴さ。 なんというか、いつもの私は、たとえるならば、真人間を人格を崩壊させることなく思いやりをもって優しく犯罪者に追い込む為には一体どうすればいいだろうか……みたいな戦いをしてるわけよ。原作の意図するところからかけ離れた捏造カップルの創作活動において。でも二人ともが前向きの努力家だとそういう困難は凄く少なくて済むか、殆ど無い事がわかった。一度レールの上にちんまり乗せてやれば、後は己が努力によって戻れぬ道を着々と前進してくれ、なんか光あるうちに光の中を歩むというか。定跡で駒を一個動かして、ここでこうしたら、次はこうきて、その次はこうきて、そしてこうなるのよねー…ウフフ、みたいな。
そんな感じで元気に生きています。
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