非日記
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2008年01月26日(土) 残念でならない続き。


ところがさ!!!!




奥さん事件です。私昨年の十一月ぐらいから、あるジャンルのあるカップリングを漁ってたんですよ。いつもようにね。これが初めにどうして見始めたのか簡単には思い出せないんだけど、まあ嵌ったわけよ。いつものようにグルングルン回ってたわけよ。好きな話があったり、無かったり、色々しながら楽しく回ってたわけよ。
件のカップリングに俄かに嵌った私は物凄〜く満足していた。
物凄〜く満足していたその理由は、ジャンル自体が少し古く(ずっと知ってたし見てた事も無いでもなかったんだけど、そのCPはスルーしていた)、ま、古いというか少しばかり年季が入っていてですね、つまりサイト数がバカに多かった。ジャンル自体もバカに多かったのだが、そのCPだけに限ってもどうもメジャーらしくてとても多かった。しかも年季が入っているので、今もやってるサイトさん各々での作品数も多かった。あげく長編も多かった。どろどろに首まで浸かっても、まだまだ底がある感じだった。

それで私はめくるめいていたわけよ。
読んで読んでも先がある。あーこのまま半年ぐらい読み続けられるんだわーと未来の果てまで見ても夢もバラ色幸せいっぱい夢いっぱいだったわけよ。明日はこのサイトさん、明後日はどこにしようカナ☆って感じだったわけよ。

それなのにさ、私…、私ったら「読んだら嫌な気分になるかもしれません」の危険性が全くわかっていなかったのですね。そんな事が注意されててもね、そのジャンルが嫌いとか、そのCPが嫌いとか、そのシチュエーションが嫌いとか、テーマが嫌いとか、キャラクターの性格の違いに嫌いなのがあるとか、倫理道徳とか感性とか常識的に個人的に許容しがたい部分があるとか、どうせその程度の事だと高を括っていたんだよ。
そのジャンルやCPが好きで見に来ているわけで、それ以外の部分においては、まあ人それぞれ色々じゃないの。読んで見なきゃわかんないし、私も年食ってるから嫌だなと思ったらサラっと忘れるし。別に現実的に何か自分に甚だしい影響、それも嬉しくない影響がびしっとあるだなんて事は木っ端も思っていなかったのよ。とても甘かった。青天の霹靂だった。



何があったかと言うと、
まあ私は読んでいたんですよ。ある日ある時、年末も近づくある日ある時にね。何気ない話だった。何気無いといったって、色々と事件や心情のつづられた話だったわけだが、その中でね、攻がね、気持ちよい感じにね、いたぶられてたのね。よくある感じだったと思う。そういう具合の話は今までにも何度も見たことがあった。なのに私は何故か凄く、たとえようもなく、なんとも言えない気持ちになった。咄嗟に「読むんじゃなかった」と思った。
別に嫌な気持ちと言い切れるものではなかった。ただ何か衝撃的な何かだった。
私はそれを急いで読み終わって、そして好みでない話を読んだ後によくするように、好きな話を読みまくったり、新しい話を次から次に読んだりした。いつもはちょっと好きではない話があっても記憶の中にあっというまに埋没していくのよ。それでいいと思っていた。

ところが暫くしても、ふっと蘇ってくるの。そのたびに何とも言いがたい気持ちになった。何がいやってわけではないのに、何かがいやなのよ。何がそんなに引っかかってるのか、何故そんなにまでそれが嫌なのか。延々と数週間ふと蘇るシーンに苛まれていたんだけど、私はさ、ある日とうとう、「ちょっとだけ」のつもりで逆CPに足を伸ばしていたんです。
それでわかったんですよ。
要するに、あの嫌じゃないのにイヤーな感じ、たとえ難い感じは、

背徳の悦び

ってやつだったのだと。
それでまっさかさまですよ。しかもそれで戻れなくなった。勿論直前まで読んでいたCPも読めるのは読める。完全リバもオッケーなぐらい。ただ、えろシーンに入った瞬間に、「違う!私がいれたいのはそっちじゃない!」と凄く、凄くですね、残念な事になりました。

逆CPはめっちゃ希少なのに!!!!(ここが重大)
それも、前CPを全部回りきってからなら諦めもついたものを、どうして途中で横に滑っちゃったのかなあ。諦めきれない。
だのに私は深い井戸の中に落ちた蛙のようです。見上げれば青空が見えるね。高い高いところに、小さいけれど青く光っているね。そこを雲が流れていくのが、遠く遠く見えるね。あそこは明るいんだ。あの入り口を出たなら、そこには広い世界が広がっている。私はそれを知っている。だって以前は、そこで生きていたんだもの。それで満足して、幸せだった。なのにどうした事か戻れない。


私は背徳感に苛まれたのは生まれて初めてっぽいですよ。
萌えるとかツボに入ったとかそういうんじゃない。

「見てしまったら嫌な気持ちになるかもしれません」→背徳の悦びを知ってしまうかもって事よな。しかもCP変わったよ。管理人さんと逆に。

すげー悲しい。少ないのが余計悲しい。
思いあまって総受けになった。
つまり見るものがなくなったので日記書きに出てきたという体たらく。

エアの♪鳥の詩♪みたいな気持ちね。
♪いつまでも変わらずにいられなかった事、悔しくて指を離す♪
だわよ。ここを聞くと本当に悔しいな。悔しさを思い出すというか。
いい歌なんだ。いい歌というか、綺麗な歌なんだけど、自分が歳食った分ごっつ切なくなるな。


2008年01月25日(金) 残念でならない。

初めて知った時には、一体そんな事があるわけかと驚いたんだが、プロの作家さん宛てでも「アンタの本を読んだが生理的に私の嫌いな話だった。こんな話を本にするな」というファンレター?(文句?)が来るらしいね。本になったのは作家のせいじゃないだろう、それは編集者か出版社に言う事なのでは?という気持ちとは別に、感想というものを述べるとすれば、それは好き嫌いとは別だろうと思っていたのだ。そらまとめれば、好きか嫌いかに大別できるものもあるだろうけど、そうとばかりも言えない、そう簡単には言いがたいものの方が多いような気がする。

学生時代に、「短いから」という理由でカフカの変身を読書感想に選び、要約すると「とにかくものすごく嫌な気分になった」と書かざるをえなかった事もあるが、そうとしか言えなかったのに、いまだに時々内容を思い出してはブチブチ色々考えちゃう事もあるわけよ。好きか嫌いかで言ったら、大嫌いだと言いきれる。カフカの小説はまんべんなく皆大嫌いだ。カフカの研究をする文学者はイイ根性だと感心する。

生まれてこの方最高に嫌な気分になった小説をあげろと言われたら、まずこれなんだが、だからといって私はその時も「カフカめ」とは思わなかったわけだ。短いからという理由で選んだ自分を責めはしたが。
もし「読書感想文を本を読むところから初めて睡眠時間も合わせて後二十時間以内に書かねばならない」というところまで愚かにも追い詰められて無かったならば、嫌な感じを抱いた時点でさっさと読むのを止めただろう。映画でも小説でも漫画でもアニメでもそうだけど、好き好んで嫌な気分になりたがる習性は無い。

何かを読んで、うっかり微妙に嫌な気分になる事も無いでもないけど(しかしカフカほど嫌な気分最高潮に達した事は無い)、それは運よな。だって結局、実際に読んでみなければ好きか嫌いかわからんのだし。それは、緻密な計画を立てて事細かく予想を立て、万が一にも失敗しないよう最大限の注意を払っていようとも、現にやってみなければ上手く行くか、どえらい失敗をするかわからない…という現実と似たり寄ったりで、リスクを負うのが嫌なら、少しも失敗するのがいやならば初めからやるな、成功したいなんてハナから望むなって話だろう。
だから読んで嫌な気分になりたくないんだったら、初めから何一つ読むべきではないわけよ。椅子に縛り付けられて目の前で朗読されてるわけでもないんだから、「嫌な気分にさせられた」と文句を言うのはお門違いだと私はそう思うところがあるのだ。
アレだ。
クーリングオフが適用されるのはどういった場合か、みたいなものよ。確かテレビショッピングやインターネット通販やカタログ通販にはクーリングオフは適用されないのよ。確かそうだった気がする。なぜかと言うと、まず第一に「それを見ない」という選択肢があり、最終的に購入に至るまでに判断し、考える時間があり、自分の意思で自発的に購入を決定したとみなされるからだ。それは購入するまで居座って帰らないとか、どこぞに連れ込んで書類に記入するまで帰さないとかのキャッチセールスや訪問販売とは違うだろう、という理屈だった。

そういった感覚があって、自発的に本をとり、自発的に読んだわけだから。感想の中の一部としてではなく、作品を否定する意味合いで「私はそれが嫌いだ」とわざわざと製作者、この場合は作家に伝えるという心持ちがよくわからなかった。それで何を望んでいるのかがよくわからない。どうして欲しいんだろうと不思議に思うところがある。

そりゃね、友達とかその辺の人とか日記とかブログとかには言うだろうし書くだろうよ。私はこの辺も昔は意味とか必要性がよくわからんかったんだが、要するにコミュニケーションというやつだ。


プロの作家にすら「嫌なもの読ませやがって」という文句が来るぐらいなのだから、書き手と読み手がより近い同人サイトの入り口で、「見たら不愉快になる可能性があります」と当然の事を逐一律儀に警告するのも当然なのだろう気もする。
これは読み手を守るためというより、書き手を守るための一行という気がするよな。読み手側に注意を喚起するのならば、傾向やジャンルといった部分の説明だけで十分だろう。
「アンタは嫌いでもあたしは好きかもしれないだろ!」と思うと、不用意に作者に文句を言われて書き手がやる気を無くしたり、悪い事をしたと思って自発的に閉鎖されたりしたら私の損失はどうなる。ちなみに、件の文句を言われた作家さんは、だけどプロだから生活も掛かってるし、好意的なファンレターもあり(書籍になったという事は出版社側、もしくは編集者は少なくとも面白いと思ったのだろうし)、続きも書かれて文庫化までいったんだけど、でも同人サイトは素人ですからね。それで食べてるわけじゃないし、生活の中から自発的に時間を取ってやってるわけで、しこたま文句を言われ嫌な気分になりながらも耐えてやり続ける気概でいて欲しいとは望めない。

かといって私は、よく同人サイトで見られる注意文のここについて、つい先ごろまで真剣に考えた事は無かった。
好きだからさ迷っているわけで、好きだから覗くわけで、嫌な話はいやだなと思ったら直ぐ逃げるし。
それに私は、「こういう話は嫌い」とか「嫌な気持ちになる」というのが現に読んでみないと簡単に分類できないのよな。「死にネタはたまにしか見ない」とか「軽めのコメディアスなのが好き」とか「シリアスでも執念深くハッピーエンドだけ搾り取る」とかいった漠然とした嗜好はあるが、だからといって、「そうだったら絶対に大丈夫」ではないのよ、私。どこがどうとは言い切れない、ものすごく細かいところにチェックが入る。大意やキャラ設定や話の流れは大体同じような感じに見えるのに、こっちは嫌だがこっちはオッケーとかがあるのよ。

そういう具合に、私の嗜好は事細かく、簡単な説明文やコメントでは好きか嫌いか、読んで嫌な気分になるかならないか全くわからないねん。オバサンのせいか、こう事細かいので、大体コメディとか軽い話ってのを好んで読むんだけど、コミカルなら絶対オッケーかというとそうとも言いがたい。つまり読むまでわからんので、「見たら嫌な気持ちになるかもしれません」という注意文一行を真面目に気にした事も、深く考えた事もあまりなかったわけ。
何が言いたいかというと、ここに戻ってきたかった。


2008年01月02日(水) 明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。
今年も動かざること山の如しのような気もするんだが、どうかな。新年から早速後ろ向きだが、でも愚図は治さねばといつもすごく自分で思うのよ!…ただ八方美人とその場凌ぎと多情ぶりは治らない気もするので、多情すぎて手が回らずに薄情になるのも治らない気がする。「とりあえず好きになる」なんてのは止めようと思うんだけど、一瞬でも目の端を掠ってしまったらもうダメなものなのよ。


昨年末までにメールアドレスを変えようとしてたのですが、人様の事情で一月いっぱいは変化無しになりました。変わったら「変わったよ」と言います。うん、私の方が予定を忘れてしまいそうだ。


二年ぶりに実家に戻ったところ、会うのは一年ぶりなのだが、オカンはやっぱり進化を遂げていました。一所に留まるという事を知りません。

家中に広がる新聞紙が出迎えてくれました。
うん、ありとあらゆるものに新聞紙がかぶさっていてね。ちなみに食事のさいには全ての茶碗にティッシュやラップがかかっており、その隙間から素早く食べ物を取り出さねばなりません。
何故そんな事をしているかといえば、上の階の人間が床板(うちの天井板)を突き破ってゴミを落としてくるからなのだそうです。すごい超能力者一家です。
「電気も付けずに男二人でこそこそいやらしい事ばっかりして!」
腐りきった私が一体どんな同棲愛夫婦かと思ったら、単に親が旅行中に留守番してる兄弟だった。兄弟となるといっそう卑猥だが、「こそこそといやらしい事をする」というのは、「具体的に何かわからないけれど悪い事をやっているに違いない」という疑心の表現だった。困った事に、ママンは疑った事は疑った時点で事実に脳内変化する人間なので、素晴らしく人聞きの悪い「事実」が製造されていました。
「ほら!また髪の毛を落としてる!上の階から(天井を突き破って)パラパラ落としてくるのよ!」
聞いてるとなんだか妖怪のような所業だ。しかしそれはおまえの髪だ。

弁護しますが、ママンがそれでも人生を私達親子にだけ迷惑をかけて生きていけるのは、どういう思考回路かわからないが、その自主制作物語を当該対象者のみならず家族以外の他人一切に秘密にしてひた隠すからです。

ぶりぶり怒りながらカーペットを掃除するコロコロ転がしてテープで取る掃除道具を中毒患者の如く終始コロコロ転がしていました。楽しそうで結構な事です。
「トイレに行ったら温泉に入らねばならない」というニュールールの為に、一日に三回も温泉に入って疲れ果てました。風呂は汚いから入ったらいけないが、温泉はオッケーらしい。
ちなみに外出先でトイレに行くと、一生懸命水溜りを探して靴の裏を洗っていました。あんまりあほらしくて微笑ましい光景です。
お互いの布団にゴミ(糸クズや使用済みティッシュ)を「何しよるの!」「やめてよ!」と罵りあいながら突っ込みあっていて、大そう笑かしてくれました。主観的には「笑かすわ、この人ら」ですが、客観的には「恥ずかしい人達!」と思います。


そんな不思議ワールドがリアルワールドであった世界から帰ってきた私は、今日から最大公約数的現実に鋭意戻らねばなりません。いつもこのシフトの瞬間に眩暈を覚えるね。異空間から異空間へ移動。
「おうちに帰って(親に)甘えておいでねー」
とか、オバサン達は言ってましたが、私は年がら年中「一緒に過ごすのは年に一回ぐらいでカンベンしてくれ」と甘えていますよ!


やぐちまさき |MAIL