非日記
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2007年11月22日(木) 酷い目?にあう。

今年も健康診断の季節がやってきました。実は楽しみにしてる健康診断。またもや人生初めての検診を受け、痛い目にあって来ましたよ。今年は乳がんの検診で引っかかってみて自費で上乗せしてプラスαの検査を受けたり、例年に無く充実した内容となりました。

そこで面白おかしい事があったので、早速人様に
「健康診断で酷い目にあいました☆」
とメールしたところ、
「またマンモで乳を挟まれたのか?」
と返信が来ましたが、うーもー違うのよ!今回はもっと凄いんだから!グレードが違うんだからね!

ところで
今ヤフの特集で「ねこ鍋」特集をやってますね。ねこ鍋ってなんだと覗いて
めろりんラブです。

ちょ…ッ…ねこ、なべ…っ!

愛おしくて気を失いそう。
猫好きにこんな鍋見せたら、抱えてダッシュで逃げる。そして路地裏でそっと地面に置き、その前でアッラーの神に祈るような姿勢で悶絶する。


2007年11月18日(日) ボジョレが出ましたね。

しかし私は40℃を乗り越えたワイルド…というかヤバイというか終ってるな赤を飲んでしまわねば、次を買う気にはなれません。いや此間水周りの掃除中に「なぜこんなところに未開封のワインが…!?」と発掘したねんよ。
発見した時の気持ちと言えば、

「…ヤベッ!」

当然の事ながら安物なのに、しかも日本で夏越えさせてしまったよ。アハハウフフ。
慌てたものの、よく考えてみるとうちにはワイングラスがあっても栓抜きは無い。替え栓はあっても栓抜きは無い。毎度の如く缶切に付属のコルク抜きで開けました。頑張って飲んでます。うーん…本当はどんな味だったのだろうか。絶対に変わっている自信がある。
これは去年ボジョレーヌーヴォーが出た遥か後にスーパーの売り場で輸入ワイン市をやっていて、「今年もボジョレー買わなかったなー」と思った所為もあって、主にラベルが可愛いいという理由で衝動買いしてしまったもののような気がする。確かオーストラリア産で(だってカンガルーが跳ねてるよ)。
そういえば、最近、葡萄ジュースでカベルネ種使ってるの多くないかな?葡萄でカベルネといわれると即「赤ワイン」という感じがするのだが、何故か最近よく葡萄ジュースの頭にカベルネ使用と書いてあるような気がせんでもない。で、見るたびにワインが売れなくなったのかなという気がしてしまう。


こんな事があった>
就業中に手が空いたのでですね、やってきたお客様と世間話してたんですよ、私。接客は仕事の一環なのでね。で、私は仕事ができたので「それでは」とその場を離れたのです。
すると後で職員に呼び止められましてね、
「矢口さん、凄く大きな声が聞こえてましたが、さっきの人と一体何を話してたんですか?(お客様に)何か怒られていたんですか?」
と問われたのでございます。
「はあ、別に怒ってませんでしたけど。別に普通の話で、最近の気候についてとか。怒ってたんですか?私と話してた時には別に怒ってる風ではありませんでしたが…」
「本当に?あの後彼の血圧が200を越えてて…」

すげーな、地球温暖化は!?


2007年11月07日(水) 休みごとに掃除中。

最近休日ごとに熱心に掃除をし、それが為に休み明けはやつれています。
特に先日の流しの下の清掃作業は、精神修養でした。ものをどかす際に躊躇う指先を叱咤し、「ハッ!」とか「でやッ!」と気合を入れてしまうという。いるかもしれない…と恐れているからです。
それもこれも先日、またもや屋外で黒色の神秘の生命を見たからですよ。
今夏うっかり深夜遭遇し、うっかり言いたくない事をしてしまって、人類として生きてはいけないような心持ちになってから、ただ闇雲に自分の怠惰さだとか不衛生さを責めていたわけではありません。次の再会にそなえ、あやつらの生活と習性について調査を続けていました。敵についてよく知らねばならぬと孫子も申しておりました。

それでわかった事は、全く敵はあなどれぬという事です。
昔どこぞの研究者は、「台所で遭うとこれほど恐怖にかられる生物はいないが、その同じ生物について研究対象としてなら、これほど興味をひかれる魅力的な生物はいない」みたいな事を言っていましたね。
その研究者達を虜にしてきた魅力…というか絶望の一端を知った次第です。
人間に換算すれば、その逃走速度は時速320キロ。
僅か1ミリちょっとの隙間があれば潜り込め、一度の交尾で一生分の精子を確保し、空気が無くても数時間は耐えられる。生物進化の極に至り、この地上に三億年の栄華を営営と築いてきた地球最古にして最強の昆虫。
カッコイイですね。
ゆくかわのながれはたえずしてしかももとのみずにあらず。くにやぶれてさんがあり。しろはるにしてそうもくふかし。しょぎょうむじょうのひびきあり。しかし三億年、常にそこには黒かったり黒くなかったりする影があったのであります。(黒くなかったりする影=ごらんになりまして?アマゾンのゴッキー、輝く七色だぜ?)ぶち殺したくなりますな。
…ことによっては人間もガリガリ食べるそうですよ。
イエー
彼らが滅びる時には人類も遥か以前に滅びているであろうと言われるだけありますな。
よって烽火三月にいたります。

一人暮らしもン年になり、台所から三十センチの距離での就寝もン年になり、だんだん耐性がついてきてる気がしますよ。しかし屋外で発見した時、うっかり動揺してしまい、「彼にもきっと悲しむ家族が…」とかどうしようもない事が頭を過ぎって手が…というか足が出せなかった事が口惜しいのです。「次は踏んでみせる」と決意を新たにしましたよ。



ところで最近またABC殺人事件を見ました。
この話はポワロさんの中で一番好きかもしれない。キャラが好きなんだ。誰とは言わないがABCさんが好きなんです。か、かわいー!って感じに。
この話は推理小説としてアクロイドやオリエント急行に並び、いかにも有名なので子供の頃にも読もうとして何度か挫折しました。なんでこんな面白いものが読めなかったのか後になったらわかりません。一度は図書館から借りた本の初め数十ページが無くて嫌になって諦めたとか、一度はレンタルで借りたビデオの始まり数十分が映らなくて嫌になって諦めたとか、その後も複数回運命の妨害があった記憶があるが、読んだら、「これは確かに面白い」と素直に思いましたよ。
これが横溝正史なら、どれだけ人が惨殺されていようが最終章の章タイトルが「大団円」となっているだろう大団円ぶりがお気に入りです。

しかし横溝では大団円じゃないかもしれないな。
私、横溝正史の長編を並べて最終章タイトルチェ〜ックしたことあるんですよ。だってどれもこれも人が次々と陰惨に惨殺され、事件自体は必ず解決するのに、一体彼的には何が大団円で何は大団円でないのか、その境界線は何かが悩ましいじゃない。で、数タイトルをざっと並べた直感的には、どうも事件進行に沿ってほのかなロマンスも進展し、最後めでたくくっつくか、若しくは憂いが晴れて幸せになるカップルがいると「大団円」になってる気がする。
つまり横溝的には、その背景がどれだけ陰惨で陰湿でジメジメした血みどろの連続殺人事件であろうとも「そして二人は末永く幸せに暮らしました。…おしまい☆うっふふ〜(*^-^*)」気分でいるのではないかと思われ、そう勝手に推察しては「あらやだ、もう!かわいーヒトなんだから!きゅん!」という気分になり、その無垢なる無邪気さに横溝大先生を益々好きになるのだ。
まあ章タイトルは編集者がつけたかもしれないが、まちがいなく横溝先生はミステリ作家としては結構なロマンス好きに分類されると思う。しかも切ない系と純愛系が殊に好きなようだ。


最初は辛かったのに後年読んだら凄く面白かったというのは、清張の点と線もありますよ。
これも有名なので今よりも素直だった子供の頃に読もうとし、これは妨害が無かったにも関わらず辛くて挫折した記憶が生々しく残っています。その後、別の清張作品を読んで私的にイマイチだったので清張は避けていた事があったのだが、縁があって再チャレンジする事にしたのでした。そしたらこれは本当に面白かった。何が面白いとは言いがたいが、あんなに読みづらいと感じたのはなんだったのかと思うほど滑るように読みやすく、しかも面白かった。たぶん自分がトシ食ったんだと思う。ついでに私の事なので、たぶん主人公?の刑事さんがかなり好きなのだと思われるよ。
刑事さん同志の手紙のやりとり、その手跡がどことなく「まあこの人達、仲良しさんになったわね」と女心をくすぐるのです(←殴)。いやあのね、ちょっと遠方の若い刑事さん?なんかが、主人公のベテランのオッサン刑事に手紙を書いてくるのね。昔の話だから、なんでもかんでもFaxや電話やメールで軽やかには進まないわけよ。おかしいと思ったオッサンが地道に足で捜査していき、二時間ドラマみたいに急展開はせず、ページをめくると数週間数ヶ月経ってたりしる中で、「その後いかがでしょうか。私も色々考えてみたのですが」と状況や情報の共有や伝達をしあうのが個人的なお手紙なわけですよ。その手紙の端々に、職業上の義務を越えた個人的な情熱や疑問や真摯さが垣間見え、とてもかわいいのです。若い刑事さんが触発されて事件への目や執念を学んでいく成長ぶりとか、なんか色々なものがバックに流れてる感じがイイのです。ミステリとしては事件自体やトリックは割とあっさりしてるんだが、「これならできる」とか「これならやろうと思うだろう」というリアリティぎりぎりの感じが落ち着いた雰囲気でよい。社会派と言われる清張特有のにおいも香るけれど(昭和をひしひしと感じる)、鼻に付くほどではなく、程よくて、物語としてスマートに完成してる感じがする。
まあ色々好みだったわけよ。

これが今度ドラマ化されると知り、どうやら新聞広告を見たら主人公?役が結構ハマってる気がし、「おー、いいじゃんいいじゃんイケてるよ似合う似合う」とちょっと楽しみだった。
でもこの地方ではやらなかったりする。私がとってる新聞は全国紙なので、テレビ欄に放映されない番組がよく大々的に広告されてるのだ。


2007年11月06日(火) まだ買い換えてない。

というわけで、やはり今年もダメでした!お誕生日おめでとうございました!(>五日)
もう!もー!もおー!
私はいつになったらやるべき事とかやりたい事をやるのかしらね!?本当にもうどうしようもないわ!
…と、他人事の時点で永劫に無理な匂いがします。だって!どうしたらリアルに切実に生々しく感じられて必死になれるのかわからないわ!(しかしこの場合、人様の誕生日を生々しく感じるなどというのは、それは一体どんな時だろうかと思うと、あまり良いことではないような気もしないでもない)



ああ言っておいて、まだキーボードを買い換えてないのです。

このキーボードを使用中どのキーを押してもまるで反応が無くなる時には、コントロールパネルを開いてみても「キーボードは何の問題も無く動作中」と言われてしまう。
これで弱っていたが、そういう時には、おもむろにデバイスをポートから取り外し、デバイスマネージャーで使用していたデバイスを削除する。すると必然的に再起動する。しかし当然キーボードは無い。そこで一度PCの電源を落とし、さらにコンセントを抜く。そこでキーボードを再度USBポートに接続。コンセントを入れ、電源を入れ、PCを立ち上げる。するとPCはいつの間にか自分にくっついているキーボードを発見する。そこで何か許可を求められるので「よしなんだか知らんが勝手にやれ」とゴーサインを出すと、購入時についていた以前のキーボード、現在のキーボードとはメーカーからして縁もゆかりも無いキーボードのドライバをどこからともなく再インストールする。そして再起動。すると(コントロールパネルで確認したところ、製造元もキーボードの種類も何もかも勘違いしたままで)立派に動く。普通に動く。
しかし電源を切ってもう一度つけたらもうダメらしい。

という事が、経験によってどうやら判明したのだ。
しばらくこれで行ってみようと思う。



ちなみに、
あらためて思ってみたが、「地震の時にはまず火を消せ」は関東大震災の所為かもしれない。あの時代に比べれば、今は道路の幅もいくらかは広くなり、民家の壁の耐火性能もあがっているのだから、そこまで地獄絵図的に燃え広がったりしない…ハズだ!となったのかもしれない。「耐火テストを誤魔化してクリアしていた」とかいうニュースもあったけど。


2007年11月02日(金) ぎゃお

ぎゃおで一週遅れに00をやってるので、試しにチラッと見ました。
ちなみに第一話でわかったのはあいはぶこんとろーるだけです。
長い話を真面目に見るのが苦手というのもあるが、何かが実に恥ずかしいので、つい第二話を見逃しました。
なんだろ。男と女の見分けがつかないからかな。
とりあえず、第一話からパツキンの兄ちゃんが恥ずかしくて大注目です。一目見たときから「あら、かわいー☆」と思いました。こちょこちょしたい愛らしさです。嫌がることしたら(されたら)凄く可愛いと思います。あたしにはわかるの!なんかかわいいなー。何故か私のツボを押してくるのよ。普段はマゾマゾしい隠れ鬼畜の抑圧されたサド心をくすぐるというか。私の第六感がやつの二の腕は甘いぞと訴えているのです。きっとあれがヒロインに相違ありません。
主人公はとても嫌なやつで何かがとてもムカつきますが、ラブリーな彼の嫌がる事を色々してくれる事を絶賛期待します。


ちなみに某嬢の誕生日は私が気づくのを待ってたんですって!酷い!
「勝った!」とか言われた!


2007年11月01日(木) 今年もこの時期がやってきました。

反省月。一年間の自分のダメさを反省する月です。反省だけしてます。反省なら十二月にすれば良さそうなものだが、同人活動?というか更新?というか屋内活動?に関する一年の区切りが、なんとなく11月5日になっているのです。この11月5日が差し迫ってくると、先の「もう十一月じゃないの!」から、またもや一年間が安々と経ってしまった事に気がつくのでした。
今突然思い出したが、今年の十月の誕生日の人にお祝いメールを送ったであろうか。絶対に送ってない気がする。今年は九月の末から先月まで忙しなく比較して活動的に生きていて、一息ついて気がついたら今だった。
…あたし、負けたのね、時の流れに。
あー畜生悔しいなあ。
切ないので過去に向かって言っておこう。おたんじょうびおめでとーう。

ところでここンヶ月、元から動作が怪しかったPCのキーボードがますます怪しくなりました。十回に付き一回ぐらいしか作動しません。
やはり千円台がいけなかったのか。
聞いた事も無いようなメーカーだったが、その上に、メーカーでも生産が終了しサポートも終了しているので今更どうする事もできない。時々思い立ってはコントロールパネルを弄ったりデバイス接続しなおしたりし、一瞬繋がったら安心して放置、翌日にはまた反応が無くなり頭を痛めるというその日暮らしを延々続けています。
うん、先月の二十三日は久しぶりに繋がった日だったんだよね。そんで慌てて日記を書いてみたが、その前に遅ればせながら誕生日おめでとうと打っておくべきだったか。いただいてたメールに返信もやっと先日やりました。

マウスは動くのでただサイトを遊覧するだけなら別に問題ないんだが、キーボード無反応で何が困るといったら、検索ができない事とパスワードも打ち込めないのでログインできない事ですよ。どこかに五十音とアルファベットと数字を全角と半角でコピーしておくべきだ…と、毎度思いながら何もしてない。
もういい加減買い換えるべきだろう…と、誕生日を突きつけるメールを送信し忘れた事を思い出した今思いました。意識して覚えてさえいれば携帯のメールでも良かったのに!
う、だって最初のキーボードが思ったより早く壊れたので、つい頑張りたくなってしまったのよ。


そういう具合で先月はろくに日記が書けなかった。忘れないうちに書こう書こうと思いながら書けなかった為に、何書くつもりだったか忘れた。

あれはもう九月の頃だったように思う。
地震の際に「コンロの火は消さなくていいから逃げろ」という方向に国の方針が変わったのは。この「地震の際にはとにかくまず火を消せ」というのは、昔から延々と続いてきた「身命を捨てても周囲に迷惑をかけるな。大惨事の原因になるぐらいなら死んだ方がマシだ」ぐらいの平凡な日本人の意気込みから派生していたのだと思うの。だって明らかに地震の際に火を消そうなんて無謀だろ。危険な行為である事は実例が伴うまでもなく明々白々だったと思うのです。なのに何故それが延々と言い伝えられてきたのかと言えば、この間高速バス車中で後ろの老女達が言っていた「うちは確かに借金だらけで、うだつの上がらない家だった。でも!うちは人様に顔向けできないような事は、万に一つもやっておりません。それだけはやっておりません。それが誇りでございます」みたいな身上がそこにあったものと思われるのよ。
この「身を顧みず火を消しに走れ」というのは、きっと放火はまず死罪で、延焼を防ぐ為に隣近所の家はぶち壊すのが当然で、消火活動のメインは隣家の破壊だった江戸時代あたりからじゃないか…と私は睨んでいたんだけど。
それがついに、公的に「自分の命と体を守る事だけ考えろ。とりあえず後の事は構うな」になったのよ。

この時代の空気の変化、凄いと思わない?!

てゆうかね、皆それはわかっていたと思う。火を消しに行くのは難しいとか、火を消しに行ったら危ないとか。だっててんぷらでも作っててぐらんなさいよ。鍋の前に立っていようとも、ぐらぐらガタガタとコンロも鍋も揺れていつひっくり返るかわからず、熱せられた油もいつ降りかかるかわからない危険極まりない鍋の直ぐ下に手を伸ばせというのよ。火中に手を突っ込んで、体の焼ける激痛に耐えながら意志の力で克服し、そこで冷静に何かをなしとげろってのよ?もう「やむをえん!体表数パーセントは捨てる!」覚悟だよね。それだけの覚悟で火を消しに行くのよ?
ここはてんぷら油がぶちまけられ、それに引火して一気に燃え上がる事を考えて、もう家と地域は捨てて(比較的大きな地震の際にいつもどおりに消防車が来られるとは限らない)飛びのかねばならんよな。頭から油を被ってそれに引火したらオシマイだよ。

ただ、世間で漠然と思われ個人の基準で判断していたところが、「防災の心得」として訂正された事に神妙な気持ちになった。
一つは、「我が身に構わず火を消しに走る(そして怪我を負ったり亡くなった)」人が現にいたって事だろ。それから「理由はどうあれ、そのように行動することは愚かだ」と判断される時代になったって事だろ。あげく、実際に「こうすべき。こうしろ」と上から(公の情報として)宣言されなければ、大半の人は自分で判断をしない、また「こうしろという事になっていたのでこうしたという結果なのだから、こうしろと言ったやつのせいだ」と訴えられる確率が上がったという事じゃないのかしら。大地震があって火を消そうとして焼死したり逃げ遅れた人がいたら、「公的に地震時にはこのようにすべきだと指導すべきで、それは以前から明らかだったのに、事ココに至るまで何らの手も打たなかったとは怠慢でしかなく、人の身命を軽んじている」と非難追求される事を想定しているんだなーと思ったのです。
違うのかな。

でもこういう安全の類は、案外勝手に信じてたりする。
IHのコンロとか。私はあれは火事にならないものだと思ってた。だから親が年老いたら普通のガスコンロじゃなくて、ああいうのにしろと推奨するつもりだったんだが、しかしよく考えてみると電気ストーブだって火事になるわけだものな。鍋の下に火が見えないから、かえってつけてるかどうか忘れてしまいそうでもある。「火事にはなります」と書いてあって、言われてみれば「それもそうか」だ。
「危なくなったら自動的に切れます」の類でも、万が一の事故だってあるわけだしな。「〜します」「〜こうなります」とマスデスで言われると、そういうもので、そうならない事は絶対ありえないんだと無意識に思ってしまう。
手術時の麻酔だって、人によっては僅かな麻酔で死ぬこともあるわけで(私は歯医者の麻酔で酷く心拍数があがった事があり、てっきり緊張してるのだろうと勝手に納得していたら、「それは麻酔が体に合ってないのだ。直ぐに言え」と後で怒られた。歯医者の麻酔で死ぬ事もあるらしい。それは実例を知るまで知らなかったし、それまで歯医者に行って死ぬ事があるなんて思いもしなかった)、九百九十九人には大丈夫でも希少価値のこの人にだけは使ってはダメな一人かもしれないのよな。難病の治療薬でも、九百九十九人には効かなくても、残りの一人にだけはメチャクチャ効くって事もあるのよな。

それで親父さんなどは医学は科学ではないから信用しすぎるものではないと言っていたものだが、では医学は本当に科学ではないのか…と言えば果てしなく微妙だ。科学を名乗るのであれば、同じ条件下で同じ事をすればいつ誰がやっても同じ結果にならなければならないとかなんとか。しかし個人の肉体というものがある限り、「同じ条件」ではありえないよな。細胞クラスの段階では同じ条件になれるが、総体としての肉体となると。
これが毎度不思議だ。
細かく分けてみていけば同じになるが、その同じ物が合わさった状態では違うものになるのよ?実に不思議。

うん、大体ね失敗が人間を形作ってるようなきもせんでもない。
人と話してて、「私は明らかに製造にしくじった痕跡がありますよ」「私もー。これは絶対に製作途上でミスったんだと思う!」ってのは結構ある。
私の親指だけ逆に曲がるところとか、生まれつきある痣とか、設計図通りなのか設計図のコピーで失敗したのか設計図の再現中に間違ったのか明らかでないが、やっちまった感溢れてる。
親父さんは手首の動脈がその上を覆って保護すべき骨の上に出てしまってるのよな。噂の、手首を切って自殺するためには、その血管に達する為にかなり深くまで切らねばならない…と言われてる血管が表皮の直ぐ下にあり、「危ない!危ない!」と看護婦さんにビビられた事があるらしい。「だから僕は自殺するのが人並みはずれて簡単なんだ。ここをちょっとだけ切ったら直ぐ死ねるのー」とウキウキ言っていた。
あれは胎児になるまでに細胞分裂中間違えたんだと思う(正確には間違ってる事に気づかなかったというか)。作ったのは立派だったけど、作る場所を間違えたに違いない。「まあいいじゃん。場所はどうあれ、あるにはあるんだから問題ない」の勢いでそのまま成長して還暦まで迎えるまでに。
これは人間が生きるに野山をかけまわって飯を取っていた時代には冗談ではなく命に関わるミスだったと思うんだが、今は机仕事でも生きていける時代なので格段に生存確率が伸びているよね。

結構、ミスは多発するのだと思う。で、「失敗があってもなんとかなる」事も結構あるのだと思われる。はーれくいんの歴史物なんか読んでると、よくヒロインが窮して一人で赤子を産んだりするのだが(例:夫の政敵が攻め込んできたところで産気づき、戦場から一人逃亡して焼け残った民家でこっそり産んだりする。それを夫が必死で探す。最初ツンツンから始まって最後はデレデレで終る)、その時に大抵必ず生まれた赤子の指を数えるのよな。それで「よかった!ちゃんと五本ずつ揃ってる!神様感謝します!ガク」と気を失うのよ。生まれたばかりでは脳の異常はわからないが、それにもましてまず人間の形をして生まれてくるかどうかというところから心配はあるのだとわかる。つまりそれだけ欠けたところも多すぎるところもなく五体満足で産まれてくるというのは確率の問題なところがあるのよな。
誰か産婦人科医が「最近の妊婦は受精卵が赤ちゃんの形になり、何の異常もなく生まれてくるという事がどれだけ奇跡的な事なのか全くわかってない。当たり前に正常で生まれてくるものだと思っており、何かあるとすぐ医者を訴える」とフテていた。

私の頭の白髪だが、何かの拍子で調べてたら先天性の病気?っぽい事が判明したのだ。自己免疫疾患の尋常性白斑っぽい。たぶん。治すには放射線治療とか皮膚をはがして移植する外科手術らしいよ。頭の普段は見えない一部だけが白いだけだから、「これをどうすればいい」なんて考えた事も悩んだ事もろくに無かったのだ。

しかし自己免疫疾患の一つという事は、つまり私はもう生まれながらに自ら(の細胞)を敵視して攻撃する性質を根深く持っているんだなと呆れた。アトピーもだし。
思うに、当面の敵がいなくて暇だと手慰みに自分を攻撃してしまうのよ。軍事訓練の演習みたいなものなのよ。ささいで少量の物質にでも勢い込んで、あるだけの弾をつぎ込んで皆殺しにすべく大砲撃ったりしてるに違いない。
何が悪いって胸腺の士官教育が悪いんじゃないかしら。
あまりに暇だと「緊急時を想定して兵器(免疫物質)を大量生産した。が、今は緊急時ではなかった。せっかくなので気持ちよくタメシ撃ちがしたい。こんな事ができるのは健康で平和な今しかない」となり、「前からおまえの細胞壁が気に入らんかった。そこの隙間がちょっと膨らんでるのは、私的にあってはならない事だ。死んでもらう」とか「××のメラノサイトで不穏な動きがあるという情報をキャッチした。特殊部隊を投入して殲滅する」「ちょっと罪の無いメラニン工場を攻撃するのは止めて!大体メラニンはどうなるの!?」「メラニンなんてあってもなくても同じだ。いや、無い方が良い。私は白い方が好きだ」とか、傍若無人な理由で罪の無い自己を虐殺してるに違いない。

私の頭の白いところでも、かつて好戦的な司令細胞によってメラニン手工業を営んでいた村民の虐殺が行われたに違いないよ。周囲のメラノサイトが伸びようとしても、鉄条網で覆われたメラノサイト立ち入り禁止区域なんだわ。境界に近づいたメラノサイトは「ここではメラニンの生成は禁止されている」と問答無用で撃ち殺されるの。まさに、どうして。何故そこでだけメラニンをつくってはだめなんだろう。全くわからない。歴史的な何かがあるんだろうか。


やぐちまさき |MAIL