非日記
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2007年05月25日(金) 文句をばりばり言いながら。

思い出したわ!騙されたことを!
チャリンコでの買い物帰りに突然思い出したが、そういえば私は騙されていた!結構頻繁に騙されてた!しかも時には同じ人間に、短期間に、十五分以内で立て続けに三回とか!
セメダインを固めた塊を五百円で買わされ(当時の五百円と言えば今の五万円ぐらいの価値観だ)、ジュースだと言って砂糖水を飲まされ、冗談だったと言って塩水を飲まされ、今度こそ本当だと言って塩水と砂糖水を混ぜたのを飲まされた。最後の混合水は相当に不味かった。
「おまえは誰も信じていない。自分自身さえも」
とか、亡兄は傍から聞けばなんだかカッコ良さげな事を口走っていた事があるが、おまえが一番騙したんじゃないのか!?
今日、むらむらと思い出したわよ!
「よく騙されます」等と○いで言われなければ忘れていたのだが、そんな事を言われた所為で、一体いつそんなに騙されているんだろうとつい気に係り、まあいいかと放り出した疑惑が私の手を離れて記憶をサルベージしてきて、とうとうむらむらと思い出してしまったわ。


気がついたら、レンタルしてきた映画を返す前に同じものを中古屋で買ってきて暇さえあれば眺めてる自分がいた。あー…あ〜…私ったら何やってるんだろう何やってるんだろう自決したい(直ぐ人生を清算したくなるのは悪い癖です)。
今も大枚はたいてDVDといっしょに買ってきたサントラを流しています。ダメだ、自決したい。
そんなに嫌なら見なきゃいいだろうとか、なんで買ったんだとか当然思うんだが、私のことだからコールドターキー式に暫く自分を家に転がしておけば気分が平静に戻って別に欲しいと思わなくなるとわかっちゃいるんだが、…違うの!だってごっさ可愛かったんだもの!話にならないわ。

大体結構な以前から気にはしてたんだが、数ヶ月前に人にブツブツ言ってたやつです。
「…という映画があってね、ちょっと前のなんだけど、もうずーっとすご〜く見てみたいのよ。私が物凄く好きそうな感じでしょ。一番好きな感じだろ。めちゃくちゃ好きな感じなのよ」
「ホホホ!そうね」
「でも実際に見たら絶対に駄作だと思うのよ。凄くイロモノっぽい。二流三流の匂いがぷんぷんするわね。見なくたってわかるわよ。見たら、なんだこんなのかとガッカリする、つまらん映画に決まってる。まだ期待して夢描いている間の方が遥かに傑作だと思うのよ」
「ホホホ!そうかもしれないわね」
「絶対にそうだと思うの。見たらくだらん映画なのよ。あんなものは見るもんじゃないと思うの。大体ね、なんだって戦ってる最中に目が悲しいとか言い出すわけよ?戦ってる最中の目は殺意に満ちているに決まってる。戦ってる最中にどんな感じの目かとか悠長に感想を抱いている余裕なんかあるか?こいつぶっ殺すとか考えるだけだろうが。大体戦ってて頭にカーッと血が上ってというのならわかるけど、なんだっていっつもかっつも皆揃って悲しい目なわけ?そんな甘ったれたふざけた気迫で人が殺せるか。それなのに誰も彼も悲しい目をしているのよ。おかしいと思わんか。変だわ。おかしいわよ。ふざけてるわ」
「言われて見ればそうかもね(笑)」
「此間恋人はスイーパー(?)を見たわけよ。姐さんが好きだって言ってたでしょ?あれも元のドラマを知らんけどさ、悲しい目がなんとかかんとか言ってたろ。」
「そういえばそうね(笑)」
「それはまあ一緒に暮らしてたらしいから、そういう中で心の余裕もあったかもしれん。しかし目が悲しかったから好きになったわけじゃなかろうが?今まさに殺るぞって時には悠長に悲しい目だか寂しい目だかなんかしてないと思うの。しててどうする。アレだって色々と心のふれあいがあってそういう事になったわけでしょ?よくわからんけど」
「そうねえ。そんな感じ」
「だからアレとソレは正確には違うけど、いいのよアレはアレで。違うんだから。しかしだからって悲しい目ってのはナンなのさ、と思わんか。そら関係なかろうが。それなのに誰も彼も悲しい目をしやがっておかしいだろうが。その上にまさに今戦っている最中のどこにそんな相手の目に感想を抱くような心の余裕があるわけよ?アンタ随分余裕じゃないの。バカにしてんのか。目が悲しいとか目が寂しいってどういう意味よ。大体目が悲しかったらナンだって言うのよ。おまえ達は目が悲しかったら誰でも彼でも見境無く好きになるのか、とか思わんか?私にはそれが納得いかない。いい加減な事を言うんじゃないわよ。だからこれだって結局ろくでもない話なのよ。見たらケッと思うに決まってるってわかってるのよ。何が悲しい目だ。ケッ!くだらん話だ!ケーッ!」
「もういいじゃないの、どうだって(笑)」
「そりゃいいんだけどさ。私だってそんな事はわかってるのよ。私が一人でジタバタしてるだけで凄くどうでもいいって事は。しかしムカつくわ。見たら絶対ケーなのに。だから実際凄く見たいけど見ない事にしてるのよ」
「もう好きにしてちょうだい(笑)」
「するわよ。好きに。あんなもの誰が見るもんか」

ごめんなさい。見てしまいました。
手が滑って気がついたら見ていて、アタシのスノッヴ(教養人を気取る俗物)な理性がしっかりちゃんと働いてなかった。もっと気を張って命がけで気取らんか。簡単に本性に流されてどうする。気がついたら夜中の中古屋にいて、気がついたら「なんてきれいな男なのかしら…」とぼさっとしてたのよ。嘆かわしい。
「この男の顔が好きなのだろうか?」と考えてみたのだが(主演男優のプロモみたいな駄作という評価を知ってるので。評判もあんまよろしくなかった)、他のやつを見ても全くイマイチなのだった。この俳優さんが好きなら、これから幾らでも新たに色々と楽しめるというのに、他の映画の顔を見ると、あまり好きでないと思う。少し残念ながらイマイチの顔。
うんにゃ、俳優が好きだとね、おまえは顔さえ同じなら誰でもいいのかとか凄いツッコミが自分のうちから来るわけよ。だから微妙な安心。あー、でも映画だし、別に私としては顔だけ好きでも全然オッケーだったんだが。そんな真剣に好きにならんくて良いのよ?
まあ顔がイマイチな事は予めわかってた。大体長いこと見ないでいたのは、このビデオのジャケットや紹介の写真の顔が好きじゃなかったからなのよ。「こんな程度の顔の男を好きになるものかねえ?変な顔じゃないの」とイマイチな気分が大河の如くどっしりと横たわっていた。
私は人間の顔にはメッチャ厳しい目をしているからね。ちょっとやそっとの綺麗な顔じゃ心動かされないのよ。どうして人は生きた人間の顔を好きになれるのだろうかと昔から不思議で、自分も人間なのにそんな嗜好ではいかんだろう、自分も美人でも可愛くも無いのに人様の顔を云々評したり好き嫌いが言えた義理かとか、そんな事では一億と二千万年たっても自然と結婚する気になるのは無理じゃん、てゆうかそれ以前の問題だと危機意識を持って人間の顔に馴染むべく日々通勤電車内や職場の人間の顔やその辺の人間の顔を眺めて暮らしているぐらいだ。ローマの道も一歩から。
だから私はかえって変な顔の方が好きなんだ。人が綺麗だと言う顔は(自分的)粗を見つけてしまうんだが、特異な顔は割と素直に好感が持てる。

しかしこれは好きだ。驚いた。どうせイマイチだからとちょっとストーリーを摘み見したら返却しよう、そしたらもう見たくならなくて済むとか思っていたのに。これのときの顔…というか表情が素晴らしくヒットした。ビックリ。人間の顔なのに。しかもアジア人の顔なのに。静止画像は好かん。動いてるのが好き。いっそ顔がよく見えない戦闘シーンばかりエンドレスで繰り返し流している。顔っていうか、顔っていうか。でも顔は店の看板のようなものなのよ。なんだろう。顔が全てを覆っているというか、顔が全て覆われてるというか。仰天するほど綺麗に見えるときがあるの!空から降ってきた時とか!

…かわえー(壊)
いや、この話が可愛いんだけど。
いやでもそれにしてもキレーな男だよ…(壊)

ラブストーリーのくせにキスすらせんのですが、私には戦闘シーンはのべつまくなくエロシーンに見えるという捩れイカれた脳みその悪癖が元々あり、おかげさまで絶世のアダルトビデオに見えます。初見の衝撃は
「こんなエロいビデオ、生まれて初めて見たッ!ヤベッ!」
こんな傑作AV初めて見た。私の頭に血を上らせる為に作られた映画に違いない。
「こんなエロい映画なんかに手を出したら、借りて見るぐらいなら『ちょっと興味があったから』で誤魔化せても、わざわざ買ったりするなんて、あなたそんな事したら、すっごく恥ずかしいわよ!?」
その静止の声を最後に、私の心は一つになりました。もういいの、恥ずかしくても。ダメ人間でかまわない。なんでもどうだっていいわ。私こんな映画どうでもいい。言葉になりません。

この顔が好きだったら、この俳優が好きで話が簡単に済むのに。この俳優はどうでもいい。この映画の、この話の、この役の、この顔が好き。そんでこの性格の、この声の、この表情の、この体捌きがどうにもならん。なんて綺麗でなんて可愛いのかしら。信じられん。
途中でヒロインが「たとえ女みたいに綺麗な顔の男でも悪党は悪党だ」と諭されますが、そんな事言われたって!だって綺麗なんだ!
このヒロインはめっちゃ粗野で、女らしさは殆ど無く、顔もそんな美人でなくて、よく吼えてるんだが(本当に吼えてる)、でも気持ちはめっちゃわかります。「男のくせに女みたいな顔しやがって」と何回か罵りますが、気持ちがめっちゃわかります。とにかくその顔が悪い!何もかもその顔が悪い!死ね!・・・ヒロインの気持ちがめっちゃわかります。
この世のものとは思えぬ剣捌きとか言われても、ほんとだよ。こんなにきれいなのが敵なら死んでもいい気分との戦いだよ。生きるとか死ぬとか勝つとか負けるとか幸福とか不幸とか正義とか悪とか未来とか過去とかどうでもよろしい気分。欲望が肥大化しすぎて悟りまで啓けそうな勢い。

あの夕方から夜中まで戦ってて、つばぜり合いになるところとかとてもいかんね。あの至近距離で凝視なんかしてはいかん。負けても良いかも気分になってしまいます。つばぜり合いで押し負かされて押し倒されてしまいますが、余計いけません。つい力抜いてしまいたくなります。よろしゅうござんす。好きになさってくださいましという気分になりそうになりますね。力抜いたら殺されちゃうって!生きる事を諦めてはいかん。
ああん、だって負けたら、負けたら近くなるのよ?もうちょっとなのよ?手を伸ばせば触れるどころか、舌を伸ばせば舐められるぐらいなのよ?フンガー!なんだこの刀は!おまえの刀が邪魔なんじゃあッ!退かぬかバカモノ!そんな刀叩き切ってくれるわ!
…と、私なら思いますね(壊)。
そんで満月を背に大上段から切りかかられて、「あらぁん☆なんてお美しい」と(私が)うっとりしてしまった隙に(ヒロインは)上手に避けきれずに胸元をほんの二三センチ切られてしまいますが、またその後がいけません。「まあ何かしら、その愛らしいどんぐり眼は?」と思ったら、ちらとも見えてない胸元を凝視。「なんと!この変質者め!可愛い!」という気持ち(壊)。
そしてその後がまたいけません。逃げたと思ったら薄笑いを浮かべて色町をさ迷っています。そんな綺麗な顔してこのむっつりめ!可愛い!(壊)

また誕生日の宴で再会した時がいけませんね。何かしらこの不思議なものを観察するような顔は。べらぼうに可愛いじゃないの(壊)名前を問われて「さぁ」と視線をそらすのがいけません。順当に見ていけば、刺客だから内緒にしてるのかと思うが、後から見ると「こいつ絶対自分の名前を自分が忘れてる事に今気づいたな」と思わされます。このアホの子め!可愛い!(壊)
あげくヒロインをビクビクさせて面白がって悦んでいます。なんてやつだ!可愛い!(壊)

あげく最後までやっています。死んでも戦っています。優しい顔して微笑んだくせに、真顔になって剣を抜きます。映画の意味も何もさっぱりわからんが、それでいいのよ。そんなところが好き!(壊)素晴らしい男!あたくし大絶賛です。大変、らぶらぶ愛してる(壊)
確かにこんなのがいたら、ホントに死んでも良い気分になるだろうね。こんなのと両思いの日には、先祖の気持ちもわかろうものよ。腐り果てても樽に入れて隠し持っとく。もったいないので骨までしゃぶります。肉体を構成した元素を吸ったり吐いたりする為に死ねぬ。自分の気が触れようとそれがどうした。死んでも離さない。何故離さねばならない。名前を忘れようと顔を忘れようと声を忘れようと自分の気持ちを忘れようと、おまえが美しかったことだけは忘れません。どうして忘れることがあるでしょう。別々の人間である事をどれほど憎んだか未来永劫に忘れる事は無いでしょう。成仏などできなくていい。永遠にもだえ苦しんでいたい、寂しさに絶叫してのた打ち回っていたい、愛の流刑地。
私、幸せでした。今も、ずっと、永遠に。百万回死んだ猫。

みたいな若々しい気分を思い出させる実にエロい映画であった。
過去形にしつつ続行中。休日に旅行に行かなければ、延々とエンドレスで眺めてただろう。旅行があってよかった。不健康になるところだった。
そんな恥ずかしいAVのタイトルは秘密です。
一人でもんどり打ってるのもアレなんで、ちょっとストレッチをしてみただけです。私の事は気にしないでください。

それにしても綺麗な男だよ。剣を抜く時とふりかぶる時が好きー。うわあ。わあ。倒。


2007年05月12日(土) うっかり忘れ物。

いつもどおりのつもりだったのに、色々な物を忘れて出勤してきてた事に気がつきましたよ。

・携帯を忘れたろ。まあまず使わないから良いんだけどさ。
・持って出るつもりだった水分補給用のペットボトルを忘れたろ。まあ買えばいいんだけどね。
・新聞を忘れたろ。まあ本は二冊持ってたから暇は潰れるんだけど。
・ガードルを忘れたろ。履いてたら暑いから別に良いんだけど。大体私はガードルは嫌いなんだ。
・申し送りのメモを取り忘れたろ。これは取りに戻った。

しかし忘れてはならないものを忘れている事に、職場について気がつきました。これを忘れると仕事する気がぐぐっと減ります。いつも家に帰ることだけを楽しみに仕事してるが(なら働くなよと思う剛毅な人もいるんだろうが、私は「休日を待ち望む気持ち」が好きなんだよ。毎日がお休みだったら私のような凡人は「わーい、今日はお休みだ!」と喜ぶことができないんだよ。そういう喜び方をすると「高エネルギーで渦巻いてる葛藤を見ない事にして自棄になってる自分」って感じがするんだ)、それにもましてめっちゃヤル気出ません。
大体私はやり始めるまでは何でもヤル気がゼロに近くて(だから「やりたい事をやれ」等と言われると辛い。凄く悩む。一番やりたいことは寝ることだ。)、いつでも何でも区別無くやりたくないんだが、一度車輪が動き出してやり始めると何故だかチョッピリ楽しくなってきて無心にやってたりするんだよ。踊るが如くというか、リズムに乗って来るとウラララ〜♪という感じになるわけよ。

だからまだ何も始まっていない通勤中の交通機関の中では「今出勤中だ。これから仕事に行くんだぞ」と思うとドナドナ気分。
♪売られてゆーくーよー♪
がバックミュージック(毎日それでは楽しくないので、大抵はイケナイ事を考えてにこにこニマニマしているか、本読んで今通勤中であるという事をすっかり忘れている)。職場が見えたあたりで「もう仕事は終った。もうすぐ家に帰れる」気分になり、バスを下車する頃には「後十時間もすれば家に帰ってるんだわ!」という希望を芽生えさせて幸先明るい気持ちになり、更衣室あたりでは無心になっている。

しかし今度ばかりは更衣室で最も重大な忘れ物に気づいて「もうお家に帰っちゃおうかな…」と思いました。
人は自分に重大な秘密があると、一応一生懸命隠しているんだが心の底では是非当ててみて欲しくなったりもする。人がドキドキしながら頑張って隠しているというのに、その多大な努力とストレスを誰にもわかってもらえないのはやりきれない。
逃亡し続けた犯人なんぞが犯行を自供して、「アナタはもう十分に苦しんだわ」とか言われたら途端に泣いてしまうのはコレじゃないかと思う。「もう命を削る思いで隠さなくていいんだ」という安心感と、「今までの誰にも言えない苦労を認めてもらえた」という。誰も「こんな大変な事をしでかした事を隠し続けるなんてスゴーイ☆」と褒め称えてくれないのに、「完璧に隠したい」というモチベーションを延々と当ても無く維持し続けなければならないのよ。大変だ。

このたびも是非に真実を暴いて欲しい。しかし「是非わかって欲しい」という気持ちが「隠しておきたい」という心の暗闇を明々と照らして切り払ってしまい、隠し事をしているという後ろ暗い気配にすら誰も気づいてくれないので(強いて言えば何やらウキウキと浮かれ、期待に満ちてはしゃいでいるようには見えるかもしれない)、とりあえず「影のある女」として注目してもらう事にする。

私「今日の私はいつもの私とはちょっぴり違うんですヨ☆」
人「え、そうなん???髪は…切ってないよね?」
私「髪は切ってません。今日の私にはヒミツがあります」
人「化粧も…してないよね」
私「化粧もしてません。毛深いところも同じです。まだ顔剃ってません(怠けるな)」
人「アハハ、えー何かしら?何が違うの?」
私「今日の私には大変な忘れ物があります」
人「靴とか?」
私「靴は同じです」
人「えーわかんない」
私「今日の私にはー、ブラがありませんでしたー☆」
人「エエ!そうなんだ!?」

切な!
あまりの切なさにアッチでもコッチでも「今日の私、どこか違うと思いませんか?ジャ、ジャーン☆」とくるくるターンして見せて回りました。おまえは本当に隠したい気持ちがあるのか。あるわよ。ただ隠したい気持ちは世間体を気にして普通である事に野心を燃やす後発の自分なんだもの。これはこれで素直で正直で、もはやココを削ったら自分ではないと思うんだが、別の角度で素直で正直な心(やはりココを削っても自分では無いと思う)は
「ちょっと聞いてよ!アタシったら今日、ノーブラで出勤しちゃったよッ!信じらんねえ!ギャハハ!」
とスピーカーで報告して回りたかったんだ。だから葛藤を最少にするため、あらゆる角度から正直に「ひた隠しつつ暴露」して回ってみた。満ち足りた。

「矢口さん、○×○×してくださいね」
「あー、今日はブラが無いから激しい労働は無理です」

なんとも言えない気持ち悪さよ。


2007年05月11日(金) 無法の楽園。

だるいだるいと人様と言い合っているが、思うに気温や湿度のせいじゃなかろうかと思ったりする。
昨年から今に至るまで、はっきりとした四季の変化があったような無かったような。歯切れ悪し。
確か昨年の夏はずっと秋まで雨が降り続き、かんかん照りの日が極少だったような思いがある。じりじり焼け付くように暑い、じっとしていてもじわっと汗が浮き上がってきてダラダラ流れていくような猛暑でなく、夏にしてはどこか冷え冷えとしていた。それは勿論冬に比べれば暑いのは確かだが、「こんなものだったか?」という。気がつけば秋だったが、メリハリが無かったせいか、心なしか山々の紅葉も地味だった。うろ覚えだが、紅葉は夏の暑さが厳しく、秋の冷え込みが急速できついほど色鮮やかに化けるらしい。

冬に入っても、それほど寒さが厳しくて辛かったという記憶が無い。
だいたい水道が凍りそうな日は夜の初めから「(グラフにしたら)この急勾配で一気に気温が下がっていくと、明日の朝あたりヤバそうな」という気配が体感でしてくるんだが(後は目がよければ小さい星までブレずに見えそうな突き抜けるような夜空の晴れあがりっぷり。明け方に一気に放射冷却が来る!あの大宇宙へ向かって地球の熱は飛び去る!という気配)、今年はそういう雰囲気が全く無く、ずるずるのんべんだらりと寒いだけだった。それどころか、「今は冬だよね」と疑いを抱いた日も多かったほどだ。今自分が住んでる地域は冬は二月から三月が一番冷え込むし、三月の後半から四月に入っても花冷えのような急な冷え込みが来るのが例年だったものだから、「今に寒くなるはず。まだ寒くなるはず」と思いながら気がつけば五月に入っていた。異常気象とか温暖化とか誰に言われずとも(そういう事はもっと長いスパンで見るべきなのだろうから一年程度で言うこっちゃなかろうが、そういう言葉が現実味を帯びて何度も脳裏を過ぎるほど)微妙に気持ち悪かった。
今年はとうとう水道も凍らず、路面がろくに凍らなかったが、ここ数年では久しぶりではなかろうか。数年前だかに全国的に不作になった冷夏などよりも気分的にはずっと嫌な感じだったな。気持ち悪い雰囲気を引きずり続けたというか。夏の長雨のせいかもしれない。

私の皮膚感触では、桜も地味に咲いた。「(桜が咲いて)綺麗だね」と婆さん達は言っていたが、私としては今年の桜は尻が重く、「比較してクールに考えれば今が春って事になるんじゃねえの?だらだらしててもしょうがないだろう。考えすぎて時期を逃すのはまずい。どうも気が乗らないがボチボチ咲くか」という雰囲気でどうも思い切りが悪かった。「来た!いまだ!」という気迫を感じられなかった。

個人的には、植物にも結構気迫があると思う。「ここが正念場だ!」とか、「今がチャンスだ!」とか、「これが最期の!」とか、「一世一代の!」とかの。「やるっきゃないんだ!」とかね。ついでに「あれ?なんかおかしいな…しかしなぁ」という足踏みしつつ世間(環境とか)にズルズル引きずられていく戸惑いや、「あ、やっちまったよ?いや、これは別にその…」という言い訳がましい失敗なんかもあるように感じる。
やっぱり、環境とか気温変化とか湿度だとか、バッチリ決まってる時は傍目に見た感じもビシッ!と行ってる気がするよ。のびのびしてるというか。博徒のような生き方でも自信に溢れて迷いが無く、アカギシゲルのような植物があると思う。「さすがはチキンレースを生き延びた男」みたいな。

チキンレースと言えば、無職だった時に飲み会で「チキンレースしませんか?」と、同じく無職に声をかけられたことがある。
「チキンレース?何するんですか?」
「先に就職した方が負け☆」
慰謝料で食っていた無職の有意義な時間をパチンコ屋で潰していた人だが、さすがは博徒。飲み屋で初めて会った人だったが、言う事が世間一般とは一味も二味も違った。そのただひたすらに度胸のみを競う勝負はチキンの私の心を振るわせたが(「才能も技能も何もいらない。それならこの私でも勝てる」と)、本気で彼女とタイマン勝負したら一生無職のような危険を感じたので(「こいつ…、本気で勝ちに行くなら腹を括るしかないぞ、私!冷静になれ!勝って、勝ってそれで良いのか!?」という感じがした)、受けて立つのは踏みとどまった。私は面白みの無いチキンで良いです。弱虫毛虫で構いません。
しかしこの誘いは、私に「チキンレースとは何か?」という事を直裁に教えてくれ、大変印象深い。

命知らずの度胸なんぞは、幼少期に自分の耳から頭の中に耳かきを突き刺してみようとして血塗れになった時に捨てました。
体重かけただけあって、すげー痛かった。死ぬかもしれんとは思っても、こんなに痛いとは思わなかった…というのが正直な気持ちだった。すげぇ痛くても、その日は出かける予定があり、自分が予定を変える原因になるのが嫌で限界まで我慢した。あまりの痛さに耳に指を入れてみて、ぐっちょり音がして引き抜いたら真っ赤に濡れていた時に、隠し通すことはちょっと無理だと思った。
が、
「何があったのか。心当たりは」と問われても、とてもではないが「自分の頭に耳かきを突き刺してみたくなったのでやってみたが、どうも角度に失敗した。しかしあまりの痛さにもう一度やってみる勇気は出なかった。物凄く痛くても即座に訴え、問われるまま正直に告白したら怒られる事は火を見るより明らかだったのに加え(やってみるべきではない事をやったという客観性はあった)、万が一思ったよりオオゴトで病院沙汰になったりしたら本日の予定が狂うのが嫌で、できれば何も無かった事にしたくて我慢し続けた。しかし流血の濡れ濡れの赤さを目の当たりにしたらビビってしまい、何がなんでも隠し通す事に不安を覚えた結果、現在の申告に至ります」とは最後まで馬鹿正直には言えなかった。

時々、犯人が黙秘を貫く気持ちがわかる気がする時があるよ。法廷でのかけひきではなくて、ロジカルな言葉にする事ができないってのもあると思わんでもない。

新聞読んでた同僚に「何かニュースはある?」と尋ねて「原因不明で幼児が突然死んでたニュースがある」と言われ、相手は子持ちなので「子供は何があるかわからん」「子供は何をするかわからん」と話しあっているうちに、我が身の所業の一つを思い出したわけだが、「子供は何をするかわからん」というのは大人としての視点で自分以外の子供を見てというより、自分はどうだったか、何をやってきたか、どのように思っていたか、どう解釈していたか…ETC.を思い出してこそ、スーパーリアルに切実に思う。
「脳みそに耳かきを突き刺してみよう事件」は子供の無法ぶりを示す端的な事例だと思われる。こんなものは後になってみれば世間話で人に話せるレベルに過ぎないという事が真の子供の恐ろしさだ。ただ「私はもう大人になったので絶対にそんな事はしない」と言い切れないのが人間の恐ろしさだと思う。

小さい頃の事はよく覚えてないって人が多いよね。
私も覚えてなかったのよ、中学ぐらいまでは。思春期あたりで、殆どある日突然、失われた五六歳の頃の記憶を続々と思い出した。色々な事を。ある意味で恐るべき過去っていうか。自分の脳を自分で突き刺してみようなんて、好奇心は猫をも殺すというが、人間を殺すよ。

記憶って恐ろしい。何が怖いって、忘れてたということが怖い。


2007年05月06日(日) これはセクハラではないのか。

最近いらっしゃってたお客さんが妙な事を言い出しました。「あんた達みたいなのはゴールデンウィークは無いのかね」みたいな話の流れで、私達みたいなのが「三人いる」とおっしゃったのでございます。
この制服の人間なら、このフロアに派遣されて来ているのは私ともう一人、合計二人しかいないはずだが…?

客「もう一人は昨日来てた人じゃろ?あの人は結構年配だそうじゃが」
私「あー…そうですね。あの人は私の母親ぐらいの年齢ですね」
客「そんなになるかね。それでアンタとあの人ともう一人」
私「私とその昨日の人だけだと思いますが?おかしいですね」
客「いや、もう一人おるはずじゃ。アンタよりも年上で、昨日の人よりも年下の中ぐらいの人がおると、若い職員さんが言うとったんじゃ」
私「私よりも上で、Aさんよりも下…?え〜〜???いや、二人しかおらんと思うのですが、どんな人ですか」
客「その人は、職員さん達のうち、一番若い女の子にとてもよく似ているらしい。姉妹のようによく似ていて、その一番若い女の子より十歳近く年上らしいのじゃ」

……私、シバシバよく似てるって言われる人がおるんよな。名をBさんと言う。

私「その一番若い女の子というのは、もしかしてBさんという名前だったり…?いやそんなはずは」
客「おお、そんな名前じゃった。そのBさんと似ていて、年齢がアンタより上で昨日の人より下の人がおるんじゃ」
私「いえ、だとしたらその中ぐらいの人は私じゃないかと思います
客「ええ?」
私「昨日の年配の人と、Bさんに似てるらしい中ぐらいの年齢の人の二人で、その幻の中ぐらいの人は私。つまりここに派遣されてるのは合計二人です。うん、だって二人しか来てないはずですよ」
客「ええー?」
私「私は何度かBさんに似てると言われた事がありますよ。それに一番若いBさんがXY歳ぐらいでしょう」
客「うん、それぐらいじゃった」
私「それより十歳近く年上だと言うのならば、私が今XX歳なので年齢的にも丁度そうなるのでは」
客「えー嘘じゃろー」
私「嘘じゃないですよ。今年の夏にXZ歳になるので、今XX歳です」
客「えー嘘じゃー!二十三、四じゃろー」
私「クッ…二十三、四?本当ですか?…クククク…いえ、ホホホホホ!二十三、四に!おホホホホホホホホ!見えますか!?あら、すみません、ホホホホホホホホホ!XX歳ですよ。ホホホホホホホホホホ!」

笑いの止まらない私に慄く客。

客「すまんのう、てっきりもっと若いんじゃと」
私「あら嫌だ良いんですよ、ホホホホホホホ!」
客「じゃあもう大きな子供さんがおられるんか?」
私「ゴホゴホ、いえ子供は小さいのもいませんよ。結婚もしてませんし。その所為で若く見えるのかもしれませんね。顔も半分しか見えませんし(その時私はマスクで半分顔が隠れていた)この隠された口元に年齢が刻まれてあるんですよ。二十三四、ホホホホホ!そろそろ失礼します、オホホホホホホホ!」

戦隊物の敵女のような興奮状態に退く爺さんを背に、その足で即行、近場の職員さんのもとへ。

私「オホホホホホホホホ!ちょっと聞いてくださいまし。○○さんったら私が二十三四に見えるんですって!オホホホホホ!良いモンですね若く見えるって。何かに勝った気分!時の流れに!」

お友達に「この年齢になって若く見られると何故だか嬉しくない?」と言ったところ「別に」とごっつ冷めた声で流されましたが、私はこう見えても流行に敏感な小市民です。流行を追う気迫に乏しいだけで、流行には楽しく翻弄されます。偶に流行に翻弄されなければ人生つまらないのでは?と思ってしまうほどです。王者の風格を持つゴールドモンキーにはわからなくても(そういうモンチッチみたいな○いがあった)、前世庶民にして全鋳型の中で最もスノッブな(そういう○いがあった)私には庶民の気持ちが切々とわかります。
「だってさ、ほら私ったら年齢に相応しい社会的立場も地位も収入も人間関係も何一つ持たないでしょ?そうすると、じゃあ逆に、現実の社会的立場や地位や収入や人柄に相応しい年齢になるだけ近く見えるのって良いナ☆と思わんか?そしたらおかしくないじゃろ。普通っぽいじゃないの!」
「まあそうかもね」←冷めきった声
私は賢くないのに賢く見えたり、金も無いのに金持ちに見えたり、冷静じゃないのに冷静に見えたりするのは嫌いです。実質と外見を可能な限りイコールにしたい人間なのです。心の仮面度が90%もあり(そういう心理テストがあった)、日々息をするように嘘をついていると、もう後はなるべくせこせこ嘘をつきたくないものです。疲れるから。
心の片隅を「これならまだまだ男を騙せるな…」と横切っていった呟きは無論90%の仮面の後ろに素早く口元を押さえて引きずり込みます。さっきのやつの事は気にしないで話を続けてくださいまし。遠い親戚の子を預かっている。嘘つきは泥棒の始まりだ、正直者は刑務所に入れられると何度も諭しているんだが、冗談が好きな困った子でね。

職「だから言ったでしょ!(←何を?)Bさんと姉妹に見えるって事は、Bさんと姉妹ぐらいの年齢差に見えるって事なのよ!」
何故か興奮する職員さん。
私「いやーん☆だって私、社員食堂でゴマのふりかけ食ってますもん!やっぱりゴマがいいのかも!」
職「セサミンね!?騙されてるわよ、矢口さん!
私「だってプラセボ効果かも!」

テレビの捏造問題の所為で、軽口も叩けなくて困ります。いやいや、これが今はやりのツッコミの型なのかも。

「警戒心が強いくせによく騙されます」とよく出るんだが、我が人生でいつ騙されたのか全く記憶が無い。騙されたり裏切られて「酷い!」とか「信じてたのに!」と傷ついた記憶がろくに無いんだな。
しかし、そんなに頻繁に騙されながら騙された事に全く気づかないほど騙されているのだろうか、私。
別にいいもん騙されてもー。金と暴力に関わり無ければ(おおい)
人を騙すぐらいなら、騙される方がずっと良いと思わないか…?(爽やかに善人ぶってみる)


で、まあそういった事があったわけですよ。
その翌日…


同じ職場に赴き、またもや件のお客様に遭遇。その時マスクを外していた私に、爺さんは挨拶後の一言目にこうおっしゃいました。

「その声…アンタは!?自分はXX歳だと、わしを騙した人!

でかい声で人聞きの悪い事を言うな!おサツが飛んできたらどうする。(おサツ=警察)

客「嘘じゃ!嘘じゃあー!やっぱり嘘だったんじゃあ!」
私「嘘じゃありませんって。だから私は19○×年の七月生まれなんですよ。干支は○歳の、昭和○×年ですから、計算してみてください。そしたら今年はXX歳で、夏でXZ歳になるでしょ。嘘はついておりません」
まるでパスポートの本人証明のよう(昔そういう確認のされ方をした)。
客「そんな嘘じゃあ。二十代半ばで、子供を産んだばかりで、今授乳中に見える」
えらい細かい設定になったな。
私「どうしてそんな…ジュニュウチュウ?」
オヤジは人様の胸元を指差しました。
客「おっぱい」

「まあアンタの顔が全部見れて良かったよ」と爽やかに言って去っていきました。
こんな屈辱は初めてです。
接客商売も長いですが、私は時々、客をセクハラで訴えたくなります。しかし逐一訴えていては(その神経質な対応が常識になれば)、まるで言論統制下でもあるかのように世の中が息苦しくなるだろう事は明らかなので(今でもだいぶ息苦しいのに)、精神的被害を裁判で訴えてぎょっとさせてみたい心、「そんなに死にたかったなんて、気づいてあげられなくてごめんなさい。勇気を出して介錯するわ」という呟きは口元を押さえて90%の仮面の後ろへ引きずり込みます。膝の上に今親戚の子が(以下略)

妊婦と間違われなかっただけマシとしよう。
明日からも頑張って(気持ちだけ)ダイエットに励みます。
「若い人はダイエット、ダイエットって体重ばっかり気にするわね」と人々に嘲られても、顔年齢が二十代半ばで体型が出産直後では、一歩下がれば後ろには妊婦の道しかない背水の陣なんです。ああいっそ妊婦のフリをして周りの人に労わられながら生きていこうかな…なんて言うやつは90%の仮面の(以下略)。

てゆうかおおよその実年齢が簡単に計算できるよね。
わかっていても無意味さを通り越して伏せたい乙女心をわかってあげてください。お互いに小市民なら我々はきっとわかりあえるはずだ。


やぐちまさき |MAIL