非日記
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家が揺れた。久しぶりに。 来る来ると言っては中々来ない「噂の大地震」が来る覚悟をして久しいので(十年近い)、ちょっと揺れると「ついに来たか!?」と直ぐ思う。少し前に結構揺れた時には眠ってたので夢うつつに「来たか〜?」とは思い、自分経験上では結構揺れてる間中「うーん…ヤバイ、ヤバイなあ」と頭に浮かぶ言葉面だけで真剣になりながらも、「これ本当に揺れてるよねえ?アタシが一人で揺れてるんじゃないよねえ?アタシが一人で揺れてるのかなあ?」とのんびり気分が抜けず、ついそのままダラダラ寝てたのだ。こんな調子では駄目だと反省した。
聞くところによると、大地震の際、被害の大きいところ、すなわち爆心地…じゃなくて震源地付近では縦揺れも横揺れもへったくれもなく一気に「ドン!ドガガガガ〜…」と来るらしいのだ。「今確かに揺れているようだ」などという悠長な事では駄目だ。 でも真面目に言って、そういう大揺れの時には立つ事もままならず、「まずコンロの火を止め…」等という小学生の時に習った地震初心者の心得を達成する事すら困難を極めるという話だ。以前考えてみたが、ガスの元栓はどうでもよいっぽい。自分家はヘナチョコなガス管が外に張り出し、家の壁面を取り巻いているので、これは大地震の際、必ずへし折れるだろう。危険を冒して元栓を締めても虚しい。もしコンロの火を止めるのに五秒以上かかったら、それで「ドン!」だろう。爆発で死なないとして、この家は土と木でできているので、あっという間によく燃えるに違いない。
最近の防災はよくの地震が発生した後、ライフラインの確保に関してを言うが、実際に地震で亡くなる人の八割から九割は、地震発生から最初の十数分でだと聞く。この十数分を生き延びられるのなら、生存確率は格段に飛躍するのだそうだ。問題は生死を分かつ最初の十分だ。 大震災で亡くなった人の多くは老人と若者だったという。何故かというと、老人は長く住んだ古い家に、そして若者は貧乏なので耐震強度の貧弱な建物に住んでおり、これが人間の上に全壊して降り注いだ…という事になったらしい。考えるだに我が家を顧みて「それはまさにこのような家であったろう」と思われる。…ただな、うちの方がもっとボロイんじゃないかと思われる。台風で軋むほどのこの家なら、天井が落ちても壁が崩れてきても角度によらねば圧死するのは不可能なのではないか。壁なんか律儀に「割れて降り注ぐ」ことはできないだろう。きっと車のフロントガラスのように粉々になる。動けない隙にガス管からもれたガスに火がついて焼け死ぬとしか思えない。…焼け死ぬ?それちょっと嫌だよな。
生まれ方と死に方には贅沢を言うもんじゃないと自分を戒めるんだが、夢としては憧れの死に方ってのがあるじゃないか。逆に「これだけは嫌だ」もある。
最初の十行あたりに戻るんだが、毎度のんびり構えては「これではマズイ」と思っていたわけだ。地震が起きたらもっと真剣にならねばと!真剣っていうか、必死というか、こー、恐怖に打ち震えてパニックを起こすが如くマジにならないと、「あ〜れ〜?地震だあ〜」とのんびり構えていて死んだのでは死ぬに死に切れない。「ヤル気あんのかウラァ」って感じだ。ヤル気はあったのだが致し方無かったのだという事を世ならずとも我には知らしめておかねばと思ってたわけよ。
で、震度4で今日は必死になれたかというと、微妙だ。逃げるべきか逃げざるべきかとオロオロはしてみた。二秒ほど考えて、屋根が落ちたときの為に外に出てみた。考えてみたんだけど、地震で家が倒壊する前に、ドアやドアの枠がへし折れてドアが開かなくなるんじゃないかと。それならドアが開くうちに外に出なくてはと思うだろ。 そう考える端から、「ドアが開かないなら壁を蹴破ればいいじゃないの」などと思ってしまって駄目なんだ。うん、この家、たぶん凄く簡単に壁を壊せるんだ。しかしそういう甘い考えでは駄目だと思って外に出てみた。
確か女優さんで、関東大震災に備えて就寝時には地震に備えて必ず枕元に靴を置いているという人がいたな。地震になるとガラスなどで足の踏み場も無くなり怪我をしやすくなる。靴のある玄関までが遠いので(いけるかどうかもわからん)正しい行いらしい。しかし私は寝床と玄関が一メートル離れていないので常に枕元に靴がある状態に近い、これ以上近づけてもあまり有意義でないと判じてる。 「そうそう。運動靴がいいのよね」と思いながらも、まあいいだろとついサンダルにする。この辺に「十中八九大した地震でない(だろう)。だって歩けるし」という正しい状況判断と言うべきか、めっちゃ生ぬるい気持ちがみられるんだよ。
外に出てみる。 いつも後で自分ながら妙に思うんだけど、何故地震なのについ空を見上げてしまうのだろうか。何故地面を見ずに空を見る。空を見れば鏡に映るように地面が揺れてるのが見えるとでも思ってるんだろうか。
外に出て空を見あげてみたが、直ぐに揺れは収まった。手持ち無沙汰。「どうしよう?」と周囲を見回したら、隣近所のお嬢さんも寝ぼけ眼でぼさぼさの頭に手に櫛を持って外に出て来ていた。自分もなんとなく笑っているが、向こうもなんとなく顔が笑っている。 「えーと、今、揺れましたよね?」 「もう収まった…みたい、ですよね」 「アタシ、ブラもつけてないのにどうしようかと思いましたよ」 「私も」 そして別れの挨拶もなく互いにそのまま自分家に戻った。
そういえばこの間、洗濯機をかけて直ぐ戻るからとそのまま外出してしまったら留守にしてる間に終っていたらしく、帰ってきたら他人が洗濯してた事に気づかなかった隣人がその上から知らずに自分の洗濯物を放り込んで新たに洗濯を始めてしまっていたのだ(洗濯機は共有)。 しようがないので「パンツを返してくれ」と言いに行った。
こういうレ・ミゼラブル(邦題「ああ無情」)な感じの「ああ日常」が好きだ。まるで作り物の物語の中に生きているみたいでウキウキする。面白い。
記録的大水害には生まれて何度かあってるが、大地震にはあった事が無い。それでどうも真剣さが足りないようだ。 偶にちょっと大きく揺れると暫くドキドキし、これで大地震などにあった日にはたとえ生きていても安らかな心地に戻れるのはいつの日になる事かと思う。
書くつもりだったことを横道に逸れすぎて書き忘れていた。何を書くつもりだったんだっけ?
そうそう、どうして久しぶりに源平盛衰記を借りに行ったかと言うと、テレビで歴史物のクイズ番組をしててコメディで面白かったからだったわ。 その時チャンネルを変えたら、別の局でも似たような歴史物のクイズっぽい番組をしてたのよ。不思議ね。それで此間も、テレビ欄を開いたら別々の局で同じような時間に似たような内容のバラエティ特番をしてたのよ。何だろう、これ。偶然? ンヶ月に一回ぐらいの頻度で珍しくテレビをつけてみるようなやつなので、余計に妙に感じた。最近こういうの普通なんかな。
とにかくそのクイズ番組が面白かったと言いたかった。一週間か二週間前の話なんだけど。
特に「頼朝の鬼嫁日記」が! ブルドーザーで頼朝の浮気?相手の家を破壊にしに行く政子、かっこよすぎる。 北条政子というのは、大体名前がカッコイイ。正式には平政子らしいが、北条政子の方が断然語感が格好良い。通称が源政子とかにならんくて良かった。凄い女だったらしいというのは有名なんだが、あんま詳しく知らんのよな。永井さんの「北条政子」という小説が中学の図書館にあって(どこに置いてあったかまで今でも覚えてる、何故か)、気にはなってたんだけど。いまだに気にしてるんだけど…。 歴史物とか時代物を読むの苦手で。 私は割りと頼朝さん好きなんだよね。いや、番組ではうぇんつ君だか誰だかが(名前知らない)「源氏、きたねえ!きたねえ!」と騒いでいましたが、何を言ってるんですか、源氏のやり方が卑怯くさくて汚い感じが拭えないのは影ながら有名な話です。だからこそ清盛以下平家一門はどうしようもない悪者、これを倒すためなら何をしても許されるだろうぐらいの悪役でなければならないのだ。さもないと、どれだけ劣勢に追い込まれても一致団結して続々と死んでいった平氏、いくら未亡人の色香に迷ったとしても敵の大将の子供をつい助けてしまった清盛と、勝利した途端に身内同士で血で血を洗う争いになってしまい、平氏ならば下っ端まで根こそぎ狩り立てた源氏を比べると、人情としてどっちが人としての道なのかと悩ましくなってしまうだろう。 そこを看過できるのなら、頼朝が悪い子で義経がかわいそうだなんて木っ端も思いません。義経がアホの子だったのであって、頼朝はそんな悪くありません。最後に勝ったからって頼朝ばかり苛めるなんてかわいそうだろうが。
ちなみに、私は信長と秀吉と家康で言えば、消去法で家康が好きです。いつか家康がカッコイイ小説を読んでマトモに好きになるのが夢です。
長政と市をドラマにしてあって、ここ好きなんでつい期待してしまいました。つい期待して見たら、浅井長政を真珠夫人に出てた人がやってて(仮面ライダークウガの警部補さんとも言う)、めちゃめちゃ恥ずかしかったです。この人は顔が綺麗なせいでできる役が少なそうで不憫に思ってしまうんだが、爽やかで義理堅い好青年として歴史上結構人気が高いわりに、「信長を裏切って朝倉についたのは長政が親父に背けなかったから」と脆弱で優柔不断な坊ちゃん風の印象も拭いがたい長政はちょっと向いてるかもしれんと思った。この顔なら美男子だった名高い信長の妹で、美形揃いだったと言われる織田の姫である市も「あ、これが死ぬのは、ちょっと勿体無い」と思っていたに違いない感じがし、悲壮感が引き立つ。
アレ、アレがちょっと良かった。 「謀反の情報は市が漏らしたんだっけか?」とハテナを飛ばしてしまったが、小豆の話は、そういう説があるっぽいな。私が何かで読んだときには、信長は朝倉を攻めると決意した時点で浅井を切り捨てるつもりでおり(浅井が朝倉につくだろうという事は読んでいた)、ひいては嫁いでいる妹の市も「仕方ないから諦める」ぐらいの気持ちでいたのが多かったんだが。しかしそこは、冷徹で果断な信長と人情味溢れる秀吉を対比させるためだったかもしれんよな。 最後に、長政を説得して市と子供達を助けたのは秀吉の手柄という説は出てこなかった。まあその手前でね、市が浅井の裏切りを察して信長にチクったと知り、逃げ帰った長政が「なんとかなるかと思って」と弁解する市に 「なんとかなるわけが無かろう!」 と泣き出しそうな感じで言うところが良かったの。もういやん、アハハ。長政かわいそうすぎー。好きー(笑) いや、浅井長政という名前が恰好良いじゃないの(また始まった)。 大体は何を読んでもね、出てくると皆が浅井長政を好きなんだよねアハハ(笑)。結局自分たちが生き延びる為に信長について浅井を裏切る決意をする者も、毎度「自分は彼が好きだ。彼が大将なら喜んで死ねる」と言いながら、「お家のためには」と苦渋の決断をするのよ?(笑)ちょっとちょっと、なんでそんなに愛されてるのアイドルみたいに。もーいやだ、恥ずかしい!長政さんったら☆バシン!(←背中を叩く音)
もう大分前のテレビだのに、これがどうしても言いたくて。 「長政ってバリ可愛くね?可愛くね?」とこれが言いたくて。
歴史はよく知らん、わからんと言いつつ、クイズに出てきた話はほぼ全部知ってた自分がミステリー。「楠正成?なんかそんな名前の有名な人がいたらしいな。いつの話かは知らんけど」なのに、何故武器が無くて人の糞尿を投げたという事だけは知っているんだろう。不思議。インパクトが強いからか。まあ楠正成って名前が良いからな。
久しぶりに図書館で十代目桂文治の源平盛衰記をまた借りてきてしまった。相当楽しいのだ。かなり好きだ。私は暗い落語は好きでないし、ヒタスラおかしくて嬉しい。 滑舌が良いわけでなく、どもったりつっかえたりするが、聞き苦しくは無い。引き込まれる。朗々と謳い上げたかと思ったら、躓いたように「ナンチャッテ」な感じでコロっと調子が変わり、かと思うと砕けた横道に行っていたのは赤の他人でございますとばかりに顔も声音も真面目ぶってみたり、変化に富み、抑揚に富む語り口に翻弄されるのが気持ち良い。 滑舌の悪さも、たぶん物凄く滑らかに詰まらず音楽的に話されるよりは、かえって話を頭に入れて分かるのは良いようにも思われる。さらりと聞き流すことが難しいのよな。 時には「言う事思い出せないのか?」という奇妙な沈黙が落るんだが(明後日を見てぼうとしたまま何も言わなくなる瞬間がある)、これも妙に緊張感を持たせて良い。「いつ、次に何を言い出すのだろう」という期待を持ち。
最初の、驕る平家は久しからずの「驕る」に「奢る」を引っ掛けた枕のところから楽しい。スナックかどっかの話になって、「あれはモテてるんじゃないんですよ。商売なんですよ。こっちが一杯飲む間に向こうは二杯飲むんですから。ホステスのナンバーワンなんてのは、ありゃぁ何が凄いのかっていったら胃が丈夫なんですな。幾ら飲んでも平気なんですよ」と、なんかそんな話をなさいます。ホステス、ホストのナンバーワンと言えば、化粧が濃いとかまず見た目の印象が強く、煽てが上手いとか顔が良いとかそういう事を直ぐ想像してしまうんだが、そこであえて胃腸の能力を出してくる外しっぷり、しかも「言われてみりゃあそうかもしれん」と思わされるところが好き。 都会はどうか知れないが、地方の求職誌の半分ぐらいはホステス等若い女の子(稀に熟女)募集や広告で埋まってるが、見ると中には偶に「おしゃべりを楽しむ上品な店なので、お酒に強くなくてもOK(はぁと)」とかがあったりするんだよ。つまりそれだけ殆どの店は酒が飲める(お客に驕らせてホステスが酒を飲む→沢山驕らせたい=沢山飲めねばならない)事が大前提という事なんだろう。私なんか逆立ちしたってできませんね。
この源平盛衰記、三十分も無くて、屋島の戦いでオチをつけて終ってしまいます。最初の平家物語の冒頭がサゲの伏線なんだが、でも残念。もっと沢山聞きたい〜とじたばたする。何度聞いても(見ても)楽しいわ。 「パリぃのニューモード」とかがね(注:頭から切りつけられて兜がひん曲がった表現)。 色々面白おかしいが、やっぱり一番盛り上がるのは倶利伽羅峠のところかしらね。でも頼朝と義経の再会シーンもなんか好き。「ケーキかなんか、紅茶でも出してやって。レコードは…」な頼朝に義経が「わたくしもあれから転々とし、つい先ごろは上野の地下道に三ヶ月…」などと、現代が随所に紛れ込むのがおかしい。 あー楽しいなあ。思い出すだけで楽しい。あんまり楽しくて、まだ二回しか見た事無いのに、妙に覚えてる。そのうち全部覚えちゃうんじゃないかと心配だ。この十代目桂文治さんのDVDとか出てるような気がする、確か。買っちゃったらどうしましょう。
そういえば昔読んだコバルト文庫の続きが出ていて(話は一話完結なのでわかるけど)、懐かしいから探したわけよ。私はね、コバルトだろうが文庫なんだから結構古本屋に出るもんだと思ってたのよ。そう高を括ってたから読みたければ買えばいいんだと引越しの時にあっさり売ったんだけどさ。それが探しても探しても無いのよ。ネットで検索かけたら、五百円もしない文庫本が四千円近くになっててよ。参ったわこりゃ。確かにあの作家さんは面白いんだけど。しかもいまだに続きが出てるのに、最初の一冊は絶版になってるんだけど。 この人はいくつかシリーズを持ってるんだけど、さりげに全部同じ土俵なのよな。ある世界のある国の歴史が垣間見れるのよ。別のシリーズの登場人物がン世紀前の歴史上の人物として名前だけ出てきたりするの。昔は軍人の家系だったのが、どこでどんな政変があったのか家系図を見ると数世代前に国王になってたりするのよ。それを見ると、「あー懐かしいな。アレの子孫がねえこうなっちゃったか」と思うともう一度前のが読みたくなるでしょ。 内容(荒筋)は大方覚えてるんだよね。ただ細かいところ(会話とか地の文)を流石に覚えてないんだ。 このやろうと思った。文庫本だからってナメちゃいけない。かえってコバルト文庫(少女向け小説?)という読者を選んだ本なわけだから、いつ絶版になり、手に入らない幻の本になるかわからんわけで、好きだと思ったら手を離してはいかんわけよ。しかしンな事を言ったって雪崩れてるんだもん。
ところで、図書館では借りれるビデオと借りれないビデオがある。CDは全部借りれるんだが、LDやDVDやビデオはNHKのとかしか借りれないの。映画なんかも沢山あるんだが、それは席が空いてなければ順番を入れてもらって視聴覚室で見ねばならない。どうも著作権か何かの問題らしいんだけど。レンタル屋さんが払っているレンタル料というのを払ってないので(資料として収集してる?)無料で貸し出しはできないらしい。「なんで借りれんのじゃ」とクダ巻いてるパンピーに図書館員が懸命に説明してるのを又聞きしたところではそんな話。
確かに小売にいた時に、図書館や学校から注文があると、「明らかに個人的な使用ではないだろう。売っていいのだろうか」と悩んで問屋に確認した記憶がある。問屋の販売カタログを見ると、レンタル(店)用ってのは値段からして全然違うのよ。桁が違う。そんで映像特典が大幅に削られてたりするんだ。「要らん」というのあるけど、「それが見たいのに」ってのもあるのよな。
そういえば親父さんが新学期が始まる数日前に突如思い立って「教科書に使おうかと思ったんだけど間に合うかしら?」と出版社に直接問い合わせた事があったらしい。学校に営業に来ている業者の人が「今すぐは難しい」と言ったかららしいんだが、当然ですよ。「そういう無茶な事を言われても困るんですけどねえ、お客さん。注文から一週間ぐらいは見ていただかないとねぇ、そんな直ぐにはねぇ」と私が小売店の販売員として文句を言ったところ、「えー全然嫌そうじゃなかったよ。二日ぐらいで全部揃って来たよ」というお話。「即座にかき集めます!」と前のめりの勢いで送られて来たらしい
(知らん人に注:本は出版社と問屋と小売店の間を行ったり来たりしてる。密林の「即日発送」というのは密林自体に在庫がある、「三四日以内に発送」は版元に在庫がある、「暫くかかる」みたいなのは全国どこかの書店にはあるが版元には在庫が一冊も無く、小売店からの返本または再版待ちである…と見られるわけだ。違うかな。 ついでに、問屋で発送の為に品物を箱詰めしているのは海外からの出稼ぎ労働者が多く(品番で確認していくので別に日本語が読めなくてもいい)、雀の涙のような賃金でボロボロになるまで働かされていると聞いたな、問屋のおじさんに(「だから結構間違うから」って)。だから密林の内部で働いた人が書いた「こういうシステムの会社が社会を破壊する」みたいな告発本の類も一概に大げさとは言えないだろうと思う。 消費者として何でも値が安いと助かるのは確かなんだが、安さを見るたびに誰の生活が困窮してるのかについ思いをはせてしまう。物価が安くなるという事は賃金が下がるという事だ。賃金が下がるという事は、賃金を受け取る労働者の購買力が落ちるという事だ。購買力が下がるという事はそうそう売れなくなるという事であり、売るためにはもっと価格を引き下げていかなければならない。それでなお利幅を確保する為には労働者の賃金は最低限まで押さえ込まれていく。一度下がり始めれば、ドッキン法で基本的にはカルテル禁止の自由市場で市場の暴落を止めることはできないんじゃなかろうか。不況対策のためのカルテルは公正取引委員会に認可されることもあるらしいが、認可が下る状況とはいかほどのものなのだろう。そして誰が申請するんだろうか。 賢い消費者として自分が安価なものを選択的に購入するという事は、結果的に労働者である自分の首を絞めているようにも思い、安いからといって一概に喜べない。近所の店が激安スーパーに改装したんだが、ちょい憂鬱な複雑な気分で買い物。ざっと見たところおそらく、まず流通のどこかの段階をカットしたと思われる。そしてポイント制などのサービスを全廃止し、惣菜なども工場生産したものを「油であげるだけ」など最小限の手間にして限界まで人員を削減したと見た。一体どれだけの人間が仕事をなくしたんだろうなと、全く同じ形で全く同じ大きさの、五十円の惣菜コロッケを見て思う。じきに私の番だな。 それで、「畜生…マトモな商品なら安けりゃ安いほどいいんだろうなんて消費者を馬鹿にしやがって」とブチブチ思いながらいそいそパックにつめてたわけよ(苦笑)。食ったがちょい固かった。 よく考えてごらんよ。月給十二万の人間が五十円のコロッケを買う。では二倍以上の月給三十五万の夫を持つ主婦は、わざわざ二倍の価格である百円のコロッケを買うか?NO、今のご時勢では大方買わないね。五十円のコロッケに「アメリカ産牛肉脊髄入り使用」とか書いておけば違うかもしれんが。彼女もまた五十円のコロッケを買う。その方が「お徳」で、それが「賢い主婦」だからだ。♪明日がー見えないよー♪だわね。 )
そら教科書や参考資料に使われたら、一冊や二冊のちまちました売り上げじゃないしな。「これは良い文献だ」と評判になったら他でも使われるかもしれんしな、ナイスビジネスチャンスだろ。 それでヤツは味をしめて、小売や問屋を通さなくなったんだ。迷惑。
図書館では大黄河とかシルクロードとか海のシルクロードとか大英博物館とか、たぶん政府や国際団体が金を出してるビデオ(「〜遺産」「地球の資源」みたいな)が借りられるので、まあいいかと思ってる。
こないだ日記につらっと書こうとした際に度忘れし、中絶という語がどうにも思い出せなくて堕胎と打ってしまったのだが、考えてみると昨今では使わないのだった。ひょっとすると使うに憚られる言葉なのかもしれないと恐々としてしまった。例えば「インパクトが強すぎる」とか、「やらない方が良い悪い事のようなイメージを持っている」とかでアカン言葉なのかも! …と。 特に「堕」という字があやしい。この字は妙に退廃的な匂いがするし。「胎」という字もあやしい。何についてなのか直接的でリアリティがある。中絶ならば「物事を途中でやめること」みたいな漠然とした意味をもともともっており、語自体の含む意味のうちで対象物を限定し指定してはいないので、無機的で事務的な感じがする。この言葉には、その事を行う人、その事を行われるもの、その行為や選択に対する価値観など、人が乗せる寄せる思いの気配が無い。より中立的な感じがする。だからこっちが良いのかもしれないなあと思ったわけよ。 後でまたちょっと調べてみたら、堕胎の方には「生きている胎児を〜」なんて説明があったりする。…「生きている」。ううん、ヤバげだ。人の心に引っかかりそうな気配がある。
大体「胎児になってから(それをおろす)」って感じがするものな。中絶はもっと前の段階だろう。何ヶ月目までだったか忘れたけど。法律で禁止されてる段階まで行った後の事を言うんだろうか。だから使われないのか?
ところで、新聞とか社会関係の本を読んでるとナチュラルに「中絶クリニック」と出てくるんだが、中絶クリニックというのは産婦人科とは違うのだろうか?私は産科と婦人科は一緒だと思っていたような女の風上にもおけないアホでよくわかってないんだ。 婦人科はあって紳士科???は無いってのもおもしろいけど。元々は要はメインの対象思考が男性で(男性中心社会で)、後から別個に女性について考え始めた(研究し始めた)んだろうかと思うが、そのうち女性についてだけ専門家がいて男性にないのは男性軽視だという事になったりせんのだろうかと可笑しく思う。前立腺の病気だって泌尿器科にまとめられちゃってるのよ?妙だと思わんか。女性性器の病気は婦人科に行くっぽいのに。 あと、小児科はあるのに老人科は無いのよな。老人科にすると嫌がられそうだけど。
また脱線したが、そういう具合で、話題が外れる前の元の日記自体大した事を書いていたわけではないので、ばっさり消してみた。 大体それを書いていてそこへ派生するのがオカシイと自分でも思ってはいた。「〜について、いかがわしく思う。イカと言えば大王イカは〜」といった具合の話題の飛びっぷり。
いや、此間本読んでウニョウニョ考えて、その後新聞記事とかで見かけてからなんかウニョウニョ考えていたのが滲み出てしまったのよな。自分が興味関心がある言いたい事があると、こじつけとしか思えない強引な話題の転換をしてしまうのは同人女ゆえか(同人のせいにしない)。すごくそれについて話したいんだけど(自分も話したいし、人の話も聞きたい)「いきなり話しだすのもどうか」と常識的に考えて、さりげない誘導を試みるんだが、自分でも「いきなり話し出すのはどうか?」と思うような類の話題なので「さりげなく」が上手くいかないわけよ。
昔からよくスルーされるのでスルーされる事にはなれっこだが(幼稚園児の頃は不満だった)、常に微妙に欲求不満だったりもする。人と会話するという事は、言ってみればラブホテルまで行きながら三秒ほどベッドに座っだけで携帯が鳴って帰る事になってしまうような「なんなんだよ!」的欲求不満が大前提になるので、つい敬遠してしまったりする。覚悟めいたものがいるわけよ。 だからこういうところで一人でブチブチ言ってUPする前に我に返って削除したりするんだわよ。
たぶんそう。言いたいことが沢山あるんじゃないかと思う。実は。 「さあ言え」って言われてもなかなか言えないんだけど、実はあるんじゃなかろうか。
「今時間ありますか?」と電話で上司を呼び出して、一時間半以上ああだこうだ言ったら、翌日さらに上の上司から呼び出しを受け、クビになるのかと思ったら、上司に三人ぐらいで囲まれて「一時間時間を取りましたから思ってる事をなんでも言ってください」と言われて「昨日殆どしゃべってしまったんでもう特にありませんよ」と言いながら、一時間を遥かに超過して喋り捲り、「はよ仕事に戻ってこんかい。まだ終わらんのか」と職場に呼び戻されてタイムアップ。「今日はこのあたりで」とお開きになったりするんだよ。 つーかアレはなんだったんでしょうね。
「あれはなんだったんですか?」と尋ねてもチーフあたりは忘れてそうですよ。記憶力も落ちてるようだが(もともとかもしれん)、忙しさにまぎれて。 此間件のチーフが会議(?)だというのに休みましてね。インフルエンザに罹ったというんです。昼食時にそういう話をしておりました。 人「まだ休んでるわけ?」 私「チーフだって大分トシなんですし(←本当)体調崩してまで無理したらいかんでしょう。それでなくてもインフルエンザにかかったら出てこれんでしょうし」 人「まあそうよね。休んでまだ数日か」 私「今夜あたり峠かもしれませんよ」 人「………………」 私「………………」←飯食ってる 人「……今なんか、しらっと変な事言わなかった?」 私「…ん?何か変な事を言ったんですか?何の話です?」 人「いや、あんた今変な事言ったでしょ」 私「私?何か言いました?」 人「峠がどうとか」 私「ああ、今夜が峠かもという話?」 人「冗談よね?冗談なんでしょ?」 私「いや何が?」
よく冗談かどうか確認をとられるんだけど、冗談か冗談じゃないかなんて前もって意識して喋ってないのであらためて確認されると困る。
そういえば、また人と、自分や家人が突然病気して入院なんて事になったら心理的なもの以前に物理的にも色々と準備がなくて慌てるだろうという話をしていたのよ。知り合いが倒れて救急車で運ばれ、家族は病衣を二着と入院に入用の物を買ったが結局直ぐに亡くなり、一着は結局着ないままになった。という話をした。長く患う事になれば必要なものも大量になるが、直ぐに亡くなるのなら買っても全部無駄になり、日常では使わないので勿体無い事になるとおっしゃった。 そこで私は 私「私も無いですが、親も無いんですよね。実家帰ってもあの人らはタオルも少ないしバスタオルなんか一枚も持ってないんですよ。寝巻きも一着持ってるかどうか怪しいもんですし、病衣なんかあるわけがないですよ。今入院になったら全部一から揃えなきゃいけません」 人「うちはタオルはいっぱいあるんだけどねえ。引き出物のが売るほどあるわ」 私「私は一人分でギリギリ回る分しか持ってないんですよ。実家も余分なものはあんまり無いですね。親もトシですし、もういっそここらあたりから買う服は全部病衣で揃えてもらっといたら無駄は無いだろうと思ったりもしますよ」 人「……………え?」 私「ん?」 人「冗談よね?冗談で言ってるのよね?」 私「何がです?」
なんでそんなやたら確認するの(苦笑) 私が凄く本気に見えるとでも? …あのな、本気というのなら本気に決まってるだろうが。それが問題か。 峠の話で言うのなら、私は別段年をとった人間でなくても「いつもと何も違わない気分で過ごしていたが、その頃ちょうど人は死に掛けていた(死んでいた)」なんて悲劇は十分にありうるどころか多発しているだろうから、これもまた「まだ休んでんのかよー」等とブチブチ言っていたら相手はそのまま死んでしまったなんて事にならんとも限らん。それは若くてピチピチしてるのと年取った人間を比べれば確率は高くなるだろうと思うし、後の話で言うならば、仮に物質的に合理性を追求して極限まで無駄(とされそうな事)を省く事を第一義とすれば至極真っ当な選択だろうと思うよ。 だからこそ「そんな馬鹿な」とサラリと笑って流して欲しいのに、あらためて突っ込まれると、さも私が人の想像もしない冷徹な事を当然のように思う冷酷無比の権化みたいじゃないの。違うとは言わんけど、そんなぎょっとした顔をされたら…(苦笑)。
そうした考え方や感覚は合理的で効率的で現実的だと思ってるわよ。ただ自分であんまり好きじゃあない。 私が間抜けで遠まわしな事をうだうだやってたりすると、人によく「効率的じゃない」とか「どうしてそんな無駄なやり方をするのか」と注意され、それは勿論単に私の頭が悪くて上手いやりかたを思いつかなかったり、能力不足でできないってのもあるが、「できない」からという理由だけで「私はこれで良いんじゃ!ほっといてくれ!」と正面切って、あるいは内心反抗するわけでもなく、一部「無駄の何が悪いんじゃあ!効率効率煩いんじゃあ!効率がナンボのもんじゃい!」という憤りもあるのよ。 この非効率的な私の人生(主に履歴書)をごらんなさいよ。「無駄上等!」という信念を貫こうとしている野心をヒシヒシと感じるよ。
人には可愛げのある思考と価値観の方を応援して欲しいが、底意地の悪い方の肩もアハハと笑ってナチュラルに受け入れて欲しいわけよ。気に入らないからって苛めたらいけません。
うんにゃ、しかし私も駄目なのとかあるのよな。冗談に関わらず、なんか同じ事を同じように言ってても駄目な時とかもあるのよ。何が違うのかわからんけど、ムカっとするとかギョっとするとかじゃなく、長さ三センチぐらいの導火線に火がつくときが。よく気が長いといわれるが、べらぼうに短いそういうのがある。職員室に怒鳴り込んだ時とか、「今ちょっといいかしら?」でいきなり電話する時とか、「これだけ言わせて」でいきなりメールする時とか、「そんな事言ったんですか?…ちょっと行って来ます」で事務所に突っ込む時とかはたぶんその導火線に火がついた時なんだ。そして後で一思いに首を括りたくなるのよ。
厳密には底意地が悪いとは思ってない。…実は自分が性格悪いとは全然思ってないのよ、アハハ。まあ他人にも思わんのだけど。いや子供の頃はオカンは性格が物凄く悪いんじゃないかと思ってた☆
てゆうか、だからなんでそう逐一驚いて確認するのよと言いたい。びくびくしちゃうだろ。そういう時には、「矢口さん、そういう事は冗談でも言っては駄目なのよ」とこう言えばいいのよ。そしたら私もそうかと納得して、「思った事は今以上になるべく言うまい」と……なんの問題解決にもならんわね。 あーあー、こういう人を傷つけたりギョっとさせないためには生涯口を縫い閉じていなければならないような人間を一般的に「性格が悪い」って言うんだよ、たぶんね。いやどうかな。
なんつか、「なんて事言うんだ」と思ったなら「こんな人間だったんだ」と思い、「死んじゃえ!」とか適当に思ってればそれでいいじゃないの。なんで私がおまえの中のイメージの自分に見目を合わせなければならないんだとちょっと苛っとするというか。 …あ、アレかも。どこか心を人質に取られて脅迫されてるように思うのかも。「これを本気だというのなら私はアナタを軽蔑しますけど良いんですか?」みたいな。…あー、そうね、まさにそうなのかも。それで「わざわざ了承を取る必要は無い。したければ勝手にすればいいだろう」とキレそうになるのかも。 「私を好きなら××するはずだ」とか「□を助けたかったら○○しろ」とかが全然駄目なんだから。これだけは駄目なのよ。それをやられた瞬間に嵐の中の木の葉の如く引きちぎれて吹き飛んでいくものがあるのよな。「おまえを好きだったことなど一度も無い」とか「□など死んで欲しい」と、そういう方向に走って行くんだよ。もうどうにもとまらない♪って感じで。きっとああいうのを逆鱗と言うんですわね。逆さまに生えているんだな何故か。
久しぶりにムーランルージュのEL TANGO DE ROXANNEを聞いてたせいで一人激情になりかけてみた(笑)。 いやいつ聞いてもコレ、本当にカッコイイ。最高にカッコイイ。惚れ惚れする。特に一度静かになってからの最後の盛り上がりのところなんか倒れそう。笑顔が全開に。こういうの凄く好き。鼓膜が破れそうになる大音量でわんわん聞きたいわ。耳が悪くなるからせんが。
| 2007年04月05日(木) |
好きなものの名が言える。 |
本屋で魚料理の本を立ち読みしていたら、お魚さんをぶった切って解剖。私の好物の部位名が書いてありました。 「血合い」…というらしい。 こんな全国各地の書店に並ぶ文庫本に載っているという事は、これは標準語だな?標準語だろ?正式名称なのね?以前に魚の図鑑を調べてもわからなかったんだ。捌いた時の部分名称とかあんま載ってないんだよ。人に聞いても、「改めて聞かれると自信が…」と惑われて。 そういえば、高校時に農高に行った友達と最初の中間テスト時に「農高ってどんなテスト?」と聞いたらば、「豚と鶏の絵を描かされた。改めて描こうとすると自信が無いんだよね〜」だった。「なかなかいいな農高…生活に直結してて。以後の人生ですげえ役に立ちそう」と思った覚えがある。下見にと学校案内には行ったので(そんで家政学科で雑巾か何か作った記憶がある)、ひょっとすると農高に行っていたかもしれないんだよね。なのに願書提出の数日前に行った普通高の建物がギリシャ神殿のようでかっこよくて、しかも海に面していて風が強くって、あげく山に囲まれて空気が綺麗だったので、通学に二時間近くかかるというのに普通に行ってしまったんだよ。人生わからんものだよ。
私は魚の中でココが一番好きで、幼少期はココ以外食べたくなかったぐらいだ。魚は血合い、肉は脂身しか美味しいと思わなかった。部分的に少ないので、家族の取り分からそこだけ剥ぎ取り、通常部分とトレードして掻き集めて食べていた。大好きという人が割と少ないのでラッキーだった。歳食ったら、「幸福はささやかで極偶にな方が得られた時に感覚的にデカイ」「苦しみや悲しみと混じっていなければ喜びには価値が無い」「幸福や愉悦ばかりの人生ならば生きる事の意味がわからない」「何事もイマイチ上手くいかない?ぐらいがベスト」等と思うようになったので、素直に自分の分だけ剥ぎながら悦悦と大事に食べている。…が、それほど好きなのに、名称がわからなかった所為で、「魚の黒いところ・魚の黒身・魚の脂身・魚の少ししか無いところ」等といいかげんな呼び方しかできず、自信が無かったので「チアイとかチガイとか言う人もいる」ぐらいしか言えなかったが、ついに日本全国に共通の公式名称がわかったので、今度から 「私は血合いが好きだ」 とか 「血合いのところだけくれ」 とか 「血合いをくれないのか」 とか 「血合いがたくさんあるやつが良い」 とか 「血合いが一番多いのはどれだ」 等と適切に表現できる。余は満足じゃ。
レンタル屋で流されていたバッテリーのCMが蟲師のCMに変わってしまった。お友達に「(地元で)バッテリーの撮影してたのよー☆」と言われるまで、舞台が岡山だと知らなかった(気づかなかった)のだ。CMで妙によく聞く方言↓ 「おまえはなんで野球をやっとるんじゃあー!」 「おまえにとって野球はなんなんじゃあー!」 が流れて和んでいたが、つい広島かと思っていたのよ。広島もこんなじゃね?映画では、「はよ、しねぇ!(「早く死ね」と言ってるように聞こえる「はやくしなさい」の意)」と言って、「なんと野蛮な!」と観客をビビらせたりするのかしら?(しかしそれは倉敷の方言と聞く。倉敷から遠ざかるほどに優しくなるラシイ)それではR15指定になってしまいそうだな。 方言は和むわねえ。なんで和むのかわからんが。
何を日記に書こうとしてたかというと、魚と、デスクトップマスコットの目玉親父が可愛すぎるという話だったのだ。ゲゲゲの鬼太郎の公式サイトでDLしてきたんだが、踊ったり茶碗風呂に入ったり走ったりして凄く可愛い。 これがポスペのように撫でられたら最高なんだがと残念に思う。ポインタを合わせると、停止してメニューが出てしまうのよな。
| 2007年04月01日(日) |
結局四月までズレこんで。 |
三月末(昨日)までには無理でしたが、なんとか更新してみましたよ。 実はアアいうものの一部でした。 ふと気がついたのだけれど、どうもここ一年以上ルナしか更新してませんね。いかんなコレは。少し悔い改めます。まずはゲームしろよって感じだ。
筋肉占いというのをやったら、相変わらず某嬢とは相性が良かった。 某「だって誕生日でやるんだから、そうに決まってるわよ」 そうなんだよね。誕生日でやって仲悪かったのは何かの三国志の占いぐらいだよな。だから何が元ネタなんだろう。四柱推命だろうか。どうしてもわからない。 しかし筋肉の名称など知らないので、わけわからない。 「お姐さんはお姐さんの好きなソウボウキンと相性悪いのよ!」 と報告したところ、 「違うのよ!どうも私の好きな筋肉はソウボウキンじゃないみたいなの!」 と来たものだ。調べてみると確かにソウボウキンではなさそうだ。もっとマイナーな筋肉だったよう。 そんなお姐さんはケンコウキョキンらしい。相性の良い筋肉が沢山いてうらやましい限り。私なんかケンコウキョキンしかいない。
そういえば、デ○ィッド・ボウイってもう還暦なのね!びっくりだ。そういえばそれぐらいにもなろうか。あまり変わらんので気づかなかった。 ギャオで今月十ナン日かまで特集してるようなんだ。私は初期のイメージが強くて、てっきりこの人はグラムロックの人だと思っていたんだが、後にレコード店でバイトしてた頃に初期から最近のまで並んでるアルバムを眺めていたら、どうやら「デ○ィッド・ボウイ」という「ジャンル」なのだとわかった。もうこの人は歌手とかいうより要は凄いエンターテイナーだよね。なんでもできる人というか。そういうイメージ。
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