非日記
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2005年11月29日(火) 思い出した。

さっき突然思い出したが、明治一桁はさすがに生きてないのではないだろうか。そんな書いた気がすると思ってみたら、本当に書いていた。
明治末から昭和一桁ってあたりです。
きっと明治一桁も激動を生きて、ゴキを素手で叩き潰していただろう気がするので、そのまま放置でも別にいいような気もするが、私の中では指していた個人が一応いたので書き直す事とする。

私、喋る時と書くときはあんまモノを考えて無いんよな。いかんだろ。
いや、一応考えてるが考えてないような気もする。
大体喋るのちょっと遅いし。本日も

人「×△は○○ですか?」
私「はい、それは○×しました。それの×が××なので、○△が××になっていて…」
人、立ち去る。しかし虚空に喋り続ける私
私「…(略)…だったので、○×しておきました。」説明終了
人、戻ってくる
人「ごめんねー最後まで聞かなくて」
私「いえ、かまいません」はんなり
うん、やっぱ結論を先に言うべしという英語は賢いな。「人は人の話なぞ聞かないであろう」という人間に対する覚悟が見受けられる。
たまには早いんだよ。

アメリカ大陸にナイル河が流れてるとか素で言うような人間の娘やねん。「よく考えてみると確かに流れてないな」という。ではいつ何かを考えてるかと言うと、あんまり考えてる感じはしないんだが、それでも一番考えてるのは自分はどうするのかという行動の選択を決める時、とかかな?
というか、「本当は、自分はどうしたいのか」を考えるのが一番頭を使うように思う。いかにもバカっぽいが、「本当は」のところを強調したい。


2005年11月28日(月) こわい。

1).今日、いつも意地悪な、正確に表現すればイヂワルな女の子が「矢口さんは優しいから、私なんかより云々」等とうつむき加減に言いました。世間にも有名なイヂワルを(本人は悪意はない。本人は精一杯頑張っている。ただ、「間違って」いる)、流して、流して、流して、流して、流して、流して、流して、流しまくっていたら、最近確かに大人しくなってきてたが、どうしちゃったんだろう?こわい。


2).今日電話がかかってきて「ワタシ。今帰ったトコ☆」等と言うので見知らぬギャルソン…じゃない時を駆ける野太い声の少女の間違い電話かと思ったら、自分の父でした。かわいこぶってる。こわい。
いや、彼は時々一人称「ワタシ」なんだよ。自分の事を自分で自称する時は「ワタシ」なんだ。親子でもなかなか聞けないレアな一人称だ。他人に対して自分を指す時や真面目になると「ボク」になる。
…ただ、なんだろう、そのカタカナは?今カタカナで自分的に可愛く喋ったじゃろ?


乗り換え時に大きなビル前で待つのだが、その近辺のビル屋上に設置されている、通常は巨大な広告を四方に貼り付ける看板?みたいなのが、ずーっと裸んぼで、骨組みだけ見えている。
夜明けの空にあちこち浮かぶ巨大な鳥かごのようで美しい。
鉄骨と鉄骨の組み方が、色糸を組んでつくる鞠の模様のようだ。

ついに、長年格闘してきた親ゴキ(の一匹?)を殺った。
平面を移動する、初めて見せたヤツの隙。逃さないでいられようか、そういうわけにはいかない。カサカサカサ動いていても聞こえぬふりをし、一撃必殺を狙える場所まで移動してくるのを黙って待ち続けたかいあり。

……………ただ、願わくば、薄いビニール一枚越しに感触をしっかり掴みながら握り潰したくはなかったわ…。
もう「女の子」ではいられない。
死ぬ前に、「キャアー!(カラーはイエローで)」とか、言って、み、たかっ…た…。

激動を生き抜いた明治生まれや昭和一桁生まれだと、躊躇いも無く生で素手で直に握りつぶすらしいよ?


2005年11月26日(土) 発見。

発見!
バリウムに副作用の疑い45例だってよ!

アタイはまた嘘をついてましただね?今度からバリウム検査をする人には「私は九死に一生を得て生き残ったが、あなたは死ぬかもしれんよ」と言うべき?
しかし、死なないように気をつける唯一の方法は生まれないことぐらいなんじゃないかと、元来思わないでもない。
私は小数点以下(の不運を逃れて、ほぼ絶対多数の幸運に見舞われるという)の奇跡も大事にするみみっちい人間なんだよ。いつも奇跡に打ち震えてるんだよ。チャンスを逃さず感動すべく虎視眈々と狙ってるんですわよ。

「こういうのは疑惑が判明と同時に訂正しておくべき?わたしゃドカンとバリウムは無害って書いたよな?」と思いつつ、どこで書いたか探すのわずらわしいなと思う。別のページで訂正しても、ひょんなどこから入ってくるかもわからぬネットだし、ひょいとやってきてそこの記述だけ見てウッカリ深層心理に覚えてしまうかもしれんから、訂正するならその場所を訂正せねばならんものだろうといつも思うのよ。間違えた事や考え違いをこそこそ隠すみたいで嫌といえば嫌なんだが、いや、もういいよ。自分の失敗は隠す人で。
まあ、真剣にバリウムについて思いをはせるような人はこんなところは拝まんだろう。そのうち気が向いたらね。どこだか探すの面倒だしね。たぶん「飲んでみました」あたりだと思うけどね(覚えてるじゃないの)



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「恋愛成績表」というのを発見して、結果がわかりきっているのにやってみました。わかっているのに、いやわかっているからこそ確認せずにいられないというか、怖いもの見たさというか。やめときゃいいのにと自分で思いながら、「いっそ一思いにバッサリやっとくれ」という。
職場でもよく言われますわね。
「殺すなら早く殺してェ!」と。
どんな職場だ。そんな職場だ。怨嗟と呪詛に満ちてますだよ。
どどいつでなんかありましたわね。
♪こうしてこうすりゃ こうなるものと 知りつつこうして こうなった♪
って感じの。
ヤル気の無い諦めの悪さとサッパリ風味のしつこさが私の売りですよ。


総評>
全体として残念な成績でした。赤点はすぐそこです。男性のことをあまり考えたことがないのではないでしょうか。
↑私より成績の低い人間が想定上存在するという事がおどろきだが、しかし大体「恋愛」という概念において、女性入力をしての対象として「男性」しか想定していない事が明らかな論調に、記述者の論考以前に定義の甘さと人間としての底の浅さを見る思いですね。「もしゲイやレズがやった場合に、あんたは妥当な判断ができるのか?すごい頓珍漢な事を言い出すんだろう」という。ここでまず鼻で笑います(←私は何がしたいんだ)。

恋愛プロセス>(評価 2)
恋愛プロセスは下手です。個別に見れば、別れるのは上手なのですが(略)
↑別れる才能も評価の中に入るのかい。プロセス?プロセスなんか知るか。プロセスって事はなんだ、出会って酷薄もとい告白して付き合って別れるまでで完成か?誰も完成は望んで無さそうだが。
せんせーい、しつもーん。恋愛ってなんれすかぁ?センセーの黒板の字がー汚すぎてー読めませえーん。

振る舞い>(評価 3)
振る舞いは普通の評価です。これといって印象が良いということも悪いということもないでしょう。
↑天才的なバランス感覚と思っていただきたい。おまえは並の人間を馬鹿にしすぎだ。

向上心>(評価 2)
向上心についてはほとんどありません。
↑昔からあんま無いんだよ。向いてる職業が「宗教の教祖」なところで、ナチュラルにしていて向かってる「上」が方角的に間違っているだろうことはわかる。この体勢のまま「向上」してはいけない気がする。たぶん出家する。いっそ向下しなければいけないのではなかろうか。

考える力>(評価 3)
普通です。
↑望むところだ!普通!最高評価だ。
「話しててもつまらないタイプです」って、おまえを楽しがらせるために、あたしゃ生きてるんじゃないよ?おわかり?

こころ>(評価 1)
「こころ」については評価が低く出ました。各項目を評価すれば、どれもこれも全滅です。
↑「どれもこれも全滅」!いっそ清清しいまでの表現だわ。
一体何をどうやったら「どれもこれも全滅」になりうるのか、いつもながら自分の才能に惚れ惚れするよ。

オプション>(評価 2)
この成績は厳しいものといえます。
↑私としては、押し出すところはオプションしかない気がする。「こういう女は、というか人間は、なかなかおらんのではなかろうか?」というところがオススメのオプションだ。
てゆうか相手(私)と付き合っての自分(相手)にとってのメリットなんて、それぐらい自分(相手)で考えなさいよ。なんで私が考えてやらねばならんのよ?

そのほかの語りたいポイント>
どんな人生だったかはわかりませんが、かなりすれている印象があります。純粋さに欠けます。
↑どんな人生だったかは私も知りたいところではある、が。
しかしそこダケは聞き捨てなら無いわね!(全部聞き捨ててないだろう)誰が「すれてる」ってや!?私の何処が「すれてる」ってのよ!?私はすれてなんかいないね。何言ってるの、ピュアソウルですよ。
♪およそ世間にせつないものは〜惚れた三字に〜義理の二字〜♪ってぐらいのピュアフルソウルですよ。
おまえが妙な質問の仕方をするからだ。私の許可も得ずに印象なんか勝手に脳内で捏造してるんじゃありません!
ね、皆!アタイすれてなんかいないよね!?あ、皆がいないワ!

いっそ赤点を取ればよかったわね、私。あははん。
私の何がいけないのかはわからないのだが、たぶん何もかもなんだ。


>>
そんな駄目鑑定結果を出して懲りずにまた黄昏手ていた所為か、悲しい夢を見ましたよ。

私はモテない男の子で、パパは美男のお医者様でママは美人看護婦なのに自分はたいへんなブスで自分に自信の無い女の子が(←気鬱で友達もいない)、原因不明の不治の病におかされ死期が近いカモというので、我が子を不憫に思う美人ママに頼まれて美人ママ監修のもと、青春の一ページ、思い出デートをしようとしていました。
我ながらすごい設定だ。こんなふざけた話なのに、忘れましたがシリアス設定満載の感動の展開でしたよ。嗚咽にまみれて目が覚めたからね。

ちょっとは期待してたのに、「どうしてこの親からこの子が!?実は養子!?」という実際素敵な不美人だったのですが、長い闘病生活から久しぶりに外に出、大変楽しみにしていたらしく、そこがちょっと可愛かったです(自分の性別を思い出せ。駄目です。夢の中では魂の性別は思い出せません)。「あ、いける、いけるよ!可愛いじゃん!ブスだけど!」とか思いました(こら)。
ら、どうも様子がおかしいのよね。ママさんが「大丈夫?」と問うのに「大丈夫よ!」と言うのですが、なんか明らかに体調がおかしいのですよね。「ただいま無理してます!」という感じの。
そこを突っ込んで、今日は止めにして病院に戻ろうと言ったら「大丈夫だってバ!」と逃げられました。
…心配してるはずのママさんが追いかけないのですよ。本当は体調が悪いのをちゃんと知ってたんですな。看護婦だもの。
お医者様に、これが最後の外出になるかもしれない(許可は出せない)と言われていたらしいのです。「たとえ今日ここで倒れて死んでも、せめて最後に夢の一つぐらいかなえてやりたい。もし病院に戻って今日を生きながらえても、何の夢一つ叶えられないまま病院に閉じ込められたままそのまんま死ぬよりは」等と言うわけです。
ええ、そうかもしれません。そうかもしれませんよ。命は、いずれ失うものです。いずれは失う命自体より、その命でどう生きるか、何のために死ぬかの方が大事かもしれません。他人にとってどんなにくだらないことでも、本人にとっては大切な事はたくさんあります。
…そうなんだろうか?それが正しいのだろうか。本人のためとはそういう事なんだろうか。彼女のためなら、そうなんだろうか。自分はそうさせたくなくても、本人がそうしたいというなら、そうさせてやるべきなんだろうか?そして自分がそうしたくないとしても、そうしなければならないんだろうか?
どのみち遅かれ早かれ死ぬというのだ。夢もかなえずに死ぬか、夢を作り物でもかなえて死ぬか。それならば、作り物の夢でもかなえてから死んだ方が良いような、気もする。諦めて死ぬよりは、諦めずに最後まで何かをしようとして死んだ方が良いような。確かに。
ちょっと、一瞬迷う。
でもなんだろう。なんかおかしい。なんかがおかしい。どこかでオカシイ。その通りのような気もするのに、どうもどこかおかしい気がする。おかしいよな?

ものすげ悲しそうに、「自分は無茶だとわかっていて放っておきたくないけど、何も出来ない自分があの子にできる事は」みたいな事を言うのを聞いたら、うっかり動揺して迷ったのに、なんかしらんがキィと頭に血が上りました。クワッと。ボンと。おかげで迷いが切れました。
「それは、彼女(子)のためではなく、おまえのためだろう。彼女の為に何かをしたいというおまえの自己中心的な動機を『あの子のため』に摩り替えるな。彼女を死なせる行為を黙認することを相手の所為にして正当化するな!おまえがそんなだからあの子は!あの子が病気になったのはおまえのためだ!美しくも賢くも生まれ育たなかった事を不憫がる、あの子を『かわいそうな子』にしたてあげたおまえのせいだ!自分が美人で賢くて性格が良いからって何様のつもりだ!?優しい顔をして優しいげな言葉で真綿で首を絞めるようなやり方をしたおまえのせいだ!あの子はおまえの為に死のうとしてるんだよ!かわいそうな子だったが、最後に夢をかなえさせてあげられたと思おうとするおまえの為だ!醜く生まれ何の取り得もなく何もできないまま死ぬことを嘆くおまえに肯定され愛されるためだ!最後までそのためになんてふざけるな!ぶっ殺す!殺す!私はおまえを殺す!」という疾風怒濤の怒りが。
すると頭にカーッと血が上って、ものすげ勢いで考えました。危なく目が覚める勢いで。よく覚えてるんだから半分起きたんだろうな。
この正義面し、善人面した理屈を打ち破る理があるなら、それを掴めるなら、こいつに勝てるなら、悪魔にだって魂を売る勢いですよ。てゆかもう売ったかもしれません。

確かに、もう時間が無い。死ぬ寸前まで行ってるのに、病院に引き戻したとして、やはり何もできないまま死んで行くだけかもしれない。それは確かなんだ。どうせ死ぬならせめて最期に綺麗に着飾って友達や彼氏と楽しく遊びたいと言うのは確かに彼女の望みでもある。
でも本当の望みは違うだろう。全然違うだろう。本当の望みは、美人で賢く親に嘆かれないような自分に生まれ、幸せになる事だっただろう。そういう理想の自分が自分自身の魅力で、幸せに暮らし楽しさを感じる事だっただろう。哀れみによってお膳立てされたものではなく。そうじゃなかったろうか。彼女は嘘つきだ。どうして自分を綺麗に賢く産まなかったのかと親を罵れないでいる、嘘つきだ。良い恰好せずに素直に正直になるならそうだろう。地団太を踏んで「あんたのせいだ!どうしてなんだ!?醜いのも頭が悪いのも私のせいじゃない!それなのにどうして全部私のせいにするの!」と泣き喚いて罵るところだろう。
せめて美人でも賢くなくても、そんな事は関係無いと言い切れる価値観をくれなかった親を、そんな風に育てずに哀れんで嘆いて育てた親を、お前たちは最低の下種野郎だと罵れないでいる、彼女は嘘つきです。
命の間際になってもまだ親を庇おうとしている嘘つきだ。優しいけれど、でも私はそんな優しさは嫌いだ。

私はそんな真っ赤な嘘の望みを叶えて、それで良かった、それが正しかったと満足するような心の広さは持ち合わせておりません。超狭いんだから。
それで一生懸命考えてみました。私は案外負けず嫌いんだな。絶対負けたくない時ってのがあるんだよ。死んでも負けたくない時が。

私は結局「死んだって、デートぐらいできる!」とママさんを振り捨ててグループデートの友達連中と追いかけましたよ。

さあ、私の脳が問題発言をしていまーす。
死んでもデートぐらいできる。では、死んだら何ができないと言うのか?
いや、あの時は本気だった。本気でそう思ってましたよ。何か、死んだらそれだけはできないことが他にあったんですよ。それだけはやらなきゃならない事が。
その時の脳は知っていて、夢見てる私も「そうだわ!その通りだ!ここで死んでは駄目なんだ!」と自分の発言に愕然と納得したのですが、慌しかったのですっかり忘れました。
どうせおかしな屁理屈だと思います。

ちなみに、斜め上からよく見たら、彼女はものすげー睫が濃くて長かったです。なんでそんな事を覚えてるんだ私。(ちょっと美人と思ったので)
そうなんですよ。彼女は本当はそこまでブスじゃないんですよ。最初は、なんたって誰が見ても美貌のママと比べてしまったので「ギャ!?」と思ったけど(失礼な)、実は美少女なんですよ。角度というか見ようによっては。パーツが良いんだから、本当は綺麗なんです。

嗚咽するほど泣きながら目が覚めたのは、彼女の担当医の友人の医師の物語だけど。
彼はなんかちょっとねえ、心臓を絞られるような人だったわね。痛々しいというか。涙の触覚で目が覚めました。
相変わらず夢が長いよ。


2005年11月20日(日) 朝が寒い。

某名前も知らない朝だけ知人と、毎日「寒すぎですよね!」「寒すぎますよ!」という会話で盛り上がっている今日この頃。


先日、日記を書こうかと開いたら、下の広告欄に<頑張○ても痩○ないアナタへ>と書いてありました。
何かを書こうと思ってあけたはずだのに、一瞬で忘れましたね。
ああん?人は眠いのに、ナニそれどーいうイミかにゃ?キミは何が言いたいのかな?つまり結局のところ何が言いたいのかね?何を申し上げそうろうしたいのかね?私には「おまえは太っている」という意味にしか受け取れないのだが、それは広告としてどうなのかね。もう少し深く突っ込めば、「おまえは痩せねばならない肉体だのに努力もできない腑抜けだ」とかそういうニュアンスを表現したいのかなあ?
この広告をクリックしたら、「諦めれば?」と、スレンダーなおねえちゃんがにっこり笑って言う写真が出てくるんだよ、きっと。クリックなんかしなくたってアタシにはわかります。

日記がここまで(↑)書いてありました。
ええ、夜は私の時間です。広告の言いたい事を相手の気持ちになって理解を試みてあげようという積極的な優しさの余力が無いねんな。なけなしの優しさと思いやりは昼に大方使い果たしてるんだよ。先日、職場の御方は(職種は違う)、「でも!私達だって人間なんですよ!」と熱く語っていたが、私もそうなんですよ。その意味は「相手が私達を人間として扱わないから、私達が相手を人間として扱う事に苦痛を覚える」です。私達だって人間です。だから人間の相手をしようって気にもなるんですよ。人間を人間のように扱わないのもまた人間らしさの発露とも言える。
別に共食いは人間だけに限った話ではないが。


また「○い」をして行間を埋めようとかしている私がおり、「いけない!いけない!」と思いながら、やってしまいました。
「BL○い」です。
いつものように、まず人身御供に他人からします。他人様は「クールな数学教師」だそうです。実にエロい感じですね。クールなんてエロの代名詞ですよ。数学教師なんて、まっこと卑猥な感じです。数学と教師がともに卑猥なイメージです。私がまだ可憐な女子高生だったつい先頃は(←問答無用)、…というか、どうして女子高生である間は自分が女子高生である事を忘れているんだろうね。卒業した翌日に本屋で成人向き男性向けエロ雑誌の表紙を見て、「自分は昨日まで女子高生だったが、今日は女子高生ではない」という現実に気がついたことがあります。実は女子高生とは、女子高の高校生という意味でしょうか?私は女子の高校生だと思っていたんだが、その辺、男性的にはどうなんだろう?女の私の方からすると、「男子校生」というと、男子校の生徒という感じがするんだが。
私の付き合いと経験からすると、女子高の方が共学より女子は破廉恥なんだが、男子にはドリームがあるかもしれん。後に病院勤めになった元同僚が「僕はナースへの夢を破られました。ナースにはスケバン(ヤンキー)と修道女しかいない!」と力説していましたよ。修道女といっても煩悩をくすぐるような清楚タイプではなく、ガチガチのミンチン先生みたいなのらしいです。それはそれで萌えるんじゃないかと思うんだが、彼はもうちょっと流され上手のなびきやすいのが良かったらしい。頬とか染めるような。

それはともかく、私がまだ可憐で清楚で愛らしかった女子高生だった、ほんの先ごろの話ですが(ツッコミ不可)、その時分の数学教師は髪がバーコードで妻子もちで趣味は囲碁将棋だったが、その外見はともかくとして性質は受け受けしかったものです。私の机の前に膝をついて、「数学なんて人生の何の役に立つんだろう?」と自分の職分に煩悶してましたから。後、「○×(←同級生の女子)が最近暗いんだけど、なんか知ってる?」等と訴えてきてましたから、かなりの受け度でした。

そんな私は、「眼鏡の似合う鬼畜センパイ(よく覚えてないけどそんな)」でした。んん?眼鏡は外したほうが良いと言われますよ。鬼畜じゃあないと思います。アタイは優しいオバサンですよ。
職場でもよく「矢口さんが私を苛めるんです!」と苛められています。「矢口さんの態度が悪いです!」とか「矢口さんにヤル気が見られません!」とかそれはもうよく苛められています。
こないだも、「矢口さんの真似〜☆」とか言って妙な物真似をしていました。割りにポイントを押さえていたと思います。まさに私が心のコスプレをして遊んでいる時そのものの振る舞いでした。私も大人なので、てゆうか一応いくらも年上だし事実だしムキになってもしょうもないので、「確かに、私はそんな感じかもしれません」と素直に同意しておきました。
私「どうやら人には私にヤル気がないように見えるらしいんです」
人「見えます」
こんな風に日々苛められています。年上どころか年下にすら苛められている私。大学の教授も「僕を苛めないでくれ!」とか言って私を苛めました。失礼にも程があるってもんです。私には五六十の美形でもないオヤジを苛めるようなひん曲がった性癖はありません。私はこう見えても現実ではスタンダードにストレートです。可愛い女の子と綺麗な男が好きです。
いつもいつも「あんたのせいよ!」と皆に苛められながら生きてきました。そんな昔から一貫してイジメられっ子の私が鬼畜生のわけがありませんね。人間に足りない畜生ではあっても、鬼ではありません。
こういう○いをすると、自分が「そんな人間ではない」事がわかって癒されます。

そういえば、先日のぱーてぃの折に取った写真を渡されました。ぱーてぃーとは言ったものの、こういう会社の何かの記念で集まらせられるような集会は、本来総じて何と呼ぶものなのかしら。普段顔も拝まないどころかパートに毛の生えたような下っ端は名前すらよく知らないようなのがやってきて人の心を欠片も動かさないようなつまらない演説こくのを神妙な顔でありがたく拝聴し、強制で来させられている人間を目の前にして「これだけの皆さんが集まってくださって感激です」みたいな事を恥知らずにも口走るのを黙ってスルーせねばならないようなやつは?
写真は大嫌いです。
写真を撮ってた人と個人的に会場で鉢合わせして私しか写ってないのがあるので、ソレはいくらなんでも受け取らねばならないだろうと引き抜いたが、見るだに嫌になります。もうね、なんていうか、私は要するに写真が嫌いというより単純に自分の顔が嫌いなんだよ。美醜を超越して単純に嫌いやねん。私だってマトモな美意識というかマトモな感性があるので、いくらなんでも自分の顔がエレファントマンやハエ男やフランケンシュタインとやりあえるほど不細工だとは言わないし、そこまで凄まじいばかりの造作ではない事はわかっているんだが(いっそそうだったらソレを売りにできるだろうし、人も切々と語らなくても私の写真を嫌がる気持ちを察してくれると思う)、見た瞬間に思わず眉間にしわを寄せたくなる、顔をしかめてしまうような「醜い!」という鋭い感覚と生理的な嫌悪感を拭うことは自在にはできないわけで。
そこを人はわかってくれないよね。
鏡はそうでもないんだよ。極まっていた昔は、ふと顔をあげて鏡に映った自分の顔を見た瞬間に嘔吐した事も無いでもないが、基本的には鏡で見る場合はそこまで顕著ではないんだ。もしそうだったら、日常に支障が出る。身なりを整えることすら苦痛になるだろう。いや、身なりを整えるのは得意ではないが。
幼少期から自分の顔を鏡で眺めては「いくらなんでもそこまで酷くはないだろう」と自分で思って自分を鼓舞してた所為もあるのか、基本的には鏡に映った顔はそこまで醜悪に見えるわけでもないんだ。ところが、これが写真となると桁違いに醜く見える。正直に素直になれば目を背けたい。自分でも不思議だ。
自分で「私はブスだから」という人も多いが、はっきり言えば、世の中には美人の方がはるかに少ない。しかし私にはそういう相手が美人だとは思わなくても、醜いとは思えない。なんたって、言語道断に醜い顔を知っている。自分の顔より醜い顔の人間にはなかなかお目にかかれない。というか、いまだかつて自分より醜い顔の人間に巡りあった事はたぶん無いんじゃなかろうか?「この顔嫌いだな」とか、「不細工」と思う顔はあっても、目を逸らしたいほどの醜悪さを感じる顔は無い。
私が「凄いブス」とか「すごい不細工」と思うときは、大抵、顔の前に人間が嫌いなんだよ。笑おうが泣こうが怒ろうが忌々しいだけの。それでギャアギャア怒っているのを直視しながら、「結局、私は要はこの顔が嫌いなんだよね。どうしても好きになれないんだよ。見てこれ。本当に不細工よね」と大抵まるっきり他所事を考えていて、また「聞いてんのか!?」と怒られる。「すいません、あんま聞いてませんでした。本当にあなたの顔は嫌悪や憎悪を極力排除して平静な気持ちでしみじみジックリ眺めてみても、いかんともしがたく顔が悪いなあ。この顔をどうしても私は好きになれないんだよなと真剣に思っていました」とは正直に言えない。

心因性で自分の顔が歪んで見えてるわけではないのは、高校の時の美術で自画像を描いたときに教師が「えー?ここはこうじゃないだろ」と言って筆を取り、筆を入れようとして「あれ?確かにこうだな」と修正できなかったほどなので確かなんだ。私は自分の顔を物凄く精確に正確に見てる。美術教師すら手を入れられぬほどのコンマの狂いも無い精度で、冷酷なほど精確に見ている。正確に見てるんだが、それがセンスの上で醜く感じるのよ。それは単純な好き嫌いと同じなんだ。この顔が好きとか、あの顔が嫌いとかあるだろう。あれと全く同じなのよ。つまり、動かしがたい美意識とセンスとして消化されてしまっている。
気のせいか、写真になると醜さが強調されてるんだ。もうどう言えばいいのかわからないが、とにかく物凄く嫌な感じだ。
人だって自分の嫌いな顔の人間の写真をわざわざ集めたくないだろう。
だから私は自分の写真が嫌いなんだ。本当は撮るだけならまだいい。永遠に私に見せないなら別に撮ったって良いんだよ。というかね、皆がきゃいきゃい言いながら楽しく写真撮ってる脇に引き下がって、「ねえ写真撮ろうよ!」という誘いに「嫌だ!」と答え、楽しい気分に水を差すようなマネをせずに済むなら、よほどその方が良い。付き合いが悪いとか気取ってるとか間違った認識を甘受してもなお、写真を撮りたくないんだ。撮った写真を皆で和気藹々と見て楽しく過ごしてるときに、なんともいえない寂しさを感じてもなお、自分の写真を撮ってそれを見る事に比べれば容易く耐えられる。
もういっそ自分の顔を半分ぐらい焼こうかと追い詰められた若かりし頃に比べれば、まだ融通が利くようになったが、それでもやっぱり嫌なんだよ。
たぶん、私に見えるほどには人には醜く見えてはいないんだろう。それはわかっている。もしそうでないとすれば(私に見えるのと同じように見えているとすれば)、「写真撮ろうよ!」と誘ったり、写真を撮ってるところで「矢口さんもはやく入りなよ!」と声をかけてくるのは、凄まじい悪意を感じる。「こないだの写真できたよ!はい、矢口さんの分!」と持ってくるのは、嫌がらせを通り越しており、湯煙殺人事件的殺意を感じる。探偵役が私がどんな風に殺害したかを得々と説明している間、風に吹かれながら遠くを眺めている時の気分が想像できる。殺人を犯したことに良心の呵責も悔いもない。ただ、もしもがあるならば、この道行きを望んだわけではない。それはたぶん口にすれば言訳になるだろう。罪から逃れようとしていると思われるだろう。だから矜持が言わせない。「どうして!?」と問うので、言わない。それは、私の方が問いたかった。山川さん(仮名)、私は、あなたが羨ましかったわ。どうしてと臆面も無く問える、その、あなたの正しさが羨ましくて、憎らしかったわ。私にも…、そんな時があった…。菅田(誰?)を愛するまでは…。
行きましょうか、刑事さん。

しかしそういうわけではないだろう。それで私も山川さん(仮名)から逃げ回らなくて済む。それが理性というやつだ。


2005年11月16日(水) 残虐行為。

私は先ごろ、掃除をしていてGの卵を見つけました。

…私は真面目に見たこと無いんだが、ゴジラ映画内で、ゴジラの事を報告する時に「Gが云々」で「G」と呼んでたきがするよ。最近のはどうか知らないが、昔。アレ、なんか好きだ。なんかオカシイ。
ゴジラなんて物凄く架空の生物である事が映画視聴者にはわかっているのに、「G」と呼ばれただけで、何故か、映画内の自衛隊などの物凄い真剣さと深刻さを感じて(名を伏せなければならないほどの深刻さ。機密っぽさ)、めちゃめちゃ楽しい。
ゴジラって本当に終わっちゃったのよね。寂しいなあ。
見てたわけじゃないのに寂しいよ。
ゴジラとガメラが全く別シリーズであるという違いすら昔はわかっていなかったほどなのに寂しいよ。ゴジラ映画って予告編だけを繋いだだけで一時間以上になるシリーズの多さなのよな。最初は悪役だった。途中いいやつになって、後でまた悪役になった。

怪獣映画というやつには独特のものがある。何か凄く独特のものが。「モンスター」と言いたくない独特の感傷めいた感覚が、「怪獣」という言葉にある。「妖怪」みたいな。
「妖怪」って英語で言うとなんていうんだろう?いや、日本語でしか表現できない気もする。訳して「YOUKAI」だろう。欧米で言うなら、妖精や精霊が近いのかもしれないが、そんな神聖なものではない風だ。ちょっと悪魔にも近いのだが、そんな大そうなものでもない。物凄く俗っぽいものなんだが、俗世から離れてもいる。やっぱり向こうの妖精が近いのかな。悪戯もするし良い事もするし人間味もあって…というのが向こうの妖精にいるようだし。
しかし「妖怪」という言葉に付きまとう「怪談」に似た湿っぽさは、やはり地のものという気がする。妖怪映画を作っても、ホラーにはならないのよな。どこかがユーモラスすぎて。そこが外国の妖怪?映画と違うと思う。


ともかく、我が家のG(平たく言えば黒いやつ)の卵の孵化した後を発見したのです。だろうと思っていたよ。ちっちゃいのを発見するからね。

そんな中、ちっちゃい黒いのがトコトコ歩いているのを発見しました。
「あ、子供だ」と思った瞬間、同時に口ずさんでいた。

♪こーどーもーたーちはー♪

メロディは異邦人ですよ。異邦人の出だし。
「よいしょ」とティッシュを探します。いい感じなので続きも歌いましょう。

♪子供たーちーはー飯にむかいー触角をひろーげー♪
♪肉や(野菜)クズや米まーでもー食らおうとーしているー♪
♪そのすがたはー給料日前の金も持たないーわーたーしー♪
♪おまんまにーこの指がー届くとしんじてーいーたー♪

じゃん♪

♪流しとコンロがー触れ合うかーな−たー飢餓からの旅人を呼んでるー道ー♪

おもむろに近寄ります。親と違って鈍いよな。危険のなんたるかを全くわかってないね。自分がどんなに危険地帯を歩いているかが。

♪あなた(ゴキ)にーとってわたしーただのーとおりすがーりー♪

ぷちっとな☆

♪ちょっとー押し潰して殺っただけのー異ー邦人ー♪

酷い通りすがりもあったものです。Gにとってみれば通り魔みたいなものよな。
後はゴミ箱にポイですよ。

♪後はー悲しみをーもてあますー異ー邦人ー♪

色々な意味でなんとなく物悲しいですよ。
ゴミ箱を前に「命…か…」と皮肉な気持ちになるね。

異邦人というものは残酷です。
私、他の虫には割りと殺害する前に思わず無意味に「逃げろ」と言ってしまったりするんだが(そんで殺った後で、「だから逃げろって言っただろうが」と言い訳をしている)、ゴキと蚊には言ったことないね。「逃がすか!」しか言った事無いよ。蜘蛛や百足には言いませんね。私が逃げたいので。


2005年11月15日(火) 休みの日には休ませましょう。

相変わらず、飲みが入ると労われちゃうアタクシです。
「大丈夫?」とか「飲んでる?」とか。
あははん、そっとしてやってください。なんてゆうか、人が多すぎてアタイ倒れちゃうよ。人が多すぎて気が狂いそうよ。
シッ!シッ!人間、シッ!(壊)埋まれ!(殺意)

それでも朝っぱらから「確かこの辺にパンプスがあった…ハズ!牛皮が!うしかわが!(注:十年物)」と押入れをほじくり返し、荷物をぶちまけ、「確かこの辺に化粧品がー!」と押入れをひっくり返し、荷物をばら撒き、「ハンドバッグ!ハンドバッグは!?アレで良いよアレで!アレどこ行ったの!?皮が!皮!」とダンボールを引き倒し、「あったはずだろ!一つぐらい!無いって!?嘘!?あったあった良かった……って、ヤバッ!畜生この野郎!…ってゲロッ!?こなくそ!…ゲゲッ!」とストッキングをぶち抜き続け(履こうとして指でぶち抜くこと三足。さあ出かけようとして『最後の仕上げ』に引っ張りあげようとしてぶち抜く一足)、強制参加に怒り狂いながら、交通機関の中から路上へ向かって無闇にガン飛ばしながらも素直に揺られていくアタクシは、自分で言うのもナンだが案外真面目だと思います。

てゆうか、実は真面目なんじゃないのアタシ!?


んで、終わった後に引っ張られていき、何処へ行くのかと思ったらカラオケだった。
人が「大丈夫?」と言うので、「ん?大丈夫」と素直に応えたら、マイクを渡されました。ぎゃあ間違えた。違う。その歌は大丈夫と違う!大丈夫と違うから!


2005年11月06日(日) 昨日誕生日だったと思われ。

もしかすると昨日は誰かの誕生日じゃないかしら?
本当は五日に書きかけていた日記だが、昨日沈没したので、日付を変えてみますだよ。
毎年記憶が微妙なんだが、確か五日あたりだったような気が…気が気が気が…気が?

今年という今年こそ、いい加減に、ン年前に気安く約束したらくがきを贈ろうと思っていたのに、気がつけばはや今日と言う日でした。
今年はいいところまで行ったのよ?
作中に出てくる「ミニストーリー」を読んで(取り寄せたのは三年前)、「かっこいいー」とちょっとウットリしてみたり。

それはともかく、万が一誕生日だった時の為に、こっそりおめでとうと言っておこう。「XXXおめでとう!」と。XXX!
XXXには年齢が入りますよ?

何の誕生日プレゼントも無いが、某無料テレビ「ぎゃお」で、某デビ○ドボ○イのコンサート映像を十二月一日まで放映してる事だけ記してみようっと。検索サイトでカタカナで検索すれば直ぐ出てくるかと。
既に知ってるかもしれないし、確か日本ツアーには行ったような気がするし、ナマしか興味なく、PCでテレビは見ない主義で、インターネットとテレビの覇権争いに一家言持っていて信念のある聴衆かもしれないが、せっかく誕生日と思われるので私の知ってる事を。
12月1日までにここを見るかはわからんが、そこは知らず、興味があったら見に行ってみなされー。


あたくしは懐かしい初代トランスフォーマーを見て、五秒ごとにツッコミが入れられる懐かしさに浸ってしまいました。「うわ!これ、歌えるよ!」という衝撃。
私の喋るロボットへの執着と愛はここに端を発するわけだよと、たいへんシミジミした。

殆ど覚えて無いのに懐かしさのあまり見てしまったのは、デストロンとサイバトロンが致し方なく協力する非常に私好みの回だったので、いや、色々と突っ込みました。平たく言うと萌えたとも言うね。平たく言わない。
当時世間に「萌え」などと言う単語はもちろん無く、同人(誌)なんて知りもしなかったのですが(同じ志を持つ文芸作家が自費出版する雑誌のことかと。白樺派とかああいうやつ)、なんとなくメガトロン?様は可愛いなーと密かにドキドキしていました。

だって!
あの人!デストロンのボスなのに、一人じゃ何にもできないんだよ!?トランスフォームしても銃だから!自分を支えてもらって引き金を引いてもらわないと駄目なの!何もできないの!何も!なのに威張ってるの!なに、この超可愛いオッサン!?
いや、アア見えて、彼にはさりげない愛があると思いますよ。何故かそんな感じがしますだ。どうしてだろう。昔見た時に何かあったのだろうか。何かあった気がする。「勧善懲悪で敵は悪、主人公は善」と思いがちな幼少期にあって、何故か「メガトロンはちょっと可愛かった」という感触が残ってるところが。
サイバトロンも可愛らしいです。なんかね、最近のロボットアニメとかにはありえない、凄い単純に間抜けな失敗が入り乱れているのだ。そして皆その失敗に全くめげない。どんな危機的状況でもどこかホノボノしている。けしてコメディ路線のツモリは無いのだろうに、どうしてもシリアスに思えない。
なんたって作風が現代ではありえない感じですだ。いくら外国のアニメを翻訳してるからって、あの活弁みたいなノリはなんでしょうか?もともとアアなんだろうか?セリフ以外の多くのシーンに入ってくる状況説明のナレーション(?)が面白すぎます。
そう、J○ッカーにもこの活弁っぽいナレーションがあるわよ!すげー懐かしい感じがすると95年にも思っていたが!

うーん、本当に懐かしいです。私にとってゲンダテッショウさんはコンボイ司令官のイメージがめちゃめちゃ強くて(次が「こんな子いるかな?」で)、若い頃は何をやってるのを聞いてもコンボイ司令官に聞こえていたものです。私が生まれて初めて声優さんの名前を覚えたのは、ゲンダテッショウさんです。自信がなくて漢字で書けませんが(ゲンダは玄田だよな)、まちがいなく生まれて初めてファンになった声優さんです。洋画の吹き替えを聞いても、「やや!?これはゲンダテッショウさんだ!」と一人で悦に入っていたものです。活躍すると大喜びです。私が。
お母さんといっしょの「こんな子いるかな?」さえも「新しい芸風!」と応援していました。
幼心にも物凄く強く印象に残ったんだよ、この声が!名前も印象に残ったけどね。よって今でも、ゲンダテッショウさんがやりそうなキャラ(=主人公の仲間ポジションでガタイの良いやつ。女受けする主人公の男性キャラの陰に隠れ、あんまり目立たないけどここぞという美味しいところは取って行き、手広くはモテないが、「なんでこんな良い女が!?」みたいなめっさ大人の良い女に惚れられてみる)には、無駄に無意味に好感を持ちます。とても応援します。
結婚するなら「ゲンダテッショウさんがやりそうなキャラ」が間違いなく良いと思います。きっと私の脳内の主に扁桃体(好き嫌いを決める)あたりで、ゲンダテッショウさんがやりそうなキャラに鬼太郎のヌリカベがオーバーラップしているものと思われます。何故なら私の小学生の時の結婚したいキャラナンバーワンはぬりかべだったからです。
「付き合うなら一反木綿が楽しそうだけど、結婚するならぬりかべよね!」等と、こまっしゃくれた事を思っていました。一反木綿は殺人妖怪ですが、ぬりかべは優しい妖怪だからです。
「水木しげるによる一反木綿とぬりかべの顔が全く同じ」というところを見ると、私の好感はまず第一に顔によることがわかり、「鼻も口も目立たず切れ長の目が印象的」のアレが私の「一番好きな顔」である事がわかります。

ともかくも
ゲンダテッショウ司令官が「これ以上地球の人々に迷惑をかけるのはやめろ!」等と言っており、「メーワク!メーワクかよ!?確かに大メーワクだが!」とウケました。そうなんですよ、デストロンとサイバトロンって何で地球で戦ってるのかが全然わかんないんですよ、私は。ちゃんと自分たちの星が各々あるくせに。
えーと、なんか地球のエネルギーが欲しくてデストロンがやって来たのに対し、やめろっちゅうてサイバトロンが追いかけてきたんだったかな?第一話なんか忘れましたからね。

私の中で伝説の、最終回の最後の最後に「我々は」で放送がブチっとちょん切れて、我々がどうするのか、我々はどうしたのかが某県で永遠にわからなくなったのは、このアニメだった気がしますよ。シリーズは不明だけど。
確かロディマスコンボイあたりまでは見てたきがするんだが。最近のは人間が出張ってきたっぽいので、イマイチ燃えないわけです。

ところで最近、「胃下垂?」と言われまくる。
私、そんな食べて無いよ?食べてないよな?大体私はそんなに菓子だって食わないんだよ。さっき夕食前だと言うのに、ビスケットを一箱食べたが、それはなんだあれだ食べたかっただけだ。一袋183Kcalを四袋全部食べてしまって、つまり732Kcalを摂取してしまい、今まさにヤバイと思ったところだ。あ、いかん!計算したら、「なーんだ。高が732Kcalか!一食レベルじゃん!昼食い忘れてたから、さっきのが昼飯分だ。これから晩飯を食べてもOKよ!バッチリよ!全然問題ないじゃん!」等と思ってしまった!栄養は「偏ってる」なんてレベルじゃない。

それが、朝、キャベツと豚肉と卵の炒め物とジャガイモとわかめの味噌汁とご飯(米)と麻婆豆腐を作ったんだが、…、いやなんか「これを始末して、あれも残ってるし」と何も考えずにのほほんと作ってたら作ってしまってた。時間に余裕があるって怖い。麻婆豆腐を食べたら思わず腹が落ち着いてしまい(注:麻婆豆腐は四人前)、なんとしても夕食にキャベツと豚肉の炒め物とジャガイモとわかめの味噌汁を食べて始末しなければならないんだよ、私は。

山ほど菓子を持ってきて昼休みに私に与えないでください。食べるから。食べないなら食べないでやっていけるんだが、あると食べるんだ。食べ物を仕舞う場所は腹だ。

生きるのに最低限必要なエネルギー量(基礎代謝量?)は、たぶん人よりちょっと多いかもしれない気はする。私は自分が「燃えてる」感じがするんだよ。情熱的という意味ではなく、物理的に自分が熱エネルギーを発散してる感じがする。微熱があって、そういう意味では「やっぱりな」と思ったぐらいだ。
そしてエンジンのように熱効率が悪いので、大気中に発散して失ってしまう熱エネルギー分を食事で稼がないといけないのよ。エンゲル係数が高いし。


2005年11月01日(火) 今日は煩いです。

先生ッ!先生、聞いてくださいまし!聞いてくださいましよ!?
アタイ聞きました!聞いてしまいましたよ!
J○ッカーがやっとDVDになるんですよ!?
なるんですってよぉーッ!

私の永遠のヒロインが!永遠のラブストーリーがやっとDVDに!
時々思い出したように諦めきれないでいた甲斐がありましたよ。
就寝時に十回に八回は、私的永遠の子連れ夫婦のその後物語を捏造するのがライフワークでしたが、そんな地味な就寝(同人)活動ともおさらばです。悪くなっていくビデオの画像に怯える日々も、サァ、もうオシマイ!
気分はグッバイセレナーデみたいな!?
(グッバイセレナーデってなんですか?知りません。今脳に勝手に湧き上がりました)

素敵!
なんて素敵な情報なんでしょう!?
大人買い万歳!
大人になってて良かった!
もう絶対買うから!BOXでビシっと買うからね!いまさらDVD化する事を後悔はさせないわ!

あー、もう今日の就寝時ドリームは結婚披露宴かしら!?
ハッ!?今朝、「ド○えもんは頑張ったが薩長同盟は失敗して責任者が切腹しようとした」夢を見たのは、一体どうしてだろうとサッパリわからなかったのだけれど、もしかして今日得る情報の予知夢だった!?(そんなわけない)
いや、昨日親から電話がかかってきて、「あんたまた、もう布団の中に入ってるの?」と呆れられ、「私は布団にセッティングされて生まれてきたんだよ!私は布団と二心一体なの!」と口走っていたのも、今日と言う日の伏線?!(違います。なんの関係もありません。あると言えばあるか。生き方という関係が)

貯金なんてガンガン崩しますよ。交通事故にあおうが、電車が事故ろうが、天変地異が起ころうが、死ねない!今は死ねない!
今死んだら自分的に凄い悲劇だよ。
「ポチさんは、もうすぐJ○ッカーのDVDが発売になるからととても楽しみにしていました。それなのに、その矢先にこんな事になるなんて」と葬式の友人代表の挨拶で某嬢にでも言ってもらって、色々な意味で哀れを誘い、皆色々な意味でもの悲しい気持ちになって貰い泣きだよ。
いや、私の葬式は兄者と違って式場でする必要は無い、式場でやったって空席しかできないからってちゃんと言ってあるけどね(知人が少なすぎるから)。

てゆうか、今死んだら凄い幸せな夢を見ながら死ねるかもしんない。走馬灯を見る代わりに、幸せな幻を見ながら幸せに死んでしまいそうだ。お天使様が手にDVDのBOXを持って迎えに来るような幻を見て、「あ、そっちですか?そっちで上映ですか?え、まさか新作!?!」と、騙されてノコノコついて行ってしまいそうだ。


本当は秋刀魚を焼いて、高野豆腐か麻婆豆腐を作って、ジャガイモの味噌汁でも作ろうかと思っていたが、今日はそんな余裕のある一日ではない。後久しぶりにレンタル屋で借りてきたビデオを見て、新しい萌を開発しようかと思っていたが、そんな余裕は無い。早く寝なければ!私(妄想作者)を待ってる私による私のためだけのストーリーがあるの!昨日いいところまで考えたところで寝てしまったやつが!
いつも良いところまで考えたところで、気分も最高潮にリラックスしきって「嗚呼イイわ、これ…萌える…」と幸せ一杯で、うっかりオチにまでたどり着かず寝てしまうねんよ!
というわけで、私は急遽忙しくなったので今日は早めに寝ます。DVD発売決定を遅まきながら祝い、二時間ぐらいかけてジックリ妄想しようと思います。


やぐちまさき |MAIL