非日記
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2005年10月30日(日) 目が悪くなる。

旧PCのブラウン管がヘロヘロです。
もう小さな文字はろくすっぽ見えません。勘で読む。
そんな霧のろんどん程ではないが、霞む視界を相手に更新してみました。この調子では目が悪くなってしまう。
なんとかしなければ。
今以上に視力が悪くなると困ります。お友達みたいに「めがねはどこ!?」と室内をさ迷うようになるのは流石に困るなあと思うのですよ。

いや、私も中学ぐらいまでは2.0あり、高校ぐらいまでは1.5あったのだけれども、若い時にありがちなアヤマチで、「目さえ見えなければ、見たくないものを見ずに済む」とか、つい思ってしまったのです。
そういう事ってよくありますでしょう?
が、そうやって目をおいおい痛めつけてみたものの、視力はサッパリ悪くならず、望んでいた通りに裸眼で世界がかすんで見えるまでに、視力が凄い速さで落ちてったのは、親の視力が悪くなったのと同じように二十歳を過ぎてから、そういうアリガチなアヤマチの現実逃避の必要が無くなってからでしたね。
そしてそうやって失ってみると、自分があれほど嫌だった視力の良さが、自分にはあまり無い、人に、というか視力の悪い人に自慢できるような希少な箇所であったことに気づくわけです。

悪い事をすると、ずっと後になって返ってくるモノなのですよ。
若い時はね、そんな事はどうでもいいとか、こんなのいらないとか、後究極的には「ヤバイ事だと知らなかった」とかあるけどね、実はそーなんですよ。
だからと言って、私は他人様に説教などしませんけれども。だって私は説教されたって聞きゃあしない若人でしたからね。今もあまり聞きない方かもしれませんが、正面切って喧嘩を売らない程度には大人になったつもりです。

それはともかく、目がつらいので、いい加減にプリンタを購入したいと思う今日この頃です。
古いプリンタが新しいパソに接続できないので、パソコで打って紙に出力しようとしたら、前のPCしか使えないのだ。スキャンも同様なりよ。


失くしもの>
生まれてこの方、これまでに忘れて帰った回数は数え切れませんね。
しかし今回は、人様にも責任の一端があると思います。
私としては断固忘れないように、股に挟んで過ごしたかったぐらいなのですが、人様が、「こちらにどうぞ」と私から取り上げたのです。あの時、抵抗しておくべきだった。

私は電車に乗った後、暫くしてから、「なんだか寂しい」ことに気づきました。
何かわからないけれど、私には何か足りないものがあるのです。この私に何が足りないというのでしょう?足りないものはありすぎて、殆ど気にならないぐらいの私に、なお寂しさと心細さと不安を感じさせるような、一体何があるというのでしょうか?ケチのくせに失くす事や失う事に寛容な私の胸を、きゅーんと縮ませるような一体何があると言うのでしょう?
私の心が言っています。
ついさっきから比べて、ほんの僅かの間に、私は何かを失ったと。
さっきまでの私にあって、今の私に無いものがあると、私の第六感が告げているのです。
まさか!そんなものが!?



…あ、傘がないわ。



そういえば、その昔、実家に戻るためだか旅行のためだったか、特急に乗るべくタイムアタック中に、「二日前にコンビニに傘を忘れた」事を突然思い出したこともありましたね。その瞬間まで、私は自分が二日前に傘を忘れた事すら思い出せなかったというのに、思い出したときには場所と時間まで一気に思い出しました。
あの時は、いっそ一週間後ぐらい戻ってきてから取りに行こうかと、よほど思いました。が、よほど思ったのは五秒ほどで、コンビニにダッシュをかけました。確かギリギリ間に合いそうだったので、出かけてる間中傘の事を考えたり、あるいは帰ってくるまでの間に傘なんかどうでもよくなっている事の方を危険視したのでした。

その心は、

ゲームで、例えばダンジョンのボスを倒したらン十秒以内に居城が崩壊するので、その間に出口まで駆け抜けなければ死んでしまうようなタイムアタック中に、別に必要でもない…てゆか要らん宝箱、中身は回復薬など、ボス戦をクリアした後では必要でもなく、町に戻ればダンジョンをクリアしたおかげで唸ってる金を使い、いくらでも欲しいだけ買えるもので、しかもボス戦を想定して一杯一杯まで購入して余りまくっているものを、多少無理してまで根こそぎ取りに行こうとする気持ち?
タイムアタックである事に気がつくまでは、別にどうでも良いと思っていたのに、「今この時に手に入れられなかったら、ここにあるコレは、もう二度と手に入らない」と思ったら、どこにでも良くある物が途端に素晴らしい価値があるような気になるアレ。

あの「突然、命をかけるに値するような大切なもののような気が盛り上がる」気分を捨てられなければ、津波から逃れることはできませんよ?
…と、いつもタイムアタック後に思います。

なんで傘ってやつは忘れちゃうのかしら。オプションっぽいからか?


>>
そうして、本とビデオを返却するついでに置き忘れた傘を取りに行ったのですが、帰り道でお祭りをしていました。よくわからんけど、ハロウィンにかこつけたハロウィンとは何の関係も無い地方物産展らしかったです。
思わず、もつ煮を買って食べてしまいました。
実はもつがちょっと好きです。脂っこいところが。ただ脂っこ過ぎるので、沢山は食べられない。
そのもつ鍋には、もつはチョッピリで、山のように野菜が入っており、沢山野菜を摂るのが大変な私は美味しそうと思ったのです。が、山のような野菜の殆どは韮で、これが歯に挟まって大変でした。歯の隙間という隙間全部に入ったかのようでした。
歯の間に何かが挟まると、なんとも言えない感じがします。痒いというか痛いというか。その感じも嫌だが、舌で口内を探ってみて、あちこちにビロビロしたものがあるのがいただけません。

ちょっと隠れて指突っ込んでみましたが、ビロビロビロするだけで、ちっとも取れません。
あー、腹の立つ!!!

こんな事もあろうかと思っていたわけではないが、何故かお財布の中に爪楊枝が隠してありました。私はどうして財布に爪楊枝を入れておいたんでしょう?確かに入れました。入れたことは覚えています。
それで財布を開けるたびに、「なんで爪楊枝が入ってるんだろう?」といつも思いながら、面倒でそのままにしてた。
そこで
「ああ、今ここに爪楊枝があったら!」
と思った瞬間、
「今ここにあるやんけ!」
と思い出した。
わからんけど、ありがとう私!
なんて便利なんでしょう、爪楊枝は!


2005年10月25日(火) しまつた。

ところで先頃、人様にメールしたところ、用件への応答の他に、こんな事が書いてある返信が来た。

「こないだ私の誕生日だったのよーん」

…あ、ホントだ。
すばらしい勢いで忘れてました。
どれくらいの忘却度だったかというと、「忘れてたわけじゃないわ」と誰が聞いても嘘くさい偽りを思わず口走ってしまったりしないほどだ。だいたい、私が真面目に「忘れていたわけではない」と言うときは、殆どの場合、本当に忘れてなかった時ですよ。私はそういう嘘は面倒なのでつかないんだ。
さらに、「別に絶対誕生日を(嫌みったらしく?)祝わなきゃいけないわけじゃないんだから!」と強気に反論して自分を守らねばらない必要すらないほど、すっかり忘れきっていました。悔しさすら湧き上がりません。そこはかとない僅かな残念さが、キャンバスの水張りをするときの水のようにあるだけです。決まりが悪いというやつか。
だから正直にこう言うしかありません。
「忘れてた!」

今年は確か何も貰ってなかった(ような気がする)ので、「敵の誕生日に復讐しなければ(=贈り返さねば)」という緊張感もなかったし。

そういえば昔、職場で、誕生日プレゼントに関わらず、人にプレゼントする時に何をプレゼントするかという話になった時、私が「本やCDが多い。相手が自分では買わなそうなものを贈る」と言ったら、「それじゃ嬉しくないじゃない」と反論された。
そういうものかな?

でもね、例えば某嬢と私の誕生日プレゼント合戦の場合は、(確か私は)必ず相手に何が欲しいかを確認してるんだが、それだと誕生日プレゼントというものとちょっと違う感覚やねん。
何が欲しいかと問われて答えるなら、ほっといたら自分で買うだろうが、今自腹を割くのがちょっと気分じゃない物(そこまでの緊急的欲求がない物)か、あるいは、ちょっと欲しいような気がしているが別に金を払ってまで欲しいほどではない物、もしくは、どうせ自分で買うつもりだった物なんかだと思う。
確かにそうすると、「こんなのあったって邪魔なだけよ。空間の邪魔。我が人生の邪魔だ」とか、「私の趣味じゃないのに、簡単に捨てる事もできないじゃないの」という文句は互いに無いはずだ。

しかしそうすると、単に、自分が散財する時期をずらしている感じがして、プレゼント感覚が希薄な気がするのよ。自分が買うべきものを他人の金で買ったような気分だ。そこで、「相手の誕生日には断固として贈り返さねばならない(=借金を返す)」気分になる。

本当のプレゼントの醍醐味は、例えばパーティでのプレゼント交換的に、その他人との人間関係が親しかろうが希薄だろうが無かったならば、自分の人生に縁もゆかりも無かったはずのものと、僅かなりとも「関係を持ってしまう」事にあるような気もするんだ。
時々海外のドラマで、友人からのプレゼントを開けていくシーンで、酷く馬鹿馬鹿しいものとか、ジョーク的なものが出てくるが、ああいうのがプレゼントの醍醐味のような気がする。

プレゼントをするようなお祝い事にかこつけて、皆が遊んでるわけで。
そういうの、お祝いをされるような「良い事」があったのは、本来は、プレゼントを贈られる側だけで、それ以外の他人には直接関係ないんだが、プレゼントを贈る(または祝う)事を通して、他人も一緒に楽しむってのが、なんか良いなと思う。
だって、自分には特に良い事も無い時(もしくは悪い事があった時)に、他人にだけ良い事があって彼だけ人生バラ色だったら、そのまんまだと、普通、人は「この野郎、てめえも不幸になれ」とムカつくだろ?
エ、人はムカつかんのか?(笑)


「相手が喜ぶものを贈らなければならない」というと、なんというか、「お祝い事」は貨幣のようなもので、その無形貨幣によって、何かそれに対して等価である物を買う(交換する)ような感じがして(つまり「欲しくも無い物や無駄な物を貰うと、損したように感じる」という事)、ちょっと寂しい感じもする。
お祝いがもらえるような、言ってみれば「恵まれた立場」でありながら、その上に「さらに『得』をしよう」なんて、酷くあこぎで貪欲な感じもするよ。

良い事があって本人が嬉しい、喜ぶならそれで良いし、それにさらに他人がお祝いをしようというのは、他人の勝手なので、別に相手の奴隷のように相手の気持ちを必死に慮らなくても良いような気もする。良い気分でいるなら、他人のささいな過ちは笑って受け流せよとも思う。「別に欲しくないものを貰ったぐらいが、なんだ。おおむね調子よく行ってるんだから、ちょっとぐらい自分の思うとおりにならなくたって良いじゃないの」とも思い。

そういうバックグラウンドがあり、
で、私が件の某嬢と、ここ数年誕生日プレゼント贈りあい合戦をしていたのは、誕生日だから、それにかこつけてタダで物を買おうという話ではなく(贈り返すのだからタダではない)、スタート時はどちらともなく「なんとなく」だった気がするんだが(「誕生日なんか?じゃ買ったろか?」で)、そのうち「誕生日を祝う(たとえ年齢が加算される事が別段嬉しくなくなっても、意地になったかのように「誕生日おめでとう」と断固として当日に言う)」事が、私の方では勝敗を競うゲームのようになっていったから、その「ついで」だった。

ところが、今回私は昨年要求した誕生日プレゼントについて悩んでいて、ついでに昨年報復したかどうか(=贈り返したかどうか)について記憶がはっきりしてなくて自信が無く、今年どうしようかと思っており、そういう「お悩み」が色々あって、今年の誕生日がどうの以前に、私はまだ去年を生きていたんだ。まさか今年になっていたとは。
それで自分ゲームをしてなかったので(忘れていたので)、負けた気すらしないわけよ。

いやそれがね、確か去年、「私のポスペに友達を」とか言うて、ポストペットソフトを買わせてインストールさせた気がするんだが、それから暫くして私のポスペが在住しているPCが調子悪くなってしまい、新しく買い替え、そっちにデータを移行できないので、今度は彼女のポスペまで若くして孤島に送ってしまった気がしていたんだ。
いや、本人が楽しんで扱っていて、世のポスペ友達なんかとメール交換してるなら別段気に病むこともないんだが、ポスペで贈る時には速攻携帯にメールを打ち
「今ポスペが行ったので吸い込まないようによろしく」
「了解」
とやり取りをせねば順調に吸い込まれるほど、ポスペをメーラーとして使ってなかったので(私も)、たぶんポスペランド(そんなのがあった気がする)とかで遊んで無いし、他にポスペ使ってるメル友がいないっぽい。
私なんか、「姐さん心が広いわね。私だったらそんなプレゼント贈るのいやだよ。だって一回金払って済む話じゃないじゃないの」と言ったほどだ。

私の旧PCは、インターネットから切り離されたポスペ一世(ラジェンドラ)の鉄の墓になってしまってる感じだよ。やつはあの世を、まだ元気にさ迷っている。本当に死なないし、逃げないな、秘密ロボットは。
ポスペが寿命を迎える前に(秘密ロボットにあるのか知らんが)、PCに寿命が来てしまったよ。それは考えてなかったな、確かに。
言ってみれば、恋人や親しい人の余命を気にして、死ぬ事を気に病んでいたら、実際に死ぬ前に世界が終わって、「なんだ死ぬ事を気にしてた時間が勿体無かったな。今日だけ考えて生きれてば、正しくハッピーだったよ」と後になって思えるなら思うようなものだ。後は、「相手に先に死なれるの嫌だな、アタイだけ立ち直ろうと努力せないかんの?うぇ、最悪。おまえが努力しろよ、俺は努力したくねえのよ」等と常々不満に思い、心配していたのに、うっかり自分の方が先に死んで、「なんだ余計な不満だった。理不尽な苛立ちをぶつけて悪かったわ」と思うような。
まさか先に世界が終わるとは。衝撃だね。うかつと言うべき?うかつだよ。


新しく、ソフトを購入してラジェンドラ二世を生み、それを遊びに行かせようと思ってたんだが、だって新しいソフトの秘密ロボット、可愛くないんだもん!なんで「変に」丸いのさ!
いや、私のことだから、散々文句を言いながら、憎憎しく、しみじみ眺めてる間に、だんだん可愛いような気がしてくるかもしれない。


2005年10月23日(日) インフィニットの公式設定集。

また魚を食べなくなっている。
「なーんだ、魚食べなくても良いじゃん!」とか思ってしまった。
よくないだろう私。魚に含まれているのは、カルシウムだけじゃない。医者もカルシウムだけを指して「肉も魚もバランスよく」と言ったわけじゃないのだろうに。
それでたまにはと、お刺身を買ってきて食べてみた。

私は大学学生時代、一人暮らしになり、人様方と生活時間も一緒にする事があるようになったので、色々と人それぞれな感じに遭遇したのが面白かった。
私が思うには、なんでもそうだが、一番「ヘエ!」と驚くのは、何か人並みはずれて凄いことができるとか珍しい経験があるとかでなく(例えば同世代なのに師範の免状を持ってるとか、免許皆伝で師匠から芸名を貰ってるとか、世界一周をした事があるとか、学生なのに会社を立ち上げてるとか、そういうのではなく)、ものすごく日常的なささいな事なんだよ。

「え!?なんでおまえ、カレーにマヨネーズかけてんの!?」とか
「またやってる!一体、一日に何回歯磨きしてるの!?」とか
「何故味噌汁の汁を飲まんのだ!味噌汁は煮物でなくて汁だろ!」とか
「アイスクリーム食べかけで冷凍庫に戻すのかよ!?」とか
「味噌汁を作るのに具を別に茹でて味噌とダシ(市販粉末)と一緒に椀に入れて、そこにお湯を注いでインスタントみたいに作るのは、君のところの伝統なの?」とか

そういうのこそが、「おまえと俺は違う!」と感じさせる重要ポイントだよ。

そんな中で、びっくらした事の一つに、人様が「刺身を買って食べてた」事がある。私の中で「刺身」というのは「肉」に並んで高級料理(高級食材)だったので、そんな高級な食べ物を日常に食べる(=イベント無しに食べる)事が、ちょっと驚きだった。
「私もいつかやったろう」と思いつつ、別にお刺身が大好きなわけではないので、食べないでいたんだが、ついにお刺身を日常に食べてみました。
おー、ちょっぴりドキドキしましたよ(笑)。気分は「平時に何の理由も無く、高級料理店で一万を超えるような夕飯を食べるようなもの」と言えばわかるだろうか。パック300円のお刺身があるだけで(その他の食料「二日前の冷や飯を、生しいたけと(味噌が切れてるので)インスタントの味噌汁で炊いた雑炊モドキ」)、一気にセレブ気分です。

いや、一パックでは大した金額ではないのだが、なんとなく三四百円出して刺身パックを一つ買うより、何か別の食べ物を買ったほうが、自分的にお得な気がしてしまうんだ。「別にさして食べたくない」ものを買うところが、すさまじく贅沢な感じだ。

欲しいものを買うときは、「高い」と思わんだろう。日常の買い物において「値段の交渉」という行いと疎遠な日本人としては、他所と比べたりせず(一番安いところを探したりせず)、すんなり言い値を払いそうになる。専業主婦になるとそうでもないのかもしれないが、私なんぞは、必要なものなら「同じ品物で一番安いところ」を探したり、渡り歩く方が、「時間と気力の無駄」な気がするんだ。
仮にB店が「A店に比べて安い!」とか言っていても、それほど感じない。「そうかこっち(B店)の方が安いのか。皆がB店の方に買いに来るってことか。じゃあ私はA店の方を買いに行くか」と思ったりする事さえある。

別に「それほど欲しくない」ものを買う時には、どんな金額でも「言語道断に高い」と感じるものよ。

あの健康診断結果というのは、問題がない時は「問題なし」という事を知ってはいけないなと思う。しかし見なければ、問題ありか無しかわからない。それが問題だ。

色々ありそうな不具合の中で、一番気になっていた「微熱」がどうなったかよくわからんのだが。つい「そうか問題ないか」と思ってしまい、測らなくなってしまった。
ダルかったりせんか?と問われても、風邪を引いたとき等と比べると、別にダルイわけでもない。たぶん「長い年月気づかなかった」のが、その証拠だ。
ダルくない所為で(というか昔からダルかった所為で)、平時に微熱があることに、新しい体温計を面白がって「別に用はないがなんとなく測ってみる」まで、全く気づかなかったんだ。「何故熱があるんだ?」と青天の霹靂でした。
「大人になると平熱が上がったり下がったりします?それなら以後平熱を書き換えますが」と尋ねたところ、医者が言うには「知らん」だ。
そうか。知らんかい。


いんふぃにっとの公式設定集に手を出しました>>
私はついぞ知らなかったのだが、九月に出ていたらしい。全然関係ないサイトを覗いていたら、ジルをやっていて、関する記述を発見したんだ。
驚いて若者向けの本屋に行ってみたら、いつの間にか攻略本も一緒に置いてあった。六月七月ごろは、どこを探しても無かったのに。
なに、数冊ぐらいやっと置いてくれる気になったんか(笑)
私が思うには、たぶん今流行りの絵柄じゃないんだよね。ジルも。


ちょうど休みだたったので、昨日初めてテレビ放映「ブラッド+」を見たんだが、ラストヴァンパイアの時と絵柄が全く変わっていた。
「…もしかして、このボーイッシュでペラっと平板な顔をした唇の薄い女の子がサヤ?どーいつじんぶつ?唇薄いけど?」
前は、キャラデザが確か寺田克也でね、それがよーくわかる仕上がりだったんだが、やはり週末六時(鋼の錬金術師やデスティニ系ガンダムタイム)のアニメとしては「濃ゆすぎる。ギャルにウケない」と判断されたのだろうか…と、製作側の企画会議場面を思うほどの爽やか画面だった。
同じ吸血鬼系統でも、前はヴァンパイアハンターDやヘルシングと同じ方向性の血みどろグロ系耽美の匂いがしていたが、テレビ版になったら清清しく吸血姫美夕系になっていたというわけだよ。流行の絵柄に。


例によってうっかりを外れてしまったが、要はジルの設定資料を購入したわけだ。

●ゼネテス25歳。←おまえ顔が老けすぎ。サバ読んでるだろう。その顔は「ヤ○ザの舎弟になってから二十年、今は幹部」の顔だ。

●レムオン20歳。←あなたも顔が老けすぎ。でも描き直されたら若返ったわね(あのちょっと御髪が乱れてる正面顔)。あの顔なら20歳でも分かる。
ゼネテスに「義兄様!」とか言われるレムオン萌え(笑)。ゼネテス、おまえ我が友。良いトコつく。そうそう、義兄様はそうやってからかわれて怒った時が一番可愛いのよネ!
ところで、21歳のセバスチャンだが、もう諦めているものの、誕生日が1月1日であるというおめでたさにめまいがします。

●ナッジ23歳。←これだけなら顔は丁度良い気もするんだが。他のと考え合わせると、他が老けすぎなのか彼が童顔なのか悩むところ。性格的には、もっと若い気がしていた。だって16歳のナッジと「ダチ」な23歳…。
…クッ、苦労したんだな、ナッジ!今私は差別に苦しむコーンス族の悲劇を見たよ。

●レイヴン18歳。……末弥さん?ちゃんと年齢聞いた?いやわかってます。きっと画伯が「顔の良い少年」を描こうとすると美少女系になるので(いや知らんけど)、苦肉の選択なんだ。きっと年齢は考えずに、「綺麗な顔の陰のある『青年』をイメージ」って心に依頼した。

●レーグ25歳。←言ってみれば「アスリート」だし。ボルダンは若死にの種族なので、人間年齢に換算するときっともちょっと上だろう。

●ゼリグ16歳。←確かにいるよ。こういう高校生。でも高1でなく高3ぐらいにした方が…。ストリートファイターである事を全身で強調中だ。もうなんちゅうか英国のヤンキーみたいだ。英国のヤンキーって変な言い方だ。

ネメア26歳。あなたはもう年齢不詳で良いです。

テイルズオブアビスの公式サイトを開きましょう。ジェイドかーてぃす氏を見ましょう。
これが現在のゲーム界における正しい35歳だ!

辛辣(というほどでもない。ただの嫌味)という名のオブラートに包んでもしょうがないんだが。
そうなんですか、そうなんです。
ネメア様ったら私より若いんですよおー?(←殺)。年齢を言うなよ、私。
えと、これならどうだ。
ネメア様ったら、<遙かなる〜>の友雅(31歳)より五歳も若いんですよ。んまー、そーなんですかー。
友雅様が十五の時にネメア様は十歳なんですよ。友雅様が二十歳の時にネメア様は十五歳なんですよ。似非平安時代と似非中世風で、全然関係ないのに何かが衝撃ですね。すごいのは、友雅様なのか、ネメア様なのか、それが問題です。ここだけの話ですが、本当は、どっちもスゴイんだと思います。
オルファウス様は一体どんな教育をしたのでしょうか。

そうかー、シャロームはベルの「魂の父」だったのか。そんな事があったような気もしないでもない。そういう自分のミステイクは忘れ、ベルが24歳であり、レムオンの方が若いというところに注目します。ベルの童顔!!!

末弥画伯の手にかかった者は、すべからく年齢を無視されたものと思います。てゆか、末弥さんの中では年齢に相応しい容貌や肉体なのかもしれない。現行のゲームやアニメの流行と違うだけで。
だいたい元から、言ってみれば総理大臣が二十四歳だよ。いくら政治家の世代交代云々新しい風が云々言ったって、ありえないだろ。あなたなら許しますか、閣僚の平均年齢二十代。私なら、「ちょっと待って」って言う。
「最近の若者はなっとらん。もっと若い力を政治に」というより、「最近の老人はなっとらん。もっと老いた活気を政治の世界に」だ。あそうか、ゾフォルがいたな。老人はもう後ろ向きに諦めきった活動をしています。
これがロストールならわかるんだけど。あそこ貴族社会だから。家の格式と血筋を重視していたら、適当な年齢がいなかったら仕方ない。零歳だって王様だよ。

後、バイアシオンの世界観からして(戦争があったり、飢饉や飢餓もありそうだし。いや現在の世界もそうだが、そういうんじゃなくて)、時代をになう世代が現代日本に生きる私のイメージより下がるのかという気もする。平均寿命五十歳だし。確かに、五十代から老年なら、二十代はまちがいなく中年だ。
中年!!!いやいや、いやいやなんでもないです。
それに、ほら、「口で色々言ってから殴り合い」が国際政治のやり方なので、政治を担うのは体力がある若者でないと駄目っぽいです。いやいやこれも危険な冗談です。

私の中でネメアが中年だったのは、きっとネメアが「英雄」イメージであるせいかとも思う。英雄と言われると三十代四十代を想定してしまうのは、戦国時代や中国史やらの英雄を思い浮かべるからかもしれない。だって「英雄真っ只中」な年齢って中年じゃないか?私の気のせい?
信長とか曹操とか項羽とか劉邦とか。
この辺は、中年時代に最高潮に英雄なんだよ。若い時の有名なエピソードもあるけど、それはまだ英雄時代じゃないねん。「英雄の過去」って感じで。華の英雄時代は中年なの。
私の中で「英雄」で若いのって、それこそ義経ぐらいだよ。
ネメア様は使い捨てられないっぽく、世間の流れをそこそこ見てる感じで、中年英雄組のイメージだったのよ。

色々面白い。
ゾフォル(78)の「趣味は釣り」であるところが、たとえようもなく愛おしいです。
うーん、そうか、やっぱり公式設定では、「予言を運命として受け入れ予言の成就の為に」なのか。やっぱり、爺さん、私にはわからないよ。予言が運命なら、「成就させる」必要は無いだろう。ほっときゃ成就するんだから。ああでも、運命から逃れることができないとすれば、それでも自分の意志で関わるためには、その方向しかないのだろうか。
気持ちがわかるようで、やっぱりわからないよ。それとも、わからないようで、それでもわかるのかな。それが個人の違い、人間の孤独というやつだろうか。
私の言う事は、いつも支離滅裂で論理にも意見にも見地にも一貫性が無いが、それは愛があるから仕方がないの、という言い訳。愛が玉座に座ってるので理屈は常に波乱万丈。言い訳なんて全部後付けだわさ。私には、「決断をかましてから後でもっともらしい理屈をひねり出す」という天賦の才能があってですね、本当はどうしてなんだ、どういう理由でって問われたら一番困るのよう。「本当」が居座ってる場所は虚空なので、胸を張って「理由など無い!」だ。

それにしても、149ページの「ゾフォルが見た予言どおりに主人公に倒されて」というのは、こーえーが主人公に夢見てる『ドリーム』だと思います。そのほうがドラマチックだけど、私もそうだったら恰好良いなと思いますが、個人的には、現実として彼の見た予言で重要なのは「主人公パーティにネメアがいる」、つまり「ゾフォルが見た予言どおりにネメアに倒されて」がより正確だと思いますだ。
私はそこまで主人公に夢は見れないね。だからこのゲームには独特の切なさとリアリティがあるんだと思いますよ。自分の人生の主役はまちがいなく自分であるが、他人の人生におけるメインキャストには必ずしもなれないという。

私はジュサプロスなんか殆ど会わなかったので、今始めて彼が(ダーク)エルフであることを知り、そしてつまりエルフにヒゲが生えることを知りました。てゆうかジュサプロス、髪型が凄くかわいいんだけど?

そしてツェラシェルがびっくりするほど可愛いです。
すごい可愛い!なに、この顔!?
旧作のときは例によって縁が薄く、「もーなにこの鬱陶しい子!『金が全てだ』と言いながら仲間はずれになるのを嫌がる、吹っ切れてない子みたいだよ。顔はまあまあだが、私は悪い子は基本的に吹っ切れてる子が好きなんだよ。言ってみればシャロームみたいな。『そうね金が全てよね〜?』と何故回りくどく付き合ってやらねばならんのだ」と、大層鬱陶しかったのだが、そんな悲劇的な人だったとは知らなかった。
私は可愛そうな子は嫌いなんだが、今度探してみよう。しみじみ、こんな可愛い顔と思わなかった。この顔にキュンと来て110番だわ。
いや、ちょっとこの顔可愛いだろ?(しつこい)某姐さんに「すっごく可愛い真ん中前分けがいるよ!」と見せたくなった。

セラに「頭が切れる」って書いてあるのが衝撃です。「姉が全て」って書いてあるよ。ロイが全てかと思ってたぞ。「趣味は姉の事を考えること」って…さすがだよ。おまえは何も考えてないと確信していた。それがゆえの、「頭が切れる」発言への衝撃だ。
わかった。姉を餌にすれば頭が切れはじめるわけだな。集中力が違うから。

フェティのページの「涙腺の弱い方はフェティを(略)どんなシーンもフェティ色に」もステキです。そうですよ。フェティはそんな素敵な女性です(うそ臭い。いやホント)。
そしてカフィン。あ、髪長いんだ!長くてよかったんだ!


2005年10月19日(水) けんこしんだん。

健康診断の結果が送られてきました。
こういうの郵送なんだな。職場で健康診断が行われるような、社会保険制度が整っているような、立派な職場に勤めたことがなかったので、ついぞ知らなかったよ。
大人になって生まれて始めての健康診断だったわけで。

色々な事実によって、絶対に何らかの問題があるに違いないと密かに睨んでいるんだが、健康診断結果によれば「問題なし」のオンパレードだ。
…ということは、これは俗に言う「不定愁訴」というやつか?よく知らんが。
いや、私が他人に訴えてるわけではないんだが、私が私に訴えてるねん。何かを訴えてることはわかるんだが、何を言いたいのかはわからん。

こう子どもの頃の色々とか性格的な色々で、精神面から体調に不調が出てる(もしくは「感じてるだけ」でも)とか言われたら、我が身の来し方(の内面)を振り返って、なんちゅうかものすごくありそうだが、もしそうだとすれば、私はその辺は諦めているので、相当の大事にならない限りは手を出さないつもりだ。
おおむねはただ性格の問題だろうと思ってるんだが、ただ、もし勝手に「性格の問題だろう」と無視していて実は実際にもっと大病の兆候であった場合、それを精神的なモノだと無視して見逃したら「ただの馬鹿だな」と思うので、念のために真面目に健康診断を考えるわけだ。

結局、「異常かどうかすらよくわからんので、以後の経過を見てください」のみ。書類上は「問題なし」だ。
ほらやっぱり。入社時だって問題なしだったもの。
まあ入社時は、自分で「おかしい」と思ってる事はおおむね黙ってたけど。だって職が欲しかったんだよ!言って無いことがある事がバレなかったんだから、健康診断的に問題ないんだ。
そういうことにしてる。
「言ってみたらどうなるのだろう?判決が翻ったりするのか?」と密かに職業倫理や社会的立場を天秤にかけてドキドキしていたので、言ってみたのに「問題なし」で安心した。よし、やはりあそこは嘘をついても構わない部分だったのだ。嘘をついても嘘をつかなくても同じ結果だという事は、「私は嘘をついていなかった」という事だな!

我がママ様が私の年齢ぐらいから延々と何年も不定愁訴でドクターショッピングをしていたのを間近に見て育ったので、私は諦めが早い。実際に問題が潜んでいる可能性もあるが、「この調子なら医者を回ってもムダである可能性が高い。この結果はその事を述べている」とある意味納得し、「生きるか死ぬかの大問題に発展した瞬間に到達すれば、どこが悪かったかわかるだろう。それまではいくらもがいてもムダだ」と諦観した。私はハルマゲドンまでの人生の処し方を知っているつもりだ。
「ハルマゲドンが来るんだって!」
「へーそうなんだー」
そして「今日を生きる」だ。健康診断によってハルマゲドンが起こるのは「今ではない」ことがわかった。「今では無い」なら、それが明日でも百年後でも同じだ。パンピーな私にできる事は、「今日できる事」だけだ。「明日にならないとできない事」を今日できたりする超能力は持ち合わせていない。

そんな色々な事を受け入れる(近似「ほったらかす」)気持ちにさせてくれた健康診断結果だが、殆ど全ての値が平均値であるところが感動を呼ぶ。
さすがは「フツウ」に拘る私なだけある。肉体も私の信念をよく飲み込んで深く理解してくれているようだ。これだけ「ド真ん中」を行っていると、いっそ「ぜんぜん面白くない」ぐらいだ。
数値や結果に出ない表立たないところで反乱を起こしている(不具合を感じさせている)ところが、また私に似ていやらしい。やり方が汚い。姑息だ。もっと正々堂々と「レントゲンに影を出す」とかかまされれば、「おのれ反乱分子めが、拠点を一網打尽にしてくれる」と体制側に手の打ちようもあるものを、思いっきり地下組織のようだ。そうだろうと思ってたけどね。

まあ国家元首としては、不穏分子がいるように感じられる状況を放置はできない。少数派の意見には慎重に耳を傾けねばならないと思う。何故なら私はわが国において「犠牲」を好まないからだ。

医「外食が多いですね。魚はあまり食べないんですか?」
私「一人暮らしですし、お昼は社員食堂で食べてしまうので毎日一回は常に外食です。お魚は…そのう嫌いではないのですが、料理が面倒でむつかしくて」
医「塩焼きで良いので、バランスよく、なるべく魚も食べるようにしましょうね」
私「あうう…あいわかりました」

さっそくその夜は焼き魚です。私、ミーハーですから。
だがしかし、焼き魚をするとガステーブル付属のグリルの掃除が面倒なんだ!これは現実である!私はオーブンもオーブントースターも持たないので、ガステーブルのグリルで食パンを焼くのに(あっという間に焼けますが、気をつけないと火柱を吹き上げます)、魚を焼いた後はしばらく食パンが生臭いのだ!
何を嫌がっているかというと、それを嫌がっている。

そこで健康診断に行った翌日から、二日に一回は社食で魚を食べるように心がけてみました。私だって魚は好きなんだ。しかし社食の魚はイマイチ旨そうでないんだけど…。なんか小さいし、パサパサしてるし。そのくせ高いし。
しかし確かに、私は牛乳も滅多に飲まないし、ヨーグルトよりゼリーが好きだし、小魚も魚もあまり食べないし、あげく運動はしないし、天賦の性格的に普通にしてたらナチュラルに引き篭もってしまう暗闇に親しく、太陽に背いたタイプだ。このままで骨粗鬆症一直線な感じでもある。既にスカスカかもしれん。
国民(細胞)の不満は、食料の配給において、極端に魚が少ないことにあるのかもしれん。疑わしきはタメシに罰してみるのが、我が政権の特徴であります。

ところが、結果が報告されてきてみると、平均値ど真ん中ばかりの中で、平均を飛び抜けてるものが一つだけある。それは、

「約 歳の骨密度の平均に相当します」
なんで書いて無いの?記入ミス?と思った。

骨密度120%
なんだその年末年始とお盆の新幹線のラッシュ率みたいなのは?
私の骨の中だけ大都会だね。通勤ラッシュ時の環状線だ。そんなに混み合いながらどこへ行くつもりだ。
(注意:このパーセンテージは中身がどのように詰まってるかではなく、年代の平均値と比較しての割合)

「…つまり、最も硬い年代の骨よりさらに硬い骨です」
つまり該当年齢が無かったので空欄だったらしい。別に記入をサボったわけではないらしい。

しかし猛烈に素朴な疑問があります。

なんで?いつ硬くなったの?
この、下手すると魚を月に一回も食べない食生活で、牛乳を半年近く飲まなかったりして、休日は常に寝まくり、アウトドアから程遠く、太陽から逃れながら生活をして数十年の人間において、いつ、どこで、何を原料にして、どのようにして?

人「小学生や中学生の頃に部活動でスポーツをしてたとか」
私「してません。帰宅部と美術部です」
人「よく外に出てたとか」
私「部屋の中に閉じこもって薄暗く絵ばかり描いてました」

ミステリだよ。


2005年10月13日(木) くもが。

さっき家の中でクモを見ました。
見ましたっていうか、います。
私は蜘蛛が嫌いです。足の細くて長いやつで、しかも腹だけがボッテリ大きいやつが嫌いですよ。わかりやすく言うなれば、ジョロウグモのようなタイプだ。不気味なバランスだよ。美しくないよ。ジョロウグモの魅力と美しさは、あの(私にとっての)気持ち悪さにあるのだろうが、私にとってクモの魅力は不気味さではありません。
クモの魅力は「可愛さ」です。
くりくりしたつぶらな瞳と、ちょっと太めの大根足と、おきゃんな動きです。
だからハエトリグモが好きなんだって言ってるだろ!!!(キレ気味)
クモを区別するのは難しいそうだが、ハエトリ系統は直ぐわかるそうだ。それは言える。

ハエトリグモ君達の一目瞭然の特徴は、目だ。真ん中の二つ(主眼と言うらしい)が、猫のように真正面に二つダケくりっと並んでいて(ハンターだから)、それだけが他の眼に比べて飛びぬけてクリンとでかいのだ。そして真っ黒。つぶら。かわいいのだ。顔が可愛いんだ。他のクモと全然違う。「顔」が違うんだよ。
彼となら見つめあえる。ハンターなので、あの眼でちゃんと像を結んでいるらしい。初めてあったときから、そうだろうとも、おまえとなら見つめあえる気がしていたよ。
他のクモではそうはいきません。相手の横並びに並んだ目の数が多すぎます。こっちには二つしかないのに、あわせようにも、どれにあわせればいいのか。しかしハエトリグモは「視線はこれにあわせてね」とでも言うかのように、大きく二つが真正面に並んでいるのだ。
くりくりした眼で「この巨大なものは何?」って感じに頭をきゅっとあげて、こっちを見るんだよ。そして口をモムモムする。

実は蟹は蜘蛛の親戚だと聞いたことがある。よく考えて見ればそうかもしれない。あの、よく意味不明に口をモムモムさせてるところとか。手足の数が多くて、胴体に対して全部水平に生え出していて、哺乳類じゃないのに毛が生えてるのがいるところとか。

可愛いんだ。お口も可愛いのだ。よく立ち止まって口をモムモムさせている。さらに、ちっちゃい体でピョンピョン跳ねる。他のクモのごとく、不気味にかさかさかさ…ガサガサガサと歩かない。タタタタタ…ぴょん・ぴょんって歩き方をする。可愛いんだ。
食べるのもハエとか蚊とか害虫が多いんだ。でっかい罠を張るタイプでないので、お家もコンパクトだ。
あいつは違う。他のやつとは違う。ぜんぜん違うんだよ。
私にとってアレはクモじゃない。あれはハエトリグモという存在なんだ。彼となら一緒に暮らせる。一生を共にしてもいい。

甲○機動隊のタチコマの魅力は、ほぼそのまま、ハエトリグモの魅力だ。
タチコマはハエトリグモにとてもよく似ている。
タチコマはハエトリグモにそっくりだ。
私はタチコマが大好きである。初めて見たときから何かが好きだった。好きな人によく似ていたんだな。しかも本当はハエトリグモはニヒルに生きているのかもしれないが(罠を張らず、我が身一つを頼りに自分より巨大な虫にも戦いを挑む、単独で狩りをする孤独なハンターだから。しかし活動するのは昼間)、タチコマは、ハエトリグモのあの素朴な外見とつぶらな瞳と純朴で実直な態度の向こうに可愛い性格を夢見てしまう私の心にヒットする可愛さだった。
タチコマは私のハエトリグモへのドリームに、内面的な方向性を付け加えてくれた。

そう、さっき見た、てゆうか今もいるだろうクモはハエトリ君ではありません。
足が長くて細くて、今は五センチぐらいですが、そのうち十五センチぐらいになるやつです。私はやつが嫌いなんだ。好かないんだ。
どーうしておまえがうちんなかにいるんだよ!
いや!いや!きらい!
しようがないので、放っておきます。私はハエトリグモなら好きだから(変なところに落ち込んで脱出できないでいるのを)素手で助けたこともあるが(彼を掌に乗せる事は喜びである。手乗りハエトリグモ)、あいつには触りたくありません。
ああ、しかし放っておいたがために十五センチぐらいになって再会するんだわ…(苦)。我が家で育ててしまうのか…自分の弱さが屈辱だよ。
だって怖いんだ!「何もしない」と言われても、そういう問題じゃないんだよ!きっと私の胎盤の上を足の多すぎるのと足の無いのが行列をつくって続々と歩いて渡り、ハエトリグモだけがどこか他所でぴょんぴょん跳ねてたんだよ。


2005年10月09日(日) あびすだって。

やれ健康診断だ、会議だ、「が○いばあちゃん」だ、なんだかんだと言って、例によってジルがすすんでませんね。
ところで、通勤途中で読んでたら思わず笑ってしまったので、「『がば○ばあちゃん』は面白いよ」と人にオススメしました。自分で買ったわけではないのだが、家から送りつけてきたのだ。親父さんが「荷物が行ったと思うが、変な本が入ってなかったか?」というので、「なんか入ってたね」と言ったらば、「とても評判が良いらしくて、オカンが気に入っているらしい。なんかゴソゴソ入れていたようだ」というお答え。

他所の家はどうか知らないが、うちの家は結構本を送ってくる家なんよ。
何を送っても私が文句言わないのは食べ物と本だから、送りやすいんかもしれない。今日も「私にはちょっと難しくて、どうもどうしてもクリアできないでいる本があるのよ。そのうち送るから、あんた代わりに読んで」という電話があった。親父さんなら直ぐ読むだろうが、私よりずっと好き嫌いが激しいんだ。J子さんの読む本はまず読まない。
「読みきれない」と言おうものなら、「そういう下らん本を買うからだ」と超馬鹿にされてしまう。なまじっか相手が難し「げ」な本を読んでいるのがまた悔しいものだ。実際は専門書や(政治や哲学や環境問題みたいな)難しげな本も読んでるが、娯楽本も山ほど読んでるんだよ、あの人。実は物理と数学と化学が苦手なんだ。そんで理系の癖に政治学の本なんか読んでるの。ドラマは下らんと言うくせに、どろどろの愛憎劇とかは読んでるんだよ?
本棚あさりまくったから、アタイ知ってるもん。
犯罪者の実の兄と妹の禁断の愛とか読んでたね。これがまた最後がスゴイねん。無茶を押し通してのハッピーエンドやねんよ?確か他人が妹を養子にとるかどうかして、戸籍上で赤の他人にするかなんかするんだ。それで「いつまでも待ってるから、罪を償ってきて!」「○子!」とかいうやつ。まさに「なんちゅうくだらん本を読んどるんじゃ」と思った。
いや、ハッピーエンドな事は良い事だ。その力技はステキだ。私は感動した。「必死で幸福になろうとするなら、どんな抜け道もありえる。『これは禁断の愛なの!どうして私達はこんなに不幸なの?』とメソメソして不幸に酔ってるのは、まだ全然本気度が足りてない。本気なら禁断もクソも無い」と感動のあまり覚えてるのだ。
私が一時魔王伝や夜叉姫伝を積み上げて毎日読んでいたら、「それ伝奇ものだろ?くだらん」とか言っていたが、「何故知っている?知ってるおまえもくだらんだろ」と思った。いや面白いんだって。なんたって、著者が一応大まかなストーリーは考えているんだろうが、どうもキャラに引っ張られて横道にズンズン逸れまくっていて、「だ、大丈夫なのか?予定外じゃないの?どうなるのこれ?!『締め切りがあるんだから、これをどう始末をつけるか後の心配をして迷ってる場合じゃない。とにかく書き続けるしか無い』という感じがするんだが私の気のせいだろうか。ちゃんとオチに行き着けるのか!?」という作者を心配するスリルとドキドキがあるんだよ。「この物語はどう展開するのかしら?」という通常の予測不能(作者への期待)でなく、「この物語は大丈夫なのか?」という予測不能さ(作者への心配)があるんだよ。
そんで終わると、「やったなキクチ!途中はよほどどうなることかと思ったが、どうにかなんとかなったじゃん!」と、ちょうどオリンピックで選手が演技を終えた時に成績のイカンに関わらず思わず拍手をするような気持ちになる。はらはらどきどき。
でもその横道に逸れるのがむちゃくちゃ楽しいんだから病だわ。あれを好きになってから、タイトに絞り込まれ、まとまりが良くて構成のしっかりした本を読むと「何かつまんない。物足りない」と思うようになってしまった。
とにかく、
しかしママンは「お父様は賢い」と思い込んでいるので、馬鹿と罵られると本当の事を言われてる気分になるらしいのだ。大体好きで読むんじゃなくて、「こういう本を読んでたら賢いっぽいワ」なんて浅はかな気分で読むから、くだらんと断言されてショックを受けるんだと私は思いますよ。


話戻って
確かに本屋に行けば、評判らしく平積みしてあったりするのだが、テレビも見ないせいか、あまりそういう話を聞いてなかったので、どこらへんで評判が良いのかもよく知らなかった。

人様に「面白かったよ」と言ってみたところ、
「そういえば、近所の奥さんがお母さんに持ってきたのが、ピアノの上に置きっぱなしなのを見たわ」
「じゃあそれを盗み読んじゃれ」
どうやら年配の奥様方の間で評判が良いようですよ。

「島○洋七が書いてんだけど」
「B&○ね」
「…姐さんスゴイな!島田○七で、さらりとB○Bって出るなんて!」
「そんなの常識じゃないの!」

常識なんですか?
いや、姐さんに常識で勝とうなんて、私には無謀なのだったわ。
調べ物をしてる人は致し方ないとしても、ファンが間違って腐れ同人日記にたどり着かないように、伏字を駆使してみました。いつものことだが、けしてアングラ物と判断して伏せてるわけではありません。かしこ。

と・こ・ろ・で、

ジルがすすんでないというのに、テイルズなんて調べて見てる場合じゃありませんよ。
レジェンディアは絵があんまり好きでなかった。なんたって、藤島さんといのまたさんのに慣れてしまったので、違和感がバリバリで。よくある話だ。
が、ゲーム画面中の絵はそうでもないのよな。テイルズは、いかにもアニメ調のセル画っぽいキャラ絵が好きだったんだ。なんていうのかしら、プレステでもサターン的というか。
そういうわけで、テイルズチャンネルにて「レジェンディアは…こうシミジミと見ていたら別段嫌いじゃないな。ちょっとイイ感じよね」とあらたな発見をしたものの、今度十二月に出るという新しいやつ、アビスを見て「んがー!」と憤ってみました。
何をかと言うと、キャラの顔が気に入らないからです。やりもしないくせに、文句だけつけている悪い子がいます。

いや、だってね?アビスを店頭予約するとファンダムのDVDがつくかもしれないって言うからさ。「ファンダムなんて、どうせ恥ずかしいものに決まってるから私は欲しくないが、一体どんなものよ?」とモジモジ見に行ったわけです。(ファンダムを買ってやろうとして、あまりの恥ずかしさに電源ぷっちんして封印しているという経験と現実がありますから)
好きなものにしか興味が無いなら、そして好きなものの数が少ないなら、私の人生は遥かにスマートだった。

ついでに見たわけですよアビスを。

キャラデザが藤島さんなのは別に良いんですが、好きな顔がヒロインしかいないという罠。どうして皆揃って長髪なの?寂しい!
なんたって主人公にチクチク文句をつける私です。批難轟々ですよ。

私「見てよこれ!十七歳だってよ!十七歳で『男性』だってよ?!ケ!ナマイキ言ってんじゃないわよ。笑わせるな!」
人様「ははは」
私「私はね、この腹が気に入らないの。この顔でこの腕でなんで腹がこんなに筋肉質なの!?バランス悪すぎるわ!」
人様「腹なんか見てなかったわ」
私「腹は重要だろ!この腹は見逃せないだろうが!どうして剣の修行で腹にだけこんなに腹筋ができるわけ?ありえねえだろーが!」
人様「まーこの腹はすごいわねー」
私「そうだろ!?腹、間違ってるだろ!顔と腕と腹と身長が間違ってる!171センチで68キロで、この腹筋なんてありえねえだろ!」
人様「筋肉は重いわよ」
私「そうなのよ。あげく横の顔を見てよ!(ゲーム画面中の顔)この顔なら許しても良い。この顔なら別にゲームしてもいいの。だがどこが同一人物だ!」
人様「ずいぶん違うわね」
私「そうでしょう!?とにかくこの腹は許せないわ。なんでこんな腹だけなのよ。こんな腹だけなんて、深夜に通販でやってるベルトみたいなのを巻いて電気で筋肉を運動させる機械で腹筋をつけたに決まってるわ!なにが剣の修行だ!」
人様「あーアレね!ほほほほほほ」
私「あったでしょそういうのが。アレを使ってるに決まってる!とにかく腹が許せない。バランスが悪すぎる。何もかもバランスだ。あげくに髪が気に入らないわ。何この変な髪は!この長髪は!」
人様「あたしは別に長髪でも良いわよ」
私「私だって長髪であることに文句を言ってるわけじゃないわ(言ってるだろ)。でもこれは私は気に入らない。大体この顔の横から伸びてるのは何よ?なんなのよこれは?こんな触角みたいな!いや触角みたいなのは好きなんだけど!しかしそれとこれとは」
人様「ハハハ。やっぱモミアゲじゃないの?」
私「はッ!これはモミアゲかよ!?〜〜〜何かがものすごく許せないわ!あげくに垂れ目だし!なに垂れてんのよ!」
人様「私は垂れ目好きよ」
私「私だって好きよ!でもこの垂れ目は間違っている!世の中には正しい垂れ目ってのがあるのよ!」
人様「あるんだ?」
私「あるのよ!世の中にはな、良い垂れ目と悪い垂れ目がある!そしてコレは良い垂れ目ではないの!そして三番目のジェイドとか言うのを見てちょうだいよ!」
人様「どれどれ?アハハハハハハ変な人!おねーさまって感じよ」
私「ね!?変だろ!?声が子安さんなのは良いとして、これが35歳でも我慢してやっても良いわ。でも顔は我慢できないわ!この間違ったムスカ君め!(ラピ○タより)」
人様「ほほほほほほ」
私「女の子は可愛いんだけど…。女の子は可愛いのにな。キャラデザのネタ切れかしら?ついでに最後のキャラを見てちょうだい」
人様「なんか変。なんか変よ?」
私「別に良いんだけど、この無理やりイメージキャラをつくろうとしてる感じが鼻に付くわ」

ぼこぼこに貶しています。まんべんなく不合理に。
なんたって、ゲーム画面が変わってしまってる風が駄目なのかもしれない。

人様「イマイチね。あたしは『ダオスをダオス!』が好きだったのよー」
私「私も好きだった。あの雰囲気が好きだったのよー」

過去に逃避してみる。
現実を直視するたって、現実を直視することは、つまり気に入らないとシミジミ感じることだ。
ムラムラとファンタジアをしたくなって来。

私「ところで、Gガンはすすんだ?」
人様「○巻と○巻を借りたんだけど、○巻だけ見て返却期限が来て返しちゃったわ」
私「ははん逃げたんか?」
人様「別に逃げたんじゃないわよ!ちょっと稲刈りで忙しかったから来週の(後略)」
私「それで結局どこまで行ってるのよ。何巻がどこらへんか忘れちゃったんだけど。変な人は全員出てきたの?」
人様「皆が変な人だからわからないわ」
私「それもそうね。言い方が悪かったわ。そうね。シャッフル同盟とかは出てきた?」
人様「あ、ソレは出て来た!ソレがこないだメールに書いた変な人達よ!」
私「あのメールの変な人ってのはシャッフル同盟のことか!」
(注意:先日メールで、「がんばってるか?慣れたか?」と激励したところ、「そろそろ慣れてきたかなと思ったら、また新たに変な人達が出てきてくじけそう」という返信が着いていた。)
人様「そうだったのよ!」
私「それでくじけそうだったんか!さもありなん!すごかったろ!」
人様「すごかったわよ!」

Gガンって本当にすごいですね。ファーストを見たことの無いお姉さんにすら(!)、「これは何かがガ○ダムというものと決定的に違う」と一目瞭然に明らかにわかるなんて。
お姉さんはGガンを見たら「ロボットが喋らない(感情や意志が無い)」当然のことが寂しくて、思わずJデ○カーを見直したらしいです。
私「あなたったらスッカリ腐れきってるわね」
人「そらお姉さんの所為でしょ!」
私「仲間が増えて嬉しいわ」

広い目で見ると、ジルから逃避してるとも言える。


2005年10月04日(火) 飲んでみた。

飲んでみました、硫酸バリウム。
固形物を食べられるのは前日夜九時まで、液体を飲めるのは前日夜十時までというじゃないか。二十四時間ぐらい食べないのは別段辛くありません。しかし、何時間も「水も飲めない」というのは辛すぎます。
よその人間はどうだか知りませんが、私の体は殆どが水分で出来ているのです。朝起きたら直ぐに何か飲まないと咳き込んでしまい、喉を傷つけて、風邪を引いてしまうのです。水不足に晒されると、解消された途端に腹を壊すほど水分を供給してしまうぐらい水分の不足がイヤなのです。はっきり言って、上から入れた水を下から出しているダケのような気も時々するが、しかしそれでもその水を「通過」させる行為を私は捨てられないのです。

さんざんに「水分が駄目なら、バリウムで良いから飲ませろ」等とブイブイ文句を言っていたら、「それほどの年齢でも無いのに、くだらない、あほな事はやめなさい。体に悪い」と言われました。
いやです。体に悪かろうが(注:バリウムは体に悪くない。入ってきて出て行くだけ)、私はバリウムを飲み、胃の観察をするのだ。

父「若い体に放射線など浴びたら云々」
私「もっと若い体に散々浴びたわい。それを言ったら既に手遅れよ。良いの。細胞の間引きをしてやると思えば」
(注:またいい加減な事を言っています。ガン細胞は間引きに背いた叛乱細胞達であり、放射線はその叛乱を促す天の声です。)
だって、バリウムを飲んだこと無いんだもん。自分の胃も見たこと無いんだもん。
私「もっと歳食ってからで良いって言うんでしょ?」
父「そうそう」
私「もちろん歳食ってからもする。その練習をする」

要するに私は、伝説のバリウムを飲んでみたいんだ。そんで胃を見るんだ。胃を見る。自分の胃なのに見たこと無いんだ。

それにですね、健康なうちに「自分が(ある程度)健康」な状態を、というか病前状態をわかっていなければ、後で不健康になった時に、どれぐらいがどのように不健康でどこが問題なのかがわからんかもしれないじゃないの。なんの異常も無いなら、それで良いのです。私は何の異常も無い事を「ただ確かめたい」のではない。何の異常も無いとすれば、何の異常も無い状態とは一体どういう状態なのかを、気になった時のためにどこかに残しておきたいのですよ。
自分のDNA(?だったかな?遺伝情報が載ってるところ)写真を飾ってる男がいたが、私も自分の臓器の写真なんかを延々ととっていって、いつかパラパラ漫画とかにしたいのです。それが無理でも、いつか「私も若かったなー」と感慨にふけりながら、若い時の臓器の写真を眺めたいのです。

要は、思い出の一ページを記録したいんだよ!

この気持ちは理屈ではありません。
人が万博やでぃずにらんどなどに行って記念写真を撮り、何年も経ってから「懐かしいわねー」と眺めて楽しむと同じです。私も楽しみます。私は自分の「表面」の写真は撮りたくないし、見たくないが、中身の写真は平気なようです。というか思いっきり「撮りたい」です。

遊びに行った時に、皆が「写真!写真とろうよ!」とウキウキしてる気持ちが、ついにわかりました。大嫌いな写真を撮るというのに、私もウキウキします。気分は、通りすがりの人にカメラで撮ってもらう観光旅行者。レントゲン技師さんにカメラを預け、「撮って撮って!綺麗に撮ってね!?」です。
記念に一枚ぐらい病院にあげても良いです。…あ、しまった。もらうの忘れてた。「くれない事もあるので、レントゲン写真を携帯カメラでとっておくと後で比べるときに良い。携帯で取った写真でも診察はできる」とテレビでお医者さんが言っていたのに、私は携帯を持ってないのだった。
またいつか聞いてみよう。



まずは、胃の活動を抑えるために、筋肉注射です。俗に言う「キンチュウ」というやつです。
「ちょっとだけ、チクっと痛いですよー」
と看護婦さんは言いますが、看護婦さんは常に嘘つきです。巧妙にすり替え、真実の問題を隠しています。問題は「チク」っとではありません。チクっとした「後」の方がずっと痛いです。最初にチクっとした事なんか忘れます。神経注射とどっちが痛いかと言われたら、よくわかりません。

しかし、言わせて貰えば、注射などより、乳がんの検診の「マンモグラフィ」の方が遥かに痛いです。乳を板で挟まれて機械でつぶされ、平たくされるのです。これは痛い。
これからマンモグラフィを受けようと言う人に忠告ですが、乳腺が張っている時はできればズラしておいた方が良いでしょう。とっても痛いです。乳はただの肉の塊ではありません。神経が通っています。
乳がんの検診は歳をとるほど楽になると思われます。乳が勝手に平べったく垂れてくるからです。婆さんの乳など、実にレントゲンを撮りやすいでしょう。せんべいか座布団のようにして撮れると思います。若いと機械の強力で無理にも平たく押しつぶさねばなりません。結構な痛さです。


筋肉注射が済むと、今度はいよいよバリウムの味見です。
胃の中がバリウムでいっぱいになり、お腹を押すと口から溢れてくるまで、ゴブゴブ飲むのかと思ったら、今はそんなに飲まないんだな。
ちょうどフライパンをうろうろ回して、少量の油を全体に広げるように、少量のバリウムを胃壁全体に伸ばしてまぶすようだ。

バリウムを「美味しく」作ることは、技術的な問題以前に、「できない」そうですよ。美味しいと「胃が活動」してしまうので(胃液が出て、せっかくのバリウムを胃壁からじゃーと流してしまうらしい)、胃が活動しないためには、あんまり美味しかったらいけないのだそうですよ。
これは科学が突き当たった壁だわね。

しかし、それほど不味くも無い。旨くも無いが。
ただ、十時間ほど何も飲まないでいたところに、やっと摂取できる液体としては、あんまり嬉しくはない味だ。爽やかさが無い。(注:病院によっては、検査の朝はコップ一杯の水ぐらいなら飲んでも良いらしいが、私は「なにも飲むな」と言われていたのだ)

なんか粉っぽい。食感としては、どこかジョリジョリしている。石膏を水で薄めたような喉越しと舌触りだ。もちろん、石膏を水で薄めて呑んだことは無いけど。

バリウムが流れ落ちていく咽喉の様子を(先生が)見た後は、さらに、風船のように胃を膨らませるため、発泡剤を飲まされます。水を含んだら躊躇なく素早く飲み込まなければ、口が破裂しそうになります。
胃を膨らませておかねばならないので、ゲップをしてはいけません。「こらえてください」と言われます。そんな!苦しいじゃないの!

大きなベッドのような機械に乗って、手すりを持ちながら、指示されたとおりに、時々脇に置いてあるバリウムを飲みつつ。
機械をぐるぐるバタバタ動かされ、さらに「そこで回転してください」などと言われる。言うには、バリウムを胃壁に塗りつけているそうだ。
面白いです。何かのアトラクションみたいだ。
しかし微妙な傾きで(筋力で)静止を求められたりするので、弱った人には辛いと思う。

それにしても、医者さんか技師さんは、カメラで私の胃を「見ながら」姿勢を指示してるようですよ。うらやましいです!私も見たいのに!
胃の中にバリウムがチャプチャプしてるのを、やつは見ているのです。うらやましい!

後で見せてもらいましたが。

胃腸レントゲンって、いいものですね。
「これが私の胃か!」と感激しました。レントゲンと言えば、頭蓋骨や肋骨(胸部レントゲン)など骨しか見たことなかったので(肺はあるけど、あれは見慣れていて新鮮さが無い)、感激もひとしおです。こんなに長いこと付き合ってきて、色々世話になり、世話してきたのに、面と向かって顔を見たのは生まれて初めてです。

この人が紫の薔薇の人!

…というより、

あしながおじさん!

という、圧倒的な気分です。なにやら嬉しくなりました。

あしながおじさんを読んだことが無い人のために説明すると、主人公のジュディ・アボットは自分の後援者になってくれた名も素性も性別も年齢も知れぬ相手の、壁に映しだされた「影」だけをチラっと見たことがあり、その影が日差しの関係で、足の長い蜘蛛(アシナガ蜘蛛)のように手足が長く伸び、体や頭が小さくうつっていたので、「あしながおじさん」と勝手に呼んでいるわけです。確かそんなだったのだ。

私も自分の胃の、バリウムによる「影」だけを見ましたよ。
胃は紫の薔薇なんか出さないからね。胃液しか出さないからね。


2005年10月02日(日) 柿がまるまる。

どこかの広告に「下半期の恋愛運」と出ていたのを、「下半身の恋愛運」と見間違えた今日この頃。…すごいよね、下半身の恋愛運。なんて露骨な。

ゾフォルについてのコメントを増やしてみたよ。
人気のあるネメアやゼネテスは特に何も無くて、せっかく好きな人が多いのにと自分が残念なんだが、ゾフォルはものすご好きなのよね。なんでこんなにすきなんだろうという程好きなのよな。なんでじゃろ。
エンシャントで初めて会った時から好きだったのよ。
レムオンと比べたらレムオンより好きなんだよ。レムオンは…アイドル?ガラスの王子様っていうか。
ジルのキャラで「カッコイイ!」と痺れるのはいないんだが、ゾフォルはカッコイイ。とにかくカッコイイ。たぶんジルで一番好きなんだ。何が好きなのかよくわからんのだけど。悪い事もいっぱいしてそうなのにね。
私がこんなに、一人の人間というかキャラを「カッコイイ」と思うなんて、珍しい。作品の雰囲気とかでは「カッコイイ」と思うのも多いんだが。どうしてこんなに岡惚れてしまったのか。


あきなので>>
不思議なものを川辺で見ましたよ。
川べりを走る道のススキが延々と数百メートル、「ススキ同士で結んで」あった。あれはナンだろう。
細い道だから、通る時に邪魔にならないようにかな?と考えてみたんだが。どうなんだろう。

秋も深まってきたが、時々昼間は蒸し暑い。油断してると寒くて風邪引きそうでもあり、調節が難しい。
庭の柿の実。先週は青々としていたが、このごろお尻が黄色くなってきた。細長いのではなくて、まるい、ぷりぷりしてるのが結構たくさんなっている。そのうちすっかり橙色になって、赤々と小さな提灯のように鈴なりにぶら下がるのだ。枝ぶりも好きなんだが、その様もかわいくて気に入っている。
昔、田舎にあった柿は少し変わっていて、というか放ったらかしていた所為かもしれないが、すっかり熟れきるまでなっているんだ。柿の実の皮が鬼灯の袋のようになり、中身が殆ど液状になるまで木になっていた。そのうち熟れすぎたのが重たく落ちてくるが、地面に当たると破裂して、どろどろの液化した実が汚らしく飛び散るのだ。
何しろ真っ赤なので、内臓が破裂したごとく惨い光景だった。
そこの汚らしくも惨たらしい光景に、むせかえるような甘ったるい実の匂いと、腐り始めた臭気が立ち込めてイヤンな感じだった。
親などは、あの柿は切ったり齧るのではなく、「じゅるじゅるすする」ものだと言ってた。しかし私は、柿は、もともとそんなに好きな果物ではないが、せめて少し固いほうが好きだね。甘いのは異常に甘かったんだが、あのグチョグチョ感とブチュブチュ感がとってもイヤだった。
「飛び散る肉塊、心臓を軽く握りつぶす凶悪な悪役のマネ」とかができそうな柿だった。
あの木の下は秋は危険なのだ。昔懐かし、黒板消しを頭に落とす悪戯なんて、実害なく、なんて優しく微笑ましい悪戯だと思う。ちなみに、高校の時に皆がよくしていた。どの先生も最初っから気づいていたが。あの妙な隙間で直ぐバレるんだよ。「なんじゃろう、このわざとらしい隙間は?」と皆不審に思って、ちょっと上を見ると黒板消しがあるし。
それに、相当の物凄い速さでドアで開け、電光石火で走りこまなければ、絶対に頭に当たらない。ガラっとあけた途端、目の前に落ちてしまうのだ。
それどころか、「黒板消しが重量で落ちないように、ドアで挟んでおく」というのも、やってみればわかるが、案外難しい。
そこで、「頭に落として中てる」のは鼻から諦め、「挟んであるのに気づかずドアを開けて、落ちてきたのにビックリしたら成功」だった。しかし前述の通り、皆すぐ気づく。
先生らは、よくドアを開ける前に、「いまどきこんな手に引っかかるか、愚か者どもめ」と指示棒でつついて落としていたものよ。


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