非日記
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「よく考えたけど」というタイトルで、メールが入っていた。「何を?」と思って素直に開けてみる。
よく考えてみたが、「ビールのつまみに羊羹」ではなく、「羊羹のつまみにビール」なんだそうだ。
よくわからんよ?(笑) 何故そんなよくわからん事を、夜中の一時に考えていたのかがまたわからんですよ。しかし、「ビールのつまみに羊羹」より、「羊羹のつまみにビール」の方が、許せる度合いが幾らか高まる気がするのは何故だろうか。そんな自分もよくわかりませんです。 いや、わかってるけど。伊達に生まれてこの方、私をやってるわけじゃない。私は私のマニアっていうか、もはやプロだよ。さすがに三十年もこれ一筋だと「私をやれるのは私以外にはおらぬ」という気分になるだろう。 そのプロフェッショナルの研究成果によれば、要するに頭がめためた固いからだ。定まった形を好むというか、よくあるパターンが大好きというか。 だから思考の展開の方向やパターンの方を変えれば、金属のように固い頭が生クリームみたいにやわらかくなるよな。 うんにゃ、信じられないほどやわらかだった頭を無理に固めた所為だろうか?そうかもしんない。
姐さんは嫌がる私を納得させるために、今度遊びに来た時に「羊羹やチョコを食いながらビールを飲むパーティ(?)」を実行するそうだ。 楽しみにしておこう。
怖い夢> もうすぐS光の命日だからか、怖い夢を見たよ。ナチュラルにS光がいて「ちょっと来い、とにかく来い」というので「なによー」と行ったら、「ちょっと見てみろ。今寝ようとしたら、ここにこんなものが…」と布団をめくって見せた。
女の死体が!しかももう肌の色が変わってんですケド!?
兄「…どうしよう?」 私「ど、どうしようもへったくれも無いでしょ!埋めるってか!?殺ってないなら隠すわけにはいかんだろ!警察に連絡を!」 慌てて電話しようとしたら、何故か電話はプロバイダやサーバーみたいな感じの「こんにゃろう」応答をする。
私「もしもし!警察ですか!?」 警「はい警察です。ほにゃららのインストールには、五十分ほどかかります。実行されますか?」 私「いや、あの、だから、警察ですよね?110番ですよね?」 警「ですから、ほにゃららのインストールには五十分ほどかかります。インストールが完了してから、再度接続してください。お話をお伺います。この機にインストールをして最新バージョンにアップデートしておけば、いつ110番しなければならない事態が急に起きても〜(以下略。いかにインストールをすると良い事があるかについて説明中)」
おいこら、今110番する事態が起きてるんだってバ。 110番したのに、話を聞いてもらうのに五十分かかるってどういう事よ?(夢の中の警察は平和すぎて暇すぎるのか?)
私「〜〜〜〜〜ああもう!!そんなものはせん!〜〜〜おい、父!警察に通報する前に、救急車を呼ぶべきだろうか?私の先生が、死体を発見した時には、警察を呼んではならない。本当に死んでるかどうか、助かるか助からないか判断を下すのは素人ではなく、玄人の医者にさせるべしで、まず手を触れずに救急車を呼べと言っていたし…」 父「ハン、アホらしい。ボクも見てきたけど、心臓も完全に止まってるし、もう冷たく固くなりきってるよ。死んで結構経ってるだろう。いまさら救急車なんか呼んでも何の意味も無いよ。くだらん」
うー、そんな事はわかってんだけど、警察のインストールとやらを待って、それとウダウダ交渉するのが嫌なんよ。てゆか、父よ、触ってみたんか?いや、それどころか、肌の色変わってるから。そろそろ匂いが出る頃だから。 それより父よ、家長で大黒柱の癖に、そんなに悠長にしてないでくれ。「わあーたいへんだーなータイヘンだータイヘンだー」って、ホノボノしてないでくれ。タイヘンなのはわかってんだよ!!! 私は脳内で、この後のタイヘンな面倒が渦巻いていて(警察に細々と事情聴取されたり、人に色々疑われたり、死体の出た家で暮らさないといけないとか(幽霊が出そうで嫌))、ひたすら生きるのが猛烈に嫌になってんだけど?
むらむらと、「何故誰も彼もがやっかい事を持ってくるのか?てゆうか何故私だけがシリアスにならねばならんのよ!?S光よ、おまえ、兄ちゃんだろ!?私が『お兄様ん、たすけてえん☆ポチ、困ってるのン☆』って言うもんだろうが!?(←そんな兄妹、めったな事ではいません)『困ってる』って、いきなりドでかい面倒を持ってくるな!」と、コン畜生と意地になって警察に電話しまくり、
警「ですからインストールには五十分ほどかかって…」 私「そんなのはどうでも良いんです。とにかく、現に今、布団の中で人が死んでるんです」 警「え!?人が死んでる!?(電話の向こうで何かバタバタし始める)すみません。それで、その、あなたは誰を殺したんですか?」 私「〜〜〜私は殺してません。ただ家の中の布団にですね」 警「はい、あの!そうですか、すみません。とにかく、それでですね、誰が殺したんですか?」 私「(ブチ)そんな事、知るかーッ!!」
とにかく、大変いらいらした。 〜〜〜〜この、まだただの変死だろうが。いきなり殺人事件にして、しかも通報者を早速犯人扱いするなー。 どれだけの面倒であろうが、「関わりたくない」と死体をどこかに隠すか、捨ててしまうよりは、まだ真っ当で人としてマシな判断だと踏んでの勇気を出しての通報だのに。見た瞬間、一気に「どっかに捨てたい」とチカチカ思った自分に背いての決断だのに! そこらへんはおまえさん方が調べるもんだろうが!!!
「もうイヤ!」とすっかりキレたら目が覚めました…。 目が覚めてほっとしました。ああ夢だった。よかった。S光が生きてたからな、間違いなく夢だ。よかった、本当に。「彼岸だからって、夢中だろうが、要らんモン持って来るなよ。頼むよ、お兄さま」と力抜けました。 彼岸だから早速兄ちゃんの所為にしてみる。
| 2005年09月20日(火) |
見えないおばあさん完結編。(見えないおばあさん最終話) |
いくら私だって、心の底の底の底の底から表層までまんべんなく「見えないおばあさんは実在…ちゅうか幽在している」と信じてたわけではありません。 ただ、その昔、私の叔父の一人がお盆深夜にテレビ放映されていた怪談映画を見ながらギャハギャハ笑い転げているのを指して、大婆様が「ああいうのが実際に祟られたり、幽霊に絡まれる人間だ」と酷評したので、戦慄した私は「良かった!アタシはお化けや幽霊がめちゃめちゃ怖い!だけどこれからも一生、お化けや幽霊を馬鹿にしてはいけない!心から信じなくなった、全く怖くなくなったその瞬間に『出る』!」と心に刻んで、生涯畏れ続けようと固い決意をしたのです。お目にかかりたくない一心で。 ちなみに件の叔父さんは、祟られたのかどうか知らないが、ここ二十年ほど行方不明だ。J子が言うには「アレはワルだから」だそうだ。そうね、悪い事をして物凄い大迷惑をかけられ「あんなやつ知ったことか」状態なわけでも、別段絶縁したわけでもないのに、叔父さんが行方不明であることは、不思議と親族の誰一人として自然体で気にして無いね…。「さあ?生きてるんだか死んでるんだか」で、田舎によくあるミステリーだよ。
それはともかく、そういうわけで、私の表層から底三段ぐらいまでは「幽霊を信じる」「信じない事は無い」「信じても良い」「信じてみるか」「信じなければならない」などにほぼ統一されています。 しかしながら、私は何かを速攻幽霊にしたりはしません。一応科学的考察をチョッピリしてみる。チョッピリしておいて、「というわけで、実物…というか幽物の幽霊ではないかもしれない」と仮定しておいて、「しかし万が一の場合を考えて、『幽霊である…かもしれない』という余地を残しておく」方針です。万が一そこらへんに幽霊さんがいらした場合にそなえ、その幽霊さんに対する「べ、別にアナタがいないって言ってるわけじゃ…!」的言い訳というか。
だって万が一いたら、いるのに「いない」って言われたら、すごく悲しいじゃないの。悲しいよ。 私だったら「いるもん!いるのに!」という悲嘆で悔しさと悲しさと絶望のあまり「なんだってやってやる」気になっちゃうよ。「今までは良い子の霊だったが、今日からグレてやる」というやつだ。悪霊デビューだよ。 「いるんだってば!これでもか!?!」でなけなしの霊力と言うか、霊の全力を振り絞って憑り殺しアタックとか。「私にはもう肉体は無い。だが、精神力だけで物体を物理的に動かしてみせる!動け!動かんか!動くんだ!」と気合のポルターガイストとか。 「どうして!?わ た し は こ こ に い る!」と号泣しながら殺害だよ。肉体があったら血涙を流したいところ。殺したかったんじゃないの。憎んでいたんじゃない。ただ、「そうだね。そこにいるね」と、嘘でもいいから「気持ちがわかる」と、せめて「わからないけれど」と、ただそう応えて欲しかったのよ。そういう気持ちならば、我が身のことのようにわかる。
見えないから無いわけじゃない。触れられないから無いわけじゃない。証明できないから無いわけじゃない。無いと信じたら、その瞬間に消えてしまう。 だって心はそうだろう。 私は幽霊と同じそんなものを、それでもあると、あるかもしれないと、あって欲しいと信じたんだから、あると信じた同じ理由で幽霊を無いと信じることはできない。
そういうわけで、見えないおばあさんはイルというかアルかもしれないと思いつつ、しかし私は、それで「というわけで、イル」とスムーズには行かないんだ。 「見えないおばあさんは存在する(かもしんない)」という前提を維持したまま、「しかし彼女が言うソレは、見えないおばさんではないかもしんない」という前提でも、当初から色々考えてみていた。
仮定零:「命の終わりに近づき、肉体の崩壊につれ魂魄が純粋さを増し、霊力が高まって、ついにナチュラルな霊界との交信を始めたが、認知症気味なので、色々変だと思わず、違和感が無く、不思議だとか異常だと気づいて無い」場合(例:彼女には霊が「視えて」おり、視えるがままに正直に口にしてるだけ。私が穢れきって凡俗)
↑この場合は、拝み屋を目指してるわけではない私には、考えなきゃいけない事も(例:私には霊力が足りない)、やらなきゃいけない事も(例:こんな仕事してその日暮らししている場合ではない。速攻、恐山あたりに修行に行こう)、当面は特に無いので、とりあえず、コレは棚にあげておいて。
仮定一:「脳の障害や精神の障害により、現実的には視覚的に見えてないモノを脳内のみで見ている」場合(例:幻覚や記憶の混乱)。
↑私のやる事は、医者に相談。とりあえず、脳外科や脳神経外科などの脳や神経関連か、精神科関係。
仮定ニ:「実際に視覚的にも脳内のみでも何も見えておらず、自分でも見えてない事がわかっているが、何がしかの心理で、見えているように演じている」場合(例:アタイをからかっている)。
↑私のやる事は、私なりに付き合ったり、気にしないこと。つまり現状維持。特になんもせんでいい。
仮定三:「確かに私には見えない『何か』を見ており、ソレをおばあさんだと思っている」場合(例:視覚に起こっている障害や異常を、認知症の脳で独自に解釈して表現している)。
↑私のやる事は、医者に相談。とりあえず眼科。
つまり、例えば 「見えない何物か」は実際にそこいるとしても、あるいはそこではなくてどっかにいるとしても、「しかしだからといって某彼女が『ソレ』『ソコ』と、今現に指しているソレは、その『本当にいる見えない何物か』だとは限らない」という方向だ。
それで私は当初から観察を続けていたのだが、この日記で続報を書いたあたりで「どうも左目がアヤシイ」と疑惑にアタリをつけてみた。
根拠は、「移動してもついて来ている」が一つ。これは、場所に固定された「何か」や「何かの影」などを見間違えてるという可能性が薄い、つまり眼球や眼の神経や視覚情報を処理する脳自体にに原因がある確率の高さを示している。ついでに、少なくとも「地縛」霊ではないことを示している。 そして「私の後ろや部屋の隅など場所を移動している」こと。これは「視線を動かし、視野を移動した際、眼球の移動にそって移動しているのではないか?」と疑われる。「どこにいるのか」と尋ねた際に、彼女が躊躇い、迷って、そして私の方を見て、それから私の方を指したからだ。脳や視神経の異常より、眼球があやしい。
さらに最大の決め手は、 「おばあさんは、豆腐のようで、白くて、やわらかい」 この証言だ。
白い「何か」を見ていて、彼女にはそれが「おばあさん」っぽく見えているか、「おばあさん」だと決めている。離れているところしか指さず、触った触ってきたとは言わないのに、「やわらかい」と思っているので、それは「きっとやわらかい。絶対にやわらかい」と見える「何か」だ。 白くてやわらかいので、豆腐を連想していると思われる。
私はなめるように観察して、やっと見つけました。よく目やにが堪って張り付く左の眼球の下方に、下瞼にそって「白くてやわらかくて豆腐のような」小さい目やにの塊が、眼球自体に張り付いていて、眼球の動きに沿って動いているのを! それで「どうも左目に目やにが出やすいようです」と医者に通報したら、なにやら治療をしはじめ、続けていた。(注:少なくとも猫や犬などの動物では目やにが多く出るというのは、熱があるや目の病気など何かの病気が疑われる。自然な健康状態では、目が開かなくなったり、目につくほど目やにが出たりたまる事はあまりないよう)
私に出来ることは終わったので、見えないおばあさんが存在するかどうか、見えないおばあさんの正体がなんだったのか、霊界や霊魂は存在するかなどは気にせずに暮らしていました。 時々死に別れた人々を思い出したりしながら、難しい事は考えずに平和に暮らし、見えないおばあさんの事は忘れておりました。
ところが、それから約二週間後、
○「そこにおられたおばあさんは、家に帰られたのですか?」 私「…いえ?」 じっと見つめる。つぶらな瞳。治療の甲斐あって、曇りないつぶらな瞳。 私「…私は特に聞いてませんね。知らないんです。ひょっとすると、私の来ない間に、○さんが寝ている時に、お家に帰られたのかもしれませんね…」 ○「そうかもしれませんね」 私「さみしくなりましたね」 ○「そうですね」 私「…………(笑)…………」
それは、私だけの秘密…。瞳の中の真実。
まだ「いる」かもしれないが、それは私の管轄外だ。 それに関ずらわった時には、日記のタイトルは「新(真)見えないおばあさん」とか「見えないおばあさんS」とか「見えないおばあさんR」とか「見えないおばあさんネオ」なんかにしようっと。そうしようっと。
原稿用紙、二十枚以内で書けって言われて消されちゃったよ! 私もヤバイかなとは思ったものよ!
一体どれだけの量を打っていたのかわからないままだが、実は日記を書こうとしたのは全く別の内容によるのだった。 せっかく消されたんだから、ついでにこれだけは書いておこう。この衝撃も忘れないように。
「ビールのつまみに、羊羹やチョコレート」
私は、それは変だと思う。絶対にあうと力説され、試してから文句言ってと怒られたが、試したくないんだよ。 「苦いものには、辛いものもあうけど、甘いものもあうのよ!あなただってコーヒーのつまみにチョコレート食べるじゃない。それと同じよ!!」 同じじゃないもん。コーヒーはビールじゃないもん。 そうね。私はただ言うなれば子どものようにいやなのよ。たとえあっても嫌なのよ。あわないなら、別にビールのつまみに羊羹食ったって良い。しかしもし合うとすれば、そのことが嫌なのよ。
実家に梨が送られてくるので、それを転送しようかどうかと言う。例によってあまってるらしい。まあ二人でダンボールに何箱も食べれるわけがないのだ。近くの知り合い、友人や世話になってる人には配りつくしたという。 しかし、もうすぐ兄の命日で、しかもまだ何年も何年もは経って無いから、S光の友達が来るんじゃないか、その時分に出したり、土産に渡したらどうかという話をしたら、二十年来だった一等の親友はたぶん来んだろうという。 彼は、いつも妙に外した時期に、ひょいと寄って来るらしい。遠いのにな。 確かに、頭がキレる上に、性の繊細な(要するに思慮分別のある)人なんだよね。命日は、「わざと」外すかもしれん。ありうるよ。
それで私は、先ごろまたも大家の息子にうっかり葡萄を貰ったので(だって葡萄は好きなんだもの…高いんだもの…)、「例のものを頼む」と言うてしまったのだ。 ただ、一人暮らしで半身不随の人間に「刃物で皮をむかなきゃ食えない」ものを贈るなんてどうだろうかと思わんでもないので、どうするべきかとあちこち相談してみた。大体揃って「皮を剥いて切ってから、あげたら」と言う。 しかしそれでは貰って直ぐ食べなきゃいけないし、なんかこー「もうできないんだろ?だからやってあげたぜ」って感じで、底意地が悪くいやみったらしくないか?と愚図愚図思ったりする。 なんかこー、失ったもの(能力)を、眼前に突きつけるかのようで。そういうの気にしない人だったら良いんだが、だって本人は「こんな身になって生きるぐらいなら、あっさり死んだ方がマシ」とブツブツと、その通りにアッサリ死んだ息子を持つ私の親には言えんような事をほざいてるぐらいだしな。ちょっと迷うわ。 大家さんにと言って渡してみても、歳なので固いものは食べられんかもしれん。好きなのはイチジクとかだったし、土産もなんとなくプリンとかゼリーみたいな柔らかいものを選んでいたのよな。 まあこういうのはな、「喜んでもらおう」等と僭越な事を思ったり、「喜んでくれないかしら」等とあげるほうのくせに相手に期待をするから、どうしようこうしようと迷うわけよ。そんでウッカリすると正直者を相手にしてガッカリするわけよ。そんで正直じゃない相手を相手するといい気になるねんな。 初めから「苦しめ」と思って渡せばいいわけよ。それで嫌がられたら、「よし嫌がっている!期待通りだ!」と気持ちよく思うが? いや、それ極論だからね、私よ。ただ気構えの問題で。別に苦しめたいわけじゃ無いんだから。 ただ「チョッピリ勇気を出して、ご近所付き合いをしよう」だけなのに、手段を考えていると、何故目的を大きく外れていくのだろうか。やる事は一緒なのに、心理的な目的が真逆に向かうのはなにゆえ。まるで方違えのように。 ささいでかわゆらしい動機が道を外れ、犯罪の決意レベルにまで高まっていくのは何故だろうか。
ところで梨が来たので、連絡したらば、今度亡兄の同僚が揃って顔を出すという。皆でごっそり辞めるんだそうだ。 あらあら。 そんな知らせをわざわざ教えてくれ「それだけだけど」なんて、「パパよ、おぬしも悪よのう」という感じだ。口にしなくても「ざまあみやがれ。自業自得だ」と思ってるな。私は心から思ってるぞ。
電停にて>> 「顔見知り」というのだろうか。 いつも同じ時間の電車に乗る相手。おばさん。幾つかわからん。目があうと会釈をしていたら、いつだったか最初に向こうから挨拶をされ、それで挨拶をしかえしたら、そのうち挨拶をするようになった。時々挨拶をしても気づかれないこともあり、そうすると気弱な私は挨拶をしなくなるんだが、そのうちまた挨拶をされてみたりして、「時々挨拶」関係は地味に続いていた。 この「時々挨拶」関係の超絶微妙なところは、挨拶の言葉が 「おはようございます」 「おはようございます」 ↑本当にこれだけ、というところだよ。 ついでに、最初にやってきた瞬間に、相手が他所を向いていて気づかなかった場合は、わざわざ挨拶はされない。ナチュラルに無言。このへんが超絶微妙なのだ。まさに「顔色を伺う」関係。何のために顔色を伺っているかというと、「おはようございます」とただソレだけを言うためだけだ。 だが半年以上、そんな事を続けていれば、極稀に、ほんの少し会話が続く瞬間も来る。そして情報も少しずつ手に入れる。
私が知っているのは、彼女がどこで下車するのかと、帰宅する電車が何時ぐらいのものかと、孫がいるという事(これは偶然帰りに同じ時間帯になり、ちっちゃいのが横にいるのを目撃したのだ。「お連れですか?」と尋ねたら「孫です」と言ったので確かだ)。時々乗ってくる電停が違うのは、時間があったら歩いているからで、私と同じ電停に乗ってくる時は、既に一駅歩いてきているらしい事。 彼女が知っているのは、私が降りる電停と、私がその後どこへ向かうのかと、私が勤めているところと、私が会議のある時は遅く帰っていることぐらいだ。
勿論、私達は互いの名前も年齢も知らない。知り合いになろうとしてなってない上に、ならねばならない強制力も無い上に、互いに極端に口数が少ない(注:少なくとも私は人見知り)…というか、それほど社交的じゃないからだ。もう何年来になるのか、同時間の電車には5〜6名、働き者のおばさんたちは顔見知りのネットワークができているようだ。勤務先に向かう時間が同じで(乗ってくる場所も降りる場所もバラバラ)、よく並んで腰掛け(座る場所も大体決まっている)、色々喋っている。が、その中でも彼女は口数が少なく、人の話に黙って耳を傾けている方だよ。
そんな果てしなくどこまでも「微妙」な関係の私達だったが、私はその朝の挨拶の一瞬で「今日の○勢」を○っていた。■の中には運が、「○い」は「う△ない(△にはラが入る)」。
「今日は誰とでもスムーズなコミュニケーションがとれます。自信をもっていきましょう。」(十年来並の滑らかな挨拶に成功) 「ちょっとイマイチすれ違い気味。相手の様子にもっと気をつけて、タイミングをあわせましょう。」(互いに相手が挨拶をしたのに、「え?今日は挨拶するのだった?いけない。挨拶しなくっちゃ」という感じに微妙にズレた) 「もう少し自分から積極的に行動しましょう」(挨拶を口にするのに、先を言われ、後から言った) 「待っているだけでは何事もすすみません!あたってくだけましょう」(注:タイミングを逃し挨拶できず。もしくは挨拶の緊張を恐れ、タイミングや視線をわざとずらして逃げた)
という感じに、毎日密かに軽く○っていた。
他にも、 互いにいつも一言も喋らないが、時々突然話しかけてくる「ベンチの左に座るおじさん」=何もなければ必ず向かって左に座る。週休二日っぽく、土日は休み。ただいま禁煙中で、甘いもので口寂しさを誤魔化している。おかげで少し太り気味。性格は割りとアバウトで、液体の中身が残っていてもゴミ箱に液体ごとゴミを捨てて気にしないタイプ。トイレに行く時は、大事なものだけ持ち、ベンチの上にコンビニの買い物袋など荷物を置いて行くあたりもアバウト(←収集した情報) 等もいる。 他に「通りすがりに突然話しかけてくる人」の有無など。
それらもあわせて、総合的に「今日のコミュニケーション」という「○い」をなんとなくしてたわけよ、私は。いつのまにか。 暇なのか私? いや、他人と会うのに常に緊張してるねん。同僚がいなくて、言うなれば敵陣に一人で突っ込んでるようなもので、あげく機嫌のよしあしで応対が明らかに代わるお天気屋さんなんかがいるもんで。それでなくても、私は相手のささいな違いに「何かあるのか?」と直ぐ緊張する方だし。声の高低や語尾の違いとか、そのレベルで、もう「なんかいつもと違う」と緊張するねん。 「ほとんど大体は自分の気にしすぎだ」とわかっているんだが、緊張するのはするんだもん。仕方ないじゃんか。
いっそ明らかに敵対すると、全然気にならなくなるんだが。そうね、全然気にならなくなって絶好調になるね。敵とも味方ともつかない中途半端なのがいけない。そしてそういう中途半端なのが、人生では殆どなわけよ。そして後、ささいな好意がある場合は最悪だ。
そんなわけだったが、先だっては驚いたわ。 例によって電停のおばさんと挨拶をして、すると突然
「明日はお休みですね?ふふふ」
んま?!何で知ってるの!? すごい。私の休みは決まってなくて移動するのに、半年間の観察の賜物なのか? いや、私も自分が先に電車を下りるのに、自分が下車した後、彼女がどこまで乗っていってどこで下車するのかを、「…いつも○×で下りるんですね。見ました。ふふふ」と突然言ったけどね(苦笑)
そんな日の○いの解釈はこうですよ。
「あなたが気づかなくても、いつも誰かに見られています。誰も見て無いと思って怠けていても直ぐにバレますよ。気をつけて!」 慎重に居眠りこかねばならんよ。
今度から日記には伏字を使おうと思う。 う○ない(→○の中に「ら」を入れて読む)と打って漢字に変換される、それを今日から覚えている限り「○い」と打つことにする。 何故そういう事をするかというと、このエンピツ日記の下部に出る広告に「○い」の広告が出るのに飽きたからだ。
(こう書いて「登録」ボタンを押した途端、違うのが出るようになった。さっきまで「○い」の広告ばかりだったのに)
既に遅すぎる気がするが、以後気をつけようと思う。私はなんかもっと別の興味の引かれる広告が見たい。 どうしてそういう事をしてみるかというと、私が日記のネタ切れにさらされ、ついてっとり早く「○い」をしてふざけたコメントをつけてみるという下らない日記を書いて暇をつぶしていたら、気が付いた時には殆ど始終「○い」の広告が出るようになっていたんだ。 ひょっとすると、こういうフリーの無料CGIや無料スペースの広告には、内容をロボット検索的に検索して、多くヒットしてくる単語に関するものを、「そういうのが好きな者が良く目にするだろう」と踏んで広告を割り当てたり…って事もするんじゃないかって気がするわけよ。 てゆか、私が広告を表示する側だったら、それぐらいの事は可能なら考えるわ。イベント会場で関連グッズを売るのと同じだ。
だから私がうっかり「○い」「○い」と何回も打ってしまったら、「○い」の広告が出やすくなるってのもありうる。私はもっとランダムにしたい。
別に「○い」の広告が悪いわけじゃないが、私は金のかかる「○い」は、たぶん相当に人生に自棄になった時しかしないと思う。しかし自棄になった時は、たぶん金を払って「○い」をする前に、自分でアミダをつくったり、「辻○い」なんかで、自分勝手に「○い」をして決めるよな気もする。だって今までそうしてきたし。 それで自分の興味の無い広告を、開くたびに目にせねばならない事に、いい加減はなはだしく飽きた。たとえ自分が招いた事態だとしても。責任をとって、○い」の広告が出なくなる努力みたいなものを、見当違いかもしれないが、やってみることにする。人は結局自分にできることぐらいしかできないのよ。当然だが。
いつか別の色々な広告が出るよう、地道に地味な反抗をして気を紛らわせるんだ。うっかり「○い」と打たないようにしなくっちゃ。
人はそうでもないようだが、私は割りと無料スペースのバナーで出てくる「ニュース一覧」や広告やらが割と好きなんだ。更新が無いとわかってても、ついバナーのニュースタイトルを見に、えっちらおっちら出かけたりする。自分の好きなものを見に出かけながら、世の中の世情まで目にする事ができる。お徳だ。私はテレビを滅多に見ないので、世の流れを簡潔に知るのに楽で良い。 バナーの出方が癇に障るので見ないのは、「とく○く」ぐらいだ。あの広告は出方が頭にくるので、出た瞬間に反応速度を競うように消す。表示される前に幻のように消すことができると、「勝った…!」って感じがする。間違って広告対象が別窓で表示される箇所をクリックしてしまうと短気な私は怒り狂ってしまい、せっかく開いてたどり着いたサイトさんなのに、思わず飛び出して来て(閉じて)しまったりするぐらいだ。
逢魔が刻> 「矢口さんは気が長いですね」というので、「そんな事はありません。私は気が短いです」と正直に告白した。するとついてきて、「腹が立ったりいらいらすることは無いんですか?」と言う。
…あるに決まっているじゃないの。
大アリだわよ。ガ○スの仮面をかぶって「私は女優よ!」と気張っていなければ、一時間に一回ぐらい殺意を抱いているに違いない。三つ子の魂百までもで、自信をもって気が短い。 危険なほど気が短いので、命を懸けて気を長くしてるんだ。
今日も気短く殺意を抱いていました。 人様が、私の前で腰をかがめてお尻を向けたのです。その二時間ぐらい前に、ちょっとカチンと来る言い方をされていましたが、私は無かった事にしていました。腹の立つ事を言われたりされたりして、それに素直に腹を立てて態度に出ると、相手は余計腹の立つ事を言ったりしたりして、よく泥沼になることを私も知っているからです。もし私が気にしなかったら、案外容易く無かった事になるものなんだ。 ところが、その尻を見た瞬間
「…蹴り甲斐のありそうな。ここが崖っぷちだったなら、ちょっと突いただけで、あっという間にバランスを崩して落ちるだろうな。そう…ほんのちょっと突いただけで、いとも簡単に…。とても、簡単に」
と、そんな事を想像して胸を期待でどきどき高鳴らせている自分に気が付きましたよ。
「おお、まさしくこれが<魔がさした>というやつだわ。今私は、とっても魔がさしているわよ。じっくりさしまくりだわよ。」 と、しみじみ思い、さしている魔と、言葉の不要な交信をいたしまくりました。
「何か冷たい飲むもの」と思い、冷蔵庫を開けた。元は白かったのに、何年か経つうちにベージュがかってきてる冷蔵庫の奥に、ペットボトルを一本みつけた。900ml入り。 そういえば、ちょっと前、出勤直前に飲みかけのやつを慌てて放り込んだんだっけ。烏龍茶も新しいのを作って冷蔵庫のポケットに入れてたし、隣には封を切ってないペットボトルも入れていた。だから、帰ったときには直ぐにそっちを出してしまい、奥に放り込んだ方は、すっかり忘れてた。だって喉が渇いてる時には、ごくごく飲みたいじゃないか。
えらく軽い。まるで入ってないかのようだ。傾くたびに重心が僅かに変わるのだけが、何かが入っている事を示している。振ると、ちゃこちゃこと酷く軽い音がするのもそうだ。どうも、ほんの二口三口しか残ってない。 嗚呼、それだから冷蔵庫の奥にチラっと見かけても、「まあいいか」と思ってたんだっけ。
900ml入りの殆ど空のペットボトルをいつまでも突っ込んでおけるような、贅沢なでっかい冷蔵庫じゃない。いいさ、私は冷たい飲み物が、まずは一口欲しかったんだ。二口め三口めは、ぬるい飲み物に氷を入れればいい。
…その時点で、私は、ペットボトルの外装に興味が無かった。
ふたを開ける。ラッパ飲みしようと口につける。不思議な香りが立ちのぼってる気がする。 癇に障る、わずらわしい香りだ。
…よろしいですか私よ。気がするたびに気にしてたら、マトモな生活は送れっこないんだ。気にしなかったときに限って、気にしておけばよかったと後で思うものだが、そういう細かい事をあまり気にしてはいけない。 なぜかと言うと、既に気にしていたならば、気にしておけばよかったなどと、「後で」思うわけがないからだ。つまり、「気にしておけばよかった」と思うのは、気にしてなかった時に限られるんだ。「気にしておけばよかったと思うときに限って、気にしなかった気がする」のは当然の帰結というわけだ。気にしなかった時で、気にしなかった事が問題にならなかった時には、当然のことながら「気にしておけばよかった」などと後から思っておらず、「気になった事を気にしなかった」事をすっかり忘れている。
だから変な匂いがした気がしたのに、止める間もなく、それに気が付くと同時に既に口の中に液体が流れ込んできていたのも、もちろんよくある事なんだ。
…その黒い液体は、れもん味がした。 ペットボトルを見ると、コーヒーと書いてあった。確かに、コーヒーの中には種類によって酸味の強いものもある。私は酸味より苦味の強いほうが好きだが、別に飲めないわけじゃない。
だが一体それは本当にコーヒーだろうか?爽やかなレモン風味なのに?
考えてはいけないハズなのに、脳内にレッドアラートが鳴り響いている。 爽やかな柑橘系の黒い液体。 おかしい。
私は味音痴だからか、別にまずいとは思わない。結構爽やかな味だと思う。 ただ、コーヒーであるはずの黒い液体が言ってみれば酸性系の刺激臭をしていて、口内に含むとレモン風味ってのがなんか「ありえない」感じで怪しい。何故レモン風味なんだ?しょうがを入れてジンジャーコーヒーや、シナモンを入れてシナモンコーヒーなんかは飲んだことある。しかしレモンなんかコーヒーに入れるだろうか?それ以前に、これはペットボトルの市販の無糖コーヒーであって、どこにもそんなケッタイなコーヒーであることを証明するところがない。 お茶をつくって空きペットボトルに入れていることもあるが、私がつくるのは烏龍茶だからレモン味なんかしないんだ。ここまで爽やかなティーは飲んだことが無い。他に可能性…
意識A「ねえ、いいから飲んじゃおうよ。いつまで口に含んでるの?すっごくすっぱいんだけど?何ぼーっとしてんの?」
謎の遠い声『…唸れしなぷす開けでんしの回廊よ』
意識B「なんか警報が…鳴って…る?…なんだろう?どこが鳴ってるのかな?」 意識A「えー、何?この平和時に警報なんか鳴らしてんのは、どこの所属の馬鹿よ?何、チャンネルあわせて、わざわざ受信するつもりなの?うっさいなあ。気にすんなよ」 意識B「それが、随分古いコードを使っているような…?警報とは言っても明滅気味で、回線自体も相当古いものを使ってる。こんなコードを誰が…。それに、さっき口腔内に飲み込めという指示が自動的に入ったが、それになんと応えが返って来た。<これは命令でしょうか?>だ」 意識A「そんな…ばかな…迷ってるってんの?迷う?」 意識B「私だって<は?何を言っている?>と思った。」 意識A「食べ物を入れたら自動的に咀嚼し嚥下する一連の行動は、既に完成されているわ。それに解除や停止をかけられるのは、限られている。私達が迷うならまだしも、彼らが自分で迷うなんてありえないわ。」 意識B「もう一度確認したら、<命令だと言うならば従います>だよ。おかしいだろ?まるで自決の命令を出している時のような反応だ。そこにこの警報。誰か、何か、私達以外に末端に指示を待ての命令を出したものがいる。階級とシステムを無視し、私を飛ばして直接介入しえたものが…」 意識A「確かにおかしいけど。だけどなんだってのよ?さっさとしてちょうだい。もう良いじゃないの。どうせ明滅気味なんでしょ?ただのミステイクよ。そんな警報、こっちで解除しちゃえ!」 意識B「待て。これは私への<命令>だ。仮にも私に<命令>してるんだぞ?私に<命令>を出せるという<立場>が異常だ。ありえない立場だ。これは無視できない。誰だそれは。私を知っている…、あなたは…、誰…?」 意識A「勝手にラブドラマってんじゃないの!少女マンガなら後で買ったげる!現実に戻れ、このとんちかん!」
謎の遠い声『待ってはげちょろちゃびんな!それは駄目なのよてろくたすったかもんだ!それはちょべりばやんばるくいななのよ!』
意識B「エラーに意味不明の箇所が多い。なんだこれ?…古代語?今解読を…」 意識A「今から解読ー?そんな事言って、いつまで口に含んでればいいのよ?口に含んだら咄嗟に飲み込むのも本能のうちよ。すっごくすっぱいから、アタシはさっさと舌の上からどかしたいわ。そんで何かで口直しすればいいじゃないの」 意識B「口直しは良いけど…確か封を切ってないのが何かあったろう、後でアレを飲めば良い。それより舌の上からどかしたいって、それはどういう意味だ?すっぱいって、爽やかな柑橘系じゃないのか?おまえ的に不味いのか、それ?」 意識A「爽やかな柑橘系だって、すっぱいよ。だってレモン風味だって言ってるでしょ。不味くは無いが、美味くも無いね」 意識B「…古代語…古い言葉…忘れられた言葉…すっぱい…すっぱい…舌の上から早くどかしたい…舌の上…舌?舌は…あの器官は、あの器官の本来の任務は確か…」
謎の遠い声『届け、この声!あの人のもとへ!』
意識A「ダラダラ考えてたって答えなんか出ないわよ。あんたとろいんだから。良いわ、私が命令します。さっさと飲みこ」 意識B「んだら駄目だッ!!!」 意識A「どうしたのよ!?急に脇から叫んで!びっくりするじゃないの!」 意識B「この警報だ!これは我らが神の言葉!口に含んだものは有害物質の可能性があるから、断固体内に入れてはいけないという!舌や鼻の古い職分には、含まれている成分を判断する事があった!」
ひらめいた!
意識B「酸味は、本来腐敗を暗示する!これは<味>ではない!通信兵による信号弾だ!警報!警報!体内への侵入を許すな!排除しろ!」 意識A「らじゃ!警報!警報!直ぐに揮下に伝達!吐き出せ!…私達の管轄に回ってくるなんて随分久しぶりじゃないの。異物を体外に排除するのは、今はもっと下の仕事だわよ。だから胃にまわして、アッチに任せておいてもよかったんじゃないの?どうせ出すなら、上からだろうが下からだろうが同じだろう」 意識B「おまえはそういう、何でも他人任せにしていい加減な事だからいけない。そんな事したら腹が痛くなるじゃないか?久しぶりすぎて私も忘れかけていたが、私達には職分があるのだ。寄り代ならちゃんと神の言葉を伝えんかい!」 意識A「なんと!?理不尽な言いがかりはよさぬか!おのれは、神の代行たるわらわが力不足とぬかすか?わらわはちゃんと詔を伝えたのじゃ。正しく読み取れぬおのれが力不足よ。レモン風味だがイマイチ私の好みじゃない。触れてると感じが悪いので、はやく他所へどかそうと明言したであろ?」 意識B「抽象的すぎ!いつものただの我侭とどこが違うんだ」 意識A「わらわと神は一心同体。わらわは神の触指であり、神はわらわとともにあるのじゃ。地獄の腹痛もまた神の贈り物なり。そういうものでおじゃる…」 意識B「いや、だって直接介入で妙な回線がこじ開けられたぞ。おまえがいいかげんな事を言ってたから、さすがにヤバイと思ったんじゃ…」 意識A「うむ。わらわは神のわらわへの深い愛を感じもうした。神がわらわを守ってくだされたのじゃ。腹痛はかわいそうじゃと」 意識B「違うって」 意識A「ところで、件の古い警報はどうなったんだ?」 意識B「…消えてしまったみたい」
謎の声『らぶらぶびーむおうちにかえろうきゃはははは』←古代語
やっぱり方言だったんだわ。
なにやら荷物を送るという電話が、ママンからかかってきましたよ。 どーしてアナタはそう使いもしないものを買うんかね!?私はカバンとか靴とか服とかそういう装飾品系から、台所用品まで、使わないモノは買いたく無いねん。買いたく無いって言うか、買ってもいいけど持っていたくない人なんだ。だから「プレゼントするのが好き」って人の気持ちがわかるような気もします。「ちょっとイイナ」という好きなものが買えて、しかも持ってなくていいものね! だから母上が要らんものをゴロゴロ買うのが理解しがたいですよ。引越しの時に、 「こんなのも持ってるの☆いーでしょ!?」 と、これまでに一度も見たこと無いものをザクザク掘り当てて、一品ごとにどのようにいいかと言う解説を加えていた。んで私が 「だけどそれって、〜〜〜」 と、ちょっと貶すと 「…そう言われればそうね。大したものじゃなかったわ」→ぽい
お 待 ち! アンタ、自分がいいなと思って買ったんでしょうが! その価値を意地になって守りなさいよ。人にちょっと何か言われたからって、すぐ影響されるな! 自分がボロボロに貶しておいても、人が同意して貶すのは我慢ならんという駄目な私だよ。そういうのってあるわよね。人が貶すと庇いたくなるんだが、人が庇うと貶したくなるという。 ご機嫌に笑ってると「ヘラヘラすんな」と泣かせたくなるんだが、実際に泣き出すと「泣かないで!元気出して!」と慰めたくなるという。そんで「そうだよね!」と持ち直すと、「何気安く立ち直ってんのよ」とムカついて絶望のどん底に突き落としたくなるという…。 私は天邪鬼なんかじゃない。猛烈に素直なだけだわ。
いや、私は本を衝動買いするから親のことは言えんのだった。
とにかくそういわけで、電話してきていたが、すると当然また教育的指導が入る。信用が無いんですか私?あー、ないかもね。色々無いんだな、信用が。乳幼児期の悪行を覚えているんかもしれません。 こないだ、「普通、親が二十歳を過ぎた子供に、食事を摂ってるかどうかなんて心配はしない」と誰かが言ってましたが、だったらいいのにと心底思います。 そのへんは、たぶん心配してるわけでもないんだよ。本当はしてるのかもしれないが、他人の考える事はよくわからん。昔から、あの人の話す事はパターンがあって、パターンというか、教育的指導や命令や指図のうち、その時最も気になっているのを三つぐらい、毎日朝から晩まで延々と繰り返す。壊れたレコードのような。その他のことは一言も話題にならんぐらいだ。 だから昔に比べたら全然違うし、断然マシなんだよ。 私も成長して「聞き流す」技を少しは覚えたしな。おかげさまで、聞き流してはいけないことも聞き流し、実社会で怒られる。
…「昔とった杵柄」の逆はなんていうんだろうな?「昔とった杵柄」は、昔身に付いた(身につけた)技術みたいなことなんだろうから、それが良い方向に出るか悪い方向に出るかまでは、この言い方は意味して無いんだろうか。でも大体は良い方に言うような。 「まあ、あなたったらそんな事ができるの!?知らなかったわ」 「昔とった杵柄でね。ちょっとやってた事があるのよ」 という具合に。
それはともかく、「女の一人暮らしなんだから、戸締りをしっかりしろ」という話になる。うちのトイレも風呂も外にあるので、そこらへんにまで言及される。 母「トイレに行く時にも鍵かけてんでしょうね!?」 私「あー、うー、人が来たらわかるもん…」 風呂に入る時にはかけてるんだが、トイレはな…。
<注意:防犯上は全くよろしくありません。空き巣などは人が居ても(寝てたり、別の部屋に居る状態などでも)入ってくることもあるし、「ちょっとソコまでゴミ捨てに行く」ぐらいの時間で入ってくるのですだ。>
わかっちゃいるんだが、だって「見えてる」し、とか思ってしまうのよな。その油断が命取りだとわかっちゃいるんだが。わかっちゃいるんだが。…気をつけるよ。
母「気をつけなきゃ駄目なのよ」 私「わかってますだ」
すると、次にこんな事を言う。 母「ドアのところに、大きな石を置きなさい」 私「大きな石?なんで?」 母「誰かが入ろうとしたら、けっぱんづくように!」 私「誰かが躓く前に、私がけっぱんづく」
注意:どうやら「けっぱんづく」は方言らしい。躓いて転ぶ(転びそうになる)といった意味。
一瞬、「ドアが開かないようにでは?」と思ってしまったが、どうやら玄関の内側に置いて…という事らしい。 改めて思ってみると、うちのドアは外に向かって開くな。日本だからかな?
昔、そういう話をどこかで読んだ記憶がある。ドアが内側に開くか外側に開くかは、各国で「訪問者」に対する気持ちの表現によるとか。ドアが内側に開くときには、「招き入れる」形だとかなんとか。ドアが外側に開くなら、訪問者はドアが開く際に、スムーズに開けてもらうには、ドアから少し離れていなければならない。ガブリ寄っていては開かないんだ。 …ま、悪い人はドアの脇に立っていて、空いた瞬間に閉まらないように足を突っ込んできたりするから、現実的にはあんま関係ないんだろうが、心情の表現と言う話。 しかし、「その地方の雨量にもよる」という話も一緒にあった気がする。 雨量の多い場所では、ドアが内側に開くと玄関内に雨が入り込みやすいんだ。外に開くなら、ドアが盾になり、ドアを開けるたびに屋内に雨が入り込むのを防ぐ。 なんの本だったんだろう?思い出せない。
母「それなら空き缶でも置きなさいよ。誰かがドアを開けたら、カーンと大きな音が」 私「私がカーンと大きな音を立てる。とても近所迷惑だ。そんな事はせられん」
注意:「せられん」も方言っぽいわ。「してはいけない」という意味。
自分がそんな大きな音を立てたら、私はびびる。 我が母ながら、どうしてそうショウモナイ事を考えるのだろう。 私は一応、夜中にトイレに行く際などには、人影が見あたらないか、妙な物音がしないか、周囲を慎重に見回し、たいへん警戒してるわよ。
…どちらかというと、「怪しい人間」より、「怪しい霊魂」を警戒してるんだが、それだけにより慎重だ。 何故「怖い」のに探すのかと言うと、怪しい霊魂が「突然」出現して、びっくりしたあまり私の心臓がとまるかもしれんので、「どうせ見らざるをえんなら、向こうから現れる前にこちらから発見したい」という思いの表れだ。
職場から家に帰ろうにも、はっきり言って交通機関が未発達なので(この間、暇つぶしに一時間ほど近辺をグルグル散歩してたら旧隔離施設を発見してみた)、終業後、帰路につくまでに時々妙に時間が空くのだ。もちろん、普通に時間をつぶすような場所、商店やなんかもあるわけない。公園すらない。橋の下で五分ぐらい立ってるぐらいだ。遠くを眺めやって、「この道は、きっと海に通じているんだ」と、なんかのお芝居みたいな気分を盛り上げてみたり。
いつも「どーしよーかなー?」と思うんだが、久しぶりに、 「今日はカラオケに行こう!」=「交通の便があるところまで歩いて帰ろう(四十分ぐらい)」 と思い立った。途中に、歩くと十分ぐらいかかるトンネルが二つある。私は誰も聞いて無いと気持ちよく歌うくせがあるんだ。てゆうか、私は大体いつも歌いたいんだが、「誤魔化せる状況」でないと歌えないんだ。伊達に、酒も飲まずに(酔わずに)寝る前に三時間もぶっ続けで踊っていられるような、愉快を通り越してただ闇雲に変な人ではない。
歌っても聞こえないところ(何かに紛れる時や場所)でなら気持ちよく歌うんだ。 トンネルの中というのは最高ですよ。車がゴーゴー言ってるからね。ちょっと煙いけど。
そこで、ぽくぽく歩いていき、私が歌いながらトンネルを抜け、次のトンネルに向かおうとすると、突然声がかかった。 よかった、まだ次のトンネル分を歌いはじめてなかった!
何者かと怪しんだ。一級警戒態勢だよ。 しかし、そんな私の緊張を他所に、職場の同僚のお姉さんだった。 「なに歩いて帰ってんのー?(笑)」
「何気ない風を装って、実は闇金融で多額の借金をこしらえていたり、異常な愛人がいたりするかもしれん。それどころか、実は本人が異常かもしれん」とまで妄想の領域に片足入った想像を膨らますこともできますが、いつも私は勇気を持って現実?に踏みとどまりますだよ。
誰か同じ方角の人に「乗せて」と一言頼めばよく、これまでに何回か頼んだこともあるんだが、その結果、「頼むより頼まない方が気分的に楽だ」という結果に落ち着いてしまったんだ。そして肉体の楽より精神の楽を選んでしまう、駄目な私。 ちょっと待ってれば他の人の終業時間も来るものを、「だって(今)誰もいないんだモン」という立派な言い訳があったもので、つい。 しかし、そんな駄目な私がホテホテ歩いていってるのを車中から発見し、車寄せで待っててくれ、アタイが断る間もなく「はい、乗りなさい」とドアを開けてくれたねんよ。なんて人間のできた人!
アタイは幸せものだー。 こういう良い人がおり、ラッキーがあって、私の人格は全く成長しないねんな…。こー、自分の苦手な事に立ち向かって乗り越えようという。「だってもう何回かは乗り越えてんだから(「途中まで乗っけてってください」と頼んだことがあり、それができたのだから)、別にいつもかっつも乗り越えなくても良いじゃんねえ?要は、いざという時に乗り越えられれば良いんだよ。練習はもうやったし、出来ることはわかったんだから良いじゃん。そんないつもいつも勇気を出して苦しまなくても…。マゾじゃないんだから」と思ってしまうよな。
声をかけてくれ、乗せてくれたお礼に、せめて何か面白そうな話をしようと試みます。アタイは貰ってばかりで何もやれず、特別何にもできなくて、あげくお礼の気持ちも上手く表現できませんからね。助けてあげた方がよほど嬉しくなるような、爽やかな「ありがとう!」で空気を明るくする…なんてコトは私には無理ですから。無理な事はしません私です。「どうして私の気持ちが伝わらないの!?」等とごねるのは止めて久しいですから。 せっかくなので、今日起きた中で私的に一番面白かった出来事を話す事にしますだよ。
「するとその人が、またドスドスドスとやって来て、今度は<〜〜省略〜〜>と言うんですよ。それで『ンまあ!』と思いましたが、」 「キャハハ!ちょっと待って、その人、そんな声だったの?!(笑)」 「声?声は私の脚色です」
ちなみに引用部分の声は、私の友達が中学生の頃によくやってくれた、某アニメのサリーちゃんの友達のヨシ子ちゃんが「サリーちゃーん」と呼ぶときのダミ声?のモノマネ(発声)を、自分的にマネたものです。 「サ゛リ゛〜ちゃ゛〜ん゛」 ってやつ。 …なんて事は誰も知る由も無いのであった。割とやっている。
自分の中では、件のモノマネ声をマネしてるつもりねん。私のは似ないけど、だってあんまり面白かったんで〜。その一発芸的モノマネが、もう大好きだったのだよ。うけたうけた。<魔○使いサリー>は殆ど見たことなかったんだが、聞くだけで「確かになんかそんなだった!」と思わず心が擽られ、笑ってしまう。 どこが他人が言った部分なのか、そこは私が言ったのではないと表現するのにとっても便利なんだ。学校では「かっこ、○×○…、かっこ閉じる」等と読んでた事もあったような気がするけど、普通の会話ではカギカッコ使えないからな。
「エッセイが書けそうな話ね!」 楽しんでもらえたようで良かった。
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