非日記
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2005年02月27日(日) 親子そろって。

どこかの占いで、「あなたの未来は髪の毛座です」とか出てました。何かあるたびに不吉な予想や悪い想像ばかりが心を過ぎり、心配しまくるようになるらしい。あんそれは未来の話じゃなくて、現在の話じゃないの?いつの時点から見た未来だ。
しかも入力が生年月日ぐらいしかなかった。つまりいつ占っても常に「未来は髪の毛座」ということになり、その未来は永遠に現在にならないという事になってしまう。そんな矛盾した占いで良いのか?
「まず第一の前提が思いっきり信用ならず、外から眺めて全体がイカガワシくとも、いったんその中に入ると無駄に緻密で果てしなく論理的で理詰め」な、私はそういうのが占いなんかの面白いところだと思うのよ。設定フリークっぽい。
しかし、現在は未来にして過去だから別に良いのかもしれないな。

>>
「今手紙を書いてるの」「さっき手紙を出したの」
と、そんな電話がかかっていた。
それは手紙がくればわかることなんですが、そういう事は連絡して来て、「手紙がついたかどうか?」という確認はとろうとしないわけね。「私が知らない」事だけを教えてくれている、とも考えられる。「手紙がついたか、ついてないか」って事は、私にはわかるんだからな。向うにはわからなくても。
それで私の方は、「手紙がついた」という「向うが知らない」事を連絡しなければならないかのような気になるんだ。

そういうわけで手紙はついたんだが、
相変わらず、親子揃って日本語に不自由な感じの手紙だ。何故か原稿用紙に書いてある。四百字詰原稿用紙六枚びっしり。改行、段落や句読点等書き方も明らかにオカシイが、文章も所々オカシイ。日本語になっていない個所があるので、解読せねばならない。

「元気ですか」
これはまあ良いねん。そんな事は書いてる最中から電話してきていたのだから、わかりそうなものだけど、書き出しのセオリー通りだからな。
そしてその日の献立が記録されてある。
「…湯どうふ、白菜の漬物、最近の出来事を書きます。」
何故か突然宣言される。日付の下に行動が箇条書きに書かれてある。偶に詳しく伸びる。
「…これは良い話を聞いたと思ったことでした。」
アハハ、妙な日本語じゃなあ。
いつきても微妙に妙な手紙じゃよ。
さて、二月十四日には親父さんが仕事先からチョコレートを貰ってきたらしく、喜んだらしい。

以下引用。原文まま↓()の中は私の心のツッコミ。

夜中起きてチョコレートを食べていたらかぶせていた歯ががぽっととれ朝早く歯医者に行きました天国から地獄といったところです

(人の事言えないが、どこかで一回ぐらい切れよと思うな。ちゅうかまた夜中に起きだして、おまえ達はボリボリ菓子食っとったんだな?歯を磨いて寝たら食いなさんなって言うたのに!それにしても、なんだか妙におかしいね。天国から地獄か、アハハ!なんだかおかしいよ、ここ。チョコレートを貰って喜んで食べたら歯がとれて天国から地獄か、ハハハ!)

二人で歯医者通いをしています.

(ハハハハハ!歯槽膿漏だのに歯医者に行かないでいたから天罰だわよ。行きなさいって言ったのに、ぶつぶつ言って行ってなかったもんな。てゆうか二人揃って歯がとれたんだろうな、たぶん。二人いっしょに歯がとれるなんて、相変わらず仲良し夫婦ですね。ちゅうかオモシロ夫婦ってゆうか。にしても、一体どんなチョコを貰ったんじゃ?)

なんでも大事にしなければいけないと思ったことでした.

(「思ったことでした」というのは、最近の心流行なんじゃろうか?このように文章が締められているという事は、概ね「何かを大事にしなかった。何かを失った」という前提があって、その上での「それで、なんでも大事にしなければいけないと思った」となってるはずなんだが。いまいち、何を大事にしなかったのかがよくわからないわ。チョコ?かぶせていた歯?わからんよ、ママ)

↑引用終了。
ちなみに最後も「思ったことでした」だった。おかんは「思ったことでした」が気に入ったらしいと思ったことでした。


2005年02月25日(金) 久しぶりに。

建て替えで閉まっていた店が再会したので、久しぶりに行ってみた。ら、すっごく小洒落ていた。
ナニ、この小洒落っぷりは!?メニューの内容まで変わってるじゃないの!私の愛する味噌汁定食が無いわ!学生の町なので、若い人向けに洋食の定食が多い店の中、地味で尚且つ安いところがお気に入りだったのに…。淋しいわね。
しかも待ち時間に読む用の雑誌が、週刊誌とファッション誌しかない。私はここで数週遅れで少年漫画雑誌(ジ○ンプとかサ○デーとかマ○ジンとか)を読んで、気になるのがあったら近くの貸し本屋で借りてみるのが趣味だったのに!(ちなみにその貸し本屋も閉店した)

「もう来ないかもしれないじゃないのよ、しくしく(泣)」と淋しさのあまり、女性週刊誌を熟読。偶には週刊誌ぐらい読まないとね。雑誌は滅多に買わないんだが、個人的にファッション誌より週刊誌の方が面白いと思う。ファッション誌はどこをどう読んでどう楽しめば良いのか、いまいちわからない。どっちかというと「なんとなく捲るだけ」という感じになってしまう。大体一冊に1〜2枚ぐらいは「この写真良い!カッコイイ!」ってのもあるんだけど。
こないだ美術館に行ったら、誰か女の人ので、雑誌の写真を部分的に切り抜き(建物の椅子だけとか、柱だけとか、女の人の胸とか尻だけとか)、色々組み合わせて張り合わせ、コラージュで奇妙奇天烈な面白い絵(?)にしてる作品があった。ああいう事をしようという企みをもって眺めてたら、ずっと面白いのかもしれない。

ついでに<主婦技能テスト>をやる。結果は新米主婦。
「もちょっと勉強しましょう」
駄目じゃん。もう四捨五入して十年近くも一人暮らし中なのに、まだ新米か。やれやれだよ。「生きていられればノープロブレム」という感じで、向上心が無いのがいけないっぽいよ。長長生きてるのに、何か違うものを蓄えてるよ、私。

学園>
「なんかゲームしないさいよ!」というお言葉をたまわり、「そうね。ゲームでもしようっと☆」と、プレステを引き出してみる。何か新しいのをすれば良いものを、<東京○人学園>とか出してみる。なんちゅうか「恥かしさ」のあまり、見せてもらったことはあるものの、いまだに自分で最後まで辿り着いたことが無いんだよ。つまり七月二十一日生まれのO型のひーちゃんはEDを味わったことが無いんだ(私はデフォルトのままが好き。コ○ミにはよく「けちけちせずにデフォルトで名前ぐらい考えておいてくれよ」と思う)。
最初からやるのはいい加減に嫌になってるので、メモリカードを探す。メモリカード一枚に三つしかセーブできないので、ケチケチしてたらしい。六話からスタートしかない。やり方を激しく忘れているので、とりあえず旧校舎に潜ってみる(シミュレーション部)。「戦闘のやり方を思い出しながら、ついでにレベルでもあげるか」と思う。が、見たら

レベル99

ちょっと、誰よ?!まだ第六話なのに、レベルを99まで上げてる暇人は!(→私)
……そう言えば、アドベンチャー部が恥かしくてツライ上に、イマイチ皆の気にいる返答ができず、何回もやり直すのがツライので(やり込めないタイプ)、何の問題も無いシミュレーション部に対して「戦闘ばっかりなら楽なのにー」と思い、延々と地下に潜り続け、ゲームから逃避してた覚えが無きにしもあらず。
だって皆が「ひどいよ龍麻くん!」とか言ってひどいんだもん。ちょっと間違えただけじゃんか!あの感情入力は馴れないと結構難しいのよ。
「行くよな?」と言われ、偶には【同】とか【悩】以外を押さなくっちゃネ!と、【喜】(自分的意味:「喜んで、ごいっしょいたします」)を押したら、「遊びに行くんじゃないんだぞ!」と叱られる。ち、違うもん。切ないわ。
あげくにタイムリミットがあるし。
押し損なうと、「そんなに冷たい人だったなんて!」と来る。そんな!「どれを押せば適切に表現できるのかしら?」と今考え中だったのよ。ちょっとぐらい待ってくれても良いのに(ゲームだから無理)

確かにレベル上げは結構好きなのだった。馴れれば。単純作業好き。
前に新しい職場にうつった最初に、先輩に「どんな事(仕事)がしたいですか?」と問われ、「私にはどんな馬鹿にでもできる、手の抜きようが無いほどの単純労働で、つまらなくて面倒くさそうな、やりがいの無い<作業>をさせてください」と言うたぐらいだ。「本当に?」と問われ「是非!」と頷き、「本気ですか?」と再度問われ「私はいつもマジです」と答えました。

しかしゲームは進まない。
だって第六話、タイトルが「友」だよ。友!
なんて恥かしいゲームなの!アンジェリークより恥かしいわよ!羞恥プレイだよ。
しかし友達と仲良くする事に精力を注いでいるのは確か。この遣り掛けレベル99データを見ると私の本気度が伺える。男友達の好感度は上がってるのに、「葵ちゃんの好感度だけは断固あげないように」という意固地な努力が見られるよ。
これで三回目のチャレンジなのだった。

あーおう。こういう「自分が好きな誰かを選んで特別仲良くしよう」というゲームはかなり苦手なんよ。そんなゲームが得意だったら、私は結婚する気に満ち溢れている。いっそ「これとくっつくしかないので、ガマンせよ」というゲームだったら諦めもつくのに。そう言えば何かで、「ささやかな障害で即座に挫折するのは止めましょう」と書いてあったな。諦めのいいところは私のいいところでもあるのよ。チャームポイントってゆうか。しかし、速攻挫折しないようにしよう。

あ、今突然思い出したが、私は先日夢を見たんだ。<竜王を倒した後にシャロームのところに行ったら消えているのは、「死んだから」だった>という夢。目が覚めて、「えーそんなー」と悲しんでいた。
眠っていると、毎度自分でも思いもよらないオチを考えている。


2005年02月24日(木) めでたく。

<じるインフィニット>の公式サイトをちょくちょく覗いてるんだが、相変わらず更新されない。いいとも!サイトの更新なんかしてる場合じゃないよ。サイトなんかスカっと忘れて、ゲームをキバってつくってくれ。
人様が調べてくれたところによると、ジル的に、春は三月末あたりらしい。私も地味な生活をして貯蓄に励もうと思う(例:一尾百円の生サンマでなく、二尾百円の塩サンマを買うなど、地味な節制)

公式サイトを見ると、<あなたが世界を動かす、純粋フリーシナリオRPG>と書いてある。うえッ?!私的には、「私が世界を動かしてる感じが全くしない」ところが好きだったんだけど!?
歴史的事件は決まっていて殆ど変わらないのよな。ただ「どのように関わるか」というのが変わるだけで。戦争時にどこの傭兵になってるか、パンピー(傍観者)として言ってみればニュースで知るかか、関係者として裏事情に精通してしまうか、とか。でもそこがすごく好きだったのよ。なんか「そこで生きてる!」ってカンジがして。
戦争が近づいてくると、言うなれば<ハロ○ワーク>に各国から傭兵募集がベタベタ貼り出されてきて、いかにも「きな臭くなってきたな」という感じがする。
なんちゅうか軍隊にいくの嫌なんよ。ゲームの中とは言え、個人的には「選べるなら戦争で飯食いたくねえ」気持ちが。私としては報酬は安くても平和で地味で地道な仕事が好きだ。我侭で仕事の選り好みを思いっきりし(まるで現実のよう)、「畜生、戦争の所為で私の仕事(郵便配達等)が激減してるわ。商売上がったりだよ!全くいつも割りを食うのは私ら貧乏人なのだ!」という微妙な生活苦を体験してみた。

あー畜生!れむおん好きだったのにーッ!(戦争イベントを思い出すと起きる発作)

そんなレムオンが仲間になるらしいです。それだけでインフィニット素晴らしいです。
よっしゃ、もう連れて歩くけん!すまんノーブル、公爵も伯爵も常時留守じゃけえな!私の見立てでは、衰退の一途を辿ってるロストールの貴族文化はどうせ間も無く瓦解する。面倒な後始末はファーロス家にお任せ〜。皆のもの良きに計らえ。私の心予定ではさらにその後蒸発するけんが!良いじゃん、エストがいるし。
いやどうしてもロストールに残ってゼネテスとロミジュリをしたいというのなら、わかった。私は、余計な問題になるティアナをなんだかんだやって排除するけえ。お任せあれ(悪)


2005年02月20日(日) すっかり忘れていた。

妄想度のテストをしていたら、「あなたは全然妄想してません」と出てビックリする。日々妄想に励んでいるのに、「してない」と言われるなんて驚きね。怖いぐらいよ。なにか私が弱みを握ったりして脅してる?「あなたは妄想してます」と言えないぐらい、危険なほど妄想してるとか。

私は今日気がついたんですが、もしかして指輪王の王の帰還の太い方が(色々長いやつ)出てましたよ。私の中では指輪王は終わっていたのよ。執念深い私とした事が、うっかりものすごく忘れていた。
まだ二つの塔のメリピピの感想も書いてないというのに(古すぎ)

「文庫のくせに千円近くもして、あげくに妙に太い気がする追補編をクリアしたら、何とかいう厚い上下巻を読んで(エルフの秘密がわかるらしい本)、そして何とかいう厚い二冊組を読む(ローハンの秘密がわかるらしい本)」という目標があったんだが、妙に高い上に私的に「根性」がいる気がし、さらに私の記憶ではツイ先頃えらく辛い目にあったばかりで「やっと終わった」気がしてたので(2004年5月3日参照)、まだちょっと忘れていたかったのよ。
「辛いなら読むなよ」と思うかもしれないが、日常にメリハリが欲しいんよ。

とにかく、指輪王の事は忘れていたのだ。
気がついたらハリポッタもDVDが出ていて、しかも2500円で売っていた。DVDはよく値下げされるのだ。しかしハリポッタのメーカーはよくすごい早さで値下げするから、「また1〜2年で1500シリーズにでもなるんじゃないか?映画の第四段の封切りにあわせて、宣伝をかねて在庫を叩き売りとか」と思うとちょっと迷う。それに割りと普通の価格で、しかもメジャー作品なので、中古品でも出やすいし、かなり長期間入手困難になりそうにないわけよ。何十年かたっても「昔の大ヒット作品の廉価版」とかいって何回も発売されそうだろう。ワ○ナーのやる事だしよう(不信)。
「おまえは騙されているんだ!」「ぼったくられても構わない!アタシ、彼を愛しているの!」とか、「いつかきっとワ○ナーにも私達(消費者)の気持ちが通じると思うの!」という覚悟が固まらんわけよ。「もうわかっていて、あざとい戦法をくりだしているんだ!信じる事が増長させることもある!目を覚ますんだ!」と、純愛からは程遠く。

指輪王のところは(メーカーは)今のところ、まず値下げしそうにないからな。ジ○リのように頑として値下げしないのではないかと思うと、執念深く待ってても特に良い事はなさそうだよ。期間限定品というわけでないので、いつ買うつもりでも良さそうだ。少なくとも焦る必要はない。

しかし、じるおーるの発売があるので悩ましい。スペシャルは8000円ぐらいするんだ。それは気を抜いていたら手に入らなくなると思う。
「2005年春」とかいうて、じる的には春はいつ来るのよ?
そこらへんがわからんと、予算が立てられんじゃないの。


2005年02月19日(土) ぽつねん

全員が腹がよじれるほど笑っていて、盛り上っている時に、一人だけ「何がどのように可笑しいのか全くわからない」事ほど「独り」を感じる瞬間はありませんそれは「淋しさ」や「孤独」とは一味違います。そんなどこかへ向かう感情はありません。擬音で表すなら(注:副詞です)

ぽつねん

まるで自分の周りに目に見えない膜があって、皆がその向うにおり、自分は窓のこちら側で明るい家の中をこっそり覗いて「なんだろうこの世界は?」と不思議がっており、それを見つかってしまったら不審人物として警察に職務質問を受けてしまうかのような、言うなればマッチ売りの少女のように、その場を支配する「何か」と接触することができないかのようです。
うう、目の前に確かに「何か」があるのに!(状況証拠より)

偶にお高くとまってクールぶってカッコつけていると勝手に思われてしまいます。
違う!違うんだよ!

確かに子供の時はよく、こう思っていました。
ケッ!
それは心の底から冷めてたのではなく、単に手に入らない感覚を欲すれば欲するほど「自分は出来損ないなのだ」という気がヒシヒシとし、屈辱に塗れる事に気づいたが為の自己防衛反応です。

今は大人になったので、
ちくしょうッ!
一段と素直になりました。「ちくしょう!」な自分を受け入れる心のゆとりがちょっぴりできたのです。

それでも悔しいったらありませんね。


2005年02月17日(木) もぞもぞ相談中。

相談中、になってない>>
結婚式にオヨバレしました。
私、冠婚葬祭で婚に呼ばれるのゴッツ久しぶり!久しぶりってゆうか、いっそ初めてって言った方が良いよ!自慢じゃないが極少の交友関係なので!100円ショップで袱紗を買わなきゃネ!

と、浮れて盛り上ったは良いものの、世間知らずが公の場に顔を出すぐらい緊張することはありません。「たとえ私がフィンガーボールの水を飲んでも、せせら笑ってないで黙って自分も飲んでちょうだいよ。客に恥をかかせてはならない。それが真のマナーってもんよと、どっかの偉い貴族が言ってた気がするわ」などと思っても、「しかし客である前に友達として友達に恥をかかせるわけには!」ともチラっと思うわけで。

マナー以前に、どんな格好をしてけば良いかがわかりません。
前にフォーマルドレスを友達に選んでもらってるんだが(未使用)、それが真っ当なのかどうかがわかりません。
<結婚式場でのマナー>なんてサイトを巡っていたら、「年配の方には肌を出すドレスはよく思われません」だの「新郎の母親は新婦の友人を見張っており、新婦の隠された人格を伺っています」等と書いてあって、ずんずん不安になります。「矢口さんの知ってる人も来るから大丈夫だよー」と言われてるのに、勝手に独自の調査をして独自の情報を収集し、ミラクルな想像力を駆使して不吉な予想を膨らませ、勝手に不安を煮詰めて、自動的に最悪の状況に心構え(心構えのみ)をするのが私の他の追随を許さないところですヨ!
不安のあまり、まだンヶ月も先だというのに、「どうしよう!」と早速お電話です。

私「ま!旅の恥は掻き捨てよね!」

しかし三秒後には
「トイレに行きたくなったら、どうすればいいと思う?」「新郎新婦にライトがあたって客席は暗いんじゃないんかしら?」「暗闇に紛れて移動するわけか」「たぶんトイレは式場の外にあるんじゃないかしら?ドアを開け閉めしたら目立つわよ」「映画館ばりに気をつければ良いのでは?ドアの近くに座らなくっちゃ」「席は決まってるんじゃないかしら?」
脳内に式場の設計図を(貧困なイメージで)つくって、無駄になること請け合いの緻密な計画を立てています。
こ馴れてないので、しょうがないのよ。

私「立食パーティみたいなのだったら、席がなくてトイレに行きやすいわ」
人「確かに、立食形式だったらあちこち移動しても見咎められないけどね」
さらにイメージを膨らませます。

私「でもお友達を見失っちゃったらどうしよう!広い式場で(注:いつのまにか脳内では、式場はルーブル美術館みたいにメリメリと巨大化中。私に比べたら桁違いに広い交友関係という私的イメージから、自動的に、お客さんは勿論スタッフもガイジンばかりです。言葉も当然通じません)、アタシ一人ぼっちになっちゃうよ!お願い、私を一人にしないでよ!」
人「一人になんかしないわ!私だって一人になるのは嫌よ!」
勝手に(ルーブル美術館での)立食パーティを想定して苦境に立たされ、友情が盛り上っています。

しかし、
私「いや、私がちょっとトイレに行ってる間に、戻ってきたら皆がいなくなってるかもしれない。私が必死で『どこ!?どこにいるのッ!?』と泣きながら探して会場をさまようのに(注:脳内式場はルーブル美術館なので、いつのまにか「会場」になっている)、皆が会場のどこにもいないんだ。私を一人置き去りにして、皆が消えてるんだ。
(脳内イメージ:ルーブル美術館を立食パーティ用の皿とフォークだけ持って、足早に探し回る私。壁に並んだ人物画の眼差しがいっそう孤立感を強めます。警備の人の冷たい眼差しが痛い。私、不審な人じゃありません。ただ迷子になってるだけです。だってルーブル美術館は一日で回れないぐらい広いんだもの!おうちに帰りたい!パスポートも無いのにどうやって帰れば良いの!?大使館はどこに?!フランス語なんか喋れないのにタクシーにも乗れないよ!)
そんで私が真っ青になっていたら、何事も無かったかのように、TさんとMさんとSさんとで『ちょっとホテルを見て回ってたの〜面白かったわよ〜』とかいってアハハウフフでチャラチャラ戻って来たりするんだよ!(脳内式場であるルーブル美術館の、パルテノン神殿みたいな柱の影から出てきたのをやっと見つけました。そんなところに!どこ行ってたのよ!?)
ひどいよ、私を(ルーブル美術館で)一人にして!皆で楽しく(パリ観光)してるなんて!
嗚呼ッ!すごくそんな感じがする!」
人「そんな事しないわよッ!」
想像を通り越して妄想逞しく。不安のあまり被害妄想に傾斜。

私「私の格好はおかしくないかしら?」
人「どうかしらね」
私「派手すぎるんじゃないかしら?普通はどんななのよ?」
人「私もそんなに行った事ないもの、わかんないわよ」
私「行った事あるなら私よりマシよ。感じがわかるでしょ、感じが」
人「人によるからね。最初に行った時は着物が多かったし、すごく派手な人もいたわよ」

ただ一言、「別におかしかないわよ」という気休めが欲しいだけなのです。ちなみに「そんな気休めはいらないわ」を後ろで準備中です。しかしお姉さんが真面目に答えるので、不安がどんどん高まります。

私「大体私の服はお姉さん達が選んでくれたんじゃなかったかしら?ちょっと、アナタ達、真面目に選んだんでしょうね?」
人「普通に選んだわよ、と思うわ」
私「いや、わからんよ。二人で申し合わせて、私が何も知らん事をいい事に、面白おかしい格好をさせるつもりかもしれん!そんで影で指差して笑うつもりかもしれんが!ひどいわ、お姉さん達!憎々しいわ!」
人「そんな事しないわよッ!」
被害妄想がメキメキと成長中。さっき盛り上ったばかりの友情を破壊する勢いですよ。


2005年02月16日(水) ごでぃば。

バレンタイン特集中のコンビニにて、1300円ぐらいでゴ○ィバを売っていた。六個入りぐらい。高い。一個200幾らという事になるので、単品で買うなら目の玉が飛び出るほどの値段じゃない。しかし箱で買ったら高い。そして箱しか売ってない。
…食べてみたい。
ゴデ○バといえば有名だが、一体いかほどの物なのか?
食ったことにある人に聞くところによると、「フツーよ」という話。そうだろう。いくら旨いと言っても、「今迄食べていたのは実はチョコレートではなかったんだ!」という程の驚愕の味じゃないと思われる。私は味オンチだし。「ああ、こんなもんなの」とだけ思うに決まってる。わかっておりながら、この金欠時に千幾らも出すのはなんだかなあ。

そう言えば先日の日記で五円をパチった事をしらっと書いてしまったが、あれはよくないね。よい子は落とし物は交番に届けないといけないのよ?ただ、よい子は十円や百円を交番に届けた事があると思うが、そうするとせっかく届けたのに返されてしまう事を知っていると思う(正確には、「ありがとねー」と言われて、届けた十円はおまわりさんが回収し、おまわりさんが自分のサイフから十円くれたりする)。おまわりさんも十円や百円を落としたからといって血眼になってさがしたり、警察に届け出を出す現代日本人は滅多に存在しないことを知っており、そんな小銭でおまわりさんの手をわずらわせてはイケナイのが「ジョーシキ」だからだ。

収得物は万札あたりから微妙になってくるような。100万円ぐらいなら届けた方が良いのは間違い無いんだけどさ。10万円でも届けるよな。1万だとどうよ?
これは大体個人的感覚によるんよな、きっと。自分が幾らからなら警察に届け、幾らまでなら諦めるかという。
昔、100mほどに交番がある道端に二千円落ちていたので「あれに見えるは千円札みたい。うん、二千円落ちてるにゃ。千円札二枚…微妙だわ。どうせそのうち誰か拾って考えるだろう。めんどうな事に関わってはならない。無視すべし」と思って通り過ぎてから、「しかし一応警察に持っていってからなら良心の仮借なく胸をはって懐に入れられるかもしれんよな…。二千円か…二千円…。やっぱ金を手に入れるのに労力を惜しんではいけないよ」等と思い返して10mぐらい通り過ぎてから「やっぱ拾おう」と振り向いたら、もう無かったわよ。誰だか知らんが判断が素早いわね。

しかしゴ○ィバ。一個食ってみたいのよ。一個で良いのよ。好奇心が!
だのに箱しか売っとらんかった。

人「私なら買うわね」
私「だって1300円以上もするのよ!?」
人「本を一二冊我慢すればいいじゃないの」

いや!我慢したくない!オネーサンは世界のチョコレート展で一個買って食ったことがあるから、そんな余裕があるんじゃよ!
そこで、私は間をとって、バレンタインが終わるのを待っていた。買いきり商品だった場合、イベントが終了して後、値下げしての叩き売りがありうるからだ。もしバレンタインが終了しても値下げされないなら、諦めもつきますから。その時は元値で買う気でしたとも。私はバレンタイン当日までゴ○ィバを横目で見張っていました。「よしよし、順調に売れ残ってるな」と楽しく待っていました。

のに!

15日に店にいったら、どこの店にももう無かったわよ!
スーパーやデパートでは、当日14日の夕方には催事場のバレンタイン特集は撤収を始めていたので、「ちょっと微妙よな」とは思っていたが。今年はどこの店もそんな調子だったみたい。うーん、チョコレートは買いきり商品ではなかったんか?昔はよく叩き売っていたのに。てゆうか、ゴデ○バを叩き売らせようという私の根性がいけない?
だってバラで売ってくれればこんな事にはならんかったのよ!箱で売るなよ!
世界のチョコレート祭りがやってくるのを待つことにします。うい。


2005年02月13日(日) 返って来てしまった。

久しぶりに山まででかけましたよ。いつもの山です。
山は昔から好きだが、登山をする根性と気合いと真剣さと準備の周到さと野性はないので、ただの散歩。だーれもいない細い山道で、人家のない場所を散策するのが好きなだけ。

本当は買い物に行くつもりで、別に山に行くつもりはなかったんだが、例によってなんとなく行ってしまった。天気がよかったからだ。
どうせだから例の社による事にした。前回お賽銭を入れなかったことが延々と気になっていた。心掛かりを清算するつもり。
行ってみたら、「マムシ注意」看板がなくなっていた。冬だからか?これで安心して行ける。前回は、台風の為に山道に木々が倒れこんで道無き道になっていたが、二三ヶ月の間に掃除したらしい。この社の管理をしている人は(たぶん町内会とか)わりとまめなようだ。すばらしい。道の間際まで倒れ込みうっそうとしていた雑木やらも多少刈ったようだ。台風前より明るくなり、清々しく歩きやすくなっていた。

周辺を探索して井戸跡などを発見していたら、近所の人とは思えぬ背中にリュックを背負った若人が一人やってくるのが見える。すばやく隠れる。
誰、休日にこんなところにやって来る暇人は?私みたいに暇人なのか?
遺跡巡りが趣味の人かもしれない。ただの山だが、実は中世の城跡だしな。発見した古い井戸も篭城の際の水の確保の為に掘られたものだったらしい(看板発見)。「どんな渇水時にも涸れた事は無いすばらしい井戸」らしいが、えらく濁っていた。こんな水を飲んで大丈夫なのか。
怪しい人はすぐ帰っていった。安心。私の方が怪しい。
上まで行ってみたら、相変わらず、鳥居は壊れたままだった。すごく捩じれてる。お稲荷さんが一個とミカンが一個供えてある。そんなに古くはないようだ。やっぱり何者かマメ人間がいるらしい。以前にオジサンが草刈りに登って来ていたし。人里離れた山の中で、一応若い女が一人でいるところへチュイィー〜…ンと来られると、十三日の金曜日を思い出してちょっと怖かったわよ。
お賽銭を入れる(カンパ)。
これで気兼ねなくなる。

いつも見ていて、常々「あそこに行ってみたいな」と思っていたところについでに行ってみることにする。「あんなふうに行ったらいけるのでは?」と思う道に思い至ったので、そっちへ行ってみることにする。道に迷う。いつも歩いてた道なのに、いつのまにか変なところにいた。
隣にお地蔵さんがいたりする。アヤシー。どこよここは?
とりあえず、お地蔵さんにお賽銭。小銭がなくなった。カンパしすぎ。

いつも歩いていた道が下の方に見える。遠ざかっている。気づかずに、どこかで変な道を選んだらしい。予定の道から遠ざかっている。まだ明るいので、戻ろうと思えば直ぐ戻れる。夕暮れや夜は見知らぬ道を新規探索しない方が良いんだ。本当に、どこから来たのか、どこにいるのかわからなくなる。でも明るいうちは大丈夫!探検発見ぼくの町。何があるのか行ってみようっと。そうしようっと。

そのまま歩いていったら、「あれ?ここからあそこが見えるということは、もしかしてここは目的地?」気がついたら行きたかったところにいた。
予定の経路じゃないが、お賽銭の御利益かもしれない。

さらに歩いていくと、お墓があった。墓地の入口から人が出てきたと思ったので挨拶すべきかと振り返ったら、誰もいなかった。男の人が視界の隅にうつったと思ったのに。
よく考えたら、誰も居ないことは既に見ていたのだった。しかしそんな「誰も居なかった」事実は忘れていたんだ。だって実際に出てきたと思ったんだもの。「見えた」って事は、いたって事だろ?しかしいなかった。気のせい。
…なんらか怖いれすね。念の為だが、誰もついてきてはいけませんよ。「誰も」っていうのは、「何も」ってことよ。

気がついたら、なんだか沢山の石が一列に並んでいるところにいた。門を発見。ここはどこかな?「陸軍合同墓地」…なぜ私はこんなところに?迷い込んでしまった。高い石の列は墓碑銘に少佐とか中佐とかついている。将校の墓らしい。低い石の列は兵卒の墓らしい。大きな石碑を発見。「満州事変合併葬碑」…満州事変!
遠くへ来すぎたっぽい。平成に帰らなきゃ。

やっと山を脱出。生活圏の裏通りに出たようだった。
向かいの溝のヘリに丸いものがあるのを発見。「…あれは金じゃなかろうか?」と拾ってみると、五円。溝にお金を捨て置くなんて私にはできない。

以前職場で「金は大事ですよ」と言ったら「荒んでる」と咎められたが、金が重要である事は疑いない現実ですよ。仮にそのために生きてはいなくても、食事や排泄や睡眠を人生から排除できないのといっしょです。私は寝る為に生きてるが!私は「金さえあれば」とも「金など不要だ」とも思いませんよ。金を馬鹿にしてはいけません。人生は概ね、馬鹿にしたものに足元を掬われるようになっているのだ。
金を馬鹿にしたものは金によって、愛憎を馬鹿にしたものは愛憎によって、権力をナメたものは権力によって背中から刺されて毎度ビックリする。それを目的に生きてない時こそ、それの持つ力をナメてかからないよう警戒しておくべきです。
私「言っておくが、私は金持ちにはなれんと思うからね」
父「良いよ別に。どうせおまえは金いらんだろうが?」
私「ンな!?いるに決まってンだろうがッ!(怒)私は金が大好きだわよ!金ダイスキーよ!もう金の為に金が欲しくて生きてるんだよ!アタイは金が欲しいよ!」
確かに私は亡兄ほど物欲は強くないが、生きる為には金も要るのです。ふわふわ生きていても、食ってるものは霞じゃありませんよ。フザケタ事をぬかすものではありません。

そういうわけで、せっかくなので、ありがたく引き取っておく。一円を笑うものは一円に泣く、一億を笑うものは一億に泣く、ですよ。

なんだか、お賽銭の一部が返ってきたみたいだ。お賽銭入れて、ついでに五円も足しておいたんだ。その五円(御縁)だけ返されたのかも。キリの良い金額までで、端数はお釣?早いわね、返って来るのが。速攻だよ。
そうかえ?御縁は欲しくないかえ?(苦笑)


2005年02月09日(水) 真実の鳥。

バ○ナビー警部を順番に借りて見ていってたら、二十八巻のサブタイトル横に「完」と書いてある。
完って何かしら?
完売の完?完結の完?完了の完?完って…、つまり終わったって事か?
えー、そんな!次に見るものがないじゃないの!(嘘。たくさんあります。見るべきものを見ずに横に外れてたのよな)
やっぱりこんなに地道に着々と見てないで、変なのを先に見ておくべきだった。

気になってるのは<法王の銀行家〜なんとかかんとか事件>みたいなタイトルだったようなきがする。パッケージがホラー映画みたいな絵だが、サスペンス・ミステリーの場所にあるんだ。たぶん件の殺害された銀行家の死体なんだろうが、目玉がとろっといっていて、肌が水色っていうか紫色っていうか、…腐ってる?ふやけてる?とにかく顔がくずれている。グロっぽい。倒れてるが、首に紐がかかっていたような。
「なに、この、昔のホラー映画みたいに古典的にグロいパッケージは!キショい!触っちゃった!」と思ったが、裏の粗筋を読んだらちょっと心引かれた。行くたびに手にとってすごく迷ってる。
借りてみたいんだけど、アレを借りて帰って束の間でも家においておくと思うと、なんかバッチイ生ゴミを家に持って帰る事になるような、イヤンな感じがして迷う。もちょっとクールな表紙なら良かったのに。しかしそんな風に普通だったら目に留まらなかっただろうしな。

ところで、
バーナビーは本当に二十八巻で終わりなんだろうか。とても最終巻とは思えない、いつも通りの終り方だったけれど。いや、その方がいいのかもしれない。最後だからって妙なことするよりは。

私がさりげなく好きだった警部の奥さんが出てきたし。奥さんが良いのだ。そんなに目立つキャラじゃないけど和む。
二十八巻<真実の鳥>では、また例によって奥さんが、旅行に興味のない旦那を休暇で海外旅行に連れて行かせようと奮闘しています。奥さんは結構活動的なのだ。
最終巻でも最後はごうを煮やして、また勝手に旅行の日程を決め予約してお祝いをしてますだよ。アフリカ旅行のパンフを見せられて、
「人が象に乗ってるぞ」
が微妙におかしいです。「良いじゃないの、人が象に乗ってたって」と思うところよな。奥さんはうきうきですが。要するに移動とか旅行が(も)嫌いなんだろうか?「今日アフリカに行ってきた。こんな良いところじゃない」と説得しようとしてるし。(注:事件関係者の家の内装がアフリカだった)

でも私も保守的なので、わかるような気もしますよ。昔お城の見学で、ラクダに乗って回るってのがあったが、乗れませんよ。そりゃラクダに乗るなんて滅多にある機会じゃないかもしれないが。私は皆がラクダに乗る世界ならラクダに乗り、皆が車に乗る世界なら車に乗りますよ。私には信念やポリシーはありませんからね。

私がまだうさんくさい記憶喪失になっておらず、飛び飛びの記憶が残ってる幼少期、幼なじみが食パンを焼かずに食った為に、私は家に戻ってから大興奮していたらしい。「パンを焼かずに食べた!」と大騒ぎしたらしい。そんなに騒いだ覚えはないが、激しく驚いた事と、「すごい事を知ってしまった!」と報告した事は覚えてる。
私は生まれて記憶にある限り、食パンというものは「焼いてバターだのマーガリンだのを塗って食べる、食事(主に朝食が昼食)」だったのですよ。それを「おやつですよ」と袋から出してヘナヘナしたのを渡され、「これをどうしろってや?」と隣を観察してたら、そのまま齧ったので二重にショックだったのです。「おやつに食パン」と「そのまま食う」で、ダブルショックでした。
いつもと違う味がしたので、さらにショックでした。未知の食文化が。
しかもそんな別世界が直ぐ近く(自分家の上)に、あった事がまたショックでした。いつもなんでもない顔をして毎日いっしょに遊んでいた幼なじみのT君は、「食パンを焼かずに食べる」という秘密を持っていたんですよ。

知らなかった!食パンを焼かずに食べる民族だったなんて!同じ人間だと思ってたのに、違う星の人だったんだ!

私は自分家の真上で未知と遭遇したのです。
ちなみに自分家の真下には、「ジュースは有毒だ。テレビは精神を破壊する」という別の文化圏がありました。引っ越す時に、「ポチちゃんの事は一生忘れません」と言ってたらしいです。こないだ帰った時に初めて聞きました。なんてこったい。はよ忘れていて欲しいです。復讐されそうだ。

生食パンの驚きをせっかく一生懸命にママンに伝えたのに、ママンは「あっそー」と全然驚いてくれませんでしたね。ちなみにパパ上にも、この凄い発見を教えやったのに、やっぱり驚かなかった気がするね。大人になると皆だんだん驚かなくなるんです。驚く事を忘れるなんて淋しい人生よね。
子供の頃は心臓止まりそうにいつも驚いていたのに。

そういうわけなので、人様がイモムシの干物を食った事も生涯忘れません。
人は「私は一生あなたに、イモムシを食った女と言われ続けるのね」と言ってたが、当然ですよ。一生言います。食パンを生で食われただけで、その衝撃を二十年以上覚えているのに、イモムシを忘れるわけがありません。

「私は小心者なのよー」
小心者がイモムシ食うなんて、アタイには信じられません。お姉ちゃんの腹の中にイモムシいっぱい。可憐な女子大学生の腹を開いたらイモムシの干物なんて衝撃的ですよ。まだ寄生虫が入っていた方が和みます。私は保守的ですからね。
別に姐さんがイモムシを食った事がどうのこうのと言ってるわけではありませんのよ。ただ「姐さんはイモムシを食った」と言ってるだけです。「勇気がある」とか「度胸がある」とか「すばらしい」とか「キモチワルイ」とか特別には感想はありません。ただ「なんと食った。旨かったらしい。そして腹を壊した」と延々と思ってるだけです。


2005年02月08日(火) いんふぃにっと。

とうとう<じるおーる>の改訂版が出るらしい。

「出るわけないかもね」と思いながらしぶとく待っていたかいがありますよ。
てゆうか出るとは思ってなかった。しかもモロに改訂版が!
世の中の理的に言って、「ジルオール〜なんとか〜」とか「なんとか〜じるおーる〜」という甘い蜜の味タイトルで旧いファンを引き寄せておきながら、バイアシン大陸を舞台に何事も無かったかのように全然違う時代の話にされるものだと思ってましたよ。そしてオルファウス様ぐらいだけをチミっと出して、人をちょっぴりだけ嬉しい気持ちにさせて、しょせんそれぐらいで終わり、みたいな。そういう金の匂いがする小賢しいことをされるんだと思ってました。
許してコー○ー。アタイ、アンタの本気をバリバリ疑ってた。
いや、浮気度80%の私がいうのもなんだが、世の中は世知辛いからね。

削られたシナリオ三分の二のうち三分の一ぐらいは復活してるのかしら。
きっと三国志関連などで培った美しい戦闘シーンに仕上げるんだろうが、私はそのへんはあまり気にしないタイプなのよ。だんだんザコキャラが強くなっていくと巨大化していき、街道が敵で寿司詰めの「なんだこりゃ」状態だったのも気にしませんでしたから。

私がどうにも気になっているシャロームとベルゼーヴァの関係とか。ちゃんと円卓の騎士が全員出るとか。ラドラスの空中都市ってなんだっけ?シャロームは解放されてどこへ行ったんですか。私は不慮の事故で巫女を全員殺してしまった気がするのですが(だからわかってないんか)
設定の匂いだけさせておいてサッパリ分からなかった事がわかるように…なってるのだろうか。どうなんだろう。
どうにもできなかったキャラをどうにかできるようになっていたら、感動的なんだけど。

そして末弥さんは、もうちょっと描いてるのかしら。
皆を悩ませたベルの頭のトンガリがバグだったのか何なのか、判明するような設定資料は!
プレミアムボックスの設定資料集が気になるわー。それは確かに見てみたいかもしれない。あのゲームで分かる事がまとめてあるぐらいのキャラクターズ白書(しかも違う人が絵を描いていて、雰囲気や服飾品が微妙に違ったりする。末弥さんに書き下ろしなんか頼んだら激しく予算オーバーするほど高いんだろうか。すごい稼いでるんだろうか。すごく稼いでるのかも。すごく稼いでるっぽい。高額とれそうな絵)みたいなんじゃないなら、すっごく気になる。
こー、歴史の説明とか、時代別歴史地図みたいなのだとか。
でもプレミアムボックスさりげなく高いんだろうな。気になるー。

ヤル気が出てきました。そしたら今度こそ、○×を全滅させたりせず、一つぐらいは何かデカいイベントをクリアできるように頑張るわよ。ただの大量殺戮犯になって、もう徹底的に中途半端だったからね。とりあえずレムオンを拾ってシャロームとゾフォルのところに足繁く通いながら!(それが中途半端の原因になったと思われるが。なので、あのどうにもならない三人衆がどうにかなってないかと思う。せめてエルファスとレムオンぐらいは、なんかなってないだろうか?たとえば、レムオンの代りにゼネテスが闇の王になるバージョンがあるとか。無理っぽいけど!たとえばだよ、たとえば!


2005年02月03日(木) ストレッチ。

体操の先生が、ストッチを教えていた。腰痛にきくらしい。
「こう、ちょっとはしたない格好ですが、こうやって、こうします。…こうやって、こ、あ、あ〜、きくう〜!あああー!これはすごい!すごい!効くうー!アアアー!
はしたない格好で悶絶する先生。
先生、気を確かに!生徒の前ですよ!
「…ハァハァ…このように、たいへんよく効きますので」
すごい説得力だよ!


2005年02月01日(火) 画面が。

大きくなったり小さくなったりする。
小さくなった時には、微妙に横幅が狭くなっており、画像が縦長に歪むようだ。
PCで絵が描けない。こまったな。
しかし、縦のスクロールバーが微妙に撓んでいるのは面白いわよ。

先に梅が膨らんだとやっと日記に書いたら、すぐ二十六日には、朝方、もう咲いてしまっていたんだ。
梅は蕾が膨らんでくる感じがしない。赤い芽が出て少し大きくなったと思ったら、ある朝突然咲いている気がする。花も絞り袋が開いたような、枝の中から赤いものが漏れた感じ。だから梅はエロいって言うねんよ。絶対エロいって。エロいだろうあれは。幹はサクラ等に比べてゴツゴツしてぶこつだのに、花はこじんまり可憐で清楚な雰囲気がやらしーのですよ。
…と、毎年言ってる気がするわ(苦笑)

夜分、目が覚めると雪が降っており、すっかり白くなっていた。
事故も起こったようだし、雪国では白い悪魔なのでよろしくないんだろうが、比較的南に生まれ生きてきた私には、雪には心引かれる。本当は、空の見える明るい中で雪が空から降ってくるのが好きだ。雨もそうだが、自分の頭の上に広大な空間があることを感じ、空の高さを感じる。水槽の底に居るようだ。
上を見ていると、登っているような降りているような、宙に浮かんでいるような気がする。空気が重い、いつも地球に縫いとめられているような、重力をふと忘れることができる瞬間だ。

私は重力も好きだけどね。だから横になるのが好きなんだ。横になると地球に引っ張られている事を、全身でよく感じることができる。ただ、時々自由になりたくなるんだ。それで土にかえらずにいるような気もするよ。上から心を引っ張られ、下から体を引っ張られているので、ちょうど中間の地表で形をとっていられるかのような。ちょうど、反りのあわない人間といっしょにいる事で、自分の輪郭をよりはっきり感じるようなものだ。

何故毎度A型だと思われるかというと、ものごっつ心が狭いからじゃないかと思うわよ。
「絶対A型だと思うんだけど、どうもA型っぽくないところがあるような気がする」のは、私が実際にA型ではない上に、家族の中にもA型が一人もいないからかもしれませんね。私はB型とO型にB型といっしょに育てられた、生っ粋のO型でありますよ。
流行の血液型診断で解釈すれば、極端な心の狭さと融通の利かない我侭さを、アバウトでフレンドリーなO型気質で野戦服のように包み隠すと、A型かAB型っぽく見えるんかもしれん。しかし私が血液型診断を面白がっても信用ならないと思うのは、必ずA型にされる自分の事より、親父さんと亡兄の血液型をB型だとわかる(わかった)人間は、まずいないだろうと思われるからだわよ。
しかし当たらん事が、面白いのです。
「A型でしょ?」
「A型ですか?」
「AB型?」
と何度言われたか知れない。そのたびに、なんだか勝った気分だ。私は極端に性格に問題があるのです。「にもかかわらず」人間関係に激しい問題を起こしていない点に気がつけば、フレンドリーなO型だと思いつくかも知れませんね。
「使ったものを直ぐ元の場所に戻す」としても、その「元の場所」が棚や抽斗である事より「自分が初めに見た位置・見た角度」であることの方が多い点に注目すれば、「必ずしもキチンと(整理整頓を)しているわけではない」とわかるかもしれんよ。


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