非日記
DiaryINDEX|past|will
どうも電源を入れっぱなしにしておくと、どんどんひどくなるようだ。今のうちに日記書こう。
小雪ちゃん(MYPC)が「勉強しろ」とでも言ってる気がする。ちょうど高校入試の頃、中学生なのに既に浪人しそうにヤバかった頃、テレビが一日決まった数時間しかつかなくなって、電気屋さんが頭を捻ったように。激しく勉強しろと言われている気がした(苦笑)もともとそんなに見てはいなかったけど。なんとなく。
ところで久しぶりに凄く笑える本を読んで、人にも是非読んで聞かせたいと思い、さっそくコール。あまりにも笑え、久しぶりに音読が困難なほどだった。基本的に、人にオモシロい話を聞かせる時には、自分は発声が困難なほど笑わない方が良いと思う。なんと言ってるのかはっきり聞き取れず、話の流れが頭に入らなくて、相手が冷めてしまいやすいので。 が、今回は、笑いすぎてゲホゲホやってる私の駄目な音読でも、人様もかなりウケてくれたみたいなのでヨシ。 ちなみに、パオロ・マッツァリーノの反社会学講座 最近の一押し。涙がぼろぼろ出る。
藤田紘一郎の寄生虫エッセイも、中山康樹のジャズエッセイもオモシロおかしかったけど、これがここ一年のベストヒット。てっぺんブック。バカウケ。笑いすぎて号泣。 特にP119<現代に生きる忍者の智恵>で、「…お客様の心臓を保護しましょう」が咳き込んでマトモに読めず。うひー。ひーひひひー!
人「お姉さんいつもオカシーの読んでるわよね。どっから見つけてくるの?」 なんとなく。本屋で。主に勘。触角を使ってるのかも。
これも別の本を買いに本屋へ探しに行ったのに、気がついたら全然関係ないものを買って予算を使い果たしていたんだ。人様に面白いよとすすめられた「デスノ○ト」とか「はちみつ○クローバー」を買いに行ったはずなのに、何故か別のマンガを買って帰っていた時のように。手が滑り。 近所に貸し本屋さんがなくなってしまったので、
いつも色んな事にウケてるからか、そういうフェロモンに吸い寄せられているのかもしれない。きっと目には見えないフェロモンが立ち昇っていて、それを嗅ぎ取っているのよ。なんか手がふらふら〜と。そして気がついたらレジを出ているわけだ。本屋さんは怖いところだよ。
しかし初版が昨年六月で、十月には第六刷になっているから、結構ひそかに売れてるんじゃないかしら? よかったね、おいちゃん。売れてるっぽいよ!おかしーからね! 私が先頃必死で探したらとっくの昔に絶版になっている事がわかり、近隣の書店古書店全部捜してもなくて、しょうがないから図書館に行ったら書庫に格納されてしまっており、「触ったら分解しそうなほどよほどボロいんだろう」と思ったら新品同様のが出てきた時とは大違いだわ。「そんなにまで誰も読まないなら売ってくれよ!定価の二倍…いや三倍出しても良い!」等と思います。
| 2005年01月26日(水) |
PCが壊れかけです。 |
そのうちある日突然壊れるかもしれないので、今のうちに、いつ連絡とれなくなるかわからなくなる事を記しておきます。昨日もおかしかったが、しばらくすると治ったものの、今日もおかしいみたい。 今も画面が歪んでる。ランダムにおっきくなったりちっさくなったり、すごい速さでしてる。すごいわ。目が回るー!ひいー
これはやっぱり「いいかげんに買い換えなさい」と言う事かもしれない。 そうだな。寝てる間に地震がおきたら、今の私は十中八九即死するし。 砂でできた壁にどうやってブツを固定すれば良い?
これまでの人生であまり会わなかったタイプの人間の中にいると、みすてりー。私、ここ一ヶ月というもの長長と反省していたんだが、それでも一人で反省してみるより他人の見解と言うやつを聞いていると、いかに自分の心が薄汚れているかわかる(苦笑) 「これがフツウってやつか!」と感激する。 いや、フツウではない。こっちは私には清らかすぎる。しかしここでならコレがフツウである事は確かだよ。
J子は最近、近所の人間が自分を見張っていると御立腹だ。またはじまっただ。それでも二十年前に比べれば、遥かにマシで平和なものだ。どちらかというと、アレでまだアレぐらい理性が保たれている事の方が感動的ですごいと思うわよ。 私は、必ずオプチミストといわけではないが、ペシミストというわけでもないんだ。どうでも良い事をいつまでも考える事が結構好きなんだ。答えのでない問題ならなお良い。その方が楽しい。 無駄だといわれると悲しい。それを言うなら、無駄じゃない事なんか無さそうなものだ。でも私は自分で無駄だと思うわよ。
あう。いかん。酔いそうだ。 えーPC買い換えるの?めんどくさい。私は難しい事はしたくない。 此間虎の子預金を崩してしまったので、しくしくしていたのに。 でもこの画面はすごいよ。くらくらする。
| 2005年01月24日(月) |
人様も風邪をひいたらしい。 |
「私の今の体調は割りと大丈夫なんだけど、うつるかもしれないから、長く寄らないで直ぐ帰った方がいいんじゃないかしら?」と言ったところが、人様には「別に風邪ぐらいうつっても良いわよ」などと太っ腹に言われいた。 ら、やっぱりうつったっぽい。 「何言ってるの!飲食店の従業員が、軽々しく風邪なんかひいたら駄目じゃないの!」と言いながら、「でもお姉さんが構わないなら、泊めてくださる?」等と遊びにいったのがいかんのよ、きっと。私はけッして!猫にひっかかせようとして、人様の布団を跳ね上げたりはしてないが。私がやったのは、足首までにょっきり出ていた足にクッションを被せて、なんとかして猫的チラリズムにしあげようとしただけです。 しかし似たような、熱が殆どない鼻風邪だし。すいません。
聞くと人様は鼻風邪はまだ平気なんだそうだ。それは良心が癒される。 しかも羨ましい。 私は風邪の中で鼻風邪が一番嫌いなのに。頭がぼうっとして、何故か涙腺が緩んで目が開かなくなってくる。だから先頃、別の人様が「私は花粉症だからこれからどうしよう」と憂いていたのを見て、それは地獄のような毎日だろうと慮られた。耳栓はあっても鼻栓は無いんだ。仮に白内障は諦めがついても、花粉症は恨みがましい気がする。
今気がついたが、補聴器はあっても補嗅器は聞かないな。人間社会では、より何が要求されるかが彷彿。が、こないだ新聞読んだところでは、匂いは感情や記憶に関わる脳の部分に直接刺激が伝わる数少ない(だったか、唯一の)感覚なので、感受性豊かにボケない為には匂いに敏感である事は重要であると思われる、と書いてあったぞ。 そして「最近嗅いだ匂いで印象が強かった匂いは何ですか?思い出せない人はボサっと生きてます」と書いてあり、私は全く思い出せなくて「きゃあ!」と思ったが、よく考えたら最近は匂いどころじゃなかったのだった。鼻に入るものより出るものの方が断然多くて。
いえ私は主にボサっと生きてるけどね。裏表無く。 正月もこんな具合でした。 私「ちょっと出掛けてこようかしら?」 母「ちょっとどこに行く気よ?」 私「ちょっと散歩に」 母「ああ、あんたが行くようなところは散歩ぐらしかなかったわね」 相変わらず、首シメたくなるママです。 親父さんが真面目に仕事に行けば 母「何しにそんな真面目に律義に仕事に行くの。人は休んでるってのに、そんなに良い人に見られたいのかしら?いやらしい!」 ときます。私が前に献血に行ってみた事がバレた時にも 母「ハ!良い事でもしたような気になってんの?」 と来たものですよ。 そう言えば、「この女をいつか自分は殺害するかもしれん」と、衝動を恐れたのが家を出る決意を固めた理由の五割でしたよ。
ちょっと前に他所の奥さん(子持ち)にあったが、さらっと「此間献血に行った時に」と、軽くのたまったのです。こんなお母さんなら、その子供達は、献血や募金をしたりなどして褒められこそすれ、嘲られたり罵られたり侮蔑の眼差しを向けられる事はないのかもしれませんよ。もし私が献血や募金やボランティアをしよう等としたら、経済的問題や時間的問題の前に、自分への嫌悪感や罪悪感と戦わねばならないが。 外で一般に推奨される事が家庭でも悪くはない事なんですよ?ひょっとしたら、お父さんとお母さんの倫理道徳観念も同じか、よく似ていて、しかもそれが家庭の外で一般に重視されるものとも等しいか近しいのかもしれませんよ? 羨ましいわね。 私には私の幸福もあるが。
>> 庭の梅に、ぽつぽつ赤いものが付き始めた。私は蕾になる前の、あの赤いほんの少し膨らんだ兆しが好きだわ。固い枝にほんの少し柔らかな部分ができてくる。僅かな先端の、くすんだ茶色の木肌に点々と浮いてくるような紅が。鬼も十八という感じの。
帰ったら更新しようと思いつつ、なんもしないまま年明けて、もうすぐ二月だ。 私が思うには、TOPのミニフレームはいけない。何がなんでもどのフレームにも迷わず例外なく広告を入れる、というジオの志を忘れていた。一時だから我慢しようと思ったが、CONTENTSでも赤裸々なとおり、いい加減に(デザインの)ネタが切れて久しいので、次どうするか全く思いつかない。同じ写真で何年もよく粘ったと自画自賛してみても、どうにもならないのよ。 つか、小細工するより中身をどうにか。
ボイスを見たが、幽霊の出てくる(幽霊をからめた)二時間サスペンスのようだった。とりつかれる子供がひたすら怖いというか、ひたすらキモチワルイというか。
二時間サスペンスといえば、 最近、英国の推理物のテレビドラマで、偶に端役をやっている女優さんに気づいて激しく注目しています。向うの基準でも美人じゃないらしく、必ず「美人でなく、ぱっとしない地味な女性」という脇役をやっている。いつも一見ぱっとしないが、彼女にはよく地味な外見と評判に隠された秘密があるんだ。 此間は、Sの女王様だった。前には、姉の夫に言い寄っていた。 向うでは、テレビではよく見かける女優さんなのかも。日本で言う火サスの常連みたいなのだろうか。 偶に見つけるようになると、西村京太郎か山村美砂原作だと紅葉さんを捜してしまうように、見つけた瞬間、ちょっと嬉しくなってしまう。女優さんの名前もわからず、「映画では見た事ないが、テレビドラマでは偶に見た事がある」という、日本でみるには微妙に難しいところがミソなのよ。 遠い海の向うから、ひそかに応援しています。
人様にまた世話になりました。 「風邪引いてるから渡すものを渡したら、そのまま帰る」とか言うてたのに、猫の魅力に勝てず。
人様の家にはまた新しい猫がきていたのだ。 尻尾の先がはねてるから「ハネ」 ハネは(少なくとも、まだ)人見知りせず、幼いのでえらく遊びたがりだ。あのゴンタがすっかり大人の女に見える(確かに猫的にはもうすぐ三十路だが)。 ゴンタとハネはまだ仲良くないらしい。ゴンタは嫉妬しているのかもしれない。対面すると、見詰め合って互いに凝固。火花が散っているように見える。
ハネ「…あ〜らオバサン、なんのようかしら?<アタシの飼い主>に」 ゴンタ「…フン、若いからって何様のつもり?せいぜい媚びを売る事ね。あんたもアタシのように飽きられるのよ!大体アタシは飼い主の寵愛なんて惜しくもないわ。アタシには自由な外の世界があるんですから!あんたの見た事もない、田圃とか溝とか屋根とか、とにかく広い世界がね!」 ハネ「まあ見苦しい。年は取りたくないものね」 ゴンタ「ケ!ジャリが!」
そしてやってきた時と同様、何しに来たのか不明のまま、出て行くゴンタ。 二人とも勝気ちゃんですからね。
私が電気毛布を敷かれて幸せに寝ていると、朝もはよから、布団の先からちょっと出た私の爪先を触るので何度も目が覚めた。 ハネは爪を切ってない。危険を感じて引っ込めると、布団をがりがりやる。しかし私は風邪なので、布団の中で恐怖と戦いながら眠り続けた。「気配で目を開けたら肉食獣が目の前に!」なんて事もあり、怖い。
それなのに、人は呑気に寝続けていた。 どうして私の足ばかり攻撃するのか。きっと「ちょっとだけ見えている」というのが猫的にクルものがあるのだろうと思い、私は密に、土饅頭みたいなお姉さんの寝床に忍び寄り、お姉様の足先をちょっとだけ見えるように出してみたりして、そこにハネを誘導しようと試みたんだが、すぐ部屋の出口だからか、あまり上手くいかなかった。 初対面の人間の方が好奇心をそそるのかもしれない。
|