非日記
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| 2004年12月26日(日) |
色々済んでない事が。 |
年賀状をまだ書いてません。 それは犬のせい。 来年は酉年なのに、年賀状に犬のシンボルなんか入れてはいけないのではないか?と、もう一ヶ月以上も悩んでいる。何故年賀状に犬の話が出るかと言うと、それは知る人ぞ知る10月前に、頭に血が上った状態のままどんな年賀状にするかを決めて、しかも宣言してしまったからだ。
私「だって酉年なのに、犬なんか入れたら再来年の年賀状みたいじゃないの!」 人「別に良いんじゃないの」 私「そら別に良いだろうけど、来年が電光石火のように過ぎ去りそうじゃない!まるで酉年が無かったかのように、ハッと気がついたらもう戌年だった、とか!」 人「良いじゃない」
よくないわ!気になるわ! 年賀状は、来年も元日には届きそうにありません。 今アクロバット法を考えているのよ。戌年が、五年も六年も先なら年賀状にスヌーピーを描いたとしても関係ないキガスル。つまり来年などと思わずに、戌年は今から十三年後だと思えば良いわけよ。 たとえ酉年であっても、愛犬の写真を年賀状に使われる方もおられるだろうと思うのよ!こう言ってはナンだが、戌年になるまで愛犬の写真を載せる事を躊躇っていたとして、十二年に一回しか来ないのに、毎度十二年後を待っていたら老衰で亡くなってるかもしれんじゃないの!
などという事を考えてるが、…でも微妙にズルしてる感じがするだろ(すごくしてる)自分を騙そうとしてるキガスルっていうか!(騙そうとしてるのです)
犬> 飼い主同士が座って歓談している傍に、黒い犬と茶色い犬と白い犬がいた。飼い主同士は知人らしく、その飼い犬三匹も以前からの顔見知りっぽい。 黒が雌で茶と白が雄らしいが、特にこの茶色が黒に御執心らしい。 黒が座っていると、茶色が後ろからススス〜と近づいて 実にさりげなく 乗っかろうとした。ものすごーく、さりげなかった。上から見ていた私も「ん"?」と思ったほど。ベンチに並んで座っている彼女(友達以上恋人未満)の肩だか腰だかに手でも回そう…とでも言うかのような、すごいサリゲナサだった。 しかしその瞬間、彼女がクリっと後ろを向いて
「ヴワワワワンッ!」
翻訳するなら、「貴様、何してやがるんじゃ!」という感じ。すると茶は「すいません!姐さん!出来心です!」という感じに、飛びのいた。黒はスパっと立ちあがって、さらに茶色を「ギャワワン!」と威嚇した後、呑気に歩き始めた。白も寄って匂いをかいだりしてるのだが、茶色ほど「さりげなく」ではないんだ。 茶色はさらに、のんびり歩いていく黒に「さりげなく」並走。
まるで歩いてる彼女の腰に手を回そうとするかのように、「さりげなく」足をかけようとしながら、「…スカ!…スカッ!」としくじる。度に「ギャワン!」と叱られるが、「いえ、なんでもありません。すいません。すいません」という感じに、しかしスススーっとピッタリついて行くのだ。 そして、白も後ろをついていくのだ。 言うなれば、茶色は「軽い男」ってやつで、白は「奥手」ってやつ?
犬にも色々、幸せな結婚とか日陰の人生とか、「女の一生」があるらしいのよ。 それで余計に、先の三匹がおかしかった。すごく! あそこには、確かにラブストーリーがあったわね。
苦節20年、私は今日ついにわかったよ。 「さみしい」がッ! 捜査官ケイトを読んでたら、突然天啓のように! 感激のあまり、トイレ掃除して掃除機かけて布団干して洗濯して電灯を拭いて窓拭きして床拭いてしまったよ!
「あれが寂しい(淋しい)なんだ!」と目くるめいて盲が晴れた気分だ。 人様が「さみしい」や「さみしいね」と言う時と、微妙に違うものだから、全然気がつかなかった。私は「淋しい」のが大嫌いで、耐え難く毛嫌いしてたんだよ! びっくりだ。 だって私は、一人でいる時や、人と離れて一人になった時や、親しい人が死んだ時や、友達が一人もいなかった時はさみしくなかったんだもんよ。さらに、さみしくなった時に「一人になりたくない」などと感じず「一人になりたい」と激しく感じ、それも「訣別したい」なので、全然気がつかなかったよ。 わかるわけないじゃろ!
四捨五入して30年の謎がすっきりした。 一つ大人になったきぶんー。あたし、ちょっぴり成長したー。
24/シーズン1> ネタバレ>
人がラブストーリは好まないくせに<大奥>はかかさず見ているのを不思議に思ったら、 「愛憎のうち、憎の方がたくさんあったら良いの☆」 などとけったいな事を言った。わかるような気もするが。私が思うには、24で一番面白いのは、主人公達ではなく、パーマー議員とシェリーの夫婦だものね。 私は、主人公からは目が離せる。…だから私は、実はファンじゃないんじゃないかと自分で思ってるのよな。だって顔が好きだから、お父様のドナルド氏も好きなのよ。同じ遺伝子を持っている事が一目でわかるだろ。私はあの親子を見るたびに、「この遺伝子を使いたい!」という女の野望というのがわかるような気がするぐらいよ(違う)。
それに比べて、ドラマとしては、議員のスキャンダル騒動のところこそが最高にスリリングで、「一分一秒も目が離せない!」ですよ。最後の瞬間まで、この夫婦はどうなるのかが気になってしょうがないよ。
特に盛りあがる最高潮は、17時(夕方五時)頃ですよ。 5:40分あたりなんか、どきどきして、湯飲みを握る拳にも力が入り、煎餅を噛んでるのか息を飲んでるのかわからんくなる程よ。 5:41〜
妻「I destroyed it.」 「きゃあ!」と思います。そんな堂堂と言うなんて!
議員が「It breaks my heart that I was right.」と、口を開くまでの沈黙の間がすっごく好き。あの演技は良いよ!ブリリアント!
吹き替えだと「とどめを刺された。当たってたよ」 字幕だと「認めたくないが−−思った通りだ」 でも「私が正しかった事が、私を傷つけた」と直訳した方が、気持ちと、それまでの迷いをよく表現している気もするよ。傷ついた等と日本語にするよりも、「心を砕かれた」とそのままの激しさの方がぴったりという感じがする。
シェリーの「I destroyed it.」に対する、議員の「You destroyed the tape?」も、私は文法に(も)自信が無いが、疑問系でなく「?」がついてるのが、意味深で良い。「彼女はただテープを壊した(だけ)なのか?いやそうは思えない」という反語風の独言で、「It breaks my heart that I was right」になるんだろかな。
本当に無くなっているかを一番下まで掘って捜す手つきの忙しなさと、さらに「君が捨てたのか!?捨てたんだろ!」と決め付けて怒らないでジィっと見るのが、やたら悲しいわね。
「I've learned that I don't know you as well as I thought I did. 」 の訳も面白い。 吹き替えでは「君をわかっていなかったと思い知らされてね」 字幕では「どうしても、君を信じられなかった」 ここでは、字幕の方が良い気がする。「どうしても」「信じられなかった」というのが。
この後に、「どうしても自分の手で確かめたかった(試したんだ)」 これが「さみしい」ってやつなのよ!先生!アタイは今日わかりましたよ!
CONTENTS画像> ナマの葉っぱです。私が描いたんじゃありませんよ。写真でもありません。そのままスキャンした。緑と赤でクリスマスっぽいかと思ったが、秋っぽいと言われ。 鮮やかな赤だったのが、押し花にしてたら色がくすんだんですよ。 「零」の深紅ちゃんを描きよったのだが、カメラにキレました。 何がどうなってんのか、全然わかんないよ!
| 2004年12月18日(土) |
もうすぐクリスマスなのに。 |
…フ、私、先週は今週中にTOPを変えようと思ってたのに、何故まだ描きあがってないのかしら?私が思うには、クラシックカメラのせいですよ。
後、ブラックジャックのEDを見て萌え萌えしてたせいもあるんかも。 だってスゲー可愛いんだようッ!!! むかーし、原作を少し読んだような記憶があるのに、ピノコがメインの時の話しか覚えてないぐらいですからね!(てゆうかピノコが生まれた時の話と、ピノコが白血病になった時の話だけ妙に覚えてるので、原作を少し読んだ事があるらしい事がわかる)モエのあまり読み直して、ピノコの名前は黒男先生がピノキオからとった事と、黒男先生は医学雑誌に載っていた臨床例の少女の写真の顔が「あんまり可愛かったので」(←心の中でしみじみと二回もつぶやいた)肖像権を無視して顔をパクった事がわかりました。 やっぱ好きなんだ!あの顔がッ!
本来なら、幼児に萌えるなんてありえないのに(両方幼児である場合を除き)、どうしてかピノコは好き。だってめっちゃ可愛いだろ、あれ! ピノコに好きな男の子ができたと思って、こっそり後をつけていき、植込みの影から覗き見してる先生がおかしいです。舌をかまれて泣き出した途端、スパっと出て行く先生がおかしいです。「おまえの彼氏は助けたぞ」がおかしいです。 ピノコが書いたラブレターの宛先が自分だとわかって、もの悲しげに同封のクローバーをくるくる見つめてる先生が涙がチョチョギレルほど良いですな! 「それが親(保護者)に対しての思いなら変わらない。自分がそうであるように」とか思ってたか!?(笑) 先生残念でしたね。人生は上手い事いかないものなのですよ。
時々無駄に可愛いですからね。 「金だ金だ金だ!信じられるのは金だけだ!金がすべてだ!」と嬉々としてすっげ嬉しそうな時とか!先生はなんて楽しい男だ。 ものすごい貨幣価値の暴落を起こしている犯人のくせに、あんな正面きって矛盾した言動ができるなんて面白すぎです。
私が「愛がすべてだ!」とか叫んで薬物中毒みたいに恋愛物を漁る時みたいなものだろうから、気が触れたかのように嬉々として「金がすべてだ!」とがなり、金を掻き集める気持ちはわかるような気もするが。 アタイの方が先生より悪い子かもしれませんよ。先生は金に暴落をおこすだけだが、私の方は愛に暴落をおこす事がありますからね。実際に金をないがしろにしたって人は感動するだけで文句は言いませんが、愛をないがしろにしたら文句がバリバリ出ますからね。 でも私にだって言い分ってのがありますよ。 先生が、ン千万を一瞬で迷わず十円や百円にするのといっしょだわねと思うんだが。
彼は金がすべてだと言う。だから、貨幣価値が変わった時も、それに迷わず従うんだ。 初めに必ずものすごい金額を要求するのは、相手にとっては金の価値が紙屑以下だろうと信じてるからだわよ。だってそうだろう。「相手にとっても金がすべてだったら出すわけがない」と端からわかってる額をふっかけるんだもの。先生は「金だ!金がすべてだ!金を出せ!」なので、言うなれば優しい悪魔ってやつだわね。
しかし私の心の通貨は愛なので、心理テストで、よく人にあらざる冷酷無比と怒られるだわす。 うに。愛は、インフレもデフレもしょっちゅう起こるんだよ。経済だから、「価値がどの程度ある」という信用によって価値は変動するんだ。 価値ってのは、他の商品との相対的な交換比率の事だ。その点、愛は紙屑同然ですよ。自信をもって断言しますが、愛は間違いなくゴミ以下です。そして私は、そのゴミ以下で、何がなんでも何とも交換できないところがべらぼうに好きなんだわよ。無い価値は不変だろ。
「珈琲でアレルギーなんて聞いた事ないわ!どうせまた不潔な生活をしてたんでしょ!」等と母者に酷い言われよう。「アナタの言う清潔な生活とやらは、滅菌室での隔離生活の事だ」とキレます。
私は少なくとも、母上よりはきれい好きです。ふかふかするまで埃を溜めて「掃除したら埃が舞うからするな!」などと言う人間に、どうこう言われる覚えはありません。腐った卵を捨てず、「わざと並べてるの!」と等と逆切れされたくありませんね。ゴミバコを溢れさせておいて、捨てようとしたら「汚い!」と叱るのは理解に苦しみます。汚くないと騒ぐなら百歩譲って理解できるが、私の血管を切るつもりに違いありませんよ。 私はたとえ「するな」と言われても掃除洗濯をそのうち耐え難くしたくなり、隠れてする人間ですよ。もし「掃除してはならない」とか「風呂に入ってはならない」等という法律があったら、私は「したかったらしても良い」国に亡命します。 そして亡命中なのよ。
みかんの話> うちのトイレットペーパーは、店子の間で順番に購入している。昔、そういう事になった。 安いトイレットペーパー(A)を発見して購入した事があるが、これはそれまでによく買っていたもの(B)に比べて、安いだけあってかなり粗悪で使い心地が良くなかった。「悪い事をしたな」と思っていたら、次の人も同じトイレットペーパー(A)を買ってきた。私は、「おまえが安いものでお茶を濁そうというなら、私だって負けないぞ。自分だけ損するのは嫌だ」という意味かな?と思った。 それで次は「わざと」いつになく高価なものを買ってきてみた。すると次の人は普通のもの(B)に戻った。そこで私は、「おまえが高いものを買ってくるのは勝手だが、だからと言って私も高いものを買ってやるわけではないぞ」という意味かな?と思った。ついでに、「安いからといって我慢できるAでないが、Bは値段と質ともにまあまあだと思っている」という事もわかったので、B以上を買っておけば文句はなさそうだなと思った。 このように、人の心情を伺う実験をしていたので、「彼女は表立っては言って来ないが、トイレットペーパーに関して密に思うところはある」らしい事は知っているのだ。
私が旅行から戻ってみると、隣に異人さんが入居していた。私はたぶん自分の番だろうと思ってトイレットペーパーを買った。ところがその次のトイレットペーパーは順当に行けば異人さんなのに、私が思うに別の人間が買った。おかげでいつ買えば良いか自信がなくなった。 私がこの数ヶ月で判じたところでは、大家の息子は英語を喋らないらしい。どうも問題がある時には、異人さんが日本語と中国語が喋れる友達を通訳に連れて来ている。それで聞いてみると、やっぱり大家の息子は何にも言ってなかった。それどころか、「そうだったの?」ときたもんだ。どこからトイレットペーパーが湧いてると思ってたんだい?これが私が「たとえ入院して留守であろうと、大家は大家さんであって、大家の息子はまだ大家の息子である。代替わりしてない」と判断してる由縁だ。 そこで三軒隣にも聞いてみた。やっぱり言ってなかった。 そんな事かもしれないと思ったねんよ。また「むぅ」と思いながらも、面倒くさいから私と順番にしようと思ったねんな?私も面倒くさいから、彼女がそれで良いならそれでも良いかなと思ったもの。ただ念のため確認に行ったねんよ。しかし英語で手紙でも書いて連絡を試みようかと言ったら、書いてくれるというので、お願いした。
すると直ぐに書いたらしく、すぐに御隣りさんから英語でお手紙がきた。素早い。なんてきちんとした人なんだ。気まずい思いをしたかもしれん。悪い事したわ。 まあ「そんな速攻で書けるぐらいなら、お姉さん直ぐ書いてよ」とも思うが、私が一番年寄りだからな。私も直ぐに確認して回れば良いものを、「どうなってんのかな?」と、ぐずぐず様子を見てたんだから人の事言えない身の上なのよ。 向うが「上手く説明できないから、日本人の店子だけで買う事にしよう」という心積もりなら、それでも良いかなとも思ってたのよ。ただ確認しておこうと思っただけで。だっていつ買えば良いのか私がわからんが。
お礼を英語で書くのに、久しぶりにごっつお勉強した。 そこで、ついでに実家から大量に送られてきたミカンを配ってまわった。するとなんと異人さんもミカンをもっていた。おそろしいことに、「交換」になってしまった。 当初の「ミカンを減らす」という目的が上手くいかなかったというと、そうでもない。何故かと言うと、人様のミカンの方が(私が躊躇ったように)旨かったからだ。 また悪い事をしたかもしれないが、しょうがないわ。やれやれ。
ねびゅら> 今年の頭に、エコーナイトでネビュラとかいう新作が出てた事を、海外のニュースを翻訳して配信するニュースサイトの「日本産のホラーゲーム」に関する記事で知った。まわりくどい。 ちょっと気になるな。 何が気になるって、今度は2044年で宇宙が舞台なのに、主人公の名前がまた(!)リチャード・オズモント君だって事だわよ。 もしゲームとしては特に意味がなかったとしたら(例えば制作側が、「めんどくさいからまたリチャードオズモントで良いジャン。同姓同名の別のリチャードオズモント君なんだよ。そういうのもアリよな?」「アリー!」などと決めたとか)、最大の謎になる。 エコーナイトで二次創作を書くとしたら、イの一番に永遠をさ迷うリチャードオズモント君の秘密を捏造したくなる。誰か捏造してないだろうか?
| 2004年12月05日(日) |
書こうとしていたのは。 |
「まだ治らないのね」とメールがきてましたが、あれは三四日前の日記で、今は例年並。乾燥したりあったかくなったら、ところどころが時々痒いぐらい。掻いたら赤く痕にはなるが、ボコボコに腫れ上がったりはしない。 痒さと見た目のブキミさにたまりかねて、気を紛らわす為に日記を書きよったのですよ。後から感想を書き足していたら、だんだん上に伸びていったのです。 アレルギーは体質の傾向であって完治はない気がするが、…治ったと言うんだろうか。
本当は、「見たばっかりの映画の感想でも書こうかな?」とPC立ち上げたのだったが、忘れてた。「感想、メモっておくかな」と毎度チラっと思ってそのまんまが多い。 手帳を見ると、結構見てる。「毎週必ず」や「二三日に一本は」等と定期的に見ているわけではないから、「趣味:映画鑑賞」等と格好良く言えないんだけど。一ヶ月も二ヶ月も一本も(テレビ放映さえも)見ない事もあれば、一日に五本ぐらい見る事もあるだろうよ。
だって半額の日とか、一本百円の日がッ!!!
…こういうのを無駄使いと言う。本当は定額の日であっても関係なく、見たいものをだけ見るのが一番安あがりなのよ。そんな事はわかってる。ただ、見たいダケなら山のようにあるのよ、私は。気が多いものだから、アレもコレもが気になる。 何かの嫌がらせか、最近犬映画が多いしな。私が見掛けただけでも、犬が宇宙人だったり、犬がサッカーしたり、犬がバスケしたり、犬が捜査したりしてる。驚く事に、それらが、新作や準新作のところで発見されるわけよ。今世の中は密に犬がブームなんかしら? 「こんな犬映画ばっかり嬉々として量産してるのは、きっとイギ○ス人だな」などと目を細めてるんだけど、意地悪く産出国までチェックはしてない。きっと全宇宙的に偶々犬映画の完成する年だったんだよ。遠い星でも犬映画がつくられているんだよ。見た目はエイリアンみたいな犬かもしれないが。日本だって去年クイールを映画化してたから他所の事言えないんだ。でもクイールは啓蒙映画っぽいところもある(盲導犬やら補助犬を支援する施策が出て、ミニ番組やニュースで特集もしてたし)。
個人的には、ティモシースポール(はりぽったでピーターをやった人)が掃除機持ってる映画が気になる。私はあの顔がちょっと好きらしいのよ。どうも気になる。たぶん「猿離れして尚且つ哺乳類っぽい」ところに、私のアンテナが反応して、視線が吸い寄せられるのよ。 人様が某で○ずにを隠語でネズミで表現する。ネズミと書かれると、ティモシをばかり思う。 ティモシといえば、世の中に「はりぴた」という表記を見掛けた事がありませんか。いつの頃からか見るようになりました。 はりぴた。
1)はりぽたの書き間違い(省略間違い)
直ぐにマチガイに気がつきました。これはジャンル表記でなく、カップリング表記らしいぞえ。
2)いつどんな青天の霹靂が生じて発生したのかわからないが、どこかの眼鏡をかけた魔法使いの少年が主人公の児童文学で、H.P.君とネズミのP.P.君のカップリングで順番はティモシがやってる方が右側という、新しい時代の夜明けを感じさせる藤村でピカソみたいに革命的でアールヌーボーな…てゆうか是非読んでみたい見てみたいもの。特に傾向「ほのぼの」などと書いてある日には、呼吸は荒くなり目頭が熱くなり腹筋が痛くなって、気になるあまりに夜もぐっすり。
思わず激しく期待した。 出不精で怠け者で尻が重いが、好奇心が強くて新しいものや変わったものや異常なものに心ひかれるところは確かにあるのよ。様式美や王道が大好きなのに、それを破壊するのも大好きなのよな。「ありえない!」ってだけでもう気になる。
テレビで<すぱいだーまん>をやってました。本を読みながら斜め見していた。 これが私を惑わしたんだよ。 (注:主人公がピーターで友達がハリー)
1が劇場公開され、ビデオDVD化した時にも、人様と 「どうもアメコミヒーローの全身タイツぶりが」 とブイブイ言ってました。ただCMで見た時のあの動きはちょっと気になった。気持ち良さげで。 かといって全身タイツを無視できない。 私は外国の漫画だってスヌーピーが好きな女なのよ。美術作品では写実的なのも好きであっても、イラストやマンガなら劇画調よりアニメ絵やマンガ絵の方が好きなのよ。
なんだろう?米国は中世とルネッサンスがパッチワーク状に交じり合っており、中でアメコミはギリシャローマ文化の復興を目指し、個性を重んじ個々の能力を最大限生かすよう努力する姿勢をとって、肉体美は強調したいが節度は保ちたいあまりに、意図せずしてミケランジェロの彫刻に全身ストッキングを被せるみたいになってしまう…、とか。 ミケランジェロは好きだが、何故皆が揃ってピチピチしてプリンプリンでパツンパツンなのかがわからない。私だったらいっそ全部脱いでくれと思う。けっこう仮面みたいに。その方が恥かしくない。 私はバサバサして、ヒラリヒラリしてる方が好きだ。 <すぱいだーまん>はヒラリヒラリはしている。しかしパツンパツンだ。それが問題だ。
「テレビでやったから、やっと見た」という調子だ。テレビをつけてなかったら、気になりつつもまだ見なかったかもしれない。
デザインは自作だったんだ! なんとなく感動…。
ピーターは絵が上手すぎです。アメコミの漫画家になれます。しかしカメラマンをやりながらと言ってたから、元から美術は得意なんかもしれん。
正月に> 大化の改新をやるらしい。虫五匹。顔の良いのばかり揃えていたっぽい。 あんなところやるなんて珍しい。時代劇といいながら、まるでアメリカに西部劇しか時代劇が無いように、戦国時代と江戸時代ばっかりだもの。難しいんかもしれないが。 ちょっときになる。コスプレー。
時間が浮くので、24を見たり。 見る前は気が遠くなりそうな気がしていたが、見始めれば四五日で見終わった。 人様「あんなに渋ってたのにー」 …私は見始めれば早い方なんよ。気が短いし。
24はなんつーか、ほぼ24時間も見ていたはずなのに、全然疲れないのが凄い。二時間ぐらいしか見てない気分で24時間分も見てたのね。 古いフランス映画なんかで、十五分しか見てないのに、もう三年ぐらい見続けているかのような重い疲労感を覚えるのとは違うわ。 見たのに、見たような気がしない。 いまいち充実感が無いが、娯楽作として凄いわ。細細上げていけばあんなに色んな事が色々とあって、幾ら語っても語り尽せないほどだのに、「感想でも」と言おうとしたら何も無かったような気がするなんて、ありえないほど凄い。想像を絶する。こんな事があって良いんだろうか。
別に面白くなかったわけではありませんのよ? 夜の零時に始まり、朝の八時ぐらいまでは辛かったけれど、後はあっという間でした。ノッてしまえば、「それで?それで?」と思っているうちに、どんどん見てしまうねん。
たぶん色々ありすぎるんだわ。 長編小説を一気に読んだ時のように。読んで、「…んで?」みたいな。 感情を味わったり吟味する時間がないのよな。だからまるで何もなかったような気がするんだ。何がどういう順番でどう起きていったのかは言える。ボケてたわけでもないので。でも何を感じて何を思ったかというと、「14時59分、可愛かった」とか、そんな感じで、後は黙々と何が起きてるのかを眺めていた私。
人生に似たりだわね。簡潔に言ってしまえば、「生まれて、生きて、色々あって、そんで死んだ」と、「だから?」という感じになってしまうという恐ろしさよ。 実際には何もなくて何もしてなくて、見たものや起きた事について色々あんな風にもこんな風にも考えてジィっと感じてる時間がないと、充分に一杯一杯に生きてた感じがしないのよ。なんかスカスカで、する〜と終わってしまう。 人には「何をした」って言えるのよ。箇条書きにして、何をしたどういう経験をしたと胸を張って言える。私は24を見た。んで? でも自分では何もしてなかった気がするんだ。 「こういう事があり、こういう風に思い、こう感じ、こうも考え、こんな風に思っていた」とかその辺まで言って、やっと生きていた感じがする。「こう感じ」の部分がないと、そこを通ってきた生きていた感じがしない。
ところがその感じて咀嚼する前に、次の事が起こってしまうのよ。考えてる時間がないねん。 何を考えていたかといえば↓
近年喫煙は有害なので、映画やドラマなどでの喫煙シーンを無くしたり減らしたりするようになっているのは周知の事実。海外のどこぞでは、煙草の箱に肺癌にかかった肺の写真を載せる事を義務づけるとか。指輪物語でも喫煙シーンを入れるかどうかで云々言ってたな。 日本では「自動車の運転中に携帯電話を使ってはならない」という事が、法律的にも整備され取り締まりも実施されているが、映画やドラマでの運転中の電話シーンを「教育上よろしくない」と無くすようになるのだろうか。しかし全部抜いたら、一体どんな感じだろうと思うと…すっごく変な感じがする…。 運転中に電話して、警察につかまって云々されたり、したりするシーンが出てくるようになるんだろうか。(24で)娘の「助けて」コールを受けて駆けつけようとしていたら、スピード違反で警察に捕まって足止めされたシーンみたいに。 主人公がやたら運転しながら電話している気がする。 「これ、日本ではもうやれないのよな」と気になる。 議員側でも主人公サイドでも裏切り者や、スパイというわけではなくとも(個人の判断や事情で)邪魔をするものも沢山要るが、敵はほぼ一致団結していて組織として命令系統がはっきりしており、統制され安心感がある。フェアじゃないな。 主人公が主に世界を不穏で不安定にしているよ。 やつがいるといつ勝手な行動をとるか、次の勝手な行動は何かと常時ドキドキ?そのドキドキが良いんだな。 メイソンをメイスンにすると、そんな名前のミュージシャンがいたような気がする。ジョージ・メイスン。…いたようなきがするわ。 何が驚きって、ニーナ(の役者)とメイソン(の役者)が夫婦ってところだよ。これは衝撃よね。マトモな眼差しで見るのがタイヘンだわ。(この時既に結婚してたのかまでは知らんが)「君はあの男に利用されているだけだ!目を覚ませ!」と、夫が妻に言ってるのよな。夫婦で台本を読みあわせてたら面白かろうや。真剣な顔でやりよったら笑ってしまわんやろうか? 主人公の何が良いかと言うと、どう見てもデキル男には見えず、いつもどこまでも激しくチンピラに見えるところだよ。どうしてそんなにチンピラな顔なのかしら。 確かスタンドバイミーで出てきた時からチンピラだったわよ。私の記憶ではチンピラだった。 何故そんなに全身から投げやりな空気を漂わせる事ができるんだ。彼の落ち着きは冷静さというより投げやりの中にある。真剣になった瞬間に殴り掛かりそうだ。
いつでもどこでもキレそうで、見てるだけで、いつ血管キレるかというドキドキのスリルがあるねんな。 三十四だって、あれは俳優と脚本の所為かと思っていたが、ちゃんと読み返してみると、もともと口数少なく気に入らない時には黙って殴る男やったよ。映画では姿形からそういう爛れた雰囲気を漂わせていたので、原作もバッチリそんな男だった事をすっかり忘れるほどだったわよ。あの乱暴物さ加減は彼の為のキャラかと思ってしまい。「許してくれ」の改変が、彼の為のキャラだった。 「人生に理不尽と遣る瀬無さを感じてます」というチンピラ臭は凄くよく出てるのよ。でも伯爵臭はなかったわよな。どこまでもヤングガン子でアメリカンで。アヒューグッドマンとかすごく似合わなかったようなきがするもの。権力のある子は似合わんねんな。滲み出す偉さが無いねんよ。無言の圧力とか優雅さが無いねんな。滲み出すチンピラって感じだわよ。叩き上げ臭といより、暴走族が白バイ警官になったような匂いがするんだ。 取り調べを受けて、苛ついているのがものすごく似合う。取り調べをし追求していると、座る場所を激しく間違っている気がする。容疑者や犯人に殴り掛かると本領を発揮している気がする。水を得た魚のようだ。手がかりを何人も死なせても(一体何回)、「私は気にしないよ。他の捜査官では疑わしいが、おまえにはよくある事だ。悪気や二心が無い事はわかっている。単に勢いあまったんだ」というきがする。 「信じてくれ」とか心から言ってりゃ良いと思うなよ。この人の心を惑わす悪い子ちゃんめ。何回ミスれば気が済むんだ。 …と思いながら、「くそ仕方ねえな」と思わせる人間臭さがあるよな。正義感とかじゃなくて、スマートさが全くなく、「しまった」と思ってるのに他人に責められると必ず言訳をし偉そうなところに。マラソンのコースの歩道に立ち、旗をハタハタ振ってしまうような。 なんでこう皆がごり押しされるんだろうと考えるんだが、こう、能力に対する信頼ではなく、人間に対する信頼感なのかな。「彼はまたミスるかもしれん。しかし本人はミスりたくない、ミスりたくてミスっているのではない、絶対にミスるまいと全力で努力しながらあえなくミスっているのだ、という事はわかっている」という。それで、きっとまた絶対に何かしでかす。三歩進んだ時には二歩は下がっている事がわかっていながら、「あわせて一歩進んだから良いじゃないか」論に押されていく事になるねんな。 メイソンなんかあんなにブイブイ言っていたのに、いざ見殺しにするとなったらチョッピリ良心の呵責を感じてるわよ。すごいわ。
それにしても、もとからちっちゃいのに、益々ちっちゃくなったようよ。 他がデカすぎるんか。議員と並ぶとパツキンハニーだわよ。ちっちゃ! 「アクション映画は走るからしんどい」などと言っていたのと同じ男とは思えんわ。こんなに走りまわるようになって…(ほろり)
↑そんな事を考えていた事を覚えている。 後は、「痩せたな」と思い、「髪の毛がふわふわしないから見やすいな」と思い、「でも首が恥かしいわよ。破廉恥な」と思っていた。 シーズン2以降を見ても良いわよ。見たいかもしれない。
何より第一に、 「私でも外国の長〜いテレビドラマが見れるんだ!」 という自信がついた?…かも。気になりつつ見てないERとか、SFドラマとか、「私みたいなんでも、テレビドラマが見れるかも!」という希望が湧いた。大体一話完結しか見ないんだ。
>> バーナビー警部やら色々溜めてたものを見たり、溜めてた本読んだりしてました。 (溜めてるゲームもしないとなとは思ったんだが…) 本当は「心理探偵フィッツ」がみたかったんだけど(ハグリッドの人がやってるやつ)、レンタルに置いてない。
私はミステリー大国、英吉利の推理ドラマが好きなんだ。二時間サスペンスのノリで、見始めると、力要らずにダラダラとスルスルと見てしまう。英国推理ドラマのいいところは、近年のサイコサスペンスなんかのように、映像的死体のリアルさエグさや殺害方法の残忍さを目玉にしないところ。凶器を振り上げ悲鳴があがったところで潔く暗転し、惨い死体はシートやアングルで巧みに隠し、役者の表情や仕草の表現に頼り、映像的生々しさや衝撃や目新しさを売りにしてないところだわよ。
私は衝撃映像を見たくてサスペンスやミステリーを見るのでないのです。ありえない動機が見たいのではないのですよ。 ありがちな動機やありそうな事態や簡単な事象が、どんな風に絡んだらありえない事態や複雑怪奇に見えるのかという見せ所に興味があり、それが解かれていくのに快感を覚えるのです。ぐちゃぐちゃに絡まった毛糸をほどいて一本に戻し、巻き直すと清々しいだろう。あの清々しさを求めてるんだ。 別の見方をすれば(例えば犯人の側から見れば)簡潔でわかりやすく他愛無い事が、容易く永遠の謎になりうる世界の妙味と奥深さを味わいたいのよ。「わかってみたら『なーんだ』と呆気なかった」でいいのんよ。それがいいのんよ。 限られた音しか出せない楽器が集まって奏でるシンフォニーが良いねんよ。
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