非日記
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「家が壊れるー」と思っていたが、あっという今に過ぎ去っていった。 雷が一度も鳴らなかった。
私の心は知らないうちに開かれていたらしい。 ン年前、同じテストをやったときには、某人と私は同じで、我々の心はともに閉ざされ、ともに社交性は低く、ともに他者への関心が低かったらしい。それなのに、私は一人勝手に心を開いて楽になっていたらしい。 確かに、社交性が低く、他者への関心があまり無いのなら、いくら心を開いてもノープロブレムではあるのよ。 そこで、「彼女がウキウキする事は、放っておかれる事」であるのに、おかまいなしにワン(犬)ダー・ドリームランドを語りまくりに行ってたわけか。
ああやってテストの結果を見なくとも、「ほっといて欲しい」事は一応薄らと知っていますのよ。だから「お姉さんは、およそ二年前に『そろそろ更新しないとね』と言っていたのに」とか「あなた一年ほど前、引っ越すと言っていなかった?こそこそ準備しよったろうが。あれはどうなったの?」などと(なるべく)言わないように頑張っていますとも。
ーー数枚の紙片が落ちていますーー ーー破りとられた日記の一部のようですーー ーー紙片を調べてみるーー
200X年、某月某日 今日も遺跡を訪れてみる。何か動きがあるかもしれない。 私は、この建造物の調査を2000年建造当初から継続的に行ってきた。 Web上にある日突如出現したこの謎の文明が、どこから、いつ、何故来たのかも私は知っている。おそらくは、この文明を築いた謎の民族が忘れてしまった事も…。 しかし私は一介の名も無き研究者として、この遺跡を定期的に調査してきたのだ。 ふむん、この遺跡は危険ではないし、閉ざされているようだが、実は開かれているのだ。あるいは、開かれてるようでありながら、閉ざされているのかもしれない。少なくとも、この遺跡を訪れる者が、命の危険に晒されることはないであろう。 ここに巣食うモノは、なにしろいまいちヤル気が無く、そのいまいちヤル気のなさを世を儚む勢いで黙々と貫いているのだ。 キャ○ル研究所とやらでは「タカクラケンみたいに生きるのは止めよ、冬の稲妻」である。
200X年、某月某日 今日も遺跡を訪れる。何の動きもないだろう。 しかし「何の動きもないだろう。無いに決まってる。絶対に無い」と思うと、「ほんとに無いだろうか?」と確認に行きたくなるのが研究者だ。もはや習慣のようなものだ。 外は激しい雷雨であるが、この遺跡に一歩踏み込むと、まるで地下神殿に入ったかのよう。埃すら積もらず、時の流れさえ止まっているかのようだ。 そういえば、ここの精霊は「私は腹黒く見えたい」と希望していたが、腹黒く見える為には、まず「腹黒く見えたい」などと希望する事をやめなければならないだろう。「私は腹黒く見えたくない」と希望したとき、伝説の腹黒への門が出現するのだ。甘い、甘い。
200X年、某月某日 静寂と沈黙、私はここにそれを見る。一見すれば、先頃できたばかりのようだが。最後にこの遺跡が動いた記録は、9月となっている。しかし記録をちょっと丹念に紐解いて調べれば、この9月は一年前の9月ではない。実は二年前の9月である事がすぐわかる。 こんな事を堂堂と表示して何も感じないようでは、腹黒く見えるまでの道は険しく遠いだろう。馬鹿みたいに正直に見えている。
200X年、某月某日 …相変わらず、永遠の眠りについた古代の遺跡のようだ。しかし太古のシステムは眠りについてはいない。BBSに何かを書き込むと、遺跡の維持と管理運営を行っている精霊を呼び出す事ができるのだ。ただし、よく気づかずに反応が遅れる事があるし、めんどくさがりなので、あまり頻繁に書き込むとムムムと思っている。 時々管理の精霊は病気になったり御祭りに行ったりムカムカしたりした事が、古代の伝言板にモヨモヨと、表音文字と象形文字の組み合わせによって浮き上がってきている。そして私は、完全な静寂に包まれている周囲を見回し、コツコツと虚空に足音を響かせて探検し、「いつ訪れてもついさっき出来たばかりのように見える宇宙ステーション」のように整然とした様子を見て回っては、『…やはり何かが棲んでいるな』と感じる。 実にミステリアスな遺跡だ。 全くこんな遺跡は見た事が無い。
200X年、某月某日 最近耳鳴りがする。犬の声に似ているようだが…?
ーー紙片はここで終わっているーー ーー不思議な日記の一部を拾うーー
ーー「旅人のメモ1」を手に入れました。アイテムの一覧を表示し、「旅人のメモ1」を選択することで参照できますが、戦闘中には選択できませんーー ーーアイテムの一覧を見る / ゲームに戻るーー
| 2004年08月29日(日) |
人間らしさについて。 |
私はハリポ○タのシリウスは「犬なんだ」と思っていが、ひょっとすると、実は人間なのかもしれない(人間だっちゅうに)
すると、ジェームズがシリウスに「おまえは犬の方が良い」と言ったというのも、人間である時には「話にならず手におえんほど人間らしかった」って事になるのよ。
例えば、 暴れ柳事件は、言ってみれば、「死んでも良い」とスネイプを殺そうとしたのはシリウスなのに、それを助けようとしたのもシリウスなのよな。ジェームズはかんでおらず、そして実際に助けに行ったのがジェームズなので、目がくらまされるんだけど。シリウスが殺そうとし、ジェームズが助けたと一見見え、そして事実上はそうなんだが隠された真実は。
「守護と破壊を同時に司る人間らしさ」の発露として考えると シリウスが一人で独断でやったのは、ジェームズに言ったらジェームズが反対する(かもしれない)事がわかっていたから。つまり、その時はマジで殺すつもりだった。危険要素は可能な限りすべて排除しておいた。 ところが、 一度は死んでも構わんとスネイプを行かせておきながら、やった直ぐに、信じ難いほどにすごい早さで後悔した。しかし後悔を認める事ができない。人間らしく強情で意地っ張りな為、いまさら助けに行くなど言語道断。 「ああ畜生!誰か助けてやれよ!はやくしないと、スネちゃまが死んじゃうじゃないか!」と、焦る「守ってあげたい」心。必ず成功させる為誰にも気づかれないようにと、完璧を期した弊害が出現。作戦が完璧であったほどに、ムラムラと助けたくなる。 ここにやつがいたら!そう!これに知られたら邪魔するかもしれんからこそ、隠しておいて相談しなかった相手がいる!怖いとかめんどうとかどうでも良いとか迷ったり躊躇ったりせず、勇敢に助けに行けそうなやつだ! ナイス! ジェームズがそこに! そこではっと気がついた時には、迷うまもなく、突然翻って自分がやった事をジェームズに告白していた。 同じ人間だのに、殺そうとしながら助けようとしているのだ。
だから、自分の目的達成を邪魔されておきながら、ジェームズに怒らない。 ジェームズが助けにいかなかった場合は、ジェームズを許し難かった可能性はないでもない。ジェームズはスネイプを助けながら、シリウスの社会的立場というより気持ちを助けたわけよね。 ギリギリで一貫性を保つ為、シリウスにはスネイプを助ける事はできないんだもの。だって死んじまえと思うぐらい憎んでるんだもの。大嫌いなんだもの。絶対に許せない、絶対に!それだのに、殺してやりたいのに死んで欲しくないなんてオッカシイじゃないの!絶対に許せないのだぞ?絶対に、だ!「だから」やったのだ。 それだのに、助けるなんてそのような事はできん!
「自分は殺そうとし、ジェームズは助けた」で、彼の心的には「死んでも構わない。殺してやる」という気持ちと、「誰かが助けてやらんのか」という気持ちがちゃんとあり、自分が前者をとった手前、残りがとれず、ジェームズに後者をとらせた。セブルスへの感情の表現はトータルでは、これ以上なく正直に、パーフェクトに表現されていたという事になるの。 この事件において言えば、ジェームズが人間の実体であったとすれば、シリウスはスネイプに対するまさに心の影の部分、影だけを表現してみせている。 何故そうなるかと言うと、シリウスには表だっては(心の底から)できないねんな。あっちにヒラリ、こっちにヒラリなコウモリみたいな恥知らずなマネは。 一貫しているのよ。 スネイプが嫌いったら嫌い。最初から最後まで嫌い。永遠に嫌い。何があろうと好きになる事はなく、千年の果てにも許すことはない。 しかし内実、心はそうでもない。実はよくフラフラしている。フラフラのフラの一回一回が激しいが為に、一回コレだと思った事を断固無かった事にできない。スネイプを助けたいと思ったとして、では「殺してやりたい。死んでもかまわん。死んじまえ。やつは間違っている」と思ったアレは嘘だったのか?と思うと、「いいや!嘘ではない(嘘にはできん)!あれは真の心であった!絶対に!俺は嘘などついていない!」となり、「ではやはり助けたくなどないんだな?」に「そうだ!(吐き捨てる/内心は号泣)」になるのだ。
…憐れだろ?不憫よな。 ここで、「やっぱやーめた!ガタガタうっさいわね、委員長!だって気が変わっちゃったんだもーん。これ以上ガタガタ言うようなら今度は委員長、貴様が敵だ!」と、二重三重四重の裏切り者としてイイ加減にはやれないわけよ。だって殺意を抱いて実行に移した事を弁護できなくなるだろ。 「スネは死んでも構わないような事をやった。当然の報いだ」というここを守ったので、「だから自分はそれをしたのだ」と弁明できる。それだのに、助けにいったりなどしたら、「ケ!なんとなくだよ。なんか文句あっか」と最初から最後までがメチャクチャになるだろ。 真実はどこに?守るべきものは何?憎んでいるのは誰?とか色々色々悩むじゃろ。 ♪青春時代というものはー後からーしみじみー思うものー♪
そうやって危険なフラフラを意地と根性のみで食い止めている。理屈というものは、一つでも破綻したら全てが瓦解していくものね。血反吐を吐こうが、柔らかく温かい血の通ったハート(心)が論理の刃によってズタズタになっていこうが、是が非にも意地でも命をかけようが、選んだ真を守り抜くのだ!と、なっている。 このへんが犬やねんな。 「筋を通す」為に、犠牲にし続ける心はズタズタんのボロボロんになっていく。もはや気力と精神力のみで立っているという悲惨な有り様にも、アズカバンに行かずとも元からなりかねなかった。 しかしジェームズがいた。まるでうしおととらのカマイタチ兄弟のように、ズバっと切れた後を素早く中和していた。
それで「ジェームズが助けたかったんだったら仕方ない。あいつは優しいからしょうがない、我慢してやる。ジェームズに感謝しろよ。ジェームズは友達だから、俺はあいつの気持ちを汲んで、頑張って許してつかわすのだ。俺は絶対に許せないんだがな。俺は、許してはいない」と思いながら、断固認める事はできない本音では「何も言わなくても俺のやって欲しい事がわかって、黙ってやってくれるなんて、さすがだ!ありがとう!ジェームズ!恩に着るぜ!」となっている。
喩えるならば、ボケとツッコミの如く。ジェームズが完璧なツッコミをしてくれるなら、思う存分ボケられる。彼はボケたいのではなく、漫才をしたい。ボケだけ、ツッコミだけでは満足できない。そんなの漫才じゃない。漫才は完璧なボケと的確なツッコミが揃ってこそ完成する。よってツッコミが入るまで果敢にボケ続ける。
十二年もの間、帰らぬツッコミをひたすら待ち続けたように。 永遠にツッコミを失ったのは自分の所為なのだ。 もはやツッコミを入れてくれるものはいない。どんなに辛くとも、一人でボケ続けるしかないのだ。 そんな可哀想な犬に天の助け、ハリセンが。
ハリセン:新聞にネズミがッ!!!
そして餓えていたツッコミを得て、不可能を可能にするほどの世紀のボケをかました。「一体どんな風にボケたのか?」と問われても、マトモな神経になってみると思い出せないほどのボケだった。 ルーピン先生との会話はこうだ。 ル「ツッコミにいかなかった私を許してくれるか」 シ「なら、おまえにネタをふらなかった事を許してくれるか」
ああ、それはいっそマジモンの犬の方が手におえるかもしれない。確かに。
人様の分も勝手にやってみていたら、シベリアンハスキーとかプードルとかドーベルマンもいました。 昔からどうもプードルを可愛いとかカッコイイとは思えないんだが、ところが、犬占いサイトでのプードルイラストは、気取ったお嬢のようで可愛かった。そのような視点で見ると、このように見えるのか!アレが!驚きです。
私はプードルの姿を見ると、「宇宙人だ!」と思うのに。 犬カタログで見た際、サルーキとボルゾイも「宇宙人だ!」と思いました。 サルーキ、犬じゃないよ。顔が犬なだけで馬なんじゃないのか? アホならくがきをあげていますが、ジェニファー先輩をボルゾイ夫人にしたのは、ボルゾイの説明に「エレガントで美しい。優雅の一言」などとあったからですよ。見た目の話ではありません。だってボルゾイの見た目は、「宇宙人だ!」と思いましたもの。
犬占い> というサイトを発見して、占いました(バカ!バカ!) 本で見たときには、ダルメシアンだった。しかし今回は、「おまえは犬じゃない。人間だ」と言われました。 そうなんだけど、 ・・・なんだか淋しいわ。
犬としての美質がない極悪犬という事らしい。説明を読んでいても、「なんて良いところの無い人間なんだろう!」と感動する。 ああ、そういうところも無いでも無いかもしれないけど。 私だって昔はね、少しは犬らしかったのよ(意味不明)
…犬として駄目な人間であっても、しかし犬は「長い歴史の中で唯一、人間の友達になる事のできた動物」だから良いんだよな。問題無いわ。 そうだ、友達になろうな!?犬!
でも綱で外に繋がれてほっとかれていた犬に、「ちょっとだけならよくないかしら?」とまた過ちの第一歩をズブっと踏み出して、イタズラ(耳を触る)できないか?と近寄っていったら、野郎、はしゃいで飛び掛かってきました。 アタイ、「体育が2とは思えない」と称賛された軽やかなフットワークで飛びのきましたよ!(逃げるのは得意?)「私が」触れるのは良いが、私の許可も取ろうとせずに「私に」触れようなどと、そう簡単には問屋が卸しませんよ。 あのパタパタしていた尻尾を警戒すべきでした。
だから犬は嫌いなんだ! 犬、嫌い!嫌い!
いきなり耳に向ったのがいけないんだよ、たぶん。まずこう、遠回しのスキンシップからな、いかんとね。公園や砂浜を走ってみるとか(スタンダードに犬編)、手紙のやりとりとか(懐古趣味)、依頼して、逃げた男をいっしょに追ってみるとか(探偵編)、いやでも協力し合わねばならない難しい問題にフタリで立ち向かうしかない状況に追い込まれてみるなど、嫌でもお互いをわかりあってしまうところあたりから!ネ!
コバルティアンとした事が、つい、欲望が先走ってしまったわ(リアルすぎ) 君に花を贈ろう。私の気持ちだ。 君の頭に花を載せたら・・・バカっぽいだろうなー!キャハ! …美味しいものをあげるから、ちょっと耳を触らせてみない?(援助交際禁止)
台風日記を消してみました。 忘れていた。帰ったら即日消そうと思っていたのだ。 帰ったら帰った先に台風がやって来て、テレビを見たらこっちに台風被害が出ていて、帰る時分には台風といっしょに北上してきた。「雨女ね」と言われ。 出掛けにテレビを見て、「いかん、あんなところに猛烈な十六号がいるじゃないか。要らん日記ははやいところ消しておかねば、来てしまうかもしれん」と思ったんだ。
てゆうか、やはりあの七月三十一日の台風日記の後、翌日テレビを見たら、おじいさんが「わしはあの台風を死ぬまで忘れん」などと言っていたとき、さっくり削除しておくべきだった。
私の所為ではない事は絶対だのに、リンゴが落ちるのも梨が落ちるのも人が行方不明になるのも家が埋まるのにも、何故か責任に似たものを感じてしようがないのよ。言うなれば、「ちくしょう!死んじまえ」と思った瞬間に相手の頭の上に隕石が落ちてくるようなものだ。
それでも台風、いやんな気分になるじゃろ。 理不尽だが、削除しておいた方がまだ心苦しさがなくて気が楽になる。たとえ私がいまだに台風を大○○である事実が変わらないとしても、やっぱり知らんふりして黙っとかなイカンような気がするねん(一部検閲削除)
戻ってみると、やっぱり水没してなかったのよ。 それでうっかり忘れるところだった。 ここいらが水没したのは、今から四十年ほど前ぐらいらしい。
だめでしたの。まだ犬ですよ。困ったわ。
盆用品の買い物に町に出れば、カバンのセールコーナーで黒い犬のタグに惑わされかけます。 母「それを買うの?」 私「いや、買わんよ。これは安いのは良いけどデザインが好かん。全然良くない(ただこの黒い犬のシルエットのタグはとても可愛い。しかしもしカバンを買うんなら、カバンを見るんだよ私!シッカリ!気を確かに持て!)」
母「ちょっとそっちじゃないわよ」 私「ああ、そう。わかってるわよ」 だって玩具屋の店先で犬の玩具がカタカタ動いていたのです。耳が三角だったのです。
母「あんた、あら何を見てるの?あら、可愛いじゃないの」 私「可愛いわよ」(犬のTシャツを発見した) 母「服がないんじゃないの?安いじゃない、買っといたら」 私「買っても良いけどね」(犬のTシャツを凝視) 母「買ったら?それを買うの?」 私「いや、買わない。ちょっと待って、これにしようかな」 母「これ(犬)じゃないの」 私「いや良いか?これはデザインとしてはね、云々・・・というわけで、こっちの方が気がきいてるだろ?」 母「ふーん、なるほどね。そう言われるとこっちの方が少し洒落たデザインだわね」 私「そうだろう。まあこの犬は可愛いけどね(しかし犬の絵が描いてあるシャツなんて、そんな恥ずかしい服が着れるもんですか!)」
私はもう犬の絵や写真のプリントされた服は着る事のできない、心と体になってしまったのです。人間は素直が一番ですよ。ですが、私は駄目な人間なのです。 そしてオリンピックを見ている親父の邪魔をする私。
父「ああなんだ?今度は犬ね?」
パパ上、「今度は犬」ってどういう意味?私には覚えがないんだけど。 と思ったら、 そう言えば、小学生低学年か幼稚園のころの愛読書で、野鳥大百科とか言う図鑑を嬉々として延々と眺めていた事はあったかもしれない。ボロボロのズタズタになっているが、まだ一応持っている。野鳥の名前なんか一つも言えないけどね。殆ど覚えていないが、それを眺めている事がものすごく好きだった覚えはないでもない。 今見ると、絵がイマイチ雑なんだ。
ああ、でも実家帰るたびに何かを褒め称えて、一人で語って帰ってたかもしれない。
父「なんだそれは、本か?買ったんか」 私「そう買ってきた。犬のカタログ。犬がたくさん載ってるのよ。良かろ?」 父「何買っとるんだ、あほうー!」 私「良いのよ!欲しかったのよ!(憤)まあ見てごらんなさいよ!これが良かろう?私はこれが一番カワイイと思うんだけど、どうかしら?(注:黒い犬、大型)」 父「なんだかマヌケな顔じゃないか」 私「良いんだが!それが可愛いんだが!えーっとね、どこにいったかな?何か挟んどかないけんな。ああ、これ!これも良いんだけどね…(注:黒い犬、小型)可愛いがあ」 父「僕はそういうんじゃなくて、えーとね、これ、これが良いね!」 私「そうかー?こっちの方が可愛いだろう(注:黒い犬、大型)」 父「ばかっぽいー」 私「ほんに可愛いがー(愛でる)」独走する私
道を歩きながら 母「何がおかしいの?」 私「あ?私、笑ってた?」 母「笑ってたじゃないの」 私「そう?なんでもないのよ」 それは恋をしているから、だそうなのよ。犬にだけどね。 今は葬式には行けません体と心なのよ。
人様の家に行っても、 私「お姉さん、髪が伸びたわねー」 人「そうねー」 私「まるで犬みたいよ」 人「はあ?犬?犬になんか似てないわよ」 私「いいや、すごく犬っぽい髪よ!すごく犬みたいな感じ!(注:褒め称えている)」 という状態で。
ゼノサーガを見せてくれようとする人を阻んで、まずは犬を見せる私。 「この本にはサルマン先生もいるの!えーとね、ほら、これがサルマン先生なの。ごっつ似てるやろ?」 「ああ!ほんと似てるわー!」 「ペットとして最高の犬だそうよ、ハハハ!」(注:マルチーズ)
ゼノサーガのムービーを見せてもらう私。 私「一体幾つ見せてくれるつもりなの?」 人「全部見せたいわ」 私「私は眠くなってきた」 人「じゃあ寝なさいよ」 テレビにかえる。 私「ああ…そうね、寝なきゃあね」 ごろごろ(眼鏡を外す) 私「…ん?犬?犬がうつってるじゃないの」起きる 人「あなた!ビデオデッキの通販のビデオ画面にまで!」 私「ほら、だってこの後ろのテレビの画面に、犬がうつってるわよ」 人「そうだけど茶色いわよ」 私「でも犬だもの。あら?犬がうつらなくなった。鳥じゃないの、これ?鳥しかうつらないわ。犬はどうしたのかしら?」 人「犬はもう終わったのよ。ビデオデッキのCMなんだから」 私「なんだ犬は終わったんか。犬ばっかり映せば良いのにー」 ごろごろ
私「あー、私は本当に今年、夏コミに行きたかったのよー!あー行きたかったー!」 人「あはは」 私「ほら、もしAさんところに泊めてもらったらさ(いつも泊めていただいているところ)、あそこのさあ、玄関の横にさあ、確か犬がいなかったか?」 人「ああ!居たわね、そういえば!犬も!」 私「そう、居たよな?居たのよ確かに!私は猫しか覚えてないんだけど、居たんだよ、犬も!茶色かったきがするけど。耳は三角だったような気がせんか?だけど私は猫しか見てなかったから、あんま覚えてないのよ。どうだったかしら?」 人「えー、耳?どうだったかしらー?」 私「夏コミに行けば、犬に会えたかもしれない。頼んだら耳に触らせてくれたかもしれないわよね。はあー、行きたかったわー!犬ー!」
と、ずっと犬のままでした。 ああ、ハンコね。作るわよ、たぶん。確か彫刻刀を持ってるんだ。十年前?何故持って出たのか覚えてないけれど、小学校の時の授業で買わされたやつだと思われる。 母「お姉さんはその無駄な知識を何かに役立てられないの?」 私「役立てられない」 父「雑学というのは、役に立たない無駄な知識の事なんだ!」←当たり前にト○ビア大好き というように、私には必要なものはよく足りてないけれど、不要なものは結構もっているのです。ものもちが良いとよく言われるわ。
会えないと、想いが募るわけよ。 ちょっと似てる人を見ただけで、つい振り返ってしまうわけよ。 足りない栄養素を補給するというか。
| 2004年08月24日(火) |
生きて戻ってきました。 |
一瞬「これで終りか(戻ってこれないか)」と思う瞬間もありましたが、戻って来ましたよ。
1.)ペーパードライバーの私が運転しろといわれた時とか。
私「死ぬかもしれんわよ。盆に三人で後を追う事になるかもしれんのよ」 父「わかってるって!大丈夫だって!はよ行きなさいな」 くるり(私を回す) 私「ああちょっと!」 くるり(振り返る) 「もしも事故りかけたら、その瞬間には、私は可能な限り全力で運転席から当てて行くから、後の事はなんとかしてちょうだいよ。自分は助手席で一番先に死ぬと思って安心してたら、大間違いだからね」 父「わかったから、下らん事を言ってないで、はよせんね」 私「いや、覚悟をね、しておいてもらわんとね。どうもあんたに深刻さが見えないのよ。後でこんな事になるなんて思わなかったなんて責められたら敵わんよ」
父「あー、なんか眠くなってきた〜」 母「何、寝てるの!寝たら駄目よ!アブナイわよ!」 私「そうよ!眠ったら死ぬぞ!この車は雪山と同じ!ごっつ危険なのよ!」
2.)制限速度50の下り坂で、80キロまで加速しながら転がり落ちていき、ママン(若葉兼枯葉)がギャアギャア騒いで「ブレーキが利かないの」とのたまったときとか。
登場人物 若葉マーク母:運転席 免許無し父:助手席 ペーパー免許娘:後部座席 安全運転の権化兄:あの世席
母「あ、どうしよう、どうしよう、どんどん速く」 父「ブレーキを踏まんね(踏みなさい)!何しよるん(何をしているんだ)!?」 母「そんな事いったって、だってブレーキが利かないのよ」 父「はあ!?そんな馬鹿な!」 私「はあ?なんだって?何してるって?どうしたの?」 父「ブレーキがきかんて言うんだが!(きかない等と言うのだ)」 娘「あ、交差点が青だよ。良かった。もうブレーキは効かんで良いから、右折して右の小道に入らんね(入りなさいよ)」 母「え、なんですって。交差点よ交差点よ、どうしようどうしよう」 娘「スピードは構わんから、ハンドルを右に切れって」 母「何しろって?右に入るの?なんで?」 父「右に曲がれって言っとるんだが!(言ってるんだ)」 母「右に?右に?曲がらんのよ、ハンドルが。あ、スピードがゼロになった」 娘「はあ?スピードがゼロ?んなわけあるか。止まっとらんじゃないの」 父「ああ!エンジンが止まってる!(発見)」 母「エンジン?エンジンんがどうしたの?どうするの?」 娘「エンストだろ。構わんから。エンジンはほっとけ、右に入れ」 父「だからアンタがまた変な事をしてエンストしていて云々」 娘「良いから右に切れ!ウィンカー出しとるんだろうが!後ろに車があるし、ここで止まってもしょうがないんだよ!入るよ、交差点に!」 母「だってハンドルがあ」 父「曲がらん曲がらんじゃあなあ(説教開始)」 娘「貸せ!ッアア!」 ↑後部座席からハンドルを取ろうと身を乗り出し、無意識に嵌めていたシートベルトに阻まれて、後ろにころんと戻ったところ。 父「あー!この角度のままじゃ、絶対曲がりきれんが!(曲がりきれないだろう)もっと右に切らんと!(切らなければ)」 母「だってハンドルが!」 娘「・・・・・・(もう曲がりきれんだろう、さらば地球?)」
ぎっちょん カーブのガードレールの「隙間」で止まった。
母「止まったわ」車体が水平になったので止まったもよう。 父「止まったが(止まったな)」 娘「良かったが(良かったじゃないの)」 母「ブレーキがきいたわ!ほら、ほらスピードがゼロになったわよ(喜)」 娘「止まっとるんだからスピートはゼロなんよ(ゼロなのよ)。問題は隣の計器が端からゼロであった事だわよ(エンスト)」 母「え、それってどういうこと?だってブレーキがきかなかったのよ。なにが起こったのよ」 父「だからエンストだって言い寄るんだが(言ってるんだ)、大体あんたは何しよるの(何してるんだ)」 娘「後にせんね!(しなさい)私らは退かんといかんのだが(退かないといけないのよ)。交差点でカーブに突っ込んだまま止まってるわよ。交通の邪魔になるよ。こんなところにいつまでもおったら、左折車が曲がれんのじゃないんか?」 母「何よ、今度はどうしろってのよ!もう文句ばっかり言って!」 父「退けって言いよるんだが!(言ってるんだ)」 母「退かれんのだが!(退くことができないのよ)だって前に進めんでしょう(進めないでしょうよ)」 父「バックをすれば良いだろうが!」 母「ああ、バックね」 私「待て、下がるな!動くな!人が行ってからにしろ」
父「なんちゅう怖い事をするんだ!あー、怖い!怖いー!」 母「ああ怖かった!怖かったー!死ぬかと思ったわ!一人が淋しいから早くこっちに来てくれと、私らをあの世から呼んどるんだろうか・・・?S光が!呼んどるんだが!(呼んでるのよ)」 父「下らん事を!(怒)」 娘「ばかな、呼ぶかよ!あんたちょっとマトモに考えんね(考えなさい)!煩いから来んなって、めっちゃ嫌がってるに決まってるが(決まってるだろ)。だいたい自分の過ちをS光の所為にしなさんな(するな)。S光の所為にしても良いから黙っとかんね(黙っていなさい)」 母「私は疲れとるんだが(疲れてるのよ)!もう三十年も毎日毎日一人ゴハン作らされて来て!もう休みたいわ!フン!」 (嘘、半分以上父が作っていた) 娘「ハン!何言ってるの!私だって三十年近くも毎日毎日ゴハン食べてきたのよ?!私だってもう休みたいわいな(休みたいわ)」 父「はははん、怖い事するよー、この人怖いよー」
↑このように、馬鹿ばっかりでした。 彼女は無論、車線の逆走もしかけております。 危険、危険、とてもデンジャー。 どうして免許を渡したの!ティーチャー!コーチ!キャプテン! それは試験に受かってしまったから。
エンジンが静かなのはよくありませんね。
ある町には、スポーツタイプのくせに制限速度より鈍くしか絶対に走らず(車が泣いています)、交通の妨げになりながら人々の苛立ちを煽り他人の事故率を高めつつ、しかも本人もものすごく危険な運転をする若葉ちゃんが、今日も走ってるはずです。 しかも事故ったら、「私はちゃんと走っていたのだが、無念の死を遂げた息子が呼んだのだ」等というかもしれません。あげくに金すら持っていませんよ。その高そうな車は自腹で買っていませんからね。見た目に騙されてはいけません。
ナイショで教えてあげますが、世の中には危険がいっぱいですよ。これは本当の話なのですよ。 明日あなたの前や後ろや隣を走っている若葉ちゃんは、トワイライトゾーンを走っている、心はXファイルかもしれません。巻き込まれないように気をつけましょう。よろしいか、勇気ある行為とは、青信号でも警戒し、黄色信号で止まる事ですよ。と、道路の横の看板に書いてあります。
七月はひどいありさまでしたよ。 なんと残っているダケで十五日も書いています。二日に一回の勢いです。 しかもそのうちの八回は犬日記です。高が五割ですが、しかし「犬を見てから」で計算し直すと、十二回中十回になり、83パーセントに達します。 しかも八月に入ってもまだ書いていた。
「今犬中だから書く事無いしなー」とか言って、ほんと何書いてんの。 何故こんな悲劇が起こってるかというと、犬への欲求が殆ど満たされていないからだ。
私「可愛いのはあるんだけど、私の中にある可愛さと、どっかなんか違うわけよ」 犠「もー、わがままなんだからー」
他の色んな非難はシバシバってゆうかバシバシってゆうか食らって生きてきてしまいましたが、「わがまま」なんて非難に晒されたのは生まれて初めてッポイですよ! 「え、なんですって?もう一度言ってちょうだい。そのウツクシイ言葉を、この私に浴びせて!」といふぐらい、ごっつい新鮮で衝撃的でした。 「それってイーんじゃないの!?」って感じがするでしょ。せんか? 「自らの幸福を追求している。自分の幸せのためダケに生きている」って感じがするよ。非難してるのか褒めてるのかわからんよ。
確かに猫好きに犬を語る犬電の被害を与え、すまないと思ってるのだ。私だって猫好きなんだ。だのにあの犬がね、あんまり別嬪さんだったから。
「映画をもっかい見に行けば」などと言われましたが、既に行っています。 どこでかというと、七月十七日でした。 「どうして私はあの犬が好きなの?」という疑念に堪えかね。一回目は辛うじて「映画」を見ていましたが、二回目は主に犬しか見ていません。途中「はやく犬ー犬まだー?」とかいって寝こけていたのに、「む?そろそろだわね。…ふー、良いか私よ?今から来る数コマが勝負だ。一面数秒も無い。まばたきはするな。気ぃ抜いてんじゃないよ!?」と犬が出る段になると乗り出しで。
そして眼イッパイに犬を映し、耳萌して帰ってきました。翌日から耳について語り始めるのはその為でしょう。なんてわかりやすい! 「あのどこが良いと言うんだろう?やっぱこの耳なの?」と思いながら見ていたからだ。もしも今犬が目の前にいて、「私の何処が良いの?」などと聞いてきたら、「耳?」と言う。口が滑ったら。 だって此間はすっごく耳を見てたんだ。ほかのところが目に入ってなかったとも言う。 「アタシの耳だけが好きなんだ!」と言われたら、悲しい。泣く。嘘かもしれなくてもいいから、軽く「全部」って言っとけば平和だった。 初めて見たときは犬顔の可愛さにショックを受けたので、たぶん顔が好きなんじゃないかと思わないでもない。メンクイだし。
人間で言うなら、「好きなのは顔なんだけど、凝視してるのは髪」というやつよ。耳を見ていると、視野に顔が入る。 もう一度見にいったら、次はシッポ萌でもして帰って来るかもしれないが、しかし尻尾は顔から遠いので、わからないな。 犬自体がうつるのは一瞬と一瞬と一瞬ぐらいで、後はシルエットぐらいなんだもの。あの露出の少なさがまたイカンのかもしれんね。 それで姿が見えないときには足跡に注目してるんだな。
知ってますか?二回目に「キィ!」となってパンフ買ったのに、犬が載っていないんですよ。そんでもっかい「キィ!」となりました。 後一回ぐらいなら、ただのハリポッタ好きで誤魔化しがきくんじゃないかって気もしないでもない。てゆうか、私が何を見に何度も通うのかなんて、わかりこないって気もせんでもない。誰か好きなの?って言われたら、犬って言わずにシリっ子って言えば良いわけよ。嘘はついてない。「正確さが微妙」って気が自分ではするだけで。 ハリポッタのシリっ子というカテゴリーがあるだろ。その中(下)に、犬と人間といるわけ。さらに人間や犬の下には、若いのとか年のとかあるんだけど。このカテゴリー全体は確かに好きだったけど、しかしその中の犬が占める比重が極端に高くなったのよ。映画を見る前は、この犬部分の重さが殆ど無かったんだ。 それで映画を見たせいで、このシリっ子というカテゴリー全体として捉えた場合の重量が巨大になり、一気に「ガン!」と落ちたわけだ。それはもう、ハリポッタというカテゴリー全体の重量を犬が引き摺って落とす勢いで。 愛してはならぬ男とわかっていたのに。
盆に帰省した際、向こうで映画をもっかい見て来てやろうかと思わないでもなかったのに(「ううん、今チマタで話題のハリポッタを見に来たの」というフリで)、調べてみると上映されていない。映画(てゆうか数カットの犬)を見る為に片道電車で二時間か?交通費だけで四千円か。 私にはそこまでの根性はない。
「あの犬のファンサイトがないんよ」とぶつぶつ言ってたが、よく考えると、あの犬のファンサイトを立ち上げたとして「そこでは一体何をするんだろう?」という気もする。 >全カットを百分の一秒まで割ってデッサンしてあるとか。BBSに「あの犬良いですよね!」と書き込むと、「良いですよ!」と返って来て、同士が見つかる。「なんと鳴いたか?(あの「キャン」だか「ギャン」だか「プスプス」だか「ピスピス」だかいう鳴き声を日本語で表現するとどうなるか)」というアンケートをとっていて、集計してあり、「そうそう!皆スバラシイ!」と読みふける事ができる。 鳴声の音域・周波数分析がしてある。毛並みに関して熱く語ってる。雑種と思われるが、どの犬種の影響が強いか議論が戦わされている。 足跡が、普通に普通の犬が歩いたと微妙に思えないような付き方をしており、「では件の犬は、その時どう歩いたのだったろうか?」という検証が執拗に行われている。 そんなだろうか。
犬会のすすめ>> ファンクラブならわからんでもないような。 会員になると、年三百円の会費で、季刊の「足跡」っていう会報が送られて来るんだ。 年に数回、キャンペーンの抽選で直筆?の足跡(てがた・あしがた)が貰えるねん。右前足左前足右後足左後足と四枚集めて封筒の隅のマークを切り取って送ると、さらに抽選で足跡を収容できる額が貰えるのよ。四枚並べて嵌めて玄関に飾るんだ。…良いなー。 でも会長は足跡の掛け軸持ってるんだよ?ズルイよね! まあ外れても足跡スタンプは当たるかもしれんからな。手紙を書いた時とか、書類の裏に犬跡スタンプを、こう点々とつけるわけよ。「走ってるところ1」とか毎号に投稿作品が載ってる。
犬シーンだけを編集したプレミア上映会もあるんだ。上映時間は十分で、しかもOPとEDが無駄に長いけど、延々と繰り返し三時間上映されてる。犬が鳴くときに席を立ったり音を立てたら「マナーがなってない」ってごっつ怒られるから気をつけなさいよ。 会場では犬グッズを売ってるねん。私のオススメはフカフカしてる直径八cmほどの黒くて丸い毛玉。「犬玉(イヌダマ)」という商品名なのだが、これがあなた、3800円(税抜)もするのよ!? でも圧すと「キャン!」って鳴って潰れて、戻る時に「ピスピス〜」って鳴るからね。ちょっと欲しくなるだろ?
「犬転がし」というゲームがあって、横スクロール画面で、ずっと犬を走らせるんだ。夜になると人狼が出るので気をつけないといけないし、空を飛んでくる黒い布にはもっと気をつけないと。近づいてきただけでライフとソウルが急激に減ってしまう。ネズミを食べるとライフがちょっぴり回復するが、チキンを食べなければソウルは回復しない。眼鏡の少年に触ってしまうと犬が立ち止まってしまうのでゲームオーバーです。
交流会にいったら、お手ができるんかもしれん。耳を摘まんだりシッポ引っ張ったしたら、「キャン!」と怒られる。そんで警備員に追い出されるな。
皆で融資してあの犬の記念博物館を作る。そしてあの犬基金をつくり、世の中の恵まれない(野良)犬に里親斡旋や(野良)犬に無理矢理狂犬病予防注射といった活動を行うねん。四年に一回、あの犬を山車にしてパレードを行う。犬が殺害されそうになるとデモを行い、保健所の前に座り込み、旗を持って町を練り歩き、ビラを配り、投書し、署名を集めて提出する。犬をリンチした奴はリンチす…いやダメ、それは禁止!
さらに受付の勝気なお姉ちゃんとクールなお姉ちゃんが変身し、組織内の強硬派が分離独立した悪の秘密結社レッドドッグズと闘って犬の平和を守るねんな(意味不明)。 ちなみに秘密結社の総帥は、黎明期に会長の右腕だった男でレオナルド・フォン・ベルモントとかいって、五十代だけど結構イイ男やねんな。一見好々爺だけど厳しい会長が秘密組織に対し不思議な態度や言動を表すのは、篤い親交と友情があった青春時代があるからなんだ。会長が資金繰りの為にキャットフード会社と提携した頃から、二人の仲はすれ違ってしまい、当時の幹部の一人エドモンド・ラファティとかいうのが今は協会の実権を握っているんだけど、それはベルモントとは元々反りがあわなかったねん。受付嬢のケイティとロビンの先輩にジェニファー・ヘンダースンってのがいるんだけど、彼女は実はベルモントの姪なのよな。それでね (変な長編を作らない)
冗談はともかく、
しかしあたしは内気だからな。足跡は欲しいけど、会員になる勇気がどうも出ない(白昼夢から目覚めてないようよ)
誰も止めてくれないので、一人で走りまくりです。 うーん、私の好みにベストマッチするのが無いので、こうやって暴れているしか。 ん、別にやたら美人なのは構わなくってよ。 私の中では絶世の美貌ですから。 「人間を越えて」ますから。 「人間とちゃうよ」の領域ですから。 ▲のスバラシサを人間で表せというのは不可能でしょうし。「この椅子のスバラシサを奈良漬で表現せよ」みたいに意味不明になってしまいます。私が混乱しているのも、その所為なのだろうが。
私はどうもあの犬の爪が引っ込まず、歩くとカチカチ鳴るのが、雑音で気に入らないのですが。 そう言えば 男性の同僚が、女性がヒールのある靴を履いてカチカチ音を立てて歩くのが、どうもムカつくと言ってました。私は女性代表として、「子供がよく履いている歩くとピヨピヨとかキュウキュウ鳴る靴のようで、自分では楽しいのです(人はどうだか知らんが)」と弁解しておきました。
あの足音は気に入らんが、しかし足型は悪くありませんよ。 思い出しても、おっさんのくせに、直前までの足跡が犬跡というのが間違いの元なのです。
ナンなんですの、それは!? ホラ!それ!それですわ! その足元のソレざんす! それがイケナイって言ってるんですのよ! もう!なんて事をしてくれるんです!
と、今思い出しても激しくツッコミます。
エンディングの地図の足跡で一つ、靴跡が裸足の足跡になり、犬跡になるのがありましたね。 あれはナンですか?可愛いですね。 なんで靴脱いだんでしょうね(そこか) マクゴナガル先生には何も思わなかったのに、映画の犬を見て「アニメーガスって着衣のままなんだ」と、あらためて不思議に思いました。 私の中ではまた、「ポケットのものは含まれるのか?手に持っているものは?」とか「では、裸でなると毛がないのか?」とか不必要事項に気が散るわけで。
でも、人間はもっとコンブオバケみたいなのだとすっかり思ってたからな。 私は長髪好きだから、長くてもよかったのに。 しかしちゃんと散髪していたらしい。 ディメンターみたいなのがうろうろしていたら、労働意欲が湧くとはとても思えないが。一体どんなム所なのだろう。 原作では「新聞持って来てもらった」などとほざいていたので、案外小奇麗だったのかもしれない。「アズカバン刑務所で食中毒。囚人38人が感染。感染経路を調査中」みたいな記事が出るような? ディメンターの所為で、獄中死しても闇から闇に葬られてしまいそうなイメージがあり、まかり間違っても更生施設ではないという感じがあるんだが。 薄汚れたのは逃亡生活の為か。
今日もハスキー犬とすれ違う。運命が私の安らぎを侵略する。
道を歩いているハスキーの耳が気になり「おさわりしたい」等と思っても、目がうるうる滲んで△が霞んできても、拳で口をぐっと押さえ、ひたすら我慢だ。 うぐうぐ。あの耳が私を呼んでいる。行かなければ! けれど私の双肩にも色々な同好の士への世論がかかっていますからね。
私は猫の耳も好きなのですが、猫耳の最大の魅力は人間の何十倍もある耳を動かす筋肉によって変幻自在巧みに微細に動く、その躍動感でありましょう。 たとえ本体が眠っていようと、自動的に音がした方角へ瞬時に向きを変え、アンテナのように微量音を最大吸収。息を吹きかけるとピルル!と動くそうです。 猫の視野は狭いですが、その極狭い視野に入るものは「たとえ蟻ん子一匹であろうとけして見逃す事はない」と言われてます。単独で狩りをする完全肉食獣であるがゆえ、顔の真正面に並んだ目による視界の狭さを、その抜群の耳独自の運動能力によって広範囲に渡りカバーするのです。 猫の前で何かをふってごらんなさい。その「ハッ」とした凛々しい横顔!そこで横っちょで音を立てると、「ム、何奴ッ!?」とばかりにキッ!と耳が向きます。 おもしろすぎです。
対して、耳筋が十数個、猫の何分の一もない犬耳の魅力はその厚さ、肉厚の「ふさふさ感」「ふかふか感」にあります。触ってナンボのものです。 「こうやって持つじゃろー?(うっとり)」 「こうやってか???指は二本?」 「二本?違うわよ!指は三本、親指と人差し指と中指よ☆」
狼は特別な理由も無く遠吠えをはじめ、他の者はこれに応えてカノンやフーガの如く輪唱をなします。「狼は歌う」と言われる由縁ですが、犬が理由も無く遠吠えをする事は通常ありません。完全に野性にかえり安定した集団を形成した犬は、一日中何もせずに群れの中で非常に静かに過ごすと言われます。 狼に似、原形を残しているものほど、静かであるらしいです。野生生物がそうであるように突然に驚かされたときと興奮しているときぐらいしか、滅多に声をあげる事はありません。
キャンキャン小うるさく無駄咆えするのも、成獣となってからも遊びとして狩りを行うのも、人間に役立つ用に改良された結果であるらしいです。ちょっと「誇りを忘れ、主人に媚びを売る煩い犬どもめ」とやたらに思わず、自然な眼差しで耳に注目しましょう。
<STAND ALONE COMPLEX>のサントラを買ったのは、今から一年以上前の事。 本編を見る前に買ってましたとも。 別のビデオのCMで見たOPのテケテケ鳴ってて、しかも何を言ってるのか全然わからない曲(ロシア語?)が素晴らしくツボに嵌まり、本編も見てないのにサントラを買ってしまったのですよ(そうだった。まだbeauty is within usはきいてなかったのだった。間違い。) いまだにセカンドギグに辿り着いてません。私はアレよ、確か皮剥ぐ話までしか(後味悪!) だっていつも貸し出し中…。誰ですか、いっつも良いトコを借りてるのは(良いとこ=タチコマワンダーランド)
前に友達に「菅野は良いよ」と教えてもらい、よく聞いてみると私も好きな人だったので、その時から「心配いらないサントラ」として入力されています。それでぱっと買ってしまった。
そしてウマウマ一曲リピートで堪能してました。 やがてレンタルが出、借りてきた私は、第二話だかに挿入されていた<beauty is within us>を聴いて「この曲スキ」と思い、当然サントラに発見し(歌詞とタイトルが同じなのですぐわかる)、それも延々とリピートで聴いていました。
ちょうどその頃、私の心にはハリポッタの季節が訪れていました。 延々と<beauty is within us>を聴いていた私は、もちろんこの曲がハリポッタ親世代のメインテーマになってしまいました。 最初に「アタシはこのへんかな」と好んで回ってたのが、ジェスネとかアサルシとかハリドラだったせいか知りませんが、薄暗いイメージに拍車がかかっていたのかもしれません。 「魔女っ子シルキー☆ピンク」みたいなのではない、魔法だの魔術だのの分野に関する「胡散臭くイカガワシいと見なされる第一級の異端オタク分野」というイメージをちゃんと(?)持っていたので、<beauty is within us>はベストマッチだったのです。
これが最初からシリスネでかっ飛ばしていたとすれば、間違っても心のメインテーマが<beauty is within us>になる事はなかったと思います。 しかし、不幸にして、まだ三巻に辿り着いていなかったのですよ。
そうやって、サントラ中の数曲だけを延々とリピート機能で聴いていて全曲聴いた事が一度もなかったのですが、最近とうとう全部聴きました。 イイもん持ってるね!私!はよ聴けよ! 色んな曲を、ずっとリピートで聴いています(同じじゃん。いや違うの、レパートリーが増えた)
幻水の四をちらっと見ました。 私は三の時からどうも触手が全然動かない。 駄目じゃ。全然やりたくならない!苦行になってしまう。
あの画面が変わってしまったのが、かなり痛手らしい。 話よりキャラよりマップ。「ちっさいキャラが広大な平原をチマチマ歩いていく面倒くささ」が、♪さあ行くんだーその顔をーあげてー♪(999より)で、若人をあやつる場合のときめきゲームなのよ。
「未成年主人公と言ったら、ドットマップだろ!」 という、こだわりが深いのですね。
よく見えないコマイのが、フィールドで放っている時にもピコピコ痙攣するように動いているのが、「なんかが動いてる…かわゆい」と感じさせ、「ちょっとつついたろうかしら?そら前進じゃ。えいえい。アハ!歩いているわ!愉快愉快!それダッシュじゃ!走れ走れどこまでも!」と思わせるのに。 (この人はゲームの遊び方を間違っています)
あんな美貌どもがくるくる華麗に動いていたら、もう鬼の如くのめり込めないよ! 「なんでこんなヒトガタに完成されたのを、私がわざわざ動かさないといけないのよ?こー、アニメみたいに勝手に動いて勝手に喋るんじゃねえの、これ?」という気持ちになってるんかもしれないわ。
だいたいね! 幻水と言えば、ゲンゲン隊長だろ!? (耳三角の犬月間ですから)
リドリーも耳△で良いんですが、アレは格好良すぎるからね。 ガボチャとリドリーの息子(名前忘れた)は耳が垂れているので、もとから私の好みとは違う。リドリーの奥さんは美犬らしいという事はわかるんだけど。
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