非日記
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2004年07月30日(金) 犬ばっかりのミラクル。

よいしょよいしょとお手紙を書きました。
「拝啓、暑い最中いかが御過ごしでしょうか。私は今日も犬でいっぱいです。いっぱいいっぱいです。お姉さんのオススメに従い、犬でいっぱいの日記を書いてみました。(略)かしこ」

お返事がきました。
「(略)犬日記読みましたよ。犬への想いがいーぱいあふれてますね(略)」

いやん、照れるわ。

なんで私の友達は主に皆ノリがよいのでしょうね。
すっげーアホウなやりとりしかしてないように思われます。あほの私につきあってくれているのです。ご苦労様です。こういう御方を「花のある人」というのですね。

私は最近、チャリで走っていて「私の自転車の名前はチャーリーだな。今度から『私のチャーリー』と呼ぼう」と決めたとき、突然にはたと気づいたのですよ。

「花のある人」という形容詞はどういう形容を意味するのかについて。
花というものには、花であるからして人の心はありません。そして人も花の心は知るよしもないのですが、しかし人は花を見て人の心を慰められ、花を見て人の心を安らがせるのですよ。
つまりそういう意味なんだな?蛍光塗料でも全身に塗ったくってるかのように派手派手しく華々しい人という意味ではなく。

私も日々「あなた、犬(▲)を好きになってしまったのね」と温かく見守られ、「うふ☆そうなのー」と心安らいでいますよ。ここで、たとえそれが揺るがせない真実であろうと「はぁ?アホーじゃないの」等と冷たく言われた日には、アタイのグラスハートは粉々になってしまい、内々に鬱積した怒りをやがて他人のグラスハートを砕いてまわる事で解消する事になったかもしれません。

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原作四巻までチミっとネタバレ。
今、原作をちらちら読み直していました。
自分が新しい世界を脳内で製作している事はわかっていたのですが(注:私は現実に帰るまでは常時本気です)、しかしそれどころではありません。

なんでしょうかこれは?!何もかもが目新しい!何も!かもが!
ミラクル!
ピンクワールドです!
三巻と四巻なんか、まるで一度も読んだ事の無い同人誌を読んでいるようですよ!
しかもバリ上手い!まるで原作のようだ!(原作だっちゅうの)

三巻のラストなんか、ものすごいスネシリに見えます。プロフェッサーが変態じみてヤバイぐらいです。
すごい!犬が猛烈に嫌がっている!十八斤だ!(注:萌中)
犬はルーピン先生に「実はスネイプがここに」と告げられ、「えええ!居るの!?ここに!」と動揺しています。ディメンターよりも、門前にスネちゃまを立てておけば良かったですね、犬避けに。あの人よく実験室に篭ってるから。犬はきっと近寄れなかったでしょうに。
「吸魂鬼にキスをされて悶え苦しむところをじっくり拝みたい」だなんて、聞いた事も無いすごい変態プレイです!誰!こんな十八斤を児童書にしたのは!?
変態スネッちから逃れたいばかりに、「ねずみねずみ」と話を逸らそうと頑張っている犬はめっさ可憐ですよ!さっきまでの勢いはどこへ行ったのでしょう?!もうねずみに縋り付かんばかりです。
スネちゃまは「悪い事をしてようがしてるまいがそんな事はどうでも良いのだ!」と、目は血走りキレまくりです。車と男は急に止まれない!ごっつカッ飛んでいます。
いやもうこのキレっぷり、映画では全カットだものね。モザイクで人間に修正かけられちゃったわよ。
そのまんまで良かったのに。モッタイナー!

この相当ヤバイ性犯○者から守ってくれたハリーに、犬はころりとついていくのですな。

あー、そらー(四巻で)手も握りたくないだろうよ!
アッハー!(壊)

一体どうやってこれをシリスネに変換していたのかもう思い出せませんね。どうしましょうか(どうやってかというと、すごくおもしろいサイトさんがあるのですよ。ごっつツボにはまりますよ)

私は今日も人間の脳の仕組みについて考えます。ライフワークですから。
その奇跡を起こす力について、日々実体験を元に研究しています。

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茶店の二階に座っていたら、真向かいの店舗の二階が工事中で、四角に切り抜かれたようなガラス窓の向こうで人々が作業をしているのが見えた。
私は店やビルなんかの内側から、窓ガラス越しに、人が動いているのを見るのが好きだ。
ストーリーを感じるわけじゃないが、なんとなく。何も考えず何も感じずに、ただぼんやり眺めているのが無性に心安らぐのだ。たぶん声や音が全く聞こえず、表情がよく見えないのが良いんだと思われる。

特に今回は、窓枠が二つ越しだったのがすごくよかったね。
目の前のガラス越しに人通りが見え、その向こうの建物の窓越しに作業中の人が見えたのが。

で、見ていたのだが。すると思い出した。
ハリポッタの映画三作目で、ハリとかロンとかが寮部屋で皆で騒いでて楽しく過ごしている様子を活写した後に、それを窓の外からのアングルに切り替えるやつ。
あそこ、好きだった。
ひょっとすると、「なんの不安も無い楽しい日常のすぐ外に、不穏な気配を漂わせる暗い夜が近づいていたのだ」みたいなカメラワークだったのかもしれないが(苦笑)

「あー、良いよね、こういうの。やたら安らぐわー」と安らいでいましたよ。


2004年07月28日(水) 人間なんてららら。

私にはわかっているのです。自分の悪癖がね。
頭にカーッ!と血が上るわけよ。萌えで。
私はアタマがおかしくなってしまった!
前からおかしいですか?そうですか。良いって事よ!(よくないよ)

追加が来ないので、そのうち落ち着くよ。たぶん。
相変わらず、脳内で映像の再生をうまうま繰り返しているのですが、摩滅してきましたからね。いっそ私は犬を捜した方が良いんじゃないだろうか。
ふん、あんな犬がこの世に他にいるもんか!あんな、あんな!

「後一回ぐらい見にいっても良いんじゃないの」
という御言葉に従うかどうか考え中です。え、だって犬、ちょっとしかうつらないのよ。でも大画面で見れるんは今だけなんよな。

苦しいのは今だけやねん。私にはわかっている。もう人間と喋っていても犬の事を喋りたくて仕方ないのも、犬の事を喋れなくて苦しいのも、人が犬について喋ってくれなくて気が狂いそうなのも今だけの事なのよ。人間と喋ってる暇があったら、犬を堪能していたいのも今だけやねん。てゆうか、犬について喋りたいわけではなく、犬を堪能していたいのよな。気が済むまで。

私は自分の性分がわかっているのですよ。だから私は自分が女で良かったとしみじみ思います。興奮が下半身に直結していたら、きっと犯罪者になっていた。
自分に正直だった幼少期など、「好き!」という感情の昂ぶりのままにビンタしてましたからね。別に殴りたかったわけじゃないのですよ。ただ他に思いのたけを表現する手段がなかったわけで。この興奮をどう表現すれば良いのか。

「おんどれぁ、死にさらせ!」で鳩尾に出刃包丁を突き上げたい気持ちに良く似ているのに。我が身を抑えるのに精一杯で、気も狂わんばかりになっているというのに。
そこで前頭葉の登場です。
これが必死に自分に問い掛けます。
「愛ってなんですか?」

ああ、してきな(=ステキな)犬がきます。してきな犬が。
犬がまいりまーす。
ホームでお待ちのお客様は、危険ですから、黄色い線までお下がりくださーい。

こないだ読んだ絵本を思い出します。

ある少年熊が怪我をした鳥を拾ったのです。大事に連れてかえってお世話をしてあげるのですが、鳥を好きになってしまい、怪我が治っても鳥籠から出す事ができません。熊親が「鳥は空を飛ぶものなのだから逃がしてあげなさい」というのに、熊は逃がす事ができないのです。
「だって好きだから」
鳥はどんどん弱っていきます。ちっとも鳴かなくなりました。でも逃がす事ができません。
「だって好きだから」
おじいちゃん熊が小熊を野原に連れて行きます。おじいちゃは「逃がしてあげなさい」とは言いません。ただ野原で自由に遊ばせてやるだけです。しかし小熊は家に帰ると鳥籠をもって山に出掛けました。
鳥籠をあけて、鳥を逃がしてあげました。鳥は嬉しそうに空を飛んでいきます。
「だって、好きだから」
小熊は泣きながら、いつまでもいつまでも空を見上げていました。
おしまい。

私もいっしょに泣いてしまいましたね。
「だって好きなんだ」
その一言が、切ないー!

「熊!」とか思いました。アタイ「よく我慢できました」なんて撫でないよ!「正しい事をしたのですよ」なんて褒めないからね!
鳥を逃がさなくても殴りますが、逃がしても殴りますから!どうせ殴りますから!
「熊!」とか思って、ヘッドロックかまして、いっしょに号泣しますから。

ああ、どうしていっしょにいられないんでしょうか!
どうしていっしょにいられないんでしょう!
「鳥が弱って死んでしまってもかまわない」とまで思ったのに!
おお、どうしていっしょにいられない事を、わかってしまったのでしょう!
どうしてわかってしまったのでしょう!

神よ、天国はもうここにしかない。
私の瞳の中にしか。(そんなマンガがあったような)
私は目を閉じて、そこに永遠を見る。目を開けたら未来が見える。目を開けていたら現実が見える。けれど目を閉じれば、必ず私はそこに永遠を見つけるだろう。
私が死んだら、心もいっしょに焼いてくれ。悲しみのない自由な空に、私がなれるように。

ガ○デーム!


飛べ飛べー白いはとよー私のこの胸の空をー♪
(みんなの歌より。鳩は死んでます)
ひーとりぼっちのボクとープルーが会ったのはー♪
(みんなの歌より。プルー:犬の名前。プルーは死にました)


今壊れています。
思い出したけど、プルー死んでなかったわ。行方不明なのだった。


2004年07月27日(火) なんとかして。

「また書いて消してたろう」などと言われたので、言訳を。
なんとかして犬以外の事を書こうと、努力しているのよ。今アルプスの少女みたいな状態だから。「良いじゃないの犬の事を書けば」と言われたが、言われても書く事ない。

映画館に人を連れていき、犬を指差して、
「見て!アレに(私が)萌えてる!」
完。


「あなた、まるで恋をしているようよ」

犬の耳にですか!?

じゃあトータル五時間以上の「犬!犬!」という萌え電話は、つまり私は惚気ているらしいですよ。
いやな女じゃー。
つまり失礼ながら忘れるわけよね、状況のなんたるかを。このように。
キーワードは「好きな人(もの)は?」
どんな状況下であろうと即座に現実からシフトするダイレクト・コマンドである事が判明しているのよ。

即座にプログラムの緊急停止を行い、システムの再起動を行ってください。

でも今は駄目なの。トラブった!質の悪いウィルスに感染したように。
何度システムを立ち上げても、当然のように犬ウィルスが発動し、あらゆるプログラムを汚染していくねんな。

「艦長!犬に侵入されました!システムを食われていきます!」
あー、だいたいそんな感じよね。

まあそうかもしれないよ。
それにしても、これが恋だなんて。人間は人間を好きになるものだという先入観があったので気がつかなかった。確かに抑え難く激しいものよ。
頭に血が上るというか。

「足りないんだ、あれ(▲)が!全然足りない!」とか喚いていると、ああそうかもしれません。まさしくこれが「あなたが足りない」というあの有名なアレか。
「近づくな!獣○してしまうだろうが!」というのも、「あなたを傷つけてしまうの」という有名なアレなんだな?
普遍的だ。
あ、それでラブ映画が好きなんか。実は共感しとるんだな。

もうこう足りなくては、人間(ゲイリーナニガシ)だって良いよ。
構うもんか!
人間も犬もささやかな違いよ!(大きな違いです)
私はそんな細かい事は気にしない!(気にしましょう)
たとえ姿が変わろうと、私にはわかっているんだ。
おまえの本当の姿は、犬(▲)なんだって事がな!(本当の姿は人間です)
おまえが人間になれて本当によかった…!(人間になれるんじゃなくて犬になれるんですよ)
これで犯罪者にならなくて済む!(そうだろうか?)


2004年07月23日(金) 今こんな感じでダメぽい。

最近、夢の中に時々犬が出てくるんだ。

昨晩は「とって来い」で盛り上ってたっぽい。

あ〜、シ○ウス、えらいわねー。
よくできましたわー。


何もかもが駄目っぽい。
うなされてる。


昔から夢診断ができない脳なのよ。
あまりにも直接すぎで。妙にストーリーがあったり。変に詳しくて。
そして小ネタがちりばめられている。

深層心理が夢になんだってー?
夢には潜在意識の影響がって、つまり私は潜在意識まで毎度どっぷりつかってるということか。深層心理って表層心理といっしょちゃうんか、と疑わしい。
特にブーム中はがっちりスクラムを組んでいるっぽい。

私の夢は主にこれ「ずばり最近一番気にいっているネタは?」だ。もしくは「気になっている事は」とか。あるいは、時を遡って「昔気にしていた事は」だ。

よく考えると、てゆうかよく考えなくても、先の夢も

1.シリウス(犬)の耳は良い耳だー♪
2.ルーピン先生はオカシイ先生だ。
3.私は目が覚めたら、そうめんを茹でなければならない。

という眠る前のこの三つの思考をミックスすると、「シリウスの耳に、ルーピン先生が、そうめんを入れようとする」夢にチーンとなって出るんだろうな。三題話。
ちょっとは捻れ。

目が覚めるたびに、「ほんとーは、起きてたんじゃろう?」と疑う。


うろうろ>
感想をさまよっていたら、世の中に私と同じくらい(か、どうかはわからないが)!あの耳が三角である事を褒め称えている人を発見しました。メインカップリングが違いますが、私はそんな細かい事は気にしない。
仲間だわ!!
「幸せになれー」とここからデンパを送る事にします(届かない)

いーえ、最近「マニアック」等と言われた事を思い出すようになってちょっと淋しくなっていたからね、殊更に喜ばしかったのよ。


2004年07月22日(木) 典型的。

まあ!

ちょっと何も考えずに寝ていたダケで肌のトラブルが全快したので、去年の今頃よりはピチピチ若く見える…はず。と、鏡を見て自分で思う。
昔から私は、ストレスというストレスが主に体の異常で出るからね。

「来年は絶対忘れないからネ!」と意気込んでいた去年悪戯した御方から日付更新と同時に「おめでとう!」メールが届く。
勿論「うっかりしない為に即来るはずだ」と、スタンバイして待っていましたとも。
「来年はもう覚えてないかもしれん」という事なので、じゃ、来年は「今日は何の日?フッフー」をやるかな。でも私こそ覚えてないかもしれない。
大体私は、一度使って上手くいったタネは二度仕込まない事にしているわ。



というわけで、現在おそらく世界で一番熱く黒い三角に萌えている女は、また一つ年をとってみましたよ。

アレ(▲)が足りないね。
「誕生日をセブシリ記念日にしようかな?」ちゃらん事を考えたのですよ。
が、私はあらためて考えて気がついたのですけれども、ヒョットしてセブシリは少ないかもしれないね。
愚かにも私は、今まで自分はどっちかというとマイナー嗜好だと思っていました。そしてマイナーの逆は王道なんだと思いこんでいましたが、よく考えるとセブシリが王道なわけがないかもしれない。同じオウドウでも横道というやつですよ。マイナーの逆がさらにマイナーだなんて、私は一体何のためにリバになったんだろう?(注:目的はない)
あんなに熱烈に絡み合っているのに、おかしいわよね。


「ああ!私、あの犬なら飼っても良いのよー(うっとり)」
と、言ったらば、
「猫の事も忘れないでいてちょうだいね」
と言われてしまいました。
私が猫の事を忘れるなんてありえないネ。それはスフィンクスとかいう毛のない猫種を見た時ぐらいだわよ。

これは典型的な症状↓なのですよ。例のアレだ。

俺はおまえが犬だから好きになったわけじゃない。
好きになったおまえ(▲)がたまたま犬(の耳)だっただけだ!
猫はアレだ、猫だから好きなんだ。でもおまえは違う。おまえは猫じゃない。猫じゃない事は俺にもわかっている。正直に言えば、確かに「おまえが猫だったら…(結婚できる?)」と思った事もある。でももうそんな事はどうでも良い。俺が間違っていた。結婚してくれ。
どの犬を見ても、おまえを思い出す。

↑これよ。

アタイに、おまえ(の耳)を、おまえ(の耳)を……
…ッ、相変わらず、一体どうしたいのかが解からないわ!
しくしく


そうね、私は犬の全てを愛する事はできないかもしれない。特にハッハハッハ言ったりワンワンギャワワン煩いところは駄目だ。あのテンションの高さと興奮の激しさにはついていけない。
が、私ほど犬のパーツを愛せる女はいない!…と思う。

ねえ先生ねえ先生、アタシ、あの時急に不思議に思ったのよ。
どうしてオプション・パーツは猫耳と呼ぶのに犬耳とは呼ばないのかしら?猫尻尾があって犬尻尾がないのかしら?「にゃーん」と鳴かせて喜ぶのに、「くーん」と鳴かせて喜ばないのはどうしてなの?
同人屋には統計的に愛猫家が多くて愛犬家が少ないきがするのは、私のリサーチ不足なのかな?

派生中。


2004年07月19日(月) 耳表現。

今、突然に新しい耳の表現を考えてみた。
ラムダ変換で「Λ」
…でも黒くないね。いまいち。

出せないが「Aウムラウト」でノミが飛んでいる耳、とか。でも黒くないね。いまいちだわ。
やはり▲かしら。


はりぽったネタバレ>

ところで、「内なる狂気が云々」の時に原語でなんと言っていたのか全然思い出せない。ひょっとすると、やっぱりあそこがルーピン先生がムーニーであるヒントになっていて、そこから忍びの地図の製作者を推し量らねばならなかったんだろうか???「これで解かれというのは無理だろう」と思ったけど。
別に訳に文句があるわけではないんだけど(英語聞き取れてないし)

少なくともあそこで、ルーピンとシリウスは例の四人にだけ通じる符丁を使って複雑な会話をし、真意を問いあっていた事になるのよな?たぶん(苦笑)
標準言語を使うと、ルーピン先生は生徒の杖は飛ばしたが、自分は杖を構えたままなので、

ル:「随分と見目が汚らしくなってしまって親交があった時分の見る影も無く、ぱっと見誰だかわからんぐらいで、かなりひどいめにあった事がわかるが、もしもそれが心根に相応しい行いをし、その報いを受けた上であるのなら、私はちっとも可哀想に思わないぞ。私がその姿を不憫に思って憐れむと思ったら大間違いだ。返答のいかんによっては、生徒の杖を飛ばしたのはおまえを助ける為ではなく、私のこの手でブスっとやる為になるだろうよ。で、それでどうなんだ?昔私達に見せていた姿は仮の姿で、それが本当の姿だったわけか?大体、こんなところに子供を連れ込んで脅しているとは何事だ。なんか言ってみろよ、オラ」

と、こう言っていた事になる。
で、これに答えて

シ:「おまえが『そんな!僕達を騙していたんだね!?うエーン(泣)』なんて泣き寝入りするような可愛らしいタマでは無かった事も、今もそうでないだろう事もよっくわかっているとも。私がここで『違う!俺は悪くない!』と言ったとしても、それだけで『そうだったんだ!』とあっさり信じるような素直で純朴な性格ではないこともよーくわかっているんだぜ。もしもおまえが私を信じていないなら、私が何を言ったとしてもおまえはそれを信じないだろうに、それで私に何を言わせたいんだ?
おまえから見ての私がどうであろうが、私にとっては、今も昔もおまえはムーニーで変わってはいない事は確かだがね。おまえが満月の夜に狼人間に変身するとしても、私達はおまえを友人として扱ったし、おまえがその自分の性分や変化をどう思っていたのかも少しは察していたつもりだったが?もしもおまえがそれについて何か思うところがあったのなら、今私がどんな気持ちであるのかも、少しは察してくれても良さそうなものじゃないか?そっちこそ、どうなんだ。おまえは私達に何を望んだ?それで、ならおまえは私が何を望んだと思うんだ。自分に尋ねるがいい」

と、大体こんなような事を高速言語で言っていたと見た。
それでルーピン先生は「フ、なるほど、ずえんずえん変わってないな」と手を出すと(苦笑)
口数少なく見えて雄弁ですよね。


でもそれなら、ハリに地図を「返す」とは言わずに「譲る」と言った方が良かったかもしれないし(そこも聞き取ってない)。そう考えると、もう最初から忍びの地図の製作者ら辺は無視されたのかなという気もする。
もしも少なくとも匂わせているんなら、何個所か「そうなのかな?」というところもあるんだけど。ひょっとすると、英語圏の人間なら、一連の渾名と、三匹までがわかったダケで「では残りがアレで、だから鹿なんか?」と何かがピンと来るのかもしれんしな。私は原作でもなんであそこで鹿が出たのか、いまいちわかってないんだけど。

今思い出したのですが、気絶から戻ってダッシュで追ってきたところ、ルーピン先生が狼人間化してるところへ当たって皆を後ろに庇い、あげく自分を昏倒させたハリを「行くな」と止めてキレイに無視されるスネ先生は、「今夜のスネ先生は踏んだり蹴ったりだね」という感じでした。
うーん。
「それもこれもルーピンの所為」と怒りに任せて秘密をぶちまけてしまったのであって、「それもこれもシリウスの所為」と古の恨みつらみが貯水池のように溜まっており、そこから用水されたという感じはあんまりしません。映画ではそうなのかも。

ロンがハーマイオニーを称えるのに「ブリリアント!」と言っていたのは覚えているんだけどな。




人は「まっくら森のうた」って歌えるんかな。
真っ暗森は不思議なところで、近くて遠いのよ。近くて遠いんだ。
♪まっくら、くら〜い、くらい♪
しみじみとする良い歌だ。口ずさんでいると心和む。
二十年ほど前から、私の持ち歌の一つ。みんなの歌のイラストが可愛かった。

いえなんでもないの。私の事は気にしないでちょうだい。

よく考えて、だって防人の詩だと泣くだろう!?
いかんよ、あの歌は。ものすご来るけんね。


2004年07月18日(日) ▲ ▲

今思うと、先日見た夢はホントーに激しくイケナイ夢のような気がしてきた。

直接の原因は、
「また素麺か…(自分が手を抜いてる所為)」
と思いながら寝ていた所為で、他意は無いと思うんだけど。

「犬の方が可愛いじゃないの」と言われてましたが、
犬はね、そら可愛かったんですよ?
だってこうでしたから



▲ ▲



どーだ。
もし映画を見るときには、是非ここに注目して見てもらわねばなりません。
口をあんぐり開けて「耳が、三角なんだ!三角なんだ!黒い三角!」と思ってるうちにラストの方が終わってしまう。

今思うと、それもいけなかったのかもしれない。冷静な眼差しでなかったってのが。いつもとことん冷静な眼差しじゃないが。

ルーピン先生が、絶妙にイヤミったらしくてすごく良かったんですよ。シリウスは見るからに変でしたが、ルーピン先生は絶妙に変で。
内なる狂気、内なる狂気ね。アハハウフフ。
あー、良かったよ、アレは…(回想中)

他に言ってない事があるとすれば、ダドリーは大物で、ロンはだんだん美人になっていく事ぐらいか。


もしも私がセブシリー等とある日言っていたら、それは私がまたどこかで間違って、主に▲に間違って、脳みそが▲に躓いて「団子団子団子団子団子団子…、ドッコショ!ドッコイショドッコイショドッコイショ……母ちゃん!ドッコショを作ってくれ!」みたいになったって事なんだな(粗忽者)

いや、あの犬は良い。あの犬を是非見てもらわなければ。あんなベストヒット犬は久しぶりに見たきがする。あの、なんかすんごく可愛くないところが凄く可愛いー、うわー、可愛いー、なんであんなあんなにー
反芻中。
いや、素晴らしいよ、犬。犬があんなに素晴らしいなんて。

此間図書館でペットに餌を与える為の本を読んでいたら、こんな事が書いてあった。
「餓えきった犬を拾って来て餌をあげましょう。その犬はけっして(!)あなたを噛まなくなります。」
私、私はそんな!そんな愛は…忠誠なんて愛は…猫好きとして許せないッ!(苦)

あー、でもどきどきするー(病)
そうよ、私は趙雲が好き。趙雲が好きだった…ッ!やつのその、一度味方にできてしまうと殆どなーんにもしなくても常時忠誠心MAXなところが、殺伐とした三国志でどんなに心の安らぎであった事か!直ぐ裏切っても直ぐ出戻って来る武力100知力すかすかの奴と同じぐらいラブだったわ。

「皆で獲った獲物を公平に分け合うなどという安っぽいヒューマニズムは、犬にはありません。ボスの目を盗んで、いかに自分が大量に食らいつけるかが勝負です」
なんて言われると、と、ときめく?


2004年07月16日(金) こんなオソロシイ夢を見ました。

オソロシイ夢を見た。
これを人に語ることなく永久の眠りにつく事は、私にはできません。

それは私が目覚める直前の出来事でした。
ある意味十八斤っぽいです。


用事は何だったか忘れましたが、ハリー等はシリウスと外出していて(どこだか知れないところの)門限に遅れました。「絶対に見つかってはいけない」とこそこそしていましたが、私の夢では絶対に見つかってはいけない時に見つからなかったタメシが無いように、バシッとビシッとルーピン先生に見つかってしまいました。

ごっつ冷たい目でシリウスを見ます。

リーマス「へぇ?君は自分の立場というモノが全くわかっていないようだね」※自分の立場ってなんだろう?犬の立場?
シリウス「ヒッ!スイマセン、先生ッ!」※やたら脅える
リーマス「思えば、君は昔から口で言ってもきかなかった〜。身に染みて覚えてもらわなければいけないよ〜だね〜」※歌うように語る先生
ハリー「先生ッ、これは!これは違うんです!」
シリウス「ヒィイーッ!ハリー、やめるんだ!リーマスに口答えするな!」
リーマス「君たちには〜、自分達がイケナイ事をしたという罪の意識が〜無いよ〜だね〜?」
シリウス「そんな事はアリマセンッ!ハリー!早くっ!早く謝るんだ!」
ハリー「ええ、でも…」
シリウス「違う!違うんだ、リーマス!私達は本当は心から…ッ」
リーマス「良いんだよ、シリウス」
微笑んでやさしげな声を出す先生

リーマス「人間は嘘をつく生き物だ。本当の事を言ってるのかどうかなんて、誰にもわかりはしないんだよ?拷問して聞き出すまではね…」

シリウス「キャー!やめろリーマス!頼む!それだけはっ!」
ハーマイオニー「アズカバンにいたシリウスがあんなに恐れるなんて!一体どんな拷問なの!?」
ロン「ルーピン先生がそんなにヒドイ事をするわけないよ」
リーマス「そうとも。私がひどい事をするわけがないだろう?ああ思い出すねえ。楽しいお仕置きの時間だ〜」
シリウス「オマエ等は本当のリーマスを知らないんだッ!頼む!私をリーマスに渡さないでくれぇッ!」
ハーマイオニー「まるでディメンターに捕まりそうなときみたいだわッ!」
ハリー「落ち着いてシリウス!一体何をされるって言うんだ!」
シリウス「ああ二度と思い出したくなかった…!良いかハリー、リーマスの言う拷問は普通の拷問とは違う!人の心ではとても堪えられない、想像を絶する恐ろしいものなのだ!」
リーマス「そんなにヒドイ事ではないよ。ハリー、洗脳されてはいけないよ」
ハリー「それは一体…」
シリウス「良いかいハリー?私は一度しか言わない、いや一度しか言えないから良く聞きなさい。私達がまだ学生だったころの話だ」

追憶のリーマス
『君がそんな態度では、私は君の耳に茹でた素麺をつめて、耳から啜りだしてやるしかないね。ずずずず〜とね〜』

シリウス「ギャーッ!リーマスが口にした事はそれだけではないが、私にはもうこれ以上は言えない!なんて恐ろしい!とても人間の考える事とは思えない!こいつは人が『なんか嫌!なんかすっごく嫌!』な事を言ったりしたりする事ができる男なんだ!」
ハーマイオニー「すごいわ先生!人の嫌がりそうな事、というポイントを鋭く的確に残酷に冷酷についているわ!」
リーマス「えーそうかな〜?楽しいよー?」


↑↑↑
気分は十八斤。
目が覚めて私は勿論思いました。耳にそうめんなんか入れたらダメ!

私的に映画のルーピン先生が好評なので、こんな夢を見たのでしょう。
しかしルーピン先生を好きな人様に言ったら可愛くないと不評でした。えー、そうかなー。


2004年07月14日(水) 忘れてた。

最近「ですます調で日記を書いてもよい」フェアを開催中。

人様がネンショケーについて、「私はちゃんとネンショウケイって言ったんだけどね」と、おっしゃいました。私の記憶によればですが、彼女自身は次のようにおっしゃった事を、お知らせいたしました。
参考までに、ここに書き残しておきます。
↓↓↓


私「それで、ネンショケーってのは要は商品名なのね?」
人「えっとね、まず燃える事をネンショーって言うでしょ?」

正直「…言わんだろ」と思いました。「知ったかぶりをして『ええそうね』と言っておき、何の事か考えながら聞いておこうかな?」とも思ったのですが、今まさに教えを請うているところで、思い至らなかったり思い出せなかったらコトなので、手間を省いて正直に申告しました。

私「…そんな事言った?」
人「ええ?!言うじゃないの!言うでしょ!『年少』って!」
言わないね。
私「はあ?ちょっと待ってよ。燃える事をでしょう?……………ああ、燃焼か!」
人「言うでしょ!?」
私「言うね。言うヨ!ゴメンネ!」

「もう、燃焼なら燃焼って早く言ってよネ☆」と思ったのはナイショです。敵はここまでで、既に、だいぶんキレかけていたからです。私だってそんなにアホではありません。

人「もおう…っ、言うでしょう!?それに『K』をつけたダケよ!よく言うでしょう。『なんとかK』って!」

ナントカケー!!!

私「…ぃ、言うのかもしれないわね…」

「オ○ナミン・C」とか「リポ○タン・D」とも言うしな。
「燃焼・K」と言うのも、勿論アリですよ。

先頃聞いたところ、親指が逆に曲がるのは「騙されやすさ」を表すという噂もあるらしいのです。押すと九十度逆に曲がるという事は、「圧力をかけられると思わず納得してしまう」という事かもしれませんよ。


私だって敵をこれ以上興奮させたくはなかったのです。しかし「ナントカケー」等と「よく言う」のかと言えば、甚だしくアヤシイのは私的には明らかでした。

私「そのKってのは、アルファベットのままなのね?」
人「漢字よッ!


某嬢はついにプッツン切れてしまいました。説明が終わった後は重い溜息を吐いていました。
が、日本語は難しいのですよ。


2004年07月12日(月) 一時間五十分喋る。

「楽しそうね」と言われ、楽しかったわよ。
しかし、一時間五十分、ずっとハリポッタを喋っていたわけではありません。
<トゥー・ブラザーズ>の虎の子が可愛いという話もしていましたし、<キング・アーサー>はどうかという話もしていました。


ハリポッタ感想の続き>>
ネタバレまくり。

某さんが一番好きなのは、ハグリッドとロンと双子の兄弟で、ルーピン先生は「ちょっと好きかも」なのだった。「原作でカップリングを強いて言えばシリルで、しかし見た夢はダンハリだった」のだった。

そうね、
私としては、原作でシリウスとリーマスの二人を強いてカップリングにすれば(強いてカップルにするなよ)リバなんだけど、映画はリシリだったね。「アナタ!」「おまえ!」って感じが。
原作よりもルーピン先生が確信を持っているように(館に)登場するので(原作では「ああでもまさか」などと色々言っていて動揺していたきがする)、ハーマイオニーが「二人は通じてたんだわ!」などと言えば、「密通!(=道義に反して密に肉体関係を持つ事)」とハレーションが生じる。

切り刻まれた(?)絵なんか、「あの爪痕は、シリウスの爪痕というより、ルーピンの爪痕じゃないんか?」と思ったのは私だけか(苦笑)えー、だってアレは人間の爪痕じゃないだすよ。刃物を持ってたのかしら。
偶に映画を見ていて私はよく思うんですが、ペインティングナイフを使ってでも絵を切るにはテクニックがいると思います。結構固いのよキャンバスは。

忍びの地図の製作者があの四人だってのは、…?シリウスの「内なる狂気はおまえだろう」で解かれという事だろうか。吹き替えでどうなってるのかよくわからないけれど、あこそダケでは無理だろうきがする。
シリウスが忍びの地図をつくった人間の一人だからホグワーツへの侵入路を網羅して知っており、容易に入って来ていたと言うのも、わからんだろうと思うんだけど。

原作を読んでいれば「これはあの伏線だわね」とわかるが、映画単体としてはイマイチ伏線が伏線としての機能を果たしてないところが多いきがして、なんか色々勘違いしそうだ。

スネイプ先生が「復讐は密の味〜♪」と御機嫌に入室し、どっしり構えているので、犬猿の仲というよりキャンキャン咆える犬を爪先であしらっているように見えます。
猫がネズミを追い回していたのも、原作では「ネズミがネズミでなかった」という伏線なのだが、やはり分かりにくいきが。
そのため「時計を使って大量の授業をこなして疲れて気が立っているハーマイオニーと事情を知らないロンとの関係が、さらに輪をかけて険悪になっていた」という事情が無いので、後に詳細がわかり全部に筋が通っていく推理小説のようなラストのサッパリスッキリ感に欠けるよう。

ハーマイオニーは確か猫を止めようとしているし、「賢いはずのクルックシャンクスがペットのネズミを食ったりはしない」という形で信じていたきがする。どうだったかな。

バスのところで犬を見掛けて、何故そんなにハリーが注目しているのかも、唐突なきがするのは気の所為だろうか。
「何か得体の知れないものに付け狙われている」感じをずっと持っているところだとか、犬がどうのと騒いだり、あやしい予言に信憑性を感じたり、そういうジワジワ来る心理背景があんまり出て無いきがする。

原作で、この三巻のとても面白いところは、恐怖や危難が「近づいている」という感じが出だしからずっとしていて、どんどん高まっていくのに、実際は、「新しく近づいて来ていて恐怖を感じさせていたものにはハリーに敵意や悪意はなく、恐怖を覚えるべき危険なものは一巻からずっと近くにあったものだった」というグルっと引っくり返る、「騙された」という感じにあるんだろうと思うんだけど。
まさか「一巻の時点で、『このネズミは邪悪だ』と注目していた人間はネズミ嫌い以外にはいないだろう」といういう。

そこらへんがちょっと勿体無いような。


原作では、「説明するべきだ」と言うルーピンを興奮しているシリウスが何度も急がせる下りがあり、ルーピン先生がその度に何度も宥め、時間が経っていく感覚があり、その間にハリーは感情的な整理をし、皆が納得するのだなと思うのだが、ここの展開が早くて、解説が短く、そんな簡単に納得できるのか迷う。
映画のルーピン字幕は「一分待て」だか「二分待て」だかだし。
一分二分で何をどうするつもりなのか、すごくミステリーで面白い(面白いんか)

パトローナントカを突然出せるのもミステリー。

最初のが簡単に出せるのもミステリー。
後二三回やって、そのうちで良かった気がするんだけど。そして鹿型がなんだったのか、映画だけ見ていたら意味不明と思う。いや、アレは原作でも私はよくわからないんだけど。

ハリーが形が出るようなパトロなんとかを出せるようになるのには、ただ「出せる事がわかっていた」だけじゃなくて、シリウスの「釈放されたらいっしょに暮らさないか」というお誘いに二つ返事でOKし、舞い上がって喜ぶ個所が明瞭にあるので、「家族といっしょに暮らす幸せ」等という漠然とした夢にリアリティが生まれ、「頑張ればそうなれる。自分が、自分とシリウスの二人を助けて、そしてそうするんだ。それができる」という未来に対する現実的な展望と希望と自信が出たからじゃないかと思ってたんだが、映画ではあんまりそんな感じしなかったよね。
ヘタレ爆発で、シリウスは確か最後まで言い切れなかったしさ(苦笑)
私は気が短いので、「だからなんだハッキリ言え!」と思う。

色々あるが、それは原作にも色々不思議な事があるので、気にせず。
微妙な人間関係をうまうま味わうのは原作の方が良いだろうと思うけど、原作で一通り話の流れがわかっていれば、映画は映画で「ちょっと別の物」として、色々と面白かったわよ、私は。

役者の実年齢がだいぶ大人になっているので、二人だけで出掛けていくハーマイオニーとロンはどう見ても子供がつるんで遊びに行くというより「デート」に行く感じで、それを淋しく見送るハリーは、「僕には彼女がいない」という侘しさを感じる。その「保護者による外出許可のサイン」が問題になっており、最後にシリウスが保護者として署名(許可?)してきて、ネズミの代りに梟をくれて、色んな事が「(一応)一件落着」というのがなかったのも淋しいかも。

う、だから、でもそんな細かい事を言ってても、しょうがないのよ。
原作と比べてしまえば細かいところは無論気になるが、でも単品として映画を見て細かいところが楽しい。

原作ルーピンにあまり匂わない、生徒の肩を叩いて「先生は、ナ」みたいな教師臭を嗅いでみる、とか。
原作ルーピンがチョコレートを持ち歩いているのが不可解で、「チョコレートを食べると(幸せな気分になれ)元気が出るので食べなさい」って「チョコレートを食べると『おまえは』幸せになれて元気になれるんだな?それで常備してるんだ」と思わされてしまうが、映画を見てると、「大人」が「子供(向け)」にお菓子を「お薬としてあげてる」感じがする、とか。

ただ、「三巻でこれだけ削られたのに、二冊組の四巻はどうするの?」という気分になるわよ。どーすんじゃろう。


2004年07月10日(土) もう行ったの!と言われる。

ハリポッタの映画を見てきました。
感想を言ったらば、「もう行ったの!早いわね!」と言われる。そう、私も驚いている。下手をしたら見にいききれないと思っていたのに。
↓こういう具合で見に行き(行け)ました。


以前から私には夢があります。
献血現場(いつも献血している建物)で献血して、土産を貰う事。(ジュースか何かを飲ませてくれるらしい。飲み放題という噂がある)
その「自分のものと交換する」という事にドリームがある。他、「余った物を足りないところへ移して、平均的に慣らす」という作業に快感を感じる。

思えば私は慣性の法則と同じぐらい、位置エネルギーと運動エネルギーの相互変換が好きでした。
1ダインの力で1センチ移動させる事を、1エルグの仕事と申します。
外から力が加わらない限り、物体のエネルギーの総量は変化しない。すなわち、外からされた仕事の分だけ物体のエネルギーは変化する!

私はこの「…保存の法則」という類が大好きです。「保存保存」言われたら、やたら興奮します。
「外からされたアプローチの分だけ、人間の気持ちは変化する。(例:1微笑を表現して1好感度を与える事を、1好意と言います)。喧嘩前の感情量の総和は喧嘩後の感情量の総和に等しい…」等と、私の中ではもはや哲学の領域です。

なんの話をしてたんだっけ…。

そういうわけで、献血に行ってみたいのですが、建物の前まで行ってみては引返しています。骨髄バンクもやってみたくって電話番号まで調べては電話はしないのと同じです。
毎度、「これはイケナイ!頑張れアタシ!」と思っておりますが、心があると動きにくい。気持ちが重たくて体を動かすのが億劫です(怠け者)


せっかく町に行く用事があったので、映画館の前まで行ってみたものの、やはり気分の盛り上りが足りず、中に入れません。そりゃ、いつもは重量あげのように1〜2ヶ月かけて心の準備をしていくからね。
「映画を見に行くんじゃないのよ。チラシを貰いに行くダケなの。上映時間とサービス・デイを調べに行くダケよ。すごい事(映画を見る事)をするわけじゃないの」と自分を騙して映画館の前まで行ってみたが、行ってみると、まさに上映開始の五分前、しかもサービスデイ当日だった。こうなると入りたい。今入れば苦労はない(画面の前に自分を設置さえすれば見る)
しかしエンターには、まだ気合が足りんのですよ。

私が困っていると、ちょうど見知らぬオジサンがやってきました。すぐ近くに居る人と同じ行動をとるなら省エネできます。オジサンが私の真横を通り過ぎた瞬間、咄嗟に憑依してみました。オジサンに憑りついた私は、オジサンについていきます(危険)無論、オジサンは気付いていません。

オジサンは、エレベーターに乗る。
私も乗る。

階段が好きなのでいつもは階段で上がりますが、今の私はオジサンの運動エネルギーを横からちょっと拝借して運動しているので、オジサンと大体同じ行動をとるのです。

えーと、つまりほら、例えば親切にされると親切にしやすいじゃろ?
これは「親切保存の法則」にのっとった正しい心理行動だ(意味不明)
不親切にされると、言うなれば親切心にマイナスの負債を負う。親切心を奪われるので、まずこの欠損を埋めねばならない。「親切にする」為には余剰親切力が必要なので、マイナスを埋め合わせした上に、さらに余計な親切力をどこかで稼がねばならないのだ。
だからといって何でもかでも幾らでも親切にすればするほど良いというものではない。市場はある程度の柔軟性を持っているが、誰かが滅多やたらに親切を行うと、親切インフレがおこる。流通親切の量を減らし親切の価値をインフレ前と同じに戻そうとする事を親切デフレーションという(意味不明)
とにかく不親切にされながら親切にするのには、大変な労力を要するのだ。


私は思いました。オジサンが別の映画を見るつもりで別の階で降りても、もしそれが私の目的の映画よりも上階なら、私は位置エネルギーを運動エネルギーに変えるのは割りと得意とするところなので、そのまま降りてきながらちょっと横に移動して映画を見に行くかもしれない。もし駄目だったらそのまま降りてくれば良い。

オジサンがエレベーターを降りる。
私も降りる。

そこは、ハリポッタ(字幕)の階で、ちょうど目の前に改札?があります。グッジョブ、オジサン!私は労せずして映画館に入れたのでした。



ネタバレ感想>
音楽がなかなか好みだった。私はコッチの方が前二作より雰囲気は好きかもしれない。原作よりも人間関係のギスギス度が減り、終始和やかなムードで見やすかった。

ルーピン先生を一番好きな某嬢は八の字ヒゲがどうも気になるらしいが、私はとても良いような気が。原作は私的にイマイチだった所為もあるのか、映画の方が好きだ。
反対に、シリウスは駄目っ子一割増しぐらいで、もはや可憐(=憐れむべし)な状態になっている。どこまでも私の邪魔をする男よ。

狼人間がどこらへんが狼なのかイマイチわからず、そして犬は可愛かったです。結構小さい上に、妙に顔が可愛かったです。

「俺は普段は良い犬なんだ」
そんな事を真剣に訴えるな。
「ジャームズにも『おまえは犬の方が良い』と言われた」
そんなコトを嬉しそうに言うな。
「尻尾があるのは良いんだけど、ノミが嫌だ」
リアリティを高めるな。

可愛いじゃないの!
野郎、原作より二割増し可愛くなっています。どこまでも私の邪魔をする男…。
人は役者の人の顔が結構好きとか言っていましたが、私は役者の顔よりも犬顔が気になります。

あの犬は良い…ッ!

今回あんまり活躍しないスネイプ先生が、言い争うルーピンとシリウスを評して「夫婦喧嘩」などと余計な一言を言ったので、こんな想像が駆け巡りました。

>>

良いとこの御令嬢であった世間知らずのシリウスは、無実の罪で終身刑に処せられ、凶悪犯ばかりが収容され、脱出不可能と言われるアルカトラズ刑務所にブチこまれていました。
シリウスが再婚していた二番目の夫ジョン(リーマス・ジョン・ルーピン)は、離婚手続きはまだとはいえ、もともと傲慢で自分勝手なところがあったシリウスが、別れたとは言え前夫ジェームズと友人リリーの再婚を許せず、実家の繋がりが噂されていた某有名テロ組織に依頼して、二人を殺害し、警察への出頭を勧めにいった友人ピーターを、なんの罪もない沢山の人々をも巻き添えに爆破して殺害したと思い込んでおり、面会にも来てくれません。

「不治の病の上に伝染性があり差別の激しい狼人間病の為に定職にもなかなかつけず、良いとこのお嬢さんであるシリウスには貧乏な生活が耐えられなかったに違いない。シリウスが幸せに暮らしていればあんな事にはならなかった」と自分を責めつつ、シリウスを許せないでいるジョン(リーマス)は、裁判所に離婚の手続きを申し出る事も忘れ、辛い過去を忘れるかのように懸命に、主に肉体労働で暮らしていました。

ある日いきつけの呑み屋で恩師ダンブルドアと再会したジョン(リーマス)は、彼が校長を務める学校で教員の椅子が一つ空いた事を知ります。その学校にはポッタ夫妻の忘れ形見ハリーも通っているのです。ちょうどその頃、新聞ではシリウスが人権無視の甚だしいアルカトラズでの生活に耐えられず、ついに脱獄に成功したという記事が一面を飾っていました。

恩師の勧めに従って、ジョン(リーマス)は教職に就き、ジェームズとリリーの忘れ形見であるハリーの成長を影ながら静かに見守って生きていきたい、それがポッタ夫妻への供養になると平穏な生活が続く事を祈っていました。
しかし「シリウスはまだジェームズとリリーを許していない。きっとハリーが生きている事を知って、再度殺害を試みようと姿をあらわすに違いない」という当局の見解もあり、平和な学園には厳重な警戒網がしかれ、不穏な影が近づいていました。

脱獄不可能なはずの刑務所を脱獄されただけでも顔に泥を塗られているのに、その上に再犯を重ねられては警察の面子に関わります。幹部の首がいくつ飛ぶことになるでしょう。シリウスには「発見と同時に問答無用で射殺」の許可が下りていたのです。

「シリウスがハリーを殺しに来た時には、刺し違えてでも、夫であるこの私がッ!」と決意を新たにしていたジョン(リーマス)でしたが、爆弾で殺害されたはずのピーターが生きている事を知り、突然霧が晴れたように事件の全貌に気がつくのでした。

大体、在学中からシリウスは、かつて黒い商売を生業としていた名残が苗字に刻印されており、豊富な資金源など、現在に至るまで裏社会との繋がりが噂されている実家を毛嫌いしていましたし、ジェームズとリリーが再婚した時にも平然と結婚式に出席し、新郎新婦よりも浮れ、心から祝福しているように見え、ハリーの名付け親に喜んでなったほどなのです。
勉強はできるものの、ちょっと人間関係に頭の弱いところのあるシリウスに、そんな大女優みたいに難しい演技ができるわけがなかったのでした。

夫であるジョン(リーマス)には、そんな事はよくわかっていたはずだったのに!

つい、普通の人間の思考回路(主に自分)を基準にモノを考えて、ありえない想像をし、しかもその方が(自分的に)もっともらしいので信じ込んでいたのです。
「すまない、シリウス!事件の規模とあまりのショックに、おまえが根っからアホである事を忘れていたッ!」
自分の不明を恥じたジョン(リーマス)は、シリウスとハリーのもとへ急ぐのでした。



>>

武装解除してシリウスを助け、目が合った途端、すごい勢いでルーピン先生に飛びつくシリウスは、
「あなた…ッ!」
という感じでしたからね。ちなみに、何故にジョンかというと、その方がより「っぽい」からです。Jはジョンであるという噂を聞いたのでした。

ちなみに狼人間を止めようと頑張る、「微妙に小さい」犬の様子は↓


『アンタ!また呑んだのかい!?』
アル中で暴れる夫。子供に暴力を振るおうとするところを取り縋って必死に止めようとする妻(生活にやつれ気味)
しかし力及ばず、振り払われた拍子にタンスに叩きつけられて気絶。
父は酒場へ繰り出す。
『母さん、シッカリ!はやく救急車を!』
そこへ暴力団が借金のとりたてに…!
二人とも生命保険をかけられ自殺を装って殺されそうになったその時、亡くなった前夫の位牌が眩く光り、仏壇の裏から大金がッ!


↑みたいで、面白かったです。


2004年07月05日(月) さーふぁー。

少し前に某嬢と話をしていたところ、何故か忘れたが<エスケープ・フロム・L.A.>の話になった。
パッケージの(映画の中でもだが)あまりにも奇抜なカートラッセルはとってもよく覚えていて、「たぶん見た…ような気がする」という事はわかっていたが、物語はスッコン。激しく忘れていた。

大体私は滅多にテレビで映画を見ないのよ。テレビ放映は大体吹き替えだから。頭が悪いからついていけないのよ。アクションシーンを早送りできないし。
…いえ、アクション映画は好きよ?
ただアクションシーンで、バババババとかドドーンとかドカンバコンとか鳴るのが五月蝿くて集中できない。アクションシーンが静かだったら良いんだけど。
某嬢が言うには、アクションはあの騒々しい音がないと爽快感に欠け、駄目でイマイチなんだそうだが、しかし私はあの音は五月蝿くて駄目なのよ。
演出で音声がほぼ全カットされてたり、代りに安らかなミュ〜ジックが流れていたり、スローモーションだったら、早送りしないでちゃんと見る。そんでお気に入り(苦笑)

とにかく、そんな私がテレビ放映を見たのだから、「吹き替えのテレビ放映でも平気で見れるような映画だったんだろう」という事は、思い出せなくてもわかっていた。そしてどんな話だったのかが頭からスッカリ消え去っていたので、つまりそういう話だったんだと思っていた。「見たのに、内容を全く思い出せない」という事は、「もう見なくても良いよ。忘れても良いの」と脳が言ってるに違いない。

私は一度関わりをもったモノは、大体常日頃はすっかり忘れていても「なんとなく」覚えていて、それを目にした途端「私、このヒトを知ってるわ」とピピっと来るシステムになっている。レンタル屋でインパクトのあるジャケットを発見しては、「これは見ないやつだ」とチェックし、借りようかどうしようか悩むリストから迷わず削除し続けていた。

ところが、某嬢の話によれば、私は某嬢と同じ時にテレビ放送された<エスケープ・フロム・L.A.>を見て、電話で語り合ったらしいのよ。
「は?なんの話?」だわよ。

某「サーファーについて話したじゃないの!」

サーファー!

…誰、それ?
こうなってくると、途端に気になってくる。私が興味を示したらしいサーファーとは一体何者?それはどんな登場をし一体何をし、何故私は興味を示し、それについて何を語ったのだろうか、まるで思い出せない。キレイにデリートされている。
が、そうなのよ。
確かに言われてみれば、「エスケープ・フロム・L.A.」と「サーファー」という言葉の間に感覚的な反応がある。その二つの信号はかつて結ばれた痕跡が感じられるのよ。匂いがするっていうか。警察犬を使って逃走経路を追ってみたが、「数日前にここを犯人が通ったようだ。だが昨日の雨で匂いが流されてしまった。この先の追跡は不可能だ」という感じ。
ああ、気になる!サーファーって何!?


それで、もう一度見る事にしました。
OPからすぐに設定説明の過程で、一瞬海がうつります。
ココかッ!?
サーファーは出ませんでした。フー、驚かせやがる。

始まって二十分ほどで、主人公は流刑地になっているロサンゼルスに到着。
夜の海に、あやしい黒い数人が登場。初めての遭遇した現在のロス住人です。現地人。
何故かサーフボードをもったものが混じっています。
これか!?これがサーファー!?
見るからにあやしい赤いレインコートのオジサンがいます。すごくあやしい。「ビーチから出て行け」などと声をかけられ、私は「彼か!?」と思いましたが、すごくアッサリとおりすぎてしまった…。

……段々心配になってきます。まるで恋する人間のように。
もう私はサーファーの事など何とも思っていないのかも!もう見てもわからないかもしれない。記憶がないので感じなければわからないのに、感じないでどうやって彼(彼女?)を探せば良いの?!

私は普段なんでもベラベラ書くように、通常、陳述可能な記憶を多用し重用しています。しかし、幼少期に殆ど喋らなかった私の認識と記憶の本分は、言語にはありません。陳述記憶がデリートされている上は、いかに鈍っていようとも本来の本分に頼るしか。
私のサーファーはまだ出ていないと信じるしか。

そして一時間ちょっと経過。
下水か排水溝を主人公が流されていった後、画面が変わり、突然右端に立っているサーフボードをもった男。


こいつじゃッ!
私のサーファーはきっと彼!もう絶対、彼!
でも何でそんなところに?!何をしているの?!(まだ思い出せない)
ハッ!あなたはまさか、ビーチの平和を守る赤いレインコートの人!?やっぱりおまえだったのか!

「俺は波を待ってる、でかい波を。ツナミだよ、スネーク。ついに来た。待ち続けた波がついに来たんだ。シビれる」

そして数分で「またな」と去っていき、もう出てきませんでした。

なんてイカした人!
ええ、きっと私はこの人を好きだったのに違いありません。私にはわかるの!あの時も私は、きっと彼を好きになったんだわ!


しかし何を語りあったのか全く思い出せないので、某嬢に確認したところ、「イカしたサーファー。渋い」という事ぐらいしか喋ってないらしい。
そのまんまじゃないの。


2004年07月04日(日) びっしょり。

今日も暑い暑いと思ったら、お天気情報で汗かき指数4とかでした。最高は何?
指数4では表記「ビッショリ」

全くそうよ。まるでプールにでも入ってるようよ。飲んだ水分が全部出て行くかのような、黙って座ってるだけで「汗腺の配置がわかる」汗の出方。ゾーキン絞りされているよう。
いっそ、水分をあまり摂らない方が良いのかもしれない。しかし、薬物中毒者のように水分を渇望する感覚に陥るのはイヤ。
内臓が脱水して、咽喉が乾ききっているにも関わらず、五分に一回小匙一杯の水分(しかも水道水は飲めなかった)を意地汚く舐める事しかできなかった惨めな日々の事はけして忘れません。しかもそうやって私が水すら飲めない状態であるのに、そういう匂いを嗅ぐだけしかできない人間の前で、その日の食事にカレーライスをチョイスした人の無情も、そうそう容易くは忘れる事はできないでしょうネぇ(はんなり)
(注:日本人らしく子供の時からカレーライスが好きで、三ヶ月に一回ぐらいしか食卓に上らないカレーライスを大変に非常に楽しみにしていた。入ってる肉(蛋白質)が合挽ミンチでもソーセージでも、それどころかチクワですらカレーの匂いがしカレーの味がするというだけで容易に許せるほどに、カレーライスを希求し、愛していた。)

ゼイゼイハアハア。
サウナだって血圧が高い人間には非常に危険なのよ。こんな二十四時間入ってるようでは。いえ、私は血圧は平常だけど、でもリラックス状態での心拍数が100だから!(今にも止まりそうじゃ…)

ちなみに、明日は指数3で、じっとしていても汗が出る「タラタラ」らしい。
それも嫌な感じだが、今日よりはマシという事だろう。しかし予想最高気温は明日の方が高いのだった。


ネメシス S.T.X.>
ネタバレしてるのかも。でもこれはジャケットでネタバレしてるよね。
ネメシスって何だろう?なんでタイトルがネメシスなんだ。あの最終兵器の所為?

一応最終回なので、それっぽく。
最終回だのに、Qが出ないってのが淋しいが、しょうがないか(笑)

シンゾンはビデオの表紙を見ただけで正体が朧にわかるという魅惑の「謎のキャラ」だが、それもこれもあの頭の形の所為だ。
身長はどうにでもできるとして、頭蓋骨の形でオーディションしたのだろうかと疑う。オーディションの申し込み用紙と注意事項には「当日は必ず剃髪してきてください」と書いてあったり。

いや、あそこまで(頭の形が)ソックリだと、きっと特殊メイク(?)だろうと思うんだけど。日本の力抜けてる時代劇のように、カツラの根元がわかったりしないかと一生懸命見ていたが、流石に映画は違うだ。割りと自然で(あの顔の輪郭線で、あの頭骨になるのは少し不自然な気もするが)、「きっと頭蓋骨のレントゲン写真でオーディションしたに違いない」と思わされる。CGかな!?

大体、何故、ハゲているの?
やっと不思議に思った。
始まって直ぐに、拾われたばっかりのビフォアー(頭)が、戦闘中の艦長の頭に対して自発的に「なぜ光っている?」と尋ねてくれるので、この映画のメインテーマが非常に特徴的な艦長の頭部にある事が印象づけられる。うん、ネクストは、ふさふさだったファーストのカーク艦長に比べてピカード艦長のツルツルの頭で人気を博したんだわ。初めて見ると結構なインパクトだものね。
名前まで、ピカーだし!(意味不明)

ネクストを見てお気に入りになり、「面白いよ」と薦めてくれた某嬢は、なんだか知らないが最初から今に至るまでずっと「ハゲ☆ハゲ☆」と喜んでいるぐらい。
私は「ハゲは差別用語になるのかどうか」についてずっと悩んでいる。

高校の時の英語が大の苦手だった友達もハゲが大好きで、英語の授業中は授業など全く聞かず、英和辞典を最初から最後まで捲りながらハゲという日本語を探し、ハゲの英単語と、例文の中にハゲが出てくるものを隅々まで残らず入念にチェックして一時間中遊んでいた事を私は知っている。
机には「彼はかんぜんにハゲている」等の英文がカッターで掘りぬかれており、きっと学校中探し、たとえ一発で東大や早稲田や慶応に受かっていった連中の中にも、彼女ほどハゲの例文に詳しいのは間違いなくいなかった…と確信している(しかし英語の評価は常に補習レベルだった)
英語の辞書の使い方(引き方)すら知らない(覚える気がゼロ)というのに、ハゲを探す為ならば2000ページ以上ある辞書を黙々とチェックする執念と根性と努力と忍耐力だった。きっとああいいうのが「天才」タイプなんだ。無冠の帝王ってやつだよ。
それは良いとして。

パトリックのチャームポイント(=他人を魅了する点)は間違いなく、あのツルツルの頭と、一度覚えたら人込みの中からでも捜し出せる特徴的な頭の形なんだ。

「艦長は、年をくってはげたのだろう」と自然に思いこんでいたのに、若い時から一本の髪もなかった事がわかった。しかも、では生まれつき頭髪がなかったのかというと、少年時代にはフサフサあったのだ。
…私はジェネレーションの全ての話を見た事なく、設定も全然詳しく知らないんだが、その「少年時代に発症した非常に珍しい病気」というやつの所為なのかなあ?
そんな深い設定だったの。あの頭は?
青年時代には当然のように髪がなくなっていて、その事について二人が一言も語り合わないのは?「その病気について、よく知っているはずだ」と言って、終わってしまったのは。
何、二人はその辺から強烈なシンパシーを感じて、お互いにそれに言及したくない事がわかってるの。翌日のディナーで、でなかった食ってるシーンでは向かい合ってしみじみと失った毛髪について語っていたんじゃないんか。


ところで、「全く同じ構成要素(遺伝子)をもって全く同じ環境におかれたら全く同じ人格になるのか」という問題について云々されていたが、そのへんについては、映画の中ではどう結論されたのだろう?

なんかあったよね、そういう研究と調査が。一卵性双生児とか精神疾患や、犯罪者の脳や遺伝子の調査とか。私にはよくわからない。受精卵は生命か、胎児は人間かどうかというのも、私にはわからない問題だよ。

艦長とデータが色々喋ってたけど。最後までよくわからなかった。
艦長が自分とシンゾンは元は同じだから、同じ環境におかれ、同じ経験をすれば同じ人格になるかどうかについてデータに尋ねたら…、データははっきり理路整然と論理的には言ってないよな?「二人は違う個人だ」みたいな事は言ったか。
しかし自分とビフォアに対しては、ラフォージに「ビフォアに同じ記憶を入れたら、おまえが二人になる」と言われた際に「そうだ」と肯定しているし。
あのへんがよくわからない。

だいたい私には、シリーズの最初から最後までデータの扱いがよくわからなかったしな。
「人間が」「人間が」と何度も出てくるが、あそこで言われている「人間」ってなんだろ?
異星人(異種族)は主に人間扱いよな。性質や体質や能力や考え方や正確の特徴が違っても、それは人間の「個体の違い」程度の認識で(極端でも)。
半機械のボーグでも種族なのに、データは一種族になれないのか。
(そういう話がどこかであったわね。でもあの時の結論を忘れた)
ただどちらにしろ、本人が一番「自分は人間で無い(=生物ではなく物である)」と厳格に考え感じていて、他人のデータに対する応対は「ものすごく極端な個性をもつ人間」扱いで結構アバウトでいい加減だったけど。
脚本的にもそんな感じが時々して、それがまた奥歯にモノが挟まったような感じがしたんだが。
そのへんの、知識とは別に、自分が感じた感じ方を基準にカテゴライズするドンブリ勘定加減が、まさに人間の特徴なのかもしれないが。

私的は問題が、ちょっと色々あって、色々考えちゃうのよ。好きは好きなんだけどさ。

データの所謂人間性の発露、行動の選択や表現は、ひたすらテクニカルという事になるだろ?「感情は全くない」という事になっているんだから。論理的にアアなるという事になる。
彼の行為や言動に温かみが感じられるのは、技術的に不完全で、人間らしい応対ができないからだ。人間として期待される相応しい応対ができず、「変」なものだから、その人間らしくないところが、めちゃめちゃ人間らしくみえるわけだ。
もしもデータが「すさまじく人間らしく見える機械」になったら、やつは応答と選択の間違いと失敗を、計算してやらなければならなくなるんじゃないかな。どういうミスを犯しやすいか、その頻度と確率はどれくらいかというのは、個人の性格に深く関わるだろうから、「どういう人間に見えるようにするか」をまず選択しなければならないだろうが。

もしも内的にも人間らしいのなら、「人間らしく見えるようにあるタイプの人間を正確に演じ続ける」事を躊躇うんじゃないかな。人間のように見える行動を人間のように見せる為に選択したくない衝動が、その人間性だ。
彼が人間らしく見え続けるのは、「自分は人間ではない」と思考が制御されていて、そのために「人間のように選択し振る舞う」事を全く躊躇わないからじゃないのかな。絶対に人間にはなれない。永遠に「人間になりたい機械」のままだが、その代わり、下手をすると人間よりもよほど人間らしく見えるだろう。

データがフリーズするようなすごいエラーを起こさせるには、「自分は実は人間だ」と信じさせればいいんだよ、きっと。ものすごい混乱をして、機能を停止したんじゃないかと思うね。

でもどうだろう。人間は人間を演じるしな。
「機械に心は生まれるか?」という問題が昔からあったが、「人間に心はあるのか?」という問題は誰が考えたんじゃろ。誰が最初に言い出して信じたんだろうな、「人間には心がある」なんて。

こういう事を考えるから、データを好きになったらイケナイねん!アタイは!何事もほどほどに!
いかんいかん。いやんいやん。


ビフォアがデータが歌ってた歌を歌っていたのが、「そのうち(データを)理解できるようになる」という言葉に集約されるように、希望なのかもしれないが。
その希望とはどういう希望だろう。
やがてビフォアがデータ「のようになれる(かもしれない)」という希望か、それとも、ビフォアがデータ「になれる(かもしれない)」という希望だろうか。

データとしては「ビフォアは自分になれる」と思っていたかもしれない(改造とか改良とかすれば)。少なくとも、最初にラフォージに「同じ人物が二人になる」と答えた時点では。
それとも、艦長とシンゾンを見て、後半で艦長の憂いに答えた時点では、彼の考えは変わっていたんだろうか。

…人間の感覚としては、データは永遠に一人のような気もするよな。
私としては、やっぱりバシっと「死んじゃった!」という感じがするわよ。それで心がモジモジする。

もとから私は、仮に精神活動を全てデータ化できるとしても、それを本人だと感じられないからかもしれないが。それで鋼の錬金術師の弟君がものすごく微妙なんだ。
攻殻機動隊なんかゴースト・イン・ザ・シェルで私の中では完結していたしな。私の感覚では、イノセンスに出てくるのはアレは素子さんじゃないもん。素子さんの記憶を持っている「変なやつ」だもん。

それで艦長とシンゾンがお互いに拘るのが、心情的に共感できなかったのかも。
私にだって確かに子供の時の記憶があるが、もしも目の前にタイムスリップか何かで子供の時の自分(本人)が出現したとして、自分だと感じないように思う。子供の自分が死んだらおまえは消えるぞと言われたとして、「そら普通に考えたらそうなんだろうな。…だから?カンケー無いじゃろ」と感じるような気がする。
今ここにいて「私」と思っている私ではないものは、全部他人だ。知らん人じゃ。

たとえば、昔約束をして、その約束を守ろうとしたとして、それは昔の自分が約束をし、つまり約束をしたのが「同じ自分だから」ではなく、昔自分がした約束を守りたいか、守るべきだと「今の自分が感じているから」だろ。違うんか。
だから「他人がした約束を自分が代りに果たそう」だとか、「他人の夢を自分が変わりに叶えよう」だとか、「他人の義務や責任を自分が果たそう」などという思考が出現しうるのであって。それは自分が約束をしたり、最初に夢見たり、自分が義務や責任を感じたわけでは全然ないが、「今の自分がそうしたい」からだろ。
前からそうしたかったとか、急にそうしたくなったとか色色あるけど。
無論、そうしたくなくなる事もある。
「そうしたかったんだが、途中でそうしたくなくなって、そうしない事にしたんだけど、急に気が変わってやっぱりそうした」なんて事もあるだろう。…人はどうだか知らないが私はあるわよ。

人の心はプログラムを打ち込むようにはいかないのよ。
言うなれば、一瞬で決まるねん。だからその時に、ひょっとしたら逆を選んだかもしれないというのも結構ある。でも「だから?」と思う。だからなんだ。その瞬間があった。それが全部だ。「それを選ぶ」のが自分なのではなく、「それを選んだ」のが自分だ。だから一瞬が永遠だと私は感じるんだろう。
もしもその時に違う選択をしていたり、違う事が起きていたら、それは赤の他人の話なので、私の知ったこっちゃないわ。

そりゃ「もしも自分だったら(彼彼女の立場経験に「今の自分」がなったら=もしも彼・彼女が自分だったら)」と考える事もあるけど、でもそれはそれだけの話だ。もしも本当に自分がそうだったら、その自分は私ではない。そうではない自分が「もしも自分だったら」と考えてみただけの話だ。本当にそうだったら、今の自分が今思うようには、その自分はしないかもしれないものな。試しに考えてみただけで。
それよりは、「もしも彼・彼女だったら(=もしも自分が彼・彼女だったら)」の方が活用のあてがある。それは「自分が彼(彼女)だったら、彼(彼女)である自分はどう考え、どう感じるだろうか」という思考で、まだしも真っ当な推量だ。
…言葉におこそうとすると、正確に表現するのは難しいわね。

ともかく、同じ細胞でできているなんてレベルじゃ、すごく他人だろう。
古風なのかしらないが、私的には個体は「体込み」なのよ。だが、仮に科学が発達して千年生きられたとして、千年後の自分を自分だとは感じないように思うよな。おもいっきり知らん人じゃろ。
古風なんじゃなくて、単に刹那主義なのかもしれない。


2004年07月03日(土) ウロウロする。

…暑い。私の大嫌いな夏の気配がする。
暑い。ダルイ。シンドイ。
「夏になると、どうしてそんなに痩せるの?」という人様の疑問について、考えてみましたが、それは私が水っぽいんだと思われますよ。脱水されてるんだよ、きっと。それで、冬になったら注水されてるんだ、たぶん。

…と、思ったんだけど、それだけじゃない気もする。

ちょっと前に、なんとなく熱中症等について調べていたんだが(何故とか聞かない)、そういうのは、単に暑いからなるわけでもないらしい。気温が低い冬などでもならんでもないらしい。
要するに、外に逃がせる熱量と体内に溜まる熱量のバランスが崩れて、熱が体内に篭ってしまうとなるらしい。夏は気温も高く、体温も上昇するのだが、大量に汗をかく事で、汗が蒸発して気化する際の気化熱として消費し、バランスをとるらしい。ところが湿度が高いと、汗をかいても気化しなくなり熱が消費されない。ひたすらダラダラ汗をかくだけで、ちっとも熱が下がらないわけだ。
熱中症なんかは、治療の方向としては珍しく、体を冷す事が基本の治療なのよな。

痛い時などに患部に何故か無駄に手をあててしまうのは、要は「(無意識に)とにかく温めようとしている」という噂がある。デパートの会員になると送られてくる怪しい雑誌の特集だったので、ツッコミどころ満載で、なんだか激しく疑わしかったけれど。

切り傷や裂傷などの場合には患部を圧迫する事による止血の効果もあるのかもしれないが、とにかくそれぐらい応急措置と治療の基本は「とにかく温める」事が多いのだそうだ。「だいたい温めておけば間違いない」って噂で、気をつける事は、非常に稀にだが「冷さないといけない」場合があり、その代表が熱中症などだそうなのよ。
あー、でも熱中症などで酷い時には、顔色が真っ白になって気を失ったり、汗をダラダラかいているのに体はめちゃめちゃ冷たくなる、なんて事があったように思うが、その時はどうするんだったかしら?(その時は「一刻を争うので、素人は迷わず救急車を呼べ」だったきがする)

…私は医者じゃないので本当かどうか知らない。
が、前に深夜テレビで外国の先進医療に関する番組を見ていた時には、救急医療で皆がとにかく必死に体温を下げないように延々と努力していた。その回のテーマは「魅惑の肉体」で(ちょっと違うかも。でも「人体の神秘」みたいなのだった)、普通なら本来そうやって体温の低下を妨げるところを、これまでの常識を覆す画期的な救急治療として「生命活動停止寸前まで活動のレベルが下がっていくのを放置する」とか言うのをやっていたのだ。
「何故そうなり、何が起こっているのか?」という理由と、「何故放置した方が助かる確率があがるという事実を発見しえたのか」という話をしてて印象に残った。

ともかく、だから「基本的には体を冷してはいけない」というのは「医者にとって常識である」と言われても本当っぽいような気もする。

私はそんなに汗をかかない(汗腺が少ない)体質ではないけれど…。

夏は体温がどうの以前に、息苦しい。ほんとーに、息苦しい。
ひたすら湿度が高いのがイケナイんじゃなかろうか?
要するに、夏バテして、一週間で十キロだとか、ギネスに挑戦な激痩せをするわけよ。自分でも物理的に不可能なスピードでのありえない痩せ方、という気がしないでもない。確かに奇跡を起こしているだけあって、気分的には死にかけている。暑いだけだのに。まさに肉体が燃え尽きてる感じだ。

そういえば、ちょっと前に、人が「ねんしょけー♪ねんしょけー♪」と歌っていたので、「ねんしょけーって何?」と聞いたら、「あなた!ねんしょけーを知らないの!?」と言われた。ジネンジョーなら知ってる。
「駄目じゃないのー!」とゴッツ馬鹿にされた。ネンショケーなんてアヤシイ言葉は知らないわ。「なにそれ?ギャルの新語?」と思った。
私はあんまりテレビを見ないが、某お姉さんは大流行の事は大抵知っている。お姉さんは自分は流行に全く詳しくないと思っている。ので、その全く詳しくない自分で「すら」知っている事を全く聞いた事がないなどという事は「日本人としてなっとらん」と感じられるらしいだ。
私が思うには彼女がパーフェクト日本人で、私はノーマルな日本人だ。ちょっとテレビ見てない事があるだけだ。

ともかく、それでネンショケーCMを説明してくれたが、日本語って難しいのよ。目で見た事を他人がわかるように説明するってのは難しい。
すっごくわかりませんでした。でももう見たからわかる。

此間テレビで「アミノ酸ダイエット」というのをやっていた。食事の前後や睡眠の前などに脂肪燃焼アミノ酸だか何だかの錠剤を飲み、加えて軽い有酸素運動をするのだ。すると通常は有酸素運動を二十分ぐらい続けて、やっと脂肪がエネルギー源として使用され始める、燃え出すところを、それを服用していると脂肪燃焼のスピードがはやくなるという話だった。
きっとその辺から来たんだろうね。ネンショケー。

だけど変だわ、ネンショケー。だってネンショケーだよ。


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