非日記
DiaryINDEXpastwill


2004年05月31日(月) やれやれ

これはある愚かさんの記録です>

ある日、アタクシはふとADSLの事を考えました。
そしてN○Tと契約してみました。するとしばらくすると、モデムが送られてきました。
アタクシはとりあえず接続してみようと思いました。
…なんとLANポートとやらがありません。
アタクシは色々と調べ、かつ考えてみた結果、LANポートとやらを捏造しなければならないらしい事実を発見し、さらに埋もれていた説明書を掘り出して探検した結果、この年代物にLANカードを増設してLANポートを作れるらしき事実を見出しました。
問題は解決したわ!
私はLANカードを買いに出掛け、「設定できますか?」と心配そうな店員を背に「ホホホ。ならなかったらまた来ますワ」と答え「なんとかなるって!…たぶんね」と朗らかに帰宅しました。

アタクシの良いところで悪いところは、神経質なところもあるけれど、難しい事態になったり、にっちもさっちもいかなくなった時等には、「まあ考えてもご覧なさいよ。最悪でも○○××になるぐらいだろうさ」と、途端にいい加減で楽天的になるところなのです。

帰宅すると早速私はLANカードを増設してみました。
ついでとばかり、ADSL用のモデムも繋いでみました。設定もしてみました。
当たり前ですが、繋がりません。
それどころか全く応答しません。
アタクシははたと思い至ってみました。思うに、モデムは現在二つあります。両方が同時に反応しようとするので喧嘩になって、私の言う事を聞けないのではなかろうか?
ひょっとするとハードウエアの競合というやつかもしれません。それが何の事かわかれば苦労はしないのですが、ものは試しです。私はこれまでダイヤルアクセスに使用していたモデムを黙らせました。
あいかわらず接続はしませんが、接続しようと試みてはくれるようになりました。
それで良いのよ、ダーリン。
アタクシはさらに色々とつついてみた結果、これより先はプロバイダとADSLの契約を結ばなければ「試しに」もヘッタクレも無い事を見出しました。

問題はもっと色々とあるようで、OSがめちゃくちゃ不安定になってしまいました。ダイヤルアクセスであろうと、インターネットの接続に関する何かをしようとすると途端にフリーズします。
そこでアタクシは、これより先の探求はプロバイダとの契約を終了してからにすることにしました。まずADSLの接続ツールをアンインストールしました。
駄目です。さっぱり言う事を聞きません。
次に、ADSL用のモデムを外し、もとの配線に戻しました。
駄目です。言う事を聞きません。
アタクシは、インターネットの接続に関する事を行おうとする度に生じるフリーズの嵐と戦いました。

OSがこれほど不安定になっているのは、どう考えても増設したLANカードの所為としか思えません。何故なら、それ以前までは、これほどではなかったのですから!

アタクシはどう贔屓目に考えてもPCに詳しいとは全く言えません。
そこでアタクシは電気屋さんの事を思い出しました。そう、接続設定を代りにしてくれるサービスがあると言っていました。勿論有料ですが。アタクシはその時、横にそのようなPC及びインターネット、ブロードバンドに関するサービスコーナー(有料)がある事を確認しておいたのです。
あそこで相談して「ヨロシク」してもらったらどうでしょう?

ここで、アタクシが気忙しく思っていた理由を一つ説明しておかねばなりません。つまり、アタクシはまたもや「日記に要らん事を書いてしまった」と思っていたのです。「はやく削除しなければ」と熱く思っていたのですが、その前に試しに色々とつついていたのが間違いの元だったのでした。熱く思っていたのなら、削除してからつついてみればよかったのです。
しかし私はその時、こんなに面倒な事になるとは、あまり考えていなかったのでした。ADSLモデムのドライバを削除して、回線を元に戻してしまえば、すぐに元どおりになると思っていたのでした。ところが元どおりにならなかったのです。
アタクシは思いました。
「とにかくアタクシは、はやいところ通常通りダイヤルアクセスで接続してしまいたいのよ!そして、日記を消さなくっちゃ。大体さもないと、ADSLプランへの変更もできないじゃないの!」
さらにアタクシは思いました。
「このすさまじいフリーズの嵐は絶対にLANカードの所為に違いないわ。勿論、これを増設したまま万事を上手くやる手段があるに違いないのよ。だけどその方法が全く簡単にわかるんなら、アタクシには断じて困ってはいないのよ。それからアタクシはどうも気が急いているし、疲れてしまったわ。よくわかってない人間が色々と弄るほどよくない事はないのよ。さらにおかしな事にしてしまうに違いないんだもの!難しい事があったら、それはプロに任せるべきだわ」

そういうわけで、アタクシは翌日件のコーナーに向いました。そこで料金表を眺めて、そこに書かれてある事実に身震いしました。「なんですって!?どういう事?もう一度言ってちょうだい!」
アタクシは即座に、たとえば誰だか気のきいた店員が「かもが来たようだ」と判断して親切そうに「どうかなさいましたか?」等と話しかけてきたりする前に!素早く出口に向ってクルリと身を返しながら思いました。
「つまりこれは、アタクシはもうちょっと本気になって、有らん限りの努力を試してみなければならないという事を意味しているわ。…わかったわ。アタクシは自分にできる限りの事を試して事態の収拾と復旧、せめても原因の究明にせいを出してみるしかないのよ。だって今の状態では、つまり料金表における<トラブルの解決>というやつに相当してしまう可能性が高いのよ。それは<インターネットの接続設定>なんて項目の何倍もの法外な料金を取られてしまうの。トラブルの内容、困難さに関わらずね。さらに料金は時間によって規定されているから、それだけでもかなりの高額だと感じられる料金表の金額で済むとはちっとも限らないってわけなのよ」

アタクシは家に帰りながらも考えました。
「良いこと?
確かにアタクシは機械に関しても全く詳しくないし、熱心に独学した事だって胸を張って一度も無いわ。たとえPCの時計が遅れていてもBIOS設定を弄って正しい時刻に戻そうとした事すら無いわ。もしも説明書に『コンピュータに詳しくない方は設定を弄らないでください』等と書いてあったら、勿論『この<コンピュータに詳しくない方>というのは、つまりこのアタクシの事よ!』と、自信をもって触らなかったのよ。
だけど、ビデオデッキを普通に使おうとして『再生!』と言いながら、一生懸命に停止ボタンを押し、『再生しないぞう???』等と言ってる親父さんよりは、なんぼかはマシには違いないと思うのよ。そうではないかしら?
…つまり全てを<元の状態>に戻す事ぐらいなら、できなくもないかもしれないわ。
そうしたら、プロバイダとの契約が無事終了した暁には、たとえそこでADSLの設定にしくじったとしても、そしらぬふりをして『ADSLでの接続ができないんです☆』と可憐に素朴に頼む事だってできるのよ。法外な料金を請求される<PCのトラブル>なんてオゾマシイ項目ではなく、もう少しはマシな料金の<インターネットへの接続>に該当する項目として依頼できるってわけだわ!
わかった?つまり、アタクシは当面、一人でなんとかするしかないんだわ。万札が惜しいならね。そして惜しいわ。できる限りの事、思いつく限りの事をしてからだって遅くはないかもしれないわ」

アタクシは工具を扱っている店に行き、プライヤを購入しました。
前日の夜に、とうとうネジ山を潰してしまったからです。
プライヤとは何の為の工具なのかよくわかりませんでしたが、これなら飛び出ているネジを押え込んで回転させる事ができそうだったのです。家にある道具を試しきって、もうどうする事もできないところまでに悪化させてしまったのでした。

なかなかに暑い日です。アタクシは呼吸を整え、汗を拭いました。
「よい事?よく落ち着いて、よくよく考えてやらなければいけないわ。さもないと、もっと酷いトラブルに発展させてしまい、もう本当にどうしようもない事が明らかになって<PCのトラブル>で依頼する事を観念した時には、複雑怪奇な状況にしてしまっており、トラブルの解明や処理にかかる時間が長くなってしまって、余計に金がかかるかもしれないもの。
そんな事になるんだったら、いっそさっさと頼んだ方がよかったのよ!…って事にならんとも限らないわ。今だって、その方が良いんじゃないかって気もしてるぐらいですからね!」

アタクシはそれ以上云々する事は止め、黙って早速とりかかる事にしました。
工具を取り出し、PCの腹を切開するとサクっと増設カードを取り外し、腹を縫い閉じると配線ももとの状態に全て戻しました。もちろん、ドライバは昨夜のうちに削除してあります。
これまでにもさまざまなトラブルを引き起こしてきた結果、そのような作業ならばもはや説明書無しでも、サクサクできるようになってしまったのです。
伊達にネジ山を完全に潰してしまうほど、開けたり閉めたりしているわけではありません。

ここ数日に至っては、あまりにもガタガタやっていたので、筋肉痛になってしまったほどです。デスクトップというのは、とても重たいのです。

続く>>


2004年05月28日(金) 来客。

人様がいらしていた。
お世話になりました。
この日記は26日から30日にかけて書かれているので、色々おかしいけど、気にしない。

連れて行くつもりだった美味しい洋食屋が一ヶ月のうちに消え失せていた。謎だわ。すんごく残念。
どうやら家族でやっているらしく、おそらく調理人のお父上か何かで(きっと元料理人)、何故かタキシードを着ていて小さなレジにちんまり座っており、しかし会計に行った時には何故かいなくなっていて、コックさんが「あれ?どこへ行ったんだ?」とぶつぶつ言いながら清算をしてくれた、あの謎の老人が妙におちゃめでほのぼのと面白かったのに。
私は口コミで知人にすすめられて行ったんだが、地方誌にも載るほどには美味しいお店だのにね。お姉さんは店名をデネソールと間違えていたが、違う。私は正確に覚えているので、どこかに復活していれば思い出せるはずだ。

例によって、また例の場所へ行く(苦笑)
前回は展望台モドキまでで時間切れだったので、四度目のチャレンジ。
地図も見ずに記憶を頼りに行くうちに、別ルートを開発してしまった。

暖かくなったからか、平日だのに人が妙に居る。主に老人と中年。しかし若人も居る。何故か子供も居る。
…なんで子供がいるんだろう?
まあ何してたんか知らんが、普通に楽しく学校をおサボりしていたのかもしれない。

ぐるぐる迷った末、やはりこの道しかないと向いかけたところで、登り口にて、老人とすれ違う。ささやかに怒っている。
「この上には何もないよ!木ばっかりで何も見えやしない!」
例の展望台とやらへ行って、まさにガッカリして戻ってきたところらしいのだ。
ああ、やっぱりアレを見ると皆ガッカリするのね。私はあんまりガッカリしなかったけど(苦笑)
「丸い石があったでしょう。私はあそこに行きたいのよねー」
七年程前の記憶、件の丸い石は覚えてないが、某さんにも行きたい場所があったとは知らなかったわ。丸い石ってなんだろう???


家で男子バレーを見ていたところ、お泊りしている某人は、しきりに「あーもう駄目じゃ、もう駄目じゃー」と、言うのだ。
私が「まだわからないじゃないの」と言うに、「いいえ、もう駄目なのよ」としきりに言う。結局もう駄目だったのだが、しかし第五セットで三点四点ぐらいのところで、「もう駄目」とは早すぎる気がしないか?
が、私も、もしも芯から本気になっていれば、第一セットで先制点を入れられた時点で「もう駄目だ」と思い、口に出してもしきりに言うだろうから、あいこかもしれない。

…なんてゆうか、私の場合は、リラックスしようと思うのよ。
見ていると、作戦タイムで「まだいける」とか「まだ大丈夫」などと繰り返していたが、私はそう思うと余計緊張するきがする。

しかしそれだけでもないかもしれないな。
負けた時のショックを和らげる為に、前もって「もう駄目だ」とシュミレーションしているのかもしれない。
負けた瞬間を見るとガックリするらしいよ。


2004年05月22日(土) やっちまった。

要らん事をダラダラ書いていたら、ヘンな風に登録されてしまってた。

本当は論旨を絞って、きちんと纏まりよく書かねばならないんだろうが。
ちょっと修正を入れるのが面倒よな。これ、日記だし!(なんて便利な)

だからさ、ともかくさ、映画版での墓所の位置がよくわからない。
(とりあえず、そっからか)
あのミナスティリスの一番上の木が生えてたところから、中に入ると謁見の間(と、思われる)があったわよな。それは確かだったと思う。ガンダルフが「おまえは何も言うな」と言ってから中に入ったら大英博物館のような回廊で、真っ直ぐ行った奥だったものな。たぶん。
入り口らへんにも中にも一人の衛兵も居ないのが甚だしく謎で、あそこでデネ公は食事までしていたのが更に謎だが。そんな一城の主…ではないが、そんなようなものが、そんな六畳一間で暮らす私と似たような怠惰な生活スタイルで良いのか?普通食事を摂る場所があるんじゃないの?無いんかな。

ともかく、あの同じ最上階に墓もあったんか?運びよったのをピピンが発見するシーンはあったけど???…原作では、全部で七層あるうち、第六だか第五だかそこらへんから墓所へ入る閉ざされた門があった等と書いてあったと思うから、つまり最低一層は下がったはず…と、読んでた時には思ってたんだけど。
それだと、でもしかし、いくらなんでも火だるまになってまで下の階からわざわざ駆け上がって来たりはせんよね。
…せんよね?
火事場の…しかも燃えてるのは本人だし、馬鹿力とかかしら。ありえなくもないのか。いや、でも、結構、体が燃え出したら、燃えるのに周辺の酸素を全部食ってしまい、かなり早急に酸欠で窒息したようなきもする。だのにあんな距離を走ったのか。…いや、だから火事場の馬鹿力で人間の限界を超えたのかもしれない。

てゆうか、あれを見て、そういう事を考えてちゃ駄目なんか。

あそこから飛び降りて落ちてきたら、きっと人がビックリするよ。あんな高さからの落下物に万が一にも直撃されたら、された方も即死だろう。それもあなた、戦闘中に敵にやられて死んだなら、ものの考えようも感じようもあるだろうが、焼身兼投身自殺をした上司に直撃されて死んだなんて、何を考えれば良いだろう。
アブナイじゃないの!
いや、熱いわ苦しいわで、そんな事を考えて構ってる余裕はなかったのかもしれないものな。あんまり責めてもしょうがない。

そんな事を考えててもいけないんか。
ちょっと誰か城塞の地図を書いてちょうだいよ。


2004年05月21日(金) 二回目。

指輪物語王の帰還>>
ネタバレ(いつも書き忘れてるけど偶にはちゃんと書く)
最後にぎりぎり。最終日は割引サービスデーだったので、新しい眼鏡の調子を見る為にも。
これで結局オール二回ずつ見た事になる。
なんて情熱的な!(そのわりには毎回とことん渋っていたような気もする)

また色々と覚え違いがありまくった様。
見ていて数度は「あれ?この次はこんなシーンだっけ?」と思う事もしばしば。思い出していると、原作と混じるらしい。
えー、私の中にはクリアビジョンで記憶があるのに!また勝手に創作しちゃったのかしら!?(しちゃってるらしい。もしくは夢で見たのかも)

今回は、トイレはせっぱ詰まらなかった。代りに、ガンダルフの髪がいつのまに短くなったのかが気になって仕方なく、出てくるたびに最初から最後まで思い悩んでいた。だって二つの塔で最初に出てきた時は、確かに「白かったので皆がサルマンと見間違えた」というエピソードの為に髪も髭も長くてキューティクルがつやつやだったわよね!?
その後で、どこから(いつから)髪が短くなったっけか?思い出せない。ガンダルフの時よりもさらに短くなってしまったきがする。

いえその、今迄黙っていたが、原作で、ガンダルフがデネ公に「おまえは執政だが、わしも執政なのだ」と言った瞬間
「エ!あなたは!?」
と、遺憾ながらはたと心がときめいてしまったのよ。
参謀とか軍師とか副【役職名】とかサブ【役職名】とか、私がそんなポジションを妙に大好きな事を知っての狼藉か。私にしてみれば、「おまえは受だが、わしも受なのだ」と名乗ったようなものだ。気が付いておくべきだったのかもしれないが、青天の霹靂気味。

うんにゃ、まだ私はガンサルですよ。
ガンダルフは「わたしはサルマンなんかどうでも良いと思っておる」と心の底から言い、サルマン先生のブロマイドを軽く踏絵にでき、似姿をダーツの的にできるまで拷問を受けて帰ってきたに違いありません。
「サルマン?そういえば、同僚にそんな者もおったかのう」と答え、「サルマンが邪魔になったらどうするのだ?」という設問には迷わず「排除します」と答えるようになったので、「では戻ってよし。汝が為すべき事を為すがよい」と釈放されたのでしょう。しぶとく粘ったので、あんなに全身真っ白になり、自分の名前や過去をド忘れするまでシバかれたのです。
原作では「思い出すのもおぞましい目にあった。何があったか思い出させんでくれ」と本人が証言していたじゃないの(笑)
黒い方では拷問の末醜く姿が変わるらしいが、白い方では拷問されると白くなるのです。

映画ではサルマン先生が出てこないので、唯一の萌えポイントはオルサンクに到着したところぐらいだ。
「殺っちまいましょう」と言われ、咄嗟に「いかん」と止めています。反射神経です。思い出したように「もう何もできないのだから」と理由は後付けです。
そんなになってもまだ、封印された遠い記憶の彼方に葬られし愛を薄らと覚えているのですね。おいたわしい事です。

「旅はここで終わりか」と死を覚悟するピピンとの会話にも現れております。
「それは悪くないですね」になんとも言い難い表情で「ああ、悪くない世界じゃ」と答えます。
彼の心の故郷には、きっとホビッツに嫉妬にあまり淋しくて虹色になる前の白かったサルマン先生がいて、そこでは自分も無理に白くなって戦ったりする事も無いのですよ。ホビッツに花火を見せたり、古い友人とパイプを燻らして語り合ったりし、家に帰ると白いサルマン先生がいて「おかえり」と言ってくれ、暖かい食卓ではガンダルフがいない間に自分がいかに研究を進め、どんなに頭がよくなったかを偉そうに熱く語り、「どうしておまえはやればできるのに真面目に働かないんだ」と愚痴っては罵るプリティな姿が待っているんですよ(夢)
「ま!?パイプの匂いがするわ!またホビッツのところに行ってたのね!?あんなチュルチュル巻毛どものどこが良いの!もう帰ってきても家にいれてあげないから!」と可愛らしくフテるんですな(夢)
ガンダルフが留守のうちに、とことん怪しい通販商品(パランティア)に手を出して、巨額の借金をかまえていたりはせず、怪しい米屋(サウロン)と「私には主人が」等と睦みあっていたりなどしないのです。

<旅の仲間>で、怒りのあまり杖を突き出してガンダルフを弾き飛ばすサルマン先生は、ちょうど、箒を突き出し「おまえが遊び呆けている間にも、家にいたわしは、これで真面目に掃除洗濯をしとったん、ジャーッ!」という姿勢に思われます。「雑巾がけぐらいしろ!」と掃除道具入れのロッカーに叩き込んだかのようです。
二本の杖でガンダルフをぐるぐる回す手つきは、炒め物でもしているかのようでした。「苦手な炊事もこんなに頑張っておったん、じゃー!わしがどんなにスクランブルエッグが上手くなったか、その身で思い知るがよい!」状態です。
フライパンを振って高く放り上げ、チャーハンをひっくり返す際に、ちょっと高く上げすぎたようです。落ちてこなくなってしまいましたね。
そんな時のサルマン先生は、きっとフライパンをもったまま、落ちてくるはずのチャーハンんを待って高すぎる天井を直立不動で待っているんでしょう。一時間ぐらい。
そして、自分が投げ上げたフライパンの中身がどうなったのか、探求心旺盛なサルマン先生は天井まで上がって確認に行くのです。
ああ、そんな幸せな日々!

面影も思い出せなくなってしまった、それが誰で自分がどんな風に思っていたのか思い出そうとすると検閲削除されてしまう、どうしても誰だかわからない想い人を想って、「先に逝って待っておるぞ」か「あるいは、おまえが先に逝って待っているのかもしれない」状態です。
どおうしても思い出せない記憶の壁の彼方に、何かがあるのですよ。自分にとって大切であった何かが!

私にはそう見えました(頑張ってるね)
ローハン勢が楽しく酒盛りをしている横で、フロドの事を思い出し、「御心の声はなんと?」と問われて、「生きておる」とニンマリ笑うエロいジジイなんて知りません。見えません。忘れました。

デネ公の性格は原作の抑制気味のカタカタ固い感じの方が好きなんだが、映画版の衣装はどう見ても女王様装束にしか見えない。初めっからヒステリー気味なのが、さらにクイーンっぽい。
「父は高潔な執政だったが、母になってしまい、民の信用を失った」という感じで、「戻ったら父に戻ってくれますか?」に「戻り方にもよる」という感じだ。

…何度見ても、あの距離を火だるまのまま走破するなんて、すごすぎるきがする。しかも丁度良い位置に飛び込み台が(?)。
原作とは別の意味で壮絶(笑)

原作の印象では、<吉原炎上>のラストのイメージだった(苦笑)
栄華を極めた吉原が囂々と燃え上がっているのを、なす術も無く呆然と見詰め、業火に包まれて燃え落ちていくのを背に、ふらふらと歩き出すような感じだったのよ。愛と憎悪、欲望と野望と夢と、喜びと悲嘆、栄光と挫折と絶望と。「おまえにはもう関係ない。戻るな」と言われても、掴みかけた新しい未来をうち捨てても駆け戻り、望んで来た場所ではなかったが「ここが私の戦場。ここで生き延び勝者になるのだ」と覚悟を決め、自分の全てをかけて戦った、その場所の最期を見ずには終われないような、激しくも「こう感じました」と簡潔に叙述できない複雑な気持ちのやつ。
ガンダルフとかピピンとかではなくて、生き残った他の連中が。

気持ちとしては、原作と完全にいっしょでなくても、せめて一棟ぐらい焼け落ちて欲しかったかもしれない。長く燃え続け、それが城郭の外からも見えるような。
終戦すれば、その廃虚を片すところから、新しい生活が始まるんだろうという感じが欲しかったかもしれない。戦乱の後に、何一つなくなった空虚な廃虚の中に入り、その虚無を踏みしめて、最初の一石を人の小さな手で掴み、遺恨の瓦礫を我が手で掻き分けるところから全てが始まるように。

私は戦争は知らない世代だが、例えばそれはちょうど、遺族が、死者が生きていた証を一つずつ片付けていく痛みに耐えるのに似ているように思ってみたのよ。
例えば、葬儀が終了してしまうまでは、バタバタとして忙しない。弔いが終わってしまうと、そこからがやっと遺族の生活だ。
同居していた場合は、生前暮らしていた時と同じままの形でそのまま遺すという事もするだろうが。そこを引き払う時や、死んだものの為に場所を確保できない時とか、金銭的な問題などで維持する事ができない時とか。

別に暮らしていれば、故人が暮らしていた家へ行き、故人が生きている間はけしてそんな事はしなかっただろうが、故人の鍵を使って招かれもせずに戸を開け、最後に食べた食器を流しで洗い、最後に着ていた服も含めて洗濯機に入れっぱなしの汚れ物を、故人は二度と着る事はないのに洗ったりする。
二度と暮らす事の無い部屋を掃除し、二度と触る事の無い故人の所有物を片付けていく。それは故人が好きで選び使ったもので、故人の物だ。それらを愛したのは自分達ではないが、それらを処分する。
どれほど愛着があったろうと思い、思い出す。だが、死後まで持っていけたものはない。棺桶に入れる事のできるものと、入れる事のできる量は限られているし、それは葬儀の前僅かな時間で他人が選別しなければならないしな。
自身の肉体すらも、この世で朽ち、塵にかえり、元素に戻っていくのだ。
残すものと捨てるものを他人が選り分けていく。故人が隠したかった秘密があれば、生きていたなら触れる事も無かったろう奥にまで許可なく入っていき、黙って処分していく。形見分けしたり。
捨てるところから始まるのよな。
多くの人が暮らしていた賑やかさを記憶に、居なくなった者達を思って、もう誰もいなくなった家屋の中を床を踏みしめて歩き、二度と故人に使われる事の無いものが散乱している部屋をながめたりしながら(片付ける者もいないそれらは、ただ処分される)、ミシミシ歩いていき、立ち去る前に床や柱に触ってみる時だとか。

昔日を偲ぶというか、なんというか。

あるいは、自分が暮らした家が他人の物になり、見知らぬ人々がそこで暮らしているのをひっそり眺める気持ちにも、少しは似てるかもしれない。
もしくは、誰も住む事の無くなった家がブルドーザーで壊されていくのを眺め、更地になってから入ってみる時とかも。
そうしてそこにやがては建つのだろう新しい家だとか、新しくやってくる人々がいて、その人々にとっては、そこが以前なんであって、どんな人が住んでいてどんな風に暮らしたのかなど、何の意味も無い事であり、あるいは知りたくも無い事である事を思ったり。
そういう感じだろうか?とか。

ともかく、
原作には、その手の雰囲気がジワジワ〜とある気がするんだが、映画ではイマイチ薄いようなきがする。
「おわった!おめでとう!万歳!」という感じが強くて、どうも後味が薄い。それでは、原作に染みとおった匂いが欠けてしまうような気もするんだが。
そういう事は考えないものなのかな。完全に別物として考えるべきなんだろうけれど。んー…ん?
でもなんか勿体無いような(苦笑)

ま、私が勝手に感じただけかもしれないが。普段、小説(物語)といったら、ほっといたら、コバルッティでハーレクいーンなラブ全開でベタ甘でラストが必ずハッピーエンドである事を断固確認してからしか読もうとしないような駄目人間っぷりなので、どう感じるべきか、どうもこうも自信がないのよな。いや、どう感じる「べき」なんてのは、関係無いのか(苦笑)


ところで、<すたーとれっく・ねくすとジェネレーション・ネメシス>の冒頭は副長さんとカウンセラーの結婚式なんですって!
したんか!?見なきゃッ!
私はあそこのバカップルが大好きなのよ。「だってあなたが脅えると思って」の、あそこのバカップルの為にDVD買っても良いぐらいだ。

某嬢の感想では、何故か「アタシ、ファラミアの顔がイマイチなのよね…」等とブイブイ言っていた。私もイマイチで、エオメルの顔と髪の方が結構好きだが、「わざわざ言及するなんて、そんなに気に入らなかったのかしら?」と思ったものよ。
某「私は…なんてゆうかのかしら?ああいう、ああいふー…」
私「キレイな顔は駄目なのよな?要するに」
某「そうなのよ!」
「ギムリは好きじゃろ?」と言えば、「あの顔は好きネ!」と力まれた。

エエ、某嬢の好み、私はよーくわかっているつもりだ。
「これが好きー」と言うのを横目で観察してきた結果、結果考察としては、「黒毛のもじゃもじゃ」か、「毛無しのツルツル」よ(といえば怒られるかもしれない)

私は基本として素麺のようにサラッサラのロング・ストレートか、緩やかなカーブをもった豊かなロン毛で、しかも髪色は白髪から金髪までの色素が薄い方が好きで、肌の色も薄い(白い)か濃い(黒い)かが好きで、性格はちょっと「頭がよくて偏り気味」の扱いの難しい癖がある奴で、動きは静かで優雅なのがジャストなんだが、姐さんは、顔が半分隠れるぐらい髭がもじゃもじゃで、髪ももじゃもじゃで、毛だからけのやつ(毛並は黒で縮れ気味)、性格は主に「ピュア過ぎ気味」の、例としてはギムリやハグリッド。もしくは毛が無い艦長(パトリック)が良いのよな!?


2004年05月14日(金) 友達?

「また猫がいた」という話をしていたら、「すっかり友達ね」と言われる。
友達ですって?
ノン、違うわね。おそらく私は移動する「自動飯出し機」なのよ。

さんさんと照る日中、日陰を求めてさまよった私は、初めて、晴れた日に奴に会った。
…そろそろ名前をつけてやろう。仮に猫と呼ぼう。
先日は雨だのに居なかったというのに、晴れた日に、いつもの場所に黒い塊が寝ているのを発見したのだ。「雨じゃないから居らんだろう」思い、肉がない。「しまった」と思ったが、私を発見した途端(いつも同じ格好だからだろう)遠視でも即座にわかったらしく、突如飛び起きて鳴きながら走ってくる。
まるで、休日にゴロ寝しているところに待っていた焼きイモ屋の声がしてきて、「やあ!来た!来た!」と起き上がり、傍らに置いていたサイフだけをむし掴んでサンダルを引っ掻け、路上へ颯爽と踊り出すお姉ちゃんのようだ。ほうら、私は友達ではなく、イモ屋なのよ。

なに寄ってきとるんじゃ。君がいたとこへ、これから私は行くのよ。
そして猫はUターン。ニャーニャーうるさい。
もはや迷わず真横を陣取り、ツブラな瞳で私を攻撃。
何故私を見詰める。
私に残された選択肢は、その持ちやすそうな頭をわし掴んで遠くへ放り投げるか、ニャーニャー煩いのを根性で無視して一人涼しい顔で飯を食うか、さもばくば昼食を分けてやるかだ。
良心のゆとりと根性の無さの為に、昼食を分けてやるしかない。最初から、もしも居たなら飯をやるんだろうと、それ以外の選択肢が私にはないんだろうと私にはわかっていたのよ。ただ晴天だから居ないだろうと思っていただけで。

私の夢は、いつかあの握りやすそうなジャストサイズの頭をこうやって(←?)後ろから持って、指の間に三角形の耳を立ててみ、それがクリクリと例の不可思議な動きをするのをじっくり眺める事よ。きっと面白いだろうと思うわ。
…昔「私は猫が大好きなのよ。もー、すッごくネ!可愛いわネ!」と言っていたら、「その、何かを左手で握り、その先を丸くワシ掴んでグリグリ捻っているような手つきは?一体何をしているので?」と突っ込まれたのだった。おっと、夢想が迸っただけよ。
現実の前に私は無力なんだわ。

飯をやると鳴かなくなり、煙草を吸い出すと、こっちを気にしなくなる。私が煙草を吸い始めると、それは食後の一服であり、もう食べ物を持たない事を知っているのだ。

晴天で暖かかったので、微風に吹かれながら、周囲をフラフラしていた。
やがて草葉を掻き分けて歩き去っていき、私はそれを眺めた。

もしも私達が友達であるとすれば、私どもの友情の発露はこの、食事を終えてから猫が去るまでの間、猫が目的不明に私の半径約1m以内を点々と移動しつつ偶に鳴いてみたり毛繕いしたり背伸びしたりし、私の二本の足の間をくるくる回ったりし、それを私が足で挟んだりしていた、その十五分ほどの意味不明な時間にあるんかもしれないわね。
あるいは、それはイモ屋への代金かもしれない。


ところで、また上映回数が変わってる!(のを発見したわけよ)この野郎!
なんで増えてるんじゃ!

王の帰還感想2>
またネタバレと書くのを延々忘れてる。原作も映画もいつもネタバレ。

前の自分の感想(英国人の道徳観が云々)を見て思ったんだけど、そう言えば、それで、アラゴルンの母親は「自分の為には使わなかった」で、アラゴルンは出会った当初「折れた剣」を「あまり役に立たない」と自分で言いながら持ってきており、御宣託は「折れた剣を探すように」になるのか。
「自分の為に使わなかった」は、「母親が当然我が子のしあわせを願う気持ち」を前提とした詩?(発言)という事になる。
仮に万が一もしも自分に子供が居たら(できたら)、どんな風に育てたいとか、どんな風に育って欲しい的なのが、絶賛空白で欠片も思い浮かばないので、そんな風に書かれても、それをどう思えば良いのかよくわからないんだけど。


ところで(先日の)あんな夢を見たのは、きっと、原作をちゃんと一読した結果、原作のアルウェンのどこが控えめで大人しい「お姫さま」なのかわからなかった所為だろう。人の話を聞いていたところでは、大体常に、芯は強いが控えめでじっと我慢の奥ゆかしい、王道をいく「お姫さま」という印象だったんだけど、しかし実際に最後まで読んだ結果は、えらく極道の女という印象だった所為だろう。

なにしろ、<王の帰還上>P.82は、私にはこう↓聞こえた(読めた)んだもの。

「姫君はあなたに伝言もよこされました。『丁か、半か!?恙無く振りたまえ、石を!』」
「それであんたの持っている物がわかった」

つまり、サイコロじゃろう。
それで極道になったんだ。博徒に。


2004年05月12日(水) 言わないんですって。

私「そういえば、私はまだアレも見てないのよね」
人「アレって何よ?」
私「えーとね、『ン人に一人が見た!』とかいうフランスの映画で、女の子の名前がタイトルの奴」
人「それだけじゃわからないわ」
私「なんだったかしら?こー、恋愛物で、主人公の女の子が不法侵入などの犯罪を繰り返すらしい、可愛い話(らしい)のよ。イメージカラーが緑と赤のクリスマスカラーな。パッケージが赤と緑で女の子がついてるのよ。マシェリだかミシェリだか…なんか違うなあ」
人「うーん、レオン?」
私「それはオヤジの名前じゃないの。殺伐としてて、しかもカラーは黒と赤って感じだろう。違うのよ。そんな殺人までいかない。もっと可愛いらしい感じの、かなりマユゼンの女の子の名前なのよ」
人「マユゼン?マユゼンって何?」
私「オカッパの前髪が眉よりずっと上で、横にまっすぐ直線に切り揃えてあるやつ。眉より手前で切り揃えるから、『眉の前』でマユゼンって言うやろ。言わんの?」
人「はあ〜ー!?言ッわないわよ!それはオン・ザ・マユゲでしょう!」
私「そうとも言うけど、古式ゆかしくはマユゼンとも言うじゃないの。そんな英語(まじり)で言うなんて!私は日本語で言ったのよ」
人「つーか、マユゼンなんて言わないよ!聞いた事ないわ!絶対言わねーッ!」

…そうですか?
言わないのですか?
おかしいわね。

てゆうか、ホラ!この人はこんなに『熱い』じゃないの!?
「クールとしか言われた事がない」なんてオッカシイじゃろう。

「確かに私だって、姐さんがランバダ踊ってるようなところは想像できないけどさ」
と言ったらば、
「ハァ!?ナニ言ってんの!アタシはランバダなんて踊らないわよッ!」
と言う。
ひゃあ、熱いわねー(ハタハタ)
確かに「なんだと!?なら踊ってやらあッ!踊れば良いんだな!?踊れば!」と、一旦キレかけてから少し冷静になり「しかし私には少し無理かもしれなかった…」と思う私とは違う熱さかもしれないが。ランバダを踊るのが好きな人に少しばかり失礼じゃないの。

私「だから想像できないって言ってるじゃないの。別にランバダじゃなくたって良いのよ。古いしな。ただ例としてあげただけで。つまり私が言いたかったのは、たとえばラテン系の熱さではないかもしれないけどね、という事よ」
人「そうね、私はラテン系ではないわね。じゃ、何系だってのよ?」
私「うーん、ゲルマン系の熱さ?」


正解は「アメリ」。


2004年05月10日(月) 夢を見て笑って目が覚めた。

此間まで毎日、「本を読まネバナラナイ」という気持ちから逃れる為に日記を書いていたが、読み終わったら読み終わったで「もう本を義務感で読まなくても良いんだ!」という解放された気持ちで、つい毎日日記を書いていた。

「駄目じゃん!毎日なんか日記書いてたら!またそのうちに、なんとなく『毎日書かネバナラナイ』気分になって勝手に追いつめられるわよ!?」と思いつつ、しかし今日はどうしても忘れないうちに書いておきたいのよ。
夢を見たんだ。

たぶん、原因は感想に書いてない事があり、それを「そういえば書いてないな。まだ結構覚えてるから、そのうち書こうか」という気分があったせいだと思うんだが、割りとながーい指輪物語の夢を見ていた(きがする)。
シリアスだったのに妙にギャグで、途中で二三度意識が浮上した際、「我ながら、なんて笑える夢なのかしら?これを全部小説におこしてみたいものよ。きっと笑えるに違いないんだが、しかしあまりにも長すぎる…全部覚えてはおれないだろう」と夢現にも薄ら思っていた覚えがあるんだが。
一個所だけ割りとハッキリ覚えてる。

基本は原作だったようなんだが、エルロンドは映画の役者さんだった。
夢見ながら、「そうそう。映画でエルロンドがビルボを船に誘うシーンで、甲板に足をかけた時にスカートの裾がヒラヒラ〜♪となるのにものすごーくトキメいたのよね〜。あの足つきが!あの一瞬にエルロンドがものすごい美人に見えたねん。あれ、日記に書こうと思ってたのになー」等と考えた事を覚えている。
それはともかく、
件のエルロンドがアルウェンと親子で言い争いになっていて、カッとしたあまり(「自分はおまえの所為で心労で疲れ果てているのだ」という事を言おうとしたのだったと思う)自らの額をさっと指差し、

エルロンド「アルウェン!コレは何だ!?」
アルウェン「ハゲでございます」←冷淡な眼差し

(ちなみに、アルウェンは映画版ではなかった)
そこへちょうど、ガラドリエル様が室内の入り口に来たところで
(ちなみに、ガラドリエル様も映画版ではなかった。何故か囲碁の碁盤を持っていた)

ガラドリエル「デコであろう」←冷静な眼差し

アルウェンが「ハッ、御婆様!なぜ、ここに!?」と驚き、エルロンドが「私はそのような事が言いたいのではありません!」とキレるのを無視して、ガラドリエル様はズカズカ入って来た。そして
「無論そうであろうな。だが、それよりエルロンドよ、おまえはこの(碁盤の)目をどう見る?」
と碁盤を差し出して言っていた。

思わず、「ハハハ」と笑った所為で目が覚めた。

寝直したので前後を全て忘れたのが残念なのよ…。


2004年05月08日(土) 感想。

映画のサントラ聞いてる。
<ムーランルージュ>の♪EL TANGO DE ROXANNE♪が好き。かなり好き。映画を見た時からすっごい好きで、これと、ユアンマクレガのユアソングが欲しくてサントラ買ってしまったのじゃ。
緩急があり、コーラスがあり、それぞれ別々に勝手に歌ってるのを何本か縒り合わせて一本の太い綱にしたような、いかにも私が好きそうな奴なんだもの。それに、タンゴが好きだしな。あのキュッキュッって来るのが良いのよ。
「物語が急速に悲劇に向っていくのを暗示するような」と解説に書いてある。ああ、私、物語の悲劇はあまり好きでないのだが、曲の悲劇的な曲調は大好きなのよ。
<ムーランルージュ>は悲劇なのか良くわからないが、最初にパチパチ打ってる悲劇的で悲愴な感じの「怒りをこめて振り返れ」な勢いのところから、思い出しつつ、毎度思い出しては笑ったり悲しんだりしつつ、最後、力技で無理矢理ハンマー上げしていくような感じが良いんだ。そんで耐久「…3、2、1、勝った!」でダンと重石を落とすような(笑)
話はごっつスタンダードなんだけど、確かに良いよ、あれは。神話やシェークスピアのように普遍的な匂いがする。「人間はいかにして悲劇に立ち向かい、それを克服するか」って雰囲気がするのよ。だから結局、私には悲劇なのかわからない。後味が良くて。


指輪王>
しかし感想は<王の帰還>を書こうとしていたのだったわ。

出だし、スメアゴルを見てビックリ。指輪を見た途端、まだ触れてもいないのに、いきなり「私達」と人称が複数に化けるんだもの。あまりにも速すぎる感じだ。あれは何か思うところが普段からあったに違いない。

「二つの塔」よりは、上手く流れていたと思う。原作も「王の帰還」は割りと読みやすい流れ方なのよな。黒門まで行って先頭になるまでを先にやってしまってから、モルドールに入ってからのフロサムの方にうつり、その時分に何が起こっていたかをちょくちょく入れられ、読んでる方としても「サムとフロドは急がなければイケナイ」感じがムラムラする。「行かなければ。歩かなければ。滅び野山へ向って一歩でも先に進まなければ」という感じが。
ああ、私は、「読まなければ。読み進めなければ。一行でも先に!」と焦っていた所為もあるんかもしれないが(苦笑)
その気忙り感、疲労を押してジリジリ進んでいく感じは、原作の方が良かったきがする。

ちなみに私は、フロサムの道中記を読みながら、某大学主催の某90キロ貫歩を思い出した。私は参加した事はないんだが、参加して戻ってきた「普段あまり歩かない人間」が、ものすごく面白い状態になっていたんだ。陸上部などは走破するらしいが、普段歩かない人間は足の裏が全面水脹れになり、校内を暫くロボットのようにヨチヨチ、キコキコ歩いていた。
それに、その参加経験者に聞いた「どこそこまでは全然平気で楽しい。どこそこあたりから辛くなる。どこそこで一度座りこんだ者はもう二度と立てない。だから立ったままで休憩するように言われる。どこそこからは気力のみで歩く」等という話だとか、思い出した。



指輪を捨てた後、フロドとサムが座って話してるところがタイヘンおかしかったわ。
某姐さんが「サムフロではなくてフロサムだよ」と言ってたが、確かに。
死を覚悟したサムが「ロージーと結婚したかった」等と感傷的になっていると、フロドが横から「おまえがいて良かった」みたいな事を(しかも肩を抱きながらだったような)言う。私の幻聴では「ロージーは忘れろ。私がいるじゃないか」と聞こえ、「うっさいッ!フロドでもロージーの代りにはならんのじゃーッ!」と、私ならキレてビンタをかましてしまうところかもしれない。止める間もない神速と称えられたアタクシのビンタを見よ(注:もう二十年以上、生物にビンタをかました事は誓って一度もありません。幼少期の話だ。暴力反対)
サムの切ない顔が切ないよ。
サムが不憫でしかたない(笑)

原作ではサムがホビット庄の思い出や何やらを「思い出せますか」と一生懸命言い、自分はそれを縁にしていくのに対し、フロドが何度も「水の流れも木々のざわめきも皆の顔も、ホビット庄での生活が何一つ思い出せない」と繰り返すのが印象的なんだよ。
だから「自分達はホビット庄を守った。だから代りに失わなければならない者がいる。それが自分だ」と西方行きをフロドが告げ、サムが納得するのが納得できるんだが。
映画でボケっとしると、「フロドが西行きの船に乗るのは、きっとサムに失恋したからだね」と思わされるわよ(苦笑)

原作では、ホビット庄に戻ってみたら恋焦がれていた故郷はズタボロなのよな。それがえらくリアルなんだが。
それに、サムがロージーのところに行くと「何しに来たんじゃ。フロド様のところに居ろ」と怒られてションボリし、付け加えて「終わったらすぐ戻って来てね」と言われるところ。これは確かに結婚するね。萌える。可愛い。

ちなみに、人が言うには、キリスウンゴルの塔のところで、黒の乗り手がギャーギャー言うのが高音で壮絶に煩かったらしい。私は気持ち良くて興奮した(笑)私には高音という感じじゃなかったわよ。高くて済んだ音は駄目なんだが、濁っていたからかな。

セオデンとメリーとピピンは原作の方が断然良かったです。
「まあ普通原作の方が良いものよ」と言われたが、ああん、だってそういう問題じゃないんだもん。
だって、セオデンの死に様が…。
「黄金館の主人をエオウィンに」って、そこは、「王位をエオメルに」と言うべきところでは。兄ちゃん無視されちゃったよ(苦笑)思いっきり切ない。

何か日本の歴史小説で、行方不明になって謀反人と疑われた当主がおり、当主が背いた罪でその跡継ぎの息子は処刑され(実は友人が逃がしているんだが)、当主が不在になった為に藩の者が誰に従うのかと混乱するのよな。その動揺を鎮める為に、引退していた当主の父親が「自分が当主の代行をするが、万が一当主が生きて戻った場合、当主が自分と二人になって権力が二分し、藩が混乱するだろう。よって自分は当主には戻らない。あくまで代行であり、決定には合議制をとる」という日本初の議会制度をとる決断をするのよ。

「跡継ぎが不明になる」というのはよほどの事なんだなと思った覚えがある。それで、セオデンが「自分はこれで最期だ」と判断したら即座に、後継者を名指しで指名するのに感動したんだ。自分が死ぬ事に対して感情的に云々する前に、自分である前に「王」が死ぬ(不在になる)という事が家臣達にとってどういう事なのかわかっているところが「さすが王様だ!」と感動したんだ。
誰の言う事が正しいの云々行ってる場合じゃない戦場のまっただなかで、突如結局誰に従えば良いのか不明になると混乱するものな。
ガンダルフが「(デネソールに比べて)セオデンは親切な老人じゃが」みたいな事を言ったように、セオデンは武勇に於いても知力に於いても群を抜いて優れた王であったかどうかはわからないが、だが確かに宣誓するに足る王だった感じがするだろう。王族として生まれ、その事を忘れず、自分のできる精一杯をやったのだろうと。
それだのに、映画のセオデンったらん(苦笑)

まあ原作での、「エオウィンはどうしてるだろう?もう一度顔を見たいが、こう遠くては」みたいな事を言う、実は真横で、当のエオウィンが重症で倒れてるってのが悲劇的な匂いがするんだけど。

そう言えば、原作者はイギリス人だったと思うが、その古の価値観と倫理観とイギリスにおけるエリートの意味がよく見えるかもしれない。当主がみずから戦場で傷を負った兜や鎧を、義務を果たした誇りの証として家宝とするようなところ。
「やられました」という証拠でなくて、「やられるようなとこに居た」という証拠なのよな。

「貴族は危急の際、自分の財産を倉が空になるまで領土の民に分け与え、ひとたび戦争になれば、誰よりも先に戦場へ向い、最も戦闘の激しい場所で先頭で戦わねばならない。その過酷さに比べて報いは少ないが、魂に報いがある。それは貴族としての誇りだ!」という、「我が子をエリートに?冗談じゃない。そんな鬼みたいな親にはなれない。可哀想すぎる。そんな立派な人間になどならなくても良い。普通に幸せになって欲しい」みたいな。
人が遊んでいる時にも勉強したりして苦難に耐え、エリートは財産や権利など大きな報いを得るが、しかしそれは「人に分け与える為のもの」で、地上で自分が得るものはないんだ。
日本では違うんだが、「エリート」の本来の意味はそうらしいのよ。だからエリートは自身がエリートである事を胸をはって誇りにするわけよ。苦難に耐えて報酬を得たからではなく、それが自身の為ではないからだ。
そういう価値観があるらしいよ。
スヌーピーの本を読んでたら書いてあった。

ん?それで、「無冠の者が王になる」なのか?
「冠があってはいけない、冠が乗ってるはずがない」わけか。

たぶん、それで、「良いのかおまえ?そんなところに居て。ほらだから言わんこっちゃない、誰よりも先に死んでるじゃないか」みたいな事になってるんだろうな。指揮官だのに先頭に立って我が身を危険に晒してるのはアホなんじゃなくて(苦笑)、誰よりも危険な位置にいる事が義務であって誇りだからなんだろうよ。
それを考えると、原作でデネソールが一人残った息子のファラミアに最も危険で生きて戻れなさそうな戦場に行くように言うのも、一概に「ファラミアはどうでも良い」という気持ちとは言い難いんだが。「ファラミアが自分にとってどうでも良くはないから、行かせる」ともとれるんだけどね。

ああ、映画は、言葉がないね(笑)
「すごかったでしょう?デネソール」と言われて、全くだーよ(笑)


2004年05月07日(金) 風邪を引いたっぽい。

咽喉が痛いもの。
理由はわからないが、咽喉に傷がついたらしい。すると、そこでT細胞指揮下で極地的戦闘がおこり、マクロファージなどに死傷者が出、最終的には援護の為に体温を上げ、その状態を維持する事になるんだろう。
目も滲んでいる。とうとう熱が出てきたっぽいのだ。

これが先日までの日記の「オチ」なんだろうが、オチはもう一つあるのよ。
うふ。
たぶん、映画は後二〜三回は見れるチャンスがあったようよ。私はあのときは、当面の予定表を見て、もうないのだと思ったんだよ。
そしたら今日、新しい上映予定表が出ていて、それによればまだシバラクやるらしいわけよ。

確かに、GWといえども、開演から二ヶ月以上経って、しかも夜の最終上映一回にしては結構客が入っていたが。私が先月土日に見ていた新しいほかの映画よりは、大分賑やかだったわね。
興行収入の計算があり、色々ムツカシイんだろうが、しかし上映予定や上映回数や上映時間をパッパパッパ変えないで欲しいのが本音よな(笑)ここにこういう「一度立てた予定を変える事がなかなかできない愚かしい人」がいるんだからさ。

でもまあ、読めたからよしとしよう。
さもないと、色々と現実的な理由やらどうでも良い理由やらを盾に、私はなかなか読まなかったきがする。


2004年05月05日(水) ウッカリしていた事は。

言っておきますが、私はちゃんと見に行きました。そして、見ました。
目の下にクマができて帰ってきました。
幸い、私が家を出た時には小雨だった。

そこで何があったかと言うと、

上映は既に日に一回になっていた事、それは入れ替え後の最終、すなわち夜であった事、私はその最後の一回を「ここまで来たら意地でも絶対に見逃してはならない」為に四時間前からスタンバイして待っていた事、一度でも家に帰ったが最後、「もう良いんだ…充分だ」等と言い出しかねない事を悟っていたので、町内をぐるぐる自転車でドライブしてみたりしていた事、そして上映三時間半はその疲れた身体にはあまりにも長く、しかも一時間経過した時点で既にトイレに行きたくなった事、駐輪場の閉鎖時間があったので時計を睨みながらの鑑賞であった事、ついでに、近年益々目が悪くなり眼鏡をかけていても暗い劇場で白字に光る字幕を見るのが辛くなって来ている事、駐輪場までの移動にかかる時間は何度も測ったのだが心配で走って帰った事、そこからフラフラしながら家まで自転車で走って帰った事、風呂に入る気力も残らずバッタリ倒れて寝ていた事、

そのようなモロモロの事があって、私は疲れ果てていたんだよう。

感想だとう?勿論言えるとも。

デネソールの食事の仕方は品がない。鬼気迫るものがあった。
そして仕官した途端に(私的に)突如美貌に化けたピピンが、その横で(原作では免除されたのに)無理矢理歌わされていて、それはなんとえらく上手かったのだが、まるで恋人の命と引き換えに無理矢理結婚させられた淑女のように悲壮感が漂っていた。人は知らず、私の中ではピピンは攻だったので、その様はよりいっそう倒錯的であり、激しくHな物を見ている気分だった。ちなみに、私の伝え聞いたところでは、「H」というのは「ヘンタイ」の頭文字だそうよ。本当か?
火が点いた途端、「これがデネソールの最期じゃ」みたいな、たぶん悲愴に感動的なガンダルフの台詞を背に、短距離ランナーのように素晴らしいスタートダッシュを切って廊下をグレイトなスピードで駆け抜けていき、「ヤー!」と落下していく姿は、先生私は何をどう感じれば良いのかよくわかりませんでした。
良いのか、あれは?
もはや言葉にならないぐらい強烈な印象を残す事は確か。

特に食事風景にいたっては、あんなかつてないぐらい猥褻な食卓の光景は初めて見た気がするぐらいだ。あれに比べたらカニバリズム映画の食人風景もまだずっと品位に満ちていて、いっそ美しいかもしれないだろう。さすがホラー監督である。しかしホラー映画でないので、悲痛を通り越してギャグになってしまった気がする。

「あんな」「あんな」と繰り返され、「メリーとピピンとセオデンを見に行く」と言ったところが、「デネソールも忘れないでネ☆」等と念を押された理由が、もう嫌になっちゃうぐらい良くわかりました。


↑これがその証拠の感想だ!

結局三部作通して、遂にただの一度も潤む事すらなかったのは、口惜しい限りかもしれない。
おやすみ。私は寝る。


2004年05月03日(月) こんな風に読み終わりました。

意味不明に指輪ネタバレ>
というか引用になるんか?>

ここ数日で読了した部分にて、フロサムがシェロブの巣へ向って坂道と階段とを延々と道を昇っていく<二つの塔>最終部分と、<王の帰還>下巻の前半のサムがフロドを助けた後、ひたすらモルドールを這うように滅びの山へ向っていく様が、私には何より一番強烈に印象に残りました。一番面白かったと言っても良い。
ここ数日の私の様子は、まさしくそのような調子だったからだ。

私の目標は、映画を見る前に原作を通読する事だった。
ちなみに、その目標を達成するに「この調子ではかなり難しい。危険だ」と思い始めたのは4月の頭に入って一週間ほど経過した頃。
何故「かなり難しい」と思われたのか?
何故なら、その目標は、およそ三年前「まあ劇場で映画を見に行く前に、一度原作を読んどいた方がわかりやすいと思うよ」と軽く言われ、「了解、ボス」と答え、そのさらに数年前に「なんとなく」古本屋で買って挫折し老後の楽しみの為に固く封印されていた原作の一巻を押し入れから発掘し、そしてその美しい装丁に恐れ戦いて友達を罠にかけて読ませ始めたその時から、「この映画は三部作という話だが、私もそれを全部見終わる前には原作を読んで置こうっと。なにしろ、最後の映画公開は三年後だ。なんの!いくらなんでも無理な事があろうか!」と軽く立てていたにもかかわらず、この最終段階に至っても尚まだ読んでいなかったからだ。毎度全て「とりあえず、○×まで読んでおけば良いよ。その辺までだから」に従ってギリギリまでしか読んでおらず、さらに、挙げ句の果てには、前回<二つの塔>を見てから一年もあったというのに、数ページしか進んでいなかったからだ。
マトモに考えれば、一年で数ページしか進まなかったのを読了するのに「あっという間」とはいかないはず。

しかし私は全然諦めていなかった。何故なら、自分が物凄お〜く稀になら思ったより働き者になる事を経験上知っており、しかもそれは「相当追いつめられた時」と「全く必要のない時」に殆ど限られる事を知っていたからだ。
さて、そんな私が「ヤバイよな。無理かもしれん」と激しく真剣に思い始めたのは、某友人が指輪を見に行った頃であるから、この非日記によれば、それは4月の22日から25日の間の事であったろう。
この頃になると私は、もはや全力で逃避する日記において、記載する内容を選ぶ余裕すら殆どなくなっていたのだ。そんな「かなりマズイ」自分を発見したのは翌26日である。そのままもがく私。

そして私が、遂に「ほんとーに!時間がないんだよ!」という事実を直視したのが4月28日であった。そして遂に29日、私はやっと重過ぎる腰を上げた。
しかしその状態は、ある意味、下巻のモルドール探索行のようだった。

『「ええ〜と、私、」と、アタイは思いました。「アタイはちいとばかり時計を眺めまわして、少し考えてみましただ。見込みがあるうちに読んどく方が良いですだ。何とか読めそうですか、私?」
「なんとか読めるよ」と、私は思いました。「読まなくちゃ」
再び私は読み始めました。一字から一字へと這うように進み…』
(王の帰還 下 P.99より)

『「私には無理だよ」と、私は言いました。「とても長くて読んで行けない、とっても長いんだよ。」
口を利く前から、アタイにはわかっていたのです。むだだということが、こんなことをいってもむしろ逆効果だということが。でも呆れのあまり、アタイは黙っていることができませんでした。
「それじゃ、もう読まずに映画を見に行きますか?ええ、喜んで行きますだ」
私の目に血走った光が浮かび上がりました。「うるさい!私に指図するな!」(中略)しかしその時、急に声が変わりました。「いや、いや」私は悲しそうに言いました。
「だけど、お前はわかってくれなくちゃいけない。これは私の負うた荷なんだ。だれにも読んでもらうわけにはいかないんだ。今となっては遅すぎるんだよ。わたしにはこれを読まずに行くことはできない」
アタイは頷きました。』
(王の帰還 下 P.104より)


その日、私は遂に一年間読み終わらなかった<二つの塔>の最終分を読了したのだ。その時の思いといえば、「なんでほんのこれっぱかしを読まなかったんだよ、私は?一年も!」に尽きる。
明けて翌30日。


『その日アタイには自分の主人が何かしら新たな力を見出したように思えました。王の帰還の上巻の間は、私はアタイが望んでいたよりも長くまで、しかも速く読むことができました。めちゃくちゃ初登場名の多い(しかも直ぐに死ぬ)敵意に満ちた文章でしたが、それでもずいぶん進むことができました。しかし合戦シーンが終わると、私は再びゴロゴロし始め、要らん事(日記を書く等)をしがちになりました。まるで更新された努力によって残っていた気力までが浪費されてしまったかのようでした。』


「私も危急にかられとるわよ」等と焦りながら<王の帰還>上を終了したのだ。


『「まあまあ、アタイ達、アタイの思ってたよりよくやっただ。」アタイは意気高らかに思いました。「ともかく、王の帰還では上等だ。ここで休むまでに(残り)半分はきたと思う。もう一日あれば大丈夫だろう。」
「馬鹿を言うでねえ、アタイよ、」同じアタイの声で応えが帰ってきました。「私はもう一日、こんな調子で行けるもんか、たとえ少しでも読めたにしてもよ」
「だがアタイはまだ読めるぜ、読んでみせるとも。」「どこまでだよ?」「334ページまでよ、決まってら。」「だが、それからどうする、アタイ。それからはどうなんだよ?そこまで読んだらアタイはどうするつもりだ?(全国的に悪天候になるらしいから)私は徒歩や自転車では映画館に行けねえだろうよ」
弱ったことにアタイは、これに答える言葉がないことにきがつきました。私は自分がどうやって映画館に行くつもりかはっきりしたことについて、あまりアタイには話していませんでした。そしてアタイはともかく映画館に行く前に原作を読まなければ、それまで劇場へ映画を見には行かないつもりらしいことを漠然と知っているだけでした。
「映画館、」アタイは呟きました。「さてさて、私はどうやって行くつもりか考えて(いるわけないが)いるかもしれえが、アタイは知らねえ。」』
(中略)
『「読み終わってみせるとも、この原作のほかは何も見れなかったとしても。」と、アタイは思いました。』
(下 P.108〜より)


さらに諸事情で一日を空けて翌翌日5月2日。


『「さ、急いで私!」アタイは(気分的に)喘ぎながら思いました。「読んでくだせえ!読んでくだせえまし!ぐずぐずしてられません!現実の始末はアタイがします!読んでくだせえまし!」
私はまるで遠いところにいる人でも見るように、アタイを見ました。
「そうだ、私は読まなきゃならない。さようなら、アタイ!とうとう最後が来た。滅びの山に裁きがくだされるところまで読み終わるのだ。さようなら!」』
(下 P.121より)

そして130ページまで読了。
すると5月2日の日記<その後>状態になった。そしてこの3日が来た。

『「(サムとフロドの)旅は終わりました。けど、はるばるここまで読んだあとで、まだ諦めたくねえのです。諦めるなんてのは、どういうわけか、アタイらしくねえのです。わかってくださるだか。」
「たぶんそうなんだろうがね、アタイ」と、私は思いました。「しかし世の中のことはどうあれ、私達というのはこういうもんなんだよ。望みは尽きるものだし、終りは来るものなのだ。私達はもうあと少しだけ待てば良い。劇場公開終了の前に取り残されて、逃れるすべもないのだ。」
「でも旦那、アタイ達この危険な個所から、このう<フロサム主従の指輪棄却の使命終了>とかちゅう130ページから、もうちいっと先まで読むぐらいのことはできますだ。そうでねえですか?さ、ともかく次のページを読むとしましょう。」
「いいとも。アタイが読もうと思うのなら、私は読むよ。」と、私は思いました。』



そして、そうやって、読み終わりました。
後は映画を見に行くだけだ。問題は、太平洋側は大雨でただ今もガンガン雨降ってるって事よ。さあどうやて行くか。私はもうここまで来たらタクシーだって使うね(意地になってる)


2004年05月02日(日) うわあ。

昨日も本当は日記を書いておりました。
逃避が極まって大変な事になっていたが。

残り少ない貴重な時間(のハズ)をどうして!?
どうして無駄に使ってしまうの、アタイはッ!?

つい、「ここまでをここまでに読めば良いんだろ?じゃあ、何とかなるんじゃない?この時間とこの時間ぐらいは別の事してても良いんでは?」などという要らん計算をしてしまっており、そうやっていつもギリギリにしてしまうのよな。
嗚呼、私「ナマケモノ」とドカンと書いてあった事を思い出すよ。
それから、夏休みの宿題を「まだナントカなる。まだナントカなる」と粘っているうちに最後の三日間で殆ど貫徹でやるハメに陥り、結果腱鞘炎を起こしかけた事だとかも思い出しますよ。
あの「夏休みの友」という奴だとか、夏休みに出る宿題だとかノルマは、1日1日真面目にやってれば何てこと無い量なのだが、それを全て一気にやろうとすると
地獄の底を拝む事になるんだ。その代わり、夏休み明けの実力テストは妙に良い結果になる(前日まで一夜漬けをしていたようなものだから)。暗記物以外(数学と国語と英語)は、ものすごく楽。「さっきまでしていた事を続行せよ」状態だから。
ただし、鉛筆が握れなくなっているので、答案用紙には書き込むには、拳で鉛筆を握り、腕で書かかねばならない。

ともかく、さらに大家さんに捕まっていたりすると、初めのうちは大変苛々するんだが、そのうち「私はこの場を上手く逃げる事ができない」と諦め、すると肩の力が抜け「もうなるようになるさ〜アハハン」という気分になる。「一時間二時間ぐらいなんだ。くれてやらあ」という気持ちになるのだ。

ところで、私はさっきから何故日記を書いているんだろう?
早く読めよと思い。



…その後>
滅びたわ!おめでとう私!
まだ読み終えてないが(なんて長いんだ。さすが)
まさか読み終わる日が来るなんて、思いもしませんでした。てゆうか、読み始めた時にはこんなに読むのが辛くなるとは思いませんでした。サムの気分です。
今より遥か以前、饗庭ナニガシの「フランス式暦 秋から冬へ」編を借りたその同じ図書館、江戸時代城であった場所に立てられ、堀があった場所が道路になり、夜な夜な落武者がさまようという町立図書館で「これが指輪物語ですだか?なんちゅう太い本ですだ。しかも何冊もあるですだ。文字なら何でも読むとっつぁんなら読む気になれば読めるでしょうが、しかし学の無いおらには、こんな本はとても読めねえですだ。この文字を見てくだせえまし。よくわかない文章ですだ。ちっちゃい上に詰まってますだ。しかも隙間がないですだ。どこが会話文の切れ目だか、おらにはさっぱりわかりませんですだ。もしかしておらの目がおかしくなっていなければ、これを読むのは骨の折れる大仕事ですだよ。そうではねえだか?」と呆れたあの時から、一体どれほどの歳月がながれた事でしょう?

(「王の帰還」下 P.130読了)
「私は来た。」と私は思いました。
「だが、私がここに来てするはずだった事を、もうしない事にした。その事をするつもりはない。原作は読み終わった事にして映画を見に行く!」
ゴクリんが突進してきました。
「まだ時間があるじゃろうが!」ツッコミ。

もうちょっとだ。頑張るともよ。
嗚呼、この二つの塔の下巻から王の帰還の上巻への間に、また人生を急展開してみて、それも私だけ急展開ではなかったとしても、そんな事は私には関係ないのだ。


ところで、原作のP120のフロドに対する「もはや憐れみに動かされることのない、いかめしい白衣の人物」という表現は、まるで白くなったガンダルフのようだね。ええ、私にはわかっています。白ガンダルフというのは、きっとあの頭に来る太公望のような男なのだとわかっているのです。「一度盆から零れた水は二度と盆に戻る事はない」タイプなのだとわかっちゃいるのです。
でも私は、ガンサルなんだもの。しくしく。


やぐちまさき |MAIL